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2007年6月 6日 (水)

「アホンダラ神童!くそったれ天才!」五嶋節さんのことば

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


5月24日急逝した当団名オーボエ奏者Hさんの昨年の名演を、こちらでお聴きになって下さい。


また、追悼のために、バッハのカンタータ「神の時はいとよき時かな」をもお聴き頂ければ幸いです。



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「天才」の育て方
Book 「天才」の育て方

著者:五嶋 節

販売元:講談社

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これも昨日立ち読みした本です。
記憶が、今日までもちませんでした。。。

著者は五嶋みどり、龍姉弟の母。
そのプライベートについても、「二人の神童・天才」の母であるがために、いろんなふうに世間の目にさらされてきました。
・・・そんなこと、どこ吹く風、が、節さんのすばらしいところです。

この本のタイトル、節さんははじめ、この記事のタイトルにした
「アホンダラ神童!くそったれ天才!」
にしたかったそうで、新刊本の帯にはこの文句があえて太字で書かれています。(8月24日付記:最近になって、帯の文句が奇麗ごとに変わってしまいました。節さんの意思ではないはず。残念!)
出版社の方が「まあまあ」というので穏やかなタイトルになりましたが、節さんの本音は、あくまで帯の文句の方です。
それが、さわやかでした。
よっぽど「買って帰ってじっくり読もうか」と迷って、とりあえずはあきらめました。

節さんが本文中で次のような意味のことを言っています。
「天才でない子はいない」
ただ、その子の才能が何に向くか向かないか、は、子供自身の判断だ、ということも言っています。(読み違えてるかな?)
だから、節さんにしてみれば、別に自分は狙って、あるいは計算ずくで神童や天才を育てたのではない、という意識が強烈にあるのだと思います。
「アホンダラ神童!くそったれ天才!」
これは、親としての節さん自身に向けた、厳しい反省の言葉でもあります。
・・・でも、タイトルについて節さんの要望が通っていたら、かえって節さんの意図は誤解されたかもしれませんね。

子供というのは生まれたその瞬間から一個の立派な人格で、独自の才能の持ち主である、ということには、私は心から賛成します。
子供は「大人」と呼ばれている人生の先輩から、とくに親から、この先の世間をどう泳いでいくか、方便を授かるだけです。
親としていかに、この「授与」を厳格に実施してきたか、それには自分自身がどんな苦しみを味わってこなければならなかったか、そしてついにはそれがどんな喜びを生んだか・・・しかし、さらには、「それでも将来のことは将来にならないと分からないものだ」という達観に至ったか。

本書はそんな大切なことを私にも教えてくれそうです。
たとえうちの子は後藤姉弟のようにはなれないとしても・・・今のままでは、まあ、まず親としての僕のあり方からしてダメですが・・・、本人なりの幸せな開花をしてくれる、と、節さんの言葉に励まされる思いでおります。

それを、私は私の言葉で、いずれ語れるようにならなければいけないのかな。

困ったな。死ねないな。(23:00)

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