« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月29日 (日)

4月29日練習記録

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。
(なお、すでにメール頂いている方については把握しております。メインPC復帰次第・・・GW明けになりますが・・・御礼をお出しします。当面の非礼、ご容赦下さいませ。)


簡潔にします。

1)エルガー「海の情景」
 ・第1曲目がもっとも難しい。デリケート。
  Fのホルンはぼやかさないで。(注:歌をたどっています)
 ・第2曲~本日は特記事項なし
 ・第3曲の弦のスタカートは、弓は跳ばすとのことです。
  Fからは伴奏なのでディナミークはppだが、確固と。
 ・第4曲BのOb・Cl、Fl・Fg、DのVnソロはイギリス風ジョーク
 ・第5曲、細かいことは別として、本日特記なし。

2)ショスタコーヴィチ第1楽章
 ・16小節目の内声は付点八分音音符
 ・6番アウフタクトObはFl,Clとのアンサンブル。Fgのみ前から切れない
 ・その他、区切りの問題は楽譜にご記入いただいたと思います
 ・46番1小節前のグリッサンドは4拍目いっぱいでゆったりと

3)同、第2楽章
 ・お話はいろいろありましたが、技術上の特記事項はないでしょう。
 ・66番のピチカートは強めにしておいて下さい。
  前に申し上げていたとおりです。

簡単ですが、これだけにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロストロポーヴィチ逝去

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。
(なお、すでにメール頂いている方については把握しております。メインPC復帰次第・・・GW明けになりますが・・・御礼をお出しします。当面の非礼、ご容赦下さいませ。)


親しくしていただいている方からお知らせいただき、絶句しております。

メインPC故障のため現在入力不如意なものですから、連休明けに改めて詳報・関連情報を掲載しますが・・・遅きに失するでしょうね。

80歳・・・もうすこし長生きしてくださると思っていた。。。
悲しいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月27日 (金)

ミサ典礼文の歴史話

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


昨日、モーツァルトのレクイエムを中心につづりました。
ミサの文章についてご理解いただいておくと、なおお分かりいただきやすいかと思いましたので、今日はそれについて、過去に団内のメーリングリストに記載したものを・・・関連しない部分ははずして・・・掲載いたします。
(本日、メインPCが「逝去」してしまいましたので、ポケットPCで作成しております。表示のおかしなところは後日修正します。ご容赦ください。)
信徒の方はお詳しいでしょうから、恥ずかしいのですけれど、以下、カトリックのミサの式次第を歌唱を中心に略述し、分かっている限り、その歌唱がいつごろ「ミサ」に定着したかを西暦で示します。(出回っている書籍で、1冊の中にここまで由来・歴史をまとめてくれているものはありませんでした。従って、調べた限り、煩を厭わず記しました。)それぞれ冒頭に(朗)・(固)・(通)と記しますが(朗)=歌われず、朗読される部分
(固)=「固有文」、行われるミサの目的によって歌と詞が異なるもの
(通)=「通常文」、どのミサでも同じ歌詞で歌われるもの
の意味です。
また、「通常文」については、聖書上の出典が明らかであれば、それを示します。それにより、「ミサ」の音楽が整備されていく状況を概観して頂こうと思います。限られた材料ではありますが、古代ローマ期から中世期にかけて、音楽が決して「暗黒時代」を迎えていたわけではないことを、垣間見て頂けるでしょう。参考までに、目安となる歴史上の主要事件の年代は、今回については

・コンスタンチヌス帝のキリスト教公認        313年
・ローマの東西分裂(コンスタンティノポリスへの遷都)330年
・西ローマ帝国の滅亡                476年
・イスラム軍のコンスタンティノポリス進攻      718年
・カール大帝のカロリング王朝成立          800年
・神聖ローマ帝国の地位の成立            962年
・第1回十字軍                  1096年
・フィレンツェで民主制確立            1282年
・ダンテ「神曲」執筆開始             1307年
・教皇庁、アヴィニヨンに移る(教皇のバビロン捕囚)1309年
・英仏の百年戦争始まる              1339年
・全ヨーロッパにペスト蔓延            1348年
・ボッカチョ、「デカメロン」完成         1349年

というあたりまででしょうか。なお、私もそうですが、キリスト教徒でない方は、特別な機会が無ければ「ミサ」に出席することはありません。実際の「ミサ」の様子を知りたい場合は、最近亡くなった教皇ヨハネ・パウロ2世がヴァチカンで1985年6月29日(「使徒聖ペテロ・使徒聖パウロの日」。ルター派や正教会系でも祝日ですが、カトリックでは特に重要な祭日のひとつです)に挙行なさったミサの映像が出ています。このときは通常文部分の歌唱がカラヤン指揮のウィーンフィル・ウイーン楽友教会合唱団によりモーツァルトの「戴冠ミサ」で行われたので、映像が残ることとなりました。 =付録=に記しますので、ご興味に応じご覧下さい。)

<カトリック「ミサ」のプログラムと、成立史>

 *朗読部分の注記については知ることができたもののみです。ご容赦下さい。
  但し、「朗読」は基本的には150年ごろまでには定着化しています。(奉献唱・聖体拝領後の祈りと同時期)

1)シナクシス(言葉の祭儀)

(固):入祭唱     Introitusキリスト教徒の集会開始(1世紀)当初に起源があるが、確立は6世紀。
(通):あわれみの賛歌  「マタイ伝」20章31節492年から496年の間に、入祭唱の次が定位置となった。"Criste eleison"部分の成立・定着はさらに100年後    

(通):栄光の賛歌    「ルカ伝」2章14節他 当初(4世紀頃)は、ミサではなく、聖務日課の中で歌われていた模様。ミサへの定着はシンマクス教皇時代(510年ごろ)。

(朗):集祷文     collecta ミサの起源は、ユダヤ教の「過ぎ越しの祭」に由来すると考えていいでしょう。その他、キリスト教の祭日はユダヤの祭日をそのまま採り入れたものが多く、キリスト教の成立時から「聖餐の集会」が行われていたことが明らかになっています。従って、「集まりの祈り」はミサに於て最も古い起源を持つものと考えなければなりません。(「過ぎ越しの祭」についてご存知ない方は、カラースペクタクル映画の元祖「十戒」[セシル・デミル監督、チャールストン・ヘストン主演]をご覧になるか、または旧約聖書「出エジプ記」をお読み下さい。)

(朗):書簡       70年のエルサレム陥落(ユダヤにおけるキリスト教会も壊滅)以後、ローマを中心に活動していたパウロ派が完全に優位に立った。ただし、パウロの書簡は2世紀中盤以降である。書簡集はパウロのものが分量的にも多く、定例的に書簡集を朗読する習慣は2世紀中盤以降に定着したのであろう。

(固):昇階唱     
(既に1世紀に記録のある「詩編唱」の発展型)アウグスチヌス(354~430)の記録には既に現れる。
元は司祭が聖書を読むのに登壇する間を繋ぐのに歌われたのでこの名がある。

(固)
:アレルヤ唱   Alleluia
6世紀の作例が発見されている。ミサへの定着は11世紀頃か?Seqientiaを伴うようになる。
歴史的には「昇階唱」と同じ。
:詩編唱。ミサ定着の起源はAlleluiaより古いらしいが、次第にAlleluiaに置き換えられた。
:続唱      
アレルヤ唱の発生と共に、既に誕生。11世紀には定着。

ここまでは旧約聖書「詩編」に由来する歌唱が多いわけですが、詩編唱の実施例はアウグスチヌス[告白」9巻12章(AD387年)に彼が母の死を迎えて周囲の人と共に歌った、という記載で確認できます。当然、由来はこれより遡ることになるわけです。

(朗):福音書朗読   Evangerium

福音書はキリスト教の布教地域が拡大するにつれかたちを整えていったことが明らかになっており、その朗読の習慣は1世紀には既に確立していた、と考えてよいのではないか。

実施記録例)アウグスチヌス「告白」8巻12章(AD386年)「福音を伝える」というのが、初期キリスト教で十二使徒(中心はペテロとヤコブ)の成した伝道の基礎手段であり、AD37年以前には小アジアのかなりの領域のユダヤ人社会に浸透していた、との記録があります。この、口頭の伝道期間中には福音書なるものは存在しなかったとされています。

福音書」の登場は、パウロを源とする、ユダヤ中心ではない「ヘレニスト派」が、70年のエルサレム陥落を期に布教の中心となっていった後のことです。ですので、先の「書簡」朗読にやや先立った頃定着し始めたのではないかと、私には思われます。

(通):信仰宣言    Credo 「ヨハネ伝」1章3節他
325年のニケア公会議、381年のコンスタンティノポリス公会議で確認された「信仰箇条」を含む文で成り立っており、2つの会議の中間に文章化の起源を持ち、451年のカルケドン公会議で承認・採用されたもの。ミサには11世紀に導入。

2)エウカリスティア(聖体の祭儀・感謝の祭儀)

(固):奉献唱     OffertoriumAD150年頃に実施記録がある。
典礼文の最古資料は230年ごろ。チェレスティノ1世(~432)によって成立、との説もある。

(朗):密誦      Secreta
(朗):序誦      Praefatio

(通):感謝の賛歌   Sanctus
「イザヤ書」6章3節、「マルコ伝」11章9節等4世紀頃には多くの教会で歌われていた。

(朗):カノン(奉献文)Canon ~(「ミサ」の中心部分をさす言葉。)「パンとぶどう酒がキリストの血と肉に変わる」ことを祈願する。キリスト教の根本的発想であるから起源は最も古いかも知れないですね~(私見)

(朗):主祷文     Pater noster 2世紀の文書には既に登場する。

(通):平和の賛歌   Agnus Dei 「ヨハネ伝」1章29節
東方教会で盛んだった聖母崇敬を西方教会に持ち込んだ教皇セルジオ(在位687~701)により導入された。

(固):聖体拝領唱   Communioアウグスチヌス(354~430)がカルタゴに導入したとの伝承がある

(朗):聖体拝領後の祈りPostcommunio
AD150年頃に実施記録がある。 典礼文の最古資料は230年ごろ。(奉献唱に同じ)

(通):終祭唱     Ite missa est 「これにて解散」
集会の解散宣言であり、当然起源は集会の原初に遡る。
なお、この文が「ミサ」の語源となっている。それがいつごろのことかは分からないが、「ミサ」と呼ばれる以前は「エウカリステア(感謝の祈り)」と呼ばれていた由(上表の後半に名称が残っている)。ローマのキリスト教徒にラテン語が定着し始めるのは3世紀頃なので、「ミサ」の呼称は早くてもそれ以後に成立したのではないか(私見)。なお、「エウカリスティア」では信者以外は聖体を受けられない。

古くは非信者は「シナクシス」にあたる部分にしか参加できなかったらしい。「ミサ」の式次第、行なうべき祭日等につき整理が始まったことが文書で確認できるのは2世紀中葉です。そこで歌われる「聖歌」の成立を詳細に見るには、聖務日課に伴う歌唱や、祭日によって異なる入祭唱などの起源を述べるべきですが、量も内容も私の記憶力の範囲を大幅に超えるほど多いので、=付録=に掲げる書籍、ないしは国内盤CDの解説をご覧下さい。ただ、その成立初期について、ダニエルー「キリスト教史I(初代教会)」に散見される記事をたどると、概ね次のようなこと程度は分かります。
・3世紀初頭の教徒の集会では、ハープ、フルート、コーラス、ダンス、カスタネットなどが用いられていた、というのが実体であったらしく、これを戒めて「六弦琴と竪琴だけにすべきである」と訴えた文がある(アレクサンドリアの風潮)。
・「竪琴」との兼ね合いから見ると、詩編を「竪琴」を奏でながら歌ったとされるダビデが、ギリシャ神話中の音楽の祖オルフェウスになぞらえられるようになり、さらにイエス・キリストがダビデになぞらえられたことにより、ダビデを経由してイエスがオルフェウスになぞらえられるに至った(4世紀のカタコンベ壁画に、その例が見られる)。
・154年生まれのパルデサネスという人物が多くの聖歌を作曲したが、彼の主張は異端である、として4世紀中葉のエフラエムという人物がそれに変わるべき聖歌を作っている。

ここまでで概観できたことをまとめますと、「ミサ」は1世紀に起源を持ち、2世紀には現在のかたちにちかい枠組みが出来上がったものの、「朗読(とはいっても実体は-日本ではそうなっていませんが-朗唱に近い)」・「固有唱」が先行して取り込まれている。「固有文」はそれを唱える日の意義により違うため、(上表では触れていませんが)祭日の増加に伴い多様化が進んだ(文献『グレゴリオ聖歌の歌唱法』カルディーヌ著 に例示されている数は、「入祭唱」53、「昇階唱」19、「奉献唱」17、「聖体拝領唱」22、にのぼる。但し、「続唱」については知られているだけで4,500曲ほどが作られるという異常な流行を見たため、16世紀以降4つに制限され、その後「スタバート・マーテル」のみは追加を許された)。通常文の定着は次の通りになっており、現在の順番が確立するのに中世全期に渡る年月を費やしている。(背後の歴史事情を、対応する歴史的事件から推定してみると面白いかも知れませんが、今回は突っ込まずに置きます。前項の社会史略年譜を参照下さい。)サンクトゥス(4世紀)~キリエ(495年ごろ)~グローリア(510年ごろ)~アニュス・デイ(700年ごろ)~クレド(11世紀)なお、傾向としては5~8世紀が最も進展した期間で、世間も西ローマ帝国の滅亡からカロリング王朝の隆盛まで、と変化の激しい時期だったことに目を向けておきましょう。カトリック側もこの期間は激動の時代だったことが、かすかではありますが、伺われます。

参考文献の掲載を忘れました。近々付け足します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月26日 (木)

モーツァルト「レクイエム」自筆譜について

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会について掲載しました。
ご招待の企画も(個人的に)しております。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


家内を亡くして、今日が4回目の月命日です。
そのお祈りのために、かなり長文ですが、家内の生前、団内のメーリングリストに載せた「モーツァルトのレクイエム」に関する記事を再掲載させて下さい。なお、その後研究の進展等の情報によると、この記事ではもはや古びてしまっている部分もあります。ご了承下さい。


死者の為のミサである「レクイエム」(第二ヴァチカン公会議1962〜65で公式にはラテン語典礼に固定することは廃止)は、その確立がカトリックによる「宗教改革」への対抗に起因する、ということは、ご存知でしたか?

