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2007年8月31日 (金)

ハイドンの交響曲:ある日の質疑

今日、こちらのブログでハイドンの「ロシア四重奏曲」をお採り上げでしたので、ふと、ほんの1年前にハイドンの交響曲について、ある方にお教えを乞うたことを、まるで遠い日だったかのように懐かしく思い出しました。
その時のやり取りの要所を掲載します。
話題の中心である、ハイドンの交響曲の編成については、大変立派なサイトもあり(恐縮ですが検索サイトでお探し下さい)、本来私などの出る幕ではないのですが、弦楽主体の団体がハイドンをお採り上げになりたい場合には参考にして頂きやすいかもしれません。


質問

質問にあたっては
A.大宮真琴『ハイドン』1981年新版(音楽之友社)
  曲の説明の一部などに疑いを感じる箇所もあるのですが、他に伝記を所持ないし読んでいません。
B.スコア『ハイドン交響曲全集』フィルハーモニア版 全12巻のうち第10巻まで
 日本語翻訳版 昭和57年(1982)音楽之友社
のみを参照してまとめました。研究は当時より進んでいると思いますので、その点での誤謬があれば、それについても(ご面倒でない限りで)お教え頂けると有り難く存じます。

お教え頂きたいのは、次の点です。質問に際しては、線で区切った<参考>以下の確認を行ないました。・・・なお、勉強したい思いからの、素朴な質問だとお捉え下さい。

・確認した交響曲全92作(1790年以前のもの)は、ハイドンの創作時期に関わらず、
「オーボエ2、ホルン2(&バスと共に吹くバスーン)」編成が40作品(バスーンが独立したものを加えると42作品)と、対象全体の45%を占めています。これは、交響曲、という曲種に対する当時なにか特別な考え方があったためなのでしょうか?・・・とくにハイドンの場合、モーツァルトと違って歌劇の序曲としてのシンフォニア、というのは、こんにち交響曲と呼ばれている作品には殆ど含まれていないようです。現在、研究されて何か分かってきていることがあるのでしょうか?

・エステルハージ家のオーケストラには最初からフルーティストが雇用されていたにもかかわらず、「朝」・「昼」・「夕」の他2曲を例外として、オーケストラを拡大した1766年以降の作品にならないと交響曲中にフルートが定着して用いられていないのには、何か事情があるのでしょうか?
 同じく、資料Aによりますと1776年から78年にはクラリネット奏者も雇用されていたそうですが、エステルハージ家時代までの交響曲にクラリネットを採用しなかったのには特別な理由があるのでしょうか?
 
・少ない例外を除いて、バスーンが独立したパートとして扱われるのは1766年頃のオーケストラ拡充後になってからと見受けます。これは同じ時期の他の作曲家にも見られる傾向なのでしょうか?あるいはハイドン固有、またはハイドンの発案があとで流行した、と考えた方が良さそうでしょうか?
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<参考>
確認をとった方法、内容は下記の通りです。
まず、資料Aにて以下を確認しました。
ハイドンの属した、または管理下にあったオーケストラの規模
(シュテファン寺院を除く)

ア)モルツィン伯爵の楽長時代(1759-60)48頁
 推定〜ヴァイオリン6、ヴィオラ1、バス1(バスーン1かチェロ1、もしくは両方)
    オーボエ2、ホルン2、バスーン2
    
イ)エステルハージ家(1761-65)
 1762年の記録(59頁、声楽家を除く)
 ヴァイオリン5、チェロ1、コントラバス1、フルート1、オーボエ2、
 ファゴット2(うち1名はヴィオローネ兼務)、ヴァルトホルン2
 
ウ)エステルハージ家(1766-90?)
 1766年の記録(83頁、声楽家を除く)
 ヴァイオリン6、チェロ1、ヴィオローネ(コントラバス)1、フルート1、
 オーボエ2、ファゴット2、ヴァルトホルン4
 *トランペットとティンパニは必要に応じ増員
 *クラリネットは1776-78年のみ置かれた
 
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次に、上のア〜ウの時期におおよそ当てはまる創作時期ごとの交響曲の編成を資料Bにて確認しました。推定を含め1790年以降の交響曲については、確認はしましたが、除外します。番号はホーボーケンのものです。年代推定は資料B各巻記載の年代を目安にし、よく理解できなかった場合はAによりました。但し創作順は度外視しました。
管楽器の規別。バスーンはバスからの独立性が薄い場合は除外(一緒に演奏されていたと推定されても【スコア頭書の編成表に含まれていても】、モーツァルトの場合同様、パートとしては除外して考えるのが妥当かと考えました。これが正統な考え方なのかどうかは知りません。緩徐楽章を除き、バスーンは1本は必ず演奏に参加していたのではないかと思っているのですが・・・確認出来ません。ハイドン全集のスコアだと Basso e Fagottoとあるものの、モーツァルトで同規模のシンフォニーは必ずしもそうではないのですよね。同じランドン博士が校訂に関与しているのかと思いましたが、これも違うのでしょうか?・・・そのことは、とりあえず措きます。)

