« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月30日 (月)

「雷」の印象:幻想交響曲の思い出

『政治』はここでは自分では御法度、にしているのですが・・・
選挙の結果がどうであっても「不感症」な方、というのは、いまは『王侯貴族』の時代だと思っていらっしゃるのでしょうか? あるいは、勝ってはしゃぐ方も結構ですけれど、「長期ビジョン」までは仮にお持ちだとして、実現のためのプロジェクトは具体的にお組みなのでしょうか? 
日本人は「長期戦」に弱いからなあ・・・
自分たちの決めたことが子供たちの将来を決める、ということを、お忘れにならないで頂ければ、と切に祈ります。



昨日今日は、激しい雷雨が降った東京・埼玉方面。
去年までは雷を怖がっていた息子(ブログを始めたばかりの頃、それを記事にしたこともありました)が、家で一人で留守番をしています。
「どうしてるかな」
心配して電話してみたら、
「平気だよ」
・・・強くなったのかな?

雷は「音」ですから、具象的な描写の苦手な音楽でも、よく取り上げられますね。
有名例はベートーヴェン『田園』の第4楽章ですが、これはディズニーの『ファンタジア』でアニメ化されましたね。
親に連れて行かれて、半ば退屈しつつ見たアニメでしたが、子供心にこの雷の場面だけは、ずっと覚えていました。ゼウス(ジュピターのほうでしょうか?)が稲光の矢を手にしてどんどんと、楽しげに投げつける姿は、なんだかさわやかでした。最後はこの遊戯に疲れて黒雲のクッションで身を覆って眠る、というのも面白く、忘れ難いものでした。

思春期に、しかし胸を打った「雷」の描写は、ベルリオーズ『幻想交響曲』第3楽章に現れる<遠雷>でした。
夕立を避ける合図なのでしょうか、あるいは夕立がすぎたあと、
「もう大丈夫だよ」
と、遠くはなれた場所にいる同業の少年に知らせるのでしょうか、オーボエが合図を奏でる。その後ろで、其の先輩なのでしょうか、コルアングレが、「一目見たきりなのにずっと忘れられない少女」を思い出すように、切ない顔でずくまっている。

他の楽章も見事ですが、『幻想』はこの楽章で最も純粋な「恋の悲哀」を歌い尽くしていました。
中学時代から憧れていたこの曲を、幸い、私は大学1年で、小林研一郎さんの指揮での演奏の末端に加えて頂けました。ヴァイオリンを弾いての参加でしたが、本当は、「恋」の切なさを実は一番効果的に演出するティンパニの方がやってみたかったものです。

4543638000036_1『幻想』は本場フランスの指揮者たちも来日して、幾つもの名演を残していますが、アンドレ・クリュイタンスがたった1度の来日(その後日数をへずに死去)でコンセルバトワールを率いた演奏は、録音でしか聴けないものの、70年代から90年代に危うく失われかけた「本当のオーケストラ」の響きを良く捉えた名録音で、其のエンジニアさんにはただ頭が下がります。
・・・録音だから「生には叶わない」という演奏が多いのは、スタジオ録音ならばゴマンとありますが、ライヴの中には、「ヘタな生よりもずっとマシな、貴重な音の記録」もあるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月28日 (土)

曲解音楽史16:唐朝と朝鮮・日本

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア



前回では、十字軍以前のヨーロッパを単体で扱うのは時代的に無理があるのが判明したため、地中海世界の中世前半を見てきました。
このころ、日本はまだ古代にあたります。
ですが、地中海世界の東に台頭したイスラム勢力、なかでもアッバース朝は、当時の中国を支配するに至った唐朝に「タラス河の戦い」(西暦751年)に戦勝しています。タラス川はキルギスに位置している事から分かるように、この戦いは、いわゆるシルクロード地域(西域)が当時いかに歴史的重要度が高かったかを私たちに知らしめてくれます。すなわち、この頃は、ヨーロッパ世界よりもむしろ、西域(中央アジア)のほうが、対外交流が盛んであり、商業も文化も栄え、または損得のもつれから争いごとも多かったことが明らかです。
森林の豊富なヨーロッパとは異なり、中央アジアは土地は砂漠や草原が多く、これに水源さえ確保すれば、むしろ互いに接しやすかったのでしょう。
ただ、この地域は多くの民族が入り乱れ、多くの国が興っては消え、統一支配勢力は約600年後のモンゴル帝国に至るまで現れなかった上に、そのモンゴルも案外短命でしたから、砂漠や草原という目印の極めて見つけにくい地理的条件が、その歴史を把握しようとするだけでも大変困難な状況をもたらしています。
で、西域については、また別途観察していきたいと思います。

また、中国についても、その古代的な姿はどうだったのか、しか見てきておりませんでした。
秦朝から漢・魏晋南北朝にかけての復元演奏はあるものの、現代的解釈が顕著すぎるようで、司馬遷が「史記」中の「書」にまとめた音楽理論以外は(そこから発展した後代のものの資料も目にはしやすくなりました)特別にとりあげ得るものも見いだし得なかったからです。

政治的には乱れ続けた中国ですが、乱れた中でも有力な国家が法整備に力を入れたりしたことで、ちょうどアラビアにイスラム勢力が誕生した時期、こちらにも隋・唐といった、あるていど安定した法治国家としての統一王朝が生まれ、音楽面の観察もしやすくなります。
隋は短命でしたし史料も適切なものが私には分かりませんので、以下、唐朝の音楽事情を見ていきたいと思いますが、唐の音楽を考える際には、地域的には東方面と西方面に、内容的には上流階級のもの・宗教(仏教)のもの・民衆のもの(これは詳しくは伺いにくい)、と区分してみていく必要があるかと思われますので、今回はまず「上流階級」について、日本に移入された「雅楽」を題材に、見ておこうと思います。



本来ならば「旧唐書」「新唐書」などを参照すべきなのでしょうが、手が回りませんので、唐の王室がどのように音楽を享受していたか、は、布目・栗原著『隋棟帝国』(講談社学術文庫 1997年)、柘植・植村『アジア音楽史』(音楽之友社 1996年)・柘植元一監修『シルクロードの響き』(山川出版社 2002年)によって簡単に見ておきます。
隋唐時代の音楽について最も明快にまとめているのは『シルクロードの響き』です。
これによると、隋以前の時代から、中国には様々な地域の音楽が流入していたことがよく分かります。インド、クチャ・カシュガル・ブハラ・サマルカンドなどの西域楽はもちろんのこと、カンボジアやベトナムなど、南方系の音楽も演奏されていたようです。
それらを整理したのが唐朝の宮廷音楽となっていった、と、極めて手短にまとめてしまえば、そういうことになるようです。
宮廷舞楽の演じられ方は白居易の詩の中で具体的に描写されているそうですが、申し訳ないことに、拝読しておりません。
ですので、『シルクロードの響き』所載の図版を一つ掲載し、器楽伴奏部の様子だけでも見ておいて頂こうと思います(<楽部壁画>7世紀、李寿墓のもの)。

Sougaku

さて、こうして多岐に取り入れられた音楽の中で「精髄」とされたのが<燕楽>でした。
歌・舞踊・器楽が一体となった大型楽舞」(『アジア音楽史』42頁)だたっとのことです。
基本的に
・序(自由リズムによる器楽合奏)
・中序(多くは叙情的でゆっくりとしたテンポの、器楽伴奏による歌唱)
・破(テンポを次第に速めていく舞曲)
の三部からなるものだったとのことです(同書同頁)。
燕楽を専門にする期間として「教坊」というものも設けられていたそうです(同書同頁)。
音楽を愛したことで有名なのは、楊貴妃とのエピソードでも名高い玄宗皇帝で、彼の「梨園」では三百人以上もの楽工や舞人が養成されたとも言われています(同書同頁他)。



さて、実際の音を聴いて頂こうと思うのですが、中国の古い音楽は、復元演奏の試みがなされ始めているとは言うものの、まだまだどうしても「現代的」演奏での録音が多く、本当に当時を忠実に反映しようと試みたものはなかなか見つけられません。「燕楽」に相当する、と信じて良いものには、私は残念ながら巡り会っておりません。
さらに、本来、関連させて見ていきたい朝鮮の音楽ですが、これも適切と思われる音声資料に恵まれません(それらしいかな、と思えるものは10世紀の音楽を演奏したものが最初ですが、中国の復元演奏よりは古態を保っているかもしれません)。
朝鮮や日本の「雅楽」は、この唐朝の、主として「燕楽」が伝来したものです。
正確に時間を計っての証言かどうかは分かりませんが、明治期にはテンポがそれ以前よりかなり遅くなった、という話もあり、日本の「雅楽」の演奏も「燕楽」を忠実にたどったものかどうか、あいまいである、としか言えません。
雅楽の中には「高麗楽」というジャンルもあり、これを朝鮮のこの時代の音楽として捉えることをしても良いのだろうか、と迷いましたが、今回は見送ることとしました。
すると、朝鮮に入った「雅楽」で時代が特定出来るのは<高麗>期(中国は宋の時代に変わるので200年くらいあとにはなってしまいますが)のものとなります。後で取り上げ損なうと申し訳ないので、次に聴いて頂く実例の最後に1曲掲載しておきます。

唐時代の音楽を比較的潤色無しに演奏したのではないかと思われるものと、聴くと同じ曲とは思えないのですが、タイトルの似ている日本の雅楽を並べてきいて頂きますので、できましたら、お聴きになっての印象をお教え頂ければと存じます。

まず、唐代の音楽。

似たタイトルの、日本の「雅楽」。

いかがでしょうか?

なお、「雅楽」では、日本で初めて作曲をした人物の存在も知られており、その曲も今日に伝わっています。

博雅が、一時期はやった『陰陽師』で「武士」として登場するのには、さすがに呆れました。
作品自体は面白かったのだけれど・・・作家って、そんなんでも勤まるのか、しかもヒットまでするのか、と思ったら。なんだかがっかりしました。源博雅は『今昔物語』にも登場する、平安時代きっての音楽家だったのに。そんなの、作家さんは知ろうが知るまいが関係ないんですね。・・・これは、余談。博雅については、いちおう、「補遺」を綴りましたので、ご参照下さい。

で、朝鮮の「雅楽(管弦)」から。
先ほど申しましたように、中国の宋代にもたらされたものです。日本の例に比べて華やかな感じがするのは、単に時代があとだから、なのでしょうか? その辺は分かりません。
COLUMBIA COCQ-84223

次回は、やはり同時期の、中国と朝鮮・日本の仏教音楽を見ていこうと思っております。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月27日 (金)

モーツァルト:Dixit et Magnificat K.193

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



ミサ曲を先に見てきましたが、1774年のモーツァルトの宗教作品の白眉は、5月に作曲されたK.195のリタニア(ロレトの連祷)です。(あ、概観では漏らしてしまったかな?)
ですが、このクライマックスを見る前に、後で作られた「雀のミサ」を除く2つのミサ曲の狭間に作曲された、"Dixit et Magnificat" K.193の確認をしておきましょう。ここまで終えてはじめて、K.195の真価が見えて来るかもしれない・・・と、一応、期待を込めて。

"Dixit et Magnificat"については、私の目が節穴なのでしょう、ド・ニの『モーツァルトの宗教音楽』中のどこにも関連記事を見つけられませんでした。まして他の伝記類では名前が出てくればせいぜい良し、という存在の作品です。
アインシュタインは、この作品についてはあまり好意的とはいえません。「派手すぎる」と言うのです。トランペット2本を伴いますので、確かに華やいだ感じの作品ではありますが、だから「派手だ」と断じてしまうのはどんなものでしょうか?
アインシュタインは、むしろ19世紀的価値観の延長で「言葉の意味に比べて、つけられた音楽が派手すぎだ」と言いたかったのかもしれません。さらには、二部からなるこの作品を「一緒くた」に考えてしまった結果でもあるように思います。あるいは、モンテヴェルディの名作「聖母マリアの夕べの祈り」が念頭にあったかもしれません。・・・ですが、モンテヴェルディは晩歌の音楽を振る作曲しているのであって、K.193でのモーツァルトとは条件が違いますから、比較は出来ません。(これは「仮想」であって、実際そうだった可能性はかなり低いでしょうけれど。)

"Dixit"と"Magnificat"は、録音で耳にするのとは違い、実際の式典のなかでは続けて演奏されることはないはずですから、とくに録音で接する場合には、この2つの間にいくつかの詩篇唱が挟まれる点を絶対に忘れてはいけません。・・・アインシュタインは、そんなことは考えてもいないようです。

"Dixit"(詩篇109)は、毎日行なわれる「晩課」の中で最初に歌われるものです。
これに続いて歌われる詩篇の違いによって、その日の晩課がどんな意味をもつか、が決まります。
番号は以前の聖書(って、どれくらい前だったかは知りません)によりますが、
109-110-111-112-113と続けば通常の(祝)日。
109-112-121-126-147と続けば聖母マリアの祝日。
109-110-111-112-116と続けば証聖者の祝日です。
それぞれのどれであっても、晩課は"Magnificat"を歌うことで締めくくられます。

このように、"Dixit"と"Magnificat"は分離して歌われるのですから、そのことを念頭において評価しなければなりません。

"Dixit"は、どのような内容のものでしょうか?
日本聖書教会の「共同訳」では番号が一つずつプラスされますので、"Dixit Dominus"は110番となります。その訳は以下のとおりです。


【ダビデの詩。賛歌。】
わが主に賜った主の御言葉。
(以下が、歌詞となっている部分)
「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。
あなたの民は進んであなたを迎える
聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ
曙の胎から若さの露があなたに降るとき。
主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って
あなたはとこしえの祭司
メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
主はあなたの右に立ち
怒りの日に諸王を撃たれる。
主は諸国を裁き、頭となる者を撃ち
広大な地をしかばねで覆われる。
彼はその道にあって、大河から水を飲み
頭を高く上げる。

http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi より引用。節分けは省略。)

歌うに当たっては、これに「栄唱Doxologia」と呼ばれる次の歌詞が付け加えられます。

父と子と聖霊に栄光あれ。
初めにそうであったように、今も
永遠に、世々に限りなく。アーメン。
(三ヶ尻正「ミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック」ショパン2001)

「栄唱」は、"Magnificat"にも付け加えられます。

"Magnificat"は「ルカ福音書」第1章47〜55節の言葉でして、沢山の作曲家によって多く曲付けされており、モーツァルトはK.193のほかにK.321、K.339の中でも"Magnificat"を作曲していますが、独立作は残していません。独立した作品の中で私たち日本人に最もなじみの深いのはバッハの"Magnificat"でしょう。
でも、バッハへの脱線は、今回はやめておきます。ただ、カトリックではないバッハがなぜ"Magnificat"を残しているか、は、ルター派は基本的にカトリックの「体制批判」をしたのであって、その典礼を否定したものではないためである、ということは、申し添えておきます。(そんなことはご承知かもしれません。失礼しました。)

