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2007年1月30日 (火)

奏法を考える1)どう考えていくべきか

聴いて楽しむだけなら、以下の話は別の観点から検討すべきです。
したがって、「聴く楽しみ」についてはまた改めて、いろいろ考えていきたいと思います。
ただし、演奏するという「行為」に興味を持って下さる方にも、
「ああ、無駄なもの読んじまった」
と呆れられないようには心がけたいと存じます。
ですので、初回はスコア(オーケストラなどの「総譜」と称する、作品に使われる全てのパートが記されている楽譜)を「絵」~漫画でもイラストでもいいのですが、あくまで楽譜としてではなく、「絵」として理解する方法を述べることから始めたいと存じます。

アマチュアであれ、演奏会を開くからには音楽の完成度は高めなければなりません。
とこえろが、とくにクラシック好きの私たちは、往々にして名演を自分流に聞くことに満足し、それでたりなければ「西欧音楽史」的雑知識・・・作曲家や演奏家・作品にまつわる逸話集など・・・を収集することで、音楽に対する「解釈」を自分なりに打ち立てた、と過信しがちでもあります。これは自分自身の反省を含めてそう思っていることですし、最近は尊敬する音楽家の発言や文章を読んでも、
「どうも違うんじゃないか?それはあなたの独善に過ぎないのではないかしら?」
と疑問に思うことが増えました。

かような独善に嵌らず、自らも陥らないためには、
「録音資料(のみ)に頼らず、無心に帰ってスコアを読む」
など、いくつかの手段があります。

ですが、スコアを読むには一般に
「まず楽譜が読めなければならないし、次にそこから響きをイメージできなければならないし」
と難しいことを考えがちにもなってしまいます。
私などもモーツァルトのことをブログに綴るとき、スコア記載の拍子や速度記号、小節数などまで参考にと思って注記することが多いのですけれど、これは慣れない方には非常に読みづらいものでもあるようです。ですので、そんな余計な情報無しに、作品を巡る伝記的事実だけを記載すれば事足りるのかなあ、と思い悩みもしました。
しかしながら、作品を文章で辿ろうとすると、どうしてもスコア記載の情報のうちの骨組み部分だけでも触れておかないと、本質を欠落させることにもなります。ここは、もう少し私自身の訓練が必要なようです。

で、話は触れたい本筋からズレるのですが、ついでですから「スコア」について、もっとも肝要なのは何か、を、まずはひとことで述べます。

冒頭に述べたことの繰り返しです。

<スコアは、絵として眺められれば、第1ハードル突破である>

音符がどんな高さの音を表しているか、についての知識は、最初は全く無くても構わない、と、私は思います。
ここに譜例を掲げられれば、このことはある程度お察しいただけるとまで信じております。が、最初に眺めて頂くにふさわしい「絵」は選定検討中ですので、今回はあきらめます。

サンプルとしてどなたにも思い浮かべていただきやすい作品は、シューベルトの「未完成」交響曲です。
「未完成」の第1楽章は、暗い冬の明けきらない、かつはどんよりと曇った空を表すような低音に始まり、続いてヴァイオリンが粉雪を降らせます。出かけるための早支度をしたオーボエとクラリネットの夫婦が、ドアを開けて、寒々とした外の景色を伺うと、そこへヒュウン、と、ホルンの北風が入り込んできて、夫婦は
「出かけるの、よそうか?」
と顔を見合わせる。
だいたい、そんな具合に音楽が始まります。
その先のストーリーはお読みいただく方なりに想像して頂ければ充分です。
・・・で、ここまでのことは、演奏されたものを聴けば体でなんとなく共感できることでもあります。

ところが、演奏されたものを受身で聴く、という行為は、演奏する人たちを(直感的に受け入れられるか拒みたくなるかはあるものの)無条件に受け入れるということでもあり、繰り返し聴く録音であればなおさら、作品そのものにではなく、演奏というフィルターを通した作品を
「これこそ正しい音楽だ」
と信仰してしまう、まさに鰯の頭を信心するような愚をおかす危険度が非常に高いといえます。

ジャズ、ロックは創作者=演奏者(アレンジも含め)が大前提ですので、こういうリスクは非常に小さい。
歌謡曲は、歌手と一体ですから、作詞者・作曲者が誰かなどということを一切記憶する必要もない。
クラシックは、そうはいきません。
さらに敷衍すれば、長く歌い継がれてきた叙事詩や民謡も、作曲者不明かつ楽譜も存在しないのが普通でありながら、浮き上がってくる音楽の本質は何か、を知りたいのであれば、「聴く」という行為以外の、理解のための何らかの手段を模索する必要があるはずです。

