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2007年7月27日 (金)

モーツァルト:Dixit et Magnificat K.193

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



ミサ曲を先に見てきましたが、1774年のモーツァルトの宗教作品の白眉は、5月に作曲されたK.195のリタニア(ロレトの連祷)です。(あ、概観では漏らしてしまったかな?)
ですが、このクライマックスを見る前に、後で作られた「雀のミサ」を除く2つのミサ曲の狭間に作曲された、"Dixit et Magnificat" K.193の確認をしておきましょう。ここまで終えてはじめて、K.195の真価が見えて来るかもしれない・・・と、一応、期待を込めて。

"Dixit et Magnificat"については、私の目が節穴なのでしょう、ド・ニの『モーツァルトの宗教音楽』中のどこにも関連記事を見つけられませんでした。まして他の伝記類では名前が出てくればせいぜい良し、という存在の作品です。
アインシュタインは、この作品についてはあまり好意的とはいえません。「派手すぎる」と言うのです。トランペット2本を伴いますので、確かに華やいだ感じの作品ではありますが、だから「派手だ」と断じてしまうのはどんなものでしょうか?
アインシュタインは、むしろ19世紀的価値観の延長で「言葉の意味に比べて、つけられた音楽が派手すぎだ」と言いたかったのかもしれません。さらには、二部からなるこの作品を「一緒くた」に考えてしまった結果でもあるように思います。あるいは、モンテヴェルディの名作「聖母マリアの夕べの祈り」が念頭にあったかもしれません。・・・ですが、モンテヴェルディは晩歌の音楽を振る作曲しているのであって、K.193でのモーツァルトとは条件が違いますから、比較は出来ません。(これは「仮想」であって、実際そうだった可能性はかなり低いでしょうけれど。)

"Dixit"と"Magnificat"は、録音で耳にするのとは違い、実際の式典のなかでは続けて演奏されることはないはずですから、とくに録音で接する場合には、この2つの間にいくつかの詩篇唱が挟まれる点を絶対に忘れてはいけません。・・・アインシュタインは、そんなことは考えてもいないようです。

"Dixit"(詩篇109)は、毎日行なわれる「晩課」の中で最初に歌われるものです。
これに続いて歌われる詩篇の違いによって、その日の晩課がどんな意味をもつか、が決まります。
番号は以前の聖書(って、どれくらい前だったかは知りません)によりますが、
109-110-111-112-113と続けば通常の(祝)日。
109-112-121-126-147と続けば聖母マリアの祝日。
109-110-111-112-116と続けば証聖者の祝日です。
それぞれのどれであっても、晩課は"Magnificat"を歌うことで締めくくられます。

このように、"Dixit"と"Magnificat"は分離して歌われるのですから、そのことを念頭において評価しなければなりません。

"Dixit"は、どのような内容のものでしょうか?
日本聖書教会の「共同訳」では番号が一つずつプラスされますので、"Dixit Dominus"は110番となります。その訳は以下のとおりです。


【ダビデの詩。賛歌。】
わが主に賜った主の御言葉。
(以下が、歌詞となっている部分)
「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。
あなたの民は進んであなたを迎える
聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ
曙の胎から若さの露があなたに降るとき。
主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って
あなたはとこしえの祭司
メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
主はあなたの右に立ち
怒りの日に諸王を撃たれる。
主は諸国を裁き、頭となる者を撃ち
広大な地をしかばねで覆われる。
彼はその道にあって、大河から水を飲み
頭を高く上げる。

http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi より引用。節分けは省略。)

歌うに当たっては、これに「栄唱Doxologia」と呼ばれる次の歌詞が付け加えられます。

父と子と聖霊に栄光あれ。
初めにそうであったように、今も
永遠に、世々に限りなく。アーメン。
(三ヶ尻正「ミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック」ショパン2001)

「栄唱」は、"Magnificat"にも付け加えられます。

"Magnificat"は「ルカ福音書」第1章47〜55節の言葉でして、沢山の作曲家によって多く曲付けされており、モーツァルトはK.193のほかにK.321、K.339の中でも"Magnificat"を作曲していますが、独立作は残していません。独立した作品の中で私たち日本人に最もなじみの深いのはバッハの"Magnificat"でしょう。
でも、バッハへの脱線は、今回はやめておきます。ただ、カトリックではないバッハがなぜ"Magnificat"を残しているか、は、ルター派は基本的にカトリックの「体制批判」をしたのであって、その典礼を否定したものではないためである、ということは、申し添えておきます。(そんなことはご承知かもしれません。失礼しました。)