K.193に戻ります。

特徴的なのは、"Dixit"と"Magnificat"に、モーツァルトは相似形をした構造で曲をつけていることです。

"Dixit"部も、"Magnificat"部も、それぞれ、「栄唱」を除く本文部分は一気通貫で作曲しています。
ただ、各々にふさわしい特徴づけも心がけていて、"Dixit"は2部音符-2部音符|付点四分音符-八分音符−二部音符|四分音符-八分音符4つ、という「動機」セットを本文部分の曲に(多少の変形や短縮は伴うとは言え)一貫して用いて「まとまり」を大切にしていますし、"Magnificat"では二重カノン的な開始部で「我が魂は主を崇め」の崇拝精神を顕現させることに努めています。
また、各々の「本文部」に現れる独唱は、(当時のモーツァルトはセバスティアン・バッハについての知識は皆無だったかもしれないにも関わらず)大バッハを髣髴とさせさえするバロック的な絡み合いを見せています。いや、これは大バッハを知っていた、いないに関わらず、ドイツ圏の音楽を知る人たちの間では伝統的な書法だったのでしょう。よくよく考えてみると、ヘンデルの宗教作品などにも共通する雰囲気がありますから。

「栄唱」部もまた、相似形です。
"Dixit"では72小節目から3拍子に変じ、テンポもAndanteに落として「栄光あれGloria」を開始し、88小節目から最後まではまたAllegroに戻って「(今も)永遠に」と歌い納めます。
"Magnificat"でも事情は同じで、85小節目から「栄光あれ」を3拍子で歌うのですが、こちらはテンポは変わりません。106小節目から最後までを「永遠に」としています。

ちょっと主観を強めに言えば、Gloriaがいずれも「わざとらしげ」な短調なのが、皮肉っぽくて、好きです。

いずれのセクションも、K.192及びK.194でと同じ様に、対位法的な書法への強いこだわりを見せており、コロレド代司教の元でモーツァルトが何を試みようともがいていたかが伝わってくるようです。

相似形のセクションが2つ連続で、しかもラッパを高々と鳴らして歌われたのだったら、たしかにアインシュタインのような印象は免れ得ないでしょう。ワンパターンな上に、うるさくてしょうがない、と感じる人がいたっておかしくはない。
ですが、上で見ましたとおり、この2セクションは「分離して」歌われるのが大前提なのです。
そのことを考慮した評価がされてこなかったのは、K.194にとっては大変不幸だった、という気がしてなりません。

かつ、これは当然、日々の晩課のためではなく、大司教自らが威厳を示さなければならない特別な日のために作られたのでもありましょう。トランペットは、大司教の権威を飾るために使われた、と理解すべきではないかと思います。
で・・・そうは言っても「式典は短く」主義のコロレドさん相手でしたから、途中の詩篇には一切作曲がされていない。
K.194は、あくまで、コロレドさんの入退場の音楽だったのです。
きっと、たぶん、おそらく、そうだったに違いないと思うのですが、如何でしょうか?

CDは独立したものは見つけていません。宗教曲集でも、全集にならないと収録されていないように見受けます。

ですが、決して「駄作」でもないし、「聞かなくてよい」作品でもありません。
モーツァルトのおかれたザルツブルクでの環境、そんななかで凝縮されていった彼の宗教音楽観を知る上では、むしろ欠かせない存在ではないか、と、私は感じております。

スコアはNMAでは第1分冊、Carus版はISMN M-007-07249-0です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月26日 (木)

花火:家内とストラヴィンスキーとドビュッシー

今夜から、どこからか
「ドーン、ドーン」
という音が聞こえてくるようになりました。

花火大会の季節なのです。
うちはマンションの・・・そんな高い建物ではないのですが・・・上階の方なので、この季節になると、けっこう離れたところの花火大会でも、毎日のように遠景として見えます。
で、
「ドーン、ドーン」
と音がするたび、真っ先に気がつくのは家内、ベランダに飛び出て見るのは僕でした。
どこでやっているのかを発見する役が、僕。見つかると、家内に知らせる。

花火が、大好きでした。

昨日浴衣が見つかったのも、何か関係があるかな。
でも、花火大会を、会場にまで行ってみたのは1回きりでした。小さかった子供が、大きな音を怖がるので、それっきりになりました。
とはいえ、一番近所の花火は、通路側からは丸見えで、特等席です。
家内はわざわざ折り畳み椅子を買ってきて、それを通路においてどっかと腰をおろして、しばらく見入っている、なんてことも何度かありました。

そんな花火大会の、大輪を思わせるオーケストラ作品が、
(自作自演の録音です。SONY 5033172 Disc9)。

同じく大輪の、と言うイメージも否定出来ないのですが、構造を読むと、むしろ、質のいい線香花火を手元でやっている一部始終を描いたような、きめ細やかなピアノ曲が、
(前奏曲集第2巻 第12曲、EMI TOCE-9736-40)

花火セットを買ってきて、家族でやるとき、必ず、誰の線香花火が一番長持ちかを競争したものです。
そこで家族一の執念深さを見せたのも、家内でした。

おもろい女です。

余談ですが、
ストラヴィンスキーのほうは、来日時のニュース映像でN響と「花火」を演奏した際のものがDVDで出ていました。
ドビュッシーについては、楽譜は日本の春秋社の、いわゆる「井口版」は大変美しい楽譜で、弾けないくせに気に入って持っています。リンクした音声の演奏者はアルド・チッコリーニですが、私はピアニストをあまり知りませんで、以前はこの人とチック・コリアを一緒くたにしていまして、
「素敵なジャズ弾きがこんなすばらしいドビュッシーを弾くなんて!」
と、感激しておりました。
・・・いや、ありえないことでは、ない!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月25日 (水)

娘の浴衣と家内の「夏祭特賞狙い」

音楽じゃないのが増えちゃいました。(子供が夏休みに入ったら、かえって時間がない!)

週末、町内会(マンションですが連棟で大所帯なのです)の夏祭です。
なのに、娘の浴衣が一向に見つかりませんでした。
昼間、娘が一生懸命さがしたのに、どうしても出てこなかった、というので、帰宅して、家内に線香を上げて
「あるとこ教えてくれよ」
と頼んだら、そのあとすぐにちょっとしたきっかけで、押し入れの中から、まず家内の浴衣が出てきました。
それじゃあ娘のも近くにあるだろう、と思って「発掘」作業をしたら、すぐに見つかりました。

家内も夏祭りに行きたいのかな。
何せ、毎年やる福引きで、過去2回特賞をいただいた実績があります。お米が5キロ頂けるのですけれど、あたった時の、あの家内のはしたないほどの「ぬかよろこび」を思い出すと、今でも赤面してしまいます。
宝石も貴金属も、何もほしがらない人だった。「買ってやるよ」といえば「いらない」だし、黙って買っておいても、人様から頂いても、結局身につけない。せいぜい、何かの式典の時に、あんまり高くないネックレスをして、胸にコサージュをさしていたくらいでした。
学生時代に、
「食べ物で何が一番好き?」
と恩師に尋ねられ、
「何がなくても、ご飯です!」
と答えた人です。
特賞、狙ってるのかなあ。抽選結果が出るのは盆踊りが終わったあとだしなあ。
僕はそんなに祭りの場所には長くいたくないなあ。。。(23:32)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月24日 (火)

幽霊としての音:「音世界」はヴァ−チャルか?

目下、
・藤原定家と後鳥羽の出会い
・唐・宋の頃の中国と日本の音楽関係
なんてあたりを読み漁り聴き漁り(といっても、読み出し、聴き出すと殆ど眠っている!)しているはず・・・なんですが、いつ記事に出来るか分かりません。

モーツァルト先生は都度の進行です。(ランスロットさんがまた面白い曲を取り上げています!)

で、当面は、その日その日目に付いたものから題材を拾ってみたいと思っております。


「明治の音」(内藤高 著、中公新書 1791 2005年)

という本があって、読みさしでずっと放り出したままだったのですが、これはじつはいい本でして、明治に日本を訪れた外国人が、日本の(音楽に限らない)音風景をどう捉えたか、を、
「新書によく収まったもんだなあ」
と感心させられるほど網羅している。




明治の音―西洋人が聴いた近代日本


Book

明治の音―西洋人が聴いた近代日本


著者:内藤 高

販売元:中央公論新社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

序章で幕末の音風景を概観したあと、第1章ではイザベラ・バードとモースの、第2章ではピエール・ロチ(私は知らない存在でした)の、第3章はラフカディオ・ハーンの、第4章ではポール・クローデルの「視点」からの明治初年の音風景を詳述しています。終章がまた、コクトーを引いたりしながら、これからの日本の音風景への展望も覗かせてくれる、という構成です。

そのなかの、第3章に、目が止まりました。
ハーンを扱った章です。

言うまでもなく、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、『怪談』の作者として日本中に知られている『外国人』(本当は外国生まれの人、というべきでしょう)です。
そのハーンの描く「日本の音世界」は、著者によれば
<幽霊としての音>
だという。
「(前略)実態を留め得ないという点で、音そのものが本来『幻影』を出現させるもの、一つの幽霊ともいえる(後略)」(134頁)
それが、ハーンの中のある「日本の音世界」だ、ということを、著者はハーンの様々な文、あるいは『怪談』創作時、とくに「耳なし芳一」を作っている最中、部屋を真っ暗にして自身が芳一になりきっていたというエピソードなどを通じて例証しています。
このあたりは、実際には読みやすいのですが、適切な引用をするのが困難なほど緊密な文体で書かれていますので、詳しくは是非、内藤さんの原文をお読みになって下さい。
ハーンの捉えた世界についての内藤氏の言葉で、さらに重要なのは
「諸存在の間の共鳴と言う現象が日本滞在後期のハーンの耳を特徴づけている。(中略)最晩年のハーンは小さなものから、さらにそれを超えて「極小のもの(infinitesimal)」へと大きく傾斜していった。それはある意味ではそれぞれの存在を巨大な無の中に解消していくことである。」(151〜152頁)
ハーンの捉えた日本の音世界を内藤氏がなぜ<幽霊の音>と表現したかは134頁の方の言葉で分かりますが、では、その幽霊とは何か、を表しているのが、151頁の方の言葉なのです。

してみると、<幽霊>というのは、「実体の無いもの」ではなく、「実体が解消していったもの」だ、ということが分かります。

同書に、「耳無し芳一」とオルフェウス神話を対比させた牧野陽子氏の研究があるのが紹介されていますが、それを踏まえ、双方の相違点について、内藤氏はさらに次のように整理しています。
「(前略)ハーンは音楽について語り始める。海の声よりもずっと深く、私たちを動かす音がある。『それは他でもない、楽の音----音楽なのだ』。(中略)音楽、それはいわば荒海の人間の中への内在化である。(中略)ハーンにとってのこの音楽は、荒海の声と呼応する激しい情念の音楽、芳一の音楽であり、波を鎮めるオルフェウスの音楽ではない。それは死者たちの魂を再び解き放つもの、『呪術』であり、『降神術』である。」

視覚には捉えられることのない、「荒ぶる神」・・・それこそが「日本の音世界」の支配者であることを、ハーンは見抜いていた、というところでしょうか。

ですが、音世界が「幽霊」だと言ってしまうと、とくにハーンからの連想では「暗い」イメージに沈潜しがちです。
内藤氏の著書『明治の音』の意図するところも、当時の日本の音世界に漂っていた独特の、「暗い」とはいわずとも「沈黙の世界から沸き上がってくるもの」を明らかにするところにあったのかも知れません。

日本においては・・・少なくとも明治期より前までは・・・それだけ分かれば充分なのかも知れません。
とはいえ、このような「音世界」は日本だけに特異なものだったのかどうか。

音世界とは「実体の解消していったもの」なのだとすれば、この「解消した実体」とは、私たちが現在「ヴァーチャル」と呼び慣らし、その「存在」になじみつつある世界と、重なり合う性質を持っているのではないか

このことについて、さらに機会を設けて、日本の外の世界へも一歩ずつ踏み込んでみるのも、悪くないかもしれない・・・そんな思いが私の中に湧いてきました。

この先、しかし、どうやって観察し、思考したら、「音世界」の何たるかをつかむことが出来るでしょう?

ああ、自分向けに余計な、手に負いきれない宿題を作っちゃったかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月23日 (月)

家内の百合

仏前花は、冬は十日から二週間なんとかもつものの、夏は1週間というところです。
娘の習い事の場所近くに信頼出来る花屋さんを見つけ、以来、ほとんどそこから仕入れてくるのですが、その店以外からだと、早くて3日で
「もうこんなひどいざまか」
ということになります。
ただ、いくら信頼している花屋さんからの仕入れでも、花屋さんの考え通りにはいかない場合もあります。
「ヒマワリは大輪の方が日持ちがいい」
というので、先々週は大きいひまわりを加えたのですが、これは二日目にはもう惨めな有様で、先週、
「あれは失敗でしたよ」
と言いました。
「じゃあ、今度は小振りにしましょう」
組み合わせはどうしようか、迷いましたが、中にピンクの百合を入れました。
「日曜日に祝い事があるので、それを目指してるんで、つぼみのまんまなんですよ」
百合は開いてしまうと早くダメになるんだそうです。
で、少しでも多く開いているのを選びましたが、それでもつぼみが左右それぞれに6つずつありました。
持ちが1週間、というあいだでつぼみのままの花が開いたのは、家内の中陰棚が未だあるころから、いちども目にしたことがありませんでした。

今回は、ところが、まず、ひまわりが大正解でした。
左右2輪ずつの小ぶりのひまわりが、5日経っても未だ元気なのも、すばらしい。
それ以上に驚いたのが、百合のつぼみが、1日に左右それぞれ一つずつ、確実に開くのです。
2日目は、そんなことはありませんでした。
「どうせそんなもんだよな」
とタカをくくっていたら、一昨日、昨日、今日と、左右それぞれ1輪ずつ、ですので1日に2輪ずつ、つぼみがチャンと開いて、見事に一人前の百合の顔をしてくれています。
残るつぼみは左右にあと2つずつ。

さて・・・これも開いてくれるでしょうか?

