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2007年4月27日 (金)

ミサ典礼文の歴史話

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


昨日、モーツァルトのレクイエムを中心につづりました。
ミサの文章についてご理解いただいておくと、なおお分かりいただきやすいかと思いましたので、今日はそれについて、過去に団内のメーリングリストに記載したものを・・・関連しない部分ははずして・・・掲載いたします。
(本日、メインPCが「逝去」してしまいましたので、ポケットPCで作成しております。表示のおかしなところは後日修正します。ご容赦ください。)
信徒の方はお詳しいでしょうから、恥ずかしいのですけれど、以下、カトリックのミサの式次第を歌唱を中心に略述し、分かっている限り、その歌唱がいつごろ「ミサ」に定着したかを西暦で示します。(出回っている書籍で、1冊の中にここまで由来・歴史をまとめてくれているものはありませんでした。従って、調べた限り、煩を厭わず記しました。)それぞれ冒頭に(朗)・(固)・(通)と記しますが(朗)=歌われず、朗読される部分
(固)=「固有文」、行われるミサの目的によって歌と詞が異なるもの
(通)=「通常文」、どのミサでも同じ歌詞で歌われるもの
の意味です。
また、「通常文」については、聖書上の出典が明らかであれば、それを示します。それにより、「ミサ」の音楽が整備されていく状況を概観して頂こうと思います。限られた材料ではありますが、古代ローマ期から中世期にかけて、音楽が決して「暗黒時代」を迎えていたわけではないことを、垣間見て頂けるでしょう。参考までに、目安となる歴史上の主要事件の年代は、今回については

・コンスタンチヌス帝のキリスト教公認        313年
・ローマの東西分裂(コンスタンティノポリスへの遷都)330年
・西ローマ帝国の滅亡                476年
・イスラム軍のコンスタンティノポリス進攻      718年
・カール大帝のカロリング王朝成立          800年
・神聖ローマ帝国の地位の成立            962年
・第1回十字軍                  1096年
・フィレンツェで民主制確立            1282年
・ダンテ「神曲」執筆開始             1307年
・教皇庁、アヴィニヨンに移る(教皇のバビロン捕囚)1309年
・英仏の百年戦争始まる              1339年
・全ヨーロッパにペスト蔓延            1348年
・ボッカチョ、「デカメロン」完成         1349年

というあたりまででしょうか。なお、私もそうですが、キリスト教徒でない方は、特別な機会が無ければ「ミサ」に出席することはありません。実際の「ミサ」の様子を知りたい場合は、最近亡くなった教皇ヨハネ・パウロ2世がヴァチカンで1985年6月29日(「使徒聖ペテロ・使徒聖パウロの日」。ルター派や正教会系でも祝日ですが、カトリックでは特に重要な祭日のひとつです)に挙行なさったミサの映像が出ています。このときは通常文部分の歌唱がカラヤン指揮のウィーンフィル・ウイーン楽友教会合唱団によりモーツァルトの「戴冠ミサ」で行われたので、映像が残ることとなりました。 =付録=に記しますので、ご興味に応じご覧下さい。)

<カトリック「ミサ」のプログラムと、成立史>

 *朗読部分の注記については知ることができたもののみです。ご容赦下さい。
  但し、「朗読」は基本的には150年ごろまでには定着化しています。(奉献唱・聖体拝領後の祈りと同時期)

1)シナクシス(言葉の祭儀)

(固):入祭唱     Introitusキリスト教徒の集会開始(1世紀)当初に起源があるが、確立は6世紀。
(通):あわれみの賛歌  「マタイ伝」20章31節492年から496年の間に、入祭唱の次が定位置となった。"Criste eleison"部分の成立・定着はさらに100年後    

(通):栄光の賛歌    「ルカ伝」2章14節他 当初(4世紀頃)は、ミサではなく、聖務日課の中で歌われていた模様。ミサへの定着はシンマクス教皇時代(510年ごろ)。