K.193に戻ります。

特徴的なのは、"Dixit"と"Magnificat"に、モーツァルトは相似形をした構造で曲をつけていることです。

"Dixit"部も、"Magnificat"部も、それぞれ、「栄唱」を除く本文部分は一気通貫で作曲しています。
ただ、各々にふさわしい特徴づけも心がけていて、"Dixit"は2部音符-2部音符|付点四分音符-八分音符−二部音符|四分音符-八分音符4つ、という「動機」セットを本文部分の曲に(多少の変形や短縮は伴うとは言え)一貫して用いて「まとまり」を大切にしていますし、"Magnificat"では二重カノン的な開始部で「我が魂は主を崇め」の崇拝精神を顕現させることに努めています。
また、各々の「本文部」に現れる独唱は、(当時のモーツァルトはセバスティアン・バッハについての知識は皆無だったかもしれないにも関わらず)大バッハを髣髴とさせさえするバロック的な絡み合いを見せています。いや、これは大バッハを知っていた、いないに関わらず、ドイツ圏の音楽を知る人たちの間では伝統的な書法だったのでしょう。よくよく考えてみると、ヘンデルの宗教作品などにも共通する雰囲気がありますから。

「栄唱」部もまた、相似形です。
"Dixit"では72小節目から3拍子に変じ、テンポもAndanteに落として「栄光あれGloria」を開始し、88小節目から最後まではまたAllegroに戻って「(今も)永遠に」と歌い納めます。
"Magnificat"でも事情は同じで、85小節目から「栄光あれ」を3拍子で歌うのですが、こちらはテンポは変わりません。106小節目から最後までを「永遠に」としています。

ちょっと主観を強めに言えば、Gloriaがいずれも「わざとらしげ」な短調なのが、皮肉っぽくて、好きです。

いずれのセクションも、K.192及びK.194でと同じ様に、対位法的な書法への強いこだわりを見せており、コロレド代司教の元でモーツァルトが何を試みようともがいていたかが伝わってくるようです。

相似形のセクションが2つ連続で、しかもラッパを高々と鳴らして歌われたのだったら、たしかにアインシュタインのような印象は免れ得ないでしょう。ワンパターンな上に、うるさくてしょうがない、と感じる人がいたっておかしくはない。
ですが、上で見ましたとおり、この2セクションは「分離して」歌われるのが大前提なのです。
そのことを考慮した評価がされてこなかったのは、K.194にとっては大変不幸だった、という気がしてなりません。

かつ、これは当然、日々の晩課のためではなく、大司教自らが威厳を示さなければならない特別な日のために作られたのでもありましょう。トランペットは、大司教の権威を飾るために使われた、と理解すべきではないかと思います。
で・・・そうは言っても「式典は短く」主義のコロレドさん相手でしたから、途中の詩篇には一切作曲がされていない。
K.194は、あくまで、コロレドさんの入退場の音楽だったのです。
きっと、たぶん、おそらく、そうだったに違いないと思うのですが、如何でしょうか?

CDは独立したものは見つけていません。宗教曲集でも、全集にならないと収録されていないように見受けます。

ですが、決して「駄作」でもないし、「聞かなくてよい」作品でもありません。
モーツァルトのおかれたザルツブルクでの環境、そんななかで凝縮されていった彼の宗教音楽観を知る上では、むしろ欠かせない存在ではないか、と、私は感じております。

スコアはNMAでは第1分冊、Carus版はISMN M-007-07249-0です。

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コメント

確かにK193のCDは全くといっていいほど見かけないですね。
充実感では小クレドミサK192や、ミサブレヴィスK194にも引けを取らない作品なので、
少なくともモーツァルトファンの人には是非とも聴いてもらいたいと思っています。

K193のCDはCarusから出ている
「Salzburger Kichenmusik 1774」
という題のアルバムだけ持っていますが、これはオススメしたいです。
指揮はK167の記事でも紹介したペーター・ノイマンです。K192~K194の三曲と、K273が収められています。
ただ、ドイツからの輸入盤なうえに現役盤かどうかも不明です。僕は、ある合唱CDのサイトで昨年手に入れました。

投稿: Bunchou | 2007年7月27日 (金) 23時59分

Bunchouさん、いつもありがとうございます。
私はCDはPHILIPSの全集で保有していまして(第11巻、13枚、輸入盤)、この全集の通例でケーゲル指揮ライプツィヒ放送響の演奏です。
全集の演奏はベストが揃っているとは限らないので、ミサの場合とは矛盾するのですが、お勧めとしてはあげませんでした。
K.193をおさめたCDは、それでも関連作のK.125とK.195が併録されています。
Bunchou さんご紹介のものの方が、しかし、作品の特徴を理解するには良さそうですね。K.273が一緒だ、というのも魅力的ですねえ!

投稿: ken | 2007年7月28日 (土) 00時12分

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