叙事詩・民謡はさておきまして、クラシックに話を絞りましょう。
こちらは、民間伝承音楽に比べれば、アプローチの方法は、まだ見出しやすいといえます。
すくなくともヨーロッパのルネサンス期以降は、現代人にも完全に解読できる「スコア」が圧倒的に多く存在するからです。しかも、ルネサンス期の宗教音楽は連綿と歌い継がれてもいますから、演奏と楽譜の両面から検討を加えることも可能です。ですから、本音は、

「クラシックがお好きなら、中でも強烈に<好き>な作品は、音符が読めなくてもスコアを手にしてみて下さい」

それだけは、申し上げたいのです。

「未完成」の例に戻りましょう。
スコアがお手元に無くても結構です。でも、ご興味が沸いたら、どうぞ、お手にとって見て下さい。まず、薄手ですし、買ってもあまり高価ではありませんから。

先ほどストーリーを綴った冒頭部分を、スコア上で「絵」として眺めて頂いている、という前提で綴ります。

冒頭の低音部は、低音にふさわしく、スコアの最も下に出てきます。
それを「絵」として眺めると、
「最初に小さい山が、そのあとで、幅の広い大きな谷が描かれている」
これを、模様として眺めることが出来ます。
続くヴァイオリンの粉雪は、粉雪というには上に太い二重線がくっついているので、ちょっと重量感がありすぎるかもしれません。こういう場合は、重みを加えてしまっている二重線には気をとられずに、その下に細か~く並んでいる粒の方に、「降り始めた雪の粒」を見て取る・・・それがコツです。
夫婦の会話は、スコアの上から2~3段目くらいで交わされているはずです。これはまず玄関から首を伸ばし(同じ音程で引き伸ばされている)ては、寒さにまた室内に引っ込もうかどうか迷う(下にくだり、また上へと上がっていく)しぐさが繰り返されている。
ホルンの北風はスコア中段に、いかにも北風らしく、直線的な模様として描かれています。

言葉ではまどろっこしいかもしれませんが、スコアのページを開いて、あくまで「絵」として観察して頂くと、ここまで綴っていることが決して出鱈目ではない、と感じていただけるでしょう。

なお、「スコアを絵として眺める」場合は、カンバスに描かれた油彩画をイメージしてはダメでして、絵巻物を軸をひろげつつ見る感覚が必要になります。そこはちょっと難しいかもしれません。代用としては「コミック」すなわち現代の「絵草子」をめくる感覚で絵とストーリーを楽しむときを類推して頂ければ、いくらか困難が解消されるかと思います。

聴くだけの楽しみに、そこまでして「スコア」を鑑賞する必要をお感じになるかどうか、はお任せします。
もしお試しになるのなら、
・「古典派およびシューベルト・メンデルスゾーンまでの交響曲」
・「弦楽四重奏曲」
あたりが取っ掛かりとしてはお勧めです。
ピアノの楽譜は2段だけだから簡単だ、と思われがちですが、2段(特殊な例で入手しやすい中にはシューマンやドビュッシーのように3段、というものもあります)に音楽が凝縮されているため、「絵」として理解するのは却って難しくなります。

もし、お読み下さっているあなたが演奏もなさるのでしたら、
「スコアを絵として眺める」
のが、演奏の全ての出発点であることは、強調させて下さい。

日本版のポケットスコアはとくに主題分析に熱心で、最初は私も随分頼りにしたものですが、
「頼りにするのは間違いの元だ」
と、ほんの最近悟りました。
楽曲分析を伴う解説文は、たとえそのスコアの冒頭に延々と書かれていても、まずスコア全体の「絵」を眺めきった上で読まないと、分析者の見落としや誤りに気づかず、自分も見落としをしてしまう結果に繋がります。これは充分にご注意下さい。

音程や和声は見当がつかなくてもいいんです。
最初からそんなことを試みるのは、無茶というものです。
かつ、作曲者は和声分析をしながら創作しているわけではありません。正しい表現ではありませんが、
「ボクは、ワタシは、こういう絵を描きたい。ただし、素材は音だ。絵の具ではない。」
作曲のスタートラインにはそんな思いがあるはずです。

「スコア」全般を一連の「絵」として理解することで、作者の意図した音のストーリーはおのずと見えてきます。

だから、演奏に取り掛かる前に、出来るだけ「スコア」全ページに目を通し、どこに山が書いてあり、どこに空が広がっていて、どこで風が吹き、どこで人々が運命に翻弄されながら逞しく生きているのか・・・最初にその全般像を、たとえ不充分でも捉えてしまうことが、非常に大事になってきます。

次に大切になってくるのが、やっと
「描かれた<音>を、作者の求めているはずの、そして自分自身なりの、最良の美声で歌ってみること」
なのではないでしょうか?

という次第で、まずは入り口として、「スコア」という手段を持って来て見ました。
次回、このカテゴリで、「歌う」ということを考察したいと思います。

主旨ご理解いただければ、この上ない幸いです。

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