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2007年2月25日 (日)

Schostakovich第5:付)ムラヴィンスキー1982の演奏

「むすび」



ちょっと、クドい話から始めます。

広辞苑の中の一定義に、<古典>とは
「いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物」
だと記されています。どんな国語辞典でも、<古典>の第1義は古い時代の書物となっていて、広辞苑でも上の定義は元来の意味から派生して生じたものだと断っています。
そのまま素直にみますと、美術にも音楽にも、その他のものであっても、<古典>という言葉は使われていますから、広辞苑が「書物」に限ってそれを定義しているのは了見が狭そうに思えます。事実、「角川必携国語辞典」で広辞苑の上記定義に対応するものの例示としては、「古典落語をききにいく」「西洋古典音楽」があげられていたりします。
「やっぱり!」
してやったり、と手を打つのはまだ早いのでして、こちらも、本文を読むと
「古くから大勢の人に読まれた芸術作品で・・・云々」
となっていて、
「なあんだ、やっぱり、書物の類いじゃなきゃダメなのか」
とガッカリすることになります。で、例示に「西洋古典音楽」があるのは編者もずいぶん間が抜けてるなあ、なんてあざ笑って溜飲を下げてみたりしますが、編者には大野晋さんの名前があるのでした。ヤバ。

標題のショスタコーヴィチとは全く関係のないところから始まってしまいましたが、では彼の交響曲第5番は、上記の定義からいくと、<古典>ではない、のでしょうか?

「書物」という言葉に縛られるならば、そういうことになる、ように見えます。

そこで逆に、「書物」という言葉の方を、もう少し幅を広げて考えてみます。
ショスタコーヴィチに限られるわけではありませんが、<古典>と称される音楽作品は「楽譜」という、読みに特殊な約束事を持つ文字=音符によって書かれているわけですから、
「いつの世にも読まれるべき」
高い価値を持っていれば、その楽譜は<古典>の範疇に含んでも一向に差し支えない、ということになります。
「じゃあ、記譜されていない音楽は<古典>ではないのか?」
という問いが出て来ても当然で、これは
「そのとおり、古典ではありません」
と私は言いたいところですけれど、深入りすると泥沼にハマりますので、これ以上この横道にそれるのはよしましょう・・・お願いですから、突っ込まないで下さいネ! このお話は音楽史のトピックで考えるべきことだと思っておりますから。

話を戻します。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、<古典>でしょうか?

まぎれもなく、<古典>です。

作曲者が書き下ろし、初演した年からちょうど70年(初演日付は10月21日)経った今なお、その楽譜を「読む」人が後を絶たないからです。
「え? 読む、じゃなくて、聴く、の間違いでは?」
いえいえ、「読む」でいいのだと思いますヨ。
文字を追いかけること=読む、というのは「黙読」でありまして、あくまで読むという行為の一形態に過ぎませんでしょう?
近世までは、文学作品でさえも、人びとは誰かが「声に出してきかせてくれる」ことによって享受していました。これは洋の東西を問わなかったはずだ、と考えておりますが、間違いでしたらご指摘下さい。いまは、「読む」ことは「聴覚を通じて」でも可能であるし、むしろそれこそが「読む」ことの原点ではないか、という前提を・・・何故かで屁理屈を並べ立てますと、そうでなくても冗長なこのお話がさらにダラダラしますので、今は無条件に受け入れて頂くこととしましょう・・・、「聴く」=「読む」という定理を、大げさにも大上段に構えて、先に進みます。なお、定理の証明は致しません。

ショスタコーヴィチの第5が<古典>たり得た理由は、他の<古典>同様、かんたんです。

・多くの人に受け入れられている
・受け入れられるだけの印象強いメッセージがある
・しかもメッセージの構造が、単純明瞭である

<古典>に内在する意味を辿るために、私たちはそれが生み出された時代背景を懸命に探ることがあります。ショスタコーヴィチの5番にしても、この方法は非常に有意義でもあります。
ですが、あとで時代背景については簡単に触れますけれど、深入りしない程度にとどめたいと思います。今回綴りたいことの中では,時代背景は「作品誕生当時」と「ムラヴィンスキー晩年当時」の2つを考慮しなければなりません。それも後で述べます。

