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2007年4月18日 (水)

曲解音楽史11:古代ローマ

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国
    10)古代ギリシア


だいぶ開いてしまいました。

初期キリスト教音楽を抜きにして古代ローマの音楽を観察するのは、私のような素人には、やはりほとんど不可能でした。私的な事情を除けば、これが間の開いてしまった最大の理由です。

使われていた楽器は少なからず図版などもあって分かるのですが、そちらに興味の力点を置いても仕方ありません。楽器は、基本的には古代エジプト・古代ギリシャ双方、とくに後者のものを継承したに留まっていて、それらを拡大化した以上には新味はない、と見受けました。(もしはっきりと違いがあるようであれば、ご指導頂ければ幸いに存じます。情報をお待ち致しております。)

一つだけ注意しておくならば、他の古代世界同様、ローマでもラッパの類いは楽音としては意識されていなかったと考えておくべきです。カエサル「ガリア戦記」・「内乱記」、タキトゥス「年代記」、オイディウス「変身物語」くらいしか中身を辿れませんでしたが、ラッパの登場場所は例外なく戦場か、戦争に関係のある式典の場で、そこで鳴らされるラッパは<合図>または<示威のための音の装飾品>であって、音楽の道具ではありませんでした。

キリスト教のローマ期の聖歌についても、CDがあって2年前に喜んで飛びついたのでしたが、音声として本当にそのCDのようだったのかどうかは、結果的には不明確でした。こちらは・・・話のつながり上から次回課題となるのでしょうが・・・中世ヨーロッパまでをにらんでじっくり観察する必要がありそうです。

ただ、これ以外に「古代ローマの音楽」と銘打った音声資料に出会うことは出来ませんでした。ですので、この『古ローマ聖歌』の一例(アレルヤ)

を、当時のよすがとして聴いて頂くことにしましょう。

ただし、採用されている歌唱法は現在の東方系の教会で行なわれている唱法をもとにしており、また背景に旋律の基本音が長くのばされるのが聞こえますけれど、古代に於いて実際にそのように演奏されたかどうかは不明であって、あくまでひとつの「復元の試み」でしかありませんので、これをもって

「古代ローマの響き」

と断定することは出来ません。(曲自体、8世紀のものであることが分かっていますし。のばしの音を歌う役割を担ったメンバーがいたらしいことは、楽譜に付された編成表から分かるそうです。)楽譜は文字譜だったと思うのですが、確認出来ていません。ヴァチカンに行かないと分からない。ですので、グレゴリオ聖歌の先駆を思わせるコブシ付けについても、正否を判定することは、私には出来ません。史料的にはコブシがついていたことは間違いないらしいです。


では、初期キリスト教的要素を取り除いてみたとき、古代ローマの音楽はどのようなものだったのか、素人には全く知るすべはないのでしょうか? タキトゥス『年代記』、オイディウス『変身物語』から、いくつか興味をひかれる事例を見いだすことは出来ました。あまりにも不完全ではありますが、それらを例示しておきます(いずれも岩波文庫本を参照しました)。

ラッパに呪術的効果を期待していた様子〜ただし、(1)で述べた通り、戦場での行為です。
・・・「もし月の女神が金色の輝きを取り戻したら、自分たちのやろうとしていることが成功するだろう」と。そこで銅器を叩き、ラッパや角笛を鳴らして騒ぎ立てる。(『年代記』第1巻8)

葬儀には合唱が伴うのが普通だったことも分かります。
・・・(ゲルマニクスの葬列には)棺に載せる故人の像も、遺徳を顕彰するためあらかじめ作っておく合唱や弔辞もなかった。(『年代記』第3巻5)〜この節への注釈:葬列の先頭の泣き女が歌う葬送歌には、昔から定まっているのと、特別な詩人が作る場合があり・・・云々

また、(おそらくは歌舞を含む)演芸を披露して良いのは公式には劇場に限られていたこと・・・裏を返せば案外盛んになされていたであろうこと、も伺われます。
「役者は劇場以外で演技を見せてはならぬ。」(『年代記』第1巻77)
後世、キリスト教迫害者の典型とされ、またその治世の後半を乱したために悪名高い皇帝ネロが音楽好きだったことも面白いところです。
「ネロはまた公の劇場で身を汚そうとは思わなかった」(『年代記』第14巻15)はずだったのですが、「とうとうネロは舞台に登って慎重に竪琴を弾じ、歌の教師に助けられながら、声の小手調べをやった。」(同)
これで味を占めたネロは、以後、自ら舞台に立つことに熱中し、死の前年には自己の政治的聴きを悟ること無く。ギリシャのオリンピアに「音楽競技」なるものまで取り入れたようです。この「競技」がどんなものだったかは、残念ながら全く分かりません。