「宗教改革」といえばルネサンス後期に激化した現象ですが、この「ルネサンス」という時代は、「人間復興」とい自由なイメージとは裏腹に、ヨーロッパは戦争に明け暮れ、貧乏人は飢え、学者たちは「神」と「霊」と「人」の狭間に真実を見いだそうと血眼になっていた、という、なんだかどこに焦点を置いて観察したら良いのか見当がつかない、というのが実相だったようです。
(この時代を最も分かりやすく書いているのは、澤井繁男「ルネサンス」岩波ジュニア新書303 税抜780円 だと感じています。中高生向けのシリーズとはいえ、このジュニア新書は優れた著述が多いと思っております。子供たちがもっと目を向けてくれたら嬉しいし、大人が読んでも恥ずかしいものではありません。内容が立派ですから。通勤に1時間かかる人は、電車で1,2往復すれば読み終えられます。)

1500年頃、カトリックの権威の保証の元にちまたで売られていた「贖宥符」(免罪符、という訳語が一般的ですが、死者の魂を煉獄から救うことを大名目に販売され、その購入のためにお金を払った買手も「ついでに」罪を免れる、という効用を謳ったものですから、ルター原典の翻訳に用いられるこの訳語の方が適切だと思います)につき、ドイツのマルチン・ルターが、彼のいた修道院の教区での「贖宥符」販売の停止を地元の選帝侯に書簡で申し入れ、さらには「贖宥符」の根拠となるキリスト教解釈をめぐって95にわたる条項をもって神学者達に討論を呼びかけたことから、ルターを牽制し出した教皇庁当局、頑として自己の信条を貫くルター、両者を巡る政治的思惑が絡んで、問題の渦は急激に大きく膨らみ、世に言う「宗教改革」が勃発します。
(カトリックによるルターの破門、対するルターの「宗教改革宣言」と呼ばれる表明は1520年)。
さらに、きっかけはヘンリー8世の我儘ではあるものの、1534年にはイギリス国教会まで成立してしまいます。カルヴァンが著作を発表したのも1536年のことです。

窮地に立った教皇庁側は、カトリックの典礼が確かに中世以後混乱をきたしていたことを認め、次々と起こる「宗教改革」的な動きに対抗しえるために、従来からの「ミラノ典礼(4世紀成立)や「ローマ典礼(充実期は9世紀以後)」を見直し、内容を整理すべく、1545年から63年にかけてトリエント公会議を開催しました。

「レクイエム・ミサ」はこの公会議以前にも無かったわけではありませんでしたが、整理の一環として、この公会議によって、こんにち一般的になっている次第と典礼文が決定されたのです。


モーツァルト以前の主要な「レクイエム」音楽を年代順に掲げ、典礼文のどの部分が作曲されているかを比較してみましょう。(音源は=付録=に掲げます。)トリエント公会議の前後でどのような相違点があるかに注目して下さい。なお、式次第については、先週のミサの次第を記述した箇所を参考にして下さい。朗読(朗詠)による部分は作曲されませんので、省略しました。最も大きな違いは、「レクイエム・ミサ」には「グローリア」がないことです(下には挙げませんが、例外として、シュッツがドイツ語で、グローリアにあたる部分を作曲しています。)

      オケゲム   ラッソ五声 ヴィクトリア M.ハイドン Mozart
      15世紀後半 1580年 1603年  1771年  1791年
  
入祭唱   : ○     ○     ○      ○      ○

キ リ エ : ○     ○     ○      ○      ○

昇 階 唱 : ○    (聖歌)   ○

アレルヤ  :
または
トラクトゥス: ○     ○

続   唱 :                    ○      ○

奉 献 唱 : ○     ○     ○      ○      ○

サンクトゥス:(聖歌)   ○     ○      ○      ○

アニュスデイ:(聖歌)   ○     ○      ○      ○

聖体拝領唱 :(聖歌)   ○     ○      ○      

聖体拝領祈願:(聖歌)                ○      ○

終 祭 唱 :             

赦 祷 式 :             ○

*「赦祷式」の代表的な典礼文は、答唱のLibera meおよび交唱のIn Paradisumです。 ヴィクトリアはLibera meのみ作曲しています。
*なお、オケゲムのとラッソ列で(聖歌)とあるのは、オケゲムやラッソ自身は作曲せず、グレゴリオ聖歌で歌われることになっている部分です。オケゲムについては、(聖歌)の部分は「グレゴリオ聖歌」で定めるレクイエム・ミサの聖歌そのものが歌われていることを確認しました。ラッソについては、手持ちのCD・書籍ともレクイエムの昇階唱を収録しておらず、確認できませんでした。
なお、「グレゴリオ聖歌」に於ける有名な続唱「怒りの日」は、1255年頃没のトマス・デ・チェラーノが作った有節セクエンツィアです。通常文は18番が使われています(Kyrie,Sanctus,Agnus Dei)。

これより多くの事例を調べたい場合は、=付録=に挙げた書籍の中の「「レクイエムの歴史」をご覧下さい。モーツァルト以後についても話題が豊富です。


上の例で顕著なのは、ラッソとヴィクトリアが一つの境目を成していると見えることでしょうね。ラッソのレクイエムはトリエント公会議終結から15年後の作品です。特徴としては大きく3つ、

・オケゲムとラッソはトラクトゥス(トリエント公会議で定められたのとは歌詞が異なる)を作曲しているが、ヴィクトリア以後は作曲されていない。

・「昇階唱」はヴィクトリアは作曲しているが、先立つラッソは聖歌で間に合わせており、昇階唱を創作するかどうかについて考え方に揺らぎが見え始める。

・「続唱(怒りの日〜狭義の「怒りの日」・「不思議なラッパ」・「恐るべき大王」・「思い出したまえ」・「のろわれしもの口をふさがれ」・「涙の日」のひと繋がり」を作曲しているのは前古典派以降と見受けられる。
(実際に一般化しだしたのはバロック中期以降のようです。早い例ではバロック初期、モンテヴェルディの後継者と目されたカヴァッリ最晩年1656年作のレクイエムが全曲作曲の嚆矢の由。また、ルネサンス期のブリューメルは、続唱全60行を3行ずつに分けた20節のうちの、奇数節はカノンとして作曲、のこりは聖歌のまま歌われる方式で作曲しているそうです。いずれも残念ながら録音を見つけられませんでした)。

があげられます。
また、ロマン派以降常識化する「赦祷式」への作曲が、モツァルトの頃までは殆どなされていないことも特徴的で、これはロマン派の時代頃にはミサのあり方が再び変化してしまったことを示唆しているとも読み取れそうです。


以上をふまえて、モーツァルトの「レクイエム」を見ていきましょう。

まず、作品の歴史的位置づけを定めるために、モーツァルトが「レクイエム」において、特にグレゴリオ聖歌・ヘンデルとミヒャエル・ハイドンの音楽を引用・応用したのが明らかになっている箇所について、簡単に述べておきます。

・「入祭唱」:ヘンデル「葬送アンセム」第1曲(序奏の次)との類似が指摘されています。
       また、ソプラノ独唱はグレゴリオ聖歌の旋律線をたどっています(聖歌
       の入祭唱のte decet hymnus deus in Sion, et tibi reddetur votum
       in Ierusalemまでの旋律線を単純化した上でモーツァルトなりに修飾を
       施し、リズム付けをしています)。
       声楽部の冒頭から聖歌の旋律線を芯にしたte decetまでは、M.ハイド
       ンの作品をモデルにしていることが、聴き比べると明確に分かります。

・「キリエ」:ヘンデル「デッティンゲン・アンセム」の二長調のフーガを短調化した
       と見なされています。あるいは「メサイア」第2部の合唱曲「彼の打ち
       傷によって私たちは癒された」を引いているとも言われています。
       (「メサイア」該当合唱は、たしかに似ています・・・)
       なお、「聖体拝領祈願」Cum Sanctis参照

・「奉献唱」:続唱最後の「ラクリモーサ」8小節絶筆が有名ですが、「奉献唱」のホ
       スティアスまでは声楽部と通奏低音をモーツァルト自身が完成していま
       す。
       Quam olimは、ミヒャエル・ハイドンの作品と瓜二つで、後者を初めて耳
       にしたときには、ぶっ飛んでしまいました! 当然、M.ハイドン氏の
       作品がモーツァルトの記憶に強烈に残っていたか、手元に楽譜があって
       参考にしたか、のいづれかでしょう。ヴォルフガング少年はM.ハイド
       ンを大変尊敬していました。

・「聖体拝領祈願」:Cum Sanctisからのフーガはジュスマイヤーが苦肉の策でキリエ
       のフーガをそのまま用いたと言われていますが、1小節目最後ののB
       (ドイツ音名で)と2小節目最初のCisとが減7度の関係にあるのは、
       同じ歌詞のM.ハイドン作品の影響が明確に見られます。かつ、M.ハ
       イドンのレクイエムはCum Sanctisはフーガですし、その後の「終祭唱」
       を最初の入祭唱の独唱部を再現することで開始してからまたCum Sanctis
       を繰り返し、締めくくりは入祭唱と同じ終止で行なっています。モーツ
       ァルトの「レクイエム」は終祭唱の前にCum Sanctisを置いてこそいませ
       んが、終祭唱の作りはM.ハイドンの「レクイエム」と非常に似ている
       と言わざるを得ません。したがって、仕上げにあたったジュスマイヤー
       が終曲を冒頭部と全く同じにした「苦肉の策」は、モーツァルトの遺言
       に忠実であった可能性が高いと考えられます。
       この点、ジュスマイヤー版は過小評価を受けてはいないでしょうか?
       (追記:ここ、Commino以降、の誤りですね! ごめんなさい。)

以上から、作品としては、モーツァルトのレクイエムはバロック後期から前古典派、とりわけヘンデルとM.ハイドンの血筋をまっすぐに受け継いだものと見なす必要があります。
(ベーム当時迄の重いテンポ解釈は、ロマン派のフィルターを通った後の産物と考えるべきでしょう。ちなみに全く話が違うようですが、日本の「雅楽」のある曲について調べた人の報告では、明治期に比べると昭和期の演奏は2.5倍にもテンポが延びているそうです。人間が音楽に求める、その時代なりのテンポというのが、どうも存在するようですね。なお、ヘンデル作品についてはメサイア以外は録音も楽譜も確認できず、書籍「レクイエムの歴史」の記述によりました。関連曲は聴いていないものの、ヘンデルのアンセムは彼のオペラに比べて「メサイア」その他の宗教的作品に似た高い気品を持っており、長さも1時間かからないものがありますから、お見つけになったらチャンスだ と思ってお聴きになってみて下さい。バッハと対照的ですが、後悔しないはずです。)


続いて、「自筆譜」そのものを見て行くことにしましょう。アーノンクール版(=付録=のCD参照)に、自筆譜が収録されており、印刷も出来ます。ただし、後年発見された「レックス・トレメンダ」の為のスケッチと「アーメン・フーガ」のスケッチは含まれていません。印刷は相当面倒ですヨ! しかも、印刷されて売っているファクシミリ版に比べれば画質も相当落ちます・・・我々素人が閲覧する分には、それでも充分かな、とあきらめています。なにせ、ファクシミリ版はバイヤー編のものでも11,900円(こっちならオトク、とは思うんですが、原物を見ていないし、モノクロだと元も子もないし、リプリント版とあるのが気になる)、ベーレンライター発行のものは109,200円、だそうですから(いずれもアカデミアでの値段。なおかつ品切れ中。)


「自筆譜」は、78葉から成っています。(実際には99葉書いたそうですから、残り21葉はやはりファクシミリを購入して確認すべきでしょうか?)各葉12段の五線紙で、トロンボーンパートは"Tuba milum"の冒頭部を除き、原則として記譜されていません("Introitus"の7小節目は、声楽の出の前までは記入されています)。新全集の校訂者ノヴァーク(ブルックナーの「ノヴァーク版」で著名な人)は、初版印刷譜に基づいてトロンボーンパートを補っていますが、当時のウィーンの慣習に照らしても、それで全く不都合はない、と、序言で述べています。ノヴァーク以後、この点に異議を唱えた人は皆無です。

「自筆譜」はまた、研究の結果、2種類の五線譜が使われていることが明らかになっています。
主な用紙と別であるのは、
*「キリエ」の最終ページ
*「レコルダーレ」の2ページ目から「ラクリモーサ」の絶筆まで
*奉献唱(「ドミネ・イエス」及び「ホスティアス」)
の部分。これはアーノンクール版付属の図版でも見分けがつきます。
用紙が2種類となった理由については様々な憶測があったということですが、ランドンの「最初の用紙を使い果たした時にはモーツァルトは衰弱しており、2タイプ目の用紙をコンスタンツェが買ってきたのかも知れない」という下記著書での推測が最も自然であるようです。

以下、特徴を、主にランドン「モーツァルト最後の年」(1999年最終改訂、海老澤敏訳 中央公論新社2001 税別3,300円)を参考にして申し上げます。

・"Introitus"右上のモーツァルトの名前、1792の年(かすれているが)の記入は、 本人に最も筆跡の似ている弟子、ジュスマイヤーが記入した。

・"Introitus"の部分はモーツァルトのみの手による。但し、声と器楽は時を別にして書かれたと思われる。(ランドンの「<入祭唱>の楽器編成は、のちにモーツァルトによって、別のインクとおそらく別の羽根ペンで書き加えられた」という記述は正しいと思われますが、アーノンクールCD添付の自筆譜画像の難点で、インクの濃さが正しく反映されているかどうか分からないので、第1葉目について全て後にかかれたようにも見え、そうなると2種の五線譜の「後者コンスタンツェ購入説」が成り立たなくなるリスクがあります。2葉目以降、声楽パートと同時に書かれたと思われる器楽部分もあるように見えるところが結構目に付くのです。この辺が、高い精度で印刷したファクシミリにはどうしてもかなわないところです。)

・"Kylie"は声と通奏低音はモーツァルト自筆。弦楽器とバセットホルン・ファゴットはフライシュテットラーが、トランペットとティンパニはジュスマイヤーが補筆。(29小節目はモーツァルトが声と通奏低音パートを抹消して書き直しており、死後、管パート部分は弟子達の手で抹消線が引かれたことが判別できる。・・・筆跡の違いを判定するヒントになります。。。 )フライシュテットラーとジュスマイヤーの補筆は12月10日以前に完了していた。5日に亡くなったモーツァルトの追悼礼拝でこの部分が演奏されたことが判明している。(=付録=記載のアーノンクールCD中にある、ベンヤキン=グンナー・コ ールスの解説による。レヴィンも同様の記述をしている。)

