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2006年11月30日 (木)

「エローラ」演奏会再ご案内等

*ご来場をご考慮頂けております方々へ

先日ブログに掲載の通り、来たる12月3日、アマチュアオーケストラである私ども東京ムジークフローが、埼玉県松伏町の、音響の素晴らしいことで知られる「田園ホール・エローラ」にて演奏会を行います。入場無料です。
開催時刻、交通手段等の詳細は先日の掲載記事、東京ムジークフローに付きましては団のHPをご参照下さい。(文字の色が変わっている部分にリンクを貼っておりますので、クリック下さい。)

曲目はすべて中学校の鑑賞曲または鑑賞参考曲で、中学生のかたやご父兄のかたにもお気軽においでいただきたく存じます。
ベートーヴェン作曲 交響曲第3番『英雄(エロイカ)』
チャイコフスキー作曲 バレエ音楽『白鳥の湖』抜粋
スメタナ作曲 交響詩『モルダウ』

当日の聞き所ならぬ「見所」は、こちら

お越しを心からおまち申し上げております。

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*演奏メンバー各位(でない方には恐縮な記述です。ここからは目隠しして下さいませ!)

先週の一般連絡お願いと併せ、音響・各演奏曲目について次の諸点の最終確認をお願い致します。

1)ホール規模都合もあり、弦楽器の人数を抑制しています。全般に(『モルダウ』後半を除き)、管楽器の鳴りが弦の音量を潰さないよう、あらかじめご配慮下さい。

2)『エロイカ』・『モルダウ』は、管楽器が伴奏に回る部分は、音が硬質にならないよう、注意すべき箇所を事前確認下さい。

3)『エロイカ』第1楽章コーダ、CD等(特に80年代以前の録音)ではトランペットが主題を高らかにならしていることが多い8小節の部分は、楽譜上は後半4小節は管楽器全体が八分音符を軽快に響かせることでテーマを浮き出させるのが本来の記譜であり、今回は勿論そちらで演奏します。この箇所を含め、弦楽器は「キザミ」でリキんで、音楽の本来あるべき流れと響きを崩してしまうことのないよう、充分に気をつけて下さい。

4)『白鳥の湖』は、各自まだネックとして残っている部分は当日までに確実にフォロー下さい(あ、ワシも、です。ハイ、やります!)

5)『モルダウ』のコーダは<高い城>のテーマが厳粛に響くことを主眼に作曲されています。決して、大きく鳴らせばいいというものではありません。構成音が美しく響きあってこそ、<高い城>の象徴性が発揮されます。この点、くれぐれも肝に銘じて演奏に臨んで下さい。・・・なお、<高い城>をご存じない方は、せめて前日までに、スメタナ『我が祖国』第1曲(これがすなわち<高い城(ヴィシェフラト)>です)を必ず耳にしておいて下さい。

ご連絡は以上です。
宜しくお願い致します。

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2006年11月28日 (火)

Mozart:「ルチオ・シッラ」問題

アマオケですが、私たちの演奏会が12月3日にあります(詳細はクリック!)。入場無料。是非お越しください!



問題、などと綴ると大袈裟なのですけれど、モーツァルトの、イタリアで注文を受けた最後のオペラ<ルチオ・シルラ>K.135については、どう捉え、どう考えたらいいか、には、大変悩まされました。が、日数をかけた上で出た結論は、
「なるべく手短に、物理的に検討するにとどめよう」
というものでした。
(でも、またずいぶん長くなってしまった・・・読んでもらえないでしょうね〜)

ですので、オペラの内容、上演の経緯を詳しくお知りになりたい場合は、
・ストーリーについては堀内修「モーツァルト オペラのすべて」平凡社新書Y840 
・上演を巡る経緯については
西川尚生「モーツァルト」音楽之友社 作曲家◎人と作品シリーズ 2005年
海老澤敏「モーツァルトの生涯1」白水Uブックス1001 1991年(単行本は1984年)
のご参照をお勧めします。海老澤教授の「・・・生涯」は安価な新書版は古書でしか入手出来ないかも知れません。
(記事最末尾のアフィリエイトを参照下さい。)
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見ていくに当たって、課題を大きく二つに整理しました。
1)「ルチオ・シルラ」上演正否の理由を作品規模からおおまかに考える
2)レシタティーヴォ・セッコの通奏低音の、当時の慣習を考える
  ・・・こちらは、「ルチオ・シッラ」固有の問題ではありません。なぜ考えることになったかは、そちらの項でお話します。

