« 幻想 | トップページ | 好物 »

2007年4月 9日 (月)

いのち

Bach_r・金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。・・・そのように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起こるであろう。(「ブッダのことば」)

・人は皆、火で塩味をつけられなければならない。塩は良いもの。しかしもし塩に塩気がなくなったら、なんでもう一度それに塩気をつけるか。心に塩を保って、互いに仲良くせよ。(「マルコ福音書」)

*引用はいずれも岩波文庫本から*

私に、こうした知恵を生かせる度量が、果たしてノミの心臓ほどでも持てるのでしょうか?

金も塩も、それそのものは無機的な物質です。
それを美しい腕輪にして身につける事が出来るのも、火によって身体に取り込み得るのも、知恵がなせる技です。
知恵は、「生」を持つものだけが有する手段です。
活かせれば、マルコ福音書にあるような事も出来るでしょう。
とらわれれば、ブッダの言葉の方になるのでしょう。
うまくいくにしても、まずい結果になるとしても、いずれにせよそれは生に欠かせない「知恵」という手段がもたらすものです。
とすると、「知恵」というものは、じつは生者が自尊心をもって信じ込んでいるような、自己の手によって獲得したものでもなんでもない・・・万物の創造者が生き物の属性として与えたに過ぎないのではないか、と思えてきます。

さすがに、そんな事実を敬虔に、謙虚に捉えてきた人びとは古今東西に数多くいらっしゃる。
でも、その恩恵にあずかるためには、私にはもっともっと、静かな心が必要な気がします。

イギリスならばアンセムでしたが、ドイツではシュッツ以来、キリスト教の記念日向けに数多くのカンタータが書かれました。おそらく最多数のカンタータを作ったのはテレマンではないか、とのことですが、日本の私たちに馴染みが深いのはJ.S.Bachのものです。

ただ、バッハはカンタータ、ないしは大規模な受難曲を作る事でおのれの信仰を「良し」としていた訳でもないようです。
「オルゲルビューヒライン(オルガン小曲集)」BWV599〜644は、ヴァイマル時代のバッハが、主要なコラールを教会暦すべての日のためにオルガン向けにアレンジしようと試みた作品群ですが、遺憾ながら作曲途中でヴァイマルを出る事となったため、46曲しか作られていません。

その中に、「人はみな死すべきさだめ」BWV.644というコラール編曲があります。
原コラールとバッハのアレンジの両方をアップし、今宵の私の祈りとしたいと思います。
(ウムラオト、エスツェットは表記を変えています。)


Alle Menschen myssen stergen.
alles Fleisch vergeht wie Heu.
was da lebet. muss verderben.
soll es anders werden neu.
Dieser Leib. der muss verwessen.
wenn er ewig soll genesen
der so grossen Herrlichkeit.
die den Frommen ist bereit.

人はみな 死すべきさだめ、
肉なる者はみな枯れ草のごとく朽ちゆく。
生きとし生けるもの、ひとたび滅びてのち、
はじめて新しき生命に蘇るなり。
この肉体もまた、腐れ果つべし、
しかしてこそ、そは永遠の医しに浴して、
信ずる者らに備えられし、
かの大いなる栄光にあずかるを得ん。
(16世紀の旋律。コラール編曲アントーン、詞はローゼンミュラーという人物による)

ディスク:デッカ UCCD-3230/1 2003年発売(現在は出ていない模様)

(22:44)

|

« 幻想 | トップページ | 好物 »

コメント

Ken様、はじめまして。さっそくなのですが…

バッハが「オルガン小曲集」を編んだのはケーテンではなくて、その前の任地ヴァイマールでのことです。バッハは採用されたケーテン宮廷に向かうため、ときのヴァイマール・ザクセン公ヴィルヘルム・エルンストに辞表を出したのですが、これに怒ったエルンスト公が不服従のかどでバッハを4週間、拘禁してしまいました。その拘禁中に作曲していたのがこの曲集だと伝えられています。真意のほどは定かではないですが、もしこれが事実だとすると作曲年代は1717年秋ごろではないかと言われています。

投稿: Curragh | 2007年9月11日 (火) 00時53分

Curraghさん、ありがとうございます。ご指摘に感謝致します。
オルゲルビューヒラインの表題に「ケーテン侯陛下の現宮廷楽長ヨハン・セバスチャン・バッハ作」と署名されているため、記事を綴った際には慌ててそのまま「ケーテン時代」としてしまいましたが、署名を記入したのは創作を事実上放棄して時間が経ってから(1720年以降)であり、創作は確かにヴァイマル時代に行われています。ご指摘の通り、遅くとも1717年には創作を中断していますから、本文は不適切であり、ご指摘に従い修正致しました。
いま自分の文を日付とともに見ると、綴ったその日の直前に、ある大きな理由で感情も乱れていましたので、その時の咄嗟の思い込みで、「ヴァイマル」が表紙署名当時の「ケーテン」に置き換わり、そのまま綴ってしまったもののようです。(但し、拘禁中の創作、というのは後世の「伝説」であって、少なくとも曲集全体にわたっての真実ではないと思っております。・選択した素材が1713年出版の賛美歌集とほぼ一致し、用紙も前もって準備したと思われること ・タイトル記入済みであるのに作曲しなかった部分が多数あり、計画性を伺わせていること・当初から数年間にわたって手を入れていたらしいとの研究結果があること ・1726年にも追加された曲があり、後年に至っても創作を完全放棄する気がなかったのではないかと思われること)
今回の修正でご容赦頂ければと存じます。

投稿: ken | 2007年9月11日 (火) 05時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/6033604

この記事へのトラックバック一覧です: いのち:

« 幻想 | トップページ | 好物 »