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2007年5月31日 (木)

モーツァルト 1774年作品概観

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。
私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。
昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって下さい。
また、追悼のために、バッハのカンタータ「神の時はいとよき時かな」をもお聴き頂ければ幸いです。
ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

(西川尚生「モーツァルト」の作品表をもとに)

1772年分あたりから、追いかけるべき作品の確認のために、区切りの年にかかる事前準備として作品リストを作り始めてみたのですが、やってみると、そこには出回っている伝記類では伺えないモーツァルトの日常が隠れている気がしてきました。ですので、今回からはそうした点も付言していこうと思います。

その前に。
1773年の重要作の確認を、1つ落としていました。これも協奏曲類同様に初物だった、弦楽五重奏曲です。が、これはモーツァルトの音響観との兼ね合いで見ていくべき作品かと思いますので、すぐ見直すかどうかは検討します。

翌74年は、作品ジャンルに偏りが見られます。この年は暮れにミュンヘン旅行できた(新作オペラ上演のため)のが唯一のザルツブルク脱出で、それと大きく関わっているのでしょう。
ともあれ、この偏りからは、モーツァルトが司教・教会・宮廷に釘付けされることに甘んじたか、あるいは自ら行動を差し控えたか、といった背景が想定できるかもしれません。
モーツァルトは18歳になります。まだまだ父の監督下にあるとはいえ、自立心も相応に高まったでしょうし、翌々年以降から激しくなっていく「ザルツブルクを出たい、ザルツブルクでは不満だ」との心情の芽吹きも、この74年あたりがキーになって蠕動を始めたのではないか・・・少々私自身の思春期を重ね合わせてのイメージではありますが、そんなことを考えさせられます。

以下、リストです。

<宗教曲>
小クレドミサ ヘ長調K.192(6月24日)、ミサ・ブレヴィスニ長調K.194(8月8日)、またこの年かどうか不明ですが、「雀ミサ(シュパッツェンメッセ)」ハ長調K.220
ディキシットとマニフィカト ハ長調K.193(7月)
教会ソナタニ長調K.144・ヘ長調K.145

<オペラ>
「偽の女庭師」K.196(9月から翌年1月。ミュンヘンで初演。8作目のオペラ)

<歌曲>
フリーメーソン歌曲「いかに私は不幸なことか」K.147(1774-76.アイゼン説では1775-76)
ヨハネ分団の儀式の為の賛歌「おお、聖なる絆よ」(1774-76.アイゼン説では1773)

<交響曲>第28番については既に触れたので省略します。
第29番イ長調K.201(4月6日)、第30番ニ長調K.202(5月5日)

<セレナード>
ニ長調K.203&カッサシオンK.237(8月)

<協奏曲>
2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K.179(5月31日)
ファゴット協奏曲 変ロ長調(6月9日)

<クラヴィア作品>
J.C.フィッシャーのメヌエットによる12の変奏曲 ハ長調K.179(12月6日以前)

<編曲>
父、レオポルト・モーツァルトのリタニア変ホ長調(欠番。アイゼン説による)

ばらばらでは分かりにくいのですが(元がばらばらだし、無精なので並べ替えも面倒だし)、春までは器楽作品に専心できる余地があったらしいものの、4月からは殆ど、教会や貴族の催し物への奉仕に腐心していたように見えます。
そんななか、父が知恵をつけたのでしょうか、9月あたりから、再びオペラ作者としてザルツブルクの外で活動する戦略を練り始めたもののようですが・・・これは徐々に見ていきましょう。いずれにせよ、このあたりは目を通した限りの(数少ない)伝記では殆ど触れられていない時期です。フリーメーソンとの関係が見えてくるのも興味深いところで、これについてはいくつかのコメントは拝読しましたが、なんだかよくわかりません。

面白そうな年だな。
この年の観察にのめりこんで、少し、自分も元気を出そうかな。
・・・などと思っております。

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2007年5月30日 (水)

「神の時はいとよき時かな」J.S.Bach

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。
昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって頂ければ幸いです。
Hさんの葬儀の日、5月31日は、キリスト教上は「聖母の訪問日」という祝日です。正教会系とルター派以外のプロテスタントではそうはなっていない、とのことですが、マリアが聖エリザベートを訪ねた日を記念するものです。この日を祝うための音楽作品は「マニフィカト」としてたくさん作られています。その歌詞は「ルカの福音書」に基づきます。

 わたしの魂は主をあがめ
 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます
 身分の低い このはしためにも
 目を留めてくださったからです
 今から後 いつの世の人も
 わたしを幸いな者と言うでしょう
 
(以上、八木沢涼子「キリスト教歳時記」平凡社新書 から)

「マニフィカト」の音楽は、しかし、華やかなものが多いので、いまはふさわしくありません。
ただ、マリアの言葉はそのままHさん、ひいてはわたしの家内のものであってほしいと思い、ここにその訳文を掲げさせて頂きました。

音楽の方は、J.S.バッハのカンタータ「神の時はいとよき時かな」BWV106から最初の2曲をご一緒に聞いて頂きたく存じます。
Hさんのお宅も私の家も、仏教系を引いているのですけれど・・・嘉して下さる聖なる存在に、宗教・宗派の差があるとは、どなたもお考えではないでしょう? もしそういう方がいらしたら、この場は大目に見て下さいね。

1.
2a.

バッハが音楽家となった最初期の、アルンシュタット時代につくられたカンタータです。バッハが最初の妻バルバラを亡くして数年後の作品かと思われます。

手持ちの関係で、カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団および合唱団の演奏でアップしました。
ARCHIV "Bach - 75 Kantaten 439 368-2 Vol.5 Nr.5

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モーツァルト;最初の自作ピアノ協奏曲K.175

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。
昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって頂ければ幸いです。
ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。
1773年の作品を眺める作業も、この作品で最後です。 モーツァルトにとって初の頂点とも言えるこの年の多彩な創作に触れるのは、耳にも目にも喜ばしいものでした。と同時に、彼の精神に触れられるかどうかの試練でもありました。 以上は全曲初自作の、この協奏曲にも当てはまります。年も押し詰まった12月に作られており、内容は今までのモーツァルトの集大成と見なしてもよいほど充実しています。アルフレート・アインシュタインも、モーツァルトはこの協奏曲で一気にエマヌエルとクリスチャンのバッハ兄弟(彼らの協奏曲はだいたい15分かからずに演奏出来ますが、モーツァルトのこの作品は20分かかります)を乗り越えた、と、手放しで賞賛しています。 とはいえ、モーツァルトの達したここまでの頂点を、単純に先輩たちを超えたものと見なしてよいかどうかには、用心が必要です。うかつにも、ハイドンやサリエリはどうだったのか、を、私は念頭においておらず、比較材料として準備していませんで、手配も間に合いませんでした。この件は、いつか再検討しなければならないと思っております。最も悔いが残っております。

もうひとつ、この協奏曲はどんな楽器で演奏されたのか、も、大切かなと思いました。
K.175に限らず、モーツァルトのピアノ協奏曲は最後の第27番に至るまで、ソロパートがFからf'''の音域に収まっているのを、スコアで全曲ざっと確認しました(間違っているようでしたらぜひ教えて下さいね)ので、当時普通だった5オクターヴ音域の楽器だったと考えて差し支えないようです。ピアノの改良に大きく寄与したベートーヴェンの伝記だと、ピアノの発達の様子が表で載っているのですが、ハイドンやモーツァルトの伝記にはないですから、確実にそうだと言える自信はありませんが、ベートーヴェンが使っていた1773年製のシュタインがこの音域です。ただし、モーツァルトはシュタインとも後年面識を得、彼の楽器の良さに初めて触れた父宛の書簡の日付が1777年10月ですから、K.175初演で用いられたのはシュタイン製ではないことが、「おまけ」で分かります。
もうひとつ、モーツァルトによるK.175の呼び名は<クラヴィチェンバロのための協奏曲>だそうです。じゃあ、クラヴィチェンバロとはなんぞや、という話になりますが、これは先日イワンさんが紹介下さった「ピアノはいつピアノになったか」の内容から伺うに、当時のピアノそのものと受け取ってよいようです。音量は小さいが強弱を付けられるクラヴィコードと、メリハリのあるチェンバロの合体を目指して出来上がったのがピアノなのですから。
ただし、当初のピアノはむしろ弱音のデリケートさを大事にしたとのことなのですけれど、K.175はお聴きになってみると分かる通り、かなり壮麗な音楽で、独奏楽器は相当の音量を要求されるはずです。ですから、もうすでに、近代ピアノを指向し始めた、音量重視の楽器が用いられたのでしょう。
面白いのは、ピアノの、ソロではない部分はNMAの印刷譜では数字付低音になっていることです。これは1784年のK451まで続き(K.450のみが例外)、以後、数字は消えます。以上から、少なくともモーツァルトはザルツブルク時代まではバロックの通奏低音の伝統に従って作曲していたことが判明します。1785年以後数字が消えた理由は、(オペラのレシタティーボがそうであり続けたように)即興で弾けば事足りたからなのか、ピアノの音量が大きいので和音を補強すると邪魔になるようになったせいなのか・・・そのへんのことは私には分かりません。

K.175の最大の聞き所は、終楽章(第3楽章)のピアノの提示がカノンになっていることで、これは聞いてお気づきになったらビックリなさると思います。さりげなく対位法を用いているところが、ちょっと前までのモーツァルト観からすれば意外性がありますけれど、この箇所のことについては既にアインシュタインも明記しているのをあとで知って、なあんだ、とがっかりしました。

以下、編成と各楽章の概要です。

編成:オーボエ2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部、ピアノ独奏
管楽器はより単純なのが最初の稿で初演時のもののようです。スコアにはオーボエ、ホルンの第2稿が併記されていますが、この作品はのちにマンハイムやウィーンで再演されており、ウィ−ン再演時のものではないか、というのがバドゥラ=スコダの推定だそうです。

第1楽章:ニ長調 Allegro 4/4 238小節
第2楽章:ト長調 Andante ma un poco adagio 3/4 119小節
第3楽章:ニ長調 Allegro 2/2 281小節

第3楽章の差替え用ロンド(ウィーンでの再演のときのもの)
フルート1本を追加。236小節。
基本はAllegretto grazioso 2/4 ですが、121小節〜136小節はAdagio、137〜217小節は3/8のAllegroとなっています。

録音は、古めですが、ヘブラーアンネローゼ=シュミットの全集が良質だと思います(いま持ってませんけど)。
廉価で驚きのBriliantレーベルの全集はデレク・ハンという人がフィルハーモニア管弦楽団をバックに演奏していますが、これもまたいい演奏です(91112)
スコアはNMAではピアノ協奏曲は8巻2分冊(第15、16分冊)となっています。ベーレンライター新版が三分冊で、こちらは容易に入手可能ですが、交響曲とは違い、英語の解説はありません(ドイツ語のみ)。

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2007年5月28日 (月)

定家:「邂逅」前夜(1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:
私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。



昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって頂ければ幸いです。

正治元年(1199)、三十八歳の定家は安芸権介に任ぜられます(堀田善衞「定家名月記私抄」年譜、村山修一「藤原定家」年譜)。このことと関係があるのか無いのか、正治元年と翌二年の「名月記」はにわかに記事が充実します。
朝廷の中央では、元年六月、九条良経が左大臣に、源通親が内大臣に、と、翌年の定家の歌作活動の鍵ともなるだろう重要な人事がありました。が、予知能力がある訳ではない定家は、このときはただ、主家の九条良経の立身に無邪気な喜びを見せるにとどまっています。
同年七月二十五日の日記には、九条家から三崎庄を賜った旨が記され、二十九日には早速現地に使者を送っていることが分かります。三崎庄は現在の千葉県銚子市辺りの広大な荘園です。荘園とは何ぞや、どう管理されたものなのか、は専門家にしか分からないのではないかと思われるくらい複雑です。で、素人が間違いを恐れずに概略を述べれば、荘園とは地主(鎌倉幕府成立後の呼び方では地頭)が京の有力貴族と納税契約を結んだ一定範囲の地域で、収税者は国家(そのままイコール朝廷、とならないところがまた面倒なのですけれど)ではなく、地頭と契約した貴族です。この収税者は「領家」と呼ばれます。
さて、定家は「三崎庄を賜った」のではありますが、土地を貰った訳ではありません。じゃあ、収税権を貰ったのか、というと、これも違うのです。「領家」は、あくまで九条家のままです。定家が賜ったのは、収税監督権とでもいうべき、ワンランク下の権益です。それでも大喜びしたのは、収税に成功すれば・・・これも素人の私には全く割合の見当がつきませんが・・・そのほとんどが自分の懐を潤すことになるから、だったはずです。
こんな慶事を予告するものだったのでしょうか、三崎庄を「賜る」十五日前に、定家は夢の中でこんな歌を詠んでいます。