<古典>である理由のうち、最初の一つは
「そんなことねえぜ!」
とひとこと言われれば潰えます。なので、これはそのまま肯定しておいて下さい。

2番目の、メッセージの点は、後に回します。

3番目の、メッセージの構造の単純さですが,これについては、今話題にしているこの交響曲が,冒頭に出てくるモチーフで全曲を決定づけているのを理解して頂かなければなりませんので,ちょっと聴いて頂きましょう。

全曲の幕開けである第1楽章冒頭のテーマは,次のようなものです。

これは、明瞭に、次の3つのモチーフに分割出来ます。それぞれのモチーフの名称は,私が勝手につけたものですが,その意味するところが、私のこの作品の読み取りかたには大きな意味を持っています。



第1動機に「悲しい衝撃の・・」という枕をつけましたけれど,これは、悲しければ何でもいいでしょう。私たちが出くわす「悲しい衝撃」は、実にさまざまです。ですから、まずかことさら大げさではないもの、しかし切実であるものにしておきましょう。
「空きっ腹で家に帰って冷蔵庫を開けた・・・すっからかんの空っぽだ! 何故!?」
・・・この「何故!?」のときに採るはずのあなたの動作が、そのまま第1動機の運動(烈しい上昇と下降)になっていることを体感頂ければ、私のお伝えしたいことが伝わったことになりますので,有り難く存じます。

第2動機は、空っぽの冷蔵庫から目をそらす。事実が認められない。
「昨日はまだ何かあったはずなのに。今日だって,だから、ないのはおかしい!」
・・・空っぽの冷蔵庫を、許せない

第3動機は大変短いのですけれど,最も重要な動機です。これは、衝撃を受けた瞬間には興奮して「何故!?」という2音節で上げた叫びが静まって,思考が脳ミソに移って来てくれる箇所です。歌詞もそのまま、
「な・ぜ・だ・・」
で宜しかろうと思います。

素材はこれで全部ではありませんが,ショスタコーヴィチはこの3つを最大限に活用して、交響曲第5番の全曲を仕上げるのです。

さて、これだけでも充分,「印象強く」なりましたでしょうか? なっていなければ、綴っている私の不徳の致すところであります。でも、お顔を見ながらお話し出来ていませんので,自身がないままに「印象を強く持って頂いた」ことを前提に,<古典>2番目の要件、
・受け入れられるだけの印象強いメッセージがある
に参ります。

典拠は確認していませんが、全音版スコアの解説(寺原伸夫氏)によれば、ショスタコーヴィチ自身が,第5の終楽章について
「この交響曲のフィナーレは,基本テーマに応じて第1楽章に課されたすべての問いにたいする答えである」
と述べているとのことです。おそらく、仕上がってからそう時間が経っていないうちに、当局もしくは初演者ムラヴィンスキーあたりの問いにたいして答えた言葉だ,と見なすのが,私にはしっくりきます。この言葉以上に作品の本質に触れた発言は,他には全く見当たらないからです。

実際,この交響曲は,最初の3つの動機を巧みに刺繍しながら仕上がっています。
その中で最も重要なのは,最も短い第3の「自問の動機」です。

「自問の動機」は、「タン・タン・ターン」というリズムを水平線で描くことで初めて顔を出すのですが,実は第1楽章ではすぐに第1ヴァイオリンに反転したリズム「ターン・タン・タン」という形で現れ(実際にはスラーですので弾むリズムにはなりません。ただし、このリズムの反転は先々重要です),見せかけ上のソナタ形式の第1主題となります。これがまた、冒頭の烈しさが嘘のように鎮まった第1動機「悲しい衝撃への直面の動機」を背景に歌われるところに、問いの輪郭が明確にならず茫然自失としている自己を鮮明に浮かび上がらせさえしています。
また、しばらく進むと,かなり高音のヴィオラで奏される第1動機の延長型の底で,「自問の動機」はもはや水平線を保てずに3度上昇〜2度下降の形で運動を始めます。:以上は分かりにくい説明ですが,ご容赦下さい。ご確認頂くしかありません。付言すれば,第1楽章を締めくくる「上昇する音階」は、第4楽章で示される「解答」で太い輪郭線を持つに至るのですが、この音階を上昇する運動もまた、「自問の動機」の発展型であることには留意しなければならないと思っております。

