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2007年7月14日 (土)

ショスタコーヴィチ:「ひとつの音へ」

この間、定期演奏会でショスタコーヴィチを演奏し、最後の最後まで消化不良な気がして仕方がない部分がありました。

あたかも木管と弦楽器が示す浮遊霊が、喇叭の号令でブロッケン山の頂上に集結するような・・・と、過去にブログで解析したのとはまた別のニュアンスでの凄みを感じる箇所なのですが、肝心の「凄み」が出ません。
理由は・・・浮遊霊は「E」とい「うひとつの音」に集約されていくことにより激しい緊張感を生み出すのですが、その肝心の「E」音に、オーケストラの響きが集結しない。
リンクした部分はムラヴィンスキー東京ライヴの名演なのですが、録音のせいもあるのでしょう、彼の指揮による他の録音にくらべると、やはり緊張感は薄い。

この箇所は、練習を重ねれば重ねるほど、
「ショスタコーヴィチにとってはずいぶん重要な意味を持った部分なのだろうな」
感じるたびに背筋がぞくっとする思いをしたものでした。

「ひとつの音」から音楽が徐々に拡大していく例は、19世紀およびその伝統を継いだ作品に幾つも見られます。
嚆矢はベートーヴェン「交響曲第7番」第2楽章でしょう。E音がー・・|ーー|ー・・|ーー|ー・と9拍半、12音連続で旋律を構成する、というのは画期的だったはずです。12音目からは上昇音型に変じ、それによってここまでの緊張をフウワリと緩めてみせる手法には、唸らされるしかありません。

単音(ではないのですが)で開始し、豊かな和声へと拡大していく最も壮大な例は、ワーグナーの でしょう。「非道徳人間」ワーグナーが書いたとは信じたくないほど、これは作品のタイトルとは逆に、象徴的な創造神話の見事な音響化です。混沌から光と陰が分かれ、陰の中で形のはっきりしないものがうごめき出し、次第に自律的運動を始め、やがてくっきりと輪郭を示すのです。

ベルクの「ヴォツェック」は、単音が急速に音の激しい渦を描くことで、初演時に既に聴衆(観客)をとりこにしてしまいました。ここで構築されたのは、ビッグバンの宇宙論の世界に人びとを放り出してしまう、驚嘆すべき音空間です。

ショスタコーヴィチは・・・こうした「単音からの拡張」に組すべきかどうか、もしかしたら生涯迷い続け、最後には
「いや、そうではなく!」
へと到達した人ではなかったのでしょうか?

交響曲の世界だけでそんな仮説を立てるのは無謀のそしりを免れませんけれど、実例でお聴きになってみて下さい。

本来そのまま進んでいたら叙情的な作家になっていたかもしれないことを示す第1番、急激にアバンギャルドへと傾斜した2、3番までの時期は、彼はただ信じたままに、何を信じているのかの姿を知る必要さえないままに、したい通りが出来た「普通の」天才だったように思います。
第4は、時代背景もかぶさってきたことがあるのでしょうか、ここまでのショスタコーヴィチとは明らかに断層を挟んでいます。
「ひとつの音へ」
・・・そう呼んでも良いかと思われる指向が、第4以降には動機として頻出するようになります。

ショスタコーヴィチの「ひとつの音へ」のベクトルには2つの方向があって、適切かどうか分かりませんが、それは
1. 「迷い」を力ずくで集約することにより、<信念>の中へと消し去ろうとする
2. じつはふらついている<信念>にこだわることをなだめつつ鎮め、浄化へと導く
とでも言ったらいいのかな、と考えております。

第4には、すべての楽章に、この2つのベクトルが混在して現れます。とくに、「1.」のベクトルにはすべての楽章で出会うことができます。「2.」のベクトルは、終楽章の練習番号191〜193などで出会えます。

以後、しかし、ベクトルはさいごの交響曲である第15までは、「1.」に限られています。
はっきり分かる部分だけを取り出してみましたので、お聴き下さい。
・先ほど挙げた


心ならずも得てしまったいのち、その運命から、「悩むこと」を意地でも振り払おうとしているかのようです。

第15だけが、特異です。これは、第4が持っていた2つのベクトルの、2つ目の方を「ようやく」思い出し、その「2.」のベクトルに「安住」する道を選ぼうと意図しているようです。
・第1楽章は のですが、都度、 、「拡張」して行こうとする「音の力」を阻止します。・・・この「ウィリアム・テルの動機」、」よく耳を傾けてみると、やはり「ひとつの音へ」指向を持っていることが分かります。
は、「2.」のベクトルの結晶とでもいえる、天国的な音楽です。
ダスビさんの第15の演奏会で終楽章の最後の一音が消えたあと長く続いた沈黙は、聴衆がみんな「浄化」の至福に浸ることの出来た、すばらしい時間でした。)

ざっと並べてみましたが、お聴きになってみて、果たしてこんな見方が正しいかどうか・・・どうお感じ頂けますでしょうか?

「ひとつの音へ」・・・それは、ショスタコーヴィチにとって、いのちとは何か、運命とは何か、についての音楽的思索において、従来の作曲家たちとは一線を画した、非常に大切な「モットー」なのではないでしょうか?

なお、ショスタコーヴィチの音のサンプルは、第5、第8以外はバルシャイの全集盤からとったものです。
第8は、スヴェトラーノフの日本ライヴでの演奏です。
ワーグナー「黄昏」はベーム指揮のバイロイトでの演奏です。

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