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2007年5月28日 (月)

定家:「邂逅」前夜(3)

良経の左大臣就任で、それまで沈んでいた定家の歌作活動も再び活発化します・・・いや、これだけ活発になった定家を目にしたのは初めて、かな?
正治元年・二年の日記には歌作関連の記事が非常に目立ちます。が、今は不精をして、原文を引用せず、村山著「藤原定家」の年譜を引用してその様子を列挙することにします。

正治元年
12月2日:兼実の詩歌会出席、和歌題十を給う
12月7日:良経第文会出席
12月22日:良経第連歌に出席

正治二年
2月5日:守覚法親王歌合に六首入る
2月9日:良経第詩歌合出席
2月23日:十題和歌の料の歌詠進
2月25日:十題歌合右方の歌を選び御堂歌会参加
閏2月1日:良経第十題歌合出席
閏2月18日:良経第作文参加
閏2月21日:法性寺良経歌合参加
閏2月23日:藤原良輔に従い歓喜光院にて詠歌
閏2月28日:良経と大原来迎院に宿し、また歌序を書く
3月2・3日:自邸に人々を招き詩歌披講
7月18日頃:後鳥羽院百首作者のことでライヴァル六条家の季経と対立

4月から6月にかけて活動が一旦止まって見えるのは、4月に定家が良経に無礼をはたらいたらしく蘢居を命じられたからのようです。無礼の内容は分かりません。
その間に、定家が後鳥羽と出会いを遂げることになる、いわゆる「院初度百首和歌」の企画が進んでいたようで、上の年譜では7月に関連記事が初めて登場します。この件はまた豊富な話題、検討材料を提供してくれるはずですから、次回にまわしましょう。
(またまた綴るまでに間が大きく空くでしょうけれど。。。)

こうして年譜や名月記本文を眺めつつ、
「じゃあ、定家の本職は何だったんだろうか」
という疑問が、いつも頭をかすめます。
本来、定家は朝廷に属する役人です。ならば歌は余技だったのか、というと、違う。彼は父、俊成を継いだ「歌の家」の人物で、専門歌人として評価を受けている。このあたりに当時の貴族の生活手段と精神活動の二重化が見え隠れしています。そしてそれは、いまの私たちにも繋がる精神と生活の分離を示す兆候でもある気がしてなりません。
この年譜のように「歌」で多忙な時期、定家は兄と姉の死に遭い、父の重病と自らの咳病に悩み、甥が不倫事件で殺される事件なども起きたりし、純粋に歌のことばかりを追いかけられる環境では全くないのです。にもかかわらず、時間は定家の私事、心に関心を示すこと無く、淡々とすぎていく。
・・・私たちの日常と、何の異なるところも無いではありませんか。

次に定家をと入り上げられるときに、やっと、彼と後鳥羽との接触について触れ始められます。
・・・そのために買っておいた、一番参考になるはずの本が、まだ行方不明で、こまっちゃったなあ。高い本だし、古本屋にしかないし。

・3

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