・「続唱("Dies irae"から"Lacrimosa"まで)」、および「奉献唱"Domine iesu"から"Hostias"まで)」は、モーツァルトは原則として声と通奏低音の部分のみを記入。例外は下記の通り(私の見たところ、ですので、実は誤りもあるかと思います)。
  *Dies iraeの弦パートの殆ど(全部ではないように見えます)
  *Tuba mirumの17小節目までは全て。
  (アーノンクールCD添付のファイルでは像が不明瞭で、以降の弦パートは異筆にも見えるが、動きはこのままジュスマイヤー版でも採用されているので、モーツァルトによるものと考えるのが妥当だろう。)後半の弦パートも自筆。
  *(Rex TremendaeもTuba mirumと同様)
  *Recordareの13小節目までのバセットホルンと弦、及び最後の5小節の弦。
  (14小節以降の弦は主としてアイブラーの補筆だが、モーツァルト真筆部分も
   あると思われる[ジュスマイヤー版と共通の音程・音型の箇所]。)
  *Confutatisの第1ヴァイオリン、および25小節目以降の弦すべて
   (Oro suplex)
  *Lacrimosa最初の2小節の弦
  *奉献唱の一部に記された弦パート(他に補筆が無く、明らかに分かる)。

・「続唱」のオーケストレーションは、モーツァルトの死の直後、おそらくコンスタンツェから1791年12月21日に依頼を受けたアイブラー(ハイドンの友人)が自筆譜上に追加記入した。"Conftatis"まで終え、"Lacrimosa"でモーツァルトの絶筆となった8小節の後にソプラノパートを2小節付加したところでアイブラーは受託を放棄し、自筆譜をコンスタンツェに返却したらしい。(アイブラーは"Lacrimosa"の続きの部分は、歌詞の反復ではなく、'huic ergo'から始めようとしていた。この2小節の付記についてはレヴィンが言及。)

・"Hostias"の最後尾にはモーツァルトが「クアム・オリム ダ・カーボ」と3ヶ所に記していたが、いちばん右下の記入部分は1958年に泥棒が破りとった由。

画質の悪いファイルでも、すくなくとも判明するのは、「筆勢の違い」。
今回のモーツァルトの「レクイエム」の「自筆譜」に加筆した人は、おそらくそれぞれに筆は結構速かったように見えます。ベートーヴェンとの大きな違いは、それでも
「考えると同時に筆を走らせる」
のではなくて、
「考えが出来上がってから筆を走らせている」
というような間(ま)が感じられることです。
その、間の置き方に個人差があり、個人差がまた、書かれた音符のかたちに反映される。
モーツァルトの真筆と目される部分は、「清書前のバッハ」を思わせる流麗さがあります。
アイブラー補筆と目される部分は、この人がどういう人だったか分かりませんが、計算しつつ書いているような直線的印象があります。とはいえ、アイブラーの才能はハイドンにもモーツァルトにも高く評価されていたそうで、ランドンも彼の補筆はジュスマイヤーより優れているとしており、そのためランドン版はアイブラー(とランドン)の補筆によって"Confutatis"までを完成しています(以降はジュスマイヤー版通り)。

さて、本当に以上の通りかどうか、是非現物をご覧になり、鑑定してみて下さい。
複数の手が入っていることが判明しているだけに、非常に興味深い鑑賞ができると共に、他のモーツァルトの自筆譜を見たくなった時、絶好のガイドになるかも知れません。
・・・なお、私の「誤り」は、下記でジュスマイヤー版の資料として紹介したCDの後半に収録されている音で確認できます。

「ツウ」になったら、あなたも明日から「楽譜筆跡鑑定名人」!

・・・世の中、そんな簡単にはいかないか・・・
   「ツウ」の逆立ちをするのは簡単なんだけどな!
   なんて・・・わけ分からんこと言ってスミマセン。


=付録=

ジュスマイヤー版以外のスコアは高いので、購入断念。
バイヤー版8,500円、モンダー版19,000円くらいです。
「自筆譜」の鑑賞が目的で、補作のあり方を云々したいわけではない(そんな能力はない)ので、まあいいか、と思っております。

1)モーツァルト「レクイエム」の様々な版によるCD
  「好み」か否か、ではなく、資料として役立ったと言う意味で使用したものです。
  市場では現状、殆どのCDはジュスマイヤー版、次いでバイヤー版が多いです。
  国内盤でそれ以外のものを見つけるには足かネットで労力をかけなければなりません。
 
*ジュスマイヤー版を基本とするもの
・ジュスマイヤー版
 C.Spering(Cond.)/Chorus musicus Koeln etc. Naive OP 30307 (2001)
 ※ジュスマイヤー版による全曲演奏のあとに、セクエンツィアの、「自筆譜」上モーツァルトの真筆とされている箇所のみを演奏したものをも収録。これを聴いたあとで以下の諸版による演奏を聴くと、それぞれの版の考え方の基本にあるものについて「なるほど・・・」と思わせられます。

・バイヤー版
 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス他 BMG BVCD34018
 (2003 国内盤・輸入盤とも有り)
 ※ジュスマイヤーのオーケストレーションで明白に不都合と思われた部分のみを改めた版。一時期はこの版を演奏で採用するのが大流行しました。・・・しかし、何となく物足りない印象も残ることは否めないと思います。
  ・・・「自筆譜」画像付きCDです。

・ランドン版(国内版であったもの)
 ヴァイル/ターフェルムジーク・バロック管弦楽団他 SONY SICC305 (1999)
 ※前述の通り、アイブラー補筆を活かしたジュスマイヤー版です。したがって、入祭唱から続唱(「コンフターティス」まで)は「自筆譜」に最も近い音がします。

*校訂者がジュスマイヤーの補作部分をほぼ完全に訂正し、改変したもの
・レヴィン版
 H.Rilling/Bach-Collegium Stuttgart etc. Haenssler CD 98.146
 ※・・・サンクトゥス以下の枠組みはジュスマイヤーに沿っているので、「改変した」と言い切っていいのかどうか難しいところなのかも知れませんが、セクエンツィア部を含め、全般にオーケストレーションは大きく変えられています(アイブラーの補作をランドン同様優先的に採用しながら、その部分でも改変をしていたりします)。また、ラクリモーサ後半をアーメンフーガを接続するよう改作しています(次に述べるモンダー版とフーガへの接続法が違っています)。レヴィンが自負しているとおり、「なるほど、他の版よりモーツァルトらしく聞こえるな」という瞬間に結構出くわしましたが、やはりモーツァルト本人ならもっと自然に響くんじゃないか、と思ってしまいます。補作は本当に大変です!

・モンダー版
 昔、ホグウッドが初録音し、モンダーその人が丁寧な解説を付したLPを買ったのですが、実家に置いてきました。CDも出ているようですが、見つけられませんでした。
 ※「ラクリモーサ」を改変し、「アーメン・フーガ」を続けて完成させたのが最大の特徴。ただし、何度聴いても私には違和感がありました。サンクトゥス・ベネディクトゥスは真作ではないから、と全削除しています。ちょうど、「ハ短調大ミサ」を未完のまま演奏するのと似た態度です。(サンクトゥスが果たしてモーツァルトの意思を全く反映していないかどうかについては、最近論議があるようですが、この問題については省略します。)
・・・主題が「怒りの日」と強い関連性を持つことを考慮すると、ジュースマイヤーはモーツァルトの支持を受けていた可能性は決して低くないとは思います。アニュス・デイについても、入祭唱の主題を低音に使っていますし。

他にもいろいろな版があるようですし、見かけたCDもありますが、ご興味に応じ、下記のURLを参照しお探しになってみて下さい。(CDでいま見当たるのはドゥルース版くらいです。他はよっぽど根気よく探さないと・・・探す価値があるかどうか分かりませんけれど。)
なお、アーメンフーガはスケッチは残っているものの、復元は「モーツァルトがラクリモーサ末尾のアーメンはフーガに仕上げよう」と結論付けていたかどうか証拠はなく、復元することが正当かどうかは(あまり議論にはなっていないようですが)検討すべき大きな課題のひとつです。
第1に、ジュースマイヤー版のラクリモーサの仕上がりが結構自然であるのは、モーツァルトの最終指示による可能性が否定できないことを思わせます。
第2に、そうはいっても、キリエでフーガを採用し、実質的に曲を始めたのですから、セクエンツィアはフーガで締めておき、奉献唱までの司祭の儀式のために一段落付けたい、という意図があった可能性は否定できません。
第3に、第2の場合の接続法は、ジュースマイヤー版の「アーメン」まででいったん終わった後に繋げても不自然ではない。フーガのスケッチはそのようにもきこえます。
第4に、とはいえ「アーメン」で締めくくったあとにフーガを置くことは、曲の粘着度を高めてしまうため、やはりふさわしくない、と、モーツァルトが結論付けたかも知れない・・・(慣例的には、続唱最後のアーメンはフーガで書かれるのが常だったそうですから、スケッチが見つかっている以上、この可能性は薄いと思います。)
ヘンデルの「メサイア」での最後のアーメンフーガが、編曲をしたことのあるモーツァルトの脳裏に強くあったに違いなく、その意味では、ラクリモーサは一旦きっちり終わらせてフーガを作るやり方をイメージしていたはずだ、と私には思われてなりません。

等々、モンダーやレヴインのような接続方法を取らなくても良い、と仮定してみても、次々にいろいろなことが考えられます。

・・・どなたか、この件に関し、偉大なご結論を導く野心をお持ちになってみません?

2)熱心に調べた方のURL

 ・・・この曲は、やっぱり、「調べたくなる」ロマンを感じさせてくれるんですね!
 以下の頁を参照させて頂きました。
 
 http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/mozart/requiem.htm
※プロの方ですから資料もきちんと収集、分析なさっているようです。(08.11.23付記:「プロの方」というのは誤認だったようです。「プロ」だからって<持ち上げる意図>も、もともとないんですけどね。追求するソノ大気持ちが素晴らしいと思ったのですが・・・(どうも、綴り手の方は私の生まれ育った市の方のようです。)
 各版の考え方をやさしくまとめてくれていますし、
 midiで音も聴けるので重宝します。
 いろいろな版によるCD・DVDの紹介が充実していますので、
 このサイトから「お好み」を探してご覧になれるかもしれません。

 http://www.asahi-net.or.jp/~EH6K-YMGS/sacred/mozreq/edition.htm
 ※上のサイトを知るきっかけをくれたページです。

 http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/mozart_requiem.html
 ※モーツァルトのレクイエムを巡る史実が上手くまとめられています。

3)例示した、モーツァルト以前の主要な「レクイエム」のCD

・グレゴリオ聖歌:前回ご紹介の10枚セットに含まれています。Graduale、
      Offertoriumは、残念ながら収録されていません。
      (ハンブルク製ですが品番無し。タワーレコード新宿店で発見。)

・オケゲム:「ザ・ヒリヤード・アンサンブルの芸術」4枚組の3枚目に収録
      国内盤 EMI CHIL-1001〜4

・ラッソ:国内盤「ドイツ・ハルモニア・ムンディ名盤撰9」 BMG BVCD38009

・ヴィクトリア:国内盤「ドイツ・ハルモニア・ムンディ名盤撰11」 BMG BVCD38011

・ミヒャエル・ハイドン:輸入盤 DG GOLD MDG 340 1245-2

4)文献

・「モーツァルト最後の年」H.C.ロビンズ・ランドン(海老澤 敏 訳)
  中央公論新社 2001 税別3,300円

レクイエムの典礼文・略史については
・「レクイエム・ハンドブック」高橋 正平 著
  ショパン社 1994 税別1,000円

・井上太郎「レクイエムの歴史」平凡社選書185
 (起源を突き止めたい場合、この本では古代についての情報が少ないのが遺憾。)

宗教改革の嚆矢となったルターについては、多岐にわたる著作の要所を引用した
・「マルチン・ルター 原典による信仰と思想」徳善 義和 著
  有限会社リトン 2004 税別3,000円
をお読みになるのがいちばんよろしいかと存じます。
ルターの文章はアウグスチヌスの優しさと両極端なほど峻厳、悪く言えば狭量に見えます。そのせいででしょうか、ルターは最初は順調に見えたエラスムスとの関係を、ついには悪化させてしまいます。エラスムスは「痴愚神礼賛」で名高いユマニストで、「ユートピア」の著者トマス・モアと強い友情で結ばれた人でした。

イギリス国教会創設のきっかけになった人物ヘンリー8世については、シェークスピアがその最初の離婚騒動周辺の物語を戯曲にしています(史実を凝縮)。
・「ヘンリー8世」小田島雄志訳 白水ブックス シェークスピア全集37
シェークスピアの戯曲は音楽史的にも興味深いことが多々あります。王をとりあげた作品には「トランペットの吹奏」というト書きが、早くも彼純正の処女作「ヘンリー6世」に見られますし、劇中で用いられた歌曲には楽譜も残り、録音されているものもあります。
そんな中でも、シェークスピア晩年の作(合作説もある)で、その初演に際し、劇中で用いた花火によりグローブ座が焼失してしまったという曰く付きの戯曲でもある「ヘンリー8世」は、
・ト書きに  「コルネットの吹奏」
       「オーボエの吹奏」
       「トランペットとコルネットの厳かな盛奏」
       「音楽、ダンス。」
        バレエの挿入を示唆する夢の場面
などがあり、台詞にも
 ”リュートをとって歌ってちょうだい”〜つづけて、歌がある、
という趣向も挟まれていて、音楽好きの想像を随分掻き立ててくれます。

コルネットやオーボエの吹奏が、なぜ王と関係の深い場面で行われるのが多いかにつ
いては、
・上尾信也「音楽のヨーロッパ史」講談社現代新書1499 税別720円
をご一読下さい。私は、非常に良い本だと思っています。


(追伸)

・モーツァルトのレクイエムに関連の深いヘンデル作品の音源を、1つだけですが見つ
 けることが出来ました。(楽譜はありませんでした。)

 「葬送アンセム」(輸入盤)hr(RADIO BREMEN) cpo999 244-2

  *合唱第1曲の器楽・声楽とも、たしかにモーツァルトのIntroitusと瓜二つです。
   但し、ヘンデルはそれを対位法的に積み重ねることはしていません。モーツァル
   トの畳み掛けるような"Requiem aeternum"は、やはりモーツァルトの独創です。
   畳み掛けの有無が、訴えかけるべき相手の違いを表しているとも言えます。
   ヘンデルは会衆と共に、亡き王女の生前を穏やかに回想しています。
   モーツァルトの訴えは、自身の声で、冥府の神に対してなされています。