確認対象:全92曲(但し、「ロクサーヌ」第1稿・第2稿を別々にカウント)
ア)全20曲
  (1)オーボエ2、ホルン2・・・計14曲
   交響曲A、交響曲B、1、2、3、4、5、10、15、16、17、18、19、27  
  (2)ホルン2・・・計1曲
   11
  (3)オーボエ2、ホルン4、ティンパニ・・・計1曲
   32
  (4)オーボエ2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ・・・計2曲
   20、33
  (5)オーボエ2、ホルン(またはトランペット)2、ティンパニ・・・計1曲
   ※エステルハージ家最初期の可能性もあるか?
   37
  (6)オーボエ2、ホルン2&独奏バスーン、チェロ2(?)・・・計1曲
   108(楽譜未見)
   
イ)・・・ただし、第6〜8番(朝・昼・夕)は協奏交響曲と考え除外する。
  全14曲
  (1)オーボエ2、ホルン2・・・計11曲
   12、14、21、22(哲学者〜オーボエ2をフルート2に置き換えた異版有)、->「お答え」参照
   23、24、25、18、29、30(アレルヤ)、40
  (2)オーボエ2(中間楽章フルート2)、ホルン2・・・計1曲
   9
  (3)フルート1、オーボエ2、ホルン4・・・計2曲
   13(ティンパニを含む、1763年)、31(ホルン信号、推定1765年)
   
ウ)全58曲
  (1)オーボエ2、ホルン2・・・計15曲
   26(ラメンタツィオーネ)、34、35、36、43(マーキュリー)、44(哀悼)、
   46、47、49(ラ・パッショーネ)、51、58、59(火事)、64(異変の時)、
   65、57(スコアに無いティンパニのパート譜、有)
  (2)オーボエ2、バスーン1、ホルン2・・・計2曲
   45(告別)、52
  (3)オーボエ2、バスーン2、ホルン2・・・計4曲
   55(校長先生)、66、67、68
  (4)オーボエ2、ホルン4・・・計1曲
   39(ト短調)
  (5)オーボエ2、ホルン(またはトランペット)2、ティンパニ・・・計1曲
   37
  (6)オーボエ2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ・・・計5曲
   48(マリア・テレジア)、50、60(迂闊者)、63(ロクサーヌ)、69(ラウドン)
  (7)オーボエ2、バスーン1、ホルン2、トランペット2、ティンパニ・・・計1曲
   56
  (8)フルート1、オーボエ2、バスーン1、ホルン2・・・計3曲
   63(ロクサーヌ)第2稿、71、72
  (9)フルート1、オーボエ2、バスーン2、ホルン2・・・計14曲
   62、74、76、77、78、79、80、81、83(めんどり)、84、85(王妃)、87、
   89、91
  (10)フルート1、オーボエ2、バスーン1、ホルン2、ティンパニ・・・計1曲
   53(インペリアーレ、終楽章バスーン2の異版、フルート・ティンパニ無しの異版有)
  (11)フルート1、オーボエ2、バスーン1、ホルン(またはトランペット)2、ティンパニ
   ・・・計1曲
   82(熊)
  (12)フルート1、オーボエ2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ・・・計1曲
   41
  (13)フルート1、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、ティンパニ・・・計1曲
   61
  (14)フルート1、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ
   ・・・計7曲
   70、73(狩)、75、86、88(V字)、90、92(オックスフォード)
  (15)フルート2、オーボエ2、バスーン2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ
   ・・・計1曲
   54
  ※第63番については、スコアに無いティンパニのみ1種、
   トランペット2+ティンパニ2種のパート譜(?)が存在。


お答え(ご多忙中、急いでお返事下さったもので、今でも大変感謝をしております。)

今、資料当たっている時間がないので、すべて記憶を頼りに:以下、個別に:

*フルートは、宮廷での音楽教師の役割も兼ねていたためではないかと思います。宮廷の私室にまで入り込んでレッスンや室内楽をするために、フルート奏者は特別な待遇を受けていたということですが、どの資料で読んだか記憶なし。またアイゼンシュタットでそうであったかも推測です。演奏会に出演しない音楽家を雇っておくのも変なので、たぶんそういう事情ではないでしょうか。教会音楽とオペラだけ演奏したのも変ですし。

*ファゴットの低音強化としての使用はほかの作曲家にも見られます。常に一緒に行動させているのはバロック時代から同じだったと思います。チェロにエンドピンがなかったこと、ガット弦の張りが弱かったためか、音量が小さかったのではないかと思われ、モーツアルト「イドメネオ」初演の編成(だったと思う)などで、ほかの弦楽器に対してチェロの数をとても多く編成しているなどの事情から推察できます。これを一括的にファゴット付きとして編纂している理由については校訂報告書の序文にあったように思いますが記憶ちがいかも。ベーレンライター新モーツアルト全集の序文にはその問題を論じてあります。

*オーボエとホルン2づつを持つ弦楽合奏が最小限の管弦楽であったことは事実と思いますし、アカデミーのためが多かったハイドンの室内型の交響曲にはその編成で充分であったのではないでしょうか。祝祭型はそれでもかなりの数に感じています。フルートの追加、ホルン複調、ホルン4などの編成、独立ファゴットパートなどは劇場期からの特徴なのですね。はっきり調査していませんでしたので感謝いたします。(<-勿体ないお言葉!)

