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2007年1月18日 (木)

モーツァルト:「聖三位一体の祝日のミサ」K.167

興業的にはまずまずの成功、しかし生涯の保証を得ると言う本質的な目標では失敗に終わった第3回目の旅行で、モーツァルトは以後、イタリアと縁を持つことは二度とありませんでした。
とはいえ、彼がイタリアで身に付けた技術的・精神的支柱は、生涯を通じて彼の作品を支え、その作品に触れる現在の私たちまでをも支えつづけてくれることとなります。

ヴォルフガング5作目のミサ曲となるK.167(ハ長調)は、ヴォルフガングの中に染み込んだイタリアが、ヴォルフガングの中に元々存在したゲルマンの要素を鍾乳石のように包み込んだ、最初の典型と言っても良いかと思います。

1773年のうちに、モーツァルト父子はまたウィーン旅行を試みたりします。ですが、この年から1777年まではヴォルフガングにとって「ザルツブルク捕囚時代」とでも言うべき時期で、基本的には常に司教コロレドの意向、ザルツブルクの人々の風土のもとで創作と演奏に取り組むしかありませんでした。
したがって、これ以前に4作ものミサ曲をモノにしていながら、K.167は、この年以降量産される一連の「ザルツブルク・ミサ」の、実質上の嚆矢となる作品でもあります。

・・・家のドサクサで、愛用していた携帯オーディオが行方不明になったのですが、これがかえって幸いし、私はこの作品のスコアを通勤電車で少しは詳しく読むことが出来ました。その結果、K.167は17歳の天才がありとあらゆる手持ちの技術を総動員した作品であることを知り、新鮮な驚きを覚えました。ただ、この驚きをどれだけお伝えできるか自信がありません。
・・・ともあれ、何とか綴ってみることにしましょう。

「聖三位一体の祝日(三位一体の主日)」は、聖霊降臨の祝日の次の日曜日を指します。この日が1773年6月の何日だったかは知りませんけれど、モーツァルトはこの日のためのミサを6月中に完成しています。
編成は2本のオーボエ、2本のクラリーノ、2本のトロンバ、ティンパニ(C,G)、ヴァイオリン2部、バス及びオルガン。「ザルツブルク・ミサ」の例に漏れず、ヴィオラは含まれていません。また、声楽は四部合唱のみで、独唱もありません。
なお、トロンバに関してはスコアではヘ音記号表記ですが、学者さんは
「当時そのような低音域のトロンバはなかった」
とおっしゃっており、私が確認のため耳にしたCDでもオクターヴ上で吹奏されています。アルフレート・アインシュタインも2本のクラリーノと2本のトロンバを合わせて「4本のトランペット」とみなしており、カルル・ド・ニも『モーツァルトの宗教音楽』本文中ではアインシュタインの言葉をそのまま引用しています。
実演上どうだったかはともかく、スコアから読み取る限り、和声上の音の配置からして、ヴォルフガングはトロンバのパートをあくまで低音域として把握していることは明らかですから、私としては記譜よりオクターヴ上げて演奏するよりはトロンボーンなどで代用する方が良いと思っております。(2008.10.4付記:10月12日のモーツァルト記念合唱団尾の演奏会では、実際にそのようにして演奏されます。また、お詳しいかたに伺うと、古典派当時までのトランペットは管長も現行のものより長く、低音域が出たのはもちろん、高音部がより輝かしかったそうです。今のトランペットよりも、倍音の含まれかたがホルンに近かった、ということです。であれば、バッハなどがなぜ、今のトランペットではピストンを使わないと出せないような音を書いているのか、も簡単に了解できます。)

K.167の構成は以下のとおりです。調性は、断りのない限りハ長調です。

Kyrie:Allegro 4/4、56小節
Gloria:Allegro 3/4、160小節
Credo:1-62小節Allegro、63-76小節Adagio、77-120小節Allegroで、以上4/4拍子。
     121-232小節Allegro、3/4拍子、ト長調(Carus版p.40 アルトパート#2つは誤植)
     232-252小節Allegroで後奏の253-256小節はAdagio、4/4拍子。
     これを前奏とし、256-372小節はきっちり倍テンポとなる2/2拍子でAllegroのフーガ。
Sanctus:Andante 3/4、16小節
Hosanna 1:Allegro 4/4、16小節
Benedictus:Allegro 4/4拍子。ヘ長調。
Hosanna 2:Hosanna 1に同じ。ただし16小節目のテノールC音は、おそらくD音の誤植。
Agnus Dei:1-58小節Adagio 3/4拍子。59-127小節は2/2拍子のフーガ

