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2007年6月 5日 (火)

「やすらぐ」とは何であるか(ある翻訳に感じた危惧)


去る5月24日急逝された当団の名オーボエ奏者、昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって下さい。


また、追悼のために、バッハのカンタータ「神の時はいとよき時かな」をもお聴き頂ければ幸いです。


Antichrist笑い転げて、「やすらぐ」。
泣きじゃくって、「やすらぐ」。
抱いて、抱かれて、抱きしめ合って、「やすらぐ」。
撫でてやって、撫でてもらって、「やすらぐ」。
「やすらぐ」とはいったい、何なのでしょう? なぜ、「やすらぐ」ためには、こんなに幾つもの<手段>が必要になるのでしょう?

以下、表面上、話はここからずれます。

今日、本屋さんで、「キリスト教は邪教です」(ニーチェ「アンチクリスト」の現代口語訳とでもいうべきもの)を立ち読みしました。
ニーチェは標題通りキリスト教を邪教と決めつけ、仏教を(うわべだけですが)誉めちぎっています。碩学だったニーチェですが、かつ、私は特定の宗教、あるいは無神論を擁護したり排除したりする意図は全く持ち合わせていませんが(入信を強要したり不当な経済的利得ないし犠牲を要求する「宗教」は例外です)、この書でニーチェは「キリスト教そのもの(と言ってしまうとニーチェが否定しているイデア論を認容するので対等な議論とはならない難点があります、しかしあえてそういうモデルを設定します)」と「キリスト教会史」をごちゃまぜにしています。また、仏教教会にもキリスト教会と同様の紆余曲折があったことまでは視野に入れようとも思いつかなかったようです。そこにまず、ニーチェの「目の錯覚」が、あります。
そして、何よりも、この本は、「やすらぐ」ことが人間の内に占める重要さの核心について、ほぼ無意識的に本質論を回避しています。
「快いことが何故いけない? キリスト教はそれを禁じた!」
再三力説しながら、一方でエピクロスの快楽主義(ニーチェともあろう人が慣用語としてのエピキュリアン的意味合いしかそこに読み取っていないのが意外でしたけれど)をキリスト教と同断し、それならニーチェ自身がきちんと呈示しなければならないはずの「やすらぐ」方法論についてはショーペンハウエルらの考えに結論を委ねてしまっている。
・・・30分での一気読みなので読み落としがあったかもしれませんが、翻訳なさった方がこの点についてきわめて浅い解説しかしていないことも、非常に不満でした。
新書判だからですか? この本には、「いまを苦しむ」ひとのために懇切丁寧な解説が必要です。ただ分かりやすく翻訳したことを誇っているようでは、そのご人格を疑わざるを得ません。
あえて批判的に述べたのは、この書の内容が、普及の度合いによってはそれだけ今の時代の方向性を偏らせる可能性を大きく秘めているからです。解説で申し訳程度に「再ナチ化の危険」を語ったくらいでお茶を濁すような方には、この書を翻訳はして頂きたくなかったな。
ちなみに、中公クラシックス「ツァラトゥストラ」では、訳者のの手塚富雄さんはこのあたりを手を抜かずにきちんと解説なさっています。
(僕はキリスト教徒ではないけれど、キリスト教がターゲットでない、あるいはほかの著作の翻訳にしても、思想系の本には読み手に対する、著者の一方的な押しつけに終始するものは・・・自分はブログでさんざんそんなものばかり綴っていながら・・・どうしても「いやだなあ」と感じてしまいます。あるいは、いく例かあげてもいいくらいですが、よしましょう。)
いずれにせよ、ワーグナーという偶像を喪失した後のニーチェは、「ツァラトゥストラ」同様、自己が本来思索すべき方向性を見失ったまま、膨大な迷走を活字化し、世に送り出してしまった。この迷走は、残念なことに、原作者ニーチェよりも本質を突いた音楽の傑作、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」を生み出してしまいました。で、第2次大戦が終わり、結局シュトラウスの手元に残ったのは「メタモルフォーゼン」という、「やすらぐ」手だてを失ったむなしさだけだったことを、現代日本人もよく認識しておくべきです。
「やすらぐ」ことを見失った人間はどうなるか・・・その悲しいサンプルを綴り続けたのがショスタコーヴィチでした。もう一度その、第5交響曲 をお聴きになってみて下さい。宗教曲という課題をいまも追い続けているペルトもまた、依然として「やすらぐ」ところまで音楽を回帰させ得ずにいます。

音楽に限っても、私たちは見直す必要に迫られています。

笑い転げて、「やすらぐ」。
泣きじゃくって、「やすらぐ」。
抱いて、抱かれて、抱きしめ合って、「やすらぐ」。
撫でてやって、撫でてもらって、「やすらぐ」。
「やすらぐ」とはいったい、何なのでしょう? なぜ、「やすらぐ」ために、人はこんないろいろな行為を必要とするのでしょう?

キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 Book キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』

著者:フリードリッヒ・ニーチェ
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ツァラトゥストラ〈1〉 Book ツァラトゥストラ〈1〉

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ツァストゥストラ〈2〉 Book ツァストゥストラ〈2〉

著者:F.W. ニーチェ
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6月7日付記)「無神論」なら、これだけ徹底的に<宗教>の弊害を検証したもののほうが読むに値します。

神は妄想である―宗教との決別 Book 神は妄想である―宗教との決別

著者:リチャード・ドーキンス
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