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2007年2月23日 (金)

モーツァルト:ウィーン旅行後の交響曲〜小ト短調とハ長調

さて、第3回ウィーン旅行からザルツブルクへ帰ってきてからの交響曲(シンフォニー)ですが・・・とくに小ト短調として有名な通称第25番について、まだ触れられるだけ充分に納得がいく材料を持ち合わせていません。が、触れてしまわないと私自身が先へ進めない。ジレンマですけれど、行ってみましょう!

前回とは逆に、先に概要を見ておきます。

K.183 ト短調(25番)〜10月5日
(モーツァルト初の「短調交響曲」
第1楽章:Allegro con brio 4/4 214小節 Codaを有す
第2楽章:Andante 2/4 (Es) 72小節
第3楽章:Menuetto 36+22小節
第4楽章:Allegro 2/2 194小節 Coda有す

K.200 ハ長調(28番)〜11月(?、疑義あり)
第1楽章:Allegro spiritoso 3/4 173小節 (Coda有す)
第2楽章:Andante 2/4 (F) 91小節 (Coda有す)
第3楽章:Menuetto allegretto 42+20小節
第4楽章:Presto 2/2 190小節


ハ長調K.200は、小ト短調とイ長調(第29番)のあいだに挟まれ、流通という面では少々不遇な作品です。
かつ、使用モチーフも、第1楽章は前年書かれた同じハ長調という調性を持つK.128の焼き直しだと分かるほどに似ており、安定感という意味ではずっと成長を遂げているにもかかわらず、聴いてもスコアを見ても陰が薄い存在でもあります。
ただ、さすがに後から書かれただけあって、新工夫もあります。
ブルックナーならそれが版の違いとして現れるところですけれど、モーツァルトは別にもう一つ作っちゃった、というかたちで現れているので、かえって分かりにくくはあるでしょうね。
目立つところだけに言及するなら、終楽章は「パリ」の終楽章に通ずる手法がとられているのを特筆すべきでしょう。それより前の3つの楽章には、まるきりの新工夫はないものの、これ以前のモーツァルトに比べれば「技術」が「音楽」の背面へと上手に顔を隠し始めているのを感じます。
作曲時期が1773年中だったのか翌年なのかは、疑義ありとはいえ、あまり問題にならないと思います(ベーレンライターの交響曲のみの全集では、スコア上は「1773年11月?」としてありますが、解説は独語原文も英訳も「1774年11月」となっています。NMAの緒言およびコンラートの表上ではスコアと同じ「1773年11月?」となっています。74年11月では29番より後という事になってしまいますが、25番と29番の作曲技法上の差を考慮すると、やはりこれらの作品の中間に書かれたと見なすべきかと思います)。ウィーンで経験した何らかの「開眼」が、25番、29番と同様に反映され、成人以後のモーツァルトに繋がっていく、という面から、他の2曲と1セットとして考えておくべきなのは、以上のことからも明らかです。


で、問題は、小ト短調25番のほうです。

読み解いてみようとすると、大きく二つの課題に直面します。

・(伝記的・人格的側面)〜これまでの交響曲にないト短調という調性で、しかも激情的かつ色彩に富む作品を創作した経緯はなんであったのか?

・(様式的側面)〜4楽章形式はウィーン滞在時に受けた影響に基づくと考えて差し支えなさそうではあるが、それはこの作品の演奏時にどのように反映するのが正しいのであるか?(とりわけ、前打音の長さの問題)