以下、各章の特徴をまとめてみます。

まず、全般的な話。
Carus版の解説(独・英語)によると、このミサ曲には交響曲的手法が駆使されている、とのことです。
確かに、規模こそ交響曲より大きいものの、急-急-急緩急-急-緩-急-緩急、という速度配置は、交響曲だけでなく、セレナーデやディヴェルティメントを思わせる器楽的発想を伺わせています。
が、ミサ曲は器楽作品とは違い、鑑賞や娯楽を目的とはしていません。
かつ、K.167の構成を突っ込んで観察すると、実はCredoを大規模な交響曲として、またSanctus-Benedictusをイタリア風序曲(シンフォニア)として内包していることが分かります。
主題の扱い方も、簡単に分かるものとしては、Credoは先立つGloriaの動機を3拍子から4拍子に拡大していることはCarus版の解説のとおりですし、さらに全曲は全音階的上昇のモチーフで背景を同色化していますから、単純に「交響曲的手法を駆使した」とか「器楽の発想で書いた」と決め付けることは妥当ではありません。
K.167は、高い統一感を持つ、人間の総合精神を体現した作品です。
こうしたフォーマルな結合は「啓蒙主義者コロレドの意を汲んだもの」と、これまたCarus版で述べられていますけれども、それにしてはあまりに高い熟練度を持っており、K.167は啓蒙「主義」を超えた職人魂の凄みを湛えている点、解説文などによって目くらましされることなく銘記すべきかと思います。

各章の特徴は次のとおりです。

Kyrie:
小規模な分、凝縮されたソナタ形式による音楽で、主に哀れみを乞う言葉の反復と連続には一分の隙もありません。イタリア的に華やかな主題は、常にゲルマン風の逞しい低音進行に支えられるプリマドンナのようです。展開部ではイタリアとゲルマンが奇跡的な融合を遂げた舞踏を披露してくれます。

Gloria:
これもソナタ形式です。Kyrieと比較し小節数で2.5倍、拍を考慮すると実質上2倍弱の長さです。詞章により長くなった、というには、これでも短いくらいです。他宗教でも、たとえば仏教的に言うなら「賛嘆」を目的とした章ですから、神仏の栄光の賛美を輝かしく歌い上げる儀礼は相応の規模をもつ必要があるわけで、これはキリスト教文化の埒外にいてもはっきり理解できることです。調は主-属-属調の属調の同主調(短調)-下属調、と、呈示部から展開部にかけてめまぐるしく変わります。こうした変転は、無為に空を流れていながら時折太陽を覆い隠そうと意地悪を試みる雲のようです。
この章の最大の聴き所は、コーダに当たる部分がコンデンス・フーガとでもいうべき分厚さで締めくくられるあたりでしょうか(106-160小節)。当時の他作曲家の作例を参考にしたのか、モーツァルト独自の斬新な書法だったのか、は、研究に値するでしょう。

Credo:
ミサ通常文の最も長いテキストに向かい合ったヴォルフガングの手腕には、どのミサ曲でも
「恐れ入ります」
としか言えません。
K.167のCredoは、
「恐れ入ります」
を素直に口にさせてくれる最初の作例かな、と感じます。
・大序曲とでも呼ぶべき"Credo"(120小節、ソナタ形式)、
・モーツァルトがこの前後からメヌエットで愛用している、<16分音符+付点8分音符>音型が特徴的な3拍子の"Et in Spiritum sanctum"(111小節)、
・"Et unam sanctum catholicam"を前奏部とし、"Et vitam"を主部とする前奏曲とフーガ
の三部構成となっており、これでひとつの正当なシンフォニア~交響曲を作り上げています。
最初の"Credo"中、63-76小節には"Crucifixus"が含まれていますが、ここでは重荷に耐える心を表す半音階的上昇音型が、バスから次第に上声部へとうつりながら、引きずる足の音のように鳴り響きます。
「他のモーツァルト作品に比べれば深刻なものではない」
との記述も目にしましたが、これはスコアの読み取りそこないによる浅い見解に過ぎないと思われます。
最後のフーガは冒頭の主要動機を活用しており、一つの章としての"Credo"が結合力を弱めないために充分配慮していることが分かります。

