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2007年6月28日 (木)

モーツァルト:1774年の協奏曲的作品

東京ムジークフロー第44回定期演奏会の、演奏の音はこちらで聴けます。併せて(私個人の偏った視点ではありますが)反省もお読み頂けますよう、お願い申し上げます。


チャイコフスキーコンクールヴァイオリン製作部門で優勝・第2位・第4位を獲得した菊田さん、高橋さん、天野さんについて紹介させて頂いた記事はこちら。菊田様・高橋様にコメントもお寄せ頂けました。「手仕事」の貴重な精神をお汲み取り頂ければ幸いです。情報を頂いたJIROさんに心から感謝申し上げます。

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

モーツァルト作品の中に「駄作」を探そう、だなんて捻くれた根性は、これっぽっちも持ち合わせていません。大好きだから「追っかけ」をしている。でも、1774年のコンチェルトーネK.190とファゴット協奏曲K.191、とくに前者には、「どっか半端だなあ」という印象をぬぐえずにいました。
いずれもザルツブルクの宮廷で大司教コロレドを前に披露した作品ではないか、という推定程度しか諸伝記に載っていませんし、詳しい曲の分析はあっても、作品の「魂」がどこにあるかは記述されているのを目にしたことがありません。せいぜい、例によって、アルフレート・アインシュタインの主情的な「白黒判定」がなされているだけです。
前回の交響曲と併せ、この年の5曲中4曲のオーケストラ作品は、上演時期が遅くとも6月初めまでに限られています。4作とも宮廷向けだったとして、ではなぜ、6月以降に「セレナーデ」1曲を除きオーケストラ作品が作られなかったのでしょうか? それについて合理的な説明が出来るのは、初演に立ち会った霊だけです。しかし、その証言を聞くために適切な霊媒師さんとは、私はお知り合いになっていません。

音楽でも「クラシック」は骨董品だけに、鑑定士以外には突っ込んだ興味で眺めるのは「物好き・変人」しかいないでしょう。本来、私たちには、「今、これがどれだけの値打ち・価格なのか」だけが興味の対象です。そのせいでしょうか、当時の宮廷と教会の文化的・風俗的関わりあいを研究した本にもお目にかかれません。あっても売れないのでしょうから、きっと高価で、私のような貧乏人には手が出せないでしょうね。「安い本」でのモーツァルトのザルツブルク時代に関する記述を読むと、このことが痛感されてなりません。
で、次のことを疑問のまま残しておきます。
・オーケストラ作品が原則として6月以降作られなかったのは、6月以降はその年のあいだ上演もされなかった、ということなのか?
・上演されなかったのだとしたら、それは宮廷の年間行事暦と教会の年間行事暦との間にあるなんらかの相関関係によるものだったのか?
・そもそも、宮廷と教会とは、(少なくとも上流階級の間では)どういう体系と常識で繋がりあっていたのか、あるいは繋がりが切れていたのか?
8月に出来るセレナーデを観察するとき、以上に対する回答のヒントがひとつでも見つかることを期待して、あとは具体的に作品をみていきましょう。

まず、「コンチェルトーネ」K.190です。
「これがなんで協奏曲と言えるんだ(作品表上は協奏曲に含まれています)!」
というのが、私の不満の種でした。独奏部に華麗な技巧が駆使されているわけではないので、
「なんだ、ルクレールの二重奏曲でも編曲したんじゃないの?」と耳を疑ったくらいです。
誤解されるといけないのですが、ルクレールは優れたヴァイオリニストでしたし、作品も優れたヴァイオリン曲ばかりです。
ですので、「耳を疑った」のは、モーツァルトは「コンチェルトーネ」ではルクレールに劣った出来しか示していないのではないか、という印象に由来します。
しかも、通常、コンチェルトーネの標題には「二つのヴァイオリンのための」という形容句が冠されていますから、なおいけない。実際には曲中ではオーボエも、終楽章ではチェロも、むしろヴァイオリンより効果的なんじゃないか、と感じさせるソロを奏でるのです。
しかし、これについては「二つのヴァイオリンのための」という句に問題があるのだ、ということが、NMAに載せられた自筆譜ファクシミリの第1ページを見て分かりました。
Mz_cntk190自筆譜のタイトルのどこにも、モーツァルトは「二つのヴァイオリンのための」などという言葉は記していないのです。だから、コンチェルトーネが「二つのヴァイオリンのため」だなんていうのは、嘘八百なのでありました。(図をクリックして拡大してみて下さい。)
「協奏曲とはとても思えない」という点は、コンチェルトーネという曲種名の捉え方で問題が解消します。
詳しい説明にめぐり合うことは出来ませんでしたので、いま、海老沢敏「モーツァルトの生涯」の記述を全面的に信頼しますと、コンチェルトーネはいわゆる現代的な意味での「協奏曲」とも、また「協奏交響曲」とも異なるジャンルとして考えられていたらしいのです。「協奏曲」や「協奏交響曲」は技巧的な独奏を盛り込むことを主眼としているのにたいし、コンチェルトーネの方は交響曲(もしくはシンフォニア、シンフォニー)の中にそこそこ効果的なソロを挟み込んで少しだけ面白みを出そう、という発想が強かったのだ、というふうにでも捉えたらよいのでしょうか? 他の作例を知りませんのでなんとも言えませんが、そうであれば、むしろバロック期のコレルリやヘンデルによる合奏協奏曲の延長線上にあるのが「コンチェルトーネ」なのだ、と思えば妥当な気がしますし、モーツァルトのこの作品の作りこみ方についても納得がいきます。
よく対比されるのはハイドンの交響曲「朝・昼・夕」の3曲、とりわけ「夕」ではありますけれど、ハイドンの方は協奏交響曲に近い。モーツァルトの方が・・・おそらくはイタリア経験も既に豊富でしたから・・・伝統にのっとっているのではなかろうか、というのが私の推測であり、したがって、この「コンチェルトーネ」を他の「協奏曲」と同じ耳で聞こうとしていた自分の耳が間違っていた、というのが、この作品に対する私の一応の結論です。(アインシュタインはこの点は適切な洞察をしています。)

