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2007年5月28日 (月)

定家:「邂逅」前夜(1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:
私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。



昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって頂ければ幸いです。

正治元年(1199)、三十八歳の定家は安芸権介に任ぜられます(堀田善衞「定家名月記私抄」年譜、村山修一「藤原定家」年譜)。このことと関係があるのか無いのか、正治元年と翌二年の「名月記」はにわかに記事が充実します。
朝廷の中央では、元年六月、九条良経が左大臣に、源通親が内大臣に、と、翌年の定家の歌作活動の鍵ともなるだろう重要な人事がありました。が、予知能力がある訳ではない定家は、このときはただ、主家の九条良経の立身に無邪気な喜びを見せるにとどまっています。
同年七月二十五日の日記には、九条家から三崎庄を賜った旨が記され、二十九日には早速現地に使者を送っていることが分かります。三崎庄は現在の千葉県銚子市辺りの広大な荘園です。荘園とは何ぞや、どう管理されたものなのか、は専門家にしか分からないのではないかと思われるくらい複雑です。で、素人が間違いを恐れずに概略を述べれば、荘園とは地主(鎌倉幕府成立後の呼び方では地頭)が京の有力貴族と納税契約を結んだ一定範囲の地域で、収税者は国家(そのままイコール朝廷、とならないところがまた面倒なのですけれど)ではなく、地頭と契約した貴族です。この収税者は「領家」と呼ばれます。
さて、定家は「三崎庄を賜った」のではありますが、土地を貰った訳ではありません。じゃあ、収税権を貰ったのか、というと、これも違うのです。「領家」は、あくまで九条家のままです。定家が賜ったのは、収税監督権とでもいうべき、ワンランク下の権益です。それでも大喜びしたのは、収税に成功すれば・・・これも素人の私には全く割合の見当がつきませんが・・・そのほとんどが自分の懐を潤すことになるから、だったはずです。
こんな慶事を予告するものだったのでしょうか、三崎庄を「賜る」十五日前に、定家は夢の中でこんな歌を詠んでいます。

  さかきはを吹秋風のゆふかけて神の心をなひけとそをもふ
  
(原文通りなので濁点を省いています・・・さかきは=榊葉、なひけ=なびけ」)

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