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2007年2月16日 (金)

おもふ思のおもがわりせで(3)

「明月記」には、現代の目からは重大に見える主家の失脚事件に触れた記事が全く残されていません。
(ついでながら、関白を解任された兼実当人の日記である「玉葉」にも、残っていません。)
野次馬根性の人一倍強かった定家のことです、残っていない部分の記事が今後もし再発見されれば、そこには面白いことがかいてあるのかもしれません。ですが、私としては、
「主家の一大事を記事に留め、後人の目に触れさせることは甚だ不都合である」
定家がそのように判断していっさい記事を書かなかった、と信じたいなあと思っています。それくらいの優しさは、定家にはあったのではないか。。。
それというのも、自身が不遇であったはずのこの時期になお、定家は「明月記」の数箇所で、親しかった人や、友の兄の死を、心の底から悼んでいたりするからです。

さて、三ヵ月後の兼実失脚などまだ思いもよらない建久七年九月に定家が九条家(内大臣家~内大臣は兼実の息、良経)に詠進した百二十八首和歌は、
・春16首 ・夏12首 ・秋20首 ・冬16首 ・恋16首 ・述懐16首 ・山家16首 ・旅16首
という構成です。
それぞれの部が一連の詩として読みえるほどに見事なつながりを見せていますが、個々の歌となると、どちらかというとまだ父の俊成に近い、おとなしくて雅びたものにとどまっています。そのためでしょう、この百二十八首和歌から「新古今」に選び入れられた歌は、1首にとどまっています。

一方、沈潜の時期であったはずの二年後に詠まれた「仁和寺宮五十首」からは、「新古今」に6首の歌が採られることになります。しかも、それらは定家の代表歌といって差し支えないものばかりです。
「仁和寺宮五十首」の各歌相互の詩的連関については堀田氏が「定家明月記私抄」で素晴らしい例示をなさっていますから、そちらをご覧頂くとして、今回はこの五十首から採られた新古今の歌を見て頂くことで、いったん終えておこうと思います。

 おほ空は梅のにほひに霞つつ くもりもはてぬ春のよの月

 霜まよふ空にしほれし雁がねの かへるつばさに春雨ぞふる

 春の夜の夢のうき橋とだえして 峯にわかるる横雲の空

 夕ぐれはいづれの雲のなごりとて 花たちばなに風の吹らん

 わくらばにとはれし人もむかしにて それより庭の跡はたえにき

 こととへよ思おきつのはまちどり なくなくいでしあとの月影

123

Book 定家明月記私抄

著者:堀田 善衛
販売元:筑摩書房
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