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2007年4月19日 (木)

自分の顔

自分の顔は自分では見られない。
子供の頃、それが不思議で仕方ありませんでした。

家に三面鏡がありましたので、その左右の面で顔を挟んで見る。すると、右を見ても左を見ても、多分これが自分の顔なのだろう、と思われる、目や鼻や口や頭が、どこまでとも知れず延々と、それもどんどん遠く、暗くなりながら続くいて行く。
その、僕の目の届き切れない鏡像は、やっぱり僕の顔なのだろうかしら? 鏡に挟みこんでいる僕の、正真正銘、体にくっついている顔ってものもあるのに。。。
そう考えて初めて、僕は僕自身の顔を、自分自身の目では見られないことに、はた、と気付きました。

一方、両脇に幾つも重なった「顔」とは違い、正面には、なにものともダブらない、ただひとつの顔がしっかりとうつっています。で、信じてみる。
「きっとこれが僕の顔に違いない。」

でも、それは、鏡を通して見た顔です。しかも、写真に撮ってもらった自分の顔と比べると、なんだか違う。
写真と同じように見える顔は、それのまた裏返しになった顔と一緒に、両側の鏡の中で延々と重なりあっている。

「いや、両側に重なりあって映っている顔は、僕の顔じゃなくって、映っているだけのニセモノの顔さ!」
そう割り切って、じゃあ、写真に写った方の顔と、正面の鏡に映っている顔とを比べることに絞ってみる。

まだ右とか左とか反対だとか裏返しだとか、光の物理的性質だとか、そんなことは一切知らなかった。
いえ、知っていたとしても、
「やっぱりさあ、写真の方の顔が、ニセモノだよね。鏡に映っているのが本当の僕の顔さ!」
そう、信じていたかった。
自分の目で、自分の内側から、直接自分の顔が見られないとなると、自分の目で一番真っ当にとらえられ、ホンモノらしく見えるのは、鏡に映った顔なのです。

もういちど、よくよく省みてみましょう。
私は、私たちは、自分自身の「ホンモノの顔」は正面の鏡に映った顔だ、と、無意識に信じ込むことに慣れ切っていないのだろうか? なぜなら、正面の鏡だけが、唯一、自分の目のかわりとして信頼出来そうなものだから。

・・・でも、それは、裏返しの顔なのです。。。そうですよね?

私の、私たちの真実の顔は、むしろ、三面鏡の両側に幾重にも反転しながら、ひたすら暗きに向かって続いていく、光の届かないその先に隠れているのかも知れません。

人様がご自身の顔に対して持つ信頼も、私の、私たちの「正面の鏡」への信頼感と、異なっているはずはない。

そのとき、私たちは、いったいどんなふうにして、それぞれの本当の顔に対峙したら良いのでしょう?

「正面の鏡」に映っているものが、自分にとってなんであるかを・・・それはそのままでは裏返しの像でしかないのだということを、いったん心静かに端座して、見つめなおすことが、果たして私たちには可能なのでしょうか?

それには、
「正面の鏡に映る顔は何故裏返しなのか」
を、やはり、両端の多重の鏡像を多面的に眺めなおしてみるしかないのでしょうか?

無限の先へと続くこの重なりあいの、もはや光の遠く及ばない終着点に、万物の創造者が取り決めた、人為では変えようのない、なにかしら絶対的な「本質」があるにちがいない、と、僕はこの先、信じていくことが出来るでしょうか?

意味不明なことばかり綴りましたか。。。ご容赦下さい。(21日、1:30)

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コメント

私もこどものころ,まったく同じことを考えていました。いや今でもそうかもしれない。私は人からみたらどう見えてるんだろうかって。今でも思います。

投稿: チョコレート・ケーキ | 2007年4月19日 (木) 21時30分

>今でもそうかもしれない。

が、続きに綴りたいミソなんですが、今日はちょっともうダメみたいです。
明日週末だし。。。あらためて取り組みます。
ごめんなさいね。

投稿: ken | 2007年4月19日 (木) 23時20分

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