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2007年3月20日 (火)

読解ショスタコーヴィチ第5−とりあえずの結び

モーツァルト、体調都合でちょっとサボってます。すみません。


*とりあえずショスタコの5番が好きだ、という方
 (ツウ、でなくてもいいです。ちなみに、私は残念ながらショスタコ通ではありません。)
*今度私たちTMFで一緒に演奏してくださる方

とり急ぎ、自分たちの演奏に向けて、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」のスコアの読解を、まずは
全体のつくり(ムラヴィンスキー1982年のライヴ感想と併せて)
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
と、「読み」の試みをしてきました。

(各節にはこの「結び」へのリンクを貼りますので、いつでもここへ戻ってきて、また各節へといっていただければ幸いです。)

専門家でもない一私人の「読み」がどこまで的をはずしていないか、は確信を持ってはおりませんが、演奏ならびに鑑賞のご参考に役立つようでしたら非常にありがたく存じます。

「全体像」では、この作品全体が、第1楽章冒頭に既に現れる主要動機の3つの要素で貫かれている点に着目しました。その3要素それぞれに(記事そのままではありませんが)、



と、仮に3つの名前を付けました。
その上で、
「ある日、自分の家の冷蔵庫がカラになっていた!財布もカラだ!」
という比喩を用いて、ちょっとふざけたストーリー付けをしてみました。
シリアスに、ではなくても充分この作品に一貫したストーリーが摘要できることで、ショスタコーヴィチの第5が古典たりえるのだということを明らかにしたいと思いました。・・・その際、ただし、第5にはこの作品が出来上がった頃の暗い時代背景があることをコメントとして付けました。

第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章は1節ずつとし、それぞれ、全音版スコアの練習番号に即して、どの個所がどんな音であるか、も聞いていただけるようにし、私の「読み」との整合性を確認しながら、各楽章ごとの「つくり〜構成」を理解していただけるように努めました。

遺憾ながら、言葉を用いての説明は「読み」だけを心がけていても、「解釈」が入ってきてしまう隙があります。そのため、私情も多分に絡んでしまい、自分で考えていたほど<作品を客観的に把握していただく>ものとなったかどうかには、甚だ自信がありません。
いちおう、なんとかそれでも、各楽章の「つくり」もご理解頂け、それらがどう繋がりあっているかも、<全体像>に戻ってお読み下されば分かっていただけるところまでは、何とかご用意できた、ということにしておきましょう。

ここまで道具がそろって初めて、鑑賞する方にとっては
「解釈」
が始まるわけで、ここはお読み頂けたそれぞれの方にお委ねしようと存じます。
ですので、
私が綴ってきたことは「解釈」ではないのだ、
ということを、どうかご了解頂けますよう、まずは伏してお願い申し上げます。

また、演奏する、ということにつきましては、「つくり」を理解した上で、今度は「演じる」にはどうしたらいいか、という読み替えをしていかなければなりません。
それについては3月18日の弦分奏の記録に2例ほど掲載しましたので、「つくり」に思い入れをし過ぎず、よりよい演奏が出来るためには
「どう読み直すか」
につき、各々でお考えを詰めて行って頂きたく、併せてお願い申し上げる次第です。

18日の練習記録に綴ったことと併せて、「読み直し」のコツをいくつか上げておきます。

・新フレーズを開始する前には、充分なブレスが必要(楽器を問わない)

・上記のブレスは、フレーズを共有するメンバーと同じ深さと長さとタイミングとなる
 (そのために「つくり」を他パート分まで細かく見ておく必要がある)

・良いメロディ(対旋律や切分音であっても)にはメロディそのものに力がある
 したがって、良いメロディに不要な思い入れをすると、却って醜く崩れる

・合奏音楽には、全員あるいはセクション全員の音が1つに集約されるクライマックスがある
 クライマックスの個所は先のブレスの採り方を考慮しぴったり合わせると音楽に凄みが出る
 (集約はただ1つの音にされるとは限らず、一定の協和音であることも多くあります)


ショスタコーヴィチの第5交響曲に関しては、とりあえず以上で一連の「読み」の試みを終えます。 演奏なさる方にとって、ひとつのスタートラインが引けているようであれば良いのですが・・・