(朗):集祷文     collecta ミサの起源は、ユダヤ教の「過ぎ越しの祭」に由来すると考えていいでしょう。その他、キリスト教の祭日はユダヤの祭日をそのまま採り入れたものが多く、キリスト教の成立時から「聖餐の集会」が行われていたことが明らかになっています。従って、「集まりの祈り」はミサに於て最も古い起源を持つものと考えなければなりません。(「過ぎ越しの祭」についてご存知ない方は、カラースペクタクル映画の元祖「十戒」[セシル・デミル監督、チャールストン・ヘストン主演]をご覧になるか、または旧約聖書「出エジプ記」をお読み下さい。)

(朗):書簡       70年のエルサレム陥落(ユダヤにおけるキリスト教会も壊滅)以後、ローマを中心に活動していたパウロ派が完全に優位に立った。ただし、パウロの書簡は2世紀中盤以降である。書簡集はパウロのものが分量的にも多く、定例的に書簡集を朗読する習慣は2世紀中盤以降に定着したのであろう。

(固):昇階唱     
(既に1世紀に記録のある「詩編唱」の発展型)アウグスチヌス(354~430)の記録には既に現れる。
元は司祭が聖書を読むのに登壇する間を繋ぐのに歌われたのでこの名がある。

(固)
:アレルヤ唱   Alleluia
6世紀の作例が発見されている。ミサへの定着は11世紀頃か?Seqientiaを伴うようになる。
歴史的には「昇階唱」と同じ。
:詩編唱。ミサ定着の起源はAlleluiaより古いらしいが、次第にAlleluiaに置き換えられた。
:続唱      
アレルヤ唱の発生と共に、既に誕生。11世紀には定着。

ここまでは旧約聖書「詩編」に由来する歌唱が多いわけですが、詩編唱の実施例はアウグスチヌス[告白」9巻12章(AD387年)に彼が母の死を迎えて周囲の人と共に歌った、という記載で確認できます。当然、由来はこれより遡ることになるわけです。

(朗):福音書朗読   Evangerium

福音書はキリスト教の布教地域が拡大するにつれかたちを整えていったことが明らかになっており、その朗読の習慣は1世紀には既に確立していた、と考えてよいのではないか。

実施記録例)アウグスチヌス「告白」8巻12章(AD386年)「福音を伝える」というのが、初期キリスト教で十二使徒(中心はペテロとヤコブ)の成した伝道の基礎手段であり、AD37年以前には小アジアのかなりの領域のユダヤ人社会に浸透していた、との記録があります。この、口頭の伝道期間中には福音書なるものは存在しなかったとされています。

福音書」の登場は、パウロを源とする、ユダヤ中心ではない「ヘレニスト派」が、70年のエルサレム陥落を期に布教の中心となっていった後のことです。ですので、先の「書簡」朗読にやや先立った頃定着し始めたのではないかと、私には思われます。

(通):信仰宣言    Credo 「ヨハネ伝」1章3節他
325年のニケア公会議、381年のコンスタンティノポリス公会議で確認された「信仰箇条」を含む文で成り立っており、2つの会議の中間に文章化の起源を持ち、451年のカルケドン公会議で承認・採用されたもの。ミサには11世紀に導入。

2)エウカリスティア(聖体の祭儀・感謝の祭儀)

(固):奉献唱     OffertoriumAD150年頃に実施記録がある。
典礼文の最古資料は230年ごろ。チェレスティノ1世(~432)によって成立、との説もある。

(朗):密誦      Secreta
(朗):序誦      Praefatio

(通):感謝の賛歌   Sanctus
「イザヤ書」6章3節、「マルコ伝」11章9節等4世紀頃には多くの教会で歌われていた。

(朗):カノン(奉献文)Canon ~(「ミサ」の中心部分をさす言葉。)「パンとぶどう酒がキリストの血と肉に変わる」ことを祈願する。キリスト教の根本的発想であるから起源は最も古いかも知れないですね~(私見)

(朗):主祷文     Pater noster 2世紀の文書には既に登場する。

(通):平和の賛歌   Agnus Dei 「ヨハネ伝」1章29節
東方教会で盛んだった聖母崇敬を西方教会に持ち込んだ教皇セルジオ(在位687~701)により導入された。