では、ファゴット協奏曲K.191は、どうか?
こちらはこちらで、管弦楽だけの明るい呈示部の後、その管弦楽の終了した音と同じ高さの音からファゴットソロが始まる個所には、違和感を覚えざるを得ません。なにか、肩透かしを食らったように、気が抜けてしまいます。
同時代の作曲家に比べ、モーツァルトの書法は同等だったのか、劣っていたのか?
クリスチャン・バッハに2作のファゴット協奏曲があるのですが、残念ながらこれを耳にすることが出来ませんでしたので、後輩や次世代にあたるフンメル、ダンツィのファゴット協奏曲と比較してみましたが、二人ともファゴットの入りがその前の管弦楽から違和感なく繋がるよう音域や最終フレーズに充分気を使っています。それに比べれば、やはり、モーツァルトは稚拙だった、と言わざるを得ません。
こうした欠点にも関わらず、以後の独奏部を観察していきますと、モーツァルトはファゴットという楽器については知悉していた、と感心させられ、かつ、この楽器をいかにうまく歌わせるかに砕身していることも分かります。
カンタービレ部分の音域はファゴットが最も美しく響くテノール音域を逸脱することがありません。
また、カンタービレだけで単調にならないよう、ファゴット独特のユーモラスな、オクターヴ前後の範囲内での跳躍(ちょうどベートーヴェンの第4交響曲フィナーレを思い出させるような)を、特に最後の第3楽章において巧みに盛り込んでいます。
終楽章のユーモアは、しかし、先行する第1・第2楽章に含まれる劇的効果が存分に発揮されることによって引き立っているのだ、ということにも注目しておかなければなりません。
第1楽章には低いC音からg'音への19度も間隔の開いた跳躍があり、音階を駆け上がってb'音(おそらく高音域では苦しげにならずに聞ける最高音域の音)にまで達してみせたりしています。
第2楽章では、ファゴットの最低音である低いB音まで用い、それをオクターブ跳躍させて見せることで、優秀なバス歌手を連想させてくれます。
全般に、ファゴット協奏曲は「協奏曲」というよりは声楽によらない「アリア」・「独唱モテット」としての意識から作られたものだ、と捉えれば、第1楽章の最初の部分についても、何故器楽的には違和感を持ったままなのか、ということについて説明がつくものと思われます。
そう、これはこれで、「協奏曲」ではなくて、ファゴットという歌手に歌わせた「劇的アリア」なのでした。

"Concertone in C K.190"
I. Allegro spiritoso 4/4拍子、261小節
II. Andantino grazioso 3/4拍子、192小節
III. Tempo di Menuetto (Vivace) 3/4拍子、235小節

"Konzert in B fur Fagott u. Orchester in B K.191"
I. Allegro 4/4拍子、170小節
II. Andante ma adagio 4/4拍子、52小節
III. RONDO (Tempo di Menuetto) 3/4拍子、150小節

なお、ファゴット協奏曲は、K.284のクラヴィアソナタの愛称ともなる<デュルニッツ>伯爵からの注文で、翌75年、他のファゴットを伴う室内楽K.292と共に、あと3作つくられた、という話がありますが、現存する新作はこのK.191だけです。かつ、その自筆譜は散逸してしまった、とのことです。

