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2007年8月29日 (水)

「古典派」とはなんだったのか

<チャップリンの言葉から>
・人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇
・死と同じように避けられないものがある。それは、生きることだ
(「チャップリン格言集」http://kuroneko22.cool.ne.jp/Chaplin.htm から引用)


少々、タイトルにそぐわない文になっていることを、あらかじめお詫び申し上げます。

クラシック音楽を「ちらっと見」する程度の能力しか持ち合わせませんので、なにか目的を持って生きるためにも、昨年の生誕250年を期に、モーツァルトを1曲1曲聞いていこう、楽譜を読んで行こう・・・そうすることで、一人の音楽家・作曲家が18世紀後半をどんなふうに感じながら生きたのか、少しでも自分も感じ取ってみたい、などと考えてきました。
1年以上経ってまだ、彼の35年の生涯のうちの、18歳の作品までをフーフー言いながら追いかけることができたところです。そのうち、肝心の自分の最大の相棒である「フーフー」の片割れ、自分の命のいちばんの支えである女房が昨年暮れに急死してしまい、
「モーツァルト・フォローも休止かな」
などと、つまらぬ駄洒落しか思いつかなくなるていたらくになってしまいました。

それでも、自分が生きる力が欲しかった。
私は「鬱」ではありますが、肉体的には健常者です。これから自分の将来を決め、夢をかなえていく、大切な子供も二人います。
生きていなければならない、と思いました。

こんな環境下で綴り続けることを良く思われない方もいらっしゃるかもしれませんが、女房を失っても、子供が健全に育つことを妨げず、自分は自分の課題を持ち続けることが、女房への最大のはなむけだ、とも信じてきました。

おかげさまで、通勤電車の中で資料を読み、休憩時にノートにメモを取りして原稿を作り、ブログをつづり続け、ときにすてきなコメントを頂きつつ、モーツァルトの「生き方」を、楽譜を通して学ぶことも継続できております。
たくさんの方々のおかげでもあり、また、こんなおとうちゃんを信じてくれる子供たちのおかげでもあります。

心から御礼申し上げます。

こんな経緯で「モーツァルト」を辿ってきて、ようやく有名作が続出する17,8歳頃の作品にまで追いついてみたら、今更ながら実感させられることがありました。
「彼も、彼の天才だけで生きてきたのではない」
・・・当たり前といえば当たり前の、そんな事実が、目の前に迫ってきたのです。

では、他に何があって、彼はその生涯を自分なりに支えてこれたのか。
このことに、取り組まなければならない、と、最近、痛いほど思うようになりました。

モーツァルトの創作活動の成否には「人様のおかげ」も、当然ありました。
一方、「人様への反動」というのも、18歳以降を視野に入れる時、今後の自立に向けては大きな要因となっていきます。

人は生まれてくるには母親の胎内から出てくることを必要としますが、死ぬときは一人です。

今日、世の中には悲しいニュースがあって、
「七十代の寝たきりの妻を介護していた、やはり七十代の夫が数日前に心筋梗塞で亡くなり、妻も介護を受けられなくなったためにまもなく亡くなっていたのが発見された」
というものでした。
悲しいけれど、「幸せなご夫婦でもあったなあ」と感じました。
死ぬ日が長く隔たる夫婦に比べて、その幸せ度、不幸度にどれほどの違いがあるかをとやかく言うつもりはありませんが、結果的には奥様も「自立した死」を、最愛のご主人のすぐそばで、あまり時間を隔てずに亡くなることが出来た。・・・それを「幸せ」と言ってしまうのは不遜ではありますけれど。
死の苦しみは、味わう長短に関わらず、筆舌に尽くし難い。そして、それは孤独に味わわざるを得ないのが通常です。その苦しみと孤独の時間が可能な限り短く、しかも最愛の人の側で、その人とほどを経ず過ぎてくれるのは・・・それが自死であっては絶対にいけませんが・・・もしかしたら人生最大の幸福かも知れない、と、ふとそんなことを感じつつ、ニュースのお二人のご冥福をお祈りしました。

「死」をいかに意識し得るか、というのは、ある意味で、人間の自立のバロメータではないか、ということにも、同時に思い至りました。なぜなら、「死」に対し自分なりの像を持ってしまうのは、自分が育ってきて、命の花を咲かせて行く過程の中で、やがて迎えるであろう実りを如何に自立させようか、と考えだしたかの道標にもなり、多くの場合、それは「育ててくれた」環境への、最大の反動(あるいは、反抗)だからです。
彼の伝記には必ずと言っていいほど引用される、31歳のモーツァルトが、命の火の消えかかった父に送った手紙の次の一節は、フリーメーソンの思想の影響だ、とする人や書物も存在しますが、背景は別にどうでも良いことです。

