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2007年2月28日 (水)

解読ショスタコーヴィチ第5-第1楽章(前振り)

<前説>

この部分は、TMF団員の方に向けたお話ですので、ショスタコーヴィチの交響曲第5番がどうなっているかだけに御興味があって覗いて下さった方は、お読みにならなくても構いません。ムダを綴って本当に申し訳ございません。

団員の方は、できましたら、ネットをなさっていないかたにもお伝えしたいと願っております。

2月25日に、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」の全体像を(少なくともTMF団員の方には)把握して頂きたくて、長々と綴りました。
あまりに長いせいか、中身がまだまだ抽象的に過ぎるせいか・・・いちおう、自分の文章力のなさはやむを得ないとして・・・、この記事、人気がありません。

アクセス数なんか、家内の逝去後ピークに達した後は日に平均70人くらいの方が2,3回読んで下さるくらいのマイナーブログですから、別にどれがどれくらい読んでいただけているかなんて気にしても詮無いことです。本人も、
「あ、仲良しの方が読んで下さったかな?」
以外のことは、あまり気にしていません。

が、しかし、団にとっては次回はスペシャルゲストがいらっしゃるとはいえ、交響曲がメインの演目ではありますから、

「やっぱり、作品設計への展望は、どなたにも持って欲しい」

と思っております。

練習をお休みしがちになってしまう環境下でもあります、お会いすれば消える心配もたくさんあるのだとは思います。
が、今のような環境下になってみて初めて、
「うーん、もう長いこと、伝えるべきことを伝えずに練習に臨んできたのかなあ。ボクのお役目からしたら、義務の不履行だなあ」
と、痛切に思うのです。以前は家内に愚痴をこぼして、
「ああ、そう。まあ、仕方ないんじゃないの?」
って言われて(プロセスはまじめに聞いてくれての話なのでしたが、結論はこれに決まっていました)自分の気持ちが収まればそれでおしまい、にし続けてきましたから。・・・それではいけなかったのです。オイラはバカだったなあ、と、つくづく思います。

アンサンブルの技術(純粋に技術的なことだけ)については前回、管楽器では(不足は多いものの)集中的にお伝えできたとは感じております。あとは敷衍して頂ければ、いろいろお気づきいただけるはずです。
弦は・・・自分自身、マンネリなのかなあ。。。今の状況があたりまえ、と思い込んでいるのかなあ。。。それなのに背伸びをして
「本当は、もっとこうなんだよ!」
という点まで欲張ってしまうから、結果的に空回りするのでしょうか? たしかに、後で振り返ると、「アンサンブルの技術」でじはなくて、次に述べる問題点のうちのふたつめにまで踏み込んでしまっていました。もう少し頭を整理して臨めば良かったと反省しております。

一時期TMFで一緒に演奏してくれて、まもなく富山へ引っ越してしまった後輩が、後で録音を送ってやったら
「おかしいな〜、もっとうまく出来ていたはずなんだけれど。。。」
ごく素直な、戸惑った口調で言ってくれたことが思い出されてなりません。

彼が首を傾げてしまった原因を反省してみますと、大きく二つあります。

ひとつめが、先日の分奏で管楽器の方で重点的にやった「アンサンブルの技術」の欠如です。
こちらは、音の気配を感じ合える連帯感を養うことで、かなりの程度解消できていくはずです。

ふたつめは、演奏する作品への、ヴィジョンの不揃い及びそもそもの無認識です。
この問題の発生には次のような要因があります。

・自己の音楽受容のみへの偏執
 (自信過剰・不自信過剰、他者を聴けない耳、作品を受け入れない精神)

・特定の個所のみへの過度のこだわり
 (演奏できない個所、「分かった」と思い込んでいる個所、無意識で「やれちゃってる」個所)

すなわち、せっかく何十人も集まっているのに、もしくは何十人もが無秩序に集まってしまっているがゆえに、何十もの
「木を見て森を見ず」
が発生する。仮に技術が身についたとして、それで解消する問題ではないことはご了解いただけるのではないかと思います。

これは、
「指揮者が指揮者の解釈で家事を取ってくれるから、それでなんとかなる」
そう簡単に結論付けられがちですけれど、そう簡単ではありません。

「解釈」はディレクター、即ちオーケストラならば指揮者の領分であるのは間違いないことです。
ですが、たとえば演劇に事態を置き換えてみて下さい。
ディレクターは統合的な演出と、それに必要な演技指導は行ないますけれど、ディレクターの実現したい「全体像」は、個々の演技者が配された役どころをどのように理解し、どう演じて見せてくれるか、が点検できない限り、ディレクターにとっても実現不可能な全体像のままで終わるのです。

ここのところを念頭においていただければ幸いです。

以上をご理解頂いてはじめて、次項の<本説>で申し上げることの主旨をも分かっていただけるのではないかと思います。

今回は、第1楽章のみについて綴ります。スコアの必要個所も掲載し、該当個所の演奏例もつけます。
どうしても「比喩」を用いなければならず、そのせいで「解釈」になってしまっていると誤認されては元も子もないのですが、場合によって、ヒントとなる美術作品の画像も添付します。

分析が目的ではありませんので、「構造」云々は致しません。
ですが、ショスタコーヴィチが第1楽章をどのように設計したのか、なるべく充分に分かるように試みます。

本来全楽章を一度に俯瞰できるのが望ましいのですけれど、まずは第1楽章の展望を見出して下さる一助となれば、このうえない幸いです。

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解読ショスタコーヴィチ第5-第1楽章(本編)

「むすび」



長い記事の2連続になってすみません。

いきなり、曲に入りましょう。

が、その前に、まず、あなたの前に、愛する人の「屍」が横たわっているのを、「突然に」見出して下さい。ただし、ご留意下さい。これから「聴く=読む」音楽の中には、あなたが今目にした「屍」は存在しません。

これをお分かりいただけた上で、先にお進み下さい。(お時間にゆとりのあるときの方がいいでしょう。)・・・なお、楽譜の画像がデコボコしている点は平にご容赦下さいませ。

冒頭が3つの動機から成っていることについては前に綴ったとおりですけれど、同趣旨を繰り返します。ただし、前に仮に名づけた動機の名称は、単純化します。これに拘泥すると「解釈」になってしまいますので、場合によってはお好きな名前に付け替えて下さい。ただし、説明の一貫性を保つために、私はこれで通します。

譜例を見つつ、お聴きください。なお、聴くたびに画面が切り替わってしまうので、申し訳ございません。ブラウザの「戻る」の矢印やメニューで、またここへ戻って来て下さいね。色のついた箇所をクリックすると音が聴けます。なお、逐語的に内容を示していきますので、私の文章の下手さもあって、分かりにくいかも知れません。それでも何度か素直に追いかけて頂ければ、前回抽象的に綴ったものに比べれば、設計の具体像が「見えて」くるだろうと思いますし、そうであって欲しいと願っております。スコアがお手元にあるなら、どうぞ、練習番号の箇所を実際に対比してみて下さいませ。

・冒頭動機の楽譜はこうです。
I00_1

音で聴いて見ましょう。

これは、第1動機であなたが「枕頭で屍を直視して絶叫」し、
第2動機で、「ウソ、ウソでしょ!」と顔を背け、
第3動機で、「何故、こんなことに・・・」と、誰に問うても答えのでない問いを、迷いのうちに自己に向けて発するわけです。動機を分けてきいて頂くなら、次の通りです。
〜ヴァリエーション:緩やかな跳躍音型(上向・下向とも)
〜ヴァリエーション:付点八分音符と十六分音符
〜ヴァリエーション:リズムの反転、音程の上下、音階への延長

例えば、この絵のような心情でしょうか?
I00_2
(フランソワ=エドゥアール・ピコ「フィレンツェのペスト」)
ただ、この絵で嘆く母の片手に抱かれた無心な赤子は、音楽の方には(まだ)登場していません。

この3動機、とくに「自問」の動機は、第1楽章に限らず重要な役割を果たします。

すぐあとの部分を聴いて下さい ( )。 チェロ・コントラバスとヴィオラが「直面」に失神しつつあるところを、ヴァイオリンが「自問」のリズムを反転させた3音で開始する旋律によって辛うじて支えています。この一くさりが終わると、「直面」(ファゴット)と「拒絶」(第2ヴァイオリン)が、屍からやや離れたうえで回想されます。
以下、第1ヴァイオリンの「拒絶」に始まり、オーボエとファゴットによる、事実を肯定するか(上向音型)否定するか(下降音型)の静かな葛藤、を経て、あなたはもう一度「屍」に近付き、涙にくれるのです。

・音は です。
ここで、あなたは肯定も否定も出来ない自問にさいなまれながら、何とか心静かに現実を受け入れようとします(第1ヴァイオリンによる、「直面」の動機の拡大型)。

けれど、それは、「自問」がぐらつく(ヴィオラ下声部)ことにより、苦悶(ヴィオラ上声部)へと転じていきます。ヴィオラにあえて相当高いポジションを要求しているのは、「苦悶の音色」を求めているためです。
の譜例 〜色のついた部分でこの箇所の音が聴けます。
I12


「自問」は、次第に平穏を保てなくなり、ホルンが「拒絶」の動機の拡大型を、腹の底から悲しみを絞り出すように奏します(ホルンにとって「絞り出さなければ響かない」音域を用いていますよね。トランペットがそれに続いています)。
の譜例〜色のついた部分でこの箇所の音が聴けます。
I17

まですすむと、「自問」は事実を肯定するとも否定するとも決めかね、烈しい葛藤を繰り広げます。ここで「自問」の動機は「直面」と「拒絶」の似姿をとって右往左往し、
に至って、ついにあなたは有無を言い得ぬまま悲しみへと引きずり込まれます。
の箇所は、死神たちの行進をスネアドラムによって是認するあなたの「自問」への仮の解答が示されます。
I27
これは練習番号31番まで続き、
以降で「直面」の動機を、木管楽器と弦が縮小型で、金管楽器が拡大型でやり取りしあいますが、<直視せよ>と宣告する金管に対し、他の楽器群は拒みたくても拒めないため、激情に身を委ねるしかなくなってしまっているわけです。

