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2007年3月 4日 (日)

ダスビダーニャ第14回定期演奏会

自分たちの練習は夜で、家庭の事情で行けません。娘は期末試験の真っ最中でもあります。
が、百貨店に法事のお返しを仕入れに行かなければならない。
迷った末、ふるたこさんに無理を申し上げ、娘には
「勉強は土曜のうちに終わらせろ」
と無茶をいい、おかげさまでオーケストラ・ダスビダーニャの第14回定期演奏会をききにいくことが出来ました。

終演後楽屋に御礼にも伺えず無礼をしましたが、ふるたこさんにはいくら御礼を申し上げても申し上げきれない思いでおります。本当にありがとうございました。

一番の目当ては、今回演奏される交響曲第15番でした。

が、他の演目も大変に魅力的でした。
それぞれに簡単なレヴューをすることで、ふるたこさん、また、素晴らしいひとときを過ごさせて下さったダスビの皆様への感謝に替えさせて頂きます。(曲目標記はダスビさんはダスビさんの強いこだわりがあるので、プログラムのままとします。)

・映画音楽「ピロゴフ〜先駆者の道〜」の音楽による組曲
アトヴミャーン編のものだそうですが、組曲としても音楽そのものも、私は初めて耳にしました。ジダノフ批判で不遇をかこった時期のショスタコーヴィチが映画音楽を量産した話はどんな伝記にも語られているところですが、作品としての評価もそれに伴い低いのが一般的のような気がしております。
しかし、この作品、聴衆のかたが、たとえば「ベルリン陥落」の音楽をご存知の上でお聴きになったら、格段に質が良いのがお分かりになっただろうと思います。開演早々、さすが、日本一のショスタコ理解者集団であるダスビさんらしい、魅力のある音楽の、これまた魅力ある演奏でした。激烈な箇所と静寂な箇所の対比、歌う場面の過剰にならない旋律表現は、賛美に値します。

・ヴァイオリン協奏曲第1番
独奏者の荒井英治さんは、東フィルのソロコンマス。ですが、ショスタコファンの間では、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏全15曲を演奏する目的で「モルゴーア・クァルテット」を結成したことで名前を知られています。
初演者のオイストラフが音楽の厳しい孤独に焦点を当てたものだったとすれば、荒井さんのアプローチは「孤独ゆえに見いだされる深い愛の精神」に迫ろう、というアプローチではなかったか、という受け止めかたをしましたが、いかがでしょうか?

・交響曲第15番
ショスタコーヴィチが「自分自身」に還ったときの独特の音響は、交響曲では第1、第9、そしてこの第15ではなかろうか、というのが私の個人的な思い込みです。第9は意味合いとしては別のものをもっているのではずして考えますが、「トリスタン」の引用を含む第1に始まり、「神々の黄昏」の動機を用いる第15で幕を閉じるショスタコーヴィチの交響曲創作過程は、これら最初と最後の交響曲を枠組みに据え、この2曲の間にある「類似点」と「相違点」それぞれの謎を、間に挟まれた13曲の交響曲で解き明かして行かなければならない、「人類に残された最大の知恵の輪」である気がしてなりません。
管、弦、それぞれに効果的なソロを持ち、何よりも全篇を通じてこれ以上ないと思われるほど巧みに打楽器を駆使している第15番は・・・いろいろな解釈はあるのでしょうが・・・非常に「楽しめる」作品であり、同時に「胸を打たれる」音楽に溢れてもいます。
最初の3楽章でもそれが見事に再現されていましたが、私が最も打たれたのは、終楽章でスネアが力強くナタを振り下ろす箇所以降です。スネアが鋭く響いた瞬間、私は客席で、同時につい「ウン!」とうなり声をあげてしまい、隣の人に顰蹙の目で見られました。・・・しかし、その鋭さの後、スネアが見事に静寂の中へと姿を消して行くさまには、ほんとうに、涙がこぼれました。
賛美したい箇所は多々あったのですが、これをその中の代表例として綴っておくことでご容赦頂きたいと存じます。ソリストの皆さん、コラールを奏した金管の皆さん、そして精妙なアンサンブルを見せて下さった打楽器の皆さん、どなたも、素晴らしかった。

指揮者の長田さんも、実は初めて拝見した方ながら、堅実な棒、抑制を効かせた演出、でいながらメンバーが望むままに伸び伸びと誘導する懐の深さには、大変頭が下がりました。

全体として惜しむらくは・・・これはアマチュアオーケストラのほとんどすべてに当てはまることで、これを言ってしまうと私が私自身の首を絞めることにもなるのですけれど・・・とくに弦楽器は合奏がブラスバンドのように普遍的な機会を持っていませんので、和声感覚の欠如が曲の最も美しくあるべき箇所の緊張感を緩めてしまう結果になりがちです。これは、ですからプロであるはずのトレーナーの方にお願いをしたいことですが、
「弾ける・弾けない・どうしよう」
に焦点を置いたトレーニングは、そろそろ卒業ということになさって頂きたく存じます。
今回の録音を後でお聴きになると、緩徐楽章や弱音で歌う際に、弦楽器の音程がしばしば低くぶら下がってしまっていることにお気付きになると思います。また、ソリストの方は私など到底及ばないほど巧みにお弾きになっていらっしゃるのですけれど、「音程を指の位置で取らなければならない」という先入観をお持ちではないかな、と危惧します。単純な長音階・短音階ならば、それでもなんとか「耳」が補正を手伝ってくれますが、ショスタコーヴィチの書法は既に長短の音階を超越していますから、たとえハイポジションで苦しい、という箇所でなくても(いえ、ハイポジションでご苦労はなさっていませんでしたね)、ごく普通の位置のポジションでも、音楽にそぐわない音程になってしまっている箇所があります。
そのあたりを、是非、演奏なさった方もトレーナーの方も真摯にご確認頂き、「響き」を大切に音楽を構築して行ければ、これだけの技術を保持しているダスビの皆さんのことです、一層素晴らしいショスタコーヴィチ、世界に胸を張れるショスタコーヴィチを高らかにアピール出来るようになって行かれることと信じております。

失礼を綴った段は平にご容赦下さいませ。

とにかく、全体としては、大変に満足、かつ、感動した演奏会でした。
15番の後、拍手までの静寂が長かったことが、聴衆すべての、今日の演奏でおのれの「祈り」が満たされたことを悟った至福のひとときを、よく象徴していたと思います。

ほんとうにありがとうございました。

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» オーケストラ・ダスビダーニャ第14回定期演奏会の感想 [ピョートル4世の<孫の手>雑評]
◇前回のダスビ定期のエントリ*1から1年以上経っているのが、信じられない。30代になり、子どもができてからというもの、1年間が「20代までの3ヵ月」くらいの感覚で過ぎていく…。 ◇さて、3月4日(日)池袋・東京芸術劇場大ホール、標記の演奏会に行ってきた。今年も感... [続きを読む]

受信: 2007年3月10日 (土) 04時09分

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