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2007年8月 4日 (土)

Czerny(ツェルニー【チェルニー】)の交響曲:「練習曲」ばかりじゃないんだな!

おととい、娘の進路の件で、私の家内の仲人さんをして下さった恩師(家内はじつに18歳の時からお世話になった。私は某大学のオケで出会い、仙台勤務時代の「のんだくれぶり」をしっかり目撃されてもいる)のお宅にお邪魔しました。

ついで話の中で、楽器写真集の貴重な本と、面白いスコアを見せていただきました。

で、スコアの方ですが、いずれも19世紀初頭の作品で、一つはイギリスの作曲家の舞曲なのですが、大失敗、作曲者名を控えるのを忘れました。舞曲集ですが、一見したところモーツァルトによく似た書風です。編成はせいぜいオーボエ2本にファゴットにホルンが入ると大きい方、という曲集ですが、旋律線も美しく、伴奏も「ごく自然に」凝っています。ただ、明らかにモーツァルトよ同類作よりは、もしかしたらより洗練された音がするかもしれません。音符が「都会の顔」をしていたからな。

もう一つが、
「おお、これは!」
でありました。
チェルニー、そう、「ツェルニ−30番」とか「40番」とかでピアノを練習する人をくる楽しませ(「苦しい」と「楽しい」を合わせたこの造語、誰が作ったんでしたっけね、いい言葉ですね)、50番で挫折をさせる、あのチェルニーさんの作品のスコアでした。

交響曲!

中身を見ると、和音の付け方、動機の使い方・・・言葉に出来ない自分の無能力が恨めしいのですが、
「ふうん、やっぱり、ベートーヴェンの弟子だっただけのことはある!」
うならせるような内容でした。要するに、駄作ではありません。頭の中で再現してみた限りでは、むしろ、傑作だと思いました。
拝見したのは「5番」だったと思いますが、1日すぎたら記憶が曖昧になっていました。最近、ダメだな。。。

スコアは希少ですし、パート譜が手に入らなければオケマンとしては銅賞(あ。失礼。娘の学校のブラバンはコンクールで銅賞だったので、つい・・・)もないので、
「とりあえず、これは聴かねば!」
と、昨日、新宿タワレコにCD探しに走りました。
6番と2番、というのがありました。速攻で買ってしまいました。

あとでHMVのサイトを見たら、500円も安かった。。。激しく、後悔。
この他の作品のCDの存在も確認出来ました。リンクをご覧下さいね。

Wikipediaの記事では「作風は彼の気の小さな性格を反映し、初期ロマン派の傾向に留まった」なる評価なのですけれど、「気の小ささ」と「初期ロマン派的作風」がなんで結びつくのだろうか???
「交響曲」は、耳慣れないと、おそらくシューベルトやシューマンあたりと比較してお聴きになってしまうかもしれませんが、シューベルトやシューマンより構成感がしっかりしていて、固い感じを受けるかもしれません。ですが、音の凝縮度では、もしかしたらこれら二人を凌駕している面もあるかもしれない。

ベートーヴェンの弟子にしてリストの師、『皇帝』協奏曲初演の独奏者、というだけで評価されるべき音楽家でないことを、強く感じさせられております。
ご一聴をお奨め致します。

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