« のだめのいいとこ:8)心の傷を超えて | トップページ | Mozart:1773年の作品概観 »

2006年12月 5日 (火)

曲解音楽史8:インドに歴史は必要ない?

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト

インド神話?マハーバーラタの神々

インドは歴史を持たぬ国だ、とは、私が子供時代に近所にいらしたインド哲学の先生に教えて頂いたことです。
この先生、いいお寺さんのご子息でしたが、学問に専心するあまり、当時は大学の非常勤講師で月給3万円。奥さんもお子さんもいらしたのに、今思っても凄いことです。もうそういう暮らしはなさっていないのですけれど。いまは貧乏我が家には想像できない、権威あるお暮らしぶりなのではないかな。

中世以降は「歴史を持たぬ国」などというのは存在しなくなりました。それまでやはり「歴史を持たな」かった中央アジアや東南アジア、アフリカに於いても、またローマ帝国滅亡後のヨーロッパでも、国家は次々に現れては消え、安定していき、近代における安定後は、地球の殆どの地域について、「歴史」の輪郭をフォローすることは素人にとっても容易になってきます。

インドも例外ではありません。
ですが、いにしえを探ろうとすると、五千年の「歴史」を誇る中国とは大違いで、インドについては「アショーカ王」だの「カニシカ王」だの、叙事詩に現れる英雄などの固有名詞、若干の民族名、その存在したおおよその時代くらいが伺えるに過ぎません。インダス文明にいたっては、いまだに何もかもがヴェールの蔭です。古代インドの史実を正確に時系列に追いかけるのは、イスラームのインドへの浸透がすすむまでは、ほとんど無理なのではないかと思います。

もっとも、インドの古典籍の発想はじつに面白く(私などは翻訳で少数のものしか読めませんが)、こういうものの考え方をするのなら「歴史」なんてメじゃないよなあ、と納得させられてしまいます。

「いたる所で水が溢れている時、井戸は無用である」
(「バガヴァッド・ギーター」第2章、上村勝彦訳 岩波文庫39頁、1992)

ヒンズー教で最も有名な聖典の中にある言葉です。これを読んでいると、日本の教育ではカーストの弊害ばかりが伝えられるこの宗教、実は特定の神を崇拝するのではなく、人間が自分自身の生き方を日々の暮らしの中で浄化していくことが最大の目的であることが伺えます。この「聖典」、たとえばサラリーマンに対しては
「<利益>をブラフマン(至上の境地)とし、そのためにのみ純粋な心で奉仕せよ」
という読み替えも可能なテーゼを持っています。深読みすれば、これではいささか本筋からズレている気もしないではありませんけれど。
ともあれ、こんな「歴史を持たぬ」インドの肝心の音楽については、古代的なものなど、いったい確認出来るのでしょうか?



インド音楽の最も古代的な姿をなんとか調べようと、数冊の本も読み、民族音楽のCDも何枚か聴き、破産の憂き目に遭いながら七転八倒しました。
ですが、残念ながら皆目見当がつかなかった、というのが正直な気持ちです。
原因として、
(ア)最初のインダス文明の担い手(私らが学生時代にはドラヴィダ系と推定される、となっていましたが、今どうなのかは良く知りません)はアーリア系に殲滅されてしまっていること
(イ)インダス文明の担い手が仮にドラヴィダ系であったとして、その子孫は南インドの狭い範囲にしか残っておらず、その言語も音楽も、既に四千年の時を経、多彩な宗教などの影響を受けており、彼らの歌い奏でる音楽を耳にしてみても、古代の面影を残しているような印象はないこと(ヒンズー教の音楽に単純なリフレインのものがありましたが、文学的特徴面でいえば、リフレインはアーリア系の古典で確認し得るものではありますが、インダス文明期まで遡り得るかどうかは不明というほかありません。)
(ウ)インダス文明はメソポタミア文明と頻繁に交流していたことが判明しているものの、記録として何とか読み解けるものは、いまなお交易された文物の出所および商業的帳簿くらいで、文明の有り様自体は遺跡から推定するしかなく、その中には(私の狭い視野に入った限りでは)音楽関係の史料は皆無であること
の3点が上げられるかと思います。
とはいえ、時代が下ってアーリア人の文化期になると、音楽に対する考え方は神話や叙事詩から少しは伺うことが出来ます。
かつ、その神話は(素で読んでも分からないので、上村勝彦「インド神話(マハーバーラタの神々)」【ちくま学芸文庫マ14、2003】の整理したところ、また辻直四郎訳「リグ・ヴェーダ賛歌」【岩波文庫7194-7197、1960】の註から整理してみると)古代ペルシャの拝火教(ゾロアスター教。ゾロアスター=ツァラトゥストラ)との密接な関係が明らかです。
したがって、メソポタミアとの交流はアーリア人も先住民から継承しており、音楽のあり方についても同様の継承を50%の確率では想定できるのではないかと思います。
次項で、そうした例を幾つか具体的に並べてみましょう。

