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2007年1月24日 (水)

曲解音楽史9:中国の古代音楽

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド

中国古代の音楽については、メソポタミアやインドに比べると幾分見通しが立てやすいかと思います。
日本に近いため、私のような素人でも新らしめの考古学的成果を知りえますし、儒学(儒教)に長く馴染んだ風土でもあって、そこに結集された音楽観を文献で確認するのも比較的容易だからです。
そこでまず、考古学的成果のほうから、大まかに見てみましょう。

中音楽音楽の発生についてだけは、遺憾ながら判断できません。
スキタイ経由で西アジアの文明が伝わった、と考えるべきか、中国独自のものなのか、いずれを示す証拠も見当たりません。
中国北東部には西アジアから小麦がもたらされたことが判明しており、少なくともその媒介者であるスキタイ人(今の場合は中央アジアの遊牧民族を、仮に総称して用いています)から文化的影響をも受けた、と推測する方が自然なのですが、一方で、メソポタミア以西でその頃にはもう盛んに演奏されていた撥弦楽器は、中国の考古資料に全く見出されていません。確認できるのは、もっぱら笛と打楽器の類いです。弦楽器は周代に至ってやっと、琴の仲間が重んじられるようになっており、こちらは文献で確認できます。
もう一点、中国音楽の発生を突き詰めるときに立ちはだかるのは、音階問題です。中国の音階は、かなり古い時期に、現在私たちが中国的だなあ、と感じる「ド、レ、ミ、ソ、ラ」(宮、商、角、徴[ち]、羽)が確立されているのが諸典籍の記載からはっきりしています。その一方で遊牧民の影響により、中国北方部のみで七音音階が用いられていた、という、権威のかたによる記述もあります。これは、最も馴染まれた音階が遊牧民の影響下から生まれたものではなさそうだということを示しているとしか思えません。
このように、その発生については中国の音楽は非常に興味をそそられる謎を残しています。

次に、中国音楽の拡大と周辺地域への伝播についてです。
石製や革張りの打楽器、笛、という儒教の礼楽で重んじられた楽器は、紀元前には中原から北東地方へと拡がっていったことが、遺物の研究から明らかになっています。それが時間をかけて朝鮮半島へ、さらに日本へと伝来することになり、極東アジアの音楽を特徴付けていくことになります。
かたや、中原より南には銅鼓が発生し、こちらは稲作と共に西暦紀元1世紀頃には東南アジア方面まで拡がります(ただし、これは考古学の立ち読みによる記憶。あらためて本を買いに行った時には、先に誰かの手に渡ってしまっていました)。こんにちの東南アジアのガムランには、この銅鼓の伝来が大いに資しているのではないか、とは私の勝手な推測です。



考古学の成果からは加えて、北東系の音楽は「首長の権威付け」として位置付けられたいたことまでが分かっています(専門の人は遺物の出土状況を見ただけでこういうことまで分かってしまうのですから、凄いものです)。
古文献も、この考古学的見解を裏付けています。
「声(せい)を知り音(おん)を知らざる者は禽獣これなり。音を知り楽(がく)を知らざる者は衆庶(たみくさ)これなり。君子のみよく楽を知ることを為す」(『楽記』紀元前5世紀頃成立。春秋社「音楽の源へ」より引用)

音楽に関する文献が、かなり古い時代から他国のどこよりも豊富に存在するのが、古代中国音楽を知る際の強みです。たとえば『史記』にある「書」には、古代中国の音楽理論が実に手際よくまとめられています。現在もちくま学芸文庫で容易に入手できますので、ご興味のある方はご一読下さい。
また、中国では既に、紀元前6〜5世紀には西洋音楽で言う十二音が発見されています(ピュタゴラスとほぼ同時期であることに注目しておきましょう。ただし、ピュタゴラス学派の論の音組織は7音のみで、ピアノの黒鍵に当たる音は発見[理論付け]されていません)。
理論の話に立ち入ると、しかし、話は古代で終えられず、唐から宋にかけての時代まで言及しなければならなくなりますので、詳しいことについては他日を期したいと思います。詳しくお知りになりたい場合は、東川清一・陳応時「音楽の源へ---中国の伝統音楽研究」(春秋社1996)の、とくに陳氏の論考をご覧下さい。

感性で音楽がどう捉えられていたか、は、私たちにも入手しやすい『論語』(岩波文庫他)で孔子が弟子とやり取りをしている、味わい深い言葉が幾つもあります。ちょっと耳を傾けてみましょう。

・子、斉に在して韶(しょう。国名。ここではその国の音楽)を聞く。三月、肉の味を知らず。曰わく、図らざりき、楽を為すことの斯(ここ)に至らんとは。(述而第七:13)

・子曰わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。(泰伯第八:8)

・子の曰わく、礼と云い礼と云うも、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云うも、鐘鼓を云わんや。(陽貨第十七:11)

現代日本語訳はあえて付しませんネ。



中国古代音楽の復元演奏は、中国本国で、秦代以降のものを録音したCDを作成しています。古譜が比較的豊富に残っていることから、かなり古い時代の音楽も復元できるわけです。
ただ、正確には、『禮記』に登場する打楽器譜を例外として、本当に古い譜はやはり希少ではあるためか、また、復元演奏CDは、学者さんではなく、一般音楽家の監修によるものであるためか、どうも現代中国の奏法をそのまま用いていることによるのか、せっかく貴重な事業を行なっていながら、録音された内容はとても古代そのものの音には聞こえず、ガッカリさせられてしまいます。・・・学者さんは、先の陳氏の論考を拝読してもかなり高水準に研究を進めていらっしゃいますから、いつの日か良い復元がやり直されると信じております。

ところが、わざわざ復元演奏を聴くまでもなく、古代をしっかりと思い浮かばせてくれる奏楽が今日でもなされており、幸い、こちらをも録音で聴くことが出来ます。

台湾の儒教寺院の典礼で奏でられている例ですが、ちょっとお聴きになってみて下さい。

特徴を、どのようにお感じになるでしょうか?
いかにも中国といったにぎやかさはあるものの

・ヨーロッパの聖歌とも類似を感じさせる敬虔なモノフォニー
・単純な音階と、単純なメロディ

を感じ取ることが出来るのではないかと思います。いかがでしょう?
ご感想をお聞かせいただければ、大変幸せです。

次回、音楽史の話題は古代ギリシャに挑戦しようかな、と思っております。

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