  さかきはを吹秋風のゆふかけて神の心をなひけとそをもふ
  
(原文通りなので濁点を省いています・・・さかきは=榊葉、なひけ=なびけ」)

1・

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定家:「邂逅」前夜(2)

まあしかし、世間というものはそう順風満帆にはいかないのが常ですね。
翌八月には、自家が領家である越部庄(兵庫県。播磨国風土記にも既にその地名が出てくる由ですが、いま風土記を引っ張りだせませんので確認していません)が十九日の洪水で大被害を被り、十日後にそれを知った定家は日記に絶望的な言葉を書き連ねます。
荘園からの実入りは、こうした自然災害にも、また地頭や現地民と徴税請負人とのトラブルにも大きく影響されるものでした。総じて、貴族自身が国司となって任地に赴いていた数百年前に比べ、長い時間の間に、現地人との通信だけにおんぶして、国政を崩壊させた荘園という、ある意味「絵に描いた収入源」だけに経済基盤を求めるようになっていたことは、当初はそれでよかったにせよ、いずれは崩壊の危険にさらされるだろうことが目に見えていたはずです。見えるはずのものが見えない・・・これが、人間の性(さが)と言うものでしょう。定家の、越部庄洪水で受けた打撃は、そんな人間の愚かな営みがもたらした結果の、ほんの一例にすぎません。
自分の経済力をどう保つかは、八百年前の定家もいまの私たちも・・・手段の違いはあっても、日々難問である点では、本質的に変わりませんね。

・2・

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定家:「邂逅」前夜(3)

良経の左大臣就任で、それまで沈んでいた定家の歌作活動も再び活発化します・・・いや、これだけ活発になった定家を目にしたのは初めて、かな?
正治元年・二年の日記には歌作関連の記事が非常に目立ちます。が、今は不精をして、原文を引用せず、村山著「藤原定家」の年譜を引用してその様子を列挙することにします。

正治元年
12月2日:兼実の詩歌会出席、和歌題十を給う
12月7日:良経第文会出席
12月22日:良経第連歌に出席

正治二年
2月5日:守覚法親王歌合に六首入る
2月9日:良経第詩歌合出席
2月23日:十題和歌の料の歌詠進
2月25日:十題歌合右方の歌を選び御堂歌会参加
閏2月1日:良経第十題歌合出席
閏2月18日:良経第作文参加
閏2月21日:法性寺良経歌合参加
閏2月23日:藤原良輔に従い歓喜光院にて詠歌
閏2月28日:良経と大原来迎院に宿し、また歌序を書く
3月2・3日:自邸に人々を招き詩歌披講
7月18日頃:後鳥羽院百首作者のことでライヴァル六条家の季経と対立

4月から6月にかけて活動が一旦止まって見えるのは、4月に定家が良経に無礼をはたらいたらしく蘢居を命じられたからのようです。無礼の内容は分かりません。
その間に、定家が後鳥羽と出会いを遂げることになる、いわゆる「院初度百首和歌」の企画が進んでいたようで、上の年譜では7月に関連記事が初めて登場します。この件はまた豊富な話題、検討材料を提供してくれるはずですから、次回にまわしましょう。
(またまた綴るまでに間が大きく空くでしょうけれど。。。)

こうして年譜や名月記本文を眺めつつ、
「じゃあ、定家の本職は何だったんだろうか」
という疑問が、いつも頭をかすめます。
本来、定家は朝廷に属する役人です。ならば歌は余技だったのか、というと、違う。彼は父、俊成を継いだ「歌の家」の人物で、専門歌人として評価を受けている。このあたりに当時の貴族の生活手段と精神活動の二重化が見え隠れしています。そしてそれは、いまの私たちにも繋がる精神と生活の分離を示す兆候でもある気がしてなりません。
この年譜のように「歌」で多忙な時期、定家は兄と姉の死に遭い、父の重病と自らの咳病に悩み、甥が不倫事件で殺される事件なども起きたりし、純粋に歌のことばかりを追いかけられる環境では全くないのです。にもかかわらず、時間は定家の私事、心に関心を示すこと無く、淡々とすぎていく。
・・・私たちの日常と、何の異なるところも無いではありませんか。

次に定家をと入り上げられるときに、やっと、彼と後鳥羽との接触について触れ始められます。
・・・そのために買っておいた、一番参考になるはずの本が、まだ行方不明で、こまっちゃったなあ。高い本だし、古本屋にしかないし。

・3

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2007年5月27日 (日)

5月27日練習記録

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。
昨年のHさんの名演を、こちらでお聴きになって頂ければ幸いです。

残すところ後3回。全曲練習の予定でしたが、さすがに時間がいっぱいいっぱいで、ショスタコーヴィチの第3楽章だけは省略せざるを得ませんでしたね。
練習場も狭かったのですが、集まりは非常によかったので、ぎゅう詰めでご窮屈様でした。

最低限ですが。。。

グリーク:
<第1楽章>
・練習記号Bや、141小節以下の弦の伴奏音型、音が大きすぎる
・Piu lento、ソロは三連符ですから、入り、音の移動は指揮に従うように
・Poco piu Allegroからは、管・弦ともせっかちにならないように
<第2楽章>
・練習記号Aからは、音の変わり目は指揮を注視して下さい
<第3楽章>
・練習記号C前のトランペット、オクターヴが合うこと、ニュアンスが合うことにご留意を
・練習記号D、強拍弱拍の区分をきちんと意識しないと下手で重くなる
・練習記号Hは、停滞しないように
・Quasi Prestoの3拍子、拍子感を保持しましょう


エルガー:
全般に、歌が入ることを認識し、最低でも書かれたディナミークは遵守すること
(たとえば第1曲目の練習記号Bはクラリネット、ゴング、ハープ以外はpppです。
 その他も、歌の入る個所は一般にオケ側のディナミークは歌よりワンランク落としてあります)
また、ハープのある個所は常にハープが聞こえるようご配慮下さい。
ハープ側でことさら大きく弾く必要はありません。


ショスタコーヴィチ:
ピアノ入って頂いてありがとうございました。
打楽器増強も助かりました。
あの場で感謝申し上げられず、すみませんでした。
<第1楽章>
・練習記号27以下のチューバは、周りが走りがちになるのでブレーキ役をお願いします。
<第2楽章>
・前の楽章もですが・・・私のソロ、下手でごめんなさい。。。
<第4楽章>
・練習記号112の弦はホルンソロのテンポに傾注し、「それとなく」揃うようにご配慮下さい

こんな程度で済みません。

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2007年5月26日 (土)

Hさんを偲んで・・・最近の彼の演奏から

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。
聴いてあげて下さい。そして彼の魂を感じて、私と共に黙祷して下さいますことを、僭越ですが、お読み下さる方にお願い申し上げます。

5月24日に心不全で急逝なさったHさんが、
昨年暮れ
「照れくさいけれど、照れくさくないように吹くね」
はにかみ笑いをしながら本番に臨んだ

同じ年の夏、定期演奏会で吹いた

このソロ、「なかなか度胸が決まらなくって」と相談してきてくれ、「いいんですよ、ミスしたって。思い通りにのびのび吹けばいい」と応じて差し上げたらとても喜んでくれました。

以下は、ひとりごとです(・・・だったら綴るな、と、どなたにも叱られますね。)
Hさん、奥様・ご親族の深いお悲しみもお察しいたします。でも、あなた自身が今どんな思いでいるかは、自分も悲しみというベールをかぶせられているせいで、はっきりと見ることが出来ません。
そのうえ、私はいまこんな病気と生活の状態で、葬儀の場にお会いしに出かけることが出来ません。
それを悔いずに済むためには、もう少し、神仏、宇宙に私が「生かされて」あり続けることになるでしょう。
切なくてなりません。

いつか、然るべき場所で、ニコニコお話しましょう。
再会を楽しみにしつつ。

5月30日追記)やはり、悔いを残したくない。葬儀でお会いしましょうね。体の方とお会い出来るチャンスはそこしかないものね、さっき職場に了解を取りました(今日まで所定の休暇なので、電話で)。

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2007年5月25日 (金)

ご紹介「第九 歓喜のカンタービレ」

私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。

綴るタイミングが悪くなってしまいましたが・・・
亡友H氏との思い出もある作品についての書籍ご紹介ですので、あえて。
(ご容赦下さい。)

以前どこかで誰かに話した気もするのですが(あるいはブログのどこかに綴ったかもしれないのですが)、特定の作品について何冊もの本が出されている、というのは大変珍しいことです。

中でもベートーヴェンの「第九」をテーマに据えた日本の書籍は、群を抜いて多い。
私が持っているだけでも、年代順にならべると

・小松雄一郎 <ベートーヴェン第九 フランス大革命に生きる> 築地書館 1979
・武川寛海   <「第九」のすべて> 芸術現代社 1987
・井上道義監修<DA・I・KU> 三修社(マズア指揮のCD付)1990
・横田庄一郎 <第九「初めて」物語> 朔北社 2002

最後の一冊だけは、第九の日本初演を扱ったもので、他とは毛色が違います。
この他に、たしか別冊太陽にも特集号があったりしましたし、古書を探せば枚挙に暇がないほど存在するかもしれません。

ロマン・ロラン「第九交響曲」の訳書も、みすず書房から出ていました。これも読みました。

まあ、手持ち分だけ読めば、「第九」創作の背景や演奏史について一般教養に不足はないだろう、と、たかを括っていました。

先日、もぎぎさんの三鷹シリーズ(「エロイカ」のレクチャーコンサート)に伺うことが出来た際、また別の、新しい第九の本を売っていました。発売されていることは知っていましたが、あえて探したりもしませんでした。
ですが、この本、もぎぎさんが「第九」をレクチャーコンサートしたときの映像がDVDに収録されてついています。ロビーで試写をしていました。それを見てしまったら、
「ああ、これはもう、買うしかない!」
それで、手が出てしまいました。
中身を読むつもりは全くありませんでした。
この日初めて体験できるレクチャーコンサートを、帰宅後も(曲は違えど)家でまたいつか味わいたい。だから、DVDさえあればいい。
それだけを思って買ったのです。

DVDを見るゆとりは、今の生活では殆どありません。
それが、今週は体調を崩したので、たまたま早退し、見ることが出来たのです。
映像は映像で期待通りにレクチャーコンサートの追体験が出来たので大満足でした。
が、見ているあいだについ、読む気のなかった本の中身の方まで覗いてしまった。
・・・運の尽き、でした。

野本由紀夫編 「第九 歓喜のカンタービレ」 ネット武蔵野 2006

じつは、あんまり「読もう」と思っていなかったのには理由がありました。
最初に載っている対談のメンバー(指揮者某氏と評論家某氏)が、私は以前から、あまり好みではなかった。

ところが、この、好みでなかった人たちの対談が、実に面白い。
もう、人が好きだの嫌いだの、ということは関係がありません。
中身には触れませんが、とにかく、急所を突いた楽しい、ためになる対談だった。

で、あとは一気に読み進めました。
以前何冊も読んだ第九の本が要らなくなる、と言っても過言ではないほど(いや、少しは「過言」です)、充実した内容でした。

シラーの詩からベートーヴェンが作曲した動機への推測まで、またそれらの時代背景について、ベーレンライター版問題について(まさにこの話で、私とH氏は盛り上がったことがあったのでした)、さらには同じ詩に付けたシューベルトの有節歌曲のことまで、
とにかく多彩な執筆者が多彩な筆遣いで綴っている。

「音楽作品を知る努力、というのはこういうものか!」

それをイヤというほど思い知らされる結果となりました。

付録DVDだけでない、本文も、絶対にお勧めできる内容です。

お手にとって見ていただければ幸いです。

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死について

頂いたメールへの返信を、ほぼそのまま載せます。いずれ考えたかったことだったから。



人の死は、人にはその日を決められないのですね。
決めてしまうのはルール違反ですよね。
でも、前もって神様が教えて下さらないのは、ルール違反ではないのでしょうか?

