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2007年3月19日 (月)

解読ショスタコーヴィチ第5-第4楽章

とりあえずの全体像
第1楽章
第2楽章
第3楽章

「むすび」


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象徴としてドラクロワのこの絵を持ってくるのがあまりに「陳腐」な気がして、ひっかかっておりました。
が、結局この絵を本楽章にそぐうものだと結論づけたのは、ショスタコーヴィチの第5を「革命」というニックネ−ムで呼ぶ人もいる、ということとは全く関係ありません。
第1楽章で引いた絵は一見すると「個」の悲劇を題材にしたものだとしか思えなかった事でしょう。ですけれど、あの絵の標題も「フィレンツェのペスト」という、広く社会に行き渡った悲劇の一場面です。それを私個人の今の「悲しみ」と重ねあわせている事も否みませんが、悲しみというものは、たとえそれが集団の中のものであっても、共感としてよりは、一人一人の孤独な魂に突き刺さるものとして動作するのではないかと思っております。
では、「悲しみ」から奮い立つときには、「個」だけが奮い立てば何とかなるのか、というところに、ショスタコーヴィチが見いだした答えが、彼自身の説明にしたがえば、この第4楽章だ、ということになります。
で、一聴したところ、ショスタコーヴィチの見いだした解答は、あまりに「陳腐」です。
全音版スコアに、バーンスタインが述べた次の言葉が引用されているのは、お読みになっているでしょう?
「彼のすさまじい創造精神はその凡庸(註:主題最初のミ・ラーシードーという4つの構成音があまりにありきたりだ、という意味)をのりこえ、それを新しい芸術的な表現手段とする事が出来たのです。」

さて、しかし、「陳腐」で「凡庸」に聴こえるテーマにごまかされ、私たちは第4楽章を先行3楽章と切り離して読んでしまってはいけません。作曲者自身が言っていますね。
「この交響曲の第4楽章がほかの3つの楽章のスタイルと差異があるという意見を聞いている。私はそうは思わない。なぜなら作品のフィナーレは、基本的にテーマに対応して第1楽章に課されたすべての問いにたいする答えである。」
じっさい、第4楽章を読込んでみると、作曲者の発言が如何に正直か、を強く感じます。

おおまかに、この楽章の構成を見てみましょう。
これも専門家から見たら間違いなのかも知れませんが、私は本楽章は擬似的なソナタ形式だと捉えて差し支えないと思っております。

呈示部:第1主題A〜練習番号97、第1主題B〜同98-99、展開〜同100-107
    第2主題〜同108-110、呈示部コーダ〜同111
展開部:練習番号112-120
擬似的な再現部:練習番号121-128(悲しげに静かに開始する)
※ただし、128はコーダへの橋渡し
コーダ1:練習番号129-130
コーダ2:練習番号131-134

以下、説明をクドクド綴ると、より冗長になりますので、 各練習番号の箇所の音(色のついた箇所をクリックすると聴けます)に、コメント風の「ストーリー」をくっつけてみるにとどめます。そのため、抽象度が高くなってしまいますが、ご了承下さい。
ただし、前の3楽章と同様、「ストーリー」は比喩としての一つの例だと思って下さい。
なお、スコア各箇所も掲載するつもりで準備しましたが、画面が鬱陶しくなるので載せませんでした。お手元でご確認頂ければ幸いです。

例によって第1楽章の主要3動機を「直面」・「拒絶」・「自問」と仮称しています。

呈示部第1主題
:「自問」は「直面」と融合する。〜以下、こういう表現でいきます。この場合、主題が「自問の動機」をベースにしつつ「直面」の動機と融合しているのだ、ということを言っています。
:「拒絶」を散文的に客体化し、肯定的意味に変貌させる
:ここまでに、「自問」は内省的なものから外的主調へと変貌する
:外面化・公衆化した「自問」が<前進>を急かす。「進め!進め!」
:・・・しかし、まだ足が地に着いていない。。。

呈示部第2主題〜やはり「自問」の動機がベース
:<地に足をつけよ!>と、先唱するトランペット。
:それまで個々に上がっていたトランペットへの応答が、ここで一体化する

展開部
:第2主題ベース、克服しつつある悲劇への、最後の回顧
:第1楽章コーダの回想、すなわち、「自問」の意味の再確認
  ※クラリネットに、第1楽章にあった「自問」の捻れが聞こえる事にも留意
練習番号117:悲劇の克服へ向けて明るく転化して行く精神。「拒絶」の動機の反転を「直面」の動機が柔らかに、天から見守る

擬似的再現部は、呈示部で昂揚した精神が展開部を経る事で静かな、しかし悲壮な決意へと「足固め」を完了した事を示している。そのため、呈示部の「再現」となるわけにはいかなかったのだと思われる。

コーダは長大で、2部に分かれる。
-130:「直面」する我(われ)も「拒絶」する我も・・・130でのトランペットの確固たる「自問」の動機が示す通り・・・いずれも我である。
:130での準備を経て、この後半のコーダは完全な、しかも<集団的な>自己克服を謳歌する。
:「自問」には、もはや揺るぎがない。A音に集約されている八分音符は、宇宙が不動の私たちを抱擁するエーテルである。

紋切り型で分かりにくく、なんだかええかっこしいに見えなくはないか、と懸念もしておりますが、こんなところで。

とにかく、以上で構成をご理解の上、お手持ちの演奏で全体を通して聴き直してみて下さい。

なお、もしムラヴィンスキーの演奏できくときには、本楽章にかぎらず、原稿出版スコア通りではないところがあるのは、お好きな方はご承知の通りです。ご承知でなくても、とりあえずお気になさる必要はありません。

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