また、バイヤー版のスコアも、結果的に割高の値段でですが、入手しました。

CDの解説ではモノによって詳しさに限界もあります。
ランドン「モーツァルト最後の年」で一般事項を把握すると共に、是非、バイヤー版の冒頭にある彼の研究の骨子・改訂に至る考え方(譜例豊富)をご一読頂く事をお奨めします。(以下、今回の本文も長いので、残念ですが詳細ご報告は致しません。)ドイツ語と英語で併記されています。
ただ、重要事項(と言う程でもないか)なので、前回省略したSanctus〜Agnus Dei の問題に関するコメントだけ、要約してご紹介します。
バイヤー氏は、上記骨子の中で随所に渡りSanctus、Benedictus、Agnus Deiの問題につき主にアーベルやブルーメの研究コメントを引用しながら言及しています。

・Sanctusは、前後との響き合いについては不整合であるものの、Dies iraeの主題を使用していることに留意すべきである
・Benedictus、Agnus Deiについては、過去の研究者がそこに真正のモーツァルトの響きと構成を聴き取り、見て取っており、不整合な印象があるとすれば、それはオーケストレーションと声楽の描くラインの不自然さに起因すると考え得る
(以上、もちろん、バイヤー独自の見解ではありません。)
~なお、Agnus Deiのバス旋律はIntroitusの主旋律と同じ動きをしています。

それに伴い、最も重要な音楽的変更は、Agnus Dei末尾がジュスマイヤー版ではクレッシェンドの後フォルテで終わるところを、バイヤー版はふたたびディミヌエンドしピアノで終了するようにしたことで、これによる終曲への接続改善効果は極めて大きいものがあります。
各所をジュスマイヤー版と比べると、バイヤー版の改変は如何に最小限であるか(といっても少なくはない!)、しかしいかに音の流れを自然にするよう苦心したか、が分かります。また、バイヤーはM.ハイドンの師ロイターのレクイエムからも、モーツァルトへと引き継がれている伝統についても注目し、上説を補強しています。
(上述のM.ハイドンとモーツァルトの類似点を参考にして下さい。)
(ちなみに、別の版の編者であるレヴィンは、Sanctus以下がモーツァルトの何らかの教示による可能性を、アタマから否定しているようです。残念ながら、CDに寄せた彼 自身のコメントからだけでは否定の理由は分かりません。)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

東京ムジークフロー定期演奏会のご案内

私の所属するアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの第44回定期演奏会についてご案内申し上げます。
当ブログをご覧になってご来場
をご希望頂ける場合、下記宛てメール下さい。

tmfconcert@yahoo.co.jp

20名様を、私からご招待させて頂きます!
(抽選とさせて頂く場合がありますのでご了承下さいませ。)


以下、公式ページからの(ほぼ)丸写しです。
ただし、各曲目、演奏者については当ブログ内の記事にリンクをはりました。
併せてご覧頂ければ幸い・・・かなあ。。。却って毒かなあ。。。

<東京ムジークフロー第44回定期演奏会>

日時 : 2007年6月16日(土)
          午後6:00開場
          午後6:30開演
場所 : 杉並公会堂(アクセス情報
入場料 : 1,200円(全席自由)
〜曲目〜
◆エルガー(生誕150年) 「海の絵」作品37
メゾ・ソプラノ : アンネ・フェルバルグ(ノルウェー)
◆グリーグ(没後100年) ピアノ協奏曲イ短調作品16
 ピアノ : G・H・ブローテン(ノルウェー)
◆ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調作品47(初演後70年)

指揮:菊地 俊一


ブローテン・フェルバーグ(フェルベルク)ご夫妻は、日本ではあまり知られていませんが、本国ノルウェーではそれぞれ「グリーク演奏の大家」・「国立オスロ歌劇場の看板歌手」としてご活躍です。
本場の「ノルマン」の演奏が聴ける最良の機会となることでしょう!
沢山の皆様のお越しを、心からお待ち申し上げております。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月24日 (火)

屍を停めざる大海・・・

かたちは「宗教を語る」ようにみえながらも、根っこでは違う・・・そんなお話をしてみたいと、ふと思いました。

信じる心、というものは、俄に培われるものではないのでしょう。
幼い時から生まれ育ったそのそばで、たとえば祖母が経文を唱えていた、母がいつも十字を切っていた・・・最初はそんな、代々つながる母なるものから受け継ぐのかも知れません。
乳離れを始め、本当は陰で親がえさを与えてくれているのだとは重々知りながら、自分の足で歩きたい、と考え出すと、こんどは祖母の経文、母の十字とは違う、自分なりに信じられるものは何か、という模索が始まります。

が、本当の自分なりになれるのは、よほどの人格者でない限り、「死」の訪れる、その瞬間でしかない。
そんな気がしてきました。
神が見える、仏が見える、超越者が見える・・・それもまた「死」の瞬間、そのときしかない。
ところが一方、矛盾するのですが、本当の自分も、神仏や超越者も、何もかも見えなくなるのもまた、「死」の瞬間なのではないか?

では、「死」とは何か?
肉体が動作をやめることが死なのか?
肉体は動いていても、精神が動作をやめれば、それが既に「死」なのか?

あてもなく書店をうろついていて、ふと目に止まった『臨済録』に手が出、開いているうちに、そんなことを考え出してしまいました。

現代語訳の部分を電車で一気に全巻読みました。
印象は強烈ではあったものの、どの話一つとっても、全く理解できませんでした。
とはいえ、いま、原文(漢文)のまま一つを引用します。訳語によらず、あとでじっくり考えてみるためのメモとして載せておきたいからです。

 大徳、錯って用心すること莫かれ。大海の屍を停めざるが如し。
 ひたすら担却して点火に走らんと擬(ほっ)す。
 自ら見障を起こして、以て心を礙(さ)う。
 日上に雲無ければ、天に麗いて普く照らす。
 眼中に翳無ければ、空裏に花無し。(岩波文庫本:145頁)

禅の名僧の言葉でありながら、聖書で神がヨブに語りかける言葉と、これはなんと似通っていることか!

さらに、臨済の言葉ではなく、解説に引かれた百丈和尚の表明。

 本来、自知自覚の是れ、自己仏なることを認めず。
 如今の鑑覚は是れ自己仏なると説くは、是れ初善なるのみ。

自分自身の中には、そもそも仏性なるものも・・・また神性にせよ悪魔にせよ、もろもろの高尚なもの、低俗なもの、等々(これを言葉にする事自体が既に愚かしいようです)はありもせず、ないわけでもない・・・禅宗の特徴に見える、あるいは古代インドやギリシアに始まる懐疑論にも伺われるようなあいまいさを持った表明だ、と、一見そのように読めなくもないのですが、こんな読みは誤っている。今の自分に分かるのは、まだそこまでです。。。
(23:55、24:22付記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

良質な「地元」にもっと応援を!

4月22日記載です。

昨日、本日と、ご縁で二つのコンサートに行きました。
昨日は、三鷹の、茂木大輔さんのレクチャーコンサート。
本日は、埼玉県吉川市の、吉川吹奏楽団第17回定期演奏会。

昨日の三鷹については別途記します。

今回は、「吉川吹奏楽団」の方に着目します。


吉川吹奏楽団第17回定期演奏会は、4月22日14時から、吉川市中央公民館で行なわれました。入場無料。
電車からのアクセスも不便ではないですし、目立たない場所ではありますが、クルマでなら近郊からのアクセスも便利です。
メンバーは23名。で、聴きにいらした方の数を数えたら・・・約60名。

「初心者でも一緒に音楽を楽しもう」というスタンスの団体ですから、拝見・拝聴していると、
「あ、このメンバーは楽器をお始めになったばかりだな」
と分かったりもします。
でありながら、演奏内容は、たいへん立派なものでした。
後半のポピュラーの部でも、充分「ノリ」ながら、決して音楽の流れは崩さない。
全体を通じ、和声感も良く保たれ、ときに小編成とは思えない豊かな響きも聴かせてくれました。
これはひとえに、非常な勉強家でありながら優しいお人柄で分かりやすい指導をなさっている常任指揮者、巻島俊明さん(トロンボーン/サックバット奏者、東京カンマーブラス/ムジカフォレル所属)をメンバーも良く信頼している成果ではないかと感じました。
「これは、メンバーの倍程度のお客さんだけに聴かせるのは勿体ない」
・・・そう、正直に、心から思いました。

吉川吹奏楽団の例のみならず、とかく「地元」の団体には(秩父市みたいな例外があるようですが)、まず地元民が、あまり興味を示さない。三鷹のように地元に有名人がいれば別ですが、三鷹の茂木さんとて、実は最初から自らのレクチャーコンサートに大人数を動員出来た訳ではなくて、大変なご苦労をなさったようです。ただ、茂木さんの場合は、そちらに触れる際に少し触れるつもりですが、地道にバックアップして下さるスタッフに恵まれていました。

「地元」の団体が「地元」にもっともっと認知されるには、

・「せっかく演奏するのだから、なるべくたくさんの人に聴いてもらおう」
 と、メンバー自身がそちらへも意欲を持つ
・後援者がもう少し熱心に宣伝に取り組んで下さる

という二つの要件があります。
が、この2つで「うまく」やっている団体を幾つか見てきましたが、決して好ましいとは思えませんでした。
幹部が政治家とうまいこと関係を持ってみたり・・・
宣伝には熱中するけれど、音楽の仕上がりを見つめた練習よりは飲み会に熱中していたり・・・

「吉川吹奏楽団」は、そういう団体ではありませんでした。
拝聴して、私はそれを確信しました。
こういう良質な団体は、上の二つのことに上手く取り組む工夫を、そろそろお始めになっても宜しいのではないかと思います。(いろいろな困難が新たに生じることもありますから、慎重さも必要かも知れませんが。)

それからなにより、「地元」のかたが、
「あ、うちのそばに、こんな良心的な音楽を聴かせてくれる団体がある」
という電波を、どうか、高性能のアンテナでもってとらえて頂ければ、と願わずにはいられません。

以下、余談ですが、今日のプログラムの中に、特筆すべき作品が取り上げられていたことにもひと言触れておきます。

グリーク作曲「ノールロークの(思い出の)ための葬送行進曲」が、それです。
ノールロークはグリークがノルウェー音楽の作曲家なのだと自覚する上で大きな役割を果たした友人でしたが、一緒にイタリア旅行を計画してベルリンで待ち合わせたとき、結核にかかってしまいます。伝染を畏れたグリークは、孤独を訴えるノールロークを見捨てて、一人、イタリアヘ行ってしまいました。
その最中、ノールロークは寂しく死んでしまいます。
見捨てた友の死の報に烈しい後悔にかられ、グリークが一気果敢に仕上げた作品が、この葬送行進曲なのです。
以後、グリークがピアノ協奏曲を嚆矢としてノルウェー随一の作曲家となるきっかけを作った、記念碑的作品です。
今日は、これを聴けたことも大変な喜びでした。

吉川吹奏楽団の皆さん、本当にありがとうございました。
吉川市や近郊の皆様の、吉川吹奏楽団へのご支援をも、強くお願いしたいと存じます。(25:01)


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

グリーク「ピアノ協奏曲」ソリスト紹介

Geirhenningbraaten153私たち、東京ムジークフローで今回グリークのコンチェルトを弾いて下さる、ゲイル・ヘニング・ブローテン氏をご紹介します。
また、エルガー「海の情景」を歌って下さるのは、奥様のフェルバークさんです。彼女のことも合わせてご紹介します。

ノルウェー大使館による演奏会紹介

まずは、ブローテン氏の演奏したグリーク「叙情小曲集第1集」から聴いてみて頂きましょう。


・東京:

〜1985年、個人録音
・CD:


〜品番等=VICTORIA VCD 19025 1992年収録

日本ではほとんど知られていないピアニストですが、地元ノルウェーではグリークの全ピアノ作品を録音し、その豊かな音楽性を高く評価されています。残念なのは、録音先の会社が倒産したため、現在そのCDが入手できないことです。
上の演奏、わざと同じ曲を2種の録音で聴いて頂きました。
「東京」の方は、1985年、彼が日本で小さなリサイタルを開いたときのもの。
「CD」の方は、全集録音のもの。
音楽の仕上がりと深みに、どれだけの差をお感じになられますか?
的確にお聞き取りになれる方には最大の敬意を払わせて頂くと同時に、以下に記すことを勘案すると
「え、そんなに大変だったの?」
と驚かれるだろうことを請合います。

東京で用いたピアノはベテランの調律師さんも音を上げたヒドいシロモノだったそうで、弦3本ずつをなんとか合わせ、平均律を保つのが精一杯。タッチのための調整なんかする余地もなかった、とのことです。この調律師さん,ブローテンさんの演奏を聴いて(ベルクのソナタも弾きました)
「よくまあ、こんなピアノで」
とぶったまげた由。

プロモーターではありませんので、経歴はふれません。お人柄を少し。

理屈を言う前にピアノで歌っちゃったほうがマシ、とういうタイプ。
音楽以外にすきなのは、刺身と葉巻。
ノルウェーは漁業が盛んなのに、生魚はあまり食べないらしいのです。なので、日本で刺身がが食えるのは、とても嬉しいらしい。
葉巻は、プラスチックケース入りのを大事に吸います。でも、2年前、私と雑談中に、ケースの先を燃やして穴を開けてしまって、ガッカリしていました。いい葉巻、探して置いてあげようかな。

Annefelbergさて、奥様のほうですが、初対面になりますので、詳しくは存知上げないのです。とはいえ、オスロの国立歌劇場でバリバリにご活躍中のソプラノで、最近は演出も手がけていらっしゃるそうですから、間違いなく相当の実力者です。
4代前まではイギリス人だった家系のグリークを熟知した伴侶をお持ちです、奥深いエルガーをきかせて頂ける事でしょう。

最後に私事で恐縮ですが、家内は今回の演奏を聞くのを楽しみにしてくれていました。
私の胸ポケットに写真で連れて行って、最良の席で聞かせてやるのを、どうかお許しいただきたいと存知ます。

ソリストの関連サイトは次にリンクしました。
ブローテンさん
フェルバークさん

私たちの演奏会については別途記しますが、本ブログを読んでお聞きにいらしてくださる方から早めにお知らせ頂けましたら、限りはありますが、チケットをご用意させていただくことを考えております。
詳しくは演奏会のお知らせのときに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月19日 (木)

自分の顔

自分の顔は自分では見られない。
子供の頃、それが不思議で仕方ありませんでした。

家に三面鏡がありましたので、その左右の面で顔を挟んで見る。すると、右を見ても左を見ても、多分これが自分の顔なのだろう、と思われる、目や鼻や口や頭が、どこまでとも知れず延々と、それもどんどん遠く、暗くなりながら続くいて行く。
その、僕の目の届き切れない鏡像は、やっぱり僕の顔なのだろうかしら? 鏡に挟みこんでいる僕の、正真正銘、体にくっついている顔ってものもあるのに。。。
そう考えて初めて、僕は僕自身の顔を、自分自身の目では見られないことに、はた、と気付きました。

一方、両脇に幾つも重なった「顔」とは違い、正面には、なにものともダブらない、ただひとつの顔がしっかりとうつっています。で、信じてみる。
「きっとこれが僕の顔に違いない。」

でも、それは、鏡を通して見た顔です。しかも、写真に撮ってもらった自分の顔と比べると、なんだか違う。
写真と同じように見える顔は、それのまた裏返しになった顔と一緒に、両側の鏡の中で延々と重なりあっている。

「いや、両側に重なりあって映っている顔は、僕の顔じゃなくって、映っているだけのニセモノの顔さ!」
そう割り切って、じゃあ、写真に写った方の顔と、正面の鏡に映っている顔とを比べることに絞ってみる。

まだ右とか左とか反対だとか裏返しだとか、光の物理的性質だとか、そんなことは一切知らなかった。
いえ、知っていたとしても、
「やっぱりさあ、写真の方の顔が、ニセモノだよね。鏡に映っているのが本当の僕の顔さ!」
そう、信じていたかった。
自分の目で、自分の内側から、直接自分の顔が見られないとなると、自分の目で一番真っ当にとらえられ、ホンモノらしく見えるのは、鏡に映った顔なのです。

もういちど、よくよく省みてみましょう。
私は、私たちは、自分自身の「ホンモノの顔」は正面の鏡に映った顔だ、と、無意識に信じ込むことに慣れ切っていないのだろうか? なぜなら、正面の鏡だけが、唯一、自分の目のかわりとして信頼出来そうなものだから。

・・・でも、それは、裏返しの顔なのです。。。そうですよね?