聖書の神様は、ヨブには「ルール違反じゃない」と言いました。

信教がなんであってもいい、人は「生かされている」ということを切実に感じていなければならない。
「生きている」、と、あくまで「命」が自分自身の持ちものだと錯覚するのだったら、・・・こんなことは、ありえない。それを思い知らなくちゃいけない。

Hさんは、神様に選ばれてしまった。
「神様」という言葉なり、「仏様」という言葉なりを拒否する人も、考えてみたらいいのです。
あなたがあなたとしてあるのは、あなたの意志によるものですか、って。
意志なんか関係ない、って言うなら、じゃあどうしてあなたは「意志」を持っているのですか、って。

それは、この宇宙を成り立たせている摂理がもたらしてくれた必然です。

ですから、その摂理だけが、個々の生や死や、生物であるか無生物であるか、や、では「命」はこの個体にとってどういうサイクルで回るのか、や・・・
ああ、とりとめもないけれど、そうです、僕たちを「生かせて」いる摂理だけがすべてを知っている。

死は偶然ではない。ただ僕たちにはその訪れが何時なのかが見えない。
占ったって、だめです。占いが仮に真実のひとかけらでも見せてくれるとしたって、それは所詮、ひとかけらでしかない。
ひとかけらをもってすべてだと思うのは危険だから、古人は「占い」を捨ててきたのだし。
そんなものにたよって、何が分かるか? 結局は、分からない。
すべてが見えないことを、「分かった」などと言い切ってはいけない。
だから、キリストも、明日のことは明日に任せよ、と言い、
釈迦も灯は自らのうちにしか見いだせないと言ったのでしょう。
分かるために、ではなくて、分からないことが起きても、いつでもそれを受け入れられるように。

僕たちには、永遠に、何も分からないのだろうか?

僕、もう狂っているかもしれないけれど、ますます狂っていくようだ。
こんなことしか綴れないし、考えられません。

変なおはなしでごめんなさい。

ほんとうに、心がグルグルするばかりです。

いま、お家のベッドでやすらかににこやかにお休みになっているHさんがどうしても目に浮かんで、やすらかなだけに、こっちはこっちで、涙が止まらなくて仕方ありません。
悲しいから、だけじゃない。
神様に選ばれた人への嫉妬もあるかもしれない。
家内のときも、嫉妬したから。

僕は、とてもとても、神様に選ばれる人間じゃない。
そのことばかりを、悔しくもむなしくも感じます。

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2007年5月24日 (木)

訃報〜当団名OBOIST 、Hさん

取り急ぎご報告のみです。当団名オーボエ奏者、Hさんが急死しました。
職場で倒れていたところをお仲間が発見、病院に搬送されましたが、間に合いませんでした。
詳細は現時点では不明です。
関係者は団代表からまわる連絡をお待ちになるか、私的にご連絡下さい。

私の家内の死後、最も励まして下さった、得がたい友です。
こちらへの訃報掲載をお許し下さいますよう、どなたにもご容赦頂きたく存じます。
(18:28)

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2007年5月23日 (水)

調律師さんが来た!

先週の土曜日に、やっと調律師さんが来ました。
アップライトピアノの調律なんて、きちんと観察したことがないので、作業中ずっとじろじろ覗き込んでいましたから、お仕事しにくかったでしょうね。
使う道具のことから楽器のメカニズムまで、いちいち質問するのも、うるさくて気の毒でした。
ですが、見事に響きが綺麗になった。後で部活から帰って来た娘は、弾いてみて大喜びしました。
調律専門の工具が手に入って、コツが分かれば、どうやら自分でも出来そうです。
ただ・・・これは今回の調律師さんにはきちんと伺いませんでしたが、ピアノのオクターブは整数倍からは微妙にずらさなければならず、このズレを如何に耳立たせないか、が調律の腕のみせどころの一つになるはずです。
ピアノには弦の曲げに対する抵抗力の関係でオクターブをひろげておく必要があるそうですが、弦が太いほど幅の広さに悩むのは、チェロやバスなど低音楽器のアンサンブルを体験してみると類推できるでしょう。
アップライトも広げ方が面倒なようで、私は低音部の結果に少々不満を感じ、ちょっといやそうな調律師さんを口説いて、三つだけ、音を下げてもらいました。
また、今回のかたは、やろうと思えばキータッチも調整できることはご存知なかったのか・・・アップライトがそもそもそこまで出来ないのか・・・まあ、必要ないから黙っていましたが。。。
面白かったのは、合唱に関わる人ほど高音を広げたがる、というお話を伺ったことです。声の理屈には反するように感じましたが、どうなんでしょうか?


ピアノのメカニズム、オクターヴが整数倍にならない理由についてはこの本が詳しいです。




もっと知りたいピアノのしくみ


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ミケランジェリやリヒテルお付きだったこともある調律師さんの貴重な体験談は




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2007年5月21日 (月)

曲解音楽史12:初期キリスト教の聖歌について

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国
    10)古代ギリシア11)古代ローマ


これまで古代の四大文明圏からその周辺地域、ギリシア・ローマまで、西暦紀元前後の音楽がどのようなものだったかを(いちおうは最小限の資料を目・耳にし)「邪推」してきました。
ここで「初期キリスト教の聖歌について」というタイトルをもってきますと、従来の路線をそれる印象をお与えになってしまうかもしれません。
「あれ? 特定の曲種にだけ的を絞っていくの?」
・・・いいえ!
「じゃあ、なんでこんなタイトルにしたの?」
3つ、理由があります。
第1に、西暦紀元後の数百年については、世界の音楽がどういう状況下にあったか、私のような素人には伺うための資料が非常に限られてしまいます。特に、俗楽の分野となると、ほとんどお手上げ状態です。
第2に、俗楽が把握できないなら宗教音楽で、と考えてみますと、AD7世紀頃まで栄えていたゾロアスター教やマニ教(紀元3世紀に誕生)の音楽の特質や地域的な広がりを線的あるいは平面的にとらえるだけの材料を揃えられません。
で、「第3の男」(あ、古すぎ!)じゃない、第3の理由ということになるわけです。
キリスト教の聖歌に的を絞ると、素人にははなはだ都合がいいことが分かったのです。
キリスト教は、長い命脈を保った上に文明の継承者にも恵まれたローマ帝国と密接に関わっていたために、また帝国の版図が過去のどんな国家よりも広い範囲にわたっていたために、そして最後にはキリスト教がこのローマ帝国の「国教」となったおかげで・・・当時そのままに接することはもちろん不可能ですけれど・・・「初期キリスト教の聖歌」を一瞥するだけで、少なくとも西はガリアから東はシリアまでの、きわめて「グローバル」な音楽が把握出来るのです。
次節・次々節で説明を加えますが、
「じゃあ、どれだけグローバルなの?」
を確かめて頂くべく、最初に3種の聖歌を聴いておいて頂きましょう。

1. (東シリア教会)
2. (コプト教会)〜ちと長いです!女性も参加していることにご傾聴下さい!
3. (カロリング朝に伝わったローマ聖歌)



キリスト教は、ユダヤの国家崩壊と軌を一にして、信仰者がローマ帝国版図内の各地に活動拠点を移すことにより、旧オリエント世界へと急速に拡散していきます。しかも、その教義は少なくとも拡散した地点では他民族間へも着実に浸透もしていきました。同じ事態は当然ユダヤ教にも敷衍してよいはずですが、こちらはキリスト教徒は対照的に、他民族までを包含した形跡は全くありません。私はユダヤ教について全く知りませんので(タルムードの解説書を読んでも、理解力不足で内容がつかみきれません)、その理由を明らかにすることは出来ませんが、布教態度が保守的だったか柔軟だったか、に大きな差があったのではなかろうかと推測しておきます。
キリスト教は新興宗教ゆえの教義の非固定が幸いしたのか、「異邦人」をも許容しましたし、普及のためには古代オリエント各地で伝統化していた儀礼や礼拝習慣をも巧みに利用しました。その典型的な例の一つは「クリスマス」であり(これについては手軽な解説書が入手しやすいと思います)、一つはキリストとオルフェウスの同一視でした。後者の同一視は、まず、旧約聖書の「詩篇」が<ダヴィデが竪琴を持って歌った>ものを多く含むことから、竪琴というイメージでダヴィデとオルフェウスと結びつくことから始まりました。そしてキリストはダヴィデの正当な後継であり、神の子としてダヴィデを超えるものでもある、と理解されていましたから、同一視は日ならずしてキリストとオルフェウスのそれへと転化していきます。これにより、キリスト教は最小限でも古代ギリシア・ローマの宗教と姻戚関係を確立していったのでした。
依存する国家を失っていたキリスト教徒たちが移住した地域は、東はシリアから西はイベリア半島・ガリア地方にわたりました。それは上のような経緯で古代オリエントの文明と密着し、4世紀初頭には、拡散から拡大・浸透へと質的に変化し、4世紀前半コンスタンティヌス帝により国教化されたことで、大きくは3カ所、アンティオキア・ビザンチウム・カイロなどに強力な司教座を保持する結果となりました。
ただし、国教化される以前に採ってきた布教の柔軟な方法論は、お互いに離れた拠点がそれぞれ異なる教義を奉じるという事態を招き、教義統一のため、あるいは各自の教義の保持のための公会議が数多く催されたり、ローマ皇帝の干渉があったり、ケンケンガクガクな状況を招くことともなりました。
しかし、いくら公会議や皇帝の干渉があっても最終的には教義統一にはとうとう成功しませんでした。このことは何も「プロテスタント」の登場を待つまでもなく、現在に至るまで尾を引いており、典型としては西欧圏を中心としたカトリックと東欧中心のギリシア正教の相違に大きな痕跡を見ることが出来ます。
さらには、前節で聴いて頂いた通り、シリア教会・コプト教会・ガリア系教会に受け継がれている聖歌およびその唱法の違いも、およそ紀元6〜7世紀に起因するものと想像されます。
(以上はジャン・ダニエルーらによる「キリスト教史」[平凡社ライブラリー]の、独断と偏見に基づく、かなり大雑把な要約です。正確を期すためには、どうぞ、ダニエルーたちの著作に目を通してご覧になって下さいネ。)
以上の実態をふまえ、次項では最初に聴いて頂いた3つの聖歌のキャラクターがいかにグローバルか・・・いや、逆ですね、いかに地域ごとに事情を異にしているかを観察しましょう。


第2節に基づき、第1節でお聴き頂いた3種の聖歌について、それぞれ内容を確認しましょう。

1.東シリア教会
パンフレットに原詩の記載がありませんので特定出来ませんが、アラム語、らしいです。詩は初期キリスト教最大の聖歌作者として有名なエフレム(306〜373)です。唱法が「アラブ的・イスラム的」、であるからには後年イスラム文化による影響を受けて歌い方も変わったのだろう、とお感じになる向きもあるかもしれません。しかしながら、類似した旋律線は3番目に上げたカロリング朝へ伝承されたローマ聖歌の中にもありますから、事実は反対で、「イスラムの歌い方のほうが初期キリスト教の唱法の影響を受けた」と見なすほうが自然ですし、時系列で見ても合理的かな、と思います。ただし、3番目のほうでご説明します通り、唱法は西ローマ系のものではなく、おそらくはビザンチンの伝統を受け継いだのでしょう。

2.コプト教会
東シリアの唱法がイスラム文化の影響によったのではない、との傍証ともなるのが、コプト教会の聖歌の唱法です。聴きようによっては、日本の仏教の読経に近いものをお感じにはなりませんか? そうでもないですか? ウーン。。。とりあえずは、エジプトが今はイスラム圏であることも思い起こしておいて下さい。すると、コプト教会のキリスト教聖歌の歌い方が、いかに「コーランの唱え方」と違っているかをお分かり頂けるかと思います。・・・あ、コーランの唱え方については、いずれ触れようと思っています。音楽は打楽器の伴奏を伴うものを選んでみました。というのも、古記録(の抜粋の翻訳)やアウグスティヌス「告白」(の翻訳!)によれば、聖職者の発する禁令にも関わらず、初期の聖歌は竪琴をはじめとする様々な楽器をならしながら歌われたことが明らかになっているからです。竪琴伴奏の例を見つけられなかったのは残念ですが。
詩の言語は分かりません。古代を通じ、キリスト教の公用語はギリシア語からラテン語へと転じていったことが分かっています(前回、古代ローマの音楽のサンプルに掲げた聖歌の歌詞はギリシア語です)が、コプト教会は、そんな中で、あくまでコプト語(古代エジプト語の直系の子孫)にこだわり続けていたことも分かっています。・・・ここで聴く聖歌もコプト語だったらうれしいな!