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まずは、
1)「ルチオ・シルラ」上演は成功したか、否か、の問題です。
海老澤「生涯1」ではレオポルドの手紙を多く引用し、上演の華々しい成功ぶりを読者に印象づけています。
同じ著者の「超越の響き  モーツァルトの作品世界」(小学館 1999)でも、ルチオ・シッラは大成功であったと伝えられる、としています。
ところが、西川「モーツァルト」には、次のように記されています。
「(ルチオ・シッラの)実際の興行収入はたいしたものではなく、レオポルドが言うほどの成功はおさめなかったようだ。」(70頁)
「ヴォルフガングは、この作品以降、二度とミラノからオペラの作曲依頼を受けなかったが、これは<ルーチョ・シッラ>があまり成功しなかったという理由だけでなく、前述のマリア・テレジアの大公宛書簡が影響しているともいわれている。」(同頁。マリア・テレジアのミラノ大公宛書簡については、同書65-66頁に言及されています。書簡そのものの翻訳はドイッチェ/アイブル編「ドキュメンタリー モーツァルトの生涯」【シンフォニア、1989年】108頁に載っています。)
堀内「モーツァルト オペラのすべて」では、
「初演が成功だったか、実は失敗だったかは、いまも意見が分かれている。」(114頁)
とし、さらに、このオペラが初演時26回も上演されたことは人気が出ていた証拠だとしながらも、上演回数が予定分をこなしただけであること、再演は二度とされなかったこと、かつ
「なによりの失敗の証明は、このあとモーツァルトに新作オペラの注文がこなかったことにある。」(同頁)
とまで述べています。
大成功作は別として、再演されなかったことが失敗の証明、というのは極論に過ぎるかと思います。そのような作品は、たとえば後年モーツァルトがライヴァル視するようになるサリエリにも多くの例があります(水谷彰良「サリエーリ」参照)。
堀内「・・・すべて」はさらに、明確な失敗理由として、ではありませんが、「ルチオ・シルラ」が長い、ということをも特別視しているように読み取れます(118頁)。

マリア・テレジアの書簡問題については「アルバのアスカーニョ」について綴った際に言及しましたが、彼女はミラノ大公の母として節制を求める趣旨から問題の書簡をしたためており、かつ、その内容からは、父レオポルドがザルツブルクでの本来の勤務を忘れ去ったようにヴォルフガングの売り込みに熱中している様子を不快に思っていたらしいことが伺われます。
ですから、「ルチオ・シルラ」がたとえ成功作であっても、そののちミラノから注文がこなかった理由は、マリア・テレジアの意を受けたミラノ大公の判断によるもの、とするだけで充分、かつ何の不思議も無いはずです。従って、堀内著作の「不成功」理由の第1説(新作オペラの注文がなかったことが失敗の証明になる)は正しい記述ではない、と判断してよかろうかと思います。

次に、長さの点を、モーツァルトのミラノ・オペラ3作品の、NMAのスコアにおける(本来は小節数で比較すべきでしょうが、便宜的に)ページ数で比較してみると、以下のようになります。
「ポントの王ミトリダーテ」:340ページ
「アルバのアスカーニョ」:261ページ
「ルチオ・シッラ」:478ページ
以上から、上演の成非との関係はともかく、ページ数で見る限り、「ルチオ・シッラ」は「アスカーニョ」の1.8倍、「ミトリダーテ」の1.4倍、と長いことは事実であることが分かります。
ただし、長さが成非のバロメータであるとしてしまうと、上演回数がたとえ予定分キッチリであったとしても、何とかそれをこなしていることから見て、無理があるように思います・・・が、それは堀内氏も明確に「失敗理由」としているわけではありません。

以上を総合的に見ると、西川「モーツァルト」の記述が最も客観的、かつ的確な判断ではないかと評価出来ます。

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2)のレシタティーヴォ・セッコの通奏低音の問題について、に移ります。
半年ほど前、「ドン・ジョヴァンニ」自筆譜ファクシミリの抜粋が安値で出ていたので、解説がフランス語なので殆ど理解出来ないにも関わらず、衝動買いしてしまいました。(1ヶ月ほど前にも新宿の高島屋裏のほうの紀伊国屋書店の洋書コーナーで見かけましたから、まだ入手可能かも知れません。)
眺めていて、レシタティーヴォ・セッコの自筆が目に入ったとき、ビックリしてしまいました。
レシタティーヴォの音符の下には、バスの根音しか書かれていないのです。しかも、「数字付低音」でもありません。和音の転回について全く指示がなされていないのです。
あまりに驚いたので、古楽に詳しい先生に「これこれこういうわけなんですが」と質問したら、
「それは、モーツァルトが自分で弾いたから、和音とか数字まで書く必要が無かったんだよ」
とのことで、私もずっとそれで納得していました。