は、「拒絶」の、最後の烈しい試みです。それを金管・打楽器が冷徹にさえぎります。
I36

そしてついに、練習番号38を過ぎた a tempo con tutta forzaの箇所で、「自問」の動機は「直面」の現実に屈服します。(この部分、音ファイルを造り忘れました。ゴメンナサイ。)
この箇所、四天王に踏みしだかれた鬼の姿を、「自問」の動機に求めればよいでしょう。
Todaiji02
写真は東大寺の広目天像ですが、広目天の方ではなくて、鬼サンの方の顔を見て下さいね。
この鬼サン、ここまでひどい踏んづけられかたをしていながら、悲惨な顔をしていませんね。
を聴いて下さい。
I39
「自問」の動機の上を滑る「直面」の動機(フルート、ホルン、やがてクラリネット)の、なんと穏やかなことでしょう。これが、鬼サンの顔が悲惨ではない理由を表現しています。
とはいえ、「自問」は答えを見いだしたわけではなく、再び捻れながら、
に至って、
「じゃあ、アタシはどこを見ればいいんだ?」
・・・「直面」していながら、目は焦点を失い、心は空中へ浮遊していくのです。



読み返すと
「やっぱり拙いなあ」
としか感じられず、本当に申し訳ない限りですが、以上を何度か追いかけてみて頂ければ、第1楽章の「設計」は、輪郭に留まらず理解して頂けるはずです。保証します。・・・文の方はだいたいの趣旨を汲み取って頂く程度で、とにかく、

・誰がどの動機を担当しているか
・すると、担当すべき役割は、場面場面でどう変化するか

に気をつければ、見えて来ます。

見えて来たな、と思ったら、お手持ちの演奏で第1楽章を「通し」でお聴きになり、確認してみて下さいませ。(「屍」云々は比喩の一例に過ぎませんが、第5誕生の時期を鑑みると適切かな、と思い採用しました。)

ほんとうに、お粗末様でした。・・・気分は尻切れトンボ。。。

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2007年2月25日 (日)

Schostakovich第5:付)ムラヴィンスキー1982の演奏

「むすび」



ちょっと、クドい話から始めます。

広辞苑の中の一定義に、<古典>とは
「いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物」
だと記されています。どんな国語辞典でも、<古典>の第1義は古い時代の書物となっていて、広辞苑でも上の定義は元来の意味から派生して生じたものだと断っています。
そのまま素直にみますと、美術にも音楽にも、その他のものであっても、<古典>という言葉は使われていますから、広辞苑が「書物」に限ってそれを定義しているのは了見が狭そうに思えます。事実、「角川必携国語辞典」で広辞苑の上記定義に対応するものの例示としては、「古典落語をききにいく」「西洋古典音楽」があげられていたりします。
「やっぱり!」
してやったり、と手を打つのはまだ早いのでして、こちらも、本文を読むと
「古くから大勢の人に読まれた芸術作品で・・・云々」
となっていて、
「なあんだ、やっぱり、書物の類いじゃなきゃダメなのか」
とガッカリすることになります。で、例示に「西洋古典音楽」があるのは編者もずいぶん間が抜けてるなあ、なんてあざ笑って溜飲を下げてみたりしますが、編者には大野晋さんの名前があるのでした。ヤバ。

標題のショスタコーヴィチとは全く関係のないところから始まってしまいましたが、では彼の交響曲第5番は、上記の定義からいくと、<古典>ではない、のでしょうか?

「書物」という言葉に縛られるならば、そういうことになる、ように見えます。

そこで逆に、「書物」という言葉の方を、もう少し幅を広げて考えてみます。
ショスタコーヴィチに限られるわけではありませんが、<古典>と称される音楽作品は「楽譜」という、読みに特殊な約束事を持つ文字=音符によって書かれているわけですから、
「いつの世にも読まれるべき」
高い価値を持っていれば、その楽譜は<古典>の範疇に含んでも一向に差し支えない、ということになります。
「じゃあ、記譜されていない音楽は<古典>ではないのか?」
という問いが出て来ても当然で、これは
「そのとおり、古典ではありません」
と私は言いたいところですけれど、深入りすると泥沼にハマりますので、これ以上この横道にそれるのはよしましょう・・・お願いですから、突っ込まないで下さいネ! このお話は音楽史のトピックで考えるべきことだと思っておりますから。

話を戻します。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、<古典>でしょうか?

まぎれもなく、<古典>です。

作曲者が書き下ろし、初演した年からちょうど70年(初演日付は10月21日)経った今なお、その楽譜を「読む」人が後を絶たないからです。
「え? 読む、じゃなくて、聴く、の間違いでは?」
いえいえ、「読む」でいいのだと思いますヨ。
文字を追いかけること=読む、というのは「黙読」でありまして、あくまで読むという行為の一形態に過ぎませんでしょう?
近世までは、文学作品でさえも、人びとは誰かが「声に出してきかせてくれる」ことによって享受していました。これは洋の東西を問わなかったはずだ、と考えておりますが、間違いでしたらご指摘下さい。いまは、「読む」ことは「聴覚を通じて」でも可能であるし、むしろそれこそが「読む」ことの原点ではないか、という前提を・・・何故かで屁理屈を並べ立てますと、そうでなくても冗長なこのお話がさらにダラダラしますので、今は無条件に受け入れて頂くこととしましょう・・・、「聴く」=「読む」という定理を、大げさにも大上段に構えて、先に進みます。なお、定理の証明は致しません。

ショスタコーヴィチの第5が<古典>たり得た理由は、他の<古典>同様、かんたんです。

・多くの人に受け入れられている
・受け入れられるだけの印象強いメッセージがある
・しかもメッセージの構造が、単純明瞭である

<古典>に内在する意味を辿るために、私たちはそれが生み出された時代背景を懸命に探ることがあります。ショスタコーヴィチの5番にしても、この方法は非常に有意義でもあります。
ですが、あとで時代背景については簡単に触れますけれど、深入りしない程度にとどめたいと思います。今回綴りたいことの中では,時代背景は「作品誕生当時」と「ムラヴィンスキー晩年当時」の2つを考慮しなければなりません。それも後で述べます。

<古典>である理由のうち、最初の一つは
「そんなことねえぜ!」
とひとこと言われれば潰えます。なので、これはそのまま肯定しておいて下さい。

2番目の、メッセージの点は、後に回します。

3番目の、メッセージの構造の単純さですが,これについては、今話題にしているこの交響曲が,冒頭に出てくるモチーフで全曲を決定づけているのを理解して頂かなければなりませんので,ちょっと聴いて頂きましょう。

全曲の幕開けである第1楽章冒頭のテーマは,次のようなものです。

これは、明瞭に、次の3つのモチーフに分割出来ます。それぞれのモチーフの名称は,私が勝手につけたものですが,その意味するところが、私のこの作品の読み取りかたには大きな意味を持っています。



第1動機に「悲しい衝撃の・・」という枕をつけましたけれど,これは、悲しければ何でもいいでしょう。私たちが出くわす「悲しい衝撃」は、実にさまざまです。ですから、まずかことさら大げさではないもの、しかし切実であるものにしておきましょう。
「空きっ腹で家に帰って冷蔵庫を開けた・・・すっからかんの空っぽだ! 何故!?」
・・・この「何故!?」のときに採るはずのあなたの動作が、そのまま第1動機の運動(烈しい上昇と下降)になっていることを体感頂ければ、私のお伝えしたいことが伝わったことになりますので,有り難く存じます。

第2動機は、空っぽの冷蔵庫から目をそらす。事実が認められない。
「昨日はまだ何かあったはずなのに。今日だって,だから、ないのはおかしい!」
・・・空っぽの冷蔵庫を、許せない

第3動機は大変短いのですけれど,最も重要な動機です。これは、衝撃を受けた瞬間には興奮して「何故!?」という2音節で上げた叫びが静まって,思考が脳ミソに移って来てくれる箇所です。歌詞もそのまま、
「な・ぜ・だ・・」
で宜しかろうと思います。

素材はこれで全部ではありませんが,ショスタコーヴィチはこの3つを最大限に活用して、交響曲第5番の全曲を仕上げるのです。

さて、これだけでも充分,「印象強く」なりましたでしょうか? なっていなければ、綴っている私の不徳の致すところであります。でも、お顔を見ながらお話し出来ていませんので,自身がないままに「印象を強く持って頂いた」ことを前提に,<古典>2番目の要件、
・受け入れられるだけの印象強いメッセージがある
に参ります。

典拠は確認していませんが、全音版スコアの解説(寺原伸夫氏)によれば、ショスタコーヴィチ自身が,第5の終楽章について
「この交響曲のフィナーレは,基本テーマに応じて第1楽章に課されたすべての問いにたいする答えである」
と述べているとのことです。おそらく、仕上がってからそう時間が経っていないうちに、当局もしくは初演者ムラヴィンスキーあたりの問いにたいして答えた言葉だ,と見なすのが,私にはしっくりきます。この言葉以上に作品の本質に触れた発言は,他には全く見当たらないからです。

実際,この交響曲は,最初の3つの動機を巧みに刺繍しながら仕上がっています。
その中で最も重要なのは,最も短い第3の「自問の動機」です。

「自問の動機」は、「タン・タン・ターン」というリズムを水平線で描くことで初めて顔を出すのですが,実は第1楽章ではすぐに第1ヴァイオリンに反転したリズム「ターン・タン・タン」という形で現れ(実際にはスラーですので弾むリズムにはなりません。ただし、このリズムの反転は先々重要です),見せかけ上のソナタ形式の第1主題となります。これがまた、冒頭の烈しさが嘘のように鎮まった第1動機「悲しい衝撃への直面の動機」を背景に歌われるところに、問いの輪郭が明確にならず茫然自失としている自己を鮮明に浮かび上がらせさえしています。
また、しばらく進むと,かなり高音のヴィオラで奏される第1動機の延長型の底で,「自問の動機」はもはや水平線を保てずに3度上昇〜2度下降の形で運動を始めます。:以上は分かりにくい説明ですが,ご容赦下さい。ご確認頂くしかありません。付言すれば,第1楽章を締めくくる「上昇する音階」は、第4楽章で示される「解答」で太い輪郭線を持つに至るのですが、この音階を上昇する運動もまた、「自問の動機」の発展型であることには留意しなければならないと思っております。