3.カロリング朝に伝わったローマ聖歌
中世への過渡期にローマからカロリング朝へと受け継がれた聖歌については、マルセル・ペレスという人が精力的に研究・復元演奏をし、私の見つけた限りでは1986、91、96年に録音を発表しています。これらのなかには、1で聴かれるような旋律線を持つものと、後年明らかにグレゴリオ聖歌へと変貌していく旋律線を持つものが混在しています。後者がグレゴリオ聖歌へとつながっていくからには、こちらの方が西方世界にはなじみの深い唱法だったことを伺わせ、そこから推定すると、前者はビザンチンを中心とした東方教会に由来するものだ、と考えるのが妥当ではないか、と思われます。・・・これが、1の東シリア教会の唱法についての補足説明です。
さて、選んだ歌では聖歌の旋律の下で、低い声がずっと引き延ばされています。これは後年発想が逆転し、ゴシック期には下声部に聖歌の旋律が長く引き延ばされて配置され、上声部は聖歌を唐草模様のように飾り立てることになります。で、従来は、そうしたゴシック期の歌い方(オルガヌム)が、ポリフォニーの最初期作例だと一般人には説明されてきました。
ですが、カロリング朝に引き継がれたより古い聖歌が既にこのような唱法を採用していたのが事実だったとしたら(そしておそらく、ペレス氏は記譜されていないものを補足したりはしていない、と信頼してよいでしょうから)、ポリフォニーは中世期になって聖歌に取り入れられた、とする「常識」はしっかり見直しをしておく必要もあるし、ポリフォニー成立に関する資料もきちんと当たり直す必要があるでしょう。
かつ、ポリフォニーが西方世界で早期に浸透していたとしたら、その起源は少なくともローマには求め得るかと思われますし、さらにはローマに敵対して滅びたカルタゴの音楽に、既にポリフォニーが採用されていた可能性だって決して低くはないでしょう。すなわち、ポリフォニーの起源は、ピグミー族のポリフォニーを度外視し得たとしてもなお、本当はアフリカに有った、なんていう可能性もゼロではないのです。
・・・まあ、これは、まだ私の頭の中の、ファンタジーの世界では有りますが。

今回はこんなところで。

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2007年5月20日 (日)

5月20日練習記録

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


団の皆様、本日は練習途中でダウンし、皆様には大変ご心配とご迷惑をおかけしました。 深くお詫び申し上げます。 現在服用中の薬効き具合が日によって異なり、今日は夕方になって一気に強く出たものかと思われます。 本番でのコントロールを心がけていきますので、ご容赦下さいませ。

・・・というわけで、後半のグリークの協奏曲については、一つしか申し上げられません。
*ピアノのソロと自分の演奏しているパートの兼ね合いを、充分理解しておいて下さい。
  ソロの弾き方によっては、いわゆる「好きな演奏の録音の聞き覚え」では対処できません。
  音楽の作りをよく承知しておくことが必要です。
  ピアノパートは、技巧的には難しくても、オーケストラとのつながりが分かりやすい、メロディックな書法がとられています。ピアノのたくさんの音符の中に隠れているメロディラインと、それに相当する自分のパートのメロディラインに、マーカーや色鉛筆で同じ色を塗っておくなどのご工夫を、強くお奨めします。
・第1楽章39・40小節の装飾音付きのスタカート音型、もたつかないように。
・第3楽章練習番号Dの個所の弦の刻みは、書かれた音符の数を正確に、ではなく、数は違ってもいいから拍とテンポにハマるように弾くのですから、この点、勘違いなさらないようにして下さい。
・同じく第3楽章21小節の後打ち八分音符は短く跳ねないように。

ショスタコーヴィチは第4、第3楽章をやりました。
基本とすることは共通ですので、これも簡単に述べます。
*晩騒音計を奏でている際、後で他のパートに出てくる、あるいは主題のフレーズが変わる、といった部分を充分意識しているか? それをしていなければ、惰性的で平板な演奏になる。
〜第4楽章で注意のあった箇所は・・・
   練習番号112、113、118、(119、)123、128、131(の8小節前から)
〜第3楽章では
   89以下。
また、副次的なものであるにもかかわらず細かい音符で書かれているために必死で演奏してしまい、テーマの邪魔をしている場合があります。
〜第4楽章108:トランペットのソロが聞こえなければ、この部分の存在の意味がありません。

第4楽章120の9小節目(239小節)は、ハープが聞こえなくなるように気をつけて下さい。

第3楽章83の第1ヴァイオリンは大きめに入って、練習番号84の前で引いていけばよいです。

ホルン2、4番はペダルトーンとなっている個所の音程およびその安定に十分ご留意下さい。
チューバやコントラファゴットが重なっている個所では、そちらに委ねることも必要です。

こんなところで。
本当に失礼しました。
家のことも一通り終わりましたので、寝ます。おやすみなさい。

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2007年5月19日 (土)

はずかしや)1StVn.限定:ショスタコ5フィナーレ運指

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


ほかのオケのひとに見られたら恥ずかしいのですが。。。 ショスタコーヴィチ5番のフィナーレで「きわどい」箇所のフィンガリングの一例を作成しました。 (ま〜だこんなことしてるんですか! って、他所様には笑われちゃいそうです。) この3つをクリアして下されば、あとはなんとか自分でして頂ける?? どれも、クリックすれば拡大します。 どの箇所も、ぜひ、「かなりゆっくりめに」、1日10回ずつさらえば、本番までには楽勝になるはず(?)。

第1楽章も別途やらなければいけないんですが・・・まだ自分がサボって「弾ける見込みがたっていない」個所があって・・・あれれ、ばらしちゃった。。。これじゃもう練習には顔を出せない!)

・・・あ、それから、これは「参考例」です。「これもいいなあ!」と思っても、楽譜には書き込まないで下さい。
書き込んでほしくない理由は、記事末尾に述べることと関係があります。

・冒頭部(10小節目右から二番目の「1」はG音につけたもの)
Finalefing1

・練習番号101(AとかEとかいうのは、その弦で弾くことを表しています。)
Finalefing2

・練習番号105(左から3番目の「1」は58小節のAsにではなく、59小節のGにつけたものです。)
Finalefing3

指使いって、ラクしたいと思うか、表現重視したいか、で変化しますし、いずれの場合も自分の持つ技量との兼ね合いで他の人と同じ手段をとるわけにはいかないことが多々あります。
先日の「クイズ」では、団の皆様にそのことを少しご検討いただきたかったのですが・・・いまだに何の反応も頂けないのよ。
・・・孤独です (T_T)

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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番K.207

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


1773年の山場となる、ピアノ協奏曲第5番に接するに先立って、現存するモーツァルト初の協奏曲作品であるヴァイオリン協奏曲第1番について簡単に触れておきます。

アラン・タイソンの研究によってこの年の春の作品であると判明した(ロビンズ・ランドン「モーツァルト」中公新書p.40)ヴァイオリン協奏曲第1番ですが、アルフレート・アインシュタインが「モーツァルト その人間と作品」(訳書は白水社)を著した頃には、残りの4つのヴァイオリン協奏曲とともに1775年作と考えられていました。NMA掲載の第1ページ目のファクシミリ写真を私のような素人が眺めても・・・一連のヴァイオリン協奏曲は何らかの事情で作曲年代が一度1780年と書き換えられているのですが・・・第1番に元来記入されていた作曲年は1775年に見えてしまいます。ですが、第1番は第2番以降に比較すると間違いなく古風で、バロックの伝統の延長線上に位置する書法がとられていますから、年代の如何に関わらず、いかにも彼の「最初の協奏曲」らしい特質を備えているとは言えるでしょう。
アインシュタインが、この作品について、タルティーニ、ジェミニアーニ、ロカテルリ、ナルディーニ、プニャーニ、フェルラーリ、ボッケリーニといった、バロックから前古典に至る弦楽器奏者かつ作曲者のお歴々を並べ立て、モーツァルトの第1番はこれらの伝統・限界を守っている、と指摘しているのは、正しいことです。
すべての楽章はソナタ形式ですが、「<ブッフォ的>でない」と、アインシュタインは言っていますし、確かに、特に第1、2楽章はバロックの協奏曲に類似した雰囲気、むしろリトルネロを感じさせる構造を持っています。
それと並行して、アインシュタインはほかの4作品をあわせ、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は技巧的なところが無くて彼のディヴェルティメント作品にも劣る、と過小評価しているのですが、これは如何なものかと思います。すくなくとも、第1番の独奏部でさえ、ヴァイオリンソロを伴う楽章を持った近作の「アントレッター・セレナーデ」K.185よりも複雑に出来ていますし、それでもなお技巧的でないとするなら、その理由は、モーツァルトはタルティーニやボッケリーニを指向したのではない、かつそのことは、おそらく父の示唆による、という可能性を検討しておく必要があるかと思います。
なお、少なくともタルティーニとジェミニアーニについては音声資料を所有しているので、比較が出来ればこの点をもう少し突っ込めるのですけれど、遺憾ながら家内の死去に伴い、今まだ、我が家はそれらを取り出せる環境にありません。いずれ考え直したいと思います。
まだバロック的な最初の2つの楽章に対し、第3楽章のみは前古典派的な明快さを持っているのは、協奏曲の分野では、おそらくボッケリーニあたりの影響によるのではないかと思います。
変ロ長調、という調性も変わっているのですけれど、この調はアントレッター・セレナーデで採用されているのと同じである点にも注意をしておきましょう。これは当作品が南ドイツ・オーストリア風(ザルツブルク風)を打ち出しているからだ、との説明が海老沢敏「「超越の響き」p.190ではなされています。
初演の独奏者は、ザルツブルク宮廷管弦楽団のコンサートマスターとなっていたモーツァルト自身であったろう、と推定されています(西川尚生「モーツァルト」p.243)。これはほかの4つの協奏曲も同じです。従来、一連のヴァイオリン協奏曲の初演者ではないか、と考えられていたブルネッティは、ザルツブルクに採用されたのは1776年3月であることが分かっています(西川 前掲書)。

ロビンズ・ランドンの述懐。
「(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲)は、モーツァルトの初期の作品の中では最も知られたものであり、これらが甦ってからまだ百年も経っていないのだが、それ以来ずっとヴァイオリニストたちのアイドルとなってきたものである。・・・これらの五曲が、いずれもモーツァルトの生前に出版されたことがないというのは、驚くような事実ではなかろうか。それらは全くの”機会音楽”として書かれ、主としてザルツブルクという地域の中で使われただけで、・・・流通の極端な悪さにより、十八世紀のヨーロッパでは、偉大な音楽でも、ある地域の境界線を越えなかったのである。」
・・・きわめて共感をもよおさせる言い分で、これをもってきれいに締めたいところなのですが、楽譜と流通の問題については様々な研究がなお進行中であり、ことはロビンズ・ランドンの考えたほど単純に決めつけてしまってはいけないようです。
などと言いつつ、私はそのことを深追いする材料は持ち合わせませんので、一応、このことに付きご留意いただきたいとだけ申し上げるにとどめましょう。