「死は・・・正しく考えますれば・・・僕たちの生の真の最終目的ですから、僕は、この人間の真実で最良の友と、数年来非常に親しくなっています。」(海老沢敏 訳)

この言葉がもし、父よりも先立つ子のものであったとしたら、親の身としては非常に不孝きわまりない言葉だ、と受け止めることでしょう。私が、丈夫なうちに私の子からこんなことを言われたら、やはり怒りだしてしまうかもしれません。あるいは、先立たれてしまったら・・・

だからこそいっそう、「死」を見つめる瞬間が自己に訪れることは、「子」の立場としては、より完全な「自己」の確立を意味するものなのではないか。。。

従って、モーツァルトがこのような「死」に対する観念を持つに至った過程・環境については、たとえば「フリーメーソンへの所属」とか「臨死の父への慰め」などの直接的な現象よりも、時代的な背景、価値観にどのような多様性があり、その中から彼がどのような精神を持って選択したかを突き止めて把握することが、非常に重要になってくるのではないか、と、さように考え始めたところなのです。
裏返せば、
「死を見つめ得るに至るには、生を如何に尊重し、あるいは軽んじたか」
を・・・私が取れるのは、たまたま「クラシック音楽」を媒体とする手段、しかも、小指の上のホンのひと雫の水滴しかないものですから・・・自分の狭い視野で可能な限り広く見つめる努力をして行くことでしかない、であればもう、大人へと脱皮して行くモーツァルトが受容したであろう外部世界を出来るだけ広く、しかし、深く見つめるしかない。

当時は思想史的には「啓蒙主義の時代」ですが、音楽史的には「古典派の時代」だと呼びならわされてきています。
ですから、音楽史上の「古典派」とは何であったのか、それはどういう精神のもとで生命を得、保ち、失い、受け継いで行ったのか。
そのことを、どうにかして、もう少し突っ込んで見て行きたい。そこに、なにかしら、いまの私たちに向けての啓示が隠されているかもしれませんから。

ここに、「古典派」の、モーツァルトを含め代表的な三人の作曲家の、人間としての「誕生」・「成長」・「自立」・「結婚」・「死」を簡単に比較して、今後の指針とし、今回の、なんだかわけの分からない文の締めくくりと致します。モーツァルト以外は残念ながら楽譜は今後しばらく入手出来ないだろうと思いますが、どう言う訳だか、家内を失った昨年、そんなことが起ころうとは夢にも思わないまま、年の半ばから憑かれたように音声資料を収集しました。文献は、海外に疎いせいもあり、収集する意欲はあったものの、少ない成果しか上がりませんでした。いずれにせよ、神様が
「お前には考えなければならない時がすぐやってくる、急げ」
と、こんな真似をさせたのだと思いますから、モーツァルトに限っていた視野を、モーツァルトほどにまとめてとはいきませんが、あと2人の作曲家にも徐々に広げて行きたいと思っております。

1)モーツァルト
・誕生〜音楽家の家
・成長〜神童として殆ど海外への旅と人びとの賞賛の中で。20歳で、生国外で母の死に遭う
・自立〜大司教コロレドの臣下に足蹴にされて放り出され、定職なきに等しく
・結婚〜父の大反対を押し切って
・死〜貧困のうちに、栄光をほんの少しだけ目の前にして、29歳の妻を残して

2)サリエリ(サリエーリ)
・誕生〜商人の子として。13歳で母を、14歳で父を失い孤児となる
・成長〜引き取られた家で音楽家ガスマンに見込まれ、養われる
・自立〜ガスマンの死に伴い、宮廷歌劇場の作曲家・指揮者となる
・結婚〜所得が小さく舅に反対されるも、皇帝の(目立たぬ)支援で幸福な恋愛結婚
    しかし、妻には57歳の時に先立たれる
・死〜「モーツァルト暗殺者」との根拠のない誹謗を受けつつ、
    生前の栄誉を無視されて貧困のうちに
    
3)ハイドン
・誕生〜車大工の家で(ただし、近年、貧困家庭説は否定されている)
・成長〜ほぼウィーンのシュテファン寺院の児童合唱団員として
・自立〜合唱団を追い出されたあと、街角で演奏しつつ。やがて貴族に認められ、専属に
・結婚〜舅の意向で恋人の姉の方と結婚させられたが、生涯のほとんどの間別居
・死〜フランス軍のオーストリア侵攻の間、フランス兵からも敬意を表され、栄誉のうちに

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