ちなみに、5日間でしおれた花も、今回はまだ1輪だけです。別の種類の白い花で、名前を忘れてしまいました。
でも、彼女たちもガンバってくれています。

ここ数日、「うつ」のぶり返しに悩んでいた僕には、さっき花の水換えをして
「あ、今日も新しく開いてる!」
というのが、とても幸せでしたから。

(23:55)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月22日 (日)

ラブ・チャップリン(CD紹介)

「作曲家としてのチャップリン」については、前に述べました

見つけておいて知らんぷりしていたのですが、とうとう息子に発見され、チャップリンの作品集のCDを買うはめに陥りました。

<>


ラブ・チャップリン
Music ラブ・チャップリン

アーティスト:映画主題歌,チャールズ・チャップリン,ザ・フューリーズ

販売元:ビクターエンタテインメント

発売日:2003/05/21

Amazon.co.jpで詳細を確認する


「モダン・タイムス」から2曲、「ライムライト」から4曲、「ニューヨークの王様」から3曲、「サーカス」と「伯爵夫人」からそれぞれ1曲の他、音楽としてはあと3曲の14曲を収録。他には「独裁者」と「殺人狂時代」の、各々の最後を飾る演説を収録しています。

チャップリンの音楽を「クラシック」としてとりあげていることは、いまのところまず有りませんが、私は彼の音楽は、ある意味でドビュッシーらにも比肩しうる「アンチ・ワーグナー」だと信じています。
が、そのことでへりくつをこねるには、映像と音楽の兼ね合いをいじくりまわして綴らなければなりませんので、そういう機会があることを祈りつつ、今日はやめておきます。

また、「街の灯」に出てくる有名なボクシングシーンに影響されて、息子はテレビにつないでトレーニングするボクシングに凝っているのですが(機材代が1万円しないので、安いから買ってやりました)・・・これは言ってみればヴァーチャル世界でのスポーツでして。
この「ヴァーチャル」という、一見新しく出来上がりつつ有る世界は、実は音楽は発祥した時点で既に有していた世界だった、という「珍説」も、私は・・・これまで音楽史を「曲解」してきて・・・持ちつつあります。
このことも同じように喋りたくて仕方がないけれど、しばらく我慢します。

ということで、機会があったら、ほんとうに、チャップリンの音楽世界も覗いてみて下さい。

いいですヨ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月21日 (土)

JIROさん(付:CD紹介〜Bone Tones)

ひとは、たった一つのことを目指す求道者たりえないでしょう。
求道者たりえる人が存在するとして、地球上の全人口の、数億分の一にも満たないでしょう。
(マザー=テレサなどはそうした低い確率の中に存在した希有な例だったのではないかと思います。)

JIROさんのブログは、初めて読んだ人には衝撃的なほど、時事問題に対する強烈なコメントが並んでいて、素早い、でいながら的確な情報収集・選択力を発揮しています。
だから、彼のブログの価値が分かる人、共感出来る人は、いつもとっても素直にコメントを寄せている。
うらやましいくらいです。
(僕なんかコメントなんてほとんど貰えませんからね。)
で、それらのコメントに素直にぬか喜びしたりカッカ来たりするのが、またJIROさんの愉快なところです。

そんな彼が、話題を音楽に絞った(それも、たとえば「のだめ」とかいう外部要因に左右されないで綴った)記事には、ときにハッとさせられるものがあります。

この前はバッハのシチリアーノを様々な楽器で演奏したものを掲載した記事をお綴りだったので、私もそれに便乗して別記事を綴り、さらにその逆立ち記事も綴りましたが・・・
今回のは、もっと
「ハッと」
しました。
JIROさんが「求道者」とまでは言いませんが(言ったらご本人が怒るでしょう!)、このトランペットの演奏を取り上げた記事には、「道を求める」とは何か、を沈思する綴り手の心が両手につつもうとしても溢れてしまう、そんな気がさせられてしまいました。
是非、そこにリンクされているトランペットの音を聴いてみて下さい。

で、またも便乗です。

家内の遺影をつれずに子供たちと行った初めての演奏会〜それは娘の「やりたいこと」の関係から、トロンボーンのコンサートでしたが、3月18日、そのコンサートで演奏なさった小田桐寛之さんの音を聴いて、娘は日本人のトロンボーン奏者に対して初めて
「巧い! すごい!」
と賞賛の言葉を発しました。
で、CDを買わされるはめに陥りました。
彼は2枚目のCDを今年売り出したのですが、CDにも流通チャンネルが有るのでしょうか、TowerRecord系ではみつからず、HMVにありました。

"Bone Tones" MASTER MUSIC MM1220

小田桐さんは1957年、私の亡妻と同じ年のお生まれですから、今年50歳。ですが、見た目もとても若々しく、教鞭をとられている学校の学生さんからは絶大な人気を誇っていらっしゃる、とも伺っております。
1枚目のアルバムでも、2枚目のこのアルバムでも、彼はプーランクをたくさん取り上げているのですけれど、3月18日のコンサートでも4曲演奏なさいました。
そのなかから2曲をご紹介して、今日の拙文を終えたいと存じます。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年7月20日 (金)

曲解音楽史15:中世前半の西ユーラシア

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国
    10)古代ギリシア11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断



「6,7世紀あたりまでのユーラシア横断をしてきたのだから、これで一気に中世ヨーロッパの音楽世界へ突入してもいいんじゃないか」
この時期以後、西アジアにはイスラム勢力が勃興し、東は唐、西はヨーロッパ世界とせめぎあい、あるいは協調しながら歴史が築かれて行く。しかし、中心に存在するイスラム圏は、習慣の問題から、時代に密着した音楽資料をあたってみるのが難しい。唐朝とヨーロッパに付いては、その点、幾分敷居は低いだろう。ではまず、ヨーロッパからいってみよう、というのが、当初の発想でした。
ところが、コトはそう簡単にはいかないことが分かりました。
「ヨーロッパ中世史」と題する類いの書物では、東欧圏およびスラヴ圏が含まれていないのです。其の延長線上にあるからでしょう、東ローマ帝国を中心とするバルカン方面についても、必要最小限にしか触れられていません。
実は、取り上げられているドイツ以西については、イスラム世界との「衝突」以前には、むしろノルマンの侵攻が大問題として一帯を覆っている。いっぽう、この時期は、イスラムとキリスト教世界は、まだ平和共存しているのです。
こうなると、話の順番は変えなければならない。
平和共存していた「西ヨーロッパ」・「ビザンチン」・「イスラム文化圏」を、まず横並びで見ておかなければならない。


地中海世界については、都合のいいことに、最近いいCDがNAXOSから出ました。

"From Byzantium to Andalusia" NAXOS 8.557637

おさめられた曲の史料は12〜13世紀中心と、既に「十字軍」時代、すなわちイスラムとキリスト教世界の衝突の時期に入ってからのものではありますし、演奏者がヨーロッパの団体なので、演奏スタイルは幾分欧化されており、編成も最大公約数的なものなのではないかと思われるのですが、宗教を異にするそれぞれの作品を対比してみると、これらがいかに平和的に共存していたかを知るには絶好の材料であると思われました。
共存を可能にしたのは、イスラム教成立以前のアラブにあります。
ササン朝ペルシャの勢い盛んな頃にもなお、アラブに林立していた諸王国は、ゾロアスター教ではなく、ユダヤ教かキリスト教を信奉していました。やがてそうした中から、モーセ的な律法を下地にした新たな宗教としてイスラムが生まれてきたのです。そして、イスラム教世界は、ユダヤ教・キリスト教に関しては寛容でした。
イスラム勢力はウマイヤ朝の成立後、破竹の勢いでアラブ・アナトリア・北アフリカ・イベリア半島を席巻しましたが、やがてアッバース朝が主導権を握るとウマイヤ朝の後継もそれに対抗することで手一杯だったのでしょうか、地中海の対岸であるビザンチンや、その奥のスラヴ圏には拡張しませんでした。
そして、そのアッバース朝の時代、西ヨーロッパを次々と傘下に収めていったノルマン勢力は、シチリア支配に乗り出すまでになって行くのです。ただし、ノルマンの力もそこまででした。
おおむねこうした事情が、「地中海世界での各宗教の平和的共存」に繋がったのではなかろうか、と思います。
各宗教の音楽から一例ずつ聴いてみましょう。

1.キリスト教:
2.ユダヤ教:
3.イスラム教:

なお、イスラム圏の韻律は前にペルシャの音楽を紹介した時のものに近いのが本来の姿かと考えますので、これは時代は分からない曲ですが、イラクで収録されたものも聴き比べてみておいて下さい。

4. (ウード伴奏による歌)



「十字軍」運動より前、(2)の「共存時代」のいつ頃を起源にするのかは分かりませんが、西ヨーロッパには、ノルマンの征服が一段落した頃から吟遊詩人が多数生まれ、活動をはじめました。
彼らは地域によってトロバドゥール(南欧)、トルヴェール(フランス方面)、ミンネゼンガー(ドイツ方面)と呼ばれました。彼らは「騎士階級に属した」とされています。
中世前半の西ヨーロッパ世界の「身分」は複雑で、<農民>はまだ土地に固定されているとは限りませんでしたし、王と諸候(貴族)の差も歴然としたものとは言い切れませんでした。王や貴族は、其の支配下に置いた者や土地およびその収穫物に対する課税の特権を持っていたわけですが、王は「諸候」にこの特権を駆使出来るのが本来の姿であろうかと考えられるにも関わらず、諸候が必ずしも王に服するとは限らず、特権階級間でも <特権>の有りようは常に流動的でした。
トロバドゥールらの「騎士」という身分は、そうした中で、最も曖昧なものだったかも知れません。彼らは<農民よりは自由で>・<詩の能力を持って賛美されるに値する>ところから「騎士」に叙せられたのでしょうが、「十字軍」の時代までは、騎士身分は名誉の他に何の特権も持ち合わせていたわけでもないようです。
それでも彼らの存在は構成に強烈な伝説的イメージを残し、19世紀にはワーグナーの「タンホイザー」、ヴェルディの「トロバドゥール」といった劇作品を生み出すことになります。

そんな吟遊詩人の歌から、トルヴェールのものをひとつ、聴いておいて頂きましょう。


Millearium RIC215

彼らは、「十字軍」時代の到来とともに、より広く活躍することになります。
ですが、その活躍を見る前に、次回ではまたもう一度、あるいは数度、東に目を転じなければならないでしょう。
同時期、戦乱やペストに悩むことになるヨーロッパとは対照的に、唐・宗と続く中国の王朝が華美を極めますし、その文化を受け継いだ日本の音楽も、最初の隆盛を見せることになるからです。(朝鮮に着いても同じことがいえるのですが、いい材料を未だ見つけていません。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月19日 (木)

大学非常勤講師の厚生年金加入を求める請願

あるかたが、ある場所で、控えめに「こんなのあるんです」と仰っていました。

私は大学進学に当たって、高校生当時、結果的に進学先となった大学の非常勤講師の方が近所にお住まいで、じつは「大学とはなにか・・・しかし、その前に、ものを考えるとはどういうことか」について、その方に非常に熱心なお教えを受けることが出来ました。内容が「西田哲学」だったので、結局チンプンカンプンなまま生返事をしていただけでしたが、現実に入学して出会ったどんな方よりも、「学ぶ」・「考える」大切さを純粋に伝えて下さいました。
そんな方の、当時の月給が、なんと、3万円でした。
ちなみに、5年後に私が民間企業に就職した時の初任給は16万円でした。

非常勤講師の方には、学問を純粋に愛する方が多いです。
下記リンクをご拝読の上、ページ最下部の「誓願に賛同します」に、是非ご署名をお願い申し上げます。

なお、これは私が、先の方に事前に承諾を頂かず勝手にやっていることですので、ご容赦下さいませ。

・リンク:大学非常勤講師の厚生年金加入を求める請願

ダイコクさんの、こちらの記事も、是非お読み下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

音楽で出来ないこと

昨日、「音楽だから出来ること」という記事を綴ったのですが、ハナからその裏返しも狙っておりました。
「出来ること」があれば「出来ないこと」もあるんだろう、というひねくれ根性から、軽く考えました。
ただし、「演奏の違いによって失せるもの」があるとしても、そのことは度外視しました。(テンポの問題を含みます。速い曲をかなり遅く演奏したらどうなるか・・・サン=サーンス「動物の謝肉祭」の中の<象>を思い出していただければ充分でしょう。そうした類の作為は、ここで考えたいこととは別の話です。)

1)「歌詞」がなければ、具象化されたメッセージは伝え得ない
・例1〜R.シュトラウス「家庭交響曲」:この曲から、彼の家族の顔かたちが分かった人なんて、ほんとうにいるんでしょうか?
・例2〜ハイドン「十字架上の七つの言葉」:それぞれ、どの言葉を表してるかをあらかじめ念頭におかないで聞いた場合、ハイドンが狙ったとおりに「イエスの言葉」が音楽からだけ聞こえてくるでしょうか?

2)作品の全体像を(自己流無手勝流でもいいから)把握しないと、そもそも「音楽作品」として理解することが出来ない
絵画ならば、抽象画でも、「絵です!」といわれればそれが目の前にあって、描かれた何かがあることは否定できませんから、いちおう「絵画作品」としての理解はされるわけです。
音楽は・・・音楽として意図されても、演奏者側は楽譜を目の前にしているか頭の中に入れているので「音楽だ!」と断言しますけれど、子供のピアノのデタラメ弾きと、過激なジャズピアノのアドリブとを聴覚だけで区別するのは難しい場合もあります。前者が「音楽作品」で、後者が「非音楽」だと感じられても仕方ありません。(目で見ていれば別ですが。)
あるいは、目の前で演奏家がなにかやっていても、
「どっからどこまでがひとまとまりなんだ?」
と首を傾げてしまうような曲は、特に初演の際には「音楽作品」として理解してもらえません。
<現代音楽>がどうかはなんともいえませんが、ベートーヴェンの有名なエピソードでは、「ラズモフスキー四重奏」が初演に際して失笑しか買わなかった、というのがありますね。
で、具体的には
・例〜ジョン・ケージ「4分33秒第二番」=ピアノ曲でありながら、ピアノで演奏される音はひとつもない!

さて、
は、音楽でしょうか? そうではないのでしょうか?
、何を表しているのでしょう?