第1楽章:Allegro moderato 4/4 181小節
第2楽章:Adagio(変ホ長調) 3/4 116小節
第3楽章:Presto 2/4 372小節

管楽器はオーボエ2本、ホルン2本。弦五部。

NMAは第14分冊に収録。
音源多数。お好きなものを。



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超越の響き―モーツァルトの作品世界


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2007年5月17日 (木)

やさしさ

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


いつもこむずかしいことばかり、のブログだし。 ネタの調査は途中だし。 今日はなんだかくたびれたのでもう寝ますし。 ですので、音楽に関係ない話を手短に綴ります。

今朝のニュースで、
「横浜市が路上喫煙を懲罰をもって禁止する条例を制定予定」
というのをやっていました。
東京ではいち早く千代田区がやっています。私の勤務地の新宿区に類似の条例がありますが、懲罰規定まであるのかどうかは知りません。

ニュースをきいて、ふと、新宿に条例が出来る前、西新宿の高層ビル脇で毎朝タバコの吸い殻を履き集めていたタクシーの運転手さんたちがいたことを思い出しました。
話しかけてみたら、
「俺たちゃ、こんなことくらいしか、世の中の役に立てることは出来ねえからな」
なんて、とてもへりくだったことを、へりくだらずに言っていました。
そうでなくても、タクシーの運転手さんには、元やっていた会社員生活につまづいて、ほかに職がなくて運転手になった、っていう人が、結構多い(もちろん、そうではない人もいます。ですので、みんながみんなそうだとは決めつけてお読みにならないで下さいね)。

この話を、今日、ある人にしてみました。
「やさしいんだね〜」
「なまじっか平和に会社勤めとかやってる人より、<ハズれた>って思いながら生きてる人のほうが、本当に優しいもんだと思うよ」
と、そのときは、そこまでご立派にはまとまりませんでしたが、そんな意味を込めて応えました。

<ハズれた>世界を知った人が<ハズレ>を脱した瞬間は、すごい人になりますよね。
映画なので架空のキャラクターだけど、息子は「ロッキー」に、そんなすごさを感じているようです。
でも、瞬間で終わる人が多いんじゃないかなあ、という印象も、僕には色濃くあります。
<ハズれてた>故に保てていたウブな心が、当たってしまうと、<もうハズれられない>っていう消しゴムで消されてしまう。ご本人は消していないつもりでも、消してしまっていることが多くはないかしら?
それも、半端な消し方をしている人が多い。
妙な話ですが、僕は、そういう、<ハズレを半端に消した、当たりを取った人>(くどいな!)が好きです。
見ていて、あるいはつき合ってみて、こんなに面白い種類の人間は、<ハズレっぱなし>のグループにも、<当たりっ放し>のグループにも、絶対にいません。その人その人で、<半端に消したハズレ>にどう取り組むか・・・挑むのか、避けるのか・・・が違うので、ヴァリエーションが豊富で、つき合うとしたら面倒くさいけれど、観察する分にはとっても楽しい。
その人のどこに、「やさしさ」が宿ってい続けているのかを見つけてみようと野次馬するのは、スリリングです。

あ、<ハズレっぱなし>の僕のようなものに言う資格のある話ではなかったナ。

逃げます。

おやすみなさい。(23:00)

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パート譜にはなぜ運指が書かれていないか?

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


すごーくささいなクイズですが・・・

かつ、ファーストヴァイオリンの例だけで恐縮ですが(管でも求めたい効果によっては換え指の記載はありますよね)、オケ譜のパート譜には、基本的には運指(指使い)は書かれていませんよね。
何故でしょう?

ショスタコーヴィチの第5の第1楽章の、とある箇所に、仮に2通りの運指を書き入れてみました。
これを見比べてご一考いただければ幸いです。
ついでながら、いずれも「とある問題を抱えた」運指です。

正解は有るよな無いよな、ですから、各自でご考察いただいたところをコメントなどいただけると大変仕合せなんですが・・・コメント、とくに身内の人には、ほとんど貰えないからなあ。。。寂しいなあ。。。

<例1>
Sho542_2

<例2>
Sho541

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2007年5月15日 (火)

DVD:ピアノ その300 年の歴史

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


イワンさんのブログの記事を読んでいて、触発されました。
「そうだ、古楽器ピアノ(以下、わざとこの呼び名を使います)、っていう面白いもんがあったな。」
娘のトロンボーンの師匠がサックバットも吹く人で、
つい先日雑談しあい、共通した見解が
「<古楽>って言葉、もういりませんよネ」
というものでした。

従来「モダンオーケストラ」として演奏してきた団体も、最近は「古楽(ピリオド)奏法を採り入れました」なんてのを売りにしています。あまり端的過ぎる言い方ですが、要は「ノンヴィブラートで演奏しますよ!」。

で、ノンヴィブラートということだけに限定して言えば、実は、「モダンオーケストラ」なる団体も、20世紀初頭まではオーケストラ全体がノンヴィブラートで演奏していたことが、CDが豊富に出回るようになった最近では、容易に確認できます。たとえばニキシュ/ベルリンフィルの演奏。あるいは、カール・ムックの指揮したもの。フランスならコロンヌの演奏。探せばまだまだいっぱい出てくるでしょう。
となると、最近の「モダンオーケストラ」の売りの意図は、果たしてどこにあるのか・・・
その本質に注目した批評が出ているとも見聞きしていませんし、オーケストラ側の証言も(もしかしたら最近は活字になったものもあるのかもしれませんが)私は見出していません。

もし、「復古」運動として本気に取り組んでいるのだとしたら、悪いことではないかもしれません。しかし、一方で、危惧されることもあります。

「では何故、我々はこれまでヴィブラートを多用する演奏に傾いてきたのか? それはいつからだったのか?」

こちらの側面に関して、冷静に省みる目が
・存在しているのか
・存在しえるのか
・存在を許されるのか
という問題です。

つまらないことに茶々を入れるようですが、私には、これは人間に「理性」なんてものが本当にあるのかどうかを問われる、大きな「試練」である気がしてなりません。

「古楽」はともかく、道具としての「古楽器」は、確かに存在します。レプリカも含めて広く「古楽器」と考えても差し支えないかもしれません。それは、一時期までは人間が盛んに演奏していたにも関わらず、いつのまにか省みられなくなったり、あるいは改造を加えられたものの方が当たり前に流布して原型が忘れられたりした楽器、およびその楽器の構造を指すのだ、と考えておきましょう。

「古楽」という言葉そのものは、本来、そうした「古楽器」をいかに演奏するか、を探求する上で生まれたものだったはずで、数十年前にはFMラジオで「バロック音楽の時間」と称しながら、ルネサンス期を含む音楽までを再現する試みをなした番組がありました。こちらは、当時は「ヴィブラートを多用する」演奏が「改造された」楽器でなされることが常識だったがゆえに、
「それがあたりまえではないんだよ!」
ということを示す上で、非常に重要な意味をもっていました。

今の「古楽(ピリオド)奏法」は、しかし、現在の流行に過ぎないのではないか?
であるからには、その本質を突き詰めて考えて下さる存在が、どこかにいらしてくれないと、また別の意味で「元の木阿弥」が起こるのではないか?

これは、私が素人であるが故の、奇妙な心配でしょうか?

じつは、こんなことを思ったきっかけは、家内の埋葬について考えているとき、日本の「墓制」を調べ始めてみて、日本史上で江戸期・明治維新のもたらした、当時としては民になじみのなかった死生観が、いかに現在、今度は無意識に常識化されてしまったか・・・そしてその壁に挑むことがいかに大変か・・・を思い知った、そんな延長線上で音楽を考え始めたことにあります。・・・が、そのことは蛇足です。

* * * * * * * * * * 

話を戻しましょう。

で、古楽器としていちばん情報が豊富、かつ面白いのは
「古楽器ピアノ」
だと思います。
たとえばヴァイオリンで、ストラディヴァリやグァルネリを作られた当時に戻して演奏してみました、なんてことが仮に出来たとしても、古楽器ピアノほどには面白くないでしょう。
なぜなら、弦楽器にせよ管楽器にせよ、古い状態のものを演奏する上で演奏者の個性が関与する度合いが、ピアノに比べるとはるかに高い。ですので、
「この演奏は本当に古いスタイルを反映しているのか?」
となると、疑問の余地が非常に広い。
古楽器ピアノにしたって信頼しえる「古いスタイルの反映」などというのは、タイムマシンでもあって、その当時を見に行くことが出来るのでなければ、百パーセントはありえません。
けれど、調律が一音一音についてなされていること(誰がやるかは別として)、タッチの感触には奏者自身で手出しが殆ど出来ないこと、など、他種の楽器に比べて制限がある点で、より興味深く観察・試聴が出来るわけです。

もう少しまとめれば、

・あらかじめ一音一音が調律されることにより、
 演奏中には奏者の恣意による音律あるいは音程の変更が不可能である

・弦を鳴らすメカニズム(チェンバロと違い、ハンマーになっている)
 が、製作あるいは調整過程で決定付けられているため、
 擦弦楽器における弓、管楽器におけるリードやマウスピースのように
 臨機に発音機構に変化をもたらす装置を用いる余地がない

ということにでもなるでしょうか。

録音や映像が普及する一方で、古楽器そのものに触れるチャンスは、じつは、私たちには殆どありません。
本当なら、現物に触れなければ分からないことがある。
古楽器に限定しなくてもよい、イメージしてみて下さい。
チェンバロが弦を「はじく」ことで発音している、という感覚は、実際にチェンバロの鍵盤に触れてみて初めて分かることです。この経験によってようやく、本物のチェンバロというものの音が、サンプリングによりシンセサイザー(MIDI音源)で出すことが出来るようになっているチェンバロの音と全く性質が異なっている、ということを、私たちは初めて知ることが出来ます。
オールドではあっても、モダン用に補強されたヴァイオリンでいわゆる「ピリオド奏法」で弾いてみたところで、オリジナル状態の古楽器ヴァイオリンと同じ音がしないことも、弾いてみて初めて分かります。
ですが、そこまで経験することは、通常は望めない。

ですので、録音や映像は、こうした「触覚」を欠いた、代替的経験だけを与えてくるものだ、ということは、あらかじめ承知をしておかなければなりません。

それでも、代替的経験を与えてくれる資料が増えているなら、喜ぶべきことでもあり、是非触れてみる価値があるものでもあります。

* * * * * * * * * * 

「ピアノ その300年の歴史」というDVDを見つけました。

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ピアノ、その300年の歴史
DVD ピアノ、その300年の歴史

販売元:ビデオメーカー

発売日:2007/04/27

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これはきっと、私に素晴らしい代替的経験を与えてくれるのではないか、と、少し高めで、しかも節約を考えるべき境遇下でありながら、つい、手を出してしまいました。

全般的な感想から言えば、満足度は30%でした(ちょっと辛目の評価ではありますが)。
標題からは300年間に「古楽器ピアノ」がメカニック的にどう変貌し、その結果、音色や音響にどんな変化がもたらされたのか、を概観できるのではないか、との期待を抱いていました。
最初の3分の1セクションくらいまでは、この期待は、完璧にとはいえませんが、裏切られません。