第1楽章は、「悲しい衝撃」が何故起こったのか,に対する起伏に満ちた問いかけで,それぞれがどんな問いなのかは作曲者の意思に関わらず、受け手が「何を問うか」を受け手自身の内部に求めなければならない,非常に厳しい作りをしています。この謎解きが出来ない人にとっては、ショスタコーヴィチの第5全曲が「無意味」な作品に過ぎないこととなるでしょう。

第2楽章の面白さは,全体が「自問の動機」の応用のみで出来上がっているところにあります。
「冷蔵庫が空っぽだっていいじゃないか! 何とかなるさ!」
内側には
「明日は飢え死にかもしれない」
という、強烈な悲痛を抱えながら・・・いえいえ、抱えているからこそ,大それたおふざけを展開して見せているのですけれど、それをよくよく観察してみると、自己に課された厳しい問いかけを如何にかわすか、を必死に探して宙を浮遊する、視点を定められずに迷い続ける目の動きが見えて来はしないでしょうか?

第3楽章は最初にけだるく頭をもたげるヴァイオリンの正体を見極めるところから理解を出発させる必要があります。
最初の3音は,第2動機「事実の拒否の動機」の反転型です。しかも、第1楽章の場合とは違い,切り込むような烈しいリズムでないところに意味深いものがあります。
「反転する」
ということは、現実に再度目を向けることを表しています。
「リズムがおとなしくなる」
ことには、直視することへの躊躇が現れています。
しかし、あなたは再び「すっからかんの冷蔵庫」を見つめなければなりません。
現実が見えた時,第1動機と第2動機がないまぜになったテーマがチェロに現れます。悲惨です。
「金もない,つてもない、銀行いったらブラックリスト!」
ここで、「自問の動機」は今までよりも強烈に,しかも、第2楽章で試みた「逃げ」を打つことも許されぬ重みを背負って悲鳴を上げます。

第4楽章で示される解答は,陳腐にいってしまえば
「こうなったら開き直るしかない。今からつるはしでも何でも握る。食い扶持を稼ぐしか、もはや道はない」
などというものになってしまいますので、悲喜劇的としかいえません。
とはいえ、おかしな話だとお思いになるかも知れませんが,「解答」は悲喜劇的なのだ,と受け止めるのは、おそらく間違っていないでしょう。
この第4楽章に顔を出す「自問の動機」が、過去の3楽章に比べてどれだけ決然としたものであるか、に耳を傾ければ充分なのでしょう。
その決意は,人様から見たときいかに滑稽であっても,自己にとっては生死のかかった,切実なものなのです。だからこそ、初めはヒステリックに,次には
「まあ、おれさま自身よ、そうカリカリすることもあるまい」
穏やかに自分に話しかけなおし,最後は恥も外聞もなく自分自身を謳歌するのです。

以上,冗談めかした比喩で全曲を俯瞰して来ましたが,あながち冗談で綴ったわけではありません。
これだけ卑近になりうるからこそ、本作品は<古典>である、と主張してみたかったための方便なのだ,と、お許し下さい。

で、とっておいた「時代背景」のお話を簡単に致します。

まず、作品が発表当時、何故多くの聴衆を惹き付けたか、です。
ショスタコ−ヴィチが第5を書いた当時は,スターリンが政敵の粛正を徹底した年でもあります。ショスタコーヴィチに身近だった被粛正者は、軍事上最高の地位にいたトゥハチェフスキーです。彼はショスタコーヴィチの最大の庇護者でもありました。
前衛芸術家も犠牲になりました。この中にはやはり、若いショスタコーヴィチを育成し,擁護し続けて来た劇作家メイエルホリドが含まれています。
そうした面々をあげるまでもなく,ショスタコーヴィチ自身の親族にも粛正の犠牲者がいました。なにより、トゥハチェフスキーと親しかったショスタコーヴィチ自身が,トゥハチェフスキーと近しかったそのことで命の危機にさらされていました。
いわば、ショスタコーヴィチは牙を剥いたスターリンの犠牲になった、あるいは犠牲になりつつあった人びとの象徴だ、と世間に見なされてもおかしくない環境下にいたのです。
そうした期待に反しない作品として、第5は熱狂的に迎えられました。熱狂的に迎えられることは,まかり間違えば,作曲者の身をさらに大きく刑場近くへと引きずっていく力を持っていたかもしれず,初演時には「成功にかえって血の気が引いてしまった」ショスタコーヴィチを身近な友人たちが慌てて民衆の前から隠した、ということもあったと、ファーイの伝記を読むとそれらしいことが記されています。

次に,初演を皮切りに、この作品と一生を共にした指揮者ムラヴィンスキーについて、です。
ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチが交響曲の初演を最も多く託した指揮者であり,二人の信頼関係の濃さについてはいろいろな人がいろいろなところで述べています。
しかし、ムラヴィンスキーは,第15番を唯一の例外として,ショスタコーヴィチの交響曲は自身が指揮者として初演に関わった作品以外は決して演奏しませんでした。かつ、初演したもの中でも,第9番については録音さえも残していません。

これはムラヴィンスキーという人と、彼によるショスタコーヴィチ演奏を考えるとき,案外重要なキーではないか、と、私は最近思うようになりました。
そうすると、第9の録音をしていないことも,第13(バビ・ヤール)、第14(死者の歌)には一切関わらなかったことも,また第4以前について振り返る,という事業を成すことがなかったことも,作曲者ショスタコーヴィチとムラヴィンスキー自身の伝記を付き合わせたときに、とても合理的に説明がつくような気がするのです。
・・・ただ、その話は,いまは避けておきます。確信を持つだけの材料は、まだ揃えてもいませんから。

ショスタコーヴィチのCDについて一番信頼出来る寸評を書きためていらっしゃるふるたこさんが、ムラヴィンスキーの第5の録音の中で第1番目に推しているのが,1982年、モスクワ音楽院大ホールでの録音です。
これは最近まで、私のようなショスタコマニア後発組には幻の録音でした。
それが、最近,ドリームライフで発売になりました。(DLCA 7017)

ムラヴィンスキーの録音については昨年の前半に触れましたが,82年盤は、聴いてみると、ふるたこさんのおっしゃるように、やはり特別な録音だな,と感じました。
ただ、以下は私の受け止めかたです。

2年後の1984年の録音では,それまでの緊密さがウソだったかのように、アンサンブルが崩れています。このことは、先のリンクの記事で簡単に申し上げています。
気になったのは,82年盤に,既に「崩れ」の兆候が見えることです。第1楽章にアンサンブルの乱れが目立つ箇所がありますし,その他の箇所でも73年東京ライヴからは信じがたい、緊張の崩れがあります。
ですから、緊密さ,という意味では、82年盤はベスト演奏ではありません。

ところが一方で,82年盤には、ほかでは聴き取れない、印象の強い特徴があります。
もっともはっきり分かるのは,第1楽章と第2楽章の「間」です。
第1楽章が終わり,客席はコンサートではお決まりの咳払いの渦となります。
ところが、それが納まるのを待つ,でもなく、しかも、咳払いが起こった事自体を無視するかのように,ムラヴィンスキーは第2楽章へ突入してしまう。お客が慌てて咳を飲み込む、その喉の音までが聞こえてくるような厳しさです。
その他,ムラヴィンスキーが、それまで採って来た解釈を一層誇張している箇所は枚挙にいとまありません。演奏者個々の力量が9年前に比べると上がっているとみえ,
「これがあの冷静なムラヴィンスキーという人の指揮下の演奏なのか」
と耳を疑うほど・・・ロジェストヴェンスキー式の誇張を思わせるほどに、それらはやはり、厳しい「気」を持っています。

楽団員とムラヴィンスキーが,まるで闘争しているようで、指揮官はしかし、最後の光芒を放っている・・・そんな、痛切な色が、白地のシャツの下からにじんでくる血のように浮かび上がって来ます。

82年から84年にかけて、ムラヴィンスキーに,レニングラードフィルに,一体何があったのでしょうか?
残念ながら,これについては私のような資料探りの範囲の狭い人間には、まだ伺い知ることが出来ません。


なんだか、とんでもなく長くなってしまいました。お読み頂いてありがとうございました。

冒頭のモチーフの演奏は、ムラヴィンスキーの1973年東京ライヴのものです。
このモチーフの、もっともショスタコーヴィチの精神に忠実な演奏は、私の聴いた範囲ではコンドラシンの「ショスタコーヴィチ交響曲全集」に収録されたものです。単体での発売がないのが惜しまれます。(上記記事にリンクがありませんが,最近、装いを新たにして再登場しています。)

もう一点,付け足すことをお許し下さい。
家内の死を通じて,この作品は,私にいっそう身近なものになりました。それほど、生きるということに対する直裁な、明解なメッセージが、この交響曲には描かれています。

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2007年2月23日 (金)

モーツァルト:ウィーン旅行後の交響曲〜小ト短調とハ長調

さて、第3回ウィーン旅行からザルツブルクへ帰ってきてからの交響曲(シンフォニー)ですが・・・とくに小ト短調として有名な通称第25番について、まだ触れられるだけ充分に納得がいく材料を持ち合わせていません。が、触れてしまわないと私自身が先へ進めない。ジレンマですけれど、行ってみましょう!