第1楽章は、「悲しい衝撃」が何故起こったのか,に対する起伏に満ちた問いかけで,それぞれがどんな問いなのかは作曲者の意思に関わらず、受け手が「何を問うか」を受け手自身の内部に求めなければならない,非常に厳しい作りをしています。この謎解きが出来ない人にとっては、ショスタコーヴィチの第5全曲が「無意味」な作品に過ぎないこととなるでしょう。

第2楽章の面白さは,全体が「自問の動機」の応用のみで出来上がっているところにあります。
「冷蔵庫が空っぽだっていいじゃないか! 何とかなるさ!」
内側には
「明日は飢え死にかもしれない」
という、強烈な悲痛を抱えながら・・・いえいえ、抱えているからこそ,大それたおふざけを展開して見せているのですけれど、それをよくよく観察してみると、自己に課された厳しい問いかけを如何にかわすか、を必死に探して宙を浮遊する、視点を定められずに迷い続ける目の動きが見えて来はしないでしょうか?

第3楽章は最初にけだるく頭をもたげるヴァイオリンの正体を見極めるところから理解を出発させる必要があります。
最初の3音は,第2動機「事実の拒否の動機」の反転型です。しかも、第1楽章の場合とは違い,切り込むような烈しいリズムでないところに意味深いものがあります。
「反転する」
ということは、現実に再度目を向けることを表しています。
「リズムがおとなしくなる」
ことには、直視することへの躊躇が現れています。
しかし、あなたは再び「すっからかんの冷蔵庫」を見つめなければなりません。
現実が見えた時,第1動機と第2動機がないまぜになったテーマがチェロに現れます。悲惨です。
「金もない,つてもない、銀行いったらブラックリスト!」
ここで、「自問の動機」は今までよりも強烈に,しかも、第2楽章で試みた「逃げ」を打つことも許されぬ重みを背負って悲鳴を上げます。

第4楽章で示される解答は,陳腐にいってしまえば
「こうなったら開き直るしかない。今からつるはしでも何でも握る。食い扶持を稼ぐしか、もはや道はない」
などというものになってしまいますので、悲喜劇的としかいえません。
とはいえ、おかしな話だとお思いになるかも知れませんが,「解答」は悲喜劇的なのだ,と受け止めるのは、おそらく間違っていないでしょう。
この第4楽章に顔を出す「自問の動機」が、過去の3楽章に比べてどれだけ決然としたものであるか、に耳を傾ければ充分なのでしょう。
その決意は,人様から見たときいかに滑稽であっても,自己にとっては生死のかかった,切実なものなのです。だからこそ、初めはヒステリックに,次には
「まあ、おれさま自身よ、そうカリカリすることもあるまい」
穏やかに自分に話しかけなおし,最後は恥も外聞もなく自分自身を謳歌するのです。

以上,冗談めかした比喩で全曲を俯瞰して来ましたが,あながち冗談で綴ったわけではありません。
これだけ卑近になりうるからこそ、本作品は<古典>である、と主張してみたかったための方便なのだ,と、お許し下さい。

で、とっておいた「時代背景」のお話を簡単に致します。

まず、作品が発表当時、何故多くの聴衆を惹き付けたか、です。
ショスタコ−ヴィチが第5を書いた当時は,スターリンが政敵の粛正を徹底した年でもあります。ショスタコーヴィチに身近だった被粛正者は、軍事上最高の地位にいたトゥハチェフスキーです。彼はショスタコーヴィチの最大の庇護者でもありました。
前衛芸術家も犠牲になりました。この中にはやはり、若いショスタコーヴィチを育成し,擁護し続けて来た劇作家メイエルホリドが含まれています。
そうした面々をあげるまでもなく,ショスタコーヴィチ自身の親族にも粛正の犠牲者がいました。なにより、トゥハチェフスキーと親しかったショスタコーヴィチ自身が,トゥハチェフスキーと近しかったそのことで命の危機にさらされていました。
いわば、ショスタコーヴィチは牙を剥いたスターリンの犠牲になった、あるいは犠牲になりつつあった人びとの象徴だ、と世間に見なされてもおかしくない環境下にいたのです。
そうした期待に反しない作品として、第5は熱狂的に迎えられました。熱狂的に迎えられることは,まかり間違えば,作曲者の身をさらに大きく刑場近くへと引きずっていく力を持っていたかもしれず,初演時には「成功にかえって血の気が引いてしまった」ショスタコーヴィチを身近な友人たちが慌てて民衆の前から隠した、ということもあったと、ファーイの伝記を読むとそれらしいことが記されています。