バガヴァッド・ギーター
インド神話?マハーバーラタの神々



数少ない古典の訳書しか読めなかった素人の私が唯一発見出来た、具体的な奏楽の例は、次のようなものです。

「栄光あるクルの長老、祖父(ビーシュマ)は、彼を歓喜させつつ、獅子吼をして、高らかに法螺を吹き鳴らした。/それから、法螺、太鼓、小鼓(パナヴァ)、軍鼓(アナカ)、角笛(ゴームカ)が突然打ち鳴らされ、その音はすさまじいものであった。(以下略)」(上村訳「バガヴァット・ギーター」26-27頁)
これは軍隊を鼓舞する奏楽のケースで、記述内容は旧約聖書のヨシュア記などを連想させてくれます。楽器がどのようなものなのかまでは分かりませんが、訳語から伺う限りでは(法螺が日本のほら貝と同一と思っていいのかどうか、原語を知りませんので断定出来ない、等)、太鼓の種類を中心としている点で、中東地域の軍楽と近似していたさまは充分に伺われます。ちなみに、「バガヴァット・ギーター」の成立時期は西暦紀元後1世紀だと推定されており、いままで見てきたメソポタミアやエジプトよりも、また古代ギリシャよりも遥に時代が下ることになります。時代としては残念ながら、奏楽の具体的な有り様をこれより前に遡ることは、私には出来ませんでした。

祭祀で賛歌の朗詠が重んじられたこと、宴会で歌舞がなされたことは神話や叙事詩から判明はするものの、前者は「リグ・ヴェーダ」からだけでは具体的な朗詠の仕方、後者は要約された神話を読んだ程度では用いられた楽器などについて、いずれも知ることは出来ません。時間が許すときに再度チャレンジしてみようかと思います。
とにかく、それでも古代インドにおいてもやはり、音楽は宗教と結びついて非常に重要視されていたことは、たとえば「リグ・ヴェーダ」の次のような記述から理解することが出来ます(訳文は私が適宜補注をそのまま本文にしたり省略したりしました)。

「太初の人は・・・旋律をオサ(註:糸を通す機織り道具。訳文で当てられている字は木偏に「俊」のつくりの部分)となせり。織らんがために。/何が規範なりし、何が影像なりし、何が原因なりし・・・(中略)・・・何が韻律なりし、何が讚誦なりし、何が賛歌なりし。一切の神々が太初の神に祭祀を捧げたるとき。/(註:以下、旋律名とそれによって祭祀を受ける神の名)ガーヤトリーはアグニ(火神)の伴侶なりき。サヴィトリ(激励の神)はウシュニハーと結合せり。賛歌により威力を増すソーマ(神酒)はアヌシュトゥプと結合せり。プリハティーはプリハス・パティ(「祈祷主」)の言葉を支援せり。/ヴィラージュはミトラ・ヴァルナ両神の美観なりき。トリシュトゥプはここにインドラにとり祭祀の日の分け前なりき。ジャガティーは一切神群に入れり。それにより人間なる聖仙たちは祭祀を整備したり。/(一節省略)/祭事は讚誦を伴い、韻律を伴えり。・・・(以下略)」(辻訳238-239頁)

ここには7種の旋律名があげられています。それぞれ、どんな旋律だったのか、知りたいものです。。。

実際の祭祀に当たっての歌詞、旋律は「サーマ・ヴェーダ」に集成されているとのことですが(服部正明「古代インドの神秘思想(初期ウパニシャッドの世界)」講談社学術文庫2005)、素人の悲しさで、それを目の当たりにすることは私にはいまのところ可能性さえありません。
古代インドについては、こんなところで。

|

« のだめのいいとこ:8)心の傷を超えて | トップページ | Mozart:1773年の作品概観 »