前回とは逆に、先に概要を見ておきます。

K.183 ト短調(25番)〜10月5日
(モーツァルト初の「短調交響曲」
第1楽章:Allegro con brio 4/4 214小節 Codaを有す
第2楽章:Andante 2/4 (Es) 72小節
第3楽章:Menuetto 36+22小節
第4楽章:Allegro 2/2 194小節 Coda有す

K.200 ハ長調(28番)〜11月(?、疑義あり)
第1楽章:Allegro spiritoso 3/4 173小節 (Coda有す)
第2楽章:Andante 2/4 (F) 91小節 (Coda有す)
第3楽章:Menuetto allegretto 42+20小節
第4楽章:Presto 2/2 190小節


ハ長調K.200は、小ト短調とイ長調(第29番)のあいだに挟まれ、流通という面では少々不遇な作品です。
かつ、使用モチーフも、第1楽章は前年書かれた同じハ長調という調性を持つK.128の焼き直しだと分かるほどに似ており、安定感という意味ではずっと成長を遂げているにもかかわらず、聴いてもスコアを見ても陰が薄い存在でもあります。
ただ、さすがに後から書かれただけあって、新工夫もあります。
ブルックナーならそれが版の違いとして現れるところですけれど、モーツァルトは別にもう一つ作っちゃった、というかたちで現れているので、かえって分かりにくくはあるでしょうね。
目立つところだけに言及するなら、終楽章は「パリ」の終楽章に通ずる手法がとられているのを特筆すべきでしょう。それより前の3つの楽章には、まるきりの新工夫はないものの、これ以前のモーツァルトに比べれば「技術」が「音楽」の背面へと上手に顔を隠し始めているのを感じます。
作曲時期が1773年中だったのか翌年なのかは、疑義ありとはいえ、あまり問題にならないと思います(ベーレンライターの交響曲のみの全集では、スコア上は「1773年11月?」としてありますが、解説は独語原文も英訳も「1774年11月」となっています。NMAの緒言およびコンラートの表上ではスコアと同じ「1773年11月?」となっています。74年11月では29番より後という事になってしまいますが、25番と29番の作曲技法上の差を考慮すると、やはりこれらの作品の中間に書かれたと見なすべきかと思います)。ウィーンで経験した何らかの「開眼」が、25番、29番と同様に反映され、成人以後のモーツァルトに繋がっていく、という面から、他の2曲と1セットとして考えておくべきなのは、以上のことからも明らかです。


で、問題は、小ト短調25番のほうです。

読み解いてみようとすると、大きく二つの課題に直面します。

・(伝記的・人格的側面)〜これまでの交響曲にないト短調という調性で、しかも激情的かつ色彩に富む作品を創作した経緯はなんであったのか?

・(様式的側面)〜4楽章形式はウィーン滞在時に受けた影響に基づくと考えて差し支えなさそうではあるが、それはこの作品の演奏時にどのように反映するのが正しいのであるか?(とりわけ、前打音の長さの問題)

最初の方から検討してみましょう。

1773年という年、ウィーンの音楽事情に大きな影響があったかと考えたい「事件」を、一つだけあげます(もっとも、他は知らないからひとつだけ、なんですが)。
時の女帝マリア・テレジアの動向です。
彼女はこの年9月、劇場の新造が成ったエステルハージ家を訪れ、滞在しています。
言うまでもなく、ヨーゼフ・ハイドンの活躍のさなかのことです。
この滞在中、女帝はハイドン作のシンフォニー(マリア・テレジア)による歓迎を受け、この楽長のオペラ(これは残念ながら、ドラティが精力的に取り組んだハイドンのオペラ集には録音が含まれていない作品です)、を楽しみ、たいへん満足をしています。
したがって、音楽面に限って言えば(政治史的にはそんなに単純ではないのですけれど)、女帝は事前にハイドンの力量や評判をあるていど知っており、それなりに高い評価を胸にアイゼンシュタットのエステルハージ邸へ向かったのではないか、という推量は、そんなに的外れではないものと思います。
であれば、女帝のお膝元であるウィーンでは・・・事実は窺い知ることは出来ませんが・・・女帝の出発前から、音楽上のハイドンフィーバーのようなことがあったとしてもおかしくはありません。であればきっと、ウィーンではこの年、盛んにハイドン作品が「私演」されていた可能性は高いと思います。

ハイドンはこの年までに、都合4つの短調交響曲を作り上げており、そのひとつにト短調交響曲(1768年作?)があります。このト短調交響曲は4本のホルンを用いていて、モーツァルトの25番と同じです。こうした楽器編成から、モーツァルトの小ト短調交響曲はハイドンのト短調交響曲を継承したものだ、と、ランドンなどはみなしていたりして、ハイドン交響曲全集のスコアにさらりとコメントを残しています。

調性と楽器編成については、それで良し、と思っておきましょう。
しかし、曲想上は、モーツァルトの小ト短調では、ハイドンのト短調の音楽は終楽章には受け継がれているかと思われるものの、第1楽章の強烈なシンコペーションはハイドン作品側では「ラメンタツィオーネ」(1768作?)の第1楽章と類似しています。緩やかながらどこか厳かさを湛えた第2楽章も、やはりハイドンの「ラメンタツィオーネ」もしくは「受難」(1768作)の緩徐楽章の雰囲気を受け継いでいるように思われます。参考までに、「ラメンタツィオ−ネ」をお聴き下さい。
(比較のためには採用されているテンポは遅めですが、ご容赦下さい。)

アンタル・ドラティ指揮ハンガリーフィル


自分にとっても煩雑ですので、音楽の内容面での追究はこの例示で終えておきますが、ハイドンの「受難」および「ト短調」との関連性についてご興味のある方は、それらの作品との聴き比べ、スコアの見比べもなさってみて下さい。
考慮しなければいけない点は、おそらく二卵性双生児として誕生した「ラメンタツィオーネ」は復活祭のために、「受難」はソナタ・ダ・キエザ(教会ソナタ)として書かれている事実です(中野博詞「ハイドン交響曲」春秋社2002 63頁参照)。これは、宗教行事のために教会で演奏されたはずである事を示しています。それがどの程度の「流通」を見せていたかは分かりませんが、5年前のこれらの作品が、ハイドンの高い評判により、ハイドンの膝元であるアイゼンシュタットを超え、ウィーンの教会でも好んで演奏された可能性を示唆してはいないでしょうか? であれば、モーツァルトにもこれらの作品に、単に楽譜の上でだけではなく、音響として接触する機会が充分あったと考えても不自然ではありません。

なお、ランドンはハイドンの交響曲全集スコアの緒言で、彼のト短調がヴァンハルにも影響を与えていると述べていますが、いまだに解明され切っていないこの流行シンフォニストのト短調交響曲のCDは取り寄せに時間がかかり、楽譜となると素人の入手はまだまだむずかしいので、こちら(リンク先)のブログで勉強するしかなさそうです。・・・ただ、耳に出来た限りのヴァンハル作品の響きからは、彼はモーツァルトに影響を与えた人物ではなかったように感じます。

二つ目の「演奏様式」問題ですが、4つの楽章を総合的に考えたとき、モーツァルトの小ト短調にはハイドンのオーケストレーションにはない独立したファゴットが、第2楽章の色彩を決定づけている点を踏まえておく必要性が認識されます。これは決定的です。
ハイドンにおいては「ラメンタツィオーネ」は3楽章形式でした。「受難」は4楽章形式であるものの、これは第1楽章を例外的にAdagioとした結果であって、独立してこそいるものの、これは第2楽章の序奏と見なしてもよかろうかと思います。すると、のこるト短調がモーツァルトと出会った演奏の場所と同類の会場こそが、モーツァルトの小ト短調にもふさわしい、と考えるのが妥当かと思われるのです。
が、ハイドンの側からすると、ト短調も「ラメンタツィオーネ」も「受難」も・・・推測の域を出ないとは言え・・・同じ時期の作品なのです。こうなると、「ラメンタツィオーネ」と「受難」がともに教会向けだと考えられる事と、そうなると残ったト短調は教会以外のためだったとは考えにくいということとが、思考に葛藤をもたらします。
とはいえ、ファゴットの独立という、モーツァルト側だけにみられる特徴にあらためて着目するなら、モーツァルトがハイドン作品から受け止めたのは「演奏の場」よりも「音楽の内容」であって、それをファゴットを用いる事でこの若者なりに深めたのだと推測すれば、場の問題は白紙に戻してもよいのかも知れません。・・・それが教会以外の場所だった、とは断言出来ませんが、教会で演奏するには、こんにちの常識的な観点からでは、25番はあまりに激情的です。
また、第1楽章第2主題で特徴的な前打音は、少なくとも
・8分音符の音価で
・16分音符の音価で
・32分音符の音価で
の3通りの演奏がなされていますが、どれが正解か、という決め手はあるのでしょうか?
主観に求めるならば、「32部音符で」が、ロマン的演奏には一番しっくり来ます。私個人の好みでも、そうです。
が、おそらく、これは、主観からもたらされた結論である以上はハズレだとおもいます。
当時の記譜の約束事から検討し、かつ28番(K.200)の前打音の奏法を勘案すると、正解は最初のものであろうと思います。2番目のもの、と考えるには、この前打音の記譜が短前打音で良い、という根拠はなかろう、と思います。
ただ、32分音符の音価で、という結論が不正解だとしてもなおしっくりくる理由は、第1主題後半部の、烈しいオクターヴ上昇後にくる「(カタカナにすると恥ずかしいですが)ティラリータッタッタ」という音型の「ティラ」の部分が32部音符であり、それ故に、第2主題の前打音を32分音符にしてしまうと、おそらくはモーツァルト自身意識だにしなかった緊密な音楽展開となり、高い効果があがるから、です。
後期ロマン派以後の「新潮流の」演奏伝統がもたらした「けがの功名」だと見て差し支えないでしょう。

ちょっと、分かりにくい稿となってしまいました。
お詫び申し上げます。

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2007年2月20日 (火)

音は自然に寄り添うものだ

さっき、家内が妹の夢に出て来たのを聞かされてから、私がどうしてもおとといの悪夢から覚めていない胸の痛みが蘇ってなりません。
ですので、どうしても綴っておかなければならないと思いました。

自らアンサンブルをなさるかたには、どうか、知っておいて頂きたいと存じます。

ランスロットさんのブログに、ボロディン弦楽四重奏団の名演が紹介されています。
本当は同じ演奏の終楽章の方が強烈な印象を受けるのにうってつけなのですが、注意して聴けば,この記事の第3楽章(ノクターン)でもよく分かることです。

音程とニュアンスは・・・彼らは厳しい練習を経ていますので、ある意味では人工的要素も強く,アマチュアには必ずしも参考にならないのではありますけれど・・・音楽を演奏するにあたっては,本来、この例のように、お互い無意識的に、かなりぴったりと「寄り添う」ものなのだということを、頭脳ではなく,感覚でもなく,心から理解をして頂きたい。

音程・ニュアンス(フレージングやアーティキュレーションを包括的に捉えて、の意味合いで)が揃えられないタイプのかたは,大きくは二種類いらっしゃいます。

・自分の感覚に「無意識的に」頑固であり,かたくなである
・自分の感覚を総合的に捉えられず、つねに浮遊した演奏をする

ご自身がどちらに当たるかを、お見つめになったことはありますか?