スコアの「読み」の勉強は、次はグリークのピアノ協奏曲について行なっていこうと思います。
こちらは19世紀末の西欧音楽の定石に素直に沿っていて、構造的に特殊な部分はありません。
その代わり、同時期の他作曲家同様、調の移り変わりによって彩りを豊かにしています。
そのため、音符を移動ドで読んで置かないと、音楽が充分理解できなくなりますので、是非、移動ドを体得しておいて下さいませ。
鑑賞にあたっては、楽譜に邪魔されないので、むしろ素直な耳で臨めば充分な作品です。

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コメント

ついに完結ですね。執筆お疲れさまです。ショスタコーヴィチ第5番の「つくり」、明快に理解できました。感謝です。

そこに私情が入っておられることをkenさんは気になさっているご様子ですが、その心配はご不要と思います。私はうじうじと日本文学の「つくり」を考察したりしているわけですが、その「つくり」がみえてくる時にはなにか機縁のようなものがあって、それがkenさんの場合には奥様の他界という今の状況であったということなのだと思います。

時間的に長大な作品の構造を把握し、内面化してさらに他者に向かって解説するにはどうしてもあらかじめフォーマットのようなものが必要です。それは「つくり」を理解する「かまえ」が備わっているかどうかという問題であって、自分の気持ちをこじつけることと似て非なるものです。その差異は言葉なり楽譜なりデータなりに忠実であるということであって、そこは理性的に踏まえられわきまえられていると思って読んでいました。

こんな風に丹念な読みをなさったうえで楽曲に取り組むオケの演奏会、行ってみたいです。

う〜ん、なんか生意気なこと書いてしまったような気がします。寝ます。

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2007年3月22日 (木) 02時22分

>「つくり」がみえてくる時にはなにか機縁のようなものがあって、
>それがkenさんの場合には奥様の他界という今の状況であった

そうなんでしょうね。。。
そもそも、自分がショスタコーヴィチとちゃんと「出会った」のはたかだか3年前です。
チャイコフスキーの4番をやることになって、ムラヴィンスキー盤を参考に聴き、この指揮者のことを調べているうちに、
「ああ、ショスタコーヴィチをもっと知らなくっちゃ」
などど思ったところから出発しました。

こんなかたちで5番を読むことになるとは、想像もしていませんでしたが、ありきたりながら「縁は異なもの」だと思っております。

演奏の方・・・実力無いし、チェロだけがどうしても常に人数が極端に足りず(正メンバー、準正メンバー合わせてやっと4人かなあ。じゃあ、自分もチェロを覚えようか、なんて大それたことを考え始めたところですが、これがまたやってみると話にならないくらい上達しません)、危なっかしい限りです・・・お恥ずかしいのですが、お聴きいただけたらとても嬉しいです。お待ちしております!

投稿: ken | 2007年3月22日 (木) 10時32分

Kenさん、ふるたこさんのところでお見かけし、おじゃましました。ショスタコーヴィチ第5番の詳細な分析、とても興味深く拝読しました。普段、演奏を通して音楽を生きていらっしゃる姿勢が、スコアの綿密な読みにおのずと現れているようで、感心しました。
「直面」「拒絶」「自問」という三つのテーマをもとに、作品の骨格をあぶり出す試みは、私のように楽典について行き届いた知識を完備していない者にも分かりやすく、非常に刺激的です。
私も、Kenさんの読みは、決して私情にひきよせられた牽強付会のものだとは思いませんでした。もとより楽曲には唯一絶対の解釈などというものは、ありえないのでしょうが、しかし、Kenさんのご解釈は、ショスタコーヴィチの第5番を鑑賞するときの、明解にして意味豊かな参照項として、きわめて有効であるようにお見受けいたしました。物事を測定するときの理念型は、つねに絶対的ではありえませんが、自らのパースペクティヴを開かれたかたちで示す姿勢に応じて、しっかりした基準点になることができるものだと思います。
どうもありがとうございました。ひょっとしたら、何か失礼なことを申し上げているようでしたら、お許し下さい。

投稿: きこり | 2007年3月30日 (金) 18時09分

きこりさん、もったいないほどのお言葉を頂けて、大変ありかたく感じております。
曲を書く人に限らず、創作は理屈優先でなされてはいないと思い、そうした目から読んでみたい一心で取り組んでみました。
お恥ずかしい結果かもしれませんが、どなたにも何かしら、より深い興味で作品を楽しむ機縁となってくれさえすれば、とても幸せです。

投稿: ken | 2007年3月30日 (金) 19時52分

kenさん、こんにちは。お世話になっております。5番の解読、拝読させていただきました。実はご連絡いただく前から読んでいて、素晴らしいご論考だなと思っておりました。