いやあ、音楽って、本当に、ワケワカリマセンね!
・・・だから悪用もされますし、いたずらに「連帯感」のために用いることもされがちですし、反面、人の心をまとめて静まらせたり、個々人それぞれに、ほかのジャンルでは考えられないほど多様な受け止められ方をされることに寛容であったりもするのでしょうね。

付)冷やかしたい方専用6:「瞬間」を描きなさい、という課題で、私は「花火」を選びましたが・・・さてさて、どんな花火でしょうか? Sift-jisです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月18日 (水)

音楽だから出来ること

最初に、新潟の地震でご苦労なさっている皆様に、なにもできませんが、心よりお見舞い申し上げます。



先日、JIROさんの記事で、バッハの有名なシシリアーナ(シチリアーノ)が違う楽器で立て続けに聞けるので、思わず夢中になってしまいました。
楽器が変わっても、音楽の持つメッセージが変わらない・・・これは
「音楽だからこそ出来ることだなあ」
という感慨を深くしました。
具体的に、何が、何故「音楽だから出来る」というのは、巧く言葉になりません。
ただ、素直に、それだけを思った、という感じです。

ちなみに、JIROさんはモダンフルートの演奏を載せていらっしゃいましたので、参考までに、同じ曲を
 (1983年収録。Musica Antiqua Koelnのメンバー、ARCHV 471 656-2)
をリンクしておきますね。

で、思い出したこと。
JIROさんのならべた例は、同一曲を様々な演奏で、というものでした。

パロディ、という言葉がありますね。
音楽では、元来、この言葉は、作曲者自身が、自分のひとつの作品を別の作品に転用するのをさしていたかと思います。
J.S.バッハは「パロディ」の大家でもあり、教会カンタータの多くが、また世俗カンタータに「パロディ」化、すなわち転用されていることが分かっていたかと記憶しております。
無伴奏ヴァイオリンソナタの第1番はリュート用の楽譜にもしていますし、同じく無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番の第1曲はカンタータの幕開けに壮大な装飾をつけて使われたりもしています(今、どのカンタータだか忘れてしまい、調べきっていません。ごめんなさい。分かったら具体名に訂正します。)
そのほかにも、彼の2つの独奏ヴァイオリン協奏曲、およびブランデンブルク協奏曲第4番は、チェンバロ協奏曲に「パロディ」化されています。協奏曲の例で面白いのは、チェンバロ協奏曲に転用されているときには、オリジナルの協奏曲より1音低い調をとっているのですよね。何故なのでしょう?理由を述べた文に、まだ巡り会っていません。ご存知でしたらお教え下さい。

ずっと時代は離れますが、ラヴェルがまた、自作ピアノ曲を自らの手で管弦楽化していることも有名ですね。「マ・メール・ロワ」とか、「亡き王女の為のパヴァーヌ」とか。ピアノとオーケストラと、いずれも優劣つけがたい出来になっているのは驚嘆すべきことです。

遡って、ブラームスは「ハンガリー舞曲集」を、さらにそれにあやかってドヴォルジャークは「スラヴ舞曲集」を、それぞれ最初はピアノ連弾で書き、あとで管弦楽化する(ほかの人が編曲した場合もありますが)と、これは明らかに興行収入を狙った「パロディ」もあります。

歌ならば、歌詞から伝わる意味、というのもあります。が、その場合でも、歌詞の表面的な意味だけではなく、心をしみじみと伝える場合だって多々ある。
こちらの例では、今、Dさん(なんて略称にしても正体を明かしてしまうことになるかしら・・・そうだったらごめんなさい。。。)が、朝崎郁恵という奄美の歌い手さんの「十九の春」をめぐって深い思索をお続けになっているところですから、いずれそれを拝読出来るか、許可を頂いてご披露することが出来るかしたらいいな、と思っております。この場合、同じ曲を違う歌い方をしたらどう変化するのでしょう?

同一曲を作曲者が「パロッ」た例に戻ると、いわゆるクラシックに限っても、純器楽だけの、素晴らしい例を忘れてはいけないことに気が付きました。

モーツァルトの、この作品をお聴き下さい。


(6:05)
The Griller String Quartet & W.Primrose(viola), 1959
VANGUARD CLASSICS ATM-CD-1204

(12:07)
Chember Orchestra Of Europe Wind Soloists
Teldec Classics 256460866-2

前者が後者を編曲したものであることは、製作年から明らかです。
結構長いし・・・これ以上余計なことは申しません。
JIROさんの記事を併せて、ゆっくりお聴き頂ければ幸いです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月17日 (火)

モーツァルト:K.194と「雀のミサ」

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



「小クレドミサ」と双生児関係にある、と言われる、同じ年のもうひとつのミサ、K.194は、音を読んでみると、むしろ、「小クレドミサ」よりは兄貴分ではないか、と感じられる構造をしていました。
同じ年か翌1775年1月作とされるK.220(通称「雀のミサ」)とも、作法に緩やかな関連性が感じられました。
この2つのミサ曲、アインシュタインとカルル・ド・ニの両大御所の評価が対照的なのも、読んでいく上で悩みの種でした。アインシュタインは低い評価しか下していませんが、ド・ニの方は大変に誉めている。なおかつ、作品内容に対する見解も異なっているのです。アインシュタインの方は耳で聞いただけの印象によるのではないかと疑われる一方、ド・ニの方は楽譜を過大評価しているふしもある。そういう意味では、これら2つのミサ曲は「問題作」でもあるのでした。

最初に述べましたように、作曲技法上に緩やかな関連性がみられる点を考慮すると、やはり、耳での判断はアインシュタインの轍を踏むことにならざるを得ません。すなわち、アインシュタインの言葉どおりではありませんが、
「K.194も、K.220も、対位法を駆使した「小クレドミサ」からは一歩後退した、ホモフォニックな作品である」
・・・そのようにしか聞こえません。彼はK.194についてはそう悪く評価している訳ではありませんが、K.220については、
「彼の最も気の抜けた、あまりにもザルツブルク的な教会作品」
と、本来は他のザルツブルク時代の教会作品まで含めて駄作なのだ、と言わんばかりの言葉を浴びせています。
「雀のミサ」K.220については、後述しますが、確かに「対位法」技術など全く念頭におかずに作曲されたものと思われます。だからといって即「後退した」と断じてしまうのは早計です。発行されているCDなどには「ミサ・ブレヴィス」の中のひとつとしてしか把握されていませんが、管弦楽編成を含め、「雀のミサ」は、決して、単純に雀がさえずるだけの小曲ではありません。

その前に、まず、K.194(ニ長調)について見ておかなければなりません。
K.192を「小クレドミサ」と呼ぶのであれば、K.194のほうは「キリエミサ」と呼んでもよいのではないか、と思うほど、冒頭楽章では"Kyrie"(あるいは"Christe")の語が、「ソーミード・」の主和音下行型の動機と密接に関わっています。
ド・ニの「なによりもこのミサは、その簡潔さとポリフォニーに特徴があるように見える。(中略)しかし実際の書法はまったく異なっていて、わずかの小さい例外はあるが、ホモフォニックであることにすぐ気がつく」という言葉は、「ポリフォニー」と「ホモフォニック」の位置を入れ替えなければなりません。
音符を逐一読んでいくと、すべての楽章がド・ニが主張しているような「ホモフォニック」な構造をしているわけではありません。カノンを主体とした「対位法技法」の使用が、「小クレドミサ」に比べて前面にしゃしゃり出ることがないのです。言葉が揃うように工夫したことが、ポリフォニーを「ホモフォニー」に見せかけているのです。

今回は音を掲載しないので、またもやお読みいただくのが面倒になりますが、K.194に見られるカノンおよびカノン風の箇所を列挙すると、下記のようになります。

・Kyrie(全41小節):6〜9小節、13〜20小節、22〜27小節(延べ19小節、対位法処理部46%)
・Gloria(全59小節):これはホモフォニックな楽章ですが、次の「クレド」と同じく、言葉をあまねく述べるために必要な措置で、K.192とも同様です。ただし、11〜23の独唱部はカノン風に処理しています(20%)。
・Credo(全183小節):Gloriaと同事情。ですが、「復活」を歌い上げるAllegro(68小節)に入ったときの冒頭部10小節はフゲッタ風の処理で効果を高めています。(その前のAndante moderatoの独唱部'Et incarnatus est...'の四重唱はソプラノのアリア風に始まり、オペラの技法の応用が見られます。107小節でテノールによって始められる四重唱も、劇中に現れるような、ソプラノとバス、アルトとテノールのペアを組み合わせ、バスが一人のこって最低音で締めるところなども同様です。これらはK.220でより発展的に展開される技法です。)162小節から始まるアーメンも、172小節目まで畳み掛けるようなカノン風処理となっています。以上で、対位法処理された部分は、この小節数の多い章でも11%を占めています。
・Sanctus(全35小節):これこそカノン処理を積み重ねたような章です。前半の'Sanctus'部(7小節)は、常套手段として最終2小節をホモフォニックに終わらせないとまとまらないからそうしただけのことであって(カノンを作る実習をやってみれば分かります)、全体が(変形を伴った)カノンを意図して作られています。続く8小節のホモフォニックな部分は「天と地に(栄光が)満ち」という言葉の内容を強調するためにわざわざとられた書法なのであって、これが際立つのも、先立つ7小節、続く20小節("Hosanna"、最後まで)が対位法処理されていて初めて際立つ、という仕掛けです。(対位法処理部77%)
・Benedictus("Hosanna"反復部を含め全37小節):カノン、と言う訳ではありませんが、四重唱でホモフォニーを構成するのは"Benedictus"部の最後の2小節(15〜16小節)に限られますから、対位法的処理部の割合は95%に達します。
・Agnus Dei(全102小節。前回、調を間違えました。ロ短調で始まります。すみませんでした。):ソプラノソロに始まる旋律を9小節目からの合唱で引き継ぐのはテノールパートとあるとパートのカノンであり、それを飾る他声部はあくまで「対位法的」な動きをとります。17小節目からはアルト独唱で始まり、合唱部に入るとソプラノとバスがそれをカノンで引き取ります。さらに、33小節目からはテノールとバスの独唱同士が最初の4小節を「エコー」で歌い上げ、その後半4小節で初めてホモフォニックに合体するのですが、続く41小節からの合唱は再び45小節目までカノン処理となっています。最後の'dona nobis pacem'はホモフォニーであることが望ましい言葉ですからホモフォニーとしていますが、これも言葉の要請するところに従ったためのものであって、K.194が「ホモフォニックな作品である」ことの裏付けとはなり得ません。この章での明確な対位法処理部は20%ですが、'dona nobis pacem'部だけで54小節が占められており、それを除外すれば割合は43%に達しますし、一方、'dona nobis pacem'部を除くホモフォニック部は、独唱部は4小節以外は除外しなければなりませんから、全部で7小節にすぎず、前半部では14%にすぎません。
こうして客観的に見てくると、K.194は、ホモフォニックにはほど遠い作品であることあ判明します。
カノンを駆使しながら、しかし、ミサの言葉一つ一つが不明瞭にならないように、という配慮は相変わらず、いや、むしろカノン処理した箇所では声部を密集させないことによって、「小クレドミサ」より発展した姿勢が貫かれている、といっていいでしょう。


もうひとつの、「雀のミサ」K.220は、どうでしょうか?
こちらは作曲の経緯から見ておく必要があります。
明瞭には分からないのですが、1775年1月完成説は、この時期ミュンヘンでオペラ「偽の女庭師」上演に対してザルツブルク大司教コロレドが牽制のために「ミサ曲」作曲をモーツァルトに命じた、という話があります。

で、従来、のときの大司教の要請によって作られたのが「雀のミサ」ではないか、という推測がなされてきていました。
推測の是非は分かりません。1775年1月ではなくて、それより前には作られていた、とする説についても、市井人である私には手元資料もありませんから、論拠を目にしておりません。
ただ、はっきり言えるのは、
・「雀のミサ」では対位法的手法は99%放棄されている(数字は適当です)
・対位法を放棄した主な理由は、大司教コロレドの設けた45分以内に「ミサの言葉を明確に会衆に聞き取ってもらう」ためであったと思われる(これはK.194の作曲姿勢を発展的に継承している)
・言葉を明瞭にしなければならなかった理由は、このミサ曲は通常の「日曜」ミサではなく、荘厳ミサを執り行わなければならない場のために作られたためであると推測される
・「雀のミサ」は、長さからいえば「ミサ・ブレヴィス」だが、編成上はトランペットとティンパニを含む「荘厳ミサ曲」である(Carus版スコア解説参照)ことが、上記推測の裏づけである
の4点であろうかと考えております。

このミサ曲、多くの解説文では、最初の"Kyrie"の音楽が最後の"Agnus Dei"でも使用されていることばかりが強調されがちですが、こうした手法はモーツァルトはこの作品ではじめて使ったわけでもなんでもありませんし、私にはあまり大きな意味をもっているとは思われません。
「雀のミサ」はホモフォニックで親しみやすいので、ザルツブルクミサの中では録音も多いため、耳にしたことのある方も多いかもしれません。で、お聞きになったとき、もし他の「ザルツブルクミサ」もご存知でしたら、
「他のヤツより華やかだなあ!」
という印象もお持ちだったのではないでしょうか?
華やかなのは、じつはトランペットとティンパニによってのみもたらされているのではありません。
具体的な箇所にまでは触れませんが、モーツァルトのこれまでの劇作品で培った独唱部の効果的活用も、この作品の劇的効果に大きく貢献しているのです(Gloria、Credo、Benedictus、Agnus Dei)。
さらに、下行する半音階の多用も(解説で取り上げているのを目にした記憶がありませんが)、「雀のミサ」などというニックネームがふさわしくないのではないかと思わせるほど、作品に重厚感を与えています(例:短いですが”Kyrie”18小節目1小節間や37小節目の最初の3拍、"Credo"の'Et incarnatus est...'の部分,"Agnus dei"の39〜42小節目)。
最も面白いのは、"Benedictus"のあとに、"Hosanna"が、"Sanctus"後半部の反復ではなく、独立楽章として作曲されていることで、少なくともモーツァルトにとってはミサ曲では初めてとった手法ではないかと思います。"Hosanna"がK.220ではわざわざ独立楽章として創作している点、アインシュタインもド・ニもあまり注目していないのは・・・この素晴らしい研究かたちが、何故? と感じるしかありません。「雀のミサ」をドラマチックに聞かせる上で、この"Benedictus"〜"Hosanna(独立楽章)"を挟み込む手法は、オペラの作法の応用であり、非常に高い効果を発揮しているからです。
そんな耳で、是非、「雀のミサ」を聴き直していただければ、綴り手と致しましては非常に嬉しく存じます。

さて、この2作は、「ミサ曲はどんな場合に演奏されたか」についても貴重な情報を提供してくれます。
その辺についてもCarus版の解説を要約して触れておきます。

・「ミサ・ブレヴィス」は、日曜日や、あまり重要ではない祭日のためのものであり、伴奏は通常の協会ソナタの編成(ヴァイオリン、チェロ、通奏低音[オルガンとコントラバス])を前提としていた。このヴィオラの含まれない編成は、ザルツブルク固有のものではなく、南ドイツ地方では一般的なものであった。なお、編成が小さいため、小さな教会では合唱部と独唱部は区別なく、各パートそれぞれを一人ずつで歌った可能性もある(以上はすべてモーツァルトのミサ作品のパート譜の残存状況から推測される)。

・「荘厳ミサ」は特別な祝祭日に虚構されるものであり、音楽はトリオソナタの編成に加え、木管楽器・トランペット・打楽器を添えた大きなものとなるのが常識的だった。

・「ミサ・ブレヴィス」・「荘厳ミサ」共、大きな合唱隊を備える教会(聖堂)では、アルト以下のパートはトロンボーンによって忠実になぞられたと考えられている。(さらに、ザルツブルクの場合には合唱と独唱は演奏の場も別れており、それに伴い、通奏低音部も合唱用と独唱用の2つが別個に作成されていたのが判明している、とのこと)