私の、私たちの真実の顔は、むしろ、三面鏡の両側に幾重にも反転しながら、ひたすら暗きに向かって続いていく、光の届かないその先に隠れているのかも知れません。

人様がご自身の顔に対して持つ信頼も、私の、私たちの「正面の鏡」への信頼感と、異なっているはずはない。

そのとき、私たちは、いったいどんなふうにして、それぞれの本当の顔に対峙したら良いのでしょう?

「正面の鏡」に映っているものが、自分にとってなんであるかを・・・それはそのままでは裏返しの像でしかないのだということを、いったん心静かに端座して、見つめなおすことが、果たして私たちには可能なのでしょうか?

それには、
「正面の鏡に映る顔は何故裏返しなのか」
を、やはり、両端の多重の鏡像を多面的に眺めなおしてみるしかないのでしょうか?

無限の先へと続くこの重なりあいの、もはや光の遠く及ばない終着点に、万物の創造者が取り決めた、人為では変えようのない、なにかしら絶対的な「本質」があるにちがいない、と、僕はこの先、信じていくことが出来るでしょうか?

意味不明なことばかり綴りましたか。。。ご容赦下さい。(21日、1:30)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

グリークの伝記書籍

記念年なのに高価な『ピアノ作品全解説』以外に単独の関連書籍がなかなか現れないグリーク。でも、入手しやすいものがひとつあります。

子供向けの書籍、として扱われていますが、偕成社「伝記 世界の作曲家」シリーズの中に、

ウエンディ・トンプソン著『グリーグ』(新井朋子訳、2,100円)

があります。
内容も適度に詳しく、図版も適切なものが豊富に取り入れられています。
ピアノ協奏曲を伴奏する私たちはもとより、今年はぜひ広く読んでみていただきたい本です。

グリークのライプツィヒでの勉学のこと、彼に最初に多大な影響を与えたオーレ・ブル(1810~1880)やノールローク(1842~1866)への言及も見逃せません。
また、ピアノ協奏曲を「読む」上で欠かせない参考曲は「叙情小品集第1集」なのだということも、私はこの本で知りました。また、協奏曲作曲当時、グリークは娘が生まれた喜びに包まれていたこと、ところがその娘はたった1歳で死んでしまったこと、など、作曲や初演当時の様子も分かり、グリークの心情を察する上で、よい参考にもなります。

彼のノルウェー的特徴とは何であるか、それは彼のどんな環境に由来したのか、は、仮に鑑賞者にはほとんど意味を持たないかもしれないとしても、演奏に取り組む際には重要なポイントです。この点についても、本書の記述に不足はありません。

是非、ご一読下さい。

グリーグ―ノルウェーを代表する民族音楽の作曲家 Book グリーグ―ノルウェーを代表する民族音楽の作曲家

著者:ウエンティ トンプソン
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月18日 (水)

曲解音楽史11:古代ローマ

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国
    10)古代ギリシア


だいぶ開いてしまいました。

初期キリスト教音楽を抜きにして古代ローマの音楽を観察するのは、私のような素人には、やはりほとんど不可能でした。私的な事情を除けば、これが間の開いてしまった最大の理由です。

使われていた楽器は少なからず図版などもあって分かるのですが、そちらに興味の力点を置いても仕方ありません。楽器は、基本的には古代エジプト・古代ギリシャ双方、とくに後者のものを継承したに留まっていて、それらを拡大化した以上には新味はない、と見受けました。(もしはっきりと違いがあるようであれば、ご指導頂ければ幸いに存じます。情報をお待ち致しております。)

一つだけ注意しておくならば、他の古代世界同様、ローマでもラッパの類いは楽音としては意識されていなかったと考えておくべきです。カエサル「ガリア戦記」・「内乱記」、タキトゥス「年代記」、オイディウス「変身物語」くらいしか中身を辿れませんでしたが、ラッパの登場場所は例外なく戦場か、戦争に関係のある式典の場で、そこで鳴らされるラッパは<合図>または<示威のための音の装飾品>であって、音楽の道具ではありませんでした。

キリスト教のローマ期の聖歌についても、CDがあって2年前に喜んで飛びついたのでしたが、音声として本当にそのCDのようだったのかどうかは、結果的には不明確でした。こちらは・・・話のつながり上から次回課題となるのでしょうが・・・中世ヨーロッパまでをにらんでじっくり観察する必要がありそうです。

ただ、これ以外に「古代ローマの音楽」と銘打った音声資料に出会うことは出来ませんでした。ですので、この『古ローマ聖歌』の一例(アレルヤ)

を、当時のよすがとして聴いて頂くことにしましょう。

ただし、採用されている歌唱法は現在の東方系の教会で行なわれている唱法をもとにしており、また背景に旋律の基本音が長くのばされるのが聞こえますけれど、古代に於いて実際にそのように演奏されたかどうかは不明であって、あくまでひとつの「復元の試み」でしかありませんので、これをもって

「古代ローマの響き」

と断定することは出来ません。(曲自体、8世紀のものであることが分かっていますし。のばしの音を歌う役割を担ったメンバーがいたらしいことは、楽譜に付された編成表から分かるそうです。)楽譜は文字譜だったと思うのですが、確認出来ていません。ヴァチカンに行かないと分からない。ですので、グレゴリオ聖歌の先駆を思わせるコブシ付けについても、正否を判定することは、私には出来ません。史料的にはコブシがついていたことは間違いないらしいです。


では、初期キリスト教的要素を取り除いてみたとき、古代ローマの音楽はどのようなものだったのか、素人には全く知るすべはないのでしょうか? タキトゥス『年代記』、オイディウス『変身物語』から、いくつか興味をひかれる事例を見いだすことは出来ました。あまりにも不完全ではありますが、それらを例示しておきます(いずれも岩波文庫本を参照しました)。

ラッパに呪術的効果を期待していた様子〜ただし、(1)で述べた通り、戦場での行為です。
・・・「もし月の女神が金色の輝きを取り戻したら、自分たちのやろうとしていることが成功するだろう」と。そこで銅器を叩き、ラッパや角笛を鳴らして騒ぎ立てる。(『年代記』第1巻8)

葬儀には合唱が伴うのが普通だったことも分かります。
・・・(ゲルマニクスの葬列には)棺に載せる故人の像も、遺徳を顕彰するためあらかじめ作っておく合唱や弔辞もなかった。(『年代記』第3巻5)〜この節への注釈:葬列の先頭の泣き女が歌う葬送歌には、昔から定まっているのと、特別な詩人が作る場合があり・・・云々

また、(おそらくは歌舞を含む)演芸を披露して良いのは公式には劇場に限られていたこと・・・裏を返せば案外盛んになされていたであろうこと、も伺われます。
「役者は劇場以外で演技を見せてはならぬ。」(『年代記』第1巻77)
後世、キリスト教迫害者の典型とされ、またその治世の後半を乱したために悪名高い皇帝ネロが音楽好きだったことも面白いところです。
「ネロはまた公の劇場で身を汚そうとは思わなかった」(『年代記』第14巻15)はずだったのですが、「とうとうネロは舞台に登って慎重に竪琴を弾じ、歌の教師に助けられながら、声の小手調べをやった。」(同)
これで味を占めたネロは、以後、自ら舞台に立つことに熱中し、死の前年には自己の政治的聴きを悟ること無く。ギリシャのオリンピアに「音楽競技」なるものまで取り入れたようです。この「競技」がどんなものだったかは、残念ながら全く分かりません。



「変身物語」はギリシアの神話伝説をローマに繋げる試みと見ても良いかと思われますので、そこに述べられた音楽のエピソードも、オリジナルはギリシアだったとしても、古代ローマの実情をかなりの程度反映していると仮定し得るのではないかと思います。
面白いのは巻一の「シュリンクス」起源神話(訳書、上巻p44)、巻五、ピネウスのエピソード中の「竪琴の弾き語りという平和的な仕事」という表現(p184)、巻十一「(パーンは)みずからの葦笛が(アポロンの)竪琴には及ばないと云々」(下p119)で、以上から、奏楽はいわゆるパーンの笛や竪琴が主流であり、竪琴の方が上位に位置づけられていたらしいことが伺われます。
なお、「変身物語」中でも、ラッパや角笛の役割は「年代記」から伺われるものと変わりありません。

付)古代ヨーロッパ

さて、以上のような古代ローマに対し、同時代のヨーロッパはどうだったのでしょうか?
私に確認出来たのは、ほんの最低レベルのことだけです。

・ガリアでは器楽が専らとされていたらしいこと。ただし、公式の資料による確認ではないので、本当にそうだったかどうかは断言出来ません。

・タキトゥス「ゲルマニア」によれば、ゲルマン人の方は娯楽は専ら裸で踊り狂うことであって、それには何らかの音楽が付随していたはずだと思われるのですが、音楽への言及は全くなされていません。

という次第で、何とも見当がつきかねました。悔しいけれど、これ以上述べることができません。
どなたか、もっといい情報、または情報源をご紹介下さるようでしたらありがたいのですが。。。

こんなところで、今回は尻切れトンボで終わります。
すみません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

もすこし楽譜を「読んで」みませんか?

アマチュアオーケストラで練習していて、常々残念に思うのは、
「楽譜を読む前に音を出してしまっている方が多いのではないかなあ」
と感じられる事です。

オーケストラの楽譜は通常、
・総譜
・パート譜
の二種類が存在するところ、とくに使用される楽器が「室内楽」と称される音楽作品よりも多岐に分かれるところが、特殊と言えば特殊です。

でも、せめてパ−ト譜だけでもいいから、まずは
「音にしてみる前にじっくり読んでみる」
ことをなさって頂けないものかなあ、と思っております。

4年前に亡くなった井上直幸さんの著書『ピアノ奏法』に、うってつけの事が載っていますので、こちらに引用させて頂きます。ご一読の上、ご再考をお願い申し上げる所存です。
(この本には、他にも音楽に対する基本的な取り組みかたが、実に分かりやすく記されています。ピアノをお弾きにならない方にもご一読をお勧め致します。・・・私もピアノはろくろく弾けません!)


第2章 練習はどんなふうに?

1)楽譜を「読む」

・・・普通は、ピアノの練習というと、楽譜を持ってきて、譜面台にポンとおいて、すぐに弾き始めるでしょう? それでも良いのですが、それだけではなく、弾かない時間、楽譜を読む時間を作ることが、とても大切なのです。
 ピアノを弾かないで楽譜を読む、眺めるということを「練習」と呼ぶのは変だと思うかもしれないけれど、(中略)良い演奏というのは、全体のプランというのが必要なのです。今の時点ではまだ実際には弾けなくてもいいから、その曲の特徴や内容について、大まかに掴んでおく(中略)

 もちろん詳しいアナリーゼが必要な場合もあるのですが、今僕が言っているのはそれとはちょっと違います。
 たとえば、旅行で知らない街に行った時、まず、街全体の雰囲気、空気みたいなものが直感的に感じられるものでしょう? それから、そこに何があるのか、詳しい様子が分かってきますね。駅があって、教会があって、大きな通りがどこかにあって・・・・・・というふうに、目印になるものを頼りに街の中を見て歩く。そんなふうに、まず、曲の全体的な形を掴んで、その曲の気分というか、かおりを直感的に感じ取るということなのです。(春秋社刊 1998 2,100円)

具体的に和声や形式が読めなくてもいいのです。
オーケストラの総譜は、この点、「音符」一つ一つにとらわれないで眺めることさえ出来れば、ピアノの楽譜より一層絵画的であり、井上さんのお話を実感するには格好の材料です。
今回TMFで採り上げる曲では、ショスタコーヴィチの第1、第3楽章では譜例を掲げてみており、「読み』の一例も述べています。昨日に引き続き、ではありますが、このこと、くれぐれもお願い申し上げたく存じます。
何卒宜しくお願い申し上げます。




ピアノ奏法―音楽を表現する喜び


Book

ピアノ奏法―音楽を表現する喜び


著者:井上 直幸

販売元:春秋社

Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (0)

4月15日練習記録に換えて

本日の練習もお疲れさまでした。
今回は前半をエルガー、後半をショスタコーヴィチの第1楽章、という成り立ちでした。
それぞれ、
「ここに示されたモチーフはなにを表しているか」
を先生が懸命に説明なさりながらの練習でしたが、どれくらいご理解頂けたでしょうか?