(固):聖体拝領唱   Communioアウグスチヌス(354~430)がカルタゴに導入したとの伝承がある

(朗):聖体拝領後の祈りPostcommunio
AD150年頃に実施記録がある。 典礼文の最古資料は230年ごろ。(奉献唱に同じ)

(通):終祭唱     Ite missa est 「これにて解散」
集会の解散宣言であり、当然起源は集会の原初に遡る。
なお、この文が「ミサ」の語源となっている。それがいつごろのことかは分からないが、「ミサ」と呼ばれる以前は「エウカリステア(感謝の祈り)」と呼ばれていた由(上表の後半に名称が残っている)。ローマのキリスト教徒にラテン語が定着し始めるのは3世紀頃なので、「ミサ」の呼称は早くてもそれ以後に成立したのではないか(私見)。なお、「エウカリスティア」では信者以外は聖体を受けられない。

古くは非信者は「シナクシス」にあたる部分にしか参加できなかったらしい。「ミサ」の式次第、行なうべき祭日等につき整理が始まったことが文書で確認できるのは2世紀中葉です。そこで歌われる「聖歌」の成立を詳細に見るには、聖務日課に伴う歌唱や、祭日によって異なる入祭唱などの起源を述べるべきですが、量も内容も私の記憶力の範囲を大幅に超えるほど多いので、=付録=に掲げる書籍、ないしは国内盤CDの解説をご覧下さい。ただ、その成立初期について、ダニエルー「キリスト教史I(初代教会)」に散見される記事をたどると、概ね次のようなこと程度は分かります。
・3世紀初頭の教徒の集会では、ハープ、フルート、コーラス、ダンス、カスタネットなどが用いられていた、というのが実体であったらしく、これを戒めて「六弦琴と竪琴だけにすべきである」と訴えた文がある(アレクサンドリアの風潮)。
・「竪琴」との兼ね合いから見ると、詩編を「竪琴」を奏でながら歌ったとされるダビデが、ギリシャ神話中の音楽の祖オルフェウスになぞらえられるようになり、さらにイエス・キリストがダビデになぞらえられたことにより、ダビデを経由してイエスがオルフェウスになぞらえられるに至った(4世紀のカタコンベ壁画に、その例が見られる)。
・154年生まれのパルデサネスという人物が多くの聖歌を作曲したが、彼の主張は異端である、として4世紀中葉のエフラエムという人物がそれに変わるべき聖歌を作っている。

ここまでで概観できたことをまとめますと、「ミサ」は1世紀に起源を持ち、2世紀には現在のかたちにちかい枠組みが出来上がったものの、「朗読(とはいっても実体は-日本ではそうなっていませんが-朗唱に近い)」・「固有唱」が先行して取り込まれている。「固有文」はそれを唱える日の意義により違うため、(上表では触れていませんが)祭日の増加に伴い多様化が進んだ(文献『グレゴリオ聖歌の歌唱法』カルディーヌ著 に例示されている数は、「入祭唱」53、「昇階唱」19、「奉献唱」17、「聖体拝領唱」22、にのぼる。但し、「続唱」については知られているだけで4,500曲ほどが作られるという異常な流行を見たため、16世紀以降4つに制限され、その後「スタバート・マーテル」のみは追加を許された)。通常文の定着は次の通りになっており、現在の順番が確立するのに中世全期に渡る年月を費やしている。(背後の歴史事情を、対応する歴史的事件から推定してみると面白いかも知れませんが、今回は突っ込まずに置きます。前項の社会史略年譜を参照下さい。)サンクトゥス(4世紀)~キリエ(495年ごろ)~グローリア(510年ごろ)~アニュス・デイ(700年ごろ)~クレド(11世紀)なお、傾向としては5~8世紀が最も進展した期間で、世間も西ローマ帝国の滅亡からカロリング王朝の隆盛まで、と変化の激しい時期だったことに目を向けておきましょう。カトリック側もこの期間は激動の時代だったことが、かすかではありますが、伺われます。

参考文献の掲載を忘れました。近々付け足します。

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