まず、歴史をうかがうという点では、満足度は60%くらいまであげてもいいかな、と思います。
クリストフォリが古楽器ピアノを考案した経緯、それがウィーンで「翻案」されていく過程については、イワンさんのブログで取り上げられていた書籍「ピアノはいつピアノになったか?」の記述を要約し、映像で見せてくれることでメカニズムをより分かりやすく教えてくれ、音色も聴かせてくれます。さらには、同時期あるいはやや後代に、古楽器ピアノがイギリスでどういう発展を遂げたか、アメリカにはどう取り入れられたか、かつ、アメリカでそれがどういうかたちで、スタンウェイによって(大量生産可能な)モダンピアノに変貌していったか、も、内容としては良く辿られています。最後には電子ピアノの話題にまで発展し、それに対する日本の貢献についても触れられています(この映像の製作者は日本人ではありません)。なお、採り上げられている日本のメーカーは、ヤマハとローランドです。

一方、期待の音声のほうが、大ハズレでした。古楽器ピアノの話題がモーツァルトあたりの時期に入ったところで、演奏サンプルは突然、圧倒的にモダンピアノのものばかりになってしまう。映像にはまだまだ古楽器ピアノが現れ続けるのにも関わらず。・・・何故、そんな音声の編集にしなければならなかったのか、この映像のプロデュース方針の一貫性を疑わざるを得ません。

こういう残念なところがありますが、ピアノ好きには一見の価値がある部分も少なくありません。
ガーシュウィンやデューク・エリントン、セロニアス・モンクがピアノを弾く映像も収録されている点も、そんな魅力的な部分の1つです(クラシックピアニストではない昔の人たちの演奏する姿はなかなか見られません)。
この映像からは、ガーシュウィンやモンクが手を平たくして弾いているのに対し、エリントンが意外なほどオーソドックスな、クラシックのピアニストの同じタッチで弾いていることが分かり、大変面白く思いました。

という次第で、このDVD、
・古楽器ピアノのメカニズムを書物では理解しにくく悩んでいた場合
・現代のピアノ市場がどう築かれて来て、どんな未来を思い描いているかに興味がある場合
・古典的ジャズメンのピアノ奏法をどうしても見たい場合
には、ご一見をおすすめします。

* * * * * * * * * * 

まとめて古楽器ピアノの音色を聞いてみたい場合には、前出
・伊藤信宏編「ピアノはいつピアノになったか?」大阪大学出版会 2007 1,785円
の付録のCDが安価で手軽です。これにはクリストフォリのピアノを復元したもの、1795年製のホフマンという人の作ったピアノ、1820年ごろのシュタイン製のピアノ、1846年製のプレイエルのピアノの演奏が収録されています。
後半2つは、本書を構成する講演に伴っての実況演奏を録音したものです。
一連の講演をまとめた本、という性質上、残念ながら、標題のテーマに対して内容は必ずしも網羅的ではありません。とりわけ遺憾なのが、その書簡中で高頻度で当時の古楽器ピアノの長短をレポートしているモーツァルトについては、まったく記述がないことです。また、いわゆる19世紀のヴィルトォーゾ時代についてのお話も概観的に過ぎるため、CDに収録されたプレイエルのピアノの音が何故録音されたようなものなのか、についての説明が不充分であることも否めません。ショパンがプレイエルのピアノをどう感じ、プレイエルがそれにどう関わったかは、しかし、他に良い本もあります(高いですけれど)から、やむをえない、で済ませてもいいでしょう。
付録CD解説への不満は、演奏が何故、どのような音律を基準として調律されたかについて記されていないことです。これ抜きでは、たとえばプレイエルでのショパン演奏の音程感には違和感を抱いたままで終わる聴き手も多いことでしょう。

一般に、「古楽」と称する演奏を、もっとお客に親切に理解してもらうためには、すくなくとも
「私は、私の弾いているこの古楽器ピアノは、平均律ではなくて中全音律で調律してあります。それは、こういう根拠から判断したことです」
という点を明示していくべきではないかと感じております。録音類でも、書籍類でも、私のような素人が音律の問題を平易に理解できる資料には、なかなか巡り会えません。

そんな中で、平均律を丁寧に説明した書籍があります。かつ、この本、ピアノのメカニズムについても、とても詳しく教えてくれます。但し、多少根気がないと内容が読み解けません(私は根気がないので、理解しきっていません)。

・西口磯春・森太郎著「もっと知りたいピアノのしくみ」音楽之友社 2005 1,890円

最近、我が家にアップライトをやっと仕入れることの出来た私は
「これを読めば自分で調律もできるようになります」
という謳い文句があったので飛びついたのですが・・・読み進めたら
「調律は、この本の内容を理解し、かつ、しかるべきお師匠さんにつかなければやってはいけません。」
・・・ガックリ。

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もっと知りたいピアノのしくみ
Book もっと知りたいピアノのしくみ

著者:西口 磯春; 森 太郎

販売元:音楽之友社

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2007年5月14日 (月)

モーツァルト:サリエリの主題による6つの変奏曲K.180

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


さて、1773年の、ある意味で最も落としてはならない作品に触れていませんでした。

「サリエリの<ヴェネツィアの市>の主題による6つの変奏曲」K.180です。

ウィーン旅行中に書かれたと思われるこの作品は、モーツァルトとサリエリの、音楽上での初めての遭遇です。
が、作曲された経緯が分かっていません。
この年のウィーン旅行自体、目的が明確に分かっておらず、既に重病に陥っていた宮廷楽長のガスマンの後釜を狙ったのではないか、などという(当時のモーツァルトの知名度からしたらあり得るとはとても考えられない)憶測までなされていますが、それでもこの憶測がもう少し程度の緩やかな・・・後釜となる有力者に認めてもらう狙いがあった、という意味では、可能性がゼロではなかった。そのことを示すのがこの変奏曲の存在だ、と思ってみて楽しむ分には許されるでしょう。
いうまでもなく、サリエリはガスマン最愛の弟子であり、宮廷楽長の後継者として最有力候補の一人ではありました。
かつ、変奏曲の主題の出処であるオペラ<ヴェネツィアの市>は、前年(1772)にウィーンで大当たりをとり、水谷彰良氏「サリエーリ」の付録の表によれば、その後1783年から91年にかけてブルク劇場で11回上演された実績を持つことにもなった秀作(のはず)です。(ただし、別の表によると、この間の<ヴェネツィアの市>のウィーンでの上演は1785年9月12日初日とあるのが唯一ですから、85年に11日間上演された、ということかもしれません。)余談ながら、<ヴェネツィアの市>の台本作者は、チェリストで作曲家として有名なボッケリーニの兄、ジョヴァンニ・ガストーネ・ボッケリーニでした。かつ、このオペラは、当時22歳のサリエリがブッファの世界で初めて成功した作品でもあるとのことです(水谷前掲書p.34)。惜しくも全曲録音を耳にすることは出来ませんが、チェチーリア・バルトリがCDで「サリエリ・アルバム」を出した中に、<ヴェネツィアの市>中もっとも評判のたかかったアリア「あなたにとって私は花嫁で恋人」を収録しています。映画<アマデウス>で固定してしまった単調で旧弊な音楽の作者であるサリエリ、という謝った観念を突き崩すに充分な、非常に凝ったアリアで、ご一聴をお薦めいたします。

そうした作品から、おそらくは軽いアリエッタあたりから主題を拾って作ったのが、この変奏曲です。
そう長いものではないので、中身について詳述するより、せっかくですから全曲を聴いていただきましょう。

演奏者はBart van Oort、演奏している楽器は1795年ごろのヴァルター作のフォルテピアノを2000年に修復した楽器です。この音色にもご傾聴下さい。(BLILIANT 93025 CD4)
なお、ペッダル式ではなかったのかもしれませんが(図版で確認できていません)、この楽器には少なくとも今日で言う「ダンパー・ペダル」に相当する装置がついていたことは明らかです。

この年モーツァルトが初めて自作としてつくりあげたピアノ協奏曲についても、どうやらサリエリとの影響関係を考慮する必要がありそうなのですが、間抜けなことに、私はサリエリにピアノ(チェンバロだった可能性大だが)協奏曲2作あること、これは従来1778年作とされてきたが、最近では1773年作ではないかと考えられていることを、完全に読み落としていました。
せめて音だけでも確認したいと思って手配しましたが、最長1ヶ月かからないと音源が入手できないか、または全く聞けない可能性もあります。ですので、この件は、実際にサリエリと同傾向の作風が見られるという、モーツァルトの協奏曲第23番まで保留しなければならないかもしれません。

ピアノフォルテもしくはフォルテピアノについての面白い記事がイワンさんのブログにありますので、浅瀬てご参照いただければ幸いです。
私も改めてこの話題に触れたいと思っております。

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サリエリ・アルバム
Music サリエリ・アルバム

アーティスト:バルトリ(チェチーリア)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2003/11/21

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2007年5月12日 (土)

いちばんたいせつなこと

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。



純粋プライベートはブログへは極力綴らない、と、4月以降決めていました。
が、今日だけは綴らせて下さいね。

このあいだ、自分がどうにかなりそうになって、どうしたもんか、と悩んだ末に、あれこれ算段をし、ある人に会ってもらいました。

その人とは初めて会いました。
それで新しい恋人になってもらったとかいうのでもありません。
宗教関係の人でもありません。
いかがわしい関係のギョーカイ人、でもありません。
ただ、異性ではあります。
なので、どうしてそんなことが出来たか、は、ご紹介すべきところですが、それはご容赦下さい。

その人に頼んだことは、ただふたつ。
してもらったことも、ただ二つ。

ひとつは、最初に簡単に、僕が家内を亡くした悲しみを二言三言話すのを聞いてくれること。
もうひとつは、そのあとただ黙って、僕をずっと抱きしめていてくれること。
そんなに長い時間ではありませんでしたが、短い時間でもありませんでした。

それだけで、家内の死後、頭髪の下に分厚くこびりついてしまったフケが、後で洗髪したら、きれいにとれました。
この数ヶ月、いくら試しても、どうしても治らなかったことでした。

* * * * * * * * * *

家内にプロポーズした日・・・それは奇しくも15年後のちょうど同じ日に家内を失った日付ともなったのですが・・・、家内が僕にしてくれたことも、それまでの僕の中にたまっていた悲しみを聞いてもらうこと、そして後は黙って抱きしめてもらうことでした。それで嘘のように、僕のヒドいフケ症が直ったので、不思議に思ったものでした。

15年間の結婚生活の中で、家内にも泣きたい日が何度もあり、そのときは僕が、家内を抱きしめてやりました。
お互いにそんな風に接し合ってきながら、去年だけは、一度も家内は泣き顔も悩む顔も見せず、僕は僕でウツからの復帰で家内を困らせるのも不本意で、だからそういう、ある意味禁欲的な抱擁というのは、一度もし合うことがありませんでした。家内が死んではじめて、霊安室に連れて行かれる前日、僕は親族の目もはばからず、家内の遺骸を抱きしめて寝たのでした。

* * * * * * * * * *

いま、ウツの薬の効果が切れている間に人になんだかんだ言われると、異常に気が高ぶり、怒りが収まらなくなる状態で日々を過ごしています。
ただ病気だから、そうなるのか?
違うんだ、と思いました。
じゃあ、何が足りなくてそんなことになるのか?

無心の抱擁、だったのではないか、と思いました。
今回、特にそれを強く感じました。

以下、厳密ではないので信仰をお持ちの方にはその点ご寛容にお読みいただきたく、あらかじめお願い申し上げます。
仏教のいうのは「唯、仏に抱かれていると信じよ」
キリスト教なら「神の愛に包まれよ」
で、そこへ至る道程の求め方こそ異なれ、たどり着くところに変わりはないもの、と、私は受け止めています。
ですが、神・仏は、私たちの肉眼に有形で現れることは、決してしてくれません。
ですから、神・仏に抱擁されている、などということを、私たちは肉体で実感することは出来ません。
ただ一心に信じることだけが、抱擁されている確かさのよりどころとなる。

それに耐えられない、弱い、信じきれない自分。卑小です。
それが私というものの現実です。

鎌倉時代初期の名僧、明恵は、早くに両親を失った人ですが、「仏眼仏母」の絵姿を身近におき、仏眼仏母に抱擁される自分を夢想し、抱擁を感得し得た人でもありました。
「木に刻み絵に書きたるを生身と思へば、やがて生身にて有るなり」(梅尾明恵上人遺訓)

私は毎朝毎晩、位牌の厨子の前に置いた家内の小さな遺影に口づけします。そうすれば、明恵のいうこの心に近づけるのではないか、と、そう思いつつ、続けてきました。
・・・なかなかに、しかし、それでは済まない。遺影が前に有りさえすれば、まだ生身がここに有ると自然に思ってはいられます。ですが、遺影の前から離れると、もう駄目です。
家内は、今の僕には「絵姿女房」です。

いつもの饒舌になってしまいました。

一番大切なことは何なのか。
それが、わかった気がして、綴り始めだしたのでした。

それは、
「私は黙って信じてもらえ、黙って抱きしめられている。そして、黙っていてくれるその人を黙って信じられる」
という、たったそれだけのことなのかもしれない。

今朝はやはり薬切れの最中に息子がグダグダ言うのに腹が立って怒りまくってしまいました。
そのあと、息子がすり寄ってきて、
「ごめんなさい」
と謝りながら、手を僕の体に伸ばしてきました。
あとは黙って、しばらくのあいだ抱きとめてやりました。

これだけのことで、お互いが信じ合い続けられるなら、こういう時間を、絶対に惜しんではならない。

これだけのことの中に、神がおられ、仏がいまし、無神論の方にとっても宇宙は厳然と存在するのです。

僕は確信します。
肉体と心は、一生惑い続けるかも知れませんが。(11:55)

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2007年5月 9日 (水)

モーツァルト:4手のピアノのためのソナタ

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。



モーツァルト続きですみません。
(勢いがあるわけではなく、続けて読まざるを得なくなっているだけです。)
これも、1772年の作品を1つ読み落としていました。

K.381(1772)
K.358(1773〜4)

の2作を採り上げます。

協奏曲は別として、彼には(疑作・偽作も含め)
・2台のピアノのための作品〜6(ソナタは「のだめ」で有名になったK.448のみ)
・4手のピアノのための作品〜7(うちソナタが6曲)
がある、とされています。(NMA第20分冊に収録)

4手の作品中、K.19dが最近では疑作とみなされていることについては、K.19dの記事に綴りました。
が、それを含め、上の2種類の違いは次のようなところにある、と、読譜上では感じております。

すなわち、
・2台のピアノのための作品は協奏交響曲的(独奏協奏曲には編曲しにくいでしょう)。
・4手のピアノのための作品はシンフォニー的

だという印象です。

2台のピアノだと、1台ずつが上声部も下声部も演奏しますから、どちらにも派手な効果を盛り込んだ個所があるため、単純なオーケストラ曲に変換することは考えにくくなるのだと思われます。

それに対し、後者は、1台のピアノの中で一人が上声部、一人が下声部を担当するものですから、より「安定的な」曲造りがなされるのでしょう。主題の取扱方法や声部間での役割の入れ替えタイミングなど、複雑な細工をした個所は全く見当たらず、2台のピアノ作品に比べて自然な、穏やかなやりとりがなされているのをはっきりと感じます。
パッと見ではヴィオラを2部にしたり、2ndViolinの伴奏音型で一部の音をオクターヴ上げたりし、ファゴット2本を弦楽の低音部と独立に扱えば、彼がこの時期に作曲していたシンフォニー(25番など)と、かなり似た雰囲気で響くようにオーケストレーション可能でしょう。
(私なんかがやっても、ヤボにしか仕上がらないけれど。)

4手のピアノのための作品の自筆稿は、残念ながらここまでのものはK.358以外には残っていないそうです(大英博物館蔵)。
K..358自筆稿の冒頭頁の写真版(NMA掲載)を見ると、他の曲種と違い、曲名・作曲者名の署名がないのが分かりますが、これは作品が「私的な」性質であるためなのか、そうではないのか、または掲載されていない裏側にでも記入があるのか・・・解説がありませんので分かりません。

K.19dは幼いモーツァルトが姉ナンネルと一緒に演奏した記録が残っていますが、演奏に用いられた楽器はクラヴサンでした。
それから7,8年後、4手の作品はどのような楽器で演奏されたのでしょうか?
これは鍵盤楽器の発明と普及史を確認しないと推論が立てられませんね。
ただ、現代のピアノほどの音量で演奏されたのではないことだけは、断言してよいでしょう。
(私の仕入れてあった「モーツァルトピアノ作品全集(輸入盤)」は、全作品を古い型のピアノフォルテで演奏しています。)
ピアノフォルテの音色はクラヴサンやハープシコードの音、現代ピアノの音のいずれにしか耳慣れていない私たちには、前者と後者の中途半端な混合体のように感じられなくもありません。そんな違和感に耐えられない方も、とくに年配の方には多くいらっしゃるのではないかと思います。
ですが、モーツァルト当時のピアノを用いての演奏は、イングリッド・ヘブラーなども初期協奏曲作品でかなり以前に録音までして試みており、決して最近突然始められたものではありません。

ただ、本当に「いいなあ」と思える演奏に巡り会いにくいのも、まだまだ現実です。取り組む
方たちは研究熱心ですので、いまはまだ奏法も模索段階が続いているのであって、いずれは何
かしら安定した印象を与えてくれる演奏も、当たり前になされるようになっていくのではない
かと思います。

ずれたことばかり綴ってすみません。

年は1年あいていますが、2作とも、質的に大きな差はありません。この時期のシンフォニーの方はある程度の落差を感じさせるだけに、2作とも良質な仕上がりである背景には、モーツァルトがストレートに鍵盤に向かって鍵盤のための音楽を作ったがための、ある意味、リラックスした心理がはたらいているのではないかと想像したくなります。

なお、アルフレート・アインシュタインは、K.358のほうはK.381に比べて進歩がない、と、前者を低く評価しています。。。そこまで低める要素は、K.358にあるとは、私は思いません。
かつ、アインシュタインの書きぶりからは、彼がオーケストレーションしたらこうだろう、というイメージも持っていたと思われますが、当時のモーツァルトの 持っていたオーケストレーションのイメージとはズレがあるのではないかと感じます。

下記アフィリエイトは私の所有しているCDとは異なっています。
私は、聴くときは
ピアノフォルテによる全作品集
のほうで聴いております。




モーツァルト:2台、4手のためのピアノ作品集


Music

モーツァルト:2台、4手のためのピアノ作品集


アーティスト:ホフマン(ルートヴィヒ) ヘブラー(イングリット)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2006/05/24

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2007年5月 8日 (火)

モーツァルト:16 のメヌエット K.176(1773)

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。



1773年、協奏曲以外の器楽曲ではモーツァルトはあと2種、作曲しています。
内1つは4手のピアノのためのソナタですが、これは別途触れます。

今回は、この年の12月に書かれた、管弦楽のための「16のメヌエット」K..176について記します。

目にした中では、海老沢敏「モーツァルトの生涯」中に
「年末の舞踏会用の作品か?」
と推定が載せられていただけで、成立事情については他に触れた記事はありませんでした。
ただ、この作品の楽譜を収録したNMAのSerie IV BAND1(第13分冊)の解説には、1777年にモーツァルトがミュンヘンでの舞踏会に参加した様子を父宛に綴った書簡を抜粋して冒頭に掲げ、当時の貴族社会での舞踏会ばやり振りを愉快に垣間見せてくれています。この日、モーツァルトはたった4曲メヌエットを踊っただけでしたが、それでも部屋に帰った時刻は夜11時でした。
同じく1783年の書簡からの抜粋(これは有名なものですが)では、
「舞踏会は6時に始まり、7時に終わりました。たった1時間だったのか、ですって? いえいえ、終わったのは朝の7時なのです。」

なお、このメヌエット、第7曲から第11曲を除いた11曲分のクラヴィア用編曲も同時に残されており(K.103と似た事情からでしょう)、メヌエットが大きな会場でオーケストラの伴奏で踊られたばかりではなく、小部屋にクラヴィアさえあれば
「さあ、踊ろう!」
などということもしばしばあったのだろうと推測させてくれます。
でなければ、編曲なんか需要はなかったでしょうから。

ただ、これらのメヌエット、モーツァルトがセレナーデやシンフォニーの類に取り込んだメヌエットとは様相を異にしているように感じられます。
凝ったところが全くないわけではないのですが、たとえば転調もほんの部分的ですし、次に一覧でご覧に入れるように、小節数も随分と教科書的で・・・要するに、変則的なところ、個性を存分に盛り込んだ形跡、等はほとんど見受けません。
16曲の調性の配列も5度、3度、4度の上昇又は下降という、協和的で規則的、常識的なものであることは、下記の表から伺われるとおりです(すべて長調です。ドイツ語の大文字で表します)。
若干の作例については「こういう特徴がある」云々がNMAに記載されていますが、聴いてみれば、あるいは楽譜を眺めればすぐに気づくようなことばかりですので、省略します。

オーケストラの編成はオーボエ2(またはフルート2)、ファゴット1、トランペット2(またはホルン2)、弦楽器(ヴィオラが含まれていません!)です。ファゴットはバスと一緒に演奏するのが普通ですが、第9曲と第14曲目のトリオではソロを吹きますから、含まれていたことは間違いないと考えていいかと思います。
なお、オーボエの登場する曲ではフルートは使われず、トランペットの登場する曲ではホルンが使われません。フルート、トランペットが現れれる曲については、それぞれFl.、Trmp.と略号を付しますので、それ以外では木管はオーボエ、金管はホルンだ、というふうにご了解下さい。
数字は、小節数です。
なお、第3曲、第4曲、第7曲、第10曲にはTrioがありません。

1) D 16 & Trio 16 Trmp.
2) G 20 & Trio 16
3) Es 16
4) B 20
5) F 16 & Trio 16 Fl.
6) D 16 & Trio 16 Fl. Trmp.
7) A 18
8) C 16 & Trio 16 Trmp.
9) G 16 & Trio 16 Fl. (Fg.)
10) B 20
11) F 16 & Trio 16
12) D 16 & Trio 16
13) G 16 & Trio 16
14) C 16 & Trio 18
15) F 22 & Trio 16
16) D 16 & Trio 16 Trmp.

・・・こういうのは、モーツァルトにとって、単純に「やっつけ仕事」だったのでしょうか?
構造の単純さにとらわれると、そう思いたくなるところです。
が、まず顧客はセレナーデの類のような特定のパトロンだった可能性はどれくらいあったのでしょうか?
また、自分あるいは同僚の腕前を披露するための協奏曲やソナタ(シンフォニーを含む)は、おのずと演奏される場面も享受する側の態度も違いますから(協奏曲をバックに踊る、だなんてことを考えた人は・・・モダンバレエのバレリーナだったら別ですが・・・当時はいなかったはずでしょう?)、同列に考えたりすること自体、そもそもおかしなことですよね?
ですが、資料不足もあるとはいえ、舞曲類についてはモーツァルト作品も結構軽んじられている気がしないでもありません。もう少し、その生み出された社会的背景について、まとまった論考を目にしてみたいものだなあ、と思います。
が、風俗史専門でも、踊りの場をテーマにしている記述は、いまのところ西欧史関係ではフランス革命期のカーニヴァルに関するものしか見たことがありません・・・こちらは幸いドーミエの残した沢山の絵が残っていたりするから、研究しやすいのでしょうね。

ただ、自分の舞曲の扱いが軽かろうがどうだろうが、モーツァルト自身、まあ、文句はないのかもしれません。

なんともいえないところです。

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2007年5月 7日 (月)

モーツァルト:1773年以前の宗教曲についての補遺

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。



1773年の観察を、もうこのあとすぐに協奏曲2作でしめくくろう、というのは、痴呆症もいいところでした。
小さな作品いくつかがまだ残っていましたね。
うち、宗教的作品のほうに触れますが、これは調べていくと(って、素人にたいした調査はできませんが)、宗教作品でありながら非常な問題児なのでありました。