NMAでは各作品(あるいはそのジャンルの代表作)の白黒ファクシミリが数葉付いています。で、レシタティーヴォ・セッコの自筆は「ルチオ・シッラ」で初めて見ることが出来ます。
また、驚きました。「ドン・ジョヴァンニ」現象が、ここでも起こっていました。数字無しの、根音だけのバス。。。

で、今度は別の先生に「あれこれこうだったんですが」と質問したら
「レシタティーヴォのフシを眺めて調が判定出来れば、どんな和音を付ければいいか簡単に分かっちゃうから、数字なんか要らないの不必要なの!」
さらに、伴奏の名手の先生が
「セッコじゃなくて合唱だって、バスに数字がついてなくても各声部から和音が読み取れるから、バスに数字をつけなくたって即興で出来ちゃうんダヨあんた勉強タリナイ!」
と貴重なご教示を頂いたのでした。
で、恥を忍んで、実際に「シッラ」のレシタティーヴォに私が和音を付ける実習をしてみた結果を、自筆譜、NMAの回答譜と合せてご覧頂くこととします。音楽は正式に先生から習ったことが無く、和声についてはホンの初歩的なことしか分からない私ですが、家族から「ついに発狂したか!」と差別の目で見られながらも、歌って、鍵盤叩いて和音を付けてみたら、音の配置の変更を覗いて、和音を付けるだけの作業には数分しかかからなかったことを、あらかじめご報告しておきます。(ついでですが、ピアノは超ヘタクソです。)

画像は、それぞれクリックすると拡大して見ることが出来ます。
まず、自筆譜。分かりにくいかも知れませんが、5段目の"Silla"とあるところから最後までが、和声付けの課題としたところです。
Sillaauto

私の答案
Sillatouann

NMA(新モーツァルト全集)ペーパーバックの印刷譜
Sillaanswer

私の音の配置のセンスの無さはともかく、たしかに、レシタティーヴォのフシからだけで容易に調も判断出来ましたし、印刷譜と比べてほとんど錯誤のない和声付けが出来たことには、こんどは自分で自分にビックリしました!
先生たちのお話がいかに信じえるものかは、この私の拙い例で充分ご理解頂けることと思います。

お粗末さまでしたが、この作品について、これ以上触れると「墓場の場面がドン・ジョヴァンニを予見させる」だの、「死を覚悟したヒロインのアリアはフィガロの伯爵夫人の若書き版だ」だのと、やたらとしゃべりまくりたくなりますので、こんなところでやめておきます。そうでなくても、いつも長すぎるので。

CDは、アーノンクールによる短縮した演奏のものをお勧めします(まだ手に入るかな・・・)。
違う演奏ですが、近々DVDも出るはずです。
(アーノンクールは「ミトリダーテ」もうまく短縮した演奏で映像化しています。)



モーツァルト

Book
モーツァルト

著者:西川 尚生

販売元:音楽之友社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

単行本のほうですが・・・



モーツァルトの生涯

Book
モーツァルトの生涯

著者:海老沢 敏

販売元:白水社

Amazon.co.jpで詳細を確認する



超越の響き?モーツァルトの作品世界

Book
超越の響き?モーツァルトの作品世界

著者:海老沢 敏

販売元:小学館

Amazon.co.jpで詳細を確認する



サリエーリ?モーツァルトに消された宮廷楽長

Book
サリエーリ?モーツァルトに消された宮廷楽長

著者:水谷 彰良

販売元:音楽之友社

Amazon.co.jpで詳細を確認する



モーツァルトオペラのすべて

Book
モーツァルトオペラのすべて

著者:堀内 修

販売元:平凡社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年11月27日 (月)

のだめのいいとこ)7:集中の条件

アマオケですが、私たちの演奏会が12月3日にあります(詳細はクリック!)。入場無料。是非お越しください!



のだめ関連CD・書籍:のだめオーケストラLIVEくわしっく名曲ガイドはみだしオケマン挑戦記

ココログご利用の「のだめ」ファンの方へ、お願い
あなたの「のだめ」記事をお綴りになる時、是非『のだめカンタービレ』という名前のカテゴリを作り、そのカテゴリで掲載なさいませんか? 一人でも多くの方がそうして下さると、ニフティのカテゴリ別に『のだめカンタービレ』が登録され、『のだめカンタービレ』について読みたい人が、あなたの記事をカンタンに見つけてくれるようになるそうです(ご教示下さったJIROさん、本当にありがとうございます。)



のだめカンタービレ (7)

原作第6巻の半分以上が時間の都合上ドラマにはできない、とのことで、いきなり第7巻のエピソードに突入。

どういう出来になるのか、と、楽しみでしたが、シナリオはどなたがなさっているのでしょう(タイトル中に出るのでしょうが、いつも見落とします)? 「さすが!」と唸らせられる素晴らしいまとまりでした。
原作をお読みの方にはご納得頂けると思うのですが、いかがでしょうか?