もう一点、"Gloria"や"Credo"で先唱されるグレゴリオ聖歌を調べてみたかったのですが、時間が足りませんでした。
決まったものを歌うのが「お約束」だったのかどうか・・・注釈を読んでも私には理解できませんでしたので・・・ゴメンナサイ。とりあえず「おまけばなし」ということで。
私が十代で数曲のミサ曲演奏に携わったときは、スコアには明記されていませんでしたが、K.192では確かにテノールが、Carus版に載せられたテノール用の聖歌と同じものを歌っていました。(でも、シューベルトのミサをやったときも同じやつを歌ったんだよな。指導者がそれしか知らなかった、からなんじゃないかな? なので、一度きちんと調べてみたいと思っています。)

スコアはNMAでは第1分冊、Carus版ではK.194がISMN M-007-07401-2、K.220がISMN M-007-07402-9です。
CDは前回の記事を参照して下さい。

残る宗教曲「ディキシットとマニフィカト」については、またあらためて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月16日 (月)

家内のクラリネット

自分はヴァイオリンしか出来ませんし、それもたいした腕ではありません。
それでも、女房の弾くヴィオラよりは遥かにマシ、ではありました。
女房がヴィオラを弾く姿を見るのは、好きではありませんでした。
女房の演奏姿は、まるでロボットで、弓を上下させるたび、ヴィオラの音よりも体のあちこちの「ネジ」がギシ、ギシと鳴る音が聞こえる、という具合でした。
そうなんです、不死身のロボットのはずだった。。。

そのギシギシは、歩く時も同じで、いつも体がビッと枠にはまった感じで、足の動きも直線的で、しかも、<超速>ってな具合で・・・むしろそれが、なんだかいつも、かえってはかなく見えて、心配で、私がウツで休む羽目になってからは特に、でしたが、新婚当時、未だ土曜出勤だった彼女を見送る時も、その姿が無事に元気なまま視界に捉えきれなくなるまで、ずっと見ていなければ気が済みませんでした。

歌は、絶品でした。それは、前にも綴ったかも知れません。
プロポーズした前々日の晩がクリスマスコンサートで、彼女の背中から透き通って聞こえてきた「聖しこの夜」の声に、まるで磁石に引っ張られる釘のように、私はくっついて行ってしまったのでした。

ですが、彼女のヴィオラ演奏姿を見るのを嫌ったせいかどうか、もう一つやっていたはずの楽器、クラリネットは、とうとうその吹くところを見せてくれませんでした。
私も楽器があるのはずっと知っていましたが、遺品を整理するまで開けてもみませんでした。

「自分の全然分かっていない木管楽器を知らなければ!」
前回の演奏会の練習で思い知り、何をやろうとなった時、考えて、自然に選んだのがクラリネットでした。
そのときは、家内のクラリネットの存在は全く忘れたままでした。

仲間が教えてくれると言うので、下準備していて、
「もしかして、家内の楽器が使えるかも」
と思い、キーの塗装もはがれてしまっているようなその楽器を取り出して、鳴らしてみました。
無事に鳴ってくれました。
その結果、クラリネットの基本は、家内の楽器で教わって行くことになりました。

ま〜だ、指を一本も当てないで「ボー」と音を伸ばすだけ(開放音)です。
ヴァイオリンも、開放弦がきちんと鳴るところから練習を始めなければなりませんから、
「ああ、全く同じ方法で練習が進むんだな」
ということを初めて知りました。

ブラスバンドの顧問をしていても、自分の学校のバンドが賞をとることなんかより、響きが美しくなることを最優先に指導してきたのが、私の家内です。
新婚当初と、死去の数ヶ月前を含め、数度聴きに行きましたが、いい指導をしているなあ、と感心したものです。
だったら、クラリネットは、ヴィオラと違って巧く吹けていたのかもしれない。

真相は、僕を迎えにきてくれてからあとでないと分かりません。
寂しがりの僕が耐えきれなくって、他の人を見つけようなんてしたりしても、迎えにきてくれるかしらね。
(あてもないくせにこんなことを思っているのでは、しょうもないですけど。我が子たちより子供じみて寂しがりの僕には、「連れ」のいないこと以上につらいことはありません。かといって家内が生き返ってきたら・・・ちょっとコワい。)

ヤツにヴィオラの仇を取られないように、いい音が出せるようになりたいけれど、まずしばらくの間・・・下手すると一年くらいは、開放音を「ボー」と鳴らし続けるしか、僕には能がないかも知れません。

さあ、今日もこれから、「ボー」に取り組むこととするか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

TMF特別演奏会のお知らせ

な、なんと、正月早々なんですが、東京ムジークフローが特別演奏会をするんですって!
・・・ひとごとではないのだった。

日時 : 2008年1月5日(土)
開演時間未定
場所 : 台東区生涯学習センター ミレニアムホール
入場無料(予定)
指揮 : 菊地 俊一
〜演 目〜
◆シベリウス 交響詩フィンランディア
◆C.ライネッケ フルート協奏曲
◆ドヴォルザーク 交響曲第8番
フルート協奏曲の独奏者は当団所属の天才少女!・・・詳細はまたお知らせします!

(ということで、今日は時間が無くなっちゃったので、へりくつをこねていないでお知らせのみです!)
(あ、電話がきて長話をしているうちに日付が変わってしまった。。。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月14日 (土)

ショスタコーヴィチ:「ひとつの音へ」

この間、定期演奏会でショスタコーヴィチを演奏し、最後の最後まで消化不良な気がして仕方がない部分がありました。

あたかも木管と弦楽器が示す浮遊霊が、喇叭の号令でブロッケン山の頂上に集結するような・・・と、過去にブログで解析したのとはまた別のニュアンスでの凄みを感じる箇所なのですが、肝心の「凄み」が出ません。
理由は・・・浮遊霊は「E」とい「うひとつの音」に集約されていくことにより激しい緊張感を生み出すのですが、その肝心の「E」音に、オーケストラの響きが集結しない。
リンクした部分はムラヴィンスキー東京ライヴの名演なのですが、録音のせいもあるのでしょう、彼の指揮による他の録音にくらべると、やはり緊張感は薄い。

この箇所は、練習を重ねれば重ねるほど、
「ショスタコーヴィチにとってはずいぶん重要な意味を持った部分なのだろうな」
感じるたびに背筋がぞくっとする思いをしたものでした。

「ひとつの音」から音楽が徐々に拡大していく例は、19世紀およびその伝統を継いだ作品に幾つも見られます。
嚆矢はベートーヴェン「交響曲第7番」第2楽章でしょう。E音がー・・|ーー|ー・・|ーー|ー・と9拍半、12音連続で旋律を構成する、というのは画期的だったはずです。12音目からは上昇音型に変じ、それによってここまでの緊張をフウワリと緩めてみせる手法には、唸らされるしかありません。

単音(ではないのですが)で開始し、豊かな和声へと拡大していく最も壮大な例は、ワーグナーの でしょう。「非道徳人間」ワーグナーが書いたとは信じたくないほど、これは作品のタイトルとは逆に、象徴的な創造神話の見事な音響化です。混沌から光と陰が分かれ、陰の中で形のはっきりしないものがうごめき出し、次第に自律的運動を始め、やがてくっきりと輪郭を示すのです。

ベルクの「ヴォツェック」は、単音が急速に音の激しい渦を描くことで、初演時に既に聴衆(観客)をとりこにしてしまいました。ここで構築されたのは、ビッグバンの宇宙論の世界に人びとを放り出してしまう、驚嘆すべき音空間です。

ショスタコーヴィチは・・・こうした「単音からの拡張」に組すべきかどうか、もしかしたら生涯迷い続け、最後には
「いや、そうではなく!」
へと到達した人ではなかったのでしょうか?

交響曲の世界だけでそんな仮説を立てるのは無謀のそしりを免れませんけれど、実例でお聴きになってみて下さい。

本来そのまま進んでいたら叙情的な作家になっていたかもしれないことを示す第1番、急激にアバンギャルドへと傾斜した2、3番までの時期は、彼はただ信じたままに、何を信じているのかの姿を知る必要さえないままに、したい通りが出来た「普通の」天才だったように思います。
第4は、時代背景もかぶさってきたことがあるのでしょうか、ここまでのショスタコーヴィチとは明らかに断層を挟んでいます。
「ひとつの音へ」
・・・そう呼んでも良いかと思われる指向が、第4以降には動機として頻出するようになります。

ショスタコーヴィチの「ひとつの音へ」のベクトルには2つの方向があって、適切かどうか分かりませんが、それは
1. 「迷い」を力ずくで集約することにより、<信念>の中へと消し去ろうとする
2. じつはふらついている<信念>にこだわることをなだめつつ鎮め、浄化へと導く
とでも言ったらいいのかな、と考えております。

第4には、すべての楽章に、この2つのベクトルが混在して現れます。とくに、「1.」のベクトルにはすべての楽章で出会うことができます。「2.」のベクトルは、終楽章の練習番号191〜193などで出会えます。

以後、しかし、ベクトルはさいごの交響曲である第15までは、「1.」に限られています。
はっきり分かる部分だけを取り出してみましたので、お聴き下さい。
・先ほど挙げた


心ならずも得てしまったいのち、その運命から、「悩むこと」を意地でも振り払おうとしているかのようです。

第15だけが、特異です。これは、第4が持っていた2つのベクトルの、2つ目の方を「ようやく」思い出し、その「2.」のベクトルに「安住」する道を選ぼうと意図しているようです。
・第1楽章は のですが、都度、 、「拡張」して行こうとする「音の力」を阻止します。・・・この「ウィリアム・テルの動機」、」よく耳を傾けてみると、やはり「ひとつの音へ」指向を持っていることが分かります。
は、「2.」のベクトルの結晶とでもいえる、天国的な音楽です。
ダスビさんの第15の演奏会で終楽章の最後の一音が消えたあと長く続いた沈黙は、聴衆がみんな「浄化」の至福に浸ることの出来た、すばらしい時間でした。)

ざっと並べてみましたが、お聴きになってみて、果たしてこんな見方が正しいかどうか・・・どうお感じ頂けますでしょうか?

「ひとつの音へ」・・・それは、ショスタコーヴィチにとって、いのちとは何か、運命とは何か、についての音楽的思索において、従来の作曲家たちとは一線を画した、非常に大切な「モットー」なのではないでしょうか?

なお、ショスタコーヴィチの音のサンプルは、第5、第8以外はバルシャイの全集盤からとったものです。
第8は、スヴェトラーノフの日本ライヴでの演奏です。
ワーグナー「黄昏」はベーム指揮のバイロイトでの演奏です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月13日 (金)

チャップリン皿

ショスタコーヴィチについて考えるところがあって準備しているのですが、完了していないので、明日かあさってにまわさせて下さい。そのあとでモーツァルト、中世ヨーロッパの音楽、という感じになると思います。

ですので、音楽の話でないのが続いてすみません。

今日は息子といっしょに陶器作りをしよう、というイベントでした。
二人とも不器用なので、なかなか要領がつかめず、回りの人にアドヴァイスを貰ったり道具をお借りして、3度やり直してやっと出来たのが、
「チャップリン皿」。
チャップリンの顔を竹ヒゴで線画で描いただけの、シンプルなもの。

200707131536000


提出したとき、2年前の担任の先生に、
「おお、君らしい!」
と頼もしげに言われ、近くで見ていた別のお母さんが、
「まあ! 芸術的!」
だなんて持ち上げるものですから、息子本人はいい気になっております。

でも、チャンと焼き上がるのかなあ。。。
完成品を見ることの出来るのは2学期に入ってからです。・・・不安。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月11日 (水)

実在した!映画"BEAN"に登場する「名画」

音楽の話じゃないです。

お笑い好きの息子は「ドリフ」だの「ひょうきん族」だの、と、ややレトロマニアなのですが、海外物で最初に好きになったお笑いは、"Mr.Bean"シリーズです。
最初は、娘の友達が家に持ってきたのを娘と家内が見て大笑いしていて、僕と息子にとっては幻のコメディだったのですが、DVDが出ているのを見つけて買い込んでからは、家族中で楽しみました。

とはいえ、映画版の"BEAN"は少なくともDVD化されていないようで、さらに幻の中の幻、でした。
それをある日、中古屋でVHS100円で売っているのを見つけて、私が飛びついて買いました。
家内を生前大笑いさせてやれた、最後のビデオなので、思い入れもひとしおです。。。
(2008.1.24付記:先日、DVD化されているものを入手しました!)

この映画の話の山場は、「画家の母の肖像」という名画がビーンに台無しにされるところにあるのですけれど、「画家の母の肖像」という名画なるものは、この映画のために創作した架空の作品だ、とばかり思っていました。

そうしたら、今日、息子がネットで見つけました。
「画家の母の肖像」は、名作として実在する!

http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/whistler.html

Whistler_mother01

ご存知でしたか? ご存知でしたか。。。
お粗末様でした。

今日は、これだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月10日 (火)

Hさん四十九日:聴いて下さい、彼のコルアングレ

・・・ああ、くだらん「コンマス」がなんたらかんたら、なんて綴っている場合ではなかったのです。

Hさんの四十九日だったんです!
ココログ不調だったので、アップがずいぶん遅くなってしまいました。

幸い、いつも録音で奮闘して下さるMさんの努力で2年前の演奏会のCDもやっと出来ました。
その中に、独特の味わいで私たちを酔わせてくれたHさんの、コルアングレの音が入っています。

曲は、最初の短い方が彼の演奏を堪能出来ます。
長い方は冒頭部でH節が聴けます。

このときは彼の調子は100%ではなかったと思っていますけれど・・・音色の深さは充分出ています。
どうぞ、お聴き下さい。彼をご存知の方は、どちらかというとシリアスな表情の時の彼の顔を思い浮かべるといいです。
実際、あのときは、実に締まった、いい顔して吹いていました。私は、忘れていません。
(2005.6.12 ティアラこうとう)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 8日 (日)

コンマス失格・・・

6月16日の定期演奏会でお書き頂いたアンケートの集計が出来、拝読しました。
おおよそ70〜80名様にお書き頂いたようです。
私どものつたない技術にも関わらず、勿体ないほどご好意に満ちたお言葉が多く、団員一同、大変感謝をしております。

コンマスについては・・・例年厳しいお言葉を頂くので、肝に銘じつつ演奏会に臨むよう心がけておりましたが、ここ3回同様、
「オーバーアクション! お前は指揮者じゃない! 邪魔!」
というご意見を、またもや頂戴してしまいました。
・・・指揮者じゃないのは当然のことでして、自覚をしております。が、アクションがオーバーで邪魔であれば、当然、お客様よりはまず団員諸氏に迷惑がかかります。とはいえ、私が「コンマス」である以上、このオーケストラのためを考えたとき、これまで通りのアクションを継続する以外に知恵はありませんで、はた、と悩んでしまいました。

また、今回は声楽の伴奏曲があり、その中にヴァイオリンのソロもあるのですが、それをさしてのことなのでしょうか、
「コンマス弾きをせよ!」
というご意見もありました。
これは、指揮者の意図を私なりに汲んだ上で、私なりに歌とのアンサンブルを壊さないようにと(演歌のバックバンドなんか思い浮かべながら)イメージした上で抑えめに弾いたのですが、それでは「コンマス弾き」ではない、ということなのでしょうか? それとも、別の理由なのでしょうか?
私は、そうでなくても、ショスタコーヴィチでご披露した通り、ソロの腕のいい人間ではありません。ただひとえに、「ソロ」と「コンマスの役割」は別物である、というふうにしか、認識をしておりません。
ですので、「コンマス弾き」という用語が何を意味なさっているのか、皆目見当がつかず、困惑しております。

かように知恵に乏しい状態では自分自身おぼつかないですね。
以上2点を鑑みますと、せっかく私をおもしろがって下さった方もいらっしゃいましたけれど、コンマスとしては、このような愚か者は、もう引退すべきでありましょう!

