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2007年7月18日 (水)

音楽だから出来ること

最初に、新潟の地震でご苦労なさっている皆様に、なにもできませんが、心よりお見舞い申し上げます。



先日、JIROさんの記事で、バッハの有名なシシリアーナ(シチリアーノ)が違う楽器で立て続けに聞けるので、思わず夢中になってしまいました。
楽器が変わっても、音楽の持つメッセージが変わらない・・・これは
「音楽だからこそ出来ることだなあ」
という感慨を深くしました。
具体的に、何が、何故「音楽だから出来る」というのは、巧く言葉になりません。
ただ、素直に、それだけを思った、という感じです。

ちなみに、JIROさんはモダンフルートの演奏を載せていらっしゃいましたので、参考までに、同じ曲を
 (1983年収録。Musica Antiqua Koelnのメンバー、ARCHV 471 656-2)
をリンクしておきますね。

で、思い出したこと。
JIROさんのならべた例は、同一曲を様々な演奏で、というものでした。

パロディ、という言葉がありますね。
音楽では、元来、この言葉は、作曲者自身が、自分のひとつの作品を別の作品に転用するのをさしていたかと思います。
J.S.バッハは「パロディ」の大家でもあり、教会カンタータの多くが、また世俗カンタータに「パロディ」化、すなわち転用されていることが分かっていたかと記憶しております。
無伴奏ヴァイオリンソナタの第1番はリュート用の楽譜にもしていますし、同じく無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番の第1曲はカンタータの幕開けに壮大な装飾をつけて使われたりもしています(今、どのカンタータだか忘れてしまい、調べきっていません。ごめんなさい。分かったら具体名に訂正します。)
そのほかにも、彼の2つの独奏ヴァイオリン協奏曲、およびブランデンブルク協奏曲第4番は、チェンバロ協奏曲に「パロディ」化されています。協奏曲の例で面白いのは、チェンバロ協奏曲に転用されているときには、オリジナルの協奏曲より1音低い調をとっているのですよね。何故なのでしょう?理由を述べた文に、まだ巡り会っていません。ご存知でしたらお教え下さい。

ずっと時代は離れますが、ラヴェルがまた、自作ピアノ曲を自らの手で管弦楽化していることも有名ですね。「マ・メール・ロワ」とか、「亡き王女の為のパヴァーヌ」とか。ピアノとオーケストラと、いずれも優劣つけがたい出来になっているのは驚嘆すべきことです。

遡って、ブラームスは「ハンガリー舞曲集」を、さらにそれにあやかってドヴォルジャークは「スラヴ舞曲集」を、それぞれ最初はピアノ連弾で書き、あとで管弦楽化する(ほかの人が編曲した場合もありますが)と、これは明らかに興行収入を狙った「パロディ」もあります。

歌ならば、歌詞から伝わる意味、というのもあります。が、その場合でも、歌詞の表面的な意味だけではなく、心をしみじみと伝える場合だって多々ある。
こちらの例では、今、Dさん(なんて略称にしても正体を明かしてしまうことになるかしら・・・そうだったらごめんなさい。。。)が、朝崎郁恵という奄美の歌い手さんの「十九の春」をめぐって深い思索をお続けになっているところですから、いずれそれを拝読出来るか、許可を頂いてご披露することが出来るかしたらいいな、と思っております。この場合、同じ曲を違う歌い方をしたらどう変化するのでしょう?

同一曲を作曲者が「パロッ」た例に戻ると、いわゆるクラシックに限っても、純器楽だけの、素晴らしい例を忘れてはいけないことに気が付きました。

モーツァルトの、この作品をお聴き下さい。


(6:05)
The Griller String Quartet & W.Primrose(viola), 1959
VANGUARD CLASSICS ATM-CD-1204

(12:07)
Chember Orchestra Of Europe Wind Soloists
Teldec Classics 256460866-2

前者が後者を編曲したものであることは、製作年から明らかです。
結構長いし・・・これ以上余計なことは申しません。
JIROさんの記事を併せて、ゆっくりお聴き頂ければ幸いです。

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コメント

Kenさん、こんばんは。

拙文を紹介して下さってありがとうございました。

「パロディ」というとらえ方は面白いですね。

それからご承知のとおり、「著作権」など存在しなかった時代だけに、のどかですね(笑)

バッハは、ヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルトや、マルチェルロのオーボエコンチェルトも

チェンバロ用(だけではなかったような気がしますが)に編曲して、それにBWVがついてるんですよね。

そういう様々な「パロディ」を以前特集したので、よろしければお聴き下さい。

JIROの独断的日記ココログ版: 今日は、「バッハづくし」です。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2007/04/post_3c23.html

投稿: JIRO | 2007年7月19日 (木) 00時31分

JIROさん、いつもありがとうございます。
とにかく、あれだけお集めなだけでもびっくり仰天でした!

「パロディ」の語をバッハの「作品転用」に用いた例は、ガイリンガーの伝記にありましたが、研究者の間で一般的なのかどうかは知りません。
バッハはハープシコード協奏曲を通じてイタリアの作曲家たちの技法を身につけるのにはとりわけ熱心だったようですね。彼の「職人魂」ですよね!

投稿: ken | 2007年7月19日 (木) 22時11分

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