最初の方から検討してみましょう。

1773年という年、ウィーンの音楽事情に大きな影響があったかと考えたい「事件」を、一つだけあげます(もっとも、他は知らないからひとつだけ、なんですが)。
時の女帝マリア・テレジアの動向です。
彼女はこの年9月、劇場の新造が成ったエステルハージ家を訪れ、滞在しています。
言うまでもなく、ヨーゼフ・ハイドンの活躍のさなかのことです。
この滞在中、女帝はハイドン作のシンフォニー(マリア・テレジア)による歓迎を受け、この楽長のオペラ(これは残念ながら、ドラティが精力的に取り組んだハイドンのオペラ集には録音が含まれていない作品です)、を楽しみ、たいへん満足をしています。
したがって、音楽面に限って言えば(政治史的にはそんなに単純ではないのですけれど)、女帝は事前にハイドンの力量や評判をあるていど知っており、それなりに高い評価を胸にアイゼンシュタットのエステルハージ邸へ向かったのではないか、という推量は、そんなに的外れではないものと思います。
であれば、女帝のお膝元であるウィーンでは・・・事実は窺い知ることは出来ませんが・・・女帝の出発前から、音楽上のハイドンフィーバーのようなことがあったとしてもおかしくはありません。であればきっと、ウィーンではこの年、盛んにハイドン作品が「私演」されていた可能性は高いと思います。

ハイドンはこの年までに、都合4つの短調交響曲を作り上げており、そのひとつにト短調交響曲(1768年作?)があります。このト短調交響曲は4本のホルンを用いていて、モーツァルトの25番と同じです。こうした楽器編成から、モーツァルトの小ト短調交響曲はハイドンのト短調交響曲を継承したものだ、と、ランドンなどはみなしていたりして、ハイドン交響曲全集のスコアにさらりとコメントを残しています。

調性と楽器編成については、それで良し、と思っておきましょう。
しかし、曲想上は、モーツァルトの小ト短調では、ハイドンのト短調の音楽は終楽章には受け継がれているかと思われるものの、第1楽章の強烈なシンコペーションはハイドン作品側では「ラメンタツィオーネ」(1768作?)の第1楽章と類似しています。緩やかながらどこか厳かさを湛えた第2楽章も、やはりハイドンの「ラメンタツィオーネ」もしくは「受難」(1768作)の緩徐楽章の雰囲気を受け継いでいるように思われます。参考までに、「ラメンタツィオ−ネ」をお聴き下さい。
(比較のためには採用されているテンポは遅めですが、ご容赦下さい。)

アンタル・ドラティ指揮ハンガリーフィル


自分にとっても煩雑ですので、音楽の内容面での追究はこの例示で終えておきますが、ハイドンの「受難」および「ト短調」との関連性についてご興味のある方は、それらの作品との聴き比べ、スコアの見比べもなさってみて下さい。
考慮しなければいけない点は、おそらく二卵性双生児として誕生した「ラメンタツィオーネ」は復活祭のために、「受難」はソナタ・ダ・キエザ(教会ソナタ)として書かれている事実です(中野博詞「ハイドン交響曲」春秋社2002 63頁参照)。これは、宗教行事のために教会で演奏されたはずである事を示しています。それがどの程度の「流通」を見せていたかは分かりませんが、5年前のこれらの作品が、ハイドンの高い評判により、ハイドンの膝元であるアイゼンシュタットを超え、ウィーンの教会でも好んで演奏された可能性を示唆してはいないでしょうか? であれば、モーツァルトにもこれらの作品に、単に楽譜の上でだけではなく、音響として接触する機会が充分あったと考えても不自然ではありません。

なお、ランドンはハイドンの交響曲全集スコアの緒言で、彼のト短調がヴァンハルにも影響を与えていると述べていますが、いまだに解明され切っていないこの流行シンフォニストのト短調交響曲のCDは取り寄せに時間がかかり、楽譜となると素人の入手はまだまだむずかしいので、こちら(リンク先)のブログで勉強するしかなさそうです。・・・ただ、耳に出来た限りのヴァンハル作品の響きからは、彼はモーツァルトに影響を与えた人物ではなかったように感じます。