私は,長い間前者でした。

このタイプの最大の欠点は,
「自分の設けたものさしによる音程の高低、歌のニュアンスに拘泥し,総合的な設計が出来ない」
「隣人を本心から理解することは決して出来ない」
ことでしょう。

後者は「万年初心者」を自覚する方にご用心頂きたく存じます。
万年初心者、という言葉自体が一種の虚構です。何年も弾いて・吹いているのに確固とした輪郭の音を出せないのは、初心者のままだから,ではありません。「どうすればいいか」を自らに向けて見つめる姿勢が欠落しているためです。

いずれの解決策も,言葉で表せるモノではありません。
洋楽の分野に置いてはおそらく、日本の音楽学校では教えてもいないだろうし,教える力を持つ方も少ないのではないか、と危惧もしております。
邦楽の場合は、さすがに自国のモノだけにきちんとしているので、非常に残念です。
音楽を専門に学んで来たはずの人のほうが余計に理解出来ていない、というケースを数多く目に・耳にしなければならないことは、大変悲しむべきことです。

「合う」という感覚を理詰めの説明でしか理解出来ない方には,「合う」という喜びを見いだすことは永遠に不可能だと断言します。自然に寄り添うことのない音の中にいても苦痛でない人が、どうして、自ら歌に自信があったり楽器に自信があったりする人ほど少なくないのか・・・何故,自信を、あるいは自信のなさを、いったん無にしてみようとお思い頂けないのか,私には悔しくてなりません。

をお聴き頂いておきましょう。

さらに、 (2月23日付記)。ただ、これ単体では「なんだ、悪くないじゃない」と言うふうにお聴きになる方もいらっしゃると思います。総体が見えないと問題点が把握して頂けないと思います。・・・典型例はLPでは持っていたのですが、いまさらCDを買うのもどうか、と思いましたので、これにてご容赦下さい。

その上で、時間を掛けてご熟考頂けますよう、とくに演奏をなさる方には心からお願い申し上げる次第です。

演奏の正体は、とりあえず伏せさせて頂きます。

今回は僭越を綴っているので恐縮ですが、それだけ悲しみが深いのです。お許し下さい。
家内を失ったこと以上に悲しいです。

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2007年2月19日 (月)

コルンゴルト 神童の冒険

Korngold良く覗かせて頂くYASUさんのブログで、この作曲家の存在を知りました。
彼の伝記と代表作を1枚に収めた贅沢なDVDを見つけ、さっそく(数日かかりましたが)見てみました。

「コルンゴルト 神童の冒険-ポートレートとコンサート-」

これは、落としてはならない作曲家だ!
収録されたチェロ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲と2つのピアノ小品集からの4曲は、どれも美しい響きを持っています。

しかも、生誕110年、没後50年。
あわてて、『記念年リスト』に加えました。

彼の生涯、19歳で作った代表作オペラ『死の都』については、YASUさんの記事が大変分かりやすく、お奨めです。そちらを是非お読み下さい。

『死の都』は今の私には見るのが酷だろう、というYASUさんのご忠告で、先にこのポートレートに手を出しましたが、ドキュメンタリー、コンサートの演奏とも見事で、よい買い物をしました。

ドキュメンタリーでは、若年からの栄光と晩年の挫折の対照が私の心には強く響きました。
最後の場面でのアンネ・ゾフィー・フォン=オッターの歌唱も見事です。こちらは独立したDVDも出ています。

コンサートでの二つのコンチェルトの演奏は、ソリストがどちらも

「弦楽器はかく力を抜いて演奏するものである」

ことをよく体現していますから、奏者は参考にすべきです。ただし、チェロの方はとても美人さんなのに、時々何を思ってか額をシワシワにして弾いたりして、美貌を台無しにしています。音楽の主要な文脈とは関係のないところでそれをやってしまっているのが、少し残念です。歳を重ねて、そういう癖から脱したら、とてもいい独奏者になるでしょう。

指揮者ヒュー・ウルフ氏は某国の前首相K泉さんにソックリで、顔を見ていると面白い。

オーケストラ(フランクフルト放送響)の弦楽器が大映しになると、その楽器の出身地も何となく見えて来て、楽器好きの方にはそういう楽しみも提供してくれます。オーケストラの弦楽器は、見る限りボヘミア系が多いような気がします。ソリストは、チェロがフランスもの、ヴァイオリンがイタリアかな? 以上ははずれているかもしれませんので、まあ、見てのお楽しみとして下さい。

『死の都』と対をなす内容を持つ『ヘリオーネの奇跡』というオペラの存在も知りました。
これは映像が出ていませんが、CDがあります。いずれじっくり鑑賞してレポートしたいと存じます。

YASUさんに心から御礼申し上げます。

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2007年2月18日 (日)

2月18日練習記録

本日はショスタコーヴィチ5番の分奏でしたが、
菊地先生 〜前半:管、後半:弦
アホのken 〜前半:弦、後半:管
ということで、先生のご指導の方を目耳にしておりません。
この場で特に、弦の方で本日ご面倒・ご負担をお掛けした林さんに心から御礼申し上げますとともに、皆様には、本日のまとめが出来ませんことをお詫び申し上げます。
総合的な内容は、今日お越しでなかった皆さんには各パートのトップのかたから伝達下さいますようお願い申し上げます。先生の練習の方の内容は、私にも教えて下さい。

共通項として私の申し上げられる範囲のことを若干記すにとどめます。

・気配を感じあうコミュニケーションを大事にして下さい。
 「アンサンブル」をして下さい。
 先日、北爪利世さんの言葉をご紹介しました。
 それだけでも覚えておいて頂ければ幸いです。

・自分の出している音にも、よく耳を傾けて下さい。
 自分を知る、ということが、人間、最も難事業です。
 一生続くものだというご認識は、どなたにもおありだとは存じます。
 問題は、「どう続けて行くか」です。
 自分が分かってこなければ、他人をいつまでも知ることが出来ません。
 ですから、他人を知ることが出来た、と分かる瞬間を求めれば、
 見えたときには自分自身のことにも目が開けるでしょう。
 (これは、いま、自分自身にも言い聞かせているのです。)

以上、2点です。

なお、ショスタコーヴィチの5番が誕生した経緯は、本当はそのつもりは無かったのですが、弦のかたたちにはお話を致しました。
ですが、お話しただけではイメージ程度しか思い浮かべて頂けないでしょうから、是非、伝記や現代ロシア史、および先立って作られた交響曲第4番がどういう曲だったかをご理解頂ければ宜しいかと考えております。
ついでながら、弦分奏で、とくに内容はこうなんですよ、とお話しなかった第3楽章は、種明かしをひと言だけしておきますと、
「自己の深い喪失感の再発見」
です。

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2007年2月16日 (金)

おもふ思のおもがわりせで(1)

<定家関係記事> 千載和歌集:123456789 後白河法皇:1234 松浦宮物語:1234 六百番歌合:123 仁和寺宮五十首:123 (空白期):123 正治二年後鳥羽院初度百首:123 千五百番歌合:

「六百番歌合」について綴ってから、またもやだいぶ時間があいてしまいました。

定家は正治二年(1200)八月、後鳥羽院の「初度百首和歌」に詠進することによって大飛躍を遂げることとなるのですが、今見ていく建久年間の時点では、まだ数年先のことです。
人間は往々にして、記念碑的な業績でのみ自他を強く記憶します。けれども、そこに至る地味で長々しいだけの時間のほうが生きている意味に占める割合は高いのであって、それに比べれば、記念碑などというものは、所詮は生の営みの断片に過ぎません。

「六百番歌合」の歌を召される前、定家は母の死に遭遇しています。建久四年(1193)二月、定家三十二歳のおりのことで、この年の秋には父・俊成と、母の死をめぐって歌の贈答をしています。この贈答そのについては、様々な人がその心の深さを云々しているにもかかわらず、とりたててのものではないかと思います。むしろ、母の死を通じて、定家の想いがじわりじわりと切り刻まれ、ヒビだらけになる・・・そこへまた、天から慈雨が降り注ぎ、思いの裂け目に初めは淡く緑が芽吹き、徐々に濃さを増していく。こちらについてよく見ておいたほうがいいのではないか、とも考えます。