まだ私自身、処方が変わってから症状の改善に至らず、余力もありません。
ですので、細々下点に触れるよりは、何故上記のような練習になるのか、を各位に省みて頂いた方が宜しいかと存じますから、その事を少しだけ綴ります。

「音楽は音の羅列ではない」
なんて、今更言うまでもない、とお叱りを受けるかも知れませんが、本当に各自が
「音の羅列ではない音楽」
ということを充分認識してお取り組みかどうか、現時点では非常な危惧を覚えました。

弦楽器〜「指で音程をとることだけに気を取られている」
管楽器〜「口と息の都合で、音楽の組み立てを後回しにしている」
・・・そんなふう、ではない事を、心から期待したいと存じます。

遺憾ながら、しかし、実際に聞こえてくる音には、「音楽」に対する配慮に欠けています。
それが先生の口から
「コンクールでね、ミスしないヤツは減点のしようがない。でも、ミスしても<あ、この人は音楽を持っているね>という人に付いては、審査員は敏感に感じ取る。ミスしない人を優勝させるしかないけれど、実際には二位、三位の人に面白い人が多いのは、審査員のそんな目と耳もあるからだ」
という趣旨のお話が、わざわざ出た事を、本日はよくよく御考慮頂ければと思いました。

エルガーについては、歌の伴奏、でありながら、ただの伴奏ではなくて、歌を一つのパートとして持っている総合的な管弦楽曲です。この点の分析は、合宿前にはお示ししたいと存じます。
また、ご面倒でも、ショスタコーヴィチに関しては、私が長々綴ったレポートも、この際是非、よくお読み頂きたいと存じます。先生が詳細に触れたときに、そのご説明がピンと来るためのネタは、そちらで充分尽くす事が出来たのではないかな、と、その点だけは今日は私は満足でした。・・・ただ、真剣に読んで下さったのは、どうも、ブログを通じてお知り合いになれた「ショスタコーヴチがお好きな方」のほうであって、身内の方達ではなさそうだ、ということは、なんだかとても寂しく思いました。なぜ、あそこまで「軽い」、あるいは「非客観的な」お芝居になられるのか・・・ご自身でご自身の音を省みて下さっていますか?
(なんて、本来、私自身偉そうな事は言えた義理でないのは重々承知の上で申し上げます。)
下にリンクを貼っておきます。
各節、どうぞ、今一度じっくりお目通し頂ければ幸いに存じます。

ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」について
全体像
団員の方向けに、練習に望む最後考慮頂きたい事
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
まとめ

以上、宜しくお願い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日 (土)

百箇日を十日過ぎましたが

家内の46歳の誕生日、ちょうどその日に仕上げた、「アルルの女」のメヌエット

を聴いてやって下さい。

この頃は、僕は事情で所属していたアマチュアオーケストラを退団し、音楽も一切やめるつもりでいた期間を、家内がジッと見守ってくれていたあと、あるかたのお声がけで思いがけず団に復帰することとなり、
「じゃあ、やり直すか」
ということで、ようやく喜びを共有出来た時期に当たります。
慣れないDTMに挑戦し、どうしてもスラーの感じが出ないフルートとサックスに悪戦苦闘し、
「まあ、このくらいだったらいいんじゃない?」
と家内が言ってくれた段階で、一応それ以上手を加えるのをやめたものではあります。
ですので、仕上がりにはぎこちなさをお感じになるかも知れませんが、ご容赦下さい。

直後に僕はウツにかかることとなってしまい、結局は家内に苦労をかけたままになってしまいました。
それでも
「大丈夫だよ!」
と言ってくれ続けた家内に、
「分かったよ! お前の言ってくれることを信じるよ!」
そう伝えるための印に、掲載します。

恐縮ですが、ご一緒にお聴き頂ければ幸いに存じます。(23:43)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

それでも地球は回る

ガリレオは、確かに言ったのでしょうか?
「それでも地球は回る」
心の中の声では、たしかに言ったのでしょうね。

地球が不動でなければ神は冒瀆される、と、その時何故、教会は考えたのでしょうか?
地球が回っていても、太陽がまた銀河を中心点にして回っていても、さらには銀河が宇宙の中を超高速で動いていても、それがモノの真の姿であれば、それが真だという以上にも以下にも、特別な意味は何も持たない。
考えても、詮無いことです。

「お前はスデに死んでいる!」
私の心は私にそう言っています。
ですが、私は生きている。
何故か?
問うても、詮無いことか?

食事は娘が用意してくれました。
息子も
「今日は一年生の給食を並べてあげるんだよ!」
と、楽しげに出て行きました。
洗濯も終わり、花の水換えもしました。都合3日、換えてあげられていなかったね。ごめんね。

病院に、今日は付き添って下さるかたがいる。
まずはそれを支えに、出かけてきましょう。(8:49)

付き添ってもらえたのが幸いして、自分の口では上手く話せていなかったこともお医者に伝わり、即、処方が変わって、いい薬を頂けました。
今日までの三ヶ月半を如何にカリカリ生きてしまったか、も、やっと自覚出来たかも知れません。
体力の消耗を、急に実感しました。でも、子供らとは楽しく夕食が済ませられた。あとはまかせます。
安堵して眠ります。

今日は、家内と毎朝毎晩一度ずつ必ず読みあう言葉(法然のもの)を、一部抜粋して祈りの言葉にします。
記憶で綴るので、字には原典と相違があるかも知れませんが、ご容赦下さい。

  念仏を信ぜん人は、
  たとひ一代の法をよくよく学すとも、
  一文不知の愚鈍の身になして、
  尼入道の無智のともがらに同じうして
  (註:鎌倉時代は女人蔑視の始まった時代でした)、
  智者の振る舞いをせずして、
  ただ一向に念仏すべし。

(21:30)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月12日 (木)

今日を過ぎれば

明日は病院に付き添ってくれる人がいますから・・・
でも、今朝も起き上がれませんでした。2日連続、子供に起こされました。
気がついたときには、娘が朝飯をテーブルに用意しておいてくれました。
昨日も実のところは、友人に最寄り駅まで付き添ってもらって、やっと帰ってこれた。
お恥ずかしいていたらくです。

自分の中の何かが、フッツリと切れてしまった。
いえ、縄目一本でも、まだつながっていてくれるから、起きられたか?

子供らが夢にまっすぐ向かえる姿さえ見定められれば。。。
動物的な欲なのでしょう、これだけは、誰にも妨げさせたくない。
たとえ私自身の親からでも、
「こんな方向に行かないと飯を食い上げるから」
などとは、干渉させたくない。
家内があれやこれやと子供らの「夢」への指図はしないできたように、
私も子供たちの選択をすべて信じてあげていたい。
成功しようが失敗しようが、人様の道に外れない選択さえしてくれれば、
あとは自分で「食いかた」は見つけるものなのだから。

でも、子供たちが「選択」する目を持つまでには、まだ少し年数がいるのですよね。

だから、その「あと少し」のあいだ、子供らにとって必要である時間の長さだけは、
私の中の「ともしび」が、どうか燃え尽きませんように。(7:41)

今日も祈って、早く眠る事にします。やはり
マタイ福音書から。(仏教徒なんですが・・・いいですよね?)

  裁くな。自分が神に裁かれないためである。
  人を裁く裁きで、あなたたちも裁かれ、
  人を量る量りで、あなたたちも量られるからである。

今日は終わりました。
明日目覚めたときに、私にもあなたにも、健康が待ち受けてくれていますように。(21:21)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

若木

今朝は、いつもと正反対でした。子供らの方が先に起きて、私を起こしてくれました!
昨日の昼のうちに娘がパスタスープを大量に作っていましたから、朝飯の支度もラクラクで、じゃあ洗濯物を干そうか、などと私がもたついているうちに、二人ともサッサと登校の準備を済ませて、出掛けてしまいました。
子供らは、これから素晴らしい花を自分が咲かせると信じて真っ直ぐに、いや、たとえねじ曲がりながらでも、たしかに上へ向かって伸び、幹もしっかり太くなっていく若木のようです。
私が表で気づいたのは、けやきの新芽がチョロチョロと葉になりはじめたこと。(朝)

家の事は、なかなか思うに任せない。娘がだいぶ助けてくれている。今日は飯も作っておいてくれたし、布団もしいてくれたし、自分から進んで早寝もしました。
が、私は自分自身の課題をやろうと思っても、先週来の感情障害の悪化もあって先に進まなかったり、さがしてもさがしても資料が見当たらなかったりするのです。
せめて何とか今日には目処も立て、この記事にも音楽を付けて、少しは心穏やかに一日を終えようと思っていたのですが・・・やはり、ここへ休らいに来るしか、私自身を立て直す方法が見いだせません。
春のもたらす狂気のうち、であればよい、と、ただそれだけを祈ります。

もう数日、自分の目が死んでいる気がしますので、マタイ福音書から引用を一つ。
バッハの「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」でも付けたかったところですが。

(岩波文庫の訳を元に少し変更)

  目は体の明かりである。
  だから、あなたの目が澄んでいれば、体全体が明るいのだが、
  目が悪いと、体全体が暗い。
  もしあなたの内の光が暗かったら、その暗さはどんなであろう。(22:22)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火)

グリーク:ピアノ協奏曲、若干のポイント

許される時間も少なく(という割にいつも綴ってはいるのですが)、気持ちのゆとりも少ないままですが、グリークのピアノ協奏曲に付いて「合わせ」のポイントが分かりやすい対比サンプルを何とか用意出来ましたので、ご披露致します。

協奏曲でオーケストラとソロのタイミングが合わないと、指揮者のせいにされる事が多いですね。
ですが、ほんとうは、合わない演奏ほど、指揮者は合わせるための調整に四苦八苦しています。
「合わない」演奏の場合、「合わない」ことをどの程度解消出来ているか、に、指揮者の度量が大きく反映されていますし、
「あれ? この協奏曲の演奏、ソロとオーケストラがずれているのに、あんまり気にならないな!」
と評価を受けられさえすれば、指揮者としては充分名誉な事なのではないかと思います。

で、ここに用意するのは、残念ながら「指揮者が調整しきれなかった」ケースとと、大変素晴らしい事に、調整を感じさせないほどぴったり合っているケースの対比です。
リンクをクリックして音を聴いて比べてみて下さい。

第1楽章:Animato(31-)

〜とくにオーボエを聴いて下さい。 ピアノの伴奏としてはいるときに、明確に遅れています。ブレスの調整ミスです。また、ピアノに応答してメロディを吹く部分では、ピアノの歌うニュアンスと違う歌い方をしていて、気になります。記譜上は、オーボエの吹きかたでも間違いではないのですが、このオーボイストはピアニストの流儀を完全に読み損ねています。
・合っている例

第1楽章:練習記号Dへのつなぎ
トゥッティがピアノから音楽を受け取るときに躊躇している事が分かります。
・合っている例

第2楽章:練習記号Aの部分
〜伴奏にはいる弦楽器がどんどん遅れて行きます。こちらの演奏のピアニストは重めの響きを好んでいるのですが、それを「遅い」と誤解してしまっているために、このような現象が起きます。
・合っている例

第3楽章
・(ニュアンスが)合っていない例〜
ピアノ
のほうは「流れ」があるのに対し、
オーケストラ
は同じ主題の演奏をするときに音楽が停滞してしまっています。
第2楽章と同じ誤解に基づくものです。
・合っている例〜
ピアノ
オーケストラ

以上から伺われるように、「音楽が合う」協奏曲を演奏するには、
・オーケストラの個々のメンバーが、ピアニストの特徴、訴えたい音楽をキチンと理解出来ている事
・上記の理解を、オーケストラの中での自律的なアンサンブルでカヴァーしあえること
が非常に大切な要件となってきます。

この点、グリークの協奏曲は、構造が複雑でない分、オーケストラの出来がバレてしまう、非常に恐ろしい試金石でもあります。
どうぞ、よくご研究下さいますよう。

スコアを眺めて、ピアノと合わせるべき勘所はどこかをお探しになり、印をしておく事をお薦め致します。
また、ピアノの譜面が複雑で読み切れない場合、私は
「聴き覚え」
でピアノの主要な流れを各自がご記憶頂く事に
「そんな安易な!」
と申し上げるつもりは全くないどころか、むしろ推奨したい、とさえ考えております。
ただし、「聴き覚え」を選択なさる場合は、お財布がお許しになる限り数多くの演奏を聴き比べるのが望ましいと思います。最低でも3人の、タイプの全く異なるピアニストの演奏を選択なさるとよいと思います。
ちなみに、今回引用した「合っている」方の演奏は若き日のミケランジェリのもの。この演奏を指揮しているアルチュオ・ガリエラという人については残念ながら昔から詳しい事が知りたくても全く分からずにおりますが、協奏曲演奏にかけては右に出る者のいない名指揮者だと感じております。ミラノ歌劇場管弦楽団、と、ソリストから指揮者、オーケストラまでがイタリア人ぞろいなのに、見事に北欧の音がするのは大変な驚異です。ガリエラはグリークの協奏曲はリパッティとの共演でも遺しています。
合っていない方の例はクラウディオ・アラウがソリストです。オケはコンセルトゲボウ。指揮者は、若き日のドホナーニ。合わなかった原因は色々推測出来ますが、ひとつにはドホナーニにはアラウとの共演はこの当時(1960)にはまだ重荷に過ぎたでしょうし、コンセルトゲボウはアラウのようなタイプには慣れていなかった可能性も高いかと想像しております。

録音があるのかどうかわかりませんが、この二人と全く違う個性を、というのであれば、ルービンシュタインだろうなあ。。。
あるいは、リヒテル・アシュケナージ・コチシュなんかに録音があるのなら、この三人の対比にも興味があります。それぞれに発想が全く違いますから。まっすぐなリヒテル、知恵者のアシュケナージ、他者への許容度が極端に狭いコチシュ。コチシュのかわりに(コチシュとはむしろ対照的な傾向を多く持った人ですけれど、ぴあにズムというテンでは親近性がありますので)シフ、という選択肢もありそうな気がします。
・・・ただ、いま、どんな人がグリークのコンチェルトを録音しているのか、本当に全く知りませんので、勝手に並べてみました。ご容赦下さい。

いろいろお聴き比べになってのご感想も頂けると、参考になりますので嬉しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

好物

夕べ、スーパーに行ったら鯨のベーコンが数パック残っていました。捕鯨が規制されて、しばらく売っていなかったのですが、私達の世代には懐かしい味です。けれど新婚当時、規制が緩みはじめた頃も店頭にはなかなか並ばなかったので、見つけたら食べたいねー、と、家内とよく言っていたものでした。
子供が出来て、食い道楽どころではなくなって、いつかそんなことも忘れていましたけれど、出張先で大量に売っているのを私がバカみたいに買い占めて帰ってから、一時、我が家に鯨ベーコンブームが湧き起こったりしました。
これを朝飯に出したら、娘が昼御飯にとっておけ、と、私に命令してから登校しました。
花と洗濯物で、どうせ味噌汁ぶっかけ飯しか食うゆとりの無い私には、ベーコンを食べることは許されない。。。
泣く泣く、家内に少し供えて・・・そこからひときれだけ・・・いえ、正直に告白します!あともうひときれだけ、おしょうばんにあずかりました。。。
怒ってないだろうなあ。。。(9:11)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年4月 9日 (月)

いのち

Bach_r・金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。・・・そのように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起こるであろう。(「ブッダのことば」)

・人は皆、火で塩味をつけられなければならない。塩は良いもの。しかしもし塩に塩気がなくなったら、なんでもう一度それに塩気をつけるか。心に塩を保って、互いに仲良くせよ。(「マルコ福音書」)

*引用はいずれも岩波文庫本から*

私に、こうした知恵を生かせる度量が、果たしてノミの心臓ほどでも持てるのでしょうか?

