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2007年4月12日 (木)

今日を過ぎれば

明日は病院に付き添ってくれる人がいますから・・・
でも、今朝も起き上がれませんでした。2日連続、子供に起こされました。
気がついたときには、娘が朝飯をテーブルに用意しておいてくれました。
昨日も実のところは、友人に最寄り駅まで付き添ってもらって、やっと帰ってこれた。
お恥ずかしいていたらくです。

自分の中の何かが、フッツリと切れてしまった。
いえ、縄目一本でも、まだつながっていてくれるから、起きられたか?

子供らが夢にまっすぐ向かえる姿さえ見定められれば。。。
動物的な欲なのでしょう、これだけは、誰にも妨げさせたくない。
たとえ私自身の親からでも、
「こんな方向に行かないと飯を食い上げるから」
などとは、干渉させたくない。
家内があれやこれやと子供らの「夢」への指図はしないできたように、
私も子供たちの選択をすべて信じてあげていたい。
成功しようが失敗しようが、人様の道に外れない選択さえしてくれれば、
あとは自分で「食いかた」は見つけるものなのだから。

でも、子供たちが「選択」する目を持つまでには、まだ少し年数がいるのですよね。

だから、その「あと少し」のあいだ、子供らにとって必要である時間の長さだけは、
私の中の「ともしび」が、どうか燃え尽きませんように。(7:41)

今日も祈って、早く眠る事にします。やはり
マタイ福音書から。(仏教徒なんですが・・・いいですよね?)

  裁くな。自分が神に裁かれないためである。
  人を裁く裁きで、あなたたちも裁かれ、
  人を量る量りで、あなたたちも量られるからである。

今日は終わりました。
明日目覚めたときに、私にもあなたにも、健康が待ち受けてくれていますように。(21:21)

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コメント

私の好きな聖書の言葉。
「汝ら明日を思ひ煩ふことなかれ。明日は明日自らが思ひ煩ふべし。」
正確な表現は忘れましたが、こんな言葉がありました。
これも人間の(神の?)智慧ですね~

投稿: 仙丈 | 2007年4月12日 (木) 23時31分

>「汝ら明日を思ひ煩ふことなかれ。明日は明日自らが思ひ煩ふべし。」
この記事に弾いた言葉の直前にあるものですね。
簡潔なだけに含蓄があります。
明日を思い煩わない人は・・・実際にはいないですものね。
聖典の言葉は、ごく普通の人よりは、修行をする人を想定して述べられている点は、ほんとうは、とっても注意を要するのではないかと思っています。
特に・・・今は身に染みてそれを感じます。
耳の痛い言葉、すんなり受け入れられない言葉が、イエスの口からもブッダの口からも沢山出ている。キツイなあ、と感じますヨ。

投稿: ken | 2007年4月13日 (金) 21時22分

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