どなたか是非、この年齢層も技術レベルも幅が広く落差の大きなオーケストラを、もっと良い工夫をもって導いて下さる、すばらしい才能と人徳をお持ち合わせの方をコンマスにお迎え致したく存じますので、お申し出頂き、交代して頂けませんでしょうか?
(アンケートに以上をお書きになって下さった方は、おそらくこうしたことには精通していらっしゃるものと存じます。私は・・・全然無知ですから。)

心から歓迎申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 7日 (土)

ウェーベルン:作品6第3曲(20世紀音楽は普及しうるか-2)

まずは、聴いてみて下さい。音声はここにリンクしました。

(ブーレーズが出したウェーベルン全集のCDのうち、最初に録音した方のものから。)
どんなご印象でしょうか?
ご自分なりの印象が「かたまったら」、以下をお読み頂けた方が良いのですが・・・どうしても目に入っちゃいますよね。私の綴ることを先入観にしてしまわないようにだけ、まずはお願いしておきます。



できるだけ「私見」が目に入るのが遅くなるように・・・じゃあ、次に、この作品のスコアを載っけときます。
2ページ見開きですが、これで全曲です。(クリックすると拡大します。)
Webern_6st_3_1

いちおう、予備知識。
ウェーベルンは、生前出版出来た、あるいは出版できる見込みがたった作品は全部で31曲だけ。しかも、その中で最長の曲は、複数楽章を通しで演奏しても、15分にもなりません。
 『ヴェーベルン 西洋音楽史のプリズム』(春秋社 2004年)の中で、著者の岡部真一郎氏は、彼の作品の短さについて「ミニアチュール志向」と表現なさっています(スコアの英文前書きなどを読むと、学会一般での表現であるようです)。
私は以前、メーリングリストでウェーベルンを取り上げたとき、彼の音楽世界は、むしろ俳句と似た「ミクロコスモス」である、と思う、と述べました。今回当たり直してみて、
「俳句というよりは短歌かな」
と、改めて感じています。

未だ十二音技法が成立する以前の1909年に出来ていますので、十二音技法によらない「無調音楽」です。
作曲のきっかけは3年前の母の死です。
初演はウィーンで、1913年3月31日、師シェーンベルクの指揮で行われました。
このときのオーケストラ編成は、4Fl.(3,4 auch Kl Fl.),2Ob,EH,3Kl(3 auch Es-Kl), Bass Kl,2Fg(2 auch Kontrafg.),6Hr,6Trmp,6Pos,Basstuba,2Harfen,Celesta,3Tim, Triangel,Glockenspiel,Rute,Becken,Tamtam,Kl.Trom,Gr.Trom,Tiefes Gioken.,Str.
3管の一部倍管編成。ウェーベルンの残した管弦楽作品の中で最大規模だそうです。
その後、ウェーベルン自身は、自分の採った大編成が、かえって音楽の色をくすませ、時空をせばめていると感じ出したようです。
1928年、彼は思い切って、管弦楽器の縮小を主体とする作品の改変を行ないました。
 2Fl.(2 auch piccolo),2Ob,2Kl,BassKl,2Fg.(2 auch Kontrafg.),4Hr,4Trmp,4Pos,Basstuba,Pauken,Triangel,Glockenspiel,Tamtam,Kl.Trom,Gr.Trom,Tiefes Gioken.,1Harfe,Celesta,Str.(2管の倍管を基礎に、ハープ1台、打楽器1つを省いた)。
今回掲載した 第3曲の改変箇所は8カ所で、図版に挙げたスコアには、私が改変箇所をチェックした箇所に鉛筆書きのメモがあります。
で、上で聴いて頂いた演奏は、改定前の版によるものです。

全6曲は次のようになっています。()内の言葉は、ウェーベルン自身による、各曲への注釈です。
・第1曲: Etwas bewegte Achtel 19小節、1分10秒(カタストロフの予感)
・第2曲: Bewegt 27小節、1分25秒(その成就)
・第3曲:Zart Bewegt 11小節、1分00秒(微妙なコントラスト)
・第4曲: Langsam 41小節、4分35秒(葬送行進曲)
・第5曲: Sehr Langsam 26小節、2分30秒(エピローグ 追憶と諦念)
・第6曲: Zart bewegt 26小節、1分30秒(同上)

ウェーベルンが「音色旋律」を確立した、記念碑的な作品群の中の一つでもある、と、高く評価されています。


で、この中から第3曲目を聴いて頂いた訳ですが、いかがでしたか? 取っ付きにくい印象は、ありますか? ・・・以前は敬して遠ざけていたウェーベルンですが、私はこの第3曲で、彼の世界にぐーっと引き込まれました。 私の印象を言ってしまえば、この第3曲、森に囲まれた寺院の軒端で雨上がりを過ごし、軒端に落ちる雫を眺めるような安らぎを覚えさせてくれる。

主観はさておいても、構成が非常に「短歌」に似ています。
スコアを参照して試しに拍を数えてみて下さい。
四分音符(相当分)を1拍で数えますと、なんと32拍。まさに1字だけ字余りの短歌です。
が、ウェーベルンの短歌は、「五七五七七」ではなくて、「八五五八六」なんですけどね。

演奏時間は1分にも満たないのですが、多分、非常に理詰めで、納得がいくまで相当な時間をかけて作ったのではないかと思われます。
証拠に、聴いているだけでは絶対それと気づかないはずですが、12音音階のすべての音が、曲中にちゃんと、すべて含まれています。

曲は明確にコーダ付きの3つの部分に分かれていて、それぞれの部分に
・この部分では使わない音
・この部分で最も大事にする音(=その部分の中での主音または終止音)
が存在します。

私のアタマでは追いつかないので、最初は「名曲解説全集」をたよりに読み解こうと企んだのですけれど、この曲を解説している諸井さんはそこまでご親切ではありませんでした (T_T)
ですので、ウェーベルンが各部分にどんな「旋法」を想定したのか、ということまでは、私には理解出来ておりません。

仕方なくがんばりまして、以下に述べるところまでは、なんとかたどり着きました。ただし、旋律部分に限っての話です。和声付けを考え出すとパニックになってしまうので・・・外れてないかな〜? コワい。
・第1部(短歌の最初の2句に当たる)=1〜4小節:終止音は「C」。G#、A、B不使用
   念頭にあるのは教会旋法のフリギアか?
・第2部(短歌の3句目に当たる)=5〜6小節:終止音は「C」。やはり教会旋法のフリギアか?
  (フルート、ホルン、グロッケンシュピールによる「雫」がメジルシ!)C、C#、D#、Fのみ使用
・第3部(短歌の4句目に当たる)=7〜9小節:終止音は「C」。旋法の音高は明らかに第2部までと変わる。
・コーダ(短歌の5句目に当たる)=10小節〜11小節:終止音は「A」。だが、やはり教会旋法のフリギアか?
第3部からコーダまではC、E、F不使用。

どうも、単なる「無調」ではなくて、フリギア旋法が常に念頭に置かれ、それを「どう捻れば色彩豊かになるか」に腐心して創作されているように思われてなりません。で、細かく検討するゆとりと能力がないのが悔しいのですけれど、ウェーベルンがこの作品で試みている「旋法」の捻りは、ショスタコーヴィチにも、バルトークにも、どこか共通するものがある感じさえ受けるのです。

「無調音楽」とは「長調・短調」と呼ばれている「調」とは無縁である、というだけのことであって、背後にはかならず何かしらの(多くの場合は伝統的な)旋法が芯となって存在しているのではなかろうか、と、この作品などを聴いても、私にはそう思われてなりません。

いかがでしょうか?


CDは、改変後の1928年版の録音が圧倒的に多いです。以下、もう2年前の情報ですが・・・
私の聴いたCDは
・ブーレーズによるウェーベルン音楽の旧全集(SONY SM3K 45 845 1978-再1991)
新全集は未出版作品も含む代わり、9千円近い値段がしますので、3千円で出ているこの旧盤を見つけたら、断然お買い得です。Op.6は最初の版を収録。
・ Herbert Kegel "Alban Berg/Anton Webern Orchestral Pieces" 改変版を収録。
Rundfunk-Sinfonie- Orchester Leipzig(1977. BERLIN Classics 0090202BC 1995)
ミニチュアスコアはフィルハーモニア版で、改変前・後いずれも発刊されています。
・最初の版: PHILHARMONIA PH 433 池袋のヤマハで税抜2,600円!
・改変版 : PHILHARMONIA PH 394 池袋のヤマハで税抜2,100円!
まあ、興味があったら覗くくらいでいいんじゃないですかネ。。。

ということで、今回は、20世紀音楽の、とりわけ「無調」とされているもののなかから、実例を一つご覧頂いた次第です。
ご意見(ご異見)頂ければ勉強になりますし、間違いもあるかと存じます。ご指導頂ければこの上なく幸いです。
(23:23)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 6日 (金)

「20世紀音楽」は普及しうるか

「思いつき」、です。
で、今日は、この話題は、目的とするところの途中まででやめます。

注意点:ここでいう「20世紀音楽」は、CDショップで「クラシック」の棚に並ぶものに限ります。

「歴史は循環する」方の価値観に従って、18世紀・19世紀・20世紀の主要作曲家を対比してみましょうか。
絞り込みには苦しむところですが、各々1〜3名としましょう。19世紀までは、日本人の間で知られているのがドイツ系が主なので、どうしてもそうなってしまい、それが難点ですけれど。

18世紀
初頭の巨頭:コレルリ、ヴィヴァルディ
中期の巨頭:J.S.バッハ、ヘンデル
後期の巨頭:ハイドン、モーツァルト
最流行作家:テレマン

19世紀
初頭の巨頭:ベートーヴェン
中期の巨頭:ベルリオーズ、メンデルスゾーン、シューマン
後期の巨頭:ワーグナー、ブラームス、チャイコフスキー
最流行作家:ロッシーニ、オッフェンバック

20世紀
初頭の巨頭:マーラー、R.シュトラウス
中期の巨頭:バルトーク、ストラヴィンスキー
後期の巨頭:ショスタコーヴィチ、武満
最流行作家:コルンゴルト

21世紀は?  いまのところは保留でしょうが、個人的にはペルト、タン・ドゥンあたりは注目しています。

18〜19世紀は、間違いなく、割とたくさんの人にその作品が聴き続けられていますね。ただ、「最流行作家」にあげた人の作品は全貌を聴きたいという興味がそそられにくい、という立場に追いやられている点には注目しておきたいと思います。いずれもようやく最近、CDやDVDが盛んに出るようになって「見直し」機運が私たち末端の愛好家にも染み付き始めたばかりです。

20世紀については、どうでしょうか?
「音楽史」ですと「調性が破壊された」ことが強調されるので、名前は知っているけどそんなに聴こうとは思わない、というのが、多分、四半世紀前くらいまでの風潮だったと思います。
ですが、今こうして名前を並べてみると、少なくともここにあげた20世紀の作曲家の作品は、最近では以前の作曲家に劣らず、聴かれるようになったと思います。

ですので、おそらくは「現代音楽は損をしている」(というときの「現代音楽」は、実はまだ20世紀末までの音楽を意味していることが多いのではないでしょうか)という先入観がまだまだ根強い割には、標題の
<「20世紀音楽」は普及しうるか>
という問いに対する答えは、
「Yes,Ja,Da,普及しうる!」
なのではないか、という、非常に単純な結論で
「なあんだ、それだけ?」
・・・ハイ、それだけです。

ですが、20世紀音楽は、ではどういう特徴であるが故に普及しうるのか? という、次の問いがあります。
それは特に、ここに名前を挙げなかった、いわゆる「無調音楽」を書き続けた人びとの作品に接する際に喚起されやすい「問い」です。
で、上のリストの中では、とくに「中期の巨頭」として挙げたバルトークとストラヴィンスキーが、この問いに一番近い位置で観察されうるかと思います。

これを、しかし、この人たちの作品ではなくて、ウェーベルンの、ある小さな作品を観察することでひもといてみたい・・・
このあいだ「固定ドか移動ドか」という記事(これがブラックユーモアだということはコメントのほうに記しました)を綴ってみて、この観察をし直すことが、何かとても大事なことのように思えてならなくなりました。

という次第で、この続きを、近日中に綴ってみたいと思っております。

しょーもない話題で失礼しました。



東京ムジークフロー第44回定期演奏会の、演奏の音はこちらで聴けます。併せて(私個人の偏った視点ではありますが)反省もお読み頂けますよう、お願い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 5日 (木)

「損か得か」と説得力・・・それが大事なのでしょうか?(付:グリーク「春」)

028947763260以下、たかだか「いちクラシック音楽ファン」の発言としては不遜であることを重々承知の上で綴りたいと存じます。

今日、息子の参観日に行くことが出来ました。
それを赦して頂ける環境に置いて下さっているどなたにも、感謝しております。
なおかつ、変わらず子供たちを大切に面倒見てくれる学校の先生方にも、心から御礼を申し上げます。

ですが、参観した授業の「テーマ」は、私にとってはちょっとガッカリ、でした。
「掲げた問題をみんなで討議し、説得力があった方はどっちかを評価しよう」
という趣旨だったかと思います。
で、子供たちが今日のために苦心して選んだ「討議すべき問題」は
・上の子と下の子では、上の子の方が得である
・都会と田舎では、都会の方が得である
それぞれに賛成か反対か、というものでした。

二つの点が、非常に残念でした。

分かりやすい方からいきますと、何故、子供たちは「得である」か損であるか、という問題しか選ばなかったのでしょうか?
で、そうなった理由はどうあれ、では、「得である」といこと、「損である」ということは、本質的にどういう意味を持っているのか事前にそういう話し合いを、子供たちのために設けてあげていたのでしょうか?

