« 曲解音楽史16:唐朝と朝鮮・日本 | トップページ | ちょっと酷評:「指揮者列伝」ふくろうの本 »

2007年7月30日 (月)

「雷」の印象:幻想交響曲の思い出

『政治』はここでは自分では御法度、にしているのですが・・・
選挙の結果がどうであっても「不感症」な方、というのは、いまは『王侯貴族』の時代だと思っていらっしゃるのでしょうか? あるいは、勝ってはしゃぐ方も結構ですけれど、「長期ビジョン」までは仮にお持ちだとして、実現のためのプロジェクトは具体的にお組みなのでしょうか? 
日本人は「長期戦」に弱いからなあ・・・
自分たちの決めたことが子供たちの将来を決める、ということを、お忘れにならないで頂ければ、と切に祈ります。



昨日今日は、激しい雷雨が降った東京・埼玉方面。
去年までは雷を怖がっていた息子(ブログを始めたばかりの頃、それを記事にしたこともありました)が、家で一人で留守番をしています。
「どうしてるかな」
心配して電話してみたら、
「平気だよ」
・・・強くなったのかな?

雷は「音」ですから、具象的な描写の苦手な音楽でも、よく取り上げられますね。
有名例はベートーヴェン『田園』の第4楽章ですが、これはディズニーの『ファンタジア』でアニメ化されましたね。
親に連れて行かれて、半ば退屈しつつ見たアニメでしたが、子供心にこの雷の場面だけは、ずっと覚えていました。ゼウス(ジュピターのほうでしょうか?)が稲光の矢を手にしてどんどんと、楽しげに投げつける姿は、なんだかさわやかでした。最後はこの遊戯に疲れて黒雲のクッションで身を覆って眠る、というのも面白く、忘れ難いものでした。

思春期に、しかし胸を打った「雷」の描写は、ベルリオーズ『幻想交響曲』第3楽章に現れる<遠雷>でした。
夕立を避ける合図なのでしょうか、あるいは夕立がすぎたあと、
「もう大丈夫だよ」
と、遠くはなれた場所にいる同業の少年に知らせるのでしょうか、オーボエが合図を奏でる。その後ろで、其の先輩なのでしょうか、コルアングレが、「一目見たきりなのにずっと忘れられない少女」を思い出すように、切ない顔でずくまっている。

他の楽章も見事ですが、『幻想』はこの楽章で最も純粋な「恋の悲哀」を歌い尽くしていました。
中学時代から憧れていたこの曲を、幸い、私は大学1年で、小林研一郎さんの指揮での演奏の末端に加えて頂けました。ヴァイオリンを弾いての参加でしたが、本当は、「恋」の切なさを実は一番効果的に演出するティンパニの方がやってみたかったものです。

4543638000036_1『幻想』は本場フランスの指揮者たちも来日して、幾つもの名演を残していますが、アンドレ・クリュイタンスがたった1度の来日(その後日数をへずに死去)でコンセルバトワールを率いた演奏は、録音でしか聴けないものの、70年代から90年代に危うく失われかけた「本当のオーケストラ」の響きを良く捉えた名録音で、其のエンジニアさんにはただ頭が下がります。
・・・録音だから「生には叶わない」という演奏が多いのは、スタジオ録音ならばゴマンとありますが、ライヴの中には、「ヘタな生よりもずっとマシな、貴重な音の記録」もあるのです。

|

« 曲解音楽史16:唐朝と朝鮮・日本 | トップページ | ちょっと酷評:「指揮者列伝」ふくろうの本 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/7333452

この記事へのトラックバック一覧です: 「雷」の印象:幻想交響曲の思い出:

« 曲解音楽史16:唐朝と朝鮮・日本 | トップページ | ちょっと酷評:「指揮者列伝」ふくろうの本 »