今日の場面中、印象深かったところ
・のだめの怒り・・・原作以上の迫力! のだめの幽霊化・・・原作以上の脱力感。

・のだめ、千秋の心の振幅が、実写画面ならではの深みがあったと思います。

・ハリセンの出番が増える、嬉しい予感。はまっちまったところのあの表情の素晴らしさ(原作第7巻70頁)。プリごろ太グッズでのだめをレッスン室へ入れるわなを仕掛けたところの、あの原作への忠実さ(同83頁)。

・コミックではR☆Sオーケストラ活動の匿名密告者に「->犯人」とさりげなく注意書きされているところを、伊武さんが演技でさりげなく表現していた!(同94頁)

・清良役の方、メンデルスゾーンのコンチェルトを弾く場面で、左手がまさに本物だった!黒木君のオーボエ、またしかり。

・峰君の気合い(原作第7巻107頁)。若々しい!
・・・オケのメンバーたちの今後も、とても楽しみになりました。

・なにより、千秋の指揮表現の進歩は、役者さんとして尊敬に値します。『アマデウス』の、モーツァルトやサリエリの指揮シーンと見比べて見て下さい!・・・「今日はもういい」と、ブラームスの練習をやめる場面へ持っていく必然性を、振り方からやめ方まで、随分お考えになった上で演技をお決めになったようにお見受けしました。ブラームスのスコアへの、突然熱情的に始まる書き込み、迫真感が非常に強く、じつは一番印象に残りました。

以下、能書き。というより、もう、殆ど訳の分からない戯言ですが、ご容赦下さい。

・役者さんというのは、「集中」の大切さについて、やはり熟知なさっているんだなあ、という感慨。
・シナリオ屋さんは、ドラマの盛り上げ方を知り尽くしているんだなあ・・・しかも、「のだめ」のシナリオは、原作では大きなウェイトを占めながらも、どうしても省略しなければならないエピソードがあるにもかかわらず、原作の味を損なわないだけでなく、更に引き立てていて、かなり驚かされます。

等々、今回まで来ると、ひたすらそのことに頭が下がる思いです。

プロだから?

テレビ番組になるシナリオ、それを演じる人達が、必ずしも今回の「のだめ」のような「集中」のもとに作られていないことは、私とは違ってドラマをよくご覧になる方、かつ「のだめ」原作をも大好きで読まれている方には、はっきりとお分かりになるのではないか、と、想像いたします。
質が低くても、それで稼げれば、「プロ」、というのが、日本の常識なんでしょう。
・・・そう思うと、自分自身の仕事の質が「プロ」なんだろうか、ということを、つい胸を当てて考えてしまわざるを得ません。仕事で稼いでいるのだから、仕事については「プロ」・・・そこまでは、間違っていないように思われます。

「プロ」という言葉が、良くないのかなあ、とも思いました。

稼ぎだけではない、他の面でも、私たちには自分に、自分たちに課したい、自分ができる限り高い質でやり遂げたいことが、「仕事」にはあるのではなかろうか?
「仕事」という言葉も、良くないかも知れません。
職場、作業場、アトリエ、スタジオ・・・そこに籠って何かに取り組んでいること・・・それは、稼ぎに結びつかなくても、語彙の本来の意味としては「仕事」に属するはずですが、こんにち、私たちはそんなことは忘れてしまっています。

亡くなった指揮者、ズデニェク・コシュラーさんが、私たちの大学オケを振りにいらしたとき、お酒の席で
「え、日本の音楽、アマチュア、っていう人達がいるの?」
と、随分怪訝そうになさっていたのが忘れられません。

たかが大学オケ、でした。
されど、大学オケ、だった。
みんな、音楽に集中していました。決して和気あいあいではありませんでした。毎日、同輩とケンカしているか、先輩に叱られているか、後輩になめられているか、後輩をなめていたか、でした。飲み会をやっても、「のだめ」にでてくるみたいな明るさとは無縁でした。
他のサークルから見たら
「あいつら、普段からあんなに仲が悪いのに、なんでいつも一緒に集まっているんだ?」
・・・もう、奇妙で仕方なかっただろうな。。。今にして、そう思います。

稼ぎには一銭もならなかった。おまけに、肝心の学業も、融通の利かない連中(私を含む)は「のだめ」以上に、サボりました。
でも、「質」は、いつも追及した。それだけが全員共有の精神でした。

社会人のアマチュアになると、「仕事の傍ら」という思いが、だれしも常にアタマの片隅にあって、そのくせやっぱり音楽が(音楽でなくてもいいのですが)好きだから、「仕事」もおろそかになる。
ここで言う「仕事」という言葉が、本来の仕事なんだろうか?