Sanctus-Benedictus:
Hosannaを含め、これらをひとかたまりで観察しますと、Credoよりずっと小ぶりながら、やはりひとつのシンフォニアと見なし得ます。構成は定型的ですが、普通は独唱者に委ねられるBenedictus(80小節、ソナタ形式)を四部合唱にしてあるのが・・・コロレドのコストダウン政策によるやむをえない処置だったとしても・・・このシンフォニアの持つ敬虔な雰囲気をいっそう高めるのに一役買っています。

Agnus Dei:
Adagio58小節を前奏に持つ、69小節のフーガ"dona nobis pacem"は、前奏部が最後の5小節で周到に用意した動機をそのまま伴奏のアクセサリとし、祝祭的な気分(当時は文言よりも式典としての締めくくりの盛大さを重んじたのでしょう)をいやがおうにも高めます。決まりごとを知り尽くした見事な細工振りです。

さて、綴り漏らしていました。

対位法的技術は、Gloria、Credo、Agnus Deiのフーガに限らず、随所で巧みに使用されています。
代表例は、4小節というコンパクトな単位ではありますけれど、Credo冒頭章第2主題がカノンになっている点でしょう。
モーツァルトは、後年の我々が一般的に評価しているような<ホモフォニーの作曲家>ではないことが、この「聖三位一体の祝日のミサ」K.167の額の上に、はっきりと刻印されています。
「モーツァルトが好き」
かつ
「スコアリーディングが初歩程度以上に出来る」
方は(私は初歩のレベルにも達していないので、非常に僭越なのですけれど)、K.167のスコアをご覧になってみるよう、強くお勧めいたします。

現状、CD探しに自由が利かず、推薦すべき録音には巡り会っていません。
私の所有している録音は、フィリップスの旧全集(楽譜のことではなく、あくまでCD商品を指します)です。
これは、イタリア的であるべきところまでがゲルマン的であり、明るく輝くべきところが荘重である、という印象の演奏で、我が娘が聴いていて
「これ、雰囲気がイヤ!」
とのたまいましたので、あえてここに掲載しません。

楽譜をお読みになれない方には実演か録音が唯一の出会いの場です。けれども、有名曲を除き、カトリックの教会でも、いろいろなミサ曲を聴く機会は、あまりないかと存じます。
いいCDをお見つけ下さる事を祈りつつ、長々綴ったこの記事を終えたいと存じます。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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コメント

こんばんは。
K167なら僕はペーター・ノイマンの選集の録音をオススメします。
五枚組で3000円強と入手しやすいですよ。

参考URLもどうぞ。
  ↓
http://www.hmv.co.jp/product/detail/592982

投稿: Bunchou | 2007年1月18日 (木) 20時38分

たしか私は、そのペーター・ノイマンの選集を
持っているはずです。
帰って聞いてみます。
(ああ、今夜の楽しみだ!)

投稿: イワン | 2007年1月18日 (木) 20時46分

おおっ、Bunchoさん、とんでもないものを!
月曜日に昼飯を抜いて探しに行くか、どうしようか、
3,000円だから1週間の昼飯ヌキでやせればいいのだからそうしちゃおうか、
ムムム。イワンさんのご意見を待ちましょう!

投稿: ken | 2007年1月18日 (木) 22時24分

>K.167は、高い統一感を持つ、人間の総合精神を体現した作品です。

いまさらながら、モーツァルトは天才なのですね。
17歳にして、それほどの高みに達してゐるなんて・・・
17歳といへば、私は山にうつつをぬかしてゐた頃です。
あ、モーツァルトと自分を較べること自體が間違つてますね(笑)