*6〜8を協奏交響曲として除外する必要があるのだとしたら、13,31,72なども同様かと思います。なお、72は現在の研究ではあなたの言う「イ」の時期に分類されており、そのことはミニスコア日本語版ランドンの序文にもあります。

*劇場充実の時期であったため、(ホルン4も)オペラ用にクラリネットを雇用していたのではないかと思います。資料に当たれないのでオペラの楽器編成がわからないのですが・・・

*ハイドンの音楽が今日演奏されない事情が楽器編成にあるとするには、この比率にどの程度の説得力を持たせるかは微妙な問題ではないかと思います。それ以外の事情のほうが大きいのではないかというのが私見です。

*22番はイングリッシュホルンではないでしょうか。(付記:その通りです)

*エステルハージ5人目のヴァイオリン奏者はヴィオラ奏者

*祝祭楽器(ティンパニ、トランペット)は軍楽隊などから臨時応援(「オーケストラの社会史」ほか)

*触れておられた「月の世界」の序曲や「狩(失われたまこと」)」ロクスラーヌ(劇音楽)などはパスティッチョであったと記憶しています(違うかも・・・)。60粗忽者(同じく劇音楽)もですね。モーツアルトのオペラ序曲が交響曲であった例というのを無学にして知りませんが・・・「牧人の王」??
(記事綴り手付記:「月の世界」等は別の場でやりとりしたなかで採り上げたハイドンの作品。モーツァルトの、歌劇の序曲を「交響曲」に・・・より正しくは「シンフォニア」に・・・仕上げたのは、「アルバのアスカーニョ」の序曲。なお、ご回答者は「無学」などでは断じてありません。)

(以下、ここに掲載しなかった、事前にしていた別の質問へのお答え)
*ハイドン作品の高度さ、複雑さが今日の聴衆への受容を妨げているというのは完全に作品の内容からはっきりと感じられることです。むしろ、ベートーヴェン以降が異常なまでに大衆的に、(弦楽4重奏曲などと比較して)単純に交響曲を創作していると言えるかも知れません。

*筆写、無断の出版などがあったのは事実ですが、弦楽4重奏曲なども宮廷外の出版のみのために書いているところがあり、これらも大変高度な内容であるため、こうした(高価であった)18世紀の出版譜(パート譜)の購入者はすべからく宮廷楽団を保有する貴族、ないしは大きな修道院などであったと思われます。素人が楽しみに買う(演奏を前提としない)ならばスコアの出版が先行すべきだからです。ハイドン交響曲の聴衆のほとんどが教養階級であったという推測は出版の多さによって変動するものではないのです。(大崎滋生:「文化としてのシンフォニー」「オーケストラの社会史」「音楽史の形成とメディア」同じく未出版論文「ハイドン同時代の出版」>三鷹プレレクチャー資料)

※文中の大崎先生の本は、どれも良書です。ご一読なさってみて下さい。
スコアを読むことの「娯楽性」については、とくに、「文化としてのシンフォニー」に記載されています。

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コメント

kenさん、リンクをありがとうございました。
「ロシア四重奏曲」にはモーツァルトの影響があったのか、とわかって私は非常に納得してしまいました。
ハイドンを聞きながら、モーツァルトの凄さがわかるというのも変な話かもしれませんが、やはりモーツァルトはすごいですね。
でも私はどこかハイドンに惹かれるところがあります。
うーん、まとまりません。
またいつか。

投稿: イワン | 2007年9月 1日 (土) 20時49分

イワンさん、コメント下さってありがとうございます!
・・・モーツァルトは、孤高です。誰も真似を出来なかった(ベートーヴェンも)。それは、彼が幼い時から専門家としての旅に明け暮れたうえに、成人してからは社会の大きな変動期(それはまだ目立つ直前でしたけれど)の中で、おそらく研究者でも汲み取れないほどの大きな精神的苦労をしたためではないか、と思います。じつは、モーツァルトの苦労に比べれば、ベートーヴェンの耳疾などは(本人の苦痛は大きかったとは言え)理解者に包まれていた分、「報いられた」ものに過ぎなかった、とまで言ってしまっては語弊があるかなあ・・・
一方でハイドンにはハイドンの凄さがあって、私は彼の最後の交響曲を初めて聴いたとき、「え? シューベルトにこんな交響曲があったっけ?」って思ったくらい、作風の幅が広い。彼の作品をたどって行けば、とりあえず「音楽の進化論」にまでは迫れるのではないかと思います。今、ちょっと、フォローを検討中です。
サリエーリも、既成概念から解き放たれなければない作曲家だ、と強く思っています。彼の助けで大音楽家になった人物が多いことは、冷静に見直されなければなりません。本人の作品の中に、何故そんな教育が出来たかのヒントがありそうです。
ハイドンもサリエリも、音楽的後継者に恵まれた人たちです。
それを思うと、「モーツァルト、いとさびし」。。。お粗末でした。
長くなって済みません。

投稿: ken | 2007年9月 1日 (土) 21時17分

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