「変身物語」はギリシアの神話伝説をローマに繋げる試みと見ても良いかと思われますので、そこに述べられた音楽のエピソードも、オリジナルはギリシアだったとしても、古代ローマの実情をかなりの程度反映していると仮定し得るのではないかと思います。
面白いのは巻一の「シュリンクス」起源神話(訳書、上巻p44)、巻五、ピネウスのエピソード中の「竪琴の弾き語りという平和的な仕事」という表現(p184)、巻十一「(パーンは)みずからの葦笛が(アポロンの)竪琴には及ばないと云々」(下p119)で、以上から、奏楽はいわゆるパーンの笛や竪琴が主流であり、竪琴の方が上位に位置づけられていたらしいことが伺われます。
なお、「変身物語」中でも、ラッパや角笛の役割は「年代記」から伺われるものと変わりありません。

付)古代ヨーロッパ

さて、以上のような古代ローマに対し、同時代のヨーロッパはどうだったのでしょうか?
私に確認出来たのは、ほんの最低レベルのことだけです。

・ガリアでは器楽が専らとされていたらしいこと。ただし、公式の資料による確認ではないので、本当にそうだったかどうかは断言出来ません。

・タキトゥス「ゲルマニア」によれば、ゲルマン人の方は娯楽は専ら裸で踊り狂うことであって、それには何らかの音楽が付随していたはずだと思われるのですが、音楽への言及は全くなされていません。

という次第で、何とも見当がつきかねました。悔しいけれど、これ以上述べることができません。
どなたか、もっといい情報、または情報源をご紹介下さるようでしたらありがたいのですが。。。

こんなところで、今回は尻切れトンボで終わります。
すみません。

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コメント

初めまして。音楽を含めてイタリア文化のレクチャーしなくてはならず、いろいろ資料を当たっているうちにこちらにお邪魔しました。古代ローマの音楽がどうであったのかやはりよく分からないようですね。いったいどんなメロディーの歌を庶民は歌っていたのか、あるいはどんな音楽に合わせて踊っていたのか、タイムマシーンがあったら一番に飛んでいって聴いてみたい気がします。

投稿: goloso204 | 2008年5月 6日 (火) 15時25分

goloso204 様、はじめまして! コメント頂きありがとうございます。

イタリアについての素敵なサイトをお作りになられているのですね。
(本職さんですものね! でも、飾らないおつくりで、それがかえって魅力です・・・などと、僭越を申し上げてよいのやら・・・)

古代ローマですが、民族が違いますから、多分ギリシャとはずいぶん違う特徴をもっていたでしょうね。劇の演じ方などは古代ギリシャ悲劇を模倣した気配がありますけれど、タキトゥス「年代記」のネロについての記述(ここはたしかタキトゥス自身の記述ではなかったような気がしますが、いま手元に持って来ていませんのですみません)にしばしば現れる「歌唱ショー」なんかは、いまの野外舞台でマイクなしで歌うのとさほど違わない風景をイメージさせてくれます。
旋律は、当然、聖歌とは別傾向にあったのでしょうね。歴史学者の方がお調べになったりしていないのかなあ。みつけられません。ただ、聖歌も庶民の歌を援用したのが始まり、という見方もあります。
復元された古代ローマ聖歌は、たいていは12、3世紀にスペインのユダヤ人が歌っていたものに似ているので、それとは違う性格の復元性化を判別すれば(というのは、ユダヤ教系の歌い方はローマの庶民のものとは違う、古代ローマ時代としては閉鎖社会で生まれたものだと思われますので)、少しは「イタリア半島のローマ庶民」が歌っていたもののイメージがつかめる可能性はあります。
・・・ゆとりができたら、ちょっとトライしてみますね!

(って、刺激を受けちゃいました。)

重ねて御礼申し上げます。
またどうぞ、宜しくお願い致します。

投稿: ken | 2008年5月 6日 (火) 17時44分

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