母の死そのものについても、その後の心の移り変わりについても、残っている限りの「明月記」中には何も語られていません。ですが、「六百番歌合」で既に芽吹いている彼独自の耽美的な詠歌法が、この時期から「新古今」時代に向けて着々と徹底されていくのを眺めるのは、思いのほか壮観でもあります。
定家の編纂した自作歌の集成「拾遺愚草」中に具体的に残っているのは「「建久七年九月十八日 内大臣家 他人不詠」の書き入れのある「百二十八首和歌」、二年後の夏の「仁和寺宮五十首」だけですし、堀田氏「定家明月記私抄」によっても他に数首あるだけらしく、堀田氏はこの時期の定家について
「とても本職の歌人とはいえない」
状況下に置かれていた、とみなしていらっしゃいますけれども、「百二十八首和歌」と「仁和寺宮五十首」の歌ぶりの違いを目の当たりにしますと、この時期あまり外的な歌作活動をしていないことが、定家にとってはむしろ幸いしたのではないか、と、感じられてなりません。

1・23

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おもふ思のおもがわりせで(2)

この時期の定家の作歌が少ないのには、政情と主家である九条家の動向との関係が反映しています。

建久年間から正治元年にかけては、源平合戦の終結・鎌倉幕府の成立(おそらく、こういう紋切り型の要約は当時の人々の時代感覚とは合致していないはずです)後の、新たな世情不安が、歴史の子宮の中でもぞもぞと動き出している期間です。この不安が、まさか承久の乱の年までという長きにわたって成長しつづけることになるとは、まだ誰も・・・乱の当事者となった後鳥羽上皇も北条義時も・・・想像だにしなかったでしょう。

関東側の視点で、「吾妻鏡」から、主だった事件で興味深いものだけを、ざっと拾ってみます。

・建久四年五月~頼朝の富士の牧狩のさなかに曽我の仇討が発生
・同年八月に頼朝の弟、範頼が、十二月にはやはり有力親族の安田義定が失脚
・正治元年、頼朝没(「吾妻鏡」記事欠落)
・同年十二月、頼朝の股肱の臣、梶原景時失脚。翌年正月、追跡され敗死

頼朝没の前後の事件は、クーデターの匂いを漂わせています。
曽我兄弟は仇である工藤祐経を討ってしまえばそれで用済みのはずなのに、さらに頼朝の幕営を襲撃しようとしています。
引き続いて起こった範頼の失脚の際には鎌倉の重鎮だった大庭景義や岡崎義実が出家したりしています。
梶原景時の失脚と敗死は頼朝の死から一年も経ていないときの事件です。

これらの出来事から伺われるように、関東側では、平家亡き後の新体制を求めて、顕在的にも潜在的にも、自分たちの立場固めへ向けての政変欲求が渦巻き始めていました。

そのあおり、と考えられるのが、京側では建久七年十一月に起こった定家のあるじ九条兼実の関白解任劇で、九条家は以後数年間、陥れられた谷から這い上がれないことになります。
当然のごとく、定家も公式の場で詠歌する機会をうしなうこととなったのでしょう。

123

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おもふ思のおもがわりせで(3)

「明月記」には、現代の目からは重大に見える主家の失脚事件に触れた記事が全く残されていません。
(ついでながら、関白を解任された兼実当人の日記である「玉葉」にも、残っていません。)
野次馬根性の人一倍強かった定家のことです、残っていない部分の記事が今後もし再発見されれば、そこには面白いことがかいてあるのかもしれません。ですが、私としては、
「主家の一大事を記事に留め、後人の目に触れさせることは甚だ不都合である」
定家がそのように判断していっさい記事を書かなかった、と信じたいなあと思っています。それくらいの優しさは、定家にはあったのではないか。。。
それというのも、自身が不遇であったはずのこの時期になお、定家は「明月記」の数箇所で、親しかった人や、友の兄の死を、心の底から悼んでいたりするからです。

さて、三ヵ月後の兼実失脚などまだ思いもよらない建久七年九月に定家が九条家(内大臣家~内大臣は兼実の息、良経)に詠進した百二十八首和歌は、
・春16首 ・夏12首 ・秋20首 ・冬16首 ・恋16首 ・述懐16首 ・山家16首 ・旅16首
という構成です。
それぞれの部が一連の詩として読みえるほどに見事なつながりを見せていますが、個々の歌となると、どちらかというとまだ父の俊成に近い、おとなしくて雅びたものにとどまっています。そのためでしょう、この百二十八首和歌から「新古今」に選び入れられた歌は、1首にとどまっています。

一方、沈潜の時期であったはずの二年後に詠まれた「仁和寺宮五十首」からは、「新古今」に6首の歌が採られることになります。しかも、それらは定家の代表歌といって差し支えないものばかりです。
「仁和寺宮五十首」の各歌相互の詩的連関については堀田氏が「定家明月記私抄」で素晴らしい例示をなさっていますから、そちらをご覧頂くとして、今回はこの五十首から採られた新古今の歌を見て頂くことで、いったん終えておこうと思います。

 おほ空は梅のにほひに霞つつ くもりもはてぬ春のよの月

 霜まよふ空にしほれし雁がねの かへるつばさに春雨ぞふる

 春の夜の夢のうき橋とだえして 峯にわかるる横雲の空

 夕ぐれはいづれの雲のなごりとて 花たちばなに風の吹らん

 わくらばにとはれし人もむかしにて それより庭の跡はたえにき

 こととへよ思おきつのはまちどり なくなくいでしあとの月影

123

Book 定家明月記私抄

著者:堀田 善衛
販売元:筑摩書房
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2007年2月13日 (火)

耳を傾けるべき、古参クラリネット奏者の忠言

40年くらい前、物心ついた私がオーケストラ好きになった当時は、オーケストラというものはいつも
「ホルンがとちる」
「クラリネットがキャッという」
が日常茶飯事だったのを覚えています。

そのころ活躍なさっていた名クラリネット奏者、北爪利世さんの回想をまとめた
「北爪利世の『クラリネット、我が人生』<音の終わりを大切に>」
という本が、近藤滋郎氏の編で音楽之友社から出ています。

奏法に関する直接的なコメントよりは、演奏に臨む「精神」を柔らかなお言葉で語っていらっしゃり、大変興味深く拝読し、ノートに抜き書きしておきました。

今回は、その中から幾つかをご紹介します。
まず楽譜を読めたとする・・・北爪氏は語ってはいらっしゃいませんが、お話はそれを前提として進んでいるのだということを、念頭に置いてお読み頂ければと存じます。

「プロになるために楽器をやるというのは間違っていると思います」(50頁)
・・・すなわち、楽器への取り組みは、楽器という道具を使うにあたって、音楽と道具の関係につき虚心に取り組むことから始まる・・・

「アンサンブルと同時に(アルヴィド)ヤンソンスが口を酸っぱくして言ったのが、『最初と最後の音をていねいに、きれいにしろ』ということでした。」(98頁)

「クルト・ヴェスの指揮でブラームスの<交響曲第1番>をやったときです。第三楽章はクラリネットで始まりますが、なんとシェフトラインのオーボエで始まったんです。途中からクラリネットが入ってきましたけど、おかしなことがあると思って後で一緒に演奏していたホルンのバーチ(千葉馨)に聞いてみたら、アイヒラーがちょっと出損なったのを感じたシェフトラインが、とっさに代わって吹いたということでした。バーチも『あれは凄かった』って言ってました。オーボエはクラリネットの前に座って吹いていますから、まったくの気配だけでとっさに吹き始めたわけです。」(143頁)

「・・・二番には一番にはない難しさがあります。/ふつう二番奏者の音というのは、聴こうとしなければ聴こえません。でも聴こうと思えばちゃんと聴こえます。ニ番奏者というのはそういうもので、無ければいけないけれども、ありずぎてもいけないのです。・・・合わせることを知りぬいた二番吹きがいるからオーケストラ全体が引き立つんです。」(147〜148頁)

で・・・きわめつけは
「不思議なのは<キャッ!>を出さないで無難にできたときにはあまり誉められませんでした。<キャッ!>があっても『今日は良かった』と言われることが良くありましたし、<キャッ!>をやったのに、演奏後も立たせてくれたヨッフムのような指揮者もいます。<キャッ!>だけが演奏の善し悪しの基準にはなりません。」(139〜140頁)

北爪さんのお話の意味を、少しお考え頂ければ幸いです。
「音楽を歌う、奏でるに際して一番大切なことは何か。それがオーケストラやアンサンブルという中ではさらにどのような付加的条件を課されるか」
について、以上に必要充分な条件を集約的に述べていらっしゃることに、お気付き頂けますでしょうか?

歌唱・演奏に向けての姿勢は、以上が基本ではないか、と、私も最近切に感じます。
それがどれだけ難しいことかは、ルイ・グレーラーさんのご著書のタイトル
「ヴァイオリンはやさしく、音楽はむずかしい」
にも、また端的に示されています。グレーラーさんのこちらの本はお読みになった方も多いのではないでしょうか? 私は3度立ち読みして、固有名詞は別として、ほぼ内容は覚えることがで来ましたので・・・いまだに未購入なのですけれど、素晴らしい良書です。



音の終わりを大切に―北爪利世の「クラリネット、わが人生」


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2007年2月11日 (日)

第3回ウィーン旅行前のザルツブルクシンフォニー

1773年に始まるザルツブルク時代にモーツァルトが書いた9つの交響曲は、父の手で1冊に綴じられました。19世紀の所有者にちなみ「クランツIII」と呼ばれたこの冊子は、1987年まで原形を保っていましたが、現在では最後の1曲が切り離されてウィーンの個人の所有となり、他はニューヨークのコレクターの手元にあるとのことです(Baerenreiter Urtext MOZART Yhe Symphonies Vol.III 解説 XI頁)。

9曲のうち7曲までが1773年のうちに作られています(K.162, K.184, K.199, K.181, K.182, K.183,K.200〜ただし疑義あり。概要でも触れませんでした)。続くK.201(有名なイ長調)は翌74年、K.202は75年の作です。その後は1778年に「パリ」交響曲を書くまで、モーツァルトはこのジャンルを手掛けていません。弦楽四重奏曲ほどではないにしても、空白の3年間の存在は興味深く思われます。