二つ目の「演奏様式」問題ですが、4つの楽章を総合的に考えたとき、モーツァルトの小ト短調にはハイドンのオーケストレーションにはない独立したファゴットが、第2楽章の色彩を決定づけている点を踏まえておく必要性が認識されます。これは決定的です。
ハイドンにおいては「ラメンタツィオーネ」は3楽章形式でした。「受難」は4楽章形式であるものの、これは第1楽章を例外的にAdagioとした結果であって、独立してこそいるものの、これは第2楽章の序奏と見なしてもよかろうかと思います。すると、のこるト短調がモーツァルトと出会った演奏の場所と同類の会場こそが、モーツァルトの小ト短調にもふさわしい、と考えるのが妥当かと思われるのです。
が、ハイドンの側からすると、ト短調も「ラメンタツィオーネ」も「受難」も・・・推測の域を出ないとは言え・・・同じ時期の作品なのです。こうなると、「ラメンタツィオーネ」と「受難」がともに教会向けだと考えられる事と、そうなると残ったト短調は教会以外のためだったとは考えにくいということとが、思考に葛藤をもたらします。
とはいえ、ファゴットの独立という、モーツァルト側だけにみられる特徴にあらためて着目するなら、モーツァルトがハイドン作品から受け止めたのは「演奏の場」よりも「音楽の内容」であって、それをファゴットを用いる事でこの若者なりに深めたのだと推測すれば、場の問題は白紙に戻してもよいのかも知れません。・・・それが教会以外の場所だった、とは断言出来ませんが、教会で演奏するには、こんにちの常識的な観点からでは、25番はあまりに激情的です。
また、第1楽章第2主題で特徴的な前打音は、少なくとも
・8分音符の音価で
・16分音符の音価で
・32分音符の音価で
の3通りの演奏がなされていますが、どれが正解か、という決め手はあるのでしょうか?
主観に求めるならば、「32部音符で」が、ロマン的演奏には一番しっくり来ます。私個人の好みでも、そうです。
が、おそらく、これは、主観からもたらされた結論である以上はハズレだとおもいます。
当時の記譜の約束事から検討し、かつ28番(K.200)の前打音の奏法を勘案すると、正解は最初のものであろうと思います。2番目のもの、と考えるには、この前打音の記譜が短前打音で良い、という根拠はなかろう、と思います。
ただ、32分音符の音価で、という結論が不正解だとしてもなおしっくりくる理由は、第1主題後半部の、烈しいオクターヴ上昇後にくる「(カタカナにすると恥ずかしいですが)ティラリータッタッタ」という音型の「ティラ」の部分が32部音符であり、それ故に、第2主題の前打音を32分音符にしてしまうと、おそらくはモーツァルト自身意識だにしなかった緊密な音楽展開となり、高い効果があがるから、です。
後期ロマン派以後の「新潮流の」演奏伝統がもたらした「けがの功名」だと見て差し支えないでしょう。

ちょっと、分かりにくい稿となってしまいました。
お詫び申し上げます。

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コメント

ショスタコの記事と並んで、この記事も
大変興味深く読みました。とても
勉強になります。

しかし私はなんせ無学なので、
気の聞いたコメントができません。

でもモーツァルトの短調作品には
よく言われますように独特の魅力が
ありますね。

私は月並みですが、ピアノ協奏曲
20番のデモーニッシュなところが
好きです。

それでは!

投稿: イワン | 2007年2月26日 (月) 20時01分

イワンさん、なんだかすみません。。。
「勉強になります」だなんでお恥ずかしいです。
素人が屁理屈こねてるだけですし、文章力がないのでクドくて分かりにくいですね。

ハイドンの「ラメンタツィオーネ」は、お聴きになって如何でしたか?
モーツァルトの「短調」とハイドンの「短調」がどんなふうに違うのか、の、代表的な例の一つです。
お聴きになっての直感が、私の下手な文章より、このことについてもっと明解な答えを出してくれると思います。

モーツァルトの短調がデモーニッシュであれば、ハイドンの短調はヒューマンです。
ハイドンの短調の魅力も、いつかご紹介したいです!

投稿: ken | 2007年2月26日 (月) 21時54分

ハ長調K200は結構好きな曲です。
第一楽章の中間(展開)部に小ト短調やイ長調K201くらいしっかり内容があれば、
この交響曲の評価は随分と違ったものになっていただろうと思います。
後の3つの楽章が音楽として充実しているだけに、惜しいことです。

小ト短調はやはり相当にシリアスですね。
モーツァルトが短調を主調に採るとき、その音楽が厳しくなるのは毎度のこととはいえ、
この曲のシリアスさ(冷徹さ?)はより一層際立っているように感じます。
余談ですが、この曲の第一楽章展開部に現われるカノン風の楽句が
メヌエットとフィナーレの主題を先取りしていて興味深いです。

