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2007年7月24日 (火)

幽霊としての音:「音世界」はヴァ−チャルか?

目下、
・藤原定家と後鳥羽の出会い
・唐・宋の頃の中国と日本の音楽関係
なんてあたりを読み漁り聴き漁り(といっても、読み出し、聴き出すと殆ど眠っている!)しているはず・・・なんですが、いつ記事に出来るか分かりません。

モーツァルト先生は都度の進行です。(ランスロットさんがまた面白い曲を取り上げています!)

で、当面は、その日その日目に付いたものから題材を拾ってみたいと思っております。


「明治の音」(内藤高 著、中公新書 1791 2005年)

という本があって、読みさしでずっと放り出したままだったのですが、これはじつはいい本でして、明治に日本を訪れた外国人が、日本の(音楽に限らない)音風景をどう捉えたか、を、
「新書によく収まったもんだなあ」
と感心させられるほど網羅している。




明治の音―西洋人が聴いた近代日本


Book

明治の音―西洋人が聴いた近代日本


著者:内藤 高

販売元:中央公論新社

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序章で幕末の音風景を概観したあと、第1章ではイザベラ・バードとモースの、第2章ではピエール・ロチ(私は知らない存在でした)の、第3章はラフカディオ・ハーンの、第4章ではポール・クローデルの「視点」からの明治初年の音風景を詳述しています。終章がまた、コクトーを引いたりしながら、これからの日本の音風景への展望も覗かせてくれる、という構成です。

そのなかの、第3章に、目が止まりました。
ハーンを扱った章です。

言うまでもなく、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、『怪談』の作者として日本中に知られている『外国人』(本当は外国生まれの人、というべきでしょう)です。
そのハーンの描く「日本の音世界」は、著者によれば
<幽霊としての音>
だという。
「(前略)実態を留め得ないという点で、音そのものが本来『幻影』を出現させるもの、一つの幽霊ともいえる(後略)」(134頁)
それが、ハーンの中のある「日本の音世界」だ、ということを、著者はハーンの様々な文、あるいは『怪談』創作時、とくに「耳なし芳一」を作っている最中、部屋を真っ暗にして自身が芳一になりきっていたというエピソードなどを通じて例証しています。
このあたりは、実際には読みやすいのですが、適切な引用をするのが困難なほど緊密な文体で書かれていますので、詳しくは是非、内藤さんの原文をお読みになって下さい。
ハーンの捉えた世界についての内藤氏の言葉で、さらに重要なのは
「諸存在の間の共鳴と言う現象が日本滞在後期のハーンの耳を特徴づけている。(中略)最晩年のハーンは小さなものから、さらにそれを超えて「極小のもの(infinitesimal)」へと大きく傾斜していった。それはある意味ではそれぞれの存在を巨大な無の中に解消していくことである。」(151〜152頁)
ハーンの捉えた日本の音世界を内藤氏がなぜ<幽霊の音>と表現したかは134頁の方の言葉で分かりますが、では、その幽霊とは何か、を表しているのが、151頁の方の言葉なのです。

してみると、<幽霊>というのは、「実体の無いもの」ではなく、「実体が解消していったもの」だ、ということが分かります。

同書に、「耳無し芳一」とオルフェウス神話を対比させた牧野陽子氏の研究があるのが紹介されていますが、それを踏まえ、双方の相違点について、内藤氏はさらに次のように整理しています。
「(前略)ハーンは音楽について語り始める。海の声よりもずっと深く、私たちを動かす音がある。『それは他でもない、楽の音----音楽なのだ』。(中略)音楽、それはいわば荒海の人間の中への内在化である。(中略)ハーンにとってのこの音楽は、荒海の声と呼応する激しい情念の音楽、芳一の音楽であり、波を鎮めるオルフェウスの音楽ではない。それは死者たちの魂を再び解き放つもの、『呪術』であり、『降神術』である。」

視覚には捉えられることのない、「荒ぶる神」・・・それこそが「日本の音世界」の支配者であることを、ハーンは見抜いていた、というところでしょうか。

ですが、音世界が「幽霊」だと言ってしまうと、とくにハーンからの連想では「暗い」イメージに沈潜しがちです。
内藤氏の著書『明治の音』の意図するところも、当時の日本の音世界に漂っていた独特の、「暗い」とはいわずとも「沈黙の世界から沸き上がってくるもの」を明らかにするところにあったのかも知れません。

日本においては・・・少なくとも明治期より前までは・・・それだけ分かれば充分なのかも知れません。
とはいえ、このような「音世界」は日本だけに特異なものだったのかどうか。

音世界とは「実体の解消していったもの」なのだとすれば、この「解消した実体」とは、私たちが現在「ヴァーチャル」と呼び慣らし、その「存在」になじみつつある世界と、重なり合う性質を持っているのではないか

このことについて、さらに機会を設けて、日本の外の世界へも一歩ずつ踏み込んでみるのも、悪くないかもしれない・・・そんな思いが私の中に湧いてきました。

この先、しかし、どうやって観察し、思考したら、「音世界」の何たるかをつかむことが出来るでしょう?

ああ、自分向けに余計な、手に負いきれない宿題を作っちゃったかもしれない。

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