解釈に陥らないことと客観性を保つことを気にされているようでしたが、むしろものすごく個人的な部分に引き寄せることは、音楽を聴く上で大切なことだと思いますし、それを表現されることも決して独りよがりではないと思います。きっと芸術作品全般がそうだと思うのですが、言葉によって説明できないもの(だからこその音楽ですし)を、言葉で伝えようとすると、自分の側に作品を引き寄せた者が勝ちなのだと。kenさんの解読は、その門を大きく開いて示してくれたものだと思います。読み手によって、新しい意味を付け加え、それぞれの部分に引き寄せられるのではないかと思い、感服しました。1楽章の3つのテーマ、つまり直面、拒絶、自問、というのはまさにそうですね。事象そのものはそれぞれの胸の中にあるし、ショスタコーヴィチ自身の心にも、私の心にも抱えているものだからこそ、普遍的な価値が備わり、それがkenさんのおっしゃる「古典」ということにもつながるのだと思いました。

4楽章の答えは、「解決」まで辿り着いたのでしょうか。あのコーダは、答えをどのような方向に導いていったのでしょうか。私もkenさんと同じように5番はムラヴィンスキーを第一に信じているのですが(もちろんバーンスタイン盤も大好きです)、初期の録音から少しずつ変化していく表現の中、その答えは果たして「解決」までの道のりを歩んだのでしょうか。「解決」かどうかは分かりませんが、「完結」であるならば、15番がようやくそれを見せてくれるのだと思います。

ショスタコーヴィチが言ったとされる言葉はなかなか信用ならぬものですが、研究者の間では昨年大幅な成果があったようで、シンポジウムでの一柳先生の発表はとても興味深いというか、5番論に一石を投じる強烈なものでした。今年2007年に決定的なショスタコ研究本が出るとのことですので、とても楽しみです。
5番のコーダに関しても、結論づけていらっしゃいました。つまり、速いバージョンと遅いバージョンの両方を認めていて、それぞれに真実の裏表であるということなのだろうと思いますが…。
しかし、こういった綿密な取材による事実の集積とは別に、我々愛好家、演奏家が整理して積み上げていくスタイルも、一方で真実ではなかろうかと思っています。
例えば、初めてショスタコーヴィチの11番を聴いた高校生の頃の私は、それが虐殺の場面を模倣し、しかも当局のハンガリー侵攻を暗喩しているとはつゆ知らず、単純に「カッチョイイ〜」と不謹慎なことを思ったものです。

すみません、なんだか長くなってしまってご迷惑かと思いますので、また。
これからもショスタコ話で楽しみたいですね。よろしくお願いします。

投稿: ふるたこ | 2007年4月12日 (木) 14時38分

ふるたこさん、うれしいです!本当にありがとうございます!
ケータイからなので短いお礼になって恐縮ですが、長くコメントいただいたのは、むしろ大変感謝しております。
解決、の問題は、実はもっと難しいのですが、世間で言う解決は完結であるよりは新しい課題への不安定な架け橋に過ぎないと思ってだけはおります。
ふるたこさんの15番論を楽しみにしつつ、なお考えて行きます。
それにしても、良書の発売、楽しみですね!

投稿: ken | 2007年4月12日 (木) 17時45分

kenさん、ご丁寧にありがとうございます。
東京ムジークフローさんの演奏会ですが、ぜひ伺いたいと思っております。奮戦されている様子がブログからも伝わってきますので、とても楽しみです。
やはり、1楽章が肝ですよね(もちろん2楽章以降もとても大事ですけれど)。ここがショスタコーヴィチの真髄みたいな感じがしますものね、5番。全ての問いを投げかける大事なところです。気持ちが入らないと2楽章以降が軽くなってしまいます。スケルツォかどうかは別にして、2楽章は技巧的・リズム的に楽しめるし、4楽章はそのオーケストレイション、音響で圧倒されるのですが、1楽章は素っ裸という感じがします。

投稿: ふるたこ | 2007年4月16日 (月) 22時41分

ふるたこさん、ありがとうございます!
・・・苦戦中、です。。。とくに、ふるたこさンのおっしゃっているあたりが・・・メンバーのみんなには、なかなかピンとこないのではないかなあ。。。なにせ、みんな初体験ですから。

近々、開催要領がまとまると思いますのでご案内申し上げます。
・・・お手柔らかに (^^;

投稿: ken | 2007年4月16日 (月) 23時24分

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