で、もう一つの点は、まるで古代ギリシャ・ローマの「弁論術」を思わせるような、「損得のどちらの論者により説得力はあったかを評価する」という、まるで化石のような結果への誘導を、何故なさらなければなったのでしょうか?・・・このことには、「説得力があった方が勝ち」という勝敗論が、潜在しています。そのことにお気づきでなさったことなのでしょうか?

たまたま見てしまった小さな一つの例にすぎないのかもしれず、先生も、おそらくは子供たちの「心を開く」ことを目標に、苦心して探し出し、考え出した方法なのだろうとお察しします。ですので、こんなクレーム的な文言は綴りたくないのですが、なんだか悲しくなってしまい、どうしても綴りたい気持ちを抑えられませんでした。

すでに小学校という場所で、もしかしたらこの子たちが20代になって自活するようになっている頃には変貌を強いられているかもしれない、ただし現状ではまだまだそのままに保持されている「20世紀末期日本的資本主義社会の企業の倫理」を、十歳そこそこの子供たちが身につけなければならない、固定観念化しなければならない、というのでは、この国の寿命はもはや風前の灯なのかもしれない。。。
そんな、非常な危機感を感じざるを得ません。
(念のため申し上げますが、私は「右でも左でもありません、党派政治は大嫌いです」。)

第二次世界大戦の敗戦で焦土と化した国土を再び隆盛に導いた日本人は、すばらしい。
しかし、その時私たちの先輩が必死で考えたことは、果たして「儲けさえすれば豊かになる」ということだけだったのでしょうか?
バブル期に、「これからの日本経済は不況一点張りになっていくのではないか」問うた私に、目の前で楽天的な観測しか述べなかったOBさんを、私はいつも思い浮かべます。
「日本経済が、衰える訳がない!」
・・・結果は、どうだったでしょうか?

さらに、私たちが今日愛する、特に奈良の文化財は、出来た当初は極彩色だったことも、今では常識ですよね。
今なお極彩色だったら、それらの文化財を、私たちは今と同じように愛したでしょうか?
愛したのだったら、どんなに無理をしてでも、その色合いが元に戻るよう、寺院の柱には絶えず朱が塗られ、仏像には金が塗布され続けたのではないでしょうか?

貧乏がいいわけではありません。その厳しさは、近い国にさえいくらでも例を見ることが出来ます。
ただ、私たちが本来愛し続けてきた文化は、色合いがさびても、滑らかさが削れてしまっても、変わらずそこかしこに残り続けている「心の豊かさ」だったはずです。そしてその「心」とは、「得か損か」を超えて、たとえ隣人の労苦に直接なんとかしてあげられる力までは持てなくても絶対に忘れてはいけない、と自分たち自身に言いきかせ続けてきた「慈悲の心、いつくしみ・愛する想い」ではなかったのか・・・

先日、私の所属するアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの定期演奏会で、そのピアノ協奏曲を取り上げたグリークも、自国の本当の独立を夢見つつ音楽を奏で、作り、幸せなことに、独立を目撃してから亡くなることができました(H氏遺稿をご参照下さい)。
日本のように「二千年近く独立国だった」と平気で口に出来るところは大変に少なくて、グリークの国ノルウェーにしても、シベリウスの国フィンランドにしても、バルトークやコダーイの国ハンガリーにしても・・・とにかくヨーロッパをも含め、「自国」・「自分」というアイデンティティを保持するのに多大な労力を注いできた、というのが大多数の地球人なのでして、この点で日本人は実に幼稚である、と、あらためて感じてしまった次第です。

僭越な発言で恐れ多い限りですが、深い悲しみをもって、今日はあえて綴らせて頂きました。

お口直しに、
亡妻が大好きだった歌曲の中の一つです。

『グリーグ: 歌曲集』アンネ・ソフィー・フォン・オッター/ベンクト・フォシュベリ(ピアノ)
DG Deutsche Grammophon/Grand Prix 4776326

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 4日 (水)

モーツァルト:「小クレドミサ」K.192

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



今回のK.192では、「クレド」の章は演奏例が聴けます。参考になれば幸いです。

作品概観で挙げた、この年のモーツァルトの「教会関係」の作品のうち、「墳墓の音楽」K.42は以前に作られたものへの書き足しをしただけですので、省きます。(既に記事を綴っていました。すみません。)
「ミサ・ブレヴィス」については、K.192(へ長調)は6月24日、K.194(ニ長調)は8月8日に完成しています。
また、この年かどうか分からない「雀のミサ」もあります。

今回は、K.192を読んでみましょう。
(私は高校生のときだったかな、演奏する機会がありました。いい曲ですヨ。)
この曲については、NMAよりもCarus版のスコアの方が、曲の構造について詳しい分析を載せてくれています。分析はドイツ語で書かれていて、その要約が英語とフランス語で掲載されています。ドイツ語のほうも、音楽好きな人にとってはそんなに難しい文章ではないので、要約の方を参考にドイツ語本文の方もお読みになると、案外、内容は把握できるのではないかと思います。

前提として、数年後にモーツァルトがイタリアのマルティーニ師に書き送った、次の書簡の言葉を念頭に置いて下さるよう、あらかじめお願い致します。

「・・・荘厳なミサを(ザルツブルク)大司教がじきじきに執り行います時には、45分以上にわたって続いてはならないのです。・・・」(海老沢敏訳)

以下の説明は、くどくて大変お読みになりづらいと思います。ですが、もしこのミサをお聴きになるのでしたら、モーツァルトが如何に「言葉を大切に」このミサ曲を作り上げたか、のヒントとなるように、と祈りつつ綴りますので、何卒ご容赦下さい。("Credo"のみについては、理解しやすいように音をリンクしてあります。)

K.192(へ長調)は、「小クレドミサ」として有名で、"Credo"の章には彼の最後の交響曲「ジュピター」のフィナーレでフーガのモチーフとなった<ド・レ・ファ・ミ>音型が繰返し繰り返し、大切に扱われて登場します。(この動機は交響曲第33番の第1楽章にも使われています。)
おそらく大司教から課された短い演奏時間制限のせいで言葉の意味が粗末に扱われるのを避けようと、必死で努力したのでしょう、このミサ曲、随所にカノン又はフーガを意識した書法が取られていて、耳にしたときの軽快な印象とは異なり、詞句が決しておろそかに歌われることが無いよう、かなりの配慮がなされています。
ついでばなしですが、(シューベルトの作例にも見られますから)通例だったのでしょうか、"Gloria"と"Credo"の章は、冒頭部分はK.194では2つの章共に、K.192では前者のみ、グレゴリオ聖歌の最初のフレーズが歌われます。「雀のミサ」や他のこの時期のミサ曲も同じだったかな・・・うろ覚えです、すみません。
したがって、ザルツブルク時代のミサ曲でモーツァルトが作曲したのは、この2章に関しては基本的には聖歌で歌われるフレーズの後に続く詞から、となっているはずです。このことは今度K.194を読むときに改めて見てみることにします。


K.192の話を進めましょう。

1. Kyrie(Allegro,F,4/4)
属音から主音へ五度下降し、その主音が八分音符ですぐにオクターヴ上昇する(第1、第2動機。続けると「そーどド」と聞こえるわけです。最後のドをカタカナにしたのは、この音だけ高くなるんだよ、とイメージしてもらうためです、ハイ。)、という、非常に開放的なモチーフで曲を開始します。この「明るさ」が、<クソまじめ>の流行った19世紀中盤以降、「モーツァルトの宗教音楽は世俗的だ」と遠ざけられる要因になったのでしょう。
五(四)度下降(「ソ-ど」・「ファ-ど」)、オクターヴ(ど-ド)または六度(み-ド)上昇は、この楽章で非常に重要な働きをしていますから、たしかに、この自然な跳躍のおかげで、明朗快活な印象は章全体を蔽うものとなっています。ですが、それを保つ工夫たるや、実にこまごましたものです。なにせ、73小節っきりのなかに、「神の憐れみ」への信頼を集約しなければならなかったのですから。(ですので、19世紀の評価はお門違いです。)
最初は器楽のみで始まり、声楽は12小節から、まずバスの歌い出しで始まります。この歌い出しが、器楽部分の第3動機を活用することから始まっている(そのため、全く新しい旋律で歌が始まった、と感じてしまう)点に、聴き手はまず驚かされたはずです。人々がそれまで聴いたことのあるミサ曲は、多分、器楽で始められたそのままで歌も始まるのが通例だったはずで、モーツァルトはまずそんな聴衆の耳を裏切ることから<神は必ず私たちを憐れんでいて下さる>ことを強調して見せている。バスが開始したこの新音型は、テノール、アルト、ソプラノへと、順次、凝縮されたフーガのように積み重ねられていきます。合唱が初めて斉唱になるのは、フレーズの締めくくられる25小節目です。
26小節から38小節目までは、独唱者たちによる四重唱となり、39小節目で再びソプラノによって合唱が始まる(ここから"Christe eleison"となります)と、今度こそ歌い始めは器楽の冒頭の第1、第2動機に添ったものとなります。この二つ目の合唱セクションは、ソプラノとアルト、テノールとバス、の2グループを形成し、二重カノン風に作りこまれています。すなわち、「キリストには神への仲介をしっかり頼まなければならないなあ」という風情になっている、とでも言うべきでしょうか。
46小節目からは最初の合唱とそれに続く四重唱の再現で、簡単なコーダを付して章を閉じます。

2. Gloria(Allegro,F,3/4)
続くクレド楽章の主要動機を予見させるようなメロディラインを、ソプラノが美しく斉唱することで曲を開始します。この斉唱は2つのヴァイオリンの蔦が絡んで、イルミネーションを見せてくれるような印象です。。
7小節目から13小節目まで四重唱がカノンで"bonae voluntatis"を歌い、14小節目で合唱がこれを輝かしく締めくくります。
以下、章全体は、"Kyrie"とはやや異なり、カノン的な部分は見られても、どちらかというとホモフォニックに作られています。・・・相手にしなければならない言葉が多いからなのですが、これは次章の"Credo"にも共通することです。
"Laudamus te"以下は、「賛え」「栄光を感じ」「感謝をささげます」「その大いなる栄光に」の各句にふさわしい音型を模索しつつ繋げたかと思われ、これだけ盛りだくさんの内容を、38小節目までの22小節間でやり遂げた集中力には感嘆の念を禁じ得ません。
38小節目から、前節に折り重なるようにして中間部に突入します。曲調は、「主よ、天の王よ、神の一人子よ」と呼びかけるのにふさわしい、切なさを帯びたものへと変貌します。「我らの罪を除き給う神の子羊よ、憐れみたまえ」、までのこの切ない訴えは、110小節までですから、73小節の長きにわたるもので、このミサ曲全体の中でも例外的な部分です。
終結部は111小節から138小節までは神のみが高みにあること、およびイエスへの賛美、139小節から157小節は聖霊と父なる神の賛美、と、「三位一体」信仰を称揚する輝かしい曲調で、この詞句の締めくくりにある"Amen"を159小節以下179小節まで集約して歌い上げる、という構成です。

3. Credo(Allegro,F,4/4)
このミサ曲を、一連の「ザルツブルク・ミサ」の中で最も有名にしているのは、先に述べた、「ジュピター交響曲」に使われることになる「クレド」動機(ド・レ・ファ・ミ)がこの章に頻出するためです。Carus版のスコアも(そしてまたNMA版の解説も)、この動機の用いられ方に最大の力を注いでいます。
なるほど、この動機の使われ方は、おそらくは当時のどんなミサ曲に比べても特殊なものなのでしょう(いろいろは聴いていませんから真実はわかりませんけれど)。何故なら、「クレド」動機は、他に呼び名をつけようがない・・・この動機が現れるところ、前半部は全て「クレド」という言葉が付せられているからです。
ですので、この動機が現れるところでは、必ず、お決まりの「詞章」が区切られてしまうことになります。
何を意図して、モーツァルトは、こんなことを「しでかして」しまったのでしょう?
「クレド」動機が現れる個所を確認することで、謎解きしてみましょう。
なお、各「・」のあとの色の変わっているところに音声をリンクしましたので、聴いてみて下さい。
〜詞章が"Credo"で始まるのですから、これは、まあ、あたりまえか。「天地を支配する神を信ず。」
〜本来は「そしてまた神の一人子なるイエス・キリストを。かつは・・・云々」と、前から一気に続く句なのですが、ここで改めて「キリストをも信ず。」としているのですね。
〜この部分では、単純に「クレド」動機を示すだけでなく、「クレド」という言葉に対し切迫感をもった装飾を施しています。調もニ短調へと変わっています。それに続いて11小節間は四重唱となり、神の子の「純なること」を「信じる」、と、この重唱もまた36小節目以降でト〜ハ〜ヘ〜変ロ長調というカノン(というよりかなり凝縮したフーガのつもりだったのでしょう)で締めくくるのです。「以下、本論を始めます!」という宣言のつもりでしょうか。
〜これよりまえ、「主は我々のために天から下っていらしたのだ」と合唱が歌い上げています。これを受け、「ではどんな手段で天から下ってきたのか」、その理由をも「信じるのだ」ということを表明する、接続詞的な用い方をされた「クレド」動機の登場です。で、「信じられる」天から地上に至った方法は、「処女マリアより生まれたもうた」ということになるわけです。
で、続く「クレド」動機は、これまでに比べると例外的な現れ方をします。ここには物理的要請(演奏時間制限)を逆手に取ったモーツァルトの知恵を感じます。
〜ここでの「クレド」動機(ハ短調)は、"Crucifixus"・"sub Pontio Pilato"・"Passus"の、それぞれ受難に関わる言葉を付されていて、「クレド」動機の象徴する「信条」の最たる意味を全て明らかにしているのです。以下、"et sepultus est."等々の部分は経過句として取り扱い、音楽が単調になることを回避しています。
〜「クレド」動機は、ここでは「受難」の悲しみにふけるように、弱音で歌われます。続く75小節からの合唱で、キリストの再生をフォルテで力強く歌い上げる、その効果を最大限に高めるための、小粋な演出です。
〜この部分は、27小節と類似した「クレド」動機の扱い方をしています。調も、同じニ短調です。四重唱が続く点も似ています。章句の違いにより、四重唱部分ははじめは音型が異なりますけれど、やはりこれもト〜ハ〜ヘ〜変ロ長調の「クレド」動機によるカノンで次の節へと移行します。このカノンを挟んで105小節目から109小節目までは合唱による小結尾となります。
〜109小節でフェルマータで区切られた後、バスのソロが「クレド」動機の後半部を変形し、言葉も「クレド」ではないものに変えて5小節間独唱します。それを残る3小節で合唱が受け、117小節でフェルマータとなる。これは最後のクライマックスに繋げるための経過的なセクションです。
からは、言葉は"Et vitam ..."と変わりますけれど、「クレド」動機の本領を発揮した、見事な終結部です。128小節まではフーガ、129〜131小節は、その残り火になっていて、132小節から137小節まで繰り返される"Amen"の断片は、やはり「クレド」動機の変形と見ることが出来ます。
で、弱音で「クレド」動機を"Credo,Cdedo"と歌い、この章は敬虔な余韻を残します。
・・・ということで、せっかくですから、 を通しでお聴き下さい。
なお、お決まりの動機を「クレド」の言葉の部分に使う、という手法をとったミサ曲を、モーツァルトは後年もう1作作っています(K.257)。・・・私個人は、今回取り上げたK.192の方が「クレド」の出来は良い気がしますが、どうでしょうか。