金も塩も、それそのものは無機的な物質です。
それを美しい腕輪にして身につける事が出来るのも、火によって身体に取り込み得るのも、知恵がなせる技です。
知恵は、「生」を持つものだけが有する手段です。
活かせれば、マルコ福音書にあるような事も出来るでしょう。
とらわれれば、ブッダの言葉の方になるのでしょう。
うまくいくにしても、まずい結果になるとしても、いずれにせよそれは生に欠かせない「知恵」という手段がもたらすものです。
とすると、「知恵」というものは、じつは生者が自尊心をもって信じ込んでいるような、自己の手によって獲得したものでもなんでもない・・・万物の創造者が生き物の属性として与えたに過ぎないのではないか、と思えてきます。

さすがに、そんな事実を敬虔に、謙虚に捉えてきた人びとは古今東西に数多くいらっしゃる。
でも、その恩恵にあずかるためには、私にはもっともっと、静かな心が必要な気がします。

イギリスならばアンセムでしたが、ドイツではシュッツ以来、キリスト教の記念日向けに数多くのカンタータが書かれました。おそらく最多数のカンタータを作ったのはテレマンではないか、とのことですが、日本の私たちに馴染みが深いのはJ.S.Bachのものです。

ただ、バッハはカンタータ、ないしは大規模な受難曲を作る事でおのれの信仰を「良し」としていた訳でもないようです。
「オルゲルビューヒライン(オルガン小曲集)」BWV599〜644は、ヴァイマル時代のバッハが、主要なコラールを教会暦すべての日のためにオルガン向けにアレンジしようと試みた作品群ですが、遺憾ながら作曲途中でヴァイマルを出る事となったため、46曲しか作られていません。

その中に、「人はみな死すべきさだめ」BWV.644というコラール編曲があります。
原コラールとバッハのアレンジの両方をアップし、今宵の私の祈りとしたいと思います。
(ウムラオト、エスツェットは表記を変えています。)


Alle Menschen myssen stergen.
alles Fleisch vergeht wie Heu.
was da lebet. muss verderben.
soll es anders werden neu.
Dieser Leib. der muss verwessen.
wenn er ewig soll genesen
der so grossen Herrlichkeit.
die den Frommen ist bereit.

人はみな 死すべきさだめ、
肉なる者はみな枯れ草のごとく朽ちゆく。
生きとし生けるもの、ひとたび滅びてのち、
はじめて新しき生命に蘇るなり。
この肉体もまた、腐れ果つべし、
しかしてこそ、そは永遠の医しに浴して、
信ずる者らに備えられし、
かの大いなる栄光にあずかるを得ん。
(16世紀の旋律。コラール編曲アントーン、詞はローゼンミュラーという人物による)

ディスク:デッカ UCCD-3230/1 2003年発売(現在は出ていない模様)

(22:44)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 8日 (日)

幻想

4543638000036「人は、人を信じなければならない」
いえ、人ごとのように言うのは正しい事ではなくて、
「自分は人を信じなければならない」
今は、私こそ、そう言わなければなりません。

悲しみ、怒り、憎しみ、恨み、報われない恋慕・・・まっすぐに人様を直視出来ない感情にとらわれているとき、自分の心は既に、自分そのものをも直視出来ない。

周りの人は、そんな人間に対しても、ほんとうはとてもやさしいのです。

「見上げなさい。枝々に生まれる、春の緑の初々しさを。」

積極的にそう言って下さる方もいます。

なので、試しに枝枝を見上げます。
緑が初々しいのは、現象としては確かに目に入ります。
ですが、心が見えない目でいる私には、所詮、それはそれだけのことです。
仰って下さっている事が、別に「現象」としての初々しい緑をさしているのではない、と、おそらく脳の一部は理解をしている。
でも、それ以上の広がりは、私の目までは脳からの指示が届かない。

そういうとき、既に自らが盲目に苦しみ、克服してきたベテランさんは、ただ関係のない冗談や、共通に楽しみに出来る将来を、ただ楽しげに話してくれます。

今日は、そのような来客があり、子供たちを交えて、時間をかけてゆっくりと楽しみをクレッシェンドして下さいました。私の盲目を、盲目のまま容認しておいて下さった。盲目の苦痛が、幾分和らいで、今夜を迎えることが出来ました。

電話や、こうした文字媒体は、そう言う点では、逆に短く、そっと、である方が効果的である事も分かりました。
そう、そのような電話も2つばかり頂けた。

今日は、ここまでがやっと分かった、ということで充分、と感じつつ眠りたいと思います。

実生活では感情障害で会話が意に任せない反動でしょう、ここでの私はどうしても饒舌です。

眠る前に、「盲目」を見事に描いた音楽作品を省みておきましょう。
緩やかなクレッシェンド、という意味で連想される有名曲ではありませんで、

ベルリオーズ「幻想交響曲」 :アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団
1964年5月10日 東京文化会館でのライヴ録音

脇道ですが、この録音、当時まだ珍しかったステレオでのライヴ録音であることにも意味があります。また、お気に入りの演奏が別にある方も沢山いらっしゃると思いますが、この録音の最大の特徴は、ライヴにしては会場の音をかなり豊かに拾っており、<演奏の第1音が鳴る一瞬前には既に音楽が聞こえる>という不思議な経験を、家にいながらにして出来る貴重品でもあります。・・・この演奏会当時は私はまだ幼児ですから、ナマは聴けたはずもなく、この録音を初めて耳にしたときには、大変悔しく思ったものでした。なお、私の持っているのはもう20年も前に出た旧盤ですので、上のリンクのCDのほうが、より良い状態で音が聴けるかも知れません。他にお気に入りがある方も、日本でなされた「幻想交響曲」の最高の名演として、一度耳にして頂く価値があると思います。

「幻想」そのものに、簡単に話を戻しておきましょう。

盲目となった自己の心、をこれほど見事に捉えた音楽は、後にも先にも皆無ではないでしょうか?
よく知られている通り、作曲者ベルリオーズがジュリエットを演じた人気女優に叶わぬ恋をした事がきっかけで生み出された作品でもあり、「標題交響曲」のハシリ、かつは最初にして最後の傑作として知られていますので、音楽全体が
<片思いから失恋、失恋による狂乱、狂乱による地獄行>
というストーリーのみを念頭に聴かれがちな作品でもあります。
(学生時代に小林研一郎さんの指揮で演奏しました。小林さんのお考えも当時からは変化している事とは思いますが、あの当時は小林さんの解釈も「現実」主義で一貫していました。)
いや、聴き方はそれで間違っている訳ではないのでしょう。作曲者の意図からも外れてはいないでしょう。
ただ、とらえるべき「恋」とは、あこがれの美しいひと、生身のそのひと、に対するものだけ、と考えるのでは狭すぎるのかもしれない、と思うようになりました。

私は、恋しています。一生抜け出せそうにない恋をしています。
それが故に、盲目です。
「幻想」の主人公と同じく、ひとときも苦しみから解放されず、「薬」のもたらす「安らぎの幻想」だけに頼って生きています。
ベルリオーズが、「幻想交響曲」を通して、
「お前はそのままでいいのかい?」
と、さっき、あらためて問いかけてきました。
(じつは、今日は音を聴いた訳ではありません。上のCDが机の脇においてあるのが目に入っただけなのです。)

「答えは、急がないからな」
・・・そうも言ってくれているのなら、ありがたいのですけれど。(22:22)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 7日 (土)

『象さんの子守歌』:井上直幸

611死を目の前に、人はどんなものを残せるでしょうか?

幼児時代の私を可愛がってくれたオバサンは、3人いたお子さんのうち娘と次男を早くに失い、信心深くなっていました。不幸の後も、仏さんそのままの優しい人柄でした。老いて足は衰えましたが、健康も何とか保って生き続けていました。そんなオバサンが、でも、どういう理由からか、臨終のときには
「早く死なせてくれ、早く死なせてくれ」
と連呼したそうです。何故だったのか。分かりません。

肉体の生命力が、死を停めた有名な例は、ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」だろうかと思います。これは、彼の精神を蘇らせたという意味では素晴らしい<事件>ではありました。が、文面そのものは、読み様によっては自己への苦渋と嫌悪に満ちたもの、かつ、肉親への愛憎もむき出しであって、はなから「死」を迎えるための遺書では無かった、と見るべきでしょう。

モーツァルトは遺作として「レクイエム」を残しました。いまでも「死」を考え、(キリスト教用語ではないので不適切ではありますが)供養を願う人びとに広く訴えかける、偉大な遺作です。けれどこれも、生への執着を如何に絶つか、という難題と葛藤を繰り広げるからこそ説得力を持つのです。
R.シュトラウスの有名な作品は、人間が「死」によってもたらしてもらえるものに対する期待をそのままタイトルともし、音楽の内容ともしています。「死と浄化(変容)」。・・・ですが、これは別段、作者自身が死に瀕した際の作品ではありません。R.シュトラウスの音楽上の死は奇しくもやはり「メタモルフォーゼン(変容)」のタイトルを持ちますが、これはベートーヴェンのエロイカの葬送行進曲を引用して、悲しみのうちに幕を閉じます。
同じくベートーヴェンの「月光」ソナタの主題を、こちらは空虚に引用して曲を終えるのが、ショスタコーヴィチの実質的な遺言的作品であるヴィオラソナタであることも、よく知られています。

昨年暮れ、家内の死の直前、私がようやく探し当てたCDが1枚、あります。
ピアニスト、井上直幸さんが、やはり「死」を目前に控え、自分の「死」を見つめながら残した録音です。
見つけてすぐ、自分の家内の死にあってしまったため、私には今日までこのCDの封を切る力がありませんでした。いや、今日も、決してあった訳ではありませんでした。

聴き終えた今、開封して本当によかった、と、しんみり思っております。

「象さんの子守歌」カメラータトウキョウCMCD-25010 (2,625円)

という、このCDが残されたいきさつは、ライナーノートにも勿論載っていますが、以前ご紹介した井阪紘著「一枚のディスクに」にも記されているところです。井阪さんは、このCDのプロデュースを、井上さんから引き受けた人物でもあります。
引用します。

彼から、三月中旬に「会いたいんだ。もう幾許もない人生かもしれないが、最後に遺したい仕事があるんだ。相談にのってよ!」
(中略)
「ボクは何とかもう一度力を振りしぼって、ボクの音楽のメッセージを遺したいんだ。もうすぐ一切になる孫が、こんなになってもボクのピアノを一生懸命聴いてくれるんだよ。それに勇気を授けられたのかな、そんなCDを一枚自宅のピアノで録りたいんだ。(略)」

こうしたきっかけから録音され、出来上がったCDの選曲内容は、以下の通りです。
どれも、今まで聴いたどんな名演奏の数々よりも澄み切って聞こえたのは、私自身の今の精神状態の所為なのかどうか・・・
あとで家内の仏前に供えます。

(曲目)
モーツァルト:メヌエットK.1・K.2、K.5、アレグロK.3
同:「ロンドン音楽帳」よりK.15a,K.15b,K.15d,K.15hh,K.15ii,プレスト変ロ長調K.15ll
J.S.バッハ:「アンナ・マグダレーナの音楽帳第2巻」より3曲およびエマヌエルバッハのメヌエット
シューベルト:「初めてのワルツ集」D.365より1,2,3,15,16番(井上氏編)
同:エコセーズD.511、「8つのエコセーズ」D.977より第8番
シューマン:「子供のためのアルバム」作品68より10曲(「楽しき農夫」を含む)
ドビュッシー:「子供の領分」より「象さんの子守歌」

2003年3月23、31日録音。井上氏逝去は同年4月22日。享年63歳。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 6日 (金)

ものさし

北辺の町にも、今どれだけそんな技量の人がいるか覚束ないが、僕が子供の頃は、家は一軒まるまる大工さんが一人で作った。屋根をかけるような特別なときだけは、三人程度の手伝いが入る。でも、あとは壁を塗る以外は畳を入れるのも床をはるのも大工さん一人だった。
もちろん、畳を仕立てて来るのは畳屋さんで、床材を整えて来るのは材木屋さんなのだが、僕の知ってる大工さんは、あとはやっぱり自分一人でやるのだった。その大工さんが、いつも袋を一つ、腰にぶらさげている。

子供心に、僕はサンタの袋より大工さんの腰の袋に興味津々だった。
中にはL字型の金物や黒い壷からピュッと糸の出るものや、これは自分ちでも見た目盛り付きの平たい竹なんかが詰まっている。でもそれで何をするのか、と見ていると、それぞれが長さを測ったり直角を確かめたり水平を出すための、ものさしなのだった。

大工さんだから、一人でこんなにいくつものものさしを一人で使いこなせたのだろうか?

