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2007年1月21日 (日)

ベートーヴェン四重奏団:ショスタコーヴィチ全集

家内を亡くして、思い浮かべた何人かの音楽家がいます。
大バッハ、バーンスタイン、ムラヴィンスキー。妻に先立たれた有名な人々です。
中で、再婚しなかったのはバーンスタインだけ。奥さんだけに惚れていたから、ではなくて、男色家だったから。
再婚したとは言っても、大バッハだってムラヴィンスキーだって、亡くした最初の奥さんとは大恋愛だったし、死んだあとだってずっと愛し続けていたのです。

じゃあ、私は、ですか?

家内が二度目に夢に出て来たとき、
「これからどうすればいいんだ?」
とききましたら、きゃつめ、人の名前を口にしたのです。そのままだと知らない名前だし、そのときイメージで見せてくれた人は知っている人ではあるけれど近い縁にある人ではありません。
「こんなときに、なにを。家内よ、お前もか!」
そう私が叫んだら優等生だったのですが、夢の中では喜んでしまったのですから、目も当てられません。

妻に先立たれた、という点で忘れてならない作曲家が、ショスタコーヴィチです。
最初の奥さんニーナに対して、初めから切れるの分かれるのとグダグダやっていた、しょうもないショスタコーヴィチですが、子供たちが育つにつれ、
「こんなに頼れる女房はいない」
そう信頼し切っていたフシがあります。
信頼し切ったそのときに、ニーナさんは急逝しました。それまで本人も気付いていなかった悪性の腫瘍の緊急手術をした、すぐあとに亡くなったのです。

ショッスタコーヴィチは15曲ずつの交響曲と弦楽四重奏曲を残しています。
数こそ同じですけれど、交響曲とは違い、弦楽四重奏曲は、彼のプライヴェート生活のアルバムのような趣きを持っています。
第1番は子供の誕生による喜ばしい雰囲気を持つことで有名ですが、その後も第5番まで、弦楽四重奏曲はすべて長調で作っています。
ニーナの死(1954)を境目に、作品は翳りを増していきます。
ショスタコーヴィチはこのあと2度結婚していて、2番目の奥さんとは合わずに離婚、3番目の奥さんは出来た人で、安心して子供たちを委ね、最後は自分の死を委ねます。
ですが、第6番(1956)以降の弦楽四重奏曲には、もう第1番のような底抜けの喜びの歌はありません。6・9・10・12・14番が長調、残りが短調作品ですけれど、長調作品は襞のはいった音楽と化しています。

こうしたショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲をほとんど全て初演したと言っていいのが、ベートーヴェン弦楽四重奏団です。
作曲者に縁の深い団体の全集は他にボロディン弦楽四重奏団のもの2種(13番までしか入っていない最初のものの方が名演だと思います)がありますけれど、こちらはボロディン弦楽四重奏団らしい、輪郭線の太い、音がピンと張りつめた演奏で、ショスタコーヴィチの硬派な側面を知るには最高の演奏ではありますし、私も愛聴していました。
これがベートーヴェン弦楽四重奏団の全集となると、しかし、話はまた違います。
この四重奏団、ソ連時代にも旧ロシアの良き伝統を守った、深みのある演奏をするので有名でした。しかし、こんにちでは彼らの録音を入手するのは、どういった事情からなのでしょうか、非常に困難です。
ですので、
「ああ、やっと出た!」
と大感激でおります。
ショスタコーヴィチの室内楽を聞き慣れていらっしゃらない方には、出来るだけボロディン四重奏団とベートーヴェン四重奏団の聴き比べをしてみて頂ければ有り難いと思います。
アプローチが違うと、これほど違うものなんだな、ということを、今回、入手してみて、つくづく感じました。
第1番の暖かみ、第8番から絞り出される涙は、ボロディン四重奏団のストレートで音楽至上主義的なアプローチとは違い、ベートーヴェン四重奏団は、人間としてより通俗的なイメージを与えてくれることで、細やかな雨のしずくのように人の心に染み通ってきます。

発売は昨年末の予定でしたが、最近まで伸びました。このことには、個人的には、私はどこかに深い縁を感じております。

輸入盤です。DOREMI DHR-7911-5

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コメント

kenさん、おはようございます。
何だか本題からずれていって、
言葉の意味を探り始めたら、
私もよく分からなくなってきています。
先人の多くが時間をかけて探って突き詰めて
いるものを、ド素人が軽装で高い山に登山し始めた風です。
忙しい時に、できの悪い生徒に教えなくてはならないような、
そんな負担までkenさんにおわせてしまって、
私は心苦しい限りです。

私の父は15年ほど前に、海外の出張先で亡くなったのですが、母は遺体を引き取りにいく飛行機の中で、
「この飛行機が落ちれば、どんなに楽か。」
と思っていたそうです。でも横には娘(私の妹)が乗っている。この子のためにはそれはできない。
そんな心を落ち着かせるために、父が生まれてから死ぬまでの色々な出来事、聞いたことのあることを、機内でノートに沢山書き留めていました。
葬儀の後しばらくして、私の夢の中で、
父はまた沢山の荷物をもって出張にでかけていきました。
葬儀が終わっても、母の顔が引きつってぴくぴくしているのが心配だった私は、
「父はまだ出張に行っていることにすればいい。」
と宣言したのでした。
長期出張の多かった父。今どきのように携帯もない中で、
留守宅を守る母は、生活の全てを責任もってすごしていたので、経済的なことだけなんとかなれば、後はいつもどおり、と。(1年くらいは手続き、お礼などで、忙しかったけれど)
そうやってやんわりと、心の着地点を作っていきました。
(今は女性ばかりの山歩きグループに参加して、国内のあちこちを歩きまわっています。元気です。)
参考に、ではなく、私の父への供養に、長々と書かせてもらいました。(人のHPなのにね)

自慢じゃないけど、私もお片づけが大変苦手です。
きっと死んだ後で、散乱した部屋を片付けに帰りたくて、
困ると思う。

      

投稿: miho | 2007年1月21日 (日) 10時34分

mihoさん、いつも本当にありがとうございます。
お母さん、立派ですね。
先輩として、凛としたそのお背中を思い浮かべつつ、ボクもゆったり頑張って行きたいと思います。
・・・普通は、やっぱり母は強し、で、女の人にはかなわないのかなあ、とヘコむところですが、これはやっぱり、負けられませんなあ。(勝負してどうするんだ、って感じですけど。)
お父さん、いい奥さんで、今もきっと幸せですヨ。
ウチの家内が愚痴りに伺っているかもしれません!

我が家はふた親とも(つまり、私も家内も)夜7時から8時にならないと帰ってこない生活ですので、そこに変化はなく、子供らのほうが自分のペースをそのまま守って、当たり前に生活しています。それが続けられるようにしてあげるのが、自分の最大の使命だと思っています・・・が、如何せん、自分が気持ちの整理に時間がかかり過ぎていますね。反省してしまいました。
私のかかりつけのお医者に
「気張らんと、長生きせえよ」
と言われました。
そうなんですよね。
今日は家族で、ボクの所属のアマチュアオーケストラの練習に行き、そこで子供らは気のあった友達と街探検をし、さっきご飯を食べて花を買って帰ってきました。これから、娘に頼まれた編曲の仕上げです。楽譜が汚いんで叱られるなあ。

投稿: ken | 2007年1月21日 (日) 20時55分

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