コメント

はじめまして。「音楽史」大変面白く読ませていただいています。
リグ・ヴェーダが生み出された頃の旋律を思うと気が遠くなるようですね。私はサンスクリットを勉強する中、現在約百の歌、のような詩、のような、subhASiTaM (スバーシタム)と呼ばれるものを、いくつかの律に合わせて歌い、覚えています。(といっても必修ではなく私と教授で個人的に続けている授業なので、暗唱の方は途方もなく遅いのですが…。この100が終わったらバガヴァッド・ギータだそうです)。この律の一つであるshloka律で、bhagavad gIta (バガヴァッド・ギータ)やrAmAyaNa(ラーマーヤナ)も歌われています。いくらかバリエーションはあるようですが、長音単音などの法則があるため、昔からの面影をある程度は残しているように思われます。また、インドでは音自体が神なる力が有しているという思想があり、リグ・ヴェーダも、話もそうですがそれ以上に一言一句が非常に重要なものとして口頭伝承されてきており、北と南の僧侶の諳んじるヴェーダを比較してもほんのわずかな違いしか認められないそうです(と、いうのは授業で先生の言っていたことなので、資料などは挙げられないのですが…)。リグ・ヴェーダもたしか旋律を伴い伝承されてきたはずですので(曖昧ですみません^^;)、もしもその録音を見つけることができたら、遥か昔に唱えられた旋律を少なくともどこかに残したものと考えていいのではないかと思います。では、長々と失礼しました。m(_)m

投稿: ふね | 2008年2月 4日 (月) 21時55分

ふねさま、貴重な情報をありがとうございます!
・・・今夜、熱が出そうです!

ちゃんと教われる環境にいらっしゃるのがうらやましいです・・・でも、東洋系の音楽は口承が基本だそうですから、書物では手も足もでないですね。私は老後の楽しみ、かな?
でも、サンスクリットは文法が難しくて、言葉だけでも敷居が高いなあ・・・
ぺルシャ音楽の本なんかでも、私のような素人には、掴みどころがない。時間をかけて取り組むしかないんですよね、本来。

ここはまた一念発起して、ヴェーダの録音がないかどうか当たってみます!

心から感謝申し上げます。

投稿: ken | 2008年2月 4日 (月) 22時03分

お久しぶりです。この頃、一対一の歌の授業にたまにお客さんがいらすようになりました。その一人は、南インド出身のサンスクリット堪能な御仁なのですが、それで発覚したのは、私が習っているのは非常にメロディカルな北部のもので、南の方ではどちらかと言えば朗誦に近い、とても繊細で、メロディに慣れた私の耳にはどちらかといえばとらえどころのない旋律で歌うということです。南の中でも色々あるのでしょうが。遺伝子的にはインド人というのは北も南も本当にアーリア系とドラヴィダ系の完全な混血だと言われています。それでも、北部の顔立ち、南部の顔立ちとあるようですし、北と南はもはや別の国だと言う人もいるほど文化風俗も違うそうです。今度インド南西部ケララ州にある伝統文化を勉強できる施設に行ってくるのですが、一月ほどカルナティック声楽を勉強してきます。今までふれてきたもの(インド映画の音楽も含め)とどのように違うのか、とても楽しみです。

ところで、今日になって読み返して気づいたのですが、ペルシア・メソポタミアとアーリア人との交流のこと。元々古代ペルシア語はヴェーディック・サンスクリットと非常に似ていて、これもラテンやギリシャと祖(プロト・インドユーラシア言語)を同じとすると言われています。この言語の話者は、今のえーと、確かイランだったかな?のあたりから各地に散らばっていったと言われているので、そう考えると元々同じ文化を共有していたと考える方が妥当かもしれません。

投稿: ふね | 2008年3月10日 (月) 08時39分

ふねさん、またまた貴重な、中身の濃い情報をありがとうございました!
北と南の「朗唱」の違いは興味深いですね。CDでは北の系統のものばかり目につき、不思議に思っていたのですが、頂いたコメントを拝読して「なるほど」と独り合点しています。南のものとなると器楽ばかり目につくのは、声の面では北の方はメロディカルなのに南は朗誦になってしまうから、というのと関係があるのでしょうかね。

学生時代、言語関係はとことんサボったからなあ・・・反省。比較印欧語とかいう本もあったような気がしたのですが、手を出さずじまいでした。
言語と音楽の繋がりが音楽にもそのまま反映されている可能性は高いので・・・いずれちゃんと勉強してみようかな。。。でも、頭がついて行けるかな???
ただ、今聴ける「伝統音楽」では、イランのものと北インドのものを比べただけでも、「音楽の単位」のようなものには似ているかなあ、と思われるところもありますけれど、(受け入れたイスラームの宗派の違いなどが影響したのでしょうか、ヒンズーとイスラームにそもそも根本的な違いがあったのでしょうか、)全体的な流れとなると「うーん、結構違うかな」と感じる事も少なくありません。
もう少し聴き込んでみたいところです。

ありがとうございました。

投稿: ken | 2008年3月10日 (月) 20時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/4440733

この記事へのトラックバック一覧です: 曲解音楽史8:インドに歴史は必要ない?:

« のだめのいいとこ:8)心の傷を超えて | トップページ | Mozart:1773年の作品概観 »