さらに、1773年の7曲も、ウィーン旅行に出かけた前後では形式に大きな隔たりがあります。
すなわち、旅行以前の5曲(最後の曲のみウィーン滞在中)はすべてイタリア風の3楽章であるのに対し、帰郷後の2曲は第3楽章にメヌエットを置いた4楽章構成となっているのです。
これによって、「ウィーン」の精神が彼にもたらしたものの大きさを、私たちはウィーン弦楽四重奏曲を挟んで強烈に印象づけられることとなります。
帰郷後の2曲のうちのひとつは、名高い「小ト短調交響曲(第25番)」ですので、帰郷後の交響曲については今回は含めずに観察しましょう。

この年の作ではないか、と考えられている「シピオーネの夢」序曲の交響曲稿については、省きます。

ウィーン旅行前の5曲について、構成と際立った特徴を掲げておきます。

K.162(ハ長調)第22番
オーボエ2、ホルン2、トランペット2、弦五部
(ティンパニがあってもおかしくないのに入っていない、との話もあります)
I. Allegro assai 4/4 135小節
II. Andantino grazioso(ヘ長調、トランペット無し) 2/4 70小節
III. Presto assai 6/8 116小節
*第1楽章・第3楽章が似た開始部を持つことで、統一感の強い作品になっています。

K.184(166e)(変ホ長調)第26番 
フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、弦五部
I. Molto Presto 4/4 135小節=アタッカ
II. Andante(ハ短調、トランペット無し) 2/4 70小節=アタッカ
III. Allegro 3/8 236小節~クリスチャン・バッハ風
*中間部にあたる第2楽章は、用事が夕暮れ道に迷って途方にくれたような雰囲気です。

K.199(162a)(ト長調)第27番
フルート2、ホルン2、弦五部
I. Allegro 3/4 146小節~伸びやかで、やはりクリスチャン・バッハ風
II. Andantino grazioso(ニ長調) 2/4 99小節
III. Presto 3/8 323小節~クリスチャン・バッハ風
*第3楽章で、声部(楽器)を徐々に増やすことで生まれるクレッシェンド効果は、新工夫。
  他作曲家からの影響関係を調べてみたいところです。

K.181(166b)(ニ長調)第23番
オーボエ2、ホルン2、クラリーノ2、弦五部
I. Allegro spiritoso 4/4 181小節=アタッカ
II. Andantino grazioso(ト長調、トランペット無し) 3/8 88小節=アタッカ
III. Presto assai 2/4 166小節~マーチ風の、1拍目のウェイトがクッキリした楽章。
                    モーツァルトの独自性が他作の第3楽章より際立っている

K.182(166c)(変ロ長調)第24番
オーボエ2(第2楽章でフルートに持ち替え)、ホルン2、弦五部
I. Allegro spiritoso 4/4 146小節
II. Andantino grazioso(変ホ長調)2/4 60小節
III. Allegro 3/8 132小節~クリスチャン・バッハ風

また、全体に共通する特徴をまとめますと、

1)五作品とも、冒頭が主和音の連打、もしくは分散和音で始まっている
2)2作が切れ目無しで演奏される〜歌劇の序曲(シンフォニア)的
3)第2楽章をAndantino graziosoとしたものが5曲中4曲を占める
  ・・・しかも、graziosoという言葉が大袈裟ではないかと思うほど、素朴で親しみやすい
4)K.184(平行短調)、K.199(属調)以外の第2楽章は主調の下属調となっている
5)トランペット、あるいはそれに近い楽器が3作で活躍するにもかかわらず、それらにはティンパニが含まれていない
6)フルートも3作で活躍する

となります。

とくに第1、2番目がめを引きます。

1番目の特徴は、5曲全てが類似した雰囲気をもつ結果をもたらしています。

2番目の特徴からは、次のようなことが考えられます。
これら5作は、イタリア帰り直後なので「イタリアで既に注文されていたのではないか」と推測されるのが一般的ですけれど、切れ目無しの2作は、むしろイタリアから新しいオペラの注文をとりつけたいがために敢えて宣伝用に作ったのではないか、と考えてもいいのではないかと思います。的外れでしょうか?
また、すくなくとも後半3曲はK.184の切れ目なく演奏される作品と同じか、または別に、具体的なオペラ化台本が存在し、あらかじめそれを読んでいたモーツァルト父子が作曲者として名を挙げるためにワンセットのサンプルで提示した、ということがあったとしてもいいのではないでしょうか? ・・・まあ、伝記的根拠はありませんので、素人の勇み足かも知れません。。。それにしては、5つ子とでも呼んでいいくらい、みんながみんな似た顔をした作品であることが、どうにも気になって仕方ありません。

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2007年2月10日 (土)

フルート。フルート

明日明後日、コメント・トラックバックが即座には表示されません。
が、頂けていると大変嬉しいです。。。ご了承の上、よろしくお願い申し上げます。


私を励まして下さるために、と頂いてから2週間もたってしまってのご紹介で、申し訳ない限りなのですが、私の所属するアマチュアオーケストラのフルーティストのご著書を拝読しました。

吉倉弘真「フルート、フルート」大河出版1999年刊 1,575円

理科の先生だから、という域を超えたフルートマニアぶりが存分に発揮された、面白い本です。
日頃の演奏を通じて感じたことをもたくさんお書きになっているのですが、何と言っても本領発揮なのは、豊富な図を駆使しての、フルートという楽器のメカニックについての解説の数々です。よっぽど高価な本でも載っていないようなトピックがさらりと扱われている(安藤由典「楽器の音響学」音楽之友社からの引用図が主ですが)。
しかも、もとの「楽器の音響学」よりクダいた説明をしていらして、
「ほほう!」
と、声を上げること幾度だったか。
おかげさまでフクロウになってしまった私です。

ホホウ、ホホホウ。。。

是非ご一読下さいませ!


Book

フルート、フルート!


著者:吉倉 弘真

販売元:大河出版

Amazon.co.jpで詳細を確認する


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2007年2月 8日 (木)

大阪市消防音楽隊を救う会」締め切りが2月13日まで延長

前にも掲示した件ですが、
JIROさんが昨日掲載していらっしゃいました。

私からも、何卒ご協力お願い申し上げます。

手短ですみません。

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2007年2月 7日 (水)

曲解音楽史10:古代ギリシアの音楽

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国

アジア側に位置するトロイア、地中海の枢要に位置するクレタ島などに淵源を持つ古代ギリシア文明は、しかしインドと似たように、あとから到来したドリア人たちの手で成熟します。
かつ、ギリシアは、その地理的な位置から、先進のメソポタミア、エジプトなどの文化から多大な影響を受けていただろうことも推測できます。
では、どのようにしてギリシア文明が、構成に称揚されるほど見事な実を結ぶことになったのか。
これを民族大移動や古代先進文明との関係の中から探し出すのは至難の業です。
大きく二つの理由が考えられます。

1.ギリシア文明の先祖であるクレタやミュケナイ文明など前代の文献や遺産は、希少だったり再発見が19~20世紀だったりするため、史料に親しむことが難しく、ギリシア文明のカギを握る揺籃期については伺いきれません。

2.盛期を迎えてからの文献は・・・これらが生き残るにあたっては熱心な収集家で勉強家だった7世紀から16世紀のイスラムの人々の功績を無視できませんが・・・比較的豊富ではあります。ですが、確認できる文献の最も早いものでも、せめて紀元前7世紀あたりのもので、記述は既にドーリア人による古典古代的・ギリシア中心主義的なものに傾いていて、揺籃期との関係をダイレクトに把握することを不可能にしています。

以上は、音楽についても例外ではありません。

古代ギリシア音楽は、少ないとはいえ、復元可能な楽譜(文字譜でした)が残っています。音楽理論となると、より多くの記述に恵まれていて、事典の種類が違うと引用されたり要約されたりする内容にズレが生じるほどです。
中でも有名なのは、ピュタゴラス派による「数列的な」音程の仕組みの発見と、主にそれに基づいて3、4百年後の代表的な思想家プラトンが著書『国家』の中で展開した調和の理論でしょう。
・・・が、いまは古代ギリシアの音楽について、理論的なことよりも、なるべく実際にどう響いていたかを捉えたいので、ピュタゴラスだのプラトンだのについては事典類にお任せしておくこととします。


あくまでモデルではありますが、紀元前4世紀当時の音楽の実像を反映しているのは、アリストテレスの『詩学』にまとめられている諸項目です。
『詩学』自体はギリシア悲劇を中心とした「作劇上の留意点」を述べた書物です。(現代人の感覚で言う「詩」について述べたものではありません。)

が、ギリシアに限らず、古代期は世界中どこでも「音楽そのもののための音楽」などというものは存在しませんでした。こうしたことを考慮してもなお、以下にご紹介するアリストテレスの記述は画期的なものです。
ちょっと長い引用ばかりになってすみませんが、いくつか「落とせない」ものを例示します。

(訳文は藤沢令夫氏によるものです。中央公論社「世界の名著」8.絶版)

・叙事詩の創作、悲劇の創作、さらに喜劇、ディデュランボス(註:デュオニュソス神の祭礼に由来する抒情詩)、笛や竪琴などの音楽の大部分---これらを全体として一括する規定をあたえるならば、いずれも描写行為(ミメーシス[模倣])に他ならない。(1447a)

・右にあげた叙事詩から音楽に至る様々の技術にあっても、それらすべては、リズムと言葉と音曲を媒体として描写行為をおこなうものである。(1447a)

・描写(まね)すること、そして音曲とリズム(韻律は明らかにリズムの一部であるから、その中に含めて考える)は、われわれにそなわる自然の傾向であるからして、最初、これらの自然的素質を最もよくそなえた人々は、まず即興の作品から出発して、それを少しずつ前進させながら、創作(試作)というひとつの仕事を生み出したのであった。(1448b)

