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2007年3月 7日 (水)

解読ショスタコーヴィチ第5-第3楽章

とりあえずの全体像はこちら
第1楽章についてはこちら
第2楽章についてはこちら

「むすび」


どうも、自分の今の「思い」に引き寄せた「解釈」とお受け止めになられてしまうきらいがあります。
現実問題として、精神状態からそのように採られて仕方の無い綴り方をしがちなのは否めません。
が、目的は「音楽の構成を理解して頂く事」
なので、私の思いに見える部分も、あくまで比喩としてご理解頂ければ幸いです。比喩を「解釈」として固定されてしまうと窮屈になりますが、言葉を使って表現しようとすると、やはり制約を感じざるを得ません。

第1楽章の説明が「屍を前にして」という事を前提にしたので、余計にいけなかったかな。絵も使ってしまったので、鮮烈過ぎたかしら。
・・・全体像では、そんな誤解がイヤだったので、敢えて別の比喩を使ったのですが、作曲時期の時代背景を考慮すると第1楽章で用いた比喩は私の今に関係なく「分かりやすい」と思っておりました。
この点、偽書ではありますけれども、ヴォルコフ「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)の記述をご参照下さい。
ヴォルコフの本書は気鋭の学者さんファーイの研究で偽書である事が証明された、というニュースもありますが、そうしたニュースを待つまでもなく、グラズノフに関する記述がショスタコーヴィチ本人なら知っていたはずの事実につき誤認されたものになっている事からも<ニセモノ>なのは明確です(グラズノフにはロシア在住中に設けた娘さんが一人ありましたが、「証言」ではグラズノフは結婚もせず子供もいなかった、といったふうに書かれています。亡命前のグラズノフの家庭事情はショスタコーヴィチはよく知っていたはずです)。それでもなお、ショスタコーヴィチの子息マキシムは、「『証言』は当時の雰囲気を良く反映している、と語っています。
さらに付言すれば、音楽が始まった瞬間から、音楽の中に「屍」はありません。もう1点は動機への命名の適切性に関わると思いますが、これは適宜各自で命名しなおして頂いて結構だと考えている事は、全体像の記事の中で述べた通りです。ただし、今回も、説明の一貫性を保つために、自分の命名をそのまま使用します。

前置きが長くなりました。

色のついたリンクは音が聴けます。
第3楽章概要は次の通りです。

冒頭部が(これも正統な分析では「非」となるでしょうが、この後に続く文脈を考慮すれば明らかに)第2の「拒絶」の動機の反転型を元としています。話はそこから始まります。
この楽章では、第1楽章冒頭の3つの動機がフル活用され、かつ、第1楽章の練習番号1の箇所を効果的に回想する事で、第4楽章で示される「解答」を周到に準備します。

なお、自宅スキャナ不調、職場のスキャナを使うゆとりが無かったので、スコア画像はケータイでとったものです。歪んでおります。汚い字が時々入っていますが、電車の中での書き込みですので一層判読しづらいかと存じます。ご容赦下さい。

(説明は順次加えます。)
から音楽が始まります。
冒頭部のスコアの、第3ヴァイオリンをご覧下さい。
200703082230000_1
2章小節〜5小節は「自問」の動機と「拒絶」の動機の融合したもので、この融合には1小節目の3拍が重要な役割を果たしています。命名したままの動機の性質を用いて文にすれば、
「拒絶したままでよいのか」
という、静かな反省の開始です。これが練習番号77に入ると第2ヴァイオリン主導で「拒絶」の動機がエスプレッシボかつクレッシェンドとディミヌエンドの短いサイクルの交替で「息づかい」をやや荒げますから、精神の基本はまだ「拒絶(直面の回避)」に留まっている事がはっきりします。

に至ると、「果たして、そのままでいいのか?」と、「自問」の動機が輪郭を明確にします。

から80にかけては、 の、第3楽章用に再現ですが、フルートで演奏されているのがひとつのミソです。フルートという楽器に、一般的にイメージされるのは、「思いの浄化」ですが、ここではまだ「思いの抽象化」を示していると受け止めるのが妥当かと思います。楽章の末尾に近い練習番号94で、この再現は再びなされますが、その際はヴァイオリンによって演奏されます。弦楽器は、オーケストラの中ではカンバスの地の色にあたりますから、抽象性が薄まる事になります。
練習番号79のスコアは次図の通り。
200703082231000

練習番号81から82は第3楽章の冒頭部を、静かなままに、ではなく、83以降の再々度の「自問」(これの「自問」が楽章の中でのターニングポイントとなります)へと昂揚させて行きます。

は、「直面」の動機の後半部を発展させたもので、もう目の前には無い事実に、心象として「直面」します。「心象」には実体的な生々しさがありませんので、いかに「直面」しようとも、像はさまざまに形を変えます。この「直面」が、まずオーボエでまず暖色系のイメージとして、次に(練習番号85)ではクラリネットで寒色系のイメージとして、最後(練習番号86)にフルートで透明度の高い・・・事実には最も遠い、結晶体としての透明度に限りなく近付いた色合いで、繰り返しなされます。ここにきて初めて、精神は「拒絶」する姿勢の非を自覚し始めると言えるでしょう。
練習番号84のスコアは次図の通り。
200703082231001

では、88冒頭の、クラリネットの低音による、非常に暗い「自問」によく耳を方向けて下さい。その暗さゆえ必然的に、「自問」は煩悶し、捻れ(練習番号88、次図参照)、切実な「直面」(練習番号90)に向かってクライマックスを築いて行く事となります。
練習番号88の<捻れ>た音符の模様をご覧下さい。
200703082233000

は、「自問」の動機のリズムを芯に吸え、それを「直面」の動機(チェロ、練習番号91からは木管が賛助)と「拒絶」の動機(練習番号91からのヴァイオリン、とくに144〜145小節)へと巧みに変身させ、さらに、「拳を壁に叩き付ける」仕草を思わせるコントラバスのスフォルツァンドフォルテシモの鋭く短い八分音符で、「直面」しなければならない精神の苦悩を悲痛に響かせる。
練習番号90の譜例です。
200703082233001

練習番号92は「自問」が、たどり着くべき頂点を見いだした事に「喜び」ではなく「悲しみ」を表明している点に留意しなければなりません(短調です)。悲しみは、下降音型で諦念へと向かい、93からふたたび冒頭部の音楽によりながら、浄化へ向かって上昇を始めます。

は、前述の通り、第1楽章練習番号1の、この楽章なりの再現です。第1楽章では「自問」を初めて提示するところに意味がありましたが、ここで再現されているときには「自問」を結論へ向けてどう締めくくろうか、との沈思黙考となっています。
練習番号94のスコアです。フルートによる再現お際もそうでしたが、ここでもハープが「直面」の動機を無限的に奏でている事には注目しておかなければなりません。
200703082234000

は、練習番号83以下でいったん進んでいた、しかしその後さまよう「自問」に妨げられていた、心象化した現実への「直面」の、最終で、天国的な浄化です(チェレスタとハープ)。
練習番号96の譜例です。
200703082235000

極力、絵画的イメージを回避する記述にしてみましたが・・・自分の「解釈」が反映されているようでしたらご容赦下さるとともに、割り引いてご理解下さい。あくまで、構成をご理解頂きたいと存じます。

以上を踏まえて、お手持ちの演奏で第3楽章全体をお聴きになってみて下さいませ。



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