ちょっと、考えて見ませんか?

なんか、抹香臭くなってしまった・・・

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2006年11月26日 (日)

コンサートご案内:田園ホールエローラ【埼玉県松伏町】

私共のアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローが、来週、下記の通り演奏会を行ないます。活動のメインにしている定期演奏会ではないため、お手伝いの方を最小限に押さえ、団員の実力でどこまでいい音楽ができるかに挑戦しつつ練習を重ねて参りました。是非、お一人でも多くのご来場とご批評をお願い申し上げたく存じます。

入場無料です。
下記リンクにアクセス情報もございます。

日時:2006年12月3日(日)14時開場、14時30分開演

曲目:ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」作品55
   チャイコフスキー 「白鳥の湖」抜粋
   スメタナ 「モルダウ(ヴルタヴァ)」

場所:松伏町中央公民館 田園ホール・エローラ
地図はこちら(色の変っているところ)をクリック下さい。

最寄り駅:東部伊勢崎線(東京メトロ日比谷線直通あり)新越谷駅・北越谷駅、
      JR武蔵野線 南越谷駅・吉川駅
各駅から、および各駅へのバス時刻表はこちら(色の変っているところ)をクリック下さい。

自動車でのアクセス方法はこちら(色の変っているところ)をクリック下さい。

当日の聞き所ならぬ「見所」は、こちら

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同ホールでは来年1月7日にウィーン・リングアンサンブルによるニューイヤーコンサートが予定されております。
「ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート」に出演後、主要団員がすぐに日本へ駆けつけて行うニューイヤー・コンサートです。

ライナー・キュッヒル(ヴァイオリン)・エクハルト・ザイフェルト(ヴァイオリン) ・ハインリヒ・コル(ヴィオラ) ・ゲアハルト・イーベラー(チェロ)・アイロス・ポッシュ(コントラバス)・ウォルフガング・シュルツ(フルート)・ペーター・シュミードル(クラリネット)・ヨハン・ヒントラー(クラリネット) ・ギュンター・ヘーグナー(ホルン)といった錚々たるメンバー。(私、一家でチケット予約しちゃいました!)

「あ・・・そっちだけ行く!」
・・・だなんて言わないで下さいネ! 私たちの演奏会も聴いて下さい!
宜しくお願い申し上げます m(_ _)m

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2006年11月24日 (金)

のだめ)脇道篇:日本トロンボーンコンペティション於洗足学園

娘がトロンボーンの師匠に
「勉強になるよ」
と薦められ、一昨日、家内と二人で第13回日本トロンボーンコンペティションに行ってきました。
・・・毎日会社で仕事をサボることに疲れ切った私と、前々日に彫刻刀で指にみごとなホリを入れてしまった息子は、お留守番。

高校生(中学生も出場可)を対象にしたこのコンペティション、なんと、会場が洗足学園溝ノ口キャンパス!
そう、「のだめ」の撮影場所であります!
帰宅した女どもに
「どうだった?」
と聞いたら、
「あ、予選はSオケの練習部屋だったし、じゃあ、っていうんで表に出たら、あ、あそこにこないだ映ったモニュメントが・・・あそこにも! あれ、ここ、ミルヒーがのだめに時計を上げたとこだ、ってカンジで、いっぱい観光して来ちゃって、幸せだったァ!」
・・・そうじゃなくて、トロンボーンは、どうだったんだ!
・・・どうも、真面目にきいて来たんだかどうなんだか・・・

予選はともかく、いちおう、本選は真面目に聴いて来たようではありました。

優勝者は、わが故郷仙台の、常磐木学園高等学校生:山内正博さん! ブラボー! やったね!

家内の本選感想。
「さすが、高校生とはいっても、プロを目指したりして、真剣で純粋に情熱を燃やしているからね。アマチュアオーケストラで上手い、なんて言っているレベルは遥かに超えてるヨ! みんな、偉かったと思う。」
とのことで、トロンボーンに限らず、だと受け止めていますけれど、私たち、自己満足でうかうかしてはいられません!