CDは、今回採り上げた2作とも廉価盤で手に入るようになりました。(以前はなかなかありませんでした。)

スコアは、NMAペーパーバック版の第14分冊に、ヴァイオリン協奏曲全曲、管楽器のための協奏曲全曲と併せて収められています。

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コメント

k191は、これから始まる管楽器による協奏曲たちの記念すべき1曲目という位置づけです。この曲自体はう~ん i-podでもちょっと飛ばしたりしますが・・・。

投稿: ランスロット | 2007年7月28日 (土) 09時19分

合奏曲中で管楽器を扱うのと独奏楽器として管楽器を扱うのとでは相当勝手が違ったでしょうね。「ガンバリマシタ」的作品ではあります。それにしても、楽器の制約を良く調べていることが伺われて、モーツァルトも努力家だったんだなあ、と、つくづく思わされる「一品」ではありました。

投稿: ken | 2007年7月28日 (土) 09時33分

個人的にK191は大好きです。
K175のクラヴィーア協奏曲と同様、
既に高い完成度を誇っていてとても聴き応えがある(ように感じます)。
オケ伴奏部分もソロとしっかり会話をしており、その点でも秀逸だと思えますね。
Kenさんが指摘されている独奏楽器の入り方は、
ある程度狙ってやったことなのではないかと僕などは思ってしまいます。
「これこれ、これがファゴットだよね。」
と、聴くたびにニヤついているわけであります(^_^;)
そういう「フザけ要素」みたいなものは
古楽器のほうが感じやすいかもしれないですね。

一方のK190はどう頑張っても習作の域を出ないと思われます。
演奏次第である程度は聴けるようになるのでしょうけど、
やっぱりちょっと歪すぎますよね。
(第二楽章ではその歪さが面白い効果を挙げていますが。)
おそらくこの曲はJ.Cバッハの協奏交響曲をモデルにしたのだろう思えますが、
まだまだ遠く及ばないな、というのが率直な感想です。
ヴォルフガングはまだ複数のソロを操る手腕までは
身に着けてはいなかった、ということなのでしょうね。

投稿: Bunchou | 2008年7月26日 (土) 12時59分

K.191の評価には、迷いました。
すぐ数年後のオーボエ協奏曲(フルート協奏曲)や晩年のクラリネット協奏曲に比べると・・・私の場合は古楽で演奏を聴いても、なのですが・・・やはり、まだ管楽器の協奏曲としては単調な印象を受けるんです。
かといって、嫌いな曲じゃない。
要するに、ちょっと『作曲そのものの技術」にウェイトを置き、ピアノ協奏曲に比べても若干「遠慮気味」な姿勢が見える点にばかり目をとられすぎたのかも知れません。
「歌」の魅力は、たしかに充分盛り沢山の作品ですものね。オケとの対話については仰る通りで、そこには妥協がありませんから、そこをもっと評価しても良かったかもしれませんね。・・・反省。

投稿: ken | 2008年7月28日 (月) 00時11分

>若干「遠慮気味」な姿勢が見える点

これは仕方無いことだったろうなあと思います。
モーツァルトが自分自身のために書いたであろうK175に対し、
K190は他者(おそらくはデュルニッツ伯爵)のために書かれたわけで。
「クラヴィーアこそが自分の楽器」としていたモーツァルトの
作曲に対する気の入れように差が出るのは必然だったかと。
それに管楽器の協奏曲の創作自体、初めてだったことも大きいと思われます。
(クラヴィーア協奏曲には7曲もの「先例」が…!)
むしろ、K175の方がかなりの破格な作品だったのかもしれません。
(以前、Kenさんが紹介されていたサリエリのクラヴィーア協奏曲
と比べた時、その思いが一層強くなります。)

これは余談ですけど、
散逸した他のファゴット協奏曲はどんなものだったのか、
とても気になりますね。
もしかしたらK191を超える曲だったかも!?
とか、
K191こそが管楽器協奏曲の暫定的な「解答」だった?
とか、
いろいろ妄想を繰り広げたくなります(^_^;)

投稿: Bunchou | 2008年7月31日 (木) 00時56分

>>若干「遠慮気味」な姿勢が見える点
>これは仕方無いことだったろうなあと思います。
・・・なるほど・・・目的からすればそうですね。3台のピアノのための協奏曲を連想すべきだったかもしれません。抜けてたな。反省。

>散逸した他のファゴット協奏曲はどんなものだったのか、とても気になりますね。

同感です。・・・残っているものより進んだ書法になっていた可能性は捨てきれないですから。

投稿: ken | 2008年8月 2日 (土) 14時07分

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