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2007年7月28日 (土)

曲解音楽史16:唐朝と朝鮮・日本

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド   9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ    14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア



前回では、十字軍以前のヨーロッパを単体で扱うのは時代的に無理があるのが判明したため、地中海世界の中世前半を見てきました。
このころ、日本はまだ古代にあたります。
ですが、地中海世界の東に台頭したイスラム勢力、なかでもアッバース朝は、当時の中国を支配するに至った唐朝に「タラス河の戦い」(西暦751年)に戦勝しています。タラス川はキルギスに位置している事から分かるように、この戦いは、いわゆるシルクロード地域(西域)が当時いかに歴史的重要度が高かったかを私たちに知らしめてくれます。すなわち、この頃は、ヨーロッパ世界よりもむしろ、西域(中央アジア)のほうが、対外交流が盛んであり、商業も文化も栄え、または損得のもつれから争いごとも多かったことが明らかです。
森林の豊富なヨーロッパとは異なり、中央アジアは土地は砂漠や草原が多く、これに水源さえ確保すれば、むしろ互いに接しやすかったのでしょう。
ただ、この地域は多くの民族が入り乱れ、多くの国が興っては消え、統一支配勢力は約600年後のモンゴル帝国に至るまで現れなかった上に、そのモンゴルも案外短命でしたから、砂漠や草原という目印の極めて見つけにくい地理的条件が、その歴史を把握しようとするだけでも大変困難な状況をもたらしています。
で、西域については、また別途観察していきたいと思います。

また、中国についても、その古代的な姿はどうだったのか、しか見てきておりませんでした。
秦朝から漢・魏晋南北朝にかけての復元演奏はあるものの、現代的解釈が顕著すぎるようで、司馬遷が「史記」中の「書」にまとめた音楽理論以外は(そこから発展した後代のものの資料も目にはしやすくなりました)特別にとりあげ得るものも見いだし得なかったからです。

政治的には乱れ続けた中国ですが、乱れた中でも有力な国家が法整備に力を入れたりしたことで、ちょうどアラビアにイスラム勢力が誕生した時期、こちらにも隋・唐といった、あるていど安定した法治国家としての統一王朝が生まれ、音楽面の観察もしやすくなります。
隋は短命でしたし史料も適切なものが私には分かりませんので、以下、唐朝の音楽事情を見ていきたいと思いますが、唐の音楽を考える際には、地域的には東方面と西方面に、内容的には上流階級のもの・宗教(仏教)のもの・民衆のもの(これは詳しくは伺いにくい)、と区分してみていく必要があるかと思われますので、今回はまず「上流階級」について、日本に移入された「雅楽」を題材に、見ておこうと思います。



本来ならば「旧唐書」「新唐書」などを参照すべきなのでしょうが、手が回りませんので、唐の王室がどのように音楽を享受していたか、は、布目・栗原著『隋棟帝国』(講談社学術文庫 1997年)、柘植・植村『アジア音楽史』(音楽之友社 1996年)・柘植元一監修『シルクロードの響き』(山川出版社 2002年)によって簡単に見ておきます。
隋唐時代の音楽について最も明快にまとめているのは『シルクロードの響き』です。
これによると、隋以前の時代から、中国には様々な地域の音楽が流入していたことがよく分かります。インド、クチャ・カシュガル・ブハラ・サマルカンドなどの西域楽はもちろんのこと、カンボジアやベトナムなど、南方系の音楽も演奏されていたようです。
それらを整理したのが唐朝の宮廷音楽となっていった、と、極めて手短にまとめてしまえば、そういうことになるようです。
宮廷舞楽の演じられ方は白居易の詩の中で具体的に描写されているそうですが、申し訳ないことに、拝読しておりません。
ですので、『シルクロードの響き』所載の図版を一つ掲載し、器楽伴奏部の様子だけでも見ておいて頂こうと思います(<楽部壁画>7世紀、李寿墓のもの)。

Sougaku

さて、こうして多岐に取り入れられた音楽の中で「精髄」とされたのが<燕楽>でした。
歌・舞踊・器楽が一体となった大型楽舞」(『アジア音楽史』42頁)だたっとのことです。
基本的に
・序(自由リズムによる器楽合奏)
・中序(多くは叙情的でゆっくりとしたテンポの、器楽伴奏による歌唱)
・破(テンポを次第に速めていく舞曲)
の三部からなるものだったとのことです(同書同頁)。
燕楽を専門にする期間として「教坊」というものも設けられていたそうです(同書同頁)。
音楽を愛したことで有名なのは、楊貴妃とのエピソードでも名高い玄宗皇帝で、彼の「梨園」では三百人以上もの楽工や舞人が養成されたとも言われています(同書同頁他)。



さて、実際の音を聴いて頂こうと思うのですが、中国の古い音楽は、復元演奏の試みがなされ始めているとは言うものの、まだまだどうしても「現代的」演奏での録音が多く、本当に当時を忠実に反映しようと試みたものはなかなか見つけられません。「燕楽」に相当する、と信じて良いものには、私は残念ながら巡り会っておりません。
さらに、本来、関連させて見ていきたい朝鮮の音楽ですが、これも適切と思われる音声資料に恵まれません(それらしいかな、と思えるものは10世紀の音楽を演奏したものが最初ですが、中国の復元演奏よりは古態を保っているかもしれません)。
朝鮮や日本の「雅楽」は、この唐朝の、主として「燕楽」が伝来したものです。
正確に時間を計っての証言かどうかは分かりませんが、明治期にはテンポがそれ以前よりかなり遅くなった、という話もあり、日本の「雅楽」の演奏も「燕楽」を忠実にたどったものかどうか、あいまいである、としか言えません。
雅楽の中には「高麗楽」というジャンルもあり、これを朝鮮のこの時代の音楽として捉えることをしても良いのだろうか、と迷いましたが、今回は見送ることとしました。
すると、朝鮮に入った「雅楽」で時代が特定出来るのは<高麗>期(中国は宋の時代に変わるので200年くらいあとにはなってしまいますが)のものとなります。後で取り上げ損なうと申し訳ないので、次に聴いて頂く実例の最後に1曲掲載しておきます。

唐時代の音楽を比較的潤色無しに演奏したのではないかと思われるものと、聴くと同じ曲とは思えないのですが、タイトルの似ている日本の雅楽を並べてきいて頂きますので、できましたら、お聴きになっての印象をお教え頂ければと存じます。

まず、唐代の音楽。

似たタイトルの、日本の「雅楽」。

いかがでしょうか?

なお、「雅楽」では、日本で初めて作曲をした人物の存在も知られており、その曲も今日に伝わっています。

博雅が、一時期はやった『陰陽師』で「武士」として登場するのには、さすがに呆れました。
作品自体は面白かったのだけれど・・・作家って、そんなんでも勤まるのか、しかもヒットまでするのか、と思ったら。なんだかがっかりしました。源博雅は『今昔物語』にも登場する、平安時代きっての音楽家だったのに。そんなの、作家さんは知ろうが知るまいが関係ないんですね。・・・これは、余談。博雅については、いちおう、「補遺」を綴りましたので、ご参照下さい。

で、朝鮮の「雅楽(管弦)」から。
先ほど申しましたように、中国の宋代にもたらされたものです。日本の例に比べて華やかな感じがするのは、単に時代があとだから、なのでしょうか? その辺は分かりません。
COLUMBIA COCQ-84223

次回は、やはり同時期の、中国と朝鮮・日本の仏教音楽を見ていこうと思っております。

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