特別審査員のフランス人トロンボーン奏者、ジャック・モージェ氏が、大変良いことを仰ったようで、じかにお聞きしていないので正しく理解できているかどうかは不安ですが、ご紹介しておきます。

「今年は皆さん、難曲に挑戦して、それはそれで素晴らしい態度です。ですが、吹けたから良い、というのではありません。その点では、今年は昨年に劣っていたと思います。本当に大切なのは、演奏をしているあなたの思いを、聴いて下さるかたに伝えること。それには、まず、楽譜に忠実に吹けなければいけません。音程、は勿論ですが、音符には長さも示されている。そのうえ、楽譜に書かれているのは音符だけではない。きちんと読むことが大事です。それを忘れないようにして下さい。」

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2006年11月23日 (木)

シューマンを聴く:自国語オペラへの夢、潰えて

Genovevamazur新作オペラが上演される、と大きく話題になるのは最近まれなようですが、web上の外国の新聞や音楽ニュースによれば、メトロポリタンをはじめ、世界各地の劇場で、ときどき注目作というのが発表されています。オペラに情熱を傾ける作曲家は、決していなくなったわけではないのですね。ただ、それらが日本でベストセラーCDやDVDになることは、おそらく、なかなか無いのかな、とは思います。
もうひとつ、東洋系の人の「自国語オペラ」は欧米ほど数が生まれていない・・・そんな気がするのですけれど、
「ソウデモナイヨ」
なのだったら、ごめんなさい。(ご教示下さい。)
ただ、『 HERO(英雄)』などの映画音楽で有名な中国出身の作曲家タン・ドゥン氏に、近年いくつか素晴らしいオペラ作品があるものの、私がCDやDVDという媒体で見聞きすることが出来た彼のオペラ3つ(『鬼戯』【1994】、『マルコ・ポーロ』【1996】、『The Tea』【2002、NHK交響楽団演奏のDVD・・・不思議かつ残念なことに国内盤がありません】)は、舞台こそ東洋であるものの、詞はすべて英語なのですよね。いずれも傑作だと思います。しかし、世界中の人に傑作だと認められるオペラを書くには、詞は東洋系の言葉ではまだまだダメだ、ということなのでしょうか? 分かりません。
とはいえ、たとえば日本でも山田耕筰以来、日本語オペラの試みは絶えず続けられており、とくに先年亡くなった團伊玖麿さんの『夕鶴』は海外でも評判が高いと聞いていますし、当然日本国内でも長く上演し続けられる作品だと信じております。
子供でも分かる日本語オペラとしては林光さんの『森は生きている』という楽しい作品もあり、その舞台を我が家の子供たちも大笑いで見させていただきました。これは、ドイツだとジングシュピールという言葉でくくったら良さそうな作品で、日本にも「ジングシュピール」にあたるような新語が出来ないかなあ、と、マニアックで変人の私は本気で考えたものでしたが・・・思い付きませんでした。
「賞金出しますから応募して!」
なんていうことをのたまうには懐も寂しすぎるしなア(出せる賞金は、せいぜい千円!)。そういうこと言ってくれるスポンサー、見つからないかなー(百万円くらいの賞金出してくれるなら、私も応募したいデス)。

と、余計なことばかり・・・のようですが、実は、完成作としてはシューマン唯一のドイツ語オペラ『ゲノヴェーヴァ』のことを考えていたら、今まで綴ってきたような、さまざまなことが、つい頭の中を駆け巡ったのでありました。

ドイツ語オペラ、といえば、ベートーヴェン以後、シューマンより前にこの世界で大きく当たりをとったのは、申し上げるまでもなくウェーバーでした。『魔弾の射手』はいまでも、たとえば外国語音痴の私がCDで聴いても、中身がさっぱりわかっていないにも関わらず、舞台の情景が目に浮かぶような傑作です。
ウェーバーに好感を持っていたシューマンは、また自作の速度表示や表情の用語を、それまでイタリア語で書かれるのが常識だったところ、自国のドイツ語で書くよう積極的に取り組んだ人でもあり、この点で後輩たちに大きな影響を与えたのでした。(自国語による表記についての提唱者は別の人で、それに対するシューマンの考え方は、シューマン自身の評論集『音楽と音楽家』[吉田秀和訳、岩波文庫、42頁参照]に述べられています。)
シューマンにも、ドイツ語でオペラを書く、という夢がありました。
それも、従来のレシタティーヴォとアリアの連続のような、いわば科白劇の延長としてのオペラではなく、音楽そのものの流れの中に身を委ねて鑑賞出来るようなオペラを、何とか作りたいと意欲を燃やしていたのでした。
暗中模索の上作り上げたのが、『ゲノヴェーヴァ』でした。