4. Sanctus(Andante,F,3/4), Hosanna(Allegro,F,4/4),
Benedictus(Andantino B,3/4), Hosanna(Allegro,F,4/4)
・・・は、まずは定型的な作り方だ、と言ってしまって片付けても良いでしょう・・・って、"Credo"読むので疲れちゃったのよ。。。
ただ、この作品だからとりわけ、という特徴がこの章に無いのは、僕が疲れようが疲れまいが関係のない、変えようの無い事実です。
モーツァルトが力を抜いて作ったから、というのではありません。
"Sanctus"(最初の18小節)は、1stViolinのシンコペーションの美しい部分ですし、"Hosanna"はたった12小節ですけれど、良く整ったフーガです。
ですが、通常メロディックに作られる"Benedictus"(36小節)は、そのお決まりどおりの純粋にホモフォニックな、そのかわりとりわけ「深み」も追求されてはいないものですし、それも含め、この章を構成する全てに、前3章のような労力は注がれていません。
労力が注がれてない、即、音楽として優れていない、ではないことは、しかし、承知しておく必要はあります。誤解が無いよう祈るばかりです。

5. Agnus Dei (Adagio d,4/4〜Allegro moderato F,3/8)
一転して重々しいニ短調に始まりますが、伴奏の音型に非常な工夫が見られます。
もだえるような16分音符の1stViolinの下で、2ndViolinは胸元で胸をかきむしるしぐさをしているようですし、バス声部はある意味では定型的ですが、重い足取りを象徴しています。この調子で、"miserere nobis"まで音楽が24小節続いていきます。
25小節目からは採集の100小節目まで、一転してイタリア風シンフォニアの終楽章の雰囲気をもった、軽やかな曲調となります。この部分で歌われる歌詞は"dona nobis pacem(我らに平安を)"のみです。
"Agnus Dei"全体を暗い曲調、あるいは心が静まっていくようなエンディングで仕上げていないのは、ミサの式典を「明るく終えよ」という要請でもあったためでしょうか?
ただ、この時期、"Agnus Dei"の前半部だけでも短調で作られる、というのは、作りかたとしては主流派では無かったのではないかなあ、と思います。(以下は、コメントでのBunchouさんのご指摘の通り、誤りです、楽譜ちゃんと確認しなかった! 怠慢です。ごめんなさい。「間違った」証拠として残しておきます。ここから)このミサ曲に続いて作られたK.194の"Agnus Dei"は、全体が長調です。ただし、曲調は穏やかな雰囲気で一貫しており、最後を華やかめに終わる、に留めているのが、このK.192と大きく異なるところです。(ここまで大間違い!)
ともあれ、前半部を短調にすることで「祈り」の切実さを訴えよう、と、この作品についてはモーツァルトはそんな意図をもって臨んだのかも知れず、そしてその狙いは見事に当たっていると言って良いと思います。

相変わらず下手な説明で恐縮でした。
"Agnus Dei"の作法については、一般的にはどうだったのか、は、私の宿題とさせておいて下さい。

スコアはNMAでは第1分冊に収録されています。1975年校訂譜です。
Carus版は40.625/07というナンバーが付されており、1990年に校訂された譜面になっていて、通奏低音のオルガンは和声を補記されています。コードはISMN M-007-07401-2です。

安いCDはこちらですが、私はこのCDでは聴いていません。

ミサ曲はCDでは全集でまとめ買い、でしょうか。。。でも、ちょっと、この国内盤全集では、高いなあ。。。




モーツァルト大全集 第21巻:ミサ曲全集(全18曲)


Music

モーツァルト大全集 第21巻:ミサ曲全集(全18曲)


アーティスト:オムニバス(クラシック),マティス(エディット),ラング(ローズマリー),ハイルマン(ウーヴェ),ローテリング(ヤン=ヘンドリク)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2006/02/22

Amazon.co.jpで詳細を確認する

「クレド」で引用した演奏はずっと以前にフィリップスの全集で出たものをバラ売りしているのを入手したもので、ヘルベルト・ケーゲル指揮/ライプツィヒ放送合唱団/ライプツィヒ放送響の演奏です。



東京ムジークフロー第44回定期演奏会の、演奏の音はこちらで聴けます。併せて(私個人の偏った視点ではありますが)反省もお読み頂けますよう、お願い申し上げます。

チャイコフスキーコンクールヴァイオリン製作部門で優勝・第2位・第4位を獲得した菊田さん、高橋さん、天野さんについて紹介させて頂いた記事はこちら

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年7月 3日 (火)

曲解音楽史14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断

チャイコフスキーコンクールヴァイオリン製作部門で優勝・第2位・第4位を獲得した菊田さん、高橋さん、天野さんについて紹介させて頂いた記事はこちら



前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国
    10)古代ギリシア11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ

ユーラシア音楽横断・・・などという大袈裟なタイトルにしておきながら、聞いていただくのは中国と日本の、2つの例だけです(比較のために前回のとは違うペルシャの曲をプラス1、しましたけど)。

前回、西暦紀元後のペルシャ音楽を一例だけ聞いて頂きました。
歌が中心の音楽でした。

音楽について、というよりむしろ、音階(旋法)について、詳しい理論付けを行なったのは、むしろアジアの方が先でした。
ユーラシア大陸の西側についてはローマ帝国期に遡れると思われる聖歌の例をあげましたが、それらについては音階(旋法)についておおよその決まり事はあったかと思われますが、のちにグレゴリオ聖歌に至って整理された結果を考慮すると、決まり事は「簡潔」な方向へと集約されていったとの印象を受けます。
これは、音楽の考え方のおおもとが古代ギリシャの自然音階(純正率)の発見であることと深く関係しているのかもしれません。

それにたいし、前回見たペルシャ音楽では、既に、現代で言う微分音までを含む複雑な先方が体系付けられていたことが分かっています。
同じ事はインドの音楽理論にも言えますし、インドに付いては、その伝統のままに複雑な旋法を生かした演奏が、いまなお連綿と受け継がれているのは、ご承知のとおりです。

で、これがだいたい西暦紀元3〜7世紀のことです。
もともと、ペルシャの音楽が特に東ローマと強い相関関係を持っていたことは・・・前回触れましたっけ?
そのうえでさらに独自の複雑な旋法体系を確立しており、それが隣国インドにも影響を及ぼしていた、となると、
「漢の時代にはすでに中国からローマに使節が出向いていた」
事実が記録に残っている以上、敷衍すると、インドと似たような音楽への理論付けは中国にも伝わっていた、と考えた方が自然です。
実際どうだったのか、というので、次節でサンプルを聴いて頂きましょう。



漢の時代よりは後、三国志の時代に生まれた音楽との事(現存する楽譜は425年に初めて発見されたものだそうです)ですが、その後長く演奏されつづけた名作で、演奏に使われた楽譜は清朝時代(1876年篇)のものであるため、古態そのものとは言えません。

ですが、前回聴いて頂いたのとはまた違うペルシャの曲を聴いてみて下さい。 に比べ、どうですか? なんとなく似た印象が得られませんか?

中国では「史記」の書かれた頃には既に相当しっかりした音楽理論が出来上がっていましたが、「三国志」の時代になると、それをさらに複雑化していたことが分かっています。

理論のことは私は読んでもあんまり分かりませんので、京房という人によって「三分損益六十律」という複雑な体系が発案されたそうだ(すでに紀元前50年頃のことだそうです)、ということ、また紀元3世紀には木管楽器の音律を言ってみれば穴をあける位置を微妙に調整して整える「管口修正論」なるものが発見されたのだそうだ、ということ以上には触れません。中国音楽史の本は高価ながら手近に購入したり閲覧したりできるようになってきましたので、ご興味のある方は、是非研究なさってみて下さい。
エピソードとして面白いのは、「竹林の七賢人」の中のある人が、音楽はその響きに触れる人の感情を揺り動かしはするが、揺れ動く感情と音楽の間には一定の結びつきなどというものはない、音楽とは客観的なものなのだ、と主張した、という話です。これは「声無哀楽論」という書物に記されていることだそうです。

「流水」は、古琴という楽器で演奏されています。
古琴は、下図のような姿の楽器です。
Kokin

図と音声は中国唱片総公司発行の「中国古典音楽鑑賞」(1998、輸入元:株式会社ジェイピーシー)によりました。

また、手軽に参考に出来るアジア音楽の本としては、次のようなものがあります。この記事の記載も、この本によりました。




アジア音楽史


Book

アジア音楽史


販売元:音楽之友社

Amazon.co.jpで詳細を確認する




では、さらに、この中国音楽の流れは、日本にまで伝わってきたりしてはいなかったのでしょうか?

今、日本で聞くことの出来る最古の伝統音楽は「雅楽」であり、これは唐代(したがって7〜8世紀)になってから輸入されたものだと言われています。

その雅楽の中に、和琴という楽器で演奏された、独奏の例があります。
正倉院宝物復元楽器である和琴は下の写真のような姿をしています。
(上下のうちの、下の物です。上の方は「金銀平文琴」というものですが、中国の「古琴」に似ているでしょう?)
写真の出典は、山川出版社「シルクロードの響き」です。

Wagon

音を聴いてみて下さい。

どうでしょう、「流水」と似たニュアンスを持っているとは思えませんか?

和琴の紀元は、遅くとも古墳時代には求めえます。
ですから、ここで聴いていただいたような音楽は、もしかしたら、卑弥呼も聴いていたものに近いかもしれない。




シルクロードの響き―ペルシア・敦煌・正倉院


Book

シルクロードの響き―ペルシア・敦煌・正倉院


著者:柘植 元一

販売元:山川出版社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

シルクロード史も中国の「唐代」を中心に語られることが殆どで、日本にもたらされた音楽となると、なおさらそうではあるのですが、じつはもっと古い時期の音楽が日本にも残っている・・・
この曲を聴いて、ふとそんな「夢」を見ては悦に入っている私であります。

そうばかりもしていられませんから、この次は、また目を西に移して、中世ヨーロッパでも見ていきましょうか?



付)冷やかしたい方限定5
5つ目の課題は、「私」でなにか話して、それを今度は「私」以外の人称で話してみること、というものでした。
人称が変わると「私」として話していた文脈に筋の通らないところが出てくる、それを発見しなさい、直しなさい、という意図の宿題のようなのですが、最初に準備した文がそもそも同人称を変えても「おかしな」話なので、結局4つ用意したうちの最後のものしか語り口を変えませんでした。・・・あきまへん。あいかわらずSift-jis。けなしたい方専用。
「私〜あなた〜彼〜アタイ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 2日 (月)

綴ることがない日・・・

ないか、といえばあるのですが、未整理なのでやめました。
お手元でショパンの「雨だれ」でも弾くか聴くか・・・
そういう夜の過ごし方があっても、いいですよね。

・・・って、僕は「雨だれ」は弾けないので、ピアノを前に、いま、両頬に「雨だれ」。

あ、音を載っけようと思ったら・・・CDも行方不明だわ。。。

お粗末様でした!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月 1日 (日)

「固定ド」か「移動ド」か:付)リハビリ問題へのリンク

東京ムジークフロー第44回定期演奏会の、演奏の音はこちらで聴けます。併せて(私個人の偏った視点ではありますが)反省もお読み頂けますよう、お願い申し上げます。


チャイコフスキーコンクールヴァイオリン製作部門で優勝・第2位・第4位を獲得した菊田さん、高橋さん、天野さんについて紹介させて頂いた記事はこちら

昨日、ある年輩の方と娘のソルフェージュのことで話しました。
「それで、お嬢さんは<固定ド>で覚えています? <移動ド>ですか?」
「それが、<固定ド>だけなんで、<移動ド>も覚えさせなくっちゃ、と思っているところなんですけれどね」
「いやいや、<固定ド>でいいんですよ。現代音楽の譜読みは、<移動ド>ではとてもできない。」
「無調ですからね。」
「そうです。現代音楽をやっていかなければならないときには、<移動ド>というモノサシを持ってしまうと、つらい。」
「絶対音高で読めなければ、理解出来ない・・・」
「確かに、ロマン派以前は<移動ド>が自由に出来ることも大事だと思います。ですが、私は<移動ド>世代として勉強をしてきましたが、現実に、臨機応変に<移動ド>を駆使出来るようになった仲間を、ほとんど目にしていません。」
「後期ロマン派になると転調も複雑で、頻度も高いですよね」
「それを理解するのに労力を割いているうちに、本番の日がとっくにすぎてしまう・・・」

この会話、さて、どうお採りになりますか?
ご感想は、読んで下さった方にお委ねします。

音楽に限らないですむように図式化すると、
「基調」や「意味」が確立されていないものに対しては、「絶対的な目盛を持つ」物差しが必要
「基調」等があるものについては、物差しの目盛は可変であることが望ましいが、習熟が難しい

というのが、話して下さった年輩の方の主張したかったことなのではないかと思います。

音楽中心のブログに、しかもご本人にお断りする前に勝手にリンクを貼ってしまって恐縮ですが、健康診断の結果がいつもいいことに大満足だった家内が急死して以降、常々「健康とは何だろうか」という疑問を抱きながら読ませて頂いたのが次の記事です。

参議院選挙・リハビリ問題に対する各党の回答

キンキン@ダイコク堂さんが普段ご自身も奮闘し、特にこの記事で、奮闘している方のご紹介も積極的になさっている「リハビリ」問題は、上の2つのいずれをもって考えていくべき課題でしょうか?
遅かれ早かれ、すべての私たちが、私たち自身で経験することになる切実な問題です。

「ついで」記事のようで、かつ私の見方を述べてもおりませんので恐縮なのですが、以下のリンクをご参照の上、<私たち自身を考える>一環として、「リハビリ」についても思いを巡らせてみてはいかがでしょうか?

キンキンさんの「リハビリ日数制限問題」についてのおとりくみは、こちらでまとめて読めます。
・・・違う期待を抱かせるような標題で恐縮でしたが。

音楽の話に戻りましょう。
「移動ド」問題については東川清一さんが精力的に課題として取り組んできたことです。
「楽典の話」などの名著があったのですが、いま、見つけられません。
アマゾンでのご著作リストは以下のリンクの通りです。
「移動ド」・「固定ド」を考えるときに大きなヒントを教えてくれますので、ご興味のある場合はどれか一つでもお手にとって見て下さい。

東川清一さん著作検索結果

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »