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2007年5月15日 (火)

DVD:ピアノ その300 年の歴史

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


イワンさんのブログの記事を読んでいて、触発されました。
「そうだ、古楽器ピアノ(以下、わざとこの呼び名を使います)、っていう面白いもんがあったな。」
娘のトロンボーンの師匠がサックバットも吹く人で、
つい先日雑談しあい、共通した見解が
「<古楽>って言葉、もういりませんよネ」
というものでした。

従来「モダンオーケストラ」として演奏してきた団体も、最近は「古楽(ピリオド)奏法を採り入れました」なんてのを売りにしています。あまり端的過ぎる言い方ですが、要は「ノンヴィブラートで演奏しますよ!」。

で、ノンヴィブラートということだけに限定して言えば、実は、「モダンオーケストラ」なる団体も、20世紀初頭まではオーケストラ全体がノンヴィブラートで演奏していたことが、CDが豊富に出回るようになった最近では、容易に確認できます。たとえばニキシュ/ベルリンフィルの演奏。あるいは、カール・ムックの指揮したもの。フランスならコロンヌの演奏。探せばまだまだいっぱい出てくるでしょう。
となると、最近の「モダンオーケストラ」の売りの意図は、果たしてどこにあるのか・・・
その本質に注目した批評が出ているとも見聞きしていませんし、オーケストラ側の証言も(もしかしたら最近は活字になったものもあるのかもしれませんが)私は見出していません。

もし、「復古」運動として本気に取り組んでいるのだとしたら、悪いことではないかもしれません。しかし、一方で、危惧されることもあります。

「では何故、我々はこれまでヴィブラートを多用する演奏に傾いてきたのか? それはいつからだったのか?」

こちらの側面に関して、冷静に省みる目が
・存在しているのか
・存在しえるのか
・存在を許されるのか
という問題です。

つまらないことに茶々を入れるようですが、私には、これは人間に「理性」なんてものが本当にあるのかどうかを問われる、大きな「試練」である気がしてなりません。

「古楽」はともかく、道具としての「古楽器」は、確かに存在します。レプリカも含めて広く「古楽器」と考えても差し支えないかもしれません。それは、一時期までは人間が盛んに演奏していたにも関わらず、いつのまにか省みられなくなったり、あるいは改造を加えられたものの方が当たり前に流布して原型が忘れられたりした楽器、およびその楽器の構造を指すのだ、と考えておきましょう。

「古楽」という言葉そのものは、本来、そうした「古楽器」をいかに演奏するか、を探求する上で生まれたものだったはずで、数十年前にはFMラジオで「バロック音楽の時間」と称しながら、ルネサンス期を含む音楽までを再現する試みをなした番組がありました。こちらは、当時は「ヴィブラートを多用する」演奏が「改造された」楽器でなされることが常識だったがゆえに、
「それがあたりまえではないんだよ!」
ということを示す上で、非常に重要な意味をもっていました。

今の「古楽(ピリオド)奏法」は、しかし、現在の流行に過ぎないのではないか?
であるからには、その本質を突き詰めて考えて下さる存在が、どこかにいらしてくれないと、また別の意味で「元の木阿弥」が起こるのではないか?

これは、私が素人であるが故の、奇妙な心配でしょうか?

じつは、こんなことを思ったきっかけは、家内の埋葬について考えているとき、日本の「墓制」を調べ始めてみて、日本史上で江戸期・明治維新のもたらした、当時としては民になじみのなかった死生観が、いかに現在、今度は無意識に常識化されてしまったか・・・そしてその壁に挑むことがいかに大変か・・・を思い知った、そんな延長線上で音楽を考え始めたことにあります。・・・が、そのことは蛇足です。

* * * * * * * * * * 

話を戻しましょう。

で、古楽器としていちばん情報が豊富、かつ面白いのは
「古楽器ピアノ」
だと思います。
たとえばヴァイオリンで、ストラディヴァリやグァルネリを作られた当時に戻して演奏してみました、なんてことが仮に出来たとしても、古楽器ピアノほどには面白くないでしょう。
なぜなら、弦楽器にせよ管楽器にせよ、古い状態のものを演奏する上で演奏者の個性が関与する度合いが、ピアノに比べるとはるかに高い。ですので、
「この演奏は本当に古いスタイルを反映しているのか?」
となると、疑問の余地が非常に広い。
古楽器ピアノにしたって信頼しえる「古いスタイルの反映」などというのは、タイムマシンでもあって、その当時を見に行くことが出来るのでなければ、百パーセントはありえません。
けれど、調律が一音一音についてなされていること(誰がやるかは別として)、タッチの感触には奏者自身で手出しが殆ど出来ないこと、など、他種の楽器に比べて制限がある点で、より興味深く観察・試聴が出来るわけです。

もう少しまとめれば、

・あらかじめ一音一音が調律されることにより、
 演奏中には奏者の恣意による音律あるいは音程の変更が不可能である

・弦を鳴らすメカニズム(チェンバロと違い、ハンマーになっている)
 が、製作あるいは調整過程で決定付けられているため、
 擦弦楽器における弓、管楽器におけるリードやマウスピースのように
 臨機に発音機構に変化をもたらす装置を用いる余地がない

ということにでもなるでしょうか。

録音や映像が普及する一方で、古楽器そのものに触れるチャンスは、じつは、私たちには殆どありません。
本当なら、現物に触れなければ分からないことがある。
古楽器に限定しなくてもよい、イメージしてみて下さい。
チェンバロが弦を「はじく」ことで発音している、という感覚は、実際にチェンバロの鍵盤に触れてみて初めて分かることです。この経験によってようやく、本物のチェンバロというものの音が、サンプリングによりシンセサイザー(MIDI音源)で出すことが出来るようになっているチェンバロの音と全く性質が異なっている、ということを、私たちは初めて知ることが出来ます。
オールドではあっても、モダン用に補強されたヴァイオリンでいわゆる「ピリオド奏法」で弾いてみたところで、オリジナル状態の古楽器ヴァイオリンと同じ音がしないことも、弾いてみて初めて分かります。
ですが、そこまで経験することは、通常は望めない。

ですので、録音や映像は、こうした「触覚」を欠いた、代替的経験だけを与えてくるものだ、ということは、あらかじめ承知をしておかなければなりません。

それでも、代替的経験を与えてくれる資料が増えているなら、喜ぶべきことでもあり、是非触れてみる価値があるものでもあります。

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「ピアノ その300年の歴史」というDVDを見つけました。

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ピアノ、その300年の歴史
DVD ピアノ、その300年の歴史

販売元:ビデオメーカー

発売日:2007/04/27

Amazon.co.jpで詳細を確認する

これはきっと、私に素晴らしい代替的経験を与えてくれるのではないか、と、少し高めで、しかも節約を考えるべき境遇下でありながら、つい、手を出してしまいました。

全般的な感想から言えば、満足度は30%でした(ちょっと辛目の評価ではありますが)。
標題からは300年間に「古楽器ピアノ」がメカニック的にどう変貌し、その結果、音色や音響にどんな変化がもたらされたのか、を概観できるのではないか、との期待を抱いていました。
最初の3分の1セクションくらいまでは、この期待は、完璧にとはいえませんが、裏切られません。

まず、歴史をうかがうという点では、満足度は60%くらいまであげてもいいかな、と思います。
クリストフォリが古楽器ピアノを考案した経緯、それがウィーンで「翻案」されていく過程については、イワンさんのブログで取り上げられていた書籍「ピアノはいつピアノになったか?」の記述を要約し、映像で見せてくれることでメカニズムをより分かりやすく教えてくれ、音色も聴かせてくれます。さらには、同時期あるいはやや後代に、古楽器ピアノがイギリスでどういう発展を遂げたか、アメリカにはどう取り入れられたか、かつ、アメリカでそれがどういうかたちで、スタンウェイによって(大量生産可能な)モダンピアノに変貌していったか、も、内容としては良く辿られています。最後には電子ピアノの話題にまで発展し、それに対する日本の貢献についても触れられています(この映像の製作者は日本人ではありません)。なお、採り上げられている日本のメーカーは、ヤマハとローランドです。

一方、期待の音声のほうが、大ハズレでした。古楽器ピアノの話題がモーツァルトあたりの時期に入ったところで、演奏サンプルは突然、圧倒的にモダンピアノのものばかりになってしまう。映像にはまだまだ古楽器ピアノが現れ続けるのにも関わらず。・・・何故、そんな音声の編集にしなければならなかったのか、この映像のプロデュース方針の一貫性を疑わざるを得ません。

こういう残念なところがありますが、ピアノ好きには一見の価値がある部分も少なくありません。
ガーシュウィンやデューク・エリントン、セロニアス・モンクがピアノを弾く映像も収録されている点も、そんな魅力的な部分の1つです(クラシックピアニストではない昔の人たちの演奏する姿はなかなか見られません)。
この映像からは、ガーシュウィンやモンクが手を平たくして弾いているのに対し、エリントンが意外なほどオーソドックスな、クラシックのピアニストの同じタッチで弾いていることが分かり、大変面白く思いました。

という次第で、このDVD、
・古楽器ピアノのメカニズムを書物では理解しにくく悩んでいた場合
・現代のピアノ市場がどう築かれて来て、どんな未来を思い描いているかに興味がある場合
・古典的ジャズメンのピアノ奏法をどうしても見たい場合
には、ご一見をおすすめします。

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まとめて古楽器ピアノの音色を聞いてみたい場合には、前出
・伊藤信宏編「ピアノはいつピアノになったか?」大阪大学出版会 2007 1,785円
の付録のCDが安価で手軽です。これにはクリストフォリのピアノを復元したもの、1795年製のホフマンという人の作ったピアノ、1820年ごろのシュタイン製のピアノ、1846年製のプレイエルのピアノの演奏が収録されています。
後半2つは、本書を構成する講演に伴っての実況演奏を録音したものです。
一連の講演をまとめた本、という性質上、残念ながら、標題のテーマに対して内容は必ずしも網羅的ではありません。とりわけ遺憾なのが、その書簡中で高頻度で当時の古楽器ピアノの長短をレポートしているモーツァルトについては、まったく記述がないことです。また、いわゆる19世紀のヴィルトォーゾ時代についてのお話も概観的に過ぎるため、CDに収録されたプレイエルのピアノの音が何故録音されたようなものなのか、についての説明が不充分であることも否めません。ショパンがプレイエルのピアノをどう感じ、プレイエルがそれにどう関わったかは、しかし、他に良い本もあります(高いですけれど)から、やむをえない、で済ませてもいいでしょう。
付録CD解説への不満は、演奏が何故、どのような音律を基準として調律されたかについて記されていないことです。これ抜きでは、たとえばプレイエルでのショパン演奏の音程感には違和感を抱いたままで終わる聴き手も多いことでしょう。

一般に、「古楽」と称する演奏を、もっとお客に親切に理解してもらうためには、すくなくとも
「私は、私の弾いているこの古楽器ピアノは、平均律ではなくて中全音律で調律してあります。それは、こういう根拠から判断したことです」
という点を明示していくべきではないかと感じております。録音類でも、書籍類でも、私のような素人が音律の問題を平易に理解できる資料には、なかなか巡り会えません。

そんな中で、平均律を丁寧に説明した書籍があります。かつ、この本、ピアノのメカニズムについても、とても詳しく教えてくれます。但し、多少根気がないと内容が読み解けません(私は根気がないので、理解しきっていません)。

・西口磯春・森太郎著「もっと知りたいピアノのしくみ」音楽之友社 2005 1,890円

最近、我が家にアップライトをやっと仕入れることの出来た私は
「これを読めば自分で調律もできるようになります」
という謳い文句があったので飛びついたのですが・・・読み進めたら
「調律は、この本の内容を理解し、かつ、しかるべきお師匠さんにつかなければやってはいけません。」
・・・ガックリ。

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もっと知りたいピアノのしくみ
Book もっと知りたいピアノのしくみ

著者:西口 磯春; 森 太郎

販売元:音楽之友社

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コメント

Kenさん、
いつもいい記事をありがとうございます。

「では何故、我々はこれまでヴィブラートを多用する演奏に傾いてきたのか? それはいつからだったのか?」

この問いは必要だと思います。
私は「古楽器ピアノ」に興味が出てきたら、
その反動で、他方で「近代ピアノ」にも
興味が出てきました。

ドビュッシーを聞こう、聞こうと思いながらも
なかなか聞き出せていないイワンでした。

投稿: イワン | 2007年5月15日 (火) 18時53分

あらら、
「こんなの綴りました」
ってお知らせしようと思っていたら、先にコメントをいただいてしまいました。。。
負けた!

悔しいので(?)おまけ話を(お化け話ではなくて!)付け足しておきます。

(モダンの)ピアノにヴィブラートはかけられるでしょうか?

この答えは、以前ご紹介した井上直幸さんの「ピアノ奏法」DVD付のほうの第2巻で知ることが出来ます!

・・・別に、イワンさんを破産させようなんて思ってはいないんですけれど。。。

投稿: ken | 2007年5月15日 (火) 21時51分

はじめまして。
kenさんの音楽に対する思いにどこか共感があり、
時々立ち寄らせて頂いています。

音楽には何か本質的なものがあるのか、
それとも流行だけがあるのか・・・
私は前者を支持したいのですけど、危ういなあと思うときもあります。
変わりつつあるのは、音楽だけでなく
人そのものも、刻々と変わっているもののように思います。
それは、目指す先があるからだと信じたいなあと、思っています。

アーノンクールの「古楽とは何か」
という本はお読みになられたことはありますか?
私も図書館で借りて読んだので、
もうはっきりと覚えていないのですが、
kenさんが感じていらっしゃることと近いところにあるような気がしました。


投稿: うてな | 2007年5月16日 (水) 08時47分

うてなさん、ありがたいコメントで恐縮してしまいました。
お返しが遅くなってすみません。
「古楽とは何か」は、自分にとって、探しても探してもなかなか手に入らず、やっと買えたときには狂喜した、という思い出の本です。
同時に、アーノンクールという人に持っていた「固定的な価値観の持ち主ではないか」という先入観を取り払ってくれる内容に、大変感銘も受けました。
今、帰宅して、以前自分が付箋を貼っておいた箇所などを再読し、記憶の確認をしました。
この本、原題は"Musik als Klangrede"というもので、訳者の一人である樋口さんがあとがきに記されている通り、直訳すれば「昔話としての音楽」というものになります。
かつ、このあとがきの中での樋口さんが本書のカナメについて
「重要なのは、その音楽家がなぜその楽器を用いるかという、芸術的必然性なのである」等々とうまくまとめていらっしゃるのにも、改めて胸を打たれております。
とてもくだらないことを付け加えますと、この本は、私が
「メヌエット」
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_2fb4.html
「スケルツォ」
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/1_9915.html
について(後者についてはアーノンクールはこの本では述べていなかったと思いますが)考え直してみよう、というきっかけをつくってくれ、結果的にこのブログを始める機縁をももたらしてくれました。
ですので、うてなさんがこの本に触れて下さったことは望外の喜びでもありました。

長くなりました。

私も・・・
>音楽には何か本質的なものがあるのか、
>それとも流行だけがあるのか・・・
>私は前者を支持したい

心からそう思っております。音楽に限定せず、でもありますが。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

投稿: ken | 2007年5月16日 (水) 20時32分

アーノンクールは頭が固いのではなくて、
頑固なのですね。
でも、とても柔軟な方だと思います。

私は以前ほぼ同じ時期に、
とてもよいチェンバロと、スタインウェイのフルコンサートのピアノを
練習する機会に恵まれたことがありました。
その両方の音色に感嘆しつつも、
じゃあどう演奏すればいいのかというところで、
とても苦しくなってしまったことがあります。

そのころに出会ったのがこの本でした。
楽にはなりませんでしたが、
自分が如何に狭い了見で演奏していたかがよく分かりました。
私にとっても、この本は大きな出会いでした。

投稿: うてな | 2007年5月17日 (木) 11時02分

>アーノンクールは・・・頑固なのですね。

CDの写真なんかに出ている写真では、そういう印象になってしまいますよね。
「古楽とは何か」がどうしても手に入らず、先に間に合わせのつもりで
「ニコラウス・アーノンクール 未踏の領域への探求者」
(モーニカ・メルトル著、音楽之友社)
という本を先に読んだのですが、そこから伺われる彼の像は「一徹」ではあっても「頑固」であるよりは「柔軟」でした。。。
この本に載っている若き日の彼の写真などを見ると、「頑固」のイメージは危うくなりますヨ!

投稿: ken | 2007年5月17日 (木) 22時07分

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