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2007年2月20日 (火)

音は自然に寄り添うものだ

さっき、家内が妹の夢に出て来たのを聞かされてから、私がどうしてもおとといの悪夢から覚めていない胸の痛みが蘇ってなりません。
ですので、どうしても綴っておかなければならないと思いました。

自らアンサンブルをなさるかたには、どうか、知っておいて頂きたいと存じます。

ランスロットさんのブログに、ボロディン弦楽四重奏団の名演が紹介されています。
本当は同じ演奏の終楽章の方が強烈な印象を受けるのにうってつけなのですが、注意して聴けば,この記事の第3楽章(ノクターン)でもよく分かることです。

音程とニュアンスは・・・彼らは厳しい練習を経ていますので、ある意味では人工的要素も強く,アマチュアには必ずしも参考にならないのではありますけれど・・・音楽を演奏するにあたっては,本来、この例のように、お互い無意識的に、かなりぴったりと「寄り添う」ものなのだということを、頭脳ではなく,感覚でもなく,心から理解をして頂きたい。

音程・ニュアンス(フレージングやアーティキュレーションを包括的に捉えて、の意味合いで)が揃えられないタイプのかたは,大きくは二種類いらっしゃいます。

・自分の感覚に「無意識的に」頑固であり,かたくなである
・自分の感覚を総合的に捉えられず、つねに浮遊した演奏をする

ご自身がどちらに当たるかを、お見つめになったことはありますか?

私は,長い間前者でした。

このタイプの最大の欠点は,
「自分の設けたものさしによる音程の高低、歌のニュアンスに拘泥し,総合的な設計が出来ない」
「隣人を本心から理解することは決して出来ない」
ことでしょう。

後者は「万年初心者」を自覚する方にご用心頂きたく存じます。
万年初心者、という言葉自体が一種の虚構です。何年も弾いて・吹いているのに確固とした輪郭の音を出せないのは、初心者のままだから,ではありません。「どうすればいいか」を自らに向けて見つめる姿勢が欠落しているためです。

いずれの解決策も,言葉で表せるモノではありません。
洋楽の分野に置いてはおそらく、日本の音楽学校では教えてもいないだろうし,教える力を持つ方も少ないのではないか、と危惧もしております。
邦楽の場合は、さすがに自国のモノだけにきちんとしているので、非常に残念です。
音楽を専門に学んで来たはずの人のほうが余計に理解出来ていない、というケースを数多く目に・耳にしなければならないことは、大変悲しむべきことです。

「合う」という感覚を理詰めの説明でしか理解出来ない方には,「合う」という喜びを見いだすことは永遠に不可能だと断言します。自然に寄り添うことのない音の中にいても苦痛でない人が、どうして、自ら歌に自信があったり楽器に自信があったりする人ほど少なくないのか・・・何故,自信を、あるいは自信のなさを、いったん無にしてみようとお思い頂けないのか,私には悔しくてなりません。

をお聴き頂いておきましょう。

さらに、 (2月23日付記)。ただ、これ単体では「なんだ、悪くないじゃない」と言うふうにお聴きになる方もいらっしゃると思います。総体が見えないと問題点が把握して頂けないと思います。・・・典型例はLPでは持っていたのですが、いまさらCDを買うのもどうか、と思いましたので、これにてご容赦下さい。

その上で、時間を掛けてご熟考頂けますよう、とくに演奏をなさる方には心からお願い申し上げる次第です。

演奏の正体は、とりあえず伏せさせて頂きます。

今回は僭越を綴っているので恐縮ですが、それだけ悲しみが深いのです。お許し下さい。
家内を失ったこと以上に悲しいです。

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コメント

kenさん、
帰国してひさしぶりにゆっくりブログを
拝見しました。


・自分の感覚に「無意識的に」頑固であり,かたくなである
・自分の感覚を総合的に捉えられず、つねに浮遊した演奏をする

のところは、よくわかるような気がします。

先入見が入ってしまったのかもしれませんが、
演奏例でも納得できるような気がします。

まあ、でも「「合わない」のに「合っている」という、一つの典型例」
などは、「狙って」できることではないでしょうね。
(演奏者を尋ねてはいけませんか?)

投稿: イワン | 2007年2月23日 (金) 22時50分

イワンさん、おかえりなさい!
お疲れさまでした!

演奏者のヒントですが、
・このメンバーの立った1度の来日公演のもの
・指揮者はベルギー生まれで、公演の数年後死去
・オーケストラはフランスの団体で、上記指揮者の没後
 発展的に消滅・・・現在はフランスで最も有名なオケの前身

あ、ここまで綴ると、バレる方にはバレてしまいます。。。

このメンバーの、おなじ来日時のラヴェルが2枚組で復活しています。
このときの「ダフニス」は冒頭が本当に夜明けの空を舞う鳥の歌のようで、背景でオーケストラの海面が朝日に輝いて活き活きと隆起してくるのを「目に見せて」くれます。録音でもそれを感じられるライヴというのは、なかなかありませんよね。
 

投稿: ken | 2007年2月23日 (金) 23時31分

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