投稿: Bunchou | 2008年5月14日 (水) 16時45分

Bunchouさん、小ト短調、さすが、お気付きになられましたね!
「そういやあそうか!」
って、目から鱗でした。
ついでに、第1楽章のこの箇所ばかりか、ばかりかメヌエット主部の方も、フレーズごとの主要音を辿って行くとフィナーレのテーマになるんだ、ってことまで気が付かせて頂きました! メヌエットの長調部分も、同じく密接な関係がありますね。(追記:メヌエットのトリオ主題の後半動機は第2楽章との関連性もあるのですね! あとから気が付きました。大ト短調の方は1〜4楽章まで一貫した動機を使っているのは、もっとはっきり分かるのですけれど・・・まさか、庄と短調の延長線上にあったのだとは、考えても見ませんでした!)

これはうかつで、得をした!

ト短調が「冷徹(シリアス)」なのは、おそらくは中全音律で確かめた方が際立つのでしょうが(ということは、録音類ではアーノンクールじゃないといかんことになるのかな。他にいいものがあります?)、キノコの毒に当たって死んだので有名なシューバルトが、各調の特徴を述べる中で、
「ひとことで言えば、恨みと不快感」
と表現しているようです(石多正男訳。「交響曲の生涯」123頁、東京書籍。この本、交響曲の歴史をたどるための資料としては、記述がいまいちですけれど。)

投稿: ken | 2008年5月14日 (水) 20時12分

小ト短調は
鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカ
の録音で今のところ満足してますよ。
音楽の彫刻が個人的な好みにピッタリだったので。
是非ともオススメしたいのですが、値段が高いんです、とても。
ああ、でも併録のハイドンの交響曲もいいしなあ…。
う~む。

投稿: Bunchou | 2008年5月14日 (水) 21時31分

>値段が高いんです、とても。

うーむ。
無事お給料がもらえて、他に用事がなかったら・・・だな。
鈴木さんのは欲しいCDがいっぱいあるんですけれど、値段で手が出ない。。。

娘の教材用でない限り、安物買いでいろいろ聴くしか、最近は術がありませんで。

宝くじ買おうっかな!

投稿: ken | 2008年5月14日 (水) 22時04分

最近はモーツァルトの同時代人の作品を聴く機会が増えてきて
より強く思うようになったのですが、
モーツァルトの短調作品はなんというか
「狂気の氷漬け」
といった印象が強いです。
彼が(当時の世相を考慮に入れたとしても)
主調に短調を採る音楽をあまり書かなかったのは、
自分が短調作品ではあまりにも危なげな状態になることを
自覚していたからなのではないか?
と思うようになっています。

この曲もそうで、例えば同時期の短調交響曲における、
ヴァンハルの情熱的でカッコイイ音調
ハイドンの理知的でヒューマンな作風
とはかなりの開きがあります。
(良い悪いの話では無く。)
となると、ザルツブルクであの小ト短調が初演されたとき
周りの反応はどうだったのか、ものすごく気になりますね。
多分、あんまり受けなかったんでしょうけど…。

投稿: Bunchou | 2008年7月20日 (日) 13時10分

ハイドンやヴァンハルは、それでも、まだモーツァルトに近いところがありますね。
ただし、モーツァルトの代表的な短調作品があくまで「内面」を向いているのに対し(ここに、他人にはモーツァルトのまねが絶対にでき中立つぁい大の理由があると思っているのですが)、ハイドンやヴァンハルの場合は、あるいみで「ちゃんとお客さんを意識している・・・その分、短調でも<情緒>よりは<娯楽に堪えるウィット>に重きを置いた仕上げをしていますね。

小ト短調は、「受けなかった」ことは、決してないと思いますよ。
ただ、「びっくりされてあぜんとされた」ではありましょうけれど。
第2楽章の美しさは、絶対に聞く人を酔わせたに違いないと思います・・・ただし、当時の人たちはおしゃべりしながらこの作品を聞いたはずですけれどね。

投稿: ken | 2008年7月20日 (日) 22時58分

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