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2007年2月13日 (火)

耳を傾けるべき、古参クラリネット奏者の忠言

40年くらい前、物心ついた私がオーケストラ好きになった当時は、オーケストラというものはいつも
「ホルンがとちる」
「クラリネットがキャッという」
が日常茶飯事だったのを覚えています。

そのころ活躍なさっていた名クラリネット奏者、北爪利世さんの回想をまとめた
「北爪利世の『クラリネット、我が人生』<音の終わりを大切に>」
という本が、近藤滋郎氏の編で音楽之友社から出ています。

奏法に関する直接的なコメントよりは、演奏に臨む「精神」を柔らかなお言葉で語っていらっしゃり、大変興味深く拝読し、ノートに抜き書きしておきました。

今回は、その中から幾つかをご紹介します。
まず楽譜を読めたとする・・・北爪氏は語ってはいらっしゃいませんが、お話はそれを前提として進んでいるのだということを、念頭に置いてお読み頂ければと存じます。

「プロになるために楽器をやるというのは間違っていると思います」(50頁)
・・・すなわち、楽器への取り組みは、楽器という道具を使うにあたって、音楽と道具の関係につき虚心に取り組むことから始まる・・・

「アンサンブルと同時に(アルヴィド)ヤンソンスが口を酸っぱくして言ったのが、『最初と最後の音をていねいに、きれいにしろ』ということでした。」(98頁)

「クルト・ヴェスの指揮でブラームスの<交響曲第1番>をやったときです。第三楽章はクラリネットで始まりますが、なんとシェフトラインのオーボエで始まったんです。途中からクラリネットが入ってきましたけど、おかしなことがあると思って後で一緒に演奏していたホルンのバーチ(千葉馨)に聞いてみたら、アイヒラーがちょっと出損なったのを感じたシェフトラインが、とっさに代わって吹いたということでした。バーチも『あれは凄かった』って言ってました。オーボエはクラリネットの前に座って吹いていますから、まったくの気配だけでとっさに吹き始めたわけです。」(143頁)

「・・・二番には一番にはない難しさがあります。/ふつう二番奏者の音というのは、聴こうとしなければ聴こえません。でも聴こうと思えばちゃんと聴こえます。ニ番奏者というのはそういうもので、無ければいけないけれども、ありずぎてもいけないのです。・・・合わせることを知りぬいた二番吹きがいるからオーケストラ全体が引き立つんです。」(147〜148頁)

で・・・きわめつけは
「不思議なのは<キャッ!>を出さないで無難にできたときにはあまり誉められませんでした。<キャッ!>があっても『今日は良かった』と言われることが良くありましたし、<キャッ!>をやったのに、演奏後も立たせてくれたヨッフムのような指揮者もいます。<キャッ!>だけが演奏の善し悪しの基準にはなりません。」(139〜140頁)

北爪さんのお話の意味を、少しお考え頂ければ幸いです。
「音楽を歌う、奏でるに際して一番大切なことは何か。それがオーケストラやアンサンブルという中ではさらにどのような付加的条件を課されるか」
について、以上に必要充分な条件を集約的に述べていらっしゃることに、お気付き頂けますでしょうか?

歌唱・演奏に向けての姿勢は、以上が基本ではないか、と、私も最近切に感じます。
それがどれだけ難しいことかは、ルイ・グレーラーさんのご著書のタイトル
「ヴァイオリンはやさしく、音楽はむずかしい」
にも、また端的に示されています。グレーラーさんのこちらの本はお読みになった方も多いのではないでしょうか? 私は3度立ち読みして、固有名詞は別として、ほぼ内容は覚えることがで来ましたので・・・いまだに未購入なのですけれど、素晴らしい良書です。



音の終わりを大切に―北爪利世の「クラリネット、わが人生」


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ヴァイオリンはやさしく音楽はむずかしい


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コメント

kenさん、こんにちは。
>「・・・二番には一番にはない難しさがあります。/ふつう二番奏者の音というのは、聴こうとしなければ聴こえません。でも聴こうと思えばちゃんと聴こえます。ニ番奏者というのはそういうもので、無ければいけないけれども、ありずぎてもいけないのです。・・・合わせることを知りぬいた二番吹きがいるからオーケストラ全体が引き立つんです。」(147〜148頁)
 
なんだか、私にとって、目が覚めるような文章でした。中学と高校でクラリネットを吹いていたので、今日の書き込みを興味津々で読み始めていたのですけれど、ホント良い文章に出会えて清々しい気分です。これは、合奏、合唱ともに通じることですね。
私は、今、コーラスもやっているので、主旋律を歌う面白さも、副旋律で支える面白さも知っているつもりではおりますが、それでもやはり、主旋律の優位さは疑いのないもの。と思っていました。

合わせることを知りぬいた二番吹き、っていう存在に憧れているのだな、と初めてわかりました。
この本買ってみようかしら。

投稿: miho | 2007年2月14日 (水) 13時10分

カラオケ(私はあんまり縁がないのですけれど)で、「ハモる」っていうのがありますでしょう? あれで、本当はメロディじゃない人(大体は下の声)のほうが大きく歌ったり、音が違ったりしてぶち壊しになるのは、よくありますよね。酔った勢いなら許されるのか!?

オーケストラのヴァイオリンの連中だと、ブラームスをやるときには「あ、セカンドの方がいいな!セカンド弾きたい!」というツウが結構います。逆にみんなやりたがらないのはモーツァルトのセカンドヴァイオリン。。。涙が出るほど難しい。弾けやしない。

メロディはメロディだけでは「きれい」にならないですよね。低音でズンチャカチャと伴奏されただけでも、つまんない。アルトやテナーで豊かに色づけされて、はじめて「天国の響き」になることのほうが、圧倒的に多いですね。だから、楽器で言っても、むしろ二番(あるいは三番)は、いちばんに比べてはるかに難しいことが多い。内声、と僕らは呼ぶのですが、内声が正しい響きを作れないと、音楽が崩れてしまう。。。
家庭や社会と、同じですね。

・・・ああ、頑張らなくっちゃ!

投稿: ken | 2007年2月14日 (水) 17時00分

kenさん、おはようございます。

カラオケはね、何をしても許されるっていうわけではないでしょうけれど、基本的に間違いをするのは、「人に聞いてもらう為に」歌うわけではない、ってとこでしょうか?
あ、そこまで断言してはいけない。そういう人が多い、と思います。日頃鼻歌でうたっているだけの歌を、いざ歌う、となると、難しい。少なくともマイクをもって歌う練習を何度かした上で聞かせていただきたいですね。(それでも駄目なことは多いでしょうけれど、ってちょっと厳しいか。)

コーラスでも、慣れてくると、副旋律を歌うのが好き、メロディの難しさを見ると、これを何としても克服してみたい、という気持ちになってきます。燃えます。(こんなことで~)
そして、難しい和音がきっちりとれた時は、秘かに得意になったりします。

でも、出過ぎない。主旋律を聞き、主旋律により添う。

出来たときは、役目を果たした快感で、職人気分、です。

投稿: miho | 2007年2月15日 (木) 05時56分

mihoさん、

>出来たときは、役目を果たした快感で、職人気分、です。

職人気分、という言葉、私は大好きです!
そういう感覚があるのは、本当に素晴らしいことだ!
尊敬しちゃいますヨ!(本当に!)
「!」ばっかり付けちゃった。

投稿: ken | 2007年2月15日 (木) 16時30分

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