1773年作とされ、コンラートの作品でもこの点修正されていない
・レシタティーヴォとアリア「さればたいせつなことは/高きを求め」K.143
について、Carus版スコアでの解説者レルケは2003年に「1770年の作ではないか」と推定しています。すなわち、第1回イタリア旅行の際、父レオポルトはヴォルフガングがカストラート向けに2つのモテットを作った、と書案で報告しています。現在では2作とも失われてしまった、というのが定説ですが、レルケは「2作のうちの1作が、このレシタティーヴォとアリアなのではないか、というわけです。
しかも、この考え方は、すでに1963年にNMAの方でも「その可能性あり」と述べられていて、突飛な説ではありません。
問題は2つ。
まずは、ではなぜ、この作品は1773年作とみなされてきたか。
こちらについては、モーツァルト自作の宗教曲を1772年から1774年にかけて自ら書き写した楽譜集が、この作品の唯一の原典であることに由来するのだ、とされています。「じゃあ、なんで72年から74年という幅の中でではなく、73年と限定されているのか?」~素人向けに明示されている論拠は、私は見つけておりません。
2つ目の問題。レシタティーヴォとアリアがワンセットで、はたしてモテットと呼んでいいのかどうか。
海老沢敏「超越の響き」中に引かれた、クヴァンツによる当時のモテットの定義は「2つのレシタティーヴォと2つのアリアを持ち、2つ目のアリアはアレルヤで終わる」というのには、K.143は条件が合致しません。一方、だいぶ年代はあとになりますが、モーツァルト自身が残した単一楽章の美しい「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、モテット、なのであります。こうしたあいまいさに答えてくれる<楽式の歴史>がどこかにまとめられていない限り、こちらの問題については根本的な決着はつけっれないでしょう。が、学者さんがもっとも軽くあつかているのも、この<楽式>問題なのではなかろうか、と、ちとねじくれた目で見ているところです。

で、オマケとして後2つの、しかし、双生児関係にある"Tantum ergo"k。142とK.197についても触れておきましょう。
NMAでは参考としてスコアが掲載されているこれら2作は、'Genitori'の詞で曲を冒頭から折り返し、コーダに'Amen'を置く点でも、トランペット2本にオルガン・弦五部というオーケストレーション(ただしK.197はティンパニも含む)の面でも、非常によく似ています。
じっさい、楽譜は1771年以降モーツァルトの作品を数多く筆写したコピイストによるものが2作まとめたかたちで残されており、このことも併せて、K.142、K197ともモーツァルト作ではないか、とされてきたそうです。
ただ(録音は見つけていないので、楽譜を読んでの印象ですけれど)、前半部が折り返し運転されている作りとか、K.142のアーメンのコーダが突然、それまでの3拍子から4拍子に変わってしまうとか・・・「こんなこと、モーツァルトがするんだろうか」と、主観からではありますが、私にはとても疑問に思われます。オーケストレーション面でも、あるいは言葉を旋律にのせるのせ方も、どうもモーツァルトらしくない気がします。
アインシュタインはケッヘル第6版で、これらを疑作に含めています。彼のエッセイ中にも、これらの作品についての言及はありません。カルル・ド・ニ「モーツァルトの宗教音楽」の作品表ではいずれも1772年作とされてはいるものの、ド・ニにしても本文中ではまったく触れていません。
1965年にバイエルン国立図書館から、K.142の「20小節短い版(アーメンのコーダが含まれない、などの理由から)」が見つかったそうで、こちらはミュンヘンの宮廷に仕えたツァッハ(1699~1773)という人の作品だとみなされています。このことから、コンラートの作品表にはK.142は「ツァッハ作?」と記されています。K.197にいたっては、ツァッハ作であると断定されていますが、断定の根拠までの情報は、私は持っておりません。西川尚生「モーツァルト」の作品表は、コンラートに準拠しています。

こんなところで。


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2007年5月 5日 (土)

合宿お疲れ様でした

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。



2日目午後、薬の効きがよかったとはいえ、夕方まで眠りこけてお役目をサボりましたことを、心からお詫び申し上げますとともに、起こさずにいてくださったことを、どなたにも深く御礼申し上げます。

こんなちょうしでしたから、こまごま整理できることもありません。
ただ、コンチェルトとオケ伴歌曲をやりますから、私が先生から受けた注意を一点だけ申し上げます。

「(あわせもののときは)独奏者(独唱者)を見たほうがいいか、棒を見たほうがいいか、スコア上でもういっぺよく研究しておいてね!」

まったくそのとおりで、細かく言えばきりがないほど、この件は1作品の中でも多様な対応を迫られます。
じゃあ、細かいことをあらかじめ「ここはこう、あそこはああ・・・」という具合に頭に入れておかなければならないのか、というと、そうではありません。
先生のご注意の要点は、
「基本は耳を使い、危うくなったら一番目に入りやすいものを目の隅っこでとらえればことたりる」
というに尽きるでしょう。
目の隅っこに引っかかりやすいのは、当然、ソリストではなくて棒のほうです。
かつ、ソリストは次の音のための準備は、オーケストラがどう準備するか、ということを優先に発想することは決してありません。
・・・ということは
「いいよ、なんか起こったら棒のせいだから」
・・・指揮者はそこまで腹を決めていなくてはならない、ということになるわけでして。
後はせいぜい私がそれをどれだけ無理なく実現させて差し上げられるか、だけなのでして。
要は、先生は
「俺が腹を決めてるんだから、俺のせいにすればいいよ」
と、暗におっしゃっているのでありまして。

などと種明かししても仕方がないので、繰り返して申し上げますが、どなたも

「基本は耳を使い、危うくなったら一番目に入りやすいものを目の隅っこでとらえればことたりる」

のだということだけ、今回は頭に入れておいていただければよろしいのではないかと思います。

お粗末な内容ですみません。これをもってまとめに換えさせていただきます。

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2007年5月 3日 (木)

野の花を摘みたしと思へども

野の花を摘みたしと思へども
いにしへの野は埋まりて
家建ちこめて
花開く額も見えず

わづかにぞ残りてをりし
狭き草地にふたつみつ
笑みかけきたる薄紅のあり
頬擦りたしとて歩み行けども
かの微笑みは我が腕よりはあまりに遠し

えい、ままよ、
摘みとりて
この胸のみに抱かむぞ
我のみの優しき笑みを
摘みてはたちまち萎れんと知りながら
なほかく信ぜらるるものならば
すなはち汝薄紅の愛嬌よ
そなたはただ我のみを静かに照すべし

(藤村の詩のあまりにつたない模倣になってしまいました。ご容赦ください。)

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エルガー「海の情景」読み(概略)

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。
(なお、すでにメール頂いている方については把握しております。メインPC復帰次第・・・GW明けになりますが・・・御礼をお出しします。当面の非礼、ご容赦下さいませ。)



この作品、Aさんの名訳と練習記号の関連を示せば、案外明快に構成をつかむことができます。
が、現在、作業環境がよろしくない(メインPC修理および新規導入準備中)ため、概略を示すにとどめ、詩と作品の対応関係の詳細は機会を別に設けます。

環境以外に詳細の別記を帰することにしたのには、これから述べる、エルガーの書法の特徴にも大きく関係しています。

管弦楽伴奏による歌曲は、エルガーがライバル視していたR.シュトラウスの「四つの最後の歌」などもあるのですが、エルガーの特徴を浮き彫りにするには、むしろマーラーの諸作品と対比したほうがわかりやすいかと思います。
マーラーは交響曲は別として、管弦楽伴奏歌曲も「さすらう若人の歌」・「子供の不思議な角笛」・「亡き子をしのぶ歌」などがありますが、共通して言えることは、これらの作品においては管弦楽が詩の意味を歌にまかせず自前で象徴して見せている、という点です。いわば、オーケストラが、歌の旋律では示しきれない詩の意味を補強しているわけです。(もっとも、フィッシャー=ディースカウの名唱の前では、マーラーのそのような意図は「余計なお世話」ではなかったのか、と思われることもありました。)

エルガーの書法は、そうではありません。
心情表現では、旋律と詩が密着しています。
では、管弦楽は何をしているか?

2つあります。

第1には、歌の旋律に、声以外の色合いを与える・・・すなわち、音のスペクトルを強調する用い方をしています。この役割は様々な楽器によって交替し合いつつ担われますが、中でも基調とされているのはクラリネットとホルンです。・・・この、歌の旋律をなぞる方法はウェーベルンの音色旋律とは似て非なるものであることには留意しなければなりません。エルガーの意図は、戦利tの色彩が万華鏡のように変転することは決して望んではいません。その証拠に、補強する管弦楽側では、旋律は非連続となっています。

第2には、ライトモチーフの活用により、5つの歌の連続性を確保しています。
第1曲は2つの主要モチーフのみによりまとめていますが、第2曲以下は、そのうちの第1モチーフを発展させた、各曲独自の新たなライトモチーフを芯にして仕上げています。ただし、第1モチーフを巧みに展開させていることが耳に明らかにわかるようになっているため、聞き手は全五曲の流れを、ごく自然なストーリー展開として把握することが容易です。
第1曲の主要ライトモチーフは(移動ドで示します)
・(上昇)ファラシレ(下降)ファミドラ:海面を見つめる私の心情
・ドーシ・シーラ・ラーシ・シレド;心の内に語りかけてくる無形の母性(気遣い無用の愛)
です。
第1曲の冒頭部は、第2モチーフ登場前までは「私」の独白ですので、注意を要します。第2モチーフ登場後、冒頭部と類似した再現がなされるのですが、こちらはもう独白ではない。内なる無形の母の、動じない愛の語り賭けを受けて、もう冒頭の孤独さからは脱し、自身の内面との語りかけが始まるのです。

以下、どの曲も冒頭部は第1モチーフの変容で始められることに着目して下さい。

第2曲は民謡風の、疑いの念を持たない愛を表した歌ですが、これは前曲の第2モチーフによる裏打ちがあるからこそ実現した歌唱です。
第3曲は、それが信仰にまで達し、途中で第2モチーフがより鮮明に登場することで、愛への私の確信を高めます(「パルジファル」を彷彿とさせます)。ただし、曲は決然と閉じられるものの、私は私と内なる母以外に、この海辺にはどんな他者も存在しないことを敏感に感じ取っており、果たしてまた孤独に閉じこもるかどうか、思案を始めることとなります。
第4曲で、私は試しに、内なる母からの冗談めかした脱出を試みます(これは詩を参照していただかなくてはなりません)。
その結果、第5曲の冒頭で、私は外海の激しい風雨の抵抗に直面し、衝突します。この衝突に私はどのような決着をつけるのでしょうか?・・・封切前の映画の「あらすじ」紹介みたいで恐縮ですが、この決着のつけ方が、作品最大のクライマックスでもあり、キーポイントでもあります。
そこはぜひ、演奏・鑑賞で「なるほど」とお感じになってみていただければと存じます。

取り急ぎ、概略のみにてご容赦下さい。

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2007年5月 1日 (火)

音楽の内と外

前から感じていたことをあらためて考えています。
音楽には内と外があるのではないか?

内とは、すなわち心の中に築かれるもの。
外とは、社会との関わりに即して形成されるもの。

音楽を起源から問い直そう、と思ったきっかけ自体が、特に演奏という行為、鑑賞という方法の多様さに、個人の視野では捉え切れない、大きな渦のようなものがあって、小さい存在ながらも、自分なりに、その渦の正体に迫ってみたいと思ったからでした。
今、昼のパンをかじりながら、キリスト教会史を読みつつ、思いを新たにしているところです。
キリスト教会が、ローマの国家宗教となったとたんに、十戒のなかの、汝殺すなかれ、を無条件に守れなくなっていく。
この時、聖職者たちは何を悩み、どう決断したのか。。。
そのことまでには触れないでおきますが、例えばこうした事象は世間の音楽のありかたにも大きく作用していく。

作品成立のより正確な事情が分かればいいのではない。誤解が常識化したのであれば、どうして誤解のままで人々が良しとしてきたのか。

・・・そんな果てしないことまで、私に分かるだろうか?

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