投稿: 仙丈 | 2007年1月18日 (木) 22時41分

モーツァルトの天才は「お仕事」に発揮されているわけでして、つまりは彼はこの年齢で「お仕事」しなくてはいけない立場にいたわけでして、そこでの天才ぶりに舌を巻くのは当然ですけれど、ホントは彼も年齢相応の、17歳のときは17歳なりの感性を持った一人の少年だったのです。音楽だけ取り上げるので、そちらの側面をご紹介し切っていないのは、ちょっと片手落ちかもしれません。
文庫で手に入る書簡集が何種類かあります(私としては岩波文庫のものをオススメします)。英訳の書簡集などでも、有名な手紙が中心に紹介されていますので、少々、あるいは多々わからない単語があっても勘で読む習慣を付ければ比較的ラクに読めます。本来、記事で補うべきですけれど、ぜひ、それらの中の1冊を選んで、モーツァルトの「人並みぶり」にも触れてみて下さいね。
私は今、読めもしないくせにオリジナル(主にドイツ語、時々イタリア語)の書簡全集を買い込んで眺めています。邦訳の全集よりずっと安いし。。ああ、でも、やっぱり分からん! 語学を真面目に勉強しなかったツケが。。。
でも、面白い雰囲気だけは、不思議に伝わってくるんですヨ!

投稿: ken | 2007年1月18日 (木) 23時41分

さういへば、のだめでモーツァルトが父にあてた手紙が出てきましたね。
たしかスカトロネタだつた記憶が・・・
モーツァルトから音樂を取り外したら、かなりヤバイひとなのかな?(笑)
でも、天才だから許してしまひます!
岩波で出てゐるのなら讀んでみたいですね。
私の語學力ではドイツ語はもちろん、英語でも嚴しいかもしれません・・・
大學でちやんと勉學に勵んでゐればよかつたんですけどねえ。
後悔先に立たずとはよくぞ云つたものですね。

投稿: 仙丈 | 2007年1月19日 (金) 00時38分

「のだめ」も行方不明で・・・いや、3つの段ボール箱のうちのどれかに突っ込まれたらしいことまでは分かっているのですが・・・父宛のどんな手紙だったか思い出せもせず、確認も出来ません。残念!
彼の手紙で最も名高く、かつ「やばい」の正反対なのは、やはり父宛のものですが、父が死病の際に見舞いとして送ったものです。
ちょっといぢわるですが、今回のバタバタの中で海外から頂いたメールに返信した際、その書簡からの引用を英語でしましたので、お読みになってみて頂けたら嬉しいです。数個の単語を除けば馴染みの顔の綴りばかりですから、そう分かりにくくはないでしょう?

"as Death, if we think about it soberly, is the true and ultimate purpose of our life,  I have over the last several years formed such a knowing relationship with this true and best friend of humankind that his image hold nothing terrifying for me anyone; instead it holds much that is smoothing and consoling! And I thank my god that he has blessed me with the insight, you know what I mean, which makes it possible for me to perceive death as the key to our ultimate happiness."

Mozart,W.A April 4, 1787

投稿: ken | 2007年1月19日 (金) 01時08分

ご一報いただきありがとうございます。Kenさんの博識には、ただただ頭が下がる思いです。ド素人ファンにはたまりません。1773年6月5日と何かに書いてあったと記憶しています。憎っくきコロレドの時間的要請がなければ、この時代の独唱(ソロ)も聴けたはずなのに残念です。また色々お教えください。

投稿: ランスロット | 2007年1月20日 (土) 10時07分

追伸:いよいよウイ-ン四重奏曲ですね。楽しみです。

投稿: ランスロット | 2007年1月20日 (土) 10時12分

ランスロットさん、ありがとうございました。
6月5日が主日であった件、慌てて再確認しましたら海老澤教授「超越の響き」に記載がありました。どうもすみません。
わたくし、博識ではありませんで、何も知らんので、面白くなって一生懸命読むだけ読んでみている、というのが正直な話です。お恥ずかしい限りです。でも、面白がって読んで頂けるなら、一生懸命を続けます。とても嬉しいから。

さて、ウィーン四重奏曲ですか・・・ウヘエ!
学生時代から一番弾いた作品群で、1曲だけファクシミリも入手出来たりと、思い入れが深いんです。。。で、ちょっと後回しにしようかな、と思っておりました。迷うなあ。


投稿: ken | 2007年1月20日 (土) 23時05分

「死は究極の幸せへの鍵」ですか。
深いなあ・・・
「神」といふ存在が、さういふ深い認識を媒介してくれるのですから、キリスト教徒は幸せですね。
無神論者といふか、宗教を身近に感じられない我々日本人にとつては羨ましいことかもしれませんね。
kenさんにも神の祝福がありますやうに!

投稿: 仙丈 | 2007年1月21日 (日) 01時04分

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