古い伝説に題材をとったもので、筋はおおよそ次のようなものです。
・・・レコンキスタ運動に参戦するため出兵することになったジークフリートは、貞節な妻ゲノヴェーヴァの留守中の保護を、信頼する友ゴローに頼んでいきます。ところが、前からゲノヴェーヴァに恋していたゴローは、この機会に彼女を自分のものにしようと、必死に試みます。しかし、いくら試みても、ゲノヴェーヴァはゴローの誘惑に屈しません。ジークフリートは無事生還しますが、あろうことか、ゲノヴェーヴァの乳母が出迎えと偽って出向き、彼を毒殺しようとして失敗します。妙な事態にジークフリートはゲノヴェーヴァの貞節を疑いますが、ゴローが彼女の潔白を明かして遠くへと立ち去り、ジークフリートは疑いを解き、ゲノヴェーヴァはあらためて永遠の貞節を誓います。

素材とした伝説に基づいた台本が良くなかった、ということだそうで、1850年6月25日にシューマン自らが指揮してライプツィヒで上演された、この意欲作は、興行的に失敗し、以後久しく、序曲を除いては演奏もされることが無かった、とのことです。

1976年、クルト・マズアは手兵ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団とともに全曲初録音に挑みました。ゲノヴェーヴァをエッダ・モーザー、ゴローをシュライアー、ジークフリートをフィッシャー=ディースカウという錚々たる歌手陣が歌っているおかげもあり、これはオペラ『ゲノヴェーヴァ』の真価をくっきりと浮かび上がらせる名録音となっていますが、CD化されたのは16年後の1992年、とリーフレットの説明にありました。

実際にCD聴いて見ると、シューマン生前の上演失敗が「台本が良くないせいで」という説がウソだったのではないか、と思えて仕方がありません。
まず、管弦楽が非常に色彩的です。
シューマンの交響曲は、過去の名指揮者たちまでが「オーケストレーションが悪い」と酷評してきましたが、最近ではこちらも作品本来の色彩の豊かさを浮かび上がらせることに力を注いだ演奏・録音が増えてきています。
ところが、『ゲノヴェーヴァ』については、シューマンは文句無く、平明で効果的なオーケストレーション手法で実力を発揮しており、劇の場面転換が聴覚だけではっきりと、しかも興奮を伴って認識することを可能にしています。
次に特筆すべきなのは、各幕ごとに音楽が途切れることなく流れ続ける点でしょう。語るようなレシタティーヴォも、くっきりここからだ、と分かる見せ場的なアリアも無く、音楽はストーリーの波の高低によって融通無碍に変化しつつ、休むことを知りません。非常に明瞭にワーグナー(ローエングリンやトリスタン)の先駆であることを示しているこの音楽的特徴が、しかし初演当時は逆に聴衆を戸惑わせる斬新さとなってしまい、興行を失敗に終わらせる原因となったのではないかとさえ思われてきます。
合唱曲の名作者でもあったシューマンは、劇中での効果的な合唱の用い方もよく心得ていて、合唱の響く場面が大きな聴きどころともなっています。
最近では、演奏会形式ながら上演される機会も増えてきたのだそうで、機会があったら、ないしはCDをお見つけになったら、是非ご一聴をお勧めしたいと思います。

・・・名作です。スコア、見てみたいです。

余談ですが、私がまだ学生だったか、会社員になって数年経ってだったかは忘れましたけれど、マズア/ゲヴァントハウスの来日公演に出かけたとき、コンサートマスターは名ヴァイオリニスト、カール・ズスケでした。曲はチャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』でしたが、ズスケのコンマスぶりに、本当に驚かされたことといったらありませんでした。
最近では某マイナーオーケストラ(ウチらだ!)の超ヘタコンマスが、屠殺前のブタほどパンパンに太った体を指揮者も食わんばかりによじらせるので悪名高くなっておりますけれど(誰だ?)、一説には、あれは彼がズスケを気取って身の程をわきまえなくなったからだ、とのことです。それくらい、というか、そのブタ以上に、ズスケは曲が高まれば身を上下左右に大きく振り、静まっていくと大袈裟に身を縮め、
「あれ、チャイコフスキーが作ったんだから、『ロメオとジュリエット』もバレエ音楽だったんだっけかな???」
と、私は以後しばらく悩み続けることになったのでありました。。。
ハイ、まったくの蛇足です。

マズア盤
アーノンクール盤

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2006年11月20日 (月)

のだめのいいとこ:6)うらやましいな、シンクロ泣き

ココログご利用の「のだめ」ファンの方へ、お願い
あなたの「のだめ」記事をお綴りになる時、是非『のだめカンタービレ』という名前のカテゴリを作り、そのカテゴリで掲載なさいませんか? 一人でも多くの方がそうして下さると、ニフティのカテゴリ別に『のだめカンタービレ』が登録され、『のだめカンタービレ』について読みたい人が、あなたの記事をカンタンに見つけてくれるようになるそうです(ご教示下さったJIROさん、本当にありがとうございます。)