・ひとつの悲劇作品がそれら(註:『詩学』本文で先に述べられている<悲劇>の諸要素を指す)へと別々に区分されるところの部分としては、次もののがある。
(1)プロロゴス(序詞)
(2)エペイソディオン(挿話)
(3)エクソドス(終末)
(4)コロス(合唱舞踏隊)の部分。
コロスの部分はさらに、(a)パロドス(入場の歌)と(b)スタシモン(間の歌)とに分かれ、・・・ほかに特定の悲劇作品だけがもっているものとして(c)(合唱隊ではなく役者によって)舞台の上からうたわれる歌や、(d)(合唱隊と役者が交互にうたうところの)コンモス(嘆きの歌)などがある。(1452b)

・韻律についていえば、経験にもとづいて、英雄詩調(ヘクサメトロン)の韻律が適切な韻律として用いられるようになった。・・・その理由はほかでもない、英雄詩調の韻律はさまざまな種類の韻律のなかでも、もっとも落ち着いた調子の、最も重要な韻律なのである・・・(1459b)

以上から伺える、古代ギリシア音楽の実像は、その演奏が主に「声」によるものを重んじ、なおかつ言葉のもつ韻律(リズムや音色や旋律性)と不可分の関係にあったがために、
「音楽とは世界の何かを描写したものである」
といったような認識のもとにあったといえるでしょう。
(日本の「能」に似た感覚なのが興味深く思われます。)
1459bで述べられている「ヘクサメトロン」は、ホメーロスの「イーリアス」でも重んじられていますので、私はギリシア語は全く分からないのですけれど、次項で例を掲げてみようと思います。


アリストテレス(アリストテレース、と伸ばすのが正しいそうですが)が重視している韻律「ヘクサメトロン」の具体例は、ホメーロス「イーリアス」第22巻の1行目ではこんな感じです。
(パソコンで打てない字形[語尾のシグマ]は代用のきくフォントにしてあり、付加的な記号は省きます。語学上は大事なものなんだそうで、ホントはまずいんだろうけれど。ギリシャ文字の下に、ラテン文字で翻字をしておきます。)

’Ωσ οι | μεν κατα| αστυ πεφ:υζοτεσ ηυτε νβρι
Hos oi   |  men   kata |astu peph:ugotes |ehute | nebroi

「:」を入れた部分は、単語は続いているのですが、リズムとしては区切りがある部分です。

6つの区切りがありますね。これは、音節によって

長 長 | 長 短短 |  長 短短 |  長 短短  :   長 短短 |  長 長

というリズムがあたえられています。~どこかアイヌの「ユーカラ」朗詠を思わせるリズムです。
(意味を語彙ごとに与えても、リズムを知る主旨と遠ざかってしまうので、意味はさておいて「音」を唱えてみてくだされば充分です・・・あ、これはサボりだな。「どうせ、意味がわかってないからそんなこというんだろ?」~「は、はい、仰せのとおりで。」:まあ、訳は御興味があったら呉茂一訳「イーリアス」が岩波文庫などで簡単に入手できますから、その格調高さを幅広く味わってくださいませ。私はここまでで逃げます!)

古代ギリシャ語は現代英語とは違って高低でイントネーションが決まる言語だったそうで、そのために文節の長短が韻律を支配することとなったのでしょうか?(専門の方、こんな素人認識が誤りでしたら、どうぞキツくご指摘下さい。)

では、こういったホメーロスなどの詩句は、一体どのように歌われていたものか。
ヘクサメトロンにあたる音声史料がどれなのか、恥ずかしながら私にはよく見当がつきませんので、ここでは比較的古風をとどめていると思われる 」の復元演奏をお聴きいただこうと思います。
どうぞ、実際の音声を通し、遠い古典ギリシアに、ひとときタイムスリップなさってみて下さい。

ギリシアの古代の延長線上で見ていかなければならないのは、当然ローマということになりますが、ローマ時代の音楽についての史料が、これまた私のような素人の目の届くところには殆どありません。
あるのは初期キリスト教の聖歌ばかり。
それでも、次はローマで享受された音楽について、出来るだけの推測を試みたいと考えているところです。

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12月4日練習記録・・・

・・・と、昨日より思っておりましたが、次回は練習に行けませんので、あえて練習そのもの以前のお話をします。
ちょっとばかし辛口です。

1)せめて曲を「聴き覚え」て下さっていますか?

 金管楽器につきましてはショスタコーヴィチはさすがに皆さん何らかの録音を聴いていらっしゃり、頭にも入っているのかな、と思いますが、他のパートはそうでもないようですね。
グリークに関しては、「何となく聞いたことがある」、くらいではないですか?
エルガーは4日はやっていませんので何とも言えないけれど・・・ナクソスでも出ていますから千円札一枚に小銭をちょっと用意すれば、すぐ聴けます。
前にもお話ししたことがあります通り、「聴き覚え」は正統なやり方ではありません。罠もあります。
が、「読譜力に自信が無い」・「パート譜を読んでも他の楽器との兼ね合いが分からない」かたは、せめて、曲の流れをすっかり覚えられるまで、CDを繰り返し聴いてみて下さい。
・・・ほんとうは、あとでご紹介する、林さんのヴァイオリンパート向けの文章にある通り、
「楽譜を読む」
のが基本中の基本です。
「奏法を考える」を「スコアを読む」ことから始めたのも、演奏するものにとってはそれこそが基本中の基本だからです。

それが出来ないのでしたら、曲をまるまる、「のだめ」のように覚えちゃって下さい。

2)自分の今の技術水準に甘えていませんか?

あるいは、自分の、楽器に対する「思い込み」で、奏法にはこれしかない、こういう限界がある、と決めつけてはいませんか?
「アマチュアだから、これでもいい」
ですか?
もっと自由に表現したい、という欲望をお持ちですか?
「そういうのは潔癖な私には似合わない」
ですか?
・・・いらん潔癖主義はやめましょうヨ。完璧など有り得ないのだから、自らの奏法に着いて「ここまでで完成」にしてしまうのは、もったいないです。
少し、奏法に関する本、あるいは尊敬する奏者の、出来れば映像を、集中してご覧になる時間を作ってみて下さい。
技術は、表現するための「語彙・文法」ですが、語学もそうであるように、語彙や文法を正しく知らない場合にはボディランゲージでも充分ものをいうケースがままあります。
健全な脳をお持ちでしたら、是非、奏法へのアプローチをご工夫下さい。
(といいつつ、音楽は音楽なりに、少なくとも「文法」は重要です。・・・ここでいう「文法」は楽典ではなく、アーティキュレーションとかアゴーギグとかフレージングのことだと思って下さい。言ってみれば、これらは、不自由な外国語で外人さんに応対するとき、どうやったら通じるかを必死で考えるときに必要なことどもと同類の方法であり、人間として根源的な条件反射です。)

3)表現を「統率する」のは指揮者ですが・・・

どんな要求を出されても応えられるだけの幅と高い人格は、奏者一人一人が、おのれの威信を掛けても持っていなければなりません。
誤解してはいけないこと・・・「自分を主張する」ことと「他者を受容する」ことの、いずれが人格として高位にあるでしょうか? そこをよくよくご考慮下さい。

林さんがヴァイオリンパート向けにご用意下さった文書(Word)は、なかなか含蓄があります。
後半はヴァイオリンの技術面をダイレクトに綴っていらっしゃいますが、ウェイトは前半部が高く、ヴァイオリンのかたのみならず耳を傾けるべきお話になっています。
人間的にいい加減な私の、ここでの抽象的な記述よりもずっと参考になりますので、TMF団員各位は是非ご一読下さい。

なお、金管楽器のアンブシュアについてファーカス「金管楽器を吹く人のために」(全音楽譜出版社)記載の図版を掲載したかったのですが、スキャナ不調のため機を改めます。
この図版、及び本文と、発声法についての良い本に載った声帯の説明を見比べると、おそらくあまりに似ているので驚かれると思います。
素直に音が伸びる演奏をするための基本は、楽器の種類を問いません。
声を含め、他の楽器の優れた奏法から、ご自身の受け持つ楽器の奏法に対する新たな目を開いて頂くことは、非常に大事なのではないかと思っております。

団員の方にも、その他ご興味を持って読んで下さった方にも分かりづらい話になってしまったかも知れませんが、
「とにかく、自分というものをもう一度考えましょう!」
それを、皆さんと私の合い言葉にしたいなあ、と願っている今日この頃です。

何卒宜しくお願い申し上げます。

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2007年2月 4日 (日)

ボレロ〜短縮三重奏版

娘たちがアンサンブルするというので、選曲して来たラヴェルの「ボレロ」の編曲を、子供たちの注文で私がアレンジしなおしたものです。

もとは、いとうたつこ、というかたがチェロとフルートとピアノのために編曲したもので、演奏時間5分強なのですが、チェロパートはトロンボーンで吹く上に、コンテストで4分以内でやらなければならないそうなので、喫茶店でカットする箇所をえいやっと決め、さらに、オリジナル編曲の最終ページ(この音声ではトロンボーンの有名なソロの旋律が終わって下げにかかる場所から)のみ手を付けず、あとはオリジナル編曲のあとをほとんどとどめないほどに、私がアレンジしなおしたものです。

演奏は(ピアノを弾いてくれた天才H君以外は)平凡な中学生によるものですし、4分以内を意識したためにテンポも速くなっています。息が持たず、長いフレーズがのびた蕎麦のようにブツッと切れたり、ディナミークも変化に乏しかったりしております。(ただし、ミュンシュはオーケストラで、ほぼ子の速さでの演奏を録音に残しています。コンテストで「速過ぎる」とのコメントを下さった審査員の方には、ミュンシュを聴いてみて頂きたいなあ。。。)

が・・・音を一切聴かずにアレンジした割には、響きについては自分でも満足が行きましたので、お聴き頂ければ嬉しいと思い、僭越ながらアップさせていただいた次第です。
いまになって、
「ああ、忙しい、だなんて言わずに、最終ページもアレンジしなおせば良かったなあ」
と思っています。
クライマックスの部分が、ちょっと物足りなくて終わってしまった・・・。
これは機会を見て修正しますネ。

ご感想を頂けると嬉しいです。

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