生きている日々、いくら自惚れてみても、自分の中には自分の一つきりのものさししか無いのか?
家内が傍にいてくれたあいだ、自分はそんなことを悲しみもしなかったし、考える必要もなかった。
それは幸せなことだったのか?
自分のものさしがどんなものか、直視出来る自分であるには、お医者の予告通り、あまりにもキツいウツが、桜の葉っぱと期を一にして襲って来ている。
勝とう、などと思う程、牙を鋭くしてくる相手だ。
今はこいつのなすままにして置こう。

娘は先に早めに家を出て、葉っぱだけになりはじめた桜の木の下に座っていた。いつもありがとう、と肩を叩いたら、黙ってうなずいてくれた。
息子は息子で、二日続けて気ウツにくずおれて帰宅した僕を助け起こしてくれた。
ありがとう。(9:44)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 5日 (木)

どなたへものお詫び

誰を傷つけるのも、誰をおとしめるのも、絶対に本意ではありません。
しかし、ボクはボクの悲しみにだけ夢中であり過ぎたようです。
それに該当すると疑われてもやむを得ないと感じた記事は一切削除しました。
(綴っていた自分が、読み返すと、自分ではないようでもありました。)
手元に残していたものもすべて処分しました。
ご不快を感じた方々に深くお詫びを申し上げます。
とりかえしのつかないことは、取り返しがつかないままで仕方ありません。
ただ、もしお手元にご不快のもとをお残しの場合は、御処分を心からお願い申し上げます。
御嫌悪は甘んじてお受け致します。

ただ、誰の事も愛していたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

モーツァルト記事リスト

本ブログ上のモーツァルト作品記事へのリンクです。
とりあえず500迄とし、漸次増やして行きます。
暫定的に、ケッヘル第1版の番号にしておきます。
第1版にないものは第6版の番号で後半にまとめます。
黒字の番号は記事がないか、未作成です。備考を参照下さい。

12・3・4・56・7・8・910
11・12・13・14・151617・181920
21222324・2526・27・28・29・30
313233343536373839・40
414243・44・45・46・47484950
515253・54・55・56・57・58・59・60
6162・636465・6667・68・6970
71・727374757677・78・79・80
8182・838485・86878889・90
91・92・93・949596979899・100
101・102・103・104105・106・107108・109110
111112113114115・116117118119120
121122・123124125126127128・129・130
131132・133・134135136・137・138139・140
141142・143144・145・146・147・148149150
151・152・153・154・155・156・157・158・159・160
161162・163・164・165166167168・169・170
171・172・173・174・175176177・178・179180
181・182183184185186187188189190
191192193194195196197・198・199200
201202203・204205・206・207208209・210
211212213214・215・216217218・219220
221・222・223・224225・226・227・228・229・230
231・232・233234・235・236・237・238239240
241242243244・245246247・248249・250
251252・253・254・255・256257258259260
261262263264・265266・267・268269270
271272・273・274275276・277・278279・280
281・282・283・284285・286・287・288・289・290
291・292293294・295296297・298・299・300
301・302・303・304・305・306307・308309310
311・312・313314315316317318・319320
321・322・323・324・325・326・327・328・329・330
331・332・333・334335336337338339・340
341・342・343・344・345・346・347・348349・350
351352・353354・355・356・357・358・359・360
361・362・363・364365366・367・368369・370
371・372・373・374・375・376・377・378・379・380
381・382・383384385・386・387・388・389・390
391・392・393・394・395・396・397・398・399・400
401・402・403・404・405・406・407・408・409・410
411・412・413・414・415・416・417・418・419・420
421・422・423・424・425・426・427・428・429・430
431・432・433・434・435・436・437・438・439・440
441・442・443・444・445・446・447・448・449・450
451・452・453・454・455・456・457・458・459・460
461・462・463・464・465・466・467・468・469・470
471・472・473・474・475・476・477・478・479・480
481・482・483・484・485・486・487・488・489・490
491・492・493・494・495・496・497・498・499・500

276別記事

K15a-15ss19d33B65a73i・73rK15a-15ss19d33B65a73i・73r74b
271a(疑作)
K.358・K.381
486a(295a)

Anh.10Anh.18・Anh.19Anh.42・Anh.43・Anh.44・Anh.45
Anh.191Anh.214Anh.221Anh.223

「レクイエム」自筆譜について

【備考】
*K.44=シュタットルマイヤー"Cibavit eos"の筆写、1768/69 Salzburg
*K.46=>K.361
*K.52=レオポルドによる「バスティアンとバスティエンヌ」からの歌曲編曲
*K.54=1788年の作品(変奏曲)
*K.71=Fr1770a(アリア断片)
*K.78=アリア「願わくば愛しい人よ」(1766頃)未見
*K.79=シェーナ「おお無謀なアルバーチェよ」(1766頃)未見
*K.91・K.93=1787年 Wien
*K.92=偽作(サルヴェ・レジナ)
*K.98=偽作(シンフォニア)
*K.101=1776年(コントルダンス)
*K.102=>K.208
*K.103=1772年(20のメヌエット)未見
*K.105=偽作
*K.106=1790年
*K.107=J.C.バッハのソナタの協奏曲編曲(1772?)
*K.119=1782年
*K.121=1775年
*K.140=Anh.C 1.12(ミサ・ブレヴィスG 1773)
*K.146=1779年
*K.149=レオポルド・モーツァルトの歌曲「おおらかな落書き」
*K.150=レオポルド・モーツァルトの歌曲「密やかな愛」
*K.151=レオポルド・モーツァルトの歌曲「低い身分にある満足」
*K.152=カンツォネッタ"Ridente la calma" 1772/75
*K.153=フーガ断片 Fr1782p
*K.154=1782年、フーガ
*K.163=不明(Conladの表のインデックスの示すページに記載無し)
*K.164=6つのメヌエット、1772年、未見
*K.174=弦楽五重奏曲変ロ長調 1773年12月、未見(後日)
*K.177=Anh.C3.09(オッフェルトリウム、レオポルド作)
*K.178=1783年。歌曲またはソプラノのコンサートアリア
*K.187=Anh.C17.12(J.シュタルツァーとグルックの舞曲の、レオポルドによる集成)
*K.198=Anh.C3.08(オッフェルトリウム、疑作)
*K.225=1780年
*K.233、K.234=偽作(W.J.トゥルンカ)
*K.268=ヴァイオリン協奏曲第6番(偽作)
*K.289=管楽ディヴェルティメント(疑作)
*K.292=チェロとファゴットのためのソナタ、疑作?(1775)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

娘のコンテスト

3月27日朝、娘はトロンボーン片手に、無事コンテストへ出発。
ボクと息子も、家内の写真を連れて聴きに行った。午後からはお友達も二人演奏するのだが、息子が飽きてしまったので、残念ながら帰宅。結果発表も分からない。
が、それは、もう、いい。
親バカながら、いい演奏をしたと思う。
曲は、リムスキー=コルサコフのトロンボーン協奏曲からフィナーレ。
カデンツァも吹いた。まあ、あそこまで良く吹くとは思っていなかった。もちろん、まだまだ欠陥はたくさんあるのだけれど、それは今日は言わなくてもいいだろう。

伴奏は、娘の幼稚園の頃からのピアノの先生が、インフルエンザで倒れた当初の予定者のピンチヒッターを急遽引き受けて下さり、娘と二人、夕べ長い時間をかけて練習して下さった。初見も同然で、よくこなして下さった。
終わって後、扉を出て娘とピアノの先生を前にして、不覚にもボロッと泣いてしまった。
「あらま、お父さん、泣いちゃったよ」
と、先生に笑われた。
トロンボーンの先生も来て下さっていた。
「楽しく聴けましたよ!」
うん、これが一番、ボクが望んでいた最高のお褒めの言葉だし・・・カアさん、あんたもだろう?

なんとまあ、娘がトロフィーを持って帰ってきた!
管楽器のコンテストなのだが、金管・木管それぞれ1名だけ受賞する「ヤマハ賞」というのがある。
・・・それを貰って帰ってきた。。。ぶったまげた。
ただウルウルするだけのオヤジに比べ、娘はさめていて、
「どこが賞を取れる演奏だったんだか分かんないんだけど・・・」
などとのたまっている。
この記事を読んで下さる方には、聴いて頂く事にする。
下にリンク!

・・・ホントに、娘の言う通りなのがお恥ずかしいのですが。。。
親バカです。

当日、ご友人方から頂いたコメントを併せて掲載させて頂きます。

<JIROさんから>
Kenさん、お嬢さん、受賞おめでとうございます。
この曲は、随分難しいですよね。細かいパッセージはあるわ、跳躍はあるわ、
音域は広いわ、難しいところだらけでしたが、度胸がいいですよね。
だから、発音がとても気持ちいいし、紛れもなく堂々たる「トロンボーンの音」なんですよ。
速いパッセージで音程が外れているところはあるけれど、それは仕方がない。
非常に良いと思ったのは、学生さんとか、アマチュアは、
ちょこっとミスをしただけで、その後、ガタガタっとなることが多いのだけど、
お嬢さんはその後も怖がらずに高い音をしっかりしたアタックで、吹くんですよね。
私はこれを「復元力」と勝手に呼んでいますが、演奏者にとって大切な資質です。
素晴らしい。
カデンツァまであるのですね。ペダルトーンには驚きました、お見事。
あそこまで、ペダルトーンが出せると言うことは、唇に無駄な力が入っていない、ということだから、
地道にロングトーンの練習を続けて音域を広げていけば、一層素晴らしいトロンボーン奏者になれるでしょう。
お嬢さんの「ボレロ」を聴ける日を楽しみにしてます。
立派な演奏でした。ブラボー!


<仙丈さんから>
お孃さんの受賞、おめでたうございます。
演奏、拜聽しました。
これまでにトロンボーンの演奏といふのは聽いたことがありませんでしたので、音域の廣さに驚きました。
細かいパッセージ、きつと難しいのでせうね。
私はテクニカルなことは全くわかりませんが、のびやかな部分の演奏がいいなあと思ひました。
お孃さんがこれから音樂にどういふ姿勢で取り組まれるおつもりかはわかりませんが、kenさんの應援がちからになることは間違ひのないことだと思ひます。
もしかしたら、奧樣の應援かな?
いづれにせよ、お孃さん、頑張つてほしいですね!


<イワンさんから>
いい感じでなっていますね。
私は自分が楽器をやらないので、
まったく専門的コメントはできないのですが、
音楽をやることの温かさと喜びが
伝わってくるようです。
おめでとうございます!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 3日 (火)

グリーク:ピアノ協奏曲の構造〜全音スコアによる

諸井三郎さん、という名前をご存知でしょうか?
諸井誠さんのご父君です。
日本人作曲家の常で、現在なかなか作品が演奏される機会は無いのですが、かろうじてナクソスから、交響曲のCDが発行されています。
ドイツロマン派の衣鉢を受け継いだ、堂々たる作品です。

この諸井さん、私が子供の頃に出ていた旺文社文庫「ベートーヴェン」の著者でした。
文庫とはいえなかなかの名著で、赤い傍線だらけにして熱中して読んだ本でした。
「ベートーヴェン」は、のちに角川文庫で復刊されていた時期もあります。
ベートーヴェン好きになった他に、私は諸井さんの別のご著書にも恩恵を受けました。
「音楽の理論」という、たしか音楽之友社から出ていた小冊子でしたが、和声のことから楽式や対位法、フーガのつくりまで、要領よく、しかも丁寧に解説されていました。
正規の音楽専門教育を受ける機会に恵まれなかった私には、またとない教科書でした。

全音版の「グリーク:ピアノ協奏曲」スコアの解説は、この諸井三郎さんの筆になるものです。
いまでもそのままなのが嬉しい限りです。
名前の知れたかたでも楽曲分析には往々にして「流動的」であるべき部分を「こうだ」と決め付けてしまった解説が多いのですけれど、諸井さんにはそういうところがありません。
そういう意味では少々遺憾ですが、グリークの協奏曲は形式面に複雑なところはありません。
したがって、諸井さんの本領を百パーセント発揮した解説になっていないのではないか、・・・などと思って読みますと、そんな心配は無用であることが分かります。
むしろ、諸井さんの音楽に対する目がいかに客観的であったかを理解しえる名分析となっています。

ですので、私のような者が全音版スコアの解説に付け加えて分析を試みる要素も余地も、グリークの協奏曲に関しては全くありません。
ストーリー性を求めなければ理解出来ない性質の作品でもありません。
純粋に音の推移を楽しめばこと足りる音楽ですし、ショッスタコーヴィチのような「思想」を芯にしている気配は、私には感じられません。(鈍感なのかもしれない。)

以下に、諸井さんの示された、作品の骨組みだけを引用しておきます。
これを踏まえた上で、末尾に若干の補足のみ述べることにします。
数字は小節、()内はその部分の小節数です。
実際に該当箇所に付箋を貼るなどして目印にすると、
「なるほど」
と納得出来るものが見つかると思いますので、是非お試し下さい。

第1楽章(ソナタ形式)
=冒頭の動機は「主題」ではないのですが、騙されますね。
第一部(呈示部) 1-88(88)
第二部(展開部) 89-116(28)
第三部(再現部) 117-170(54)
第四部(終止部) 171-222(52)
*展開部の短さ、再現部での序奏セクション非呈示が特徴的

第2楽章(複合三部形式)
=ショパン的。グリークはシューマンとショパンが好きでしたが。
第一部 1-28(28)
第二部 29-54(26)
第三部 55-84(30)
*実質上、中間に自由な部分を置いた幻想曲的な作り

第3楽章(ロンドソナタ形式)=これ、ノルウェー舞曲ですね。
第一部 1-139(139)
第二部 140-229(90)
第三部 230-352(123)
第四部 353-440(88)

※全曲を通じ、後期ロマン派としては複雑な転調を一切持たない単純な例を見せる作品なのですが、気をつけなければならない動きの特徴が2つあります。

1)調が半音分だけ上昇し、また復帰する
 例:第1楽章89小節からなどを観察して下さい。
   ラーシードシラー・ラーシシドラー、という旋律を、まずホ短調で、
   95小節からはヘ短調で、101小節からは嬰へ短調で、と転調します。
   これを並行調のイ長調に持って行き、ロ長調、嬰ハ長調、ニ長調を経、
   ロ短調の下降導音を半御下げする事でホ短調に持って行く(練習記号E)。
   転調の手法としては単純ですが、心に差す光が徐々に明るさを増す効果があります。

2)擬似的に下属調の平行短調を用いる場合がある
  典型は終楽章第二部のソーードーーシソシラファラソーーーという有名なメロディ。
  この直後に接続する部分は、最後のソをレ煮に読み替えする必要があります。
  すると、ト短調のレーミファソラファファミシド・・・と続くのが分かります。
  これはイングランド民謡などにもよく見られる動きだと思いますが、
  ノルウェー人のグリークが、まさにノルウェー舞曲である終楽章で
  この手法を使っているのを目の当たりにしますと、
  「ノルマン人の血」がイギリスにも流れているんだなあ、などと、
  曲に全く関係のない事で感心してしまったりしています。

追伸)
協奏曲として合わせる上での留意点をスコアで拾い出してみると、類似部分を省略しても、
・第1楽章〜13箇所
・第2楽章〜9箇所
・第3楽章〜19箇所
に達しました。およそ基本ルールで合う部分しか無いのですが、「基本ルール」とは何かを再認識しておかないと、間の抜けたズレでお聴き頂く方の失笑を買いかねません。そのことはよく考えておかなければならないと思います。
ソロ併せ練習前までに、譜例か音声を交えてまとめたいと考えております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »