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2007年6月14日 (木)

曲解音楽史13)どこまで分かるかササン朝ペルシア

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国
    10)古代ギリシア11)古代ローマ  12)初期キリスト教の聖歌について


Kijibiwa古代ローマ、それに関連して「初期キリスト教の聖歌」と来たからには、東側のシルクロード世界も概観しなければ片手落ちですね。中学や高校の歴史教科書にだって、「ローマと長安は結ばれていた」って出ちゃってますから。 で、西暦紀元前後のローマ帝国は、東側への進出をぴたっと押さえる大きな存在に絶えず脅かされ続けてもいたのでしたね。 残念ながら、そんな存在を音楽のうえから面的・線的に捉えるのは、素人である私にはとても無理だ、というのは前に申し上げた通りです。 バクトリア、およびBC247頃〜AD226の間に存続したパルティアについては、ほぼ完全にギブアップです。 が、パルティアの後継として勃興したササン朝ペルシアとなると、なんと案外身近に、少しは様子を伺う材料があることに気がつきました。(遅すぎ!) ・・・正倉院宝物です。 日本の正倉院宝物の中には、シルクロード経由で到来した古い楽器がたくさん残っていることを、とんと忘れていました。しかも、それらは年代的に、イスラム化以前の西アジア世界から来たものであることはあきらかです。一つ一つ示さなくとも、あの美しい螺鈿の施された五弦琵琶を思い出して頂ければ充分でしょう。ただし、この五弦琵琶はペルシアのものではなく、ずっと内陸、中央アジアのキジル国に由来するものです。(写真は復元したものです。)それでも、琵琶という楽器自体がペルシア由来ですから充分でしょう。 正倉院宝物なら、研究者にも恵まれています。そんな中のお一人、柘植元一さんの記述によりますと、まずパルティアの楽器がギリシア直系の子孫であることが分かりますし、ササン朝ペルシアがさらにそれを継承したことも判明します。 柘植氏の列挙しているササン朝ペルシアの楽器を、以下に記しておきましょう。

体鳴楽器
スィンジュ(シンバル)、チャガーネ(柄付き指シンバル)、チャハールパーラ(拍子木)、ザング(鈴)、ザングダーン(鈴付き腕輪)、ダラー(鐘)

膜鳴楽器
ミズハル(枠太鼓)、ディッリージュ(片面太鼓)、タビール(細腰鼓)、クース(大型釜太鼓)

弦鳴楽器
トゥンブール(長棹リュート)、バルバト(曲頸琵琶)、チャング(竪箜篌)、ヴィーン(鋭角ハープ)

気鳴楽器
スルナーイ、ムシュタク(笙)、ネイ(尺八)、ムースィーカール(パンパイプ)、ザンマーカラ(双管単リード楽器)、ナーイェ・ロウィーン(ラッパ)

(参照:「シルクロードの響き」山川出版社 2002年 ISBN4-634-64820-2)



さて、しかし、肝心なのは、こうした楽器が実際にどのような場面で、どのように演奏され、どのように人々に聴かれていたか、ですね。
1節目で参照した「シルクロードの響き」には、ササン朝の王たちがいかに楽師を寵愛したか、其の楽師たちの名前まであげて詳しく記されていて、ありがたく思います。
また、ことに属する楽器でも、チャングは合奏で、ヴィーンは独奏で用いられていたらしい事情を、壁画を材料に説明しています。
それほどの材料があってなお贅沢な考えではありますが、もっと直接、当時の人々の音楽世界に迫れる史料はないのでしょうか?

二つだけ、手に取ってみました。

まずはササン朝ペルシアの国教であったゾロアスター教の聖典です。全訳ではありませんが、比較的安価でしたので、アウ゛ェスタ抄訳を読んでみました。(「ゾロアスター教 神々への讃歌」岡田明憲 平河出版社 1982 ISBN4-89203-0543-8)
残念ながら、音楽に触れた文(聖句)にはお目にかかれませんでした。
ただし、いいまわしがインドのリグ・ベーダに大変似ている、との印象を受けました。
実際、ペルシアの音楽は演奏面でも理論面でも、インドとかなりの類似性を示しているとのことです。
すると、聖典に関しては定型的な朗誦が非常に重視されていたのではないか、というふうに想像されます。多用されている聖句の例として
 「語により、行為により、ザオスラにより、正しく誦せられし句」
というものがありますが、こうした句が事情の一端を表してくれている気がします。
なお、ザオスラは一種の神聖な飲み物をさす言葉です。おそらく祭祀を司る者だけが飲むことを赦されたのでしょうか? インドのソーマに当たるものなのでしょうか? そこまでは分かりませんでした。ご教示頂けたら幸いです。

もうひとつは「シャー・ナーメ(王書)」です。(岡田恵美子抄訳 岩波文庫 1999年 赤786-1)
ササン朝が滅亡してから三百年は後に書かれたものですので、どの程度イスラムの影響を受けず、純粋にペルシアの様子を描いているものか、少々不安でした。ですが、ある程度の結晶化、かなりの伝説化を伴っているとはいえ、音楽についての記述は在りし日のササン朝の実態から逸脱したものではない、と受け止めたいと思います。

何例か引用してみましょう。

「貴族らは王の前の大地に口づける。宮殿からは太鼓の音が響きわたった。町の人びとの目はすべて宮殿に向けられた。」(p.67)

「サームがいい終わると、太鼓の音が鳴りわたり・・・(中略)・・・たちならぶ幕舍のあいだに金やインドの鈴が響きわたる。」(p.133)

「町中にインドの鐘が鳴り、琵琶(リュート)、竪琴、角笛の音が響きわたり、それはまるで家々の扉や屋根が楽を奏で、世の中が一変したよう。」(p.179)

「ザーブルの宮殿から鐘の音が響きわたり、象の背の上ではラッパが鳴る。」(p.192)

「一方ソフラープは前夜を宴のうちにすごして酒をのみ、琵琶と楽師の歌に耳をかたむけていた。」(p.259)

以上には、最初の節で柘植氏がリストアップしていた楽器の大半が(種類としては)登場しています。
そして、それらがどのような場面で奏でられたかについても、具体的に示してくれています。
太鼓は儀礼などに重用され、戦闘の合図にラッパが用いられることがあり(これは古代ローマなどと共通ですね)、弦楽器は笛と合奏で用いられる場合は広い層に訴えかける一方、個人の慰めの為に(歌とともに)奏でられる・・・おおよそ、そういう図式が見て取れ、これは柘植氏による楽器壁画の解釈とも状況が類似しています。



さて、イスラム教は、コーランそのものには記述はないそうですが、音楽を公的には是認していない、とのことです(このことについては私はまだ無知ですので、あらためて勉強しなければなりません)。それに伴い、ペルシアの音楽は私的な演奏としてだけ受け継がれてきたのだそうです。
それなら、今でもインド西部には残っているはずのゾロアスター教の宗教音楽かなにかを探してみようか、とも思いましたが、「ペルシアの音楽」と称するCDでも、思っていたより多様な音楽を聴くことが出来ましたので、そこまでで探求を取りやめておりました。・・・そのうち家庭の事情が赦さなくなったので、前に入手した録音から、出来るだけ豊富に「ペルシアらしい楽器」が鳴っているのを聴くことが出来る例をアップすることでご容赦頂きたいと存じます。

「ペルシャの伝統---イランの古典音楽」 nonesuch WPCS-10725

歌が入りますが、歌詞は既にイスラム化したものだそうです。
ただし、音楽の構造はササン朝以来のもので、タスニーフ(明確な拍子を持った声楽曲)としては古風な、2つの部分を持っているとのことです。2つのタスニーフとも、恋人の面前でどのような髪型をとるべきか、を歌ったもののようですが、そんな内容でも「イスラム化」しているといえるのでしょうか? なんだかよく分かりません。
この曲はアラブ的雰囲気が強いかなあ、いやあ、東南アジアっぽいのかなあ、などと感じますが、他にも全く別の、静かな朗詠風の雰囲気のものあり、インドのシタールの総額を思わせる瞑想的なものあり、で、今回あげたものを代表的と考えてしまわないように、気をつけてお聴き頂けますように、あらかじめお願いを申し上げます。

こんなところが私の把握出来る限界でした。お粗末様でした。

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