次に,初演を皮切りに、この作品と一生を共にした指揮者ムラヴィンスキーについて、です。
ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチが交響曲の初演を最も多く託した指揮者であり,二人の信頼関係の濃さについてはいろいろな人がいろいろなところで述べています。
しかし、ムラヴィンスキーは,第15番を唯一の例外として,ショスタコーヴィチの交響曲は自身が指揮者として初演に関わった作品以外は決して演奏しませんでした。かつ、初演したもの中でも,第9番については録音さえも残していません。

これはムラヴィンスキーという人と、彼によるショスタコーヴィチ演奏を考えるとき,案外重要なキーではないか、と、私は最近思うようになりました。
そうすると、第9の録音をしていないことも,第13(バビ・ヤール)、第14(死者の歌)には一切関わらなかったことも,また第4以前について振り返る,という事業を成すことがなかったことも,作曲者ショスタコーヴィチとムラヴィンスキー自身の伝記を付き合わせたときに、とても合理的に説明がつくような気がするのです。
・・・ただ、その話は,いまは避けておきます。確信を持つだけの材料は、まだ揃えてもいませんから。

ショスタコーヴィチのCDについて一番信頼出来る寸評を書きためていらっしゃるふるたこさんが、ムラヴィンスキーの第5の録音の中で第1番目に推しているのが,1982年、モスクワ音楽院大ホールでの録音です。
これは最近まで、私のようなショスタコマニア後発組には幻の録音でした。
それが、最近,ドリームライフで発売になりました。(DLCA 7017)

ムラヴィンスキーの録音については昨年の前半に触れましたが,82年盤は、聴いてみると、ふるたこさんのおっしゃるように、やはり特別な録音だな,と感じました。
ただ、以下は私の受け止めかたです。

2年後の1984年の録音では,それまでの緊密さがウソだったかのように、アンサンブルが崩れています。このことは、先のリンクの記事で簡単に申し上げています。
気になったのは,82年盤に,既に「崩れ」の兆候が見えることです。第1楽章にアンサンブルの乱れが目立つ箇所がありますし,その他の箇所でも73年東京ライヴからは信じがたい、緊張の崩れがあります。
ですから、緊密さ,という意味では、82年盤はベスト演奏ではありません。

ところが一方で,82年盤には、ほかでは聴き取れない、印象の強い特徴があります。
もっともはっきり分かるのは,第1楽章と第2楽章の「間」です。
第1楽章が終わり,客席はコンサートではお決まりの咳払いの渦となります。
ところが、それが納まるのを待つ,でもなく、しかも、咳払いが起こった事自体を無視するかのように,ムラヴィンスキーは第2楽章へ突入してしまう。お客が慌てて咳を飲み込む、その喉の音までが聞こえてくるような厳しさです。
その他,ムラヴィンスキーが、それまで採って来た解釈を一層誇張している箇所は枚挙にいとまありません。演奏者個々の力量が9年前に比べると上がっているとみえ,
「これがあの冷静なムラヴィンスキーという人の指揮下の演奏なのか」
と耳を疑うほど・・・ロジェストヴェンスキー式の誇張を思わせるほどに、それらはやはり、厳しい「気」を持っています。

楽団員とムラヴィンスキーが,まるで闘争しているようで、指揮官はしかし、最後の光芒を放っている・・・そんな、痛切な色が、白地のシャツの下からにじんでくる血のように浮かび上がって来ます。

82年から84年にかけて、ムラヴィンスキーに,レニングラードフィルに,一体何があったのでしょうか?
残念ながら,これについては私のような資料探りの範囲の狭い人間には、まだ伺い知ることが出来ません。


なんだか、とんでもなく長くなってしまいました。お読み頂いてありがとうございました。

冒頭のモチーフの演奏は、ムラヴィンスキーの1973年東京ライヴのものです。
このモチーフの、もっともショスタコーヴィチの精神に忠実な演奏は、私の聴いた範囲ではコンドラシンの「ショスタコーヴィチ交響曲全集」に収録されたものです。単体での発売がないのが惜しまれます。(上記記事にリンクがありませんが,最近、装いを新たにして再登場しています。)

もう一点,付け足すことをお許し下さい。
家内の死を通じて,この作品は,私にいっそう身近なものになりました。それほど、生きるということに対する直裁な、明解なメッセージが、この交響曲には描かれています。

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