おすすめ関連CDと本:「のだめオーケストラLIVE」「くわしっく名曲ガイド」


のだめカンタービレ (6)

・・・「のだめ」を見るたび、笑って、でも涙してしまう
そんな自分が分からなくなってきました。。。

原作4巻の音楽祭の部分はドラマ化されませんでしたので、シナリオ上は設定に変更がありますね。テレビドラマとしてはこれからが真骨頂かもしれませんね。・・・シナリオ屋さんのご苦心とセンスの良さを感じさせて頂きました。
実は、我が家、たいていテレビは子供がゲームをするために占領してしまうので、ドラマってどんなものなのか、私は正直言って皆目見当がつきません。でも、展開を追いかけていると、なんだかそろそろ原作と違う楽しみが湧いてくる予感がしてなりません。

本日涙した部分。
・のだめと千秋のラフマニノフ連弾。演奏の中身云々、ではなくて(あー、演奏も素晴らしかったんですが。どうも表現が下手で、すみません)、お二人の演技にこもった気合いと、真剣なアンサンブルが本当に実を結んだときの喜びを、このお二人がその目で見事に示してくれたことが第1でした。(演奏スタイルの演技も、なかなかのものでした!ただただビックリ!)
・Sオケ打ち上げでの、「太鼓でドン!」の真澄ちゃん。それを見つめる千秋の目。もう、言葉、なし。
・同じ打ち上げの、一連の部分。アマチュアとは言え学生オケにいましたけれど、私たちのオケには、ああいう喜びの爆発が無かったな。「ドラマ」の中とは言え、あれが本来の学生さんのノリ、ですよね。。。うらやましい限りでした。
それぞれの部分で涙が出ましたが、家内も娘も息子も、いつものように1分に1度笑い転げるばかり。
私とシンクロ泣きしてくれる家族は、誰もいなかった・・・

さて、R☆Sオケの物語は、どうなって行くんでしょうか。

今日以降は、もう素人の私ごときでは蘊蓄を傾けるなんて恥ずかしくて出来ないかも知れないな。
なにか思いつけば後で付け足しますが、とりあえずは、とくにアンサンブルでの真剣勝負については、文庫本で手軽に読める茂木大輔著「はみだしオケマン挑戦記」、とくに IIIに記載の「オーボエ吹きはどこへ行く」・「オーボエ吹きの深き欲望」のご一読をお勧め致します。
この本のことは近日、またへたくそなレヴューをしますネ(しました)。

今回も、お粗末でした。



はみだしオケマン挑戦記―オーボエ吹きの苛酷なる夢


Book

はみだしオケマン挑戦記―オーボエ吹きの苛酷なる夢


著者:茂木 大輔

販売元:中央公論新社

Amazon.co.jpで詳細を確認する


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11月19日練習反省

TMFの皆さま

大ざっぱなまとめになりますが・・・
全曲目を通じおなじ点のご指摘を受けており、かつ私からも申し上げましたので、その点のみ整理して掲載しておきます。

1)和声が崩れていることが分からなくなってしまうような、
  自分自身に熱中してしまった「大きな音」で演奏しないこと。
  ・・・かえって「響きを殺し」ます。
  とくに『エロイカ』第1楽章と『モルダウ』の管楽器陣、<充分に>ご留意下さい。
  
2)上記に通じますが、「頑張りすぎないこと」。
  適宜な抑制をし、音楽上での「自分」と「応答者」の関係を常に見失わないよう配慮すること。
  (弦楽器陣は2つのことが言えます。
   第1に、伴奏音型は・・・いかに簡単なものであっても、または、いかに複雑なものであっても、
   音譜にとらわれて全体を見失い、力弾きになるのは厳禁。
   第2に、旋律担当であっても、同じく力弾きは伴奏者に無理を強い、響きが濁る原因になる。
   ・・・『モルダウ』はとくに注意を要します。
   
3)ご自身の大事な「入り」は確実に入って下さい。
  また、絡み合いが重要な箇所は、楽器が手に取れない環境でも、
  頭の中で反芻しながらリズムを正確に取れるよう、
  今からでも極力毎日、頭の中でイメージしつつ練習頂けると
  ありがたく存じます。(メトロノームをご利用下さい。)
  旋律の設計に留意しなければならない方、よろしくお願い致します。
  以上、該当の方、場所はおわかりと存じますので、具体例示しません。

以上、次回の練習が「主観」に走らず、客観的な確認に徹することを心から希望します。

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2006年11月19日 (日)

のだめ)皆様へのお願いとお詫び

1)ニフティの「ココログ」をお使いの方にしかお願いできないのでしょうが、

せっかくだから『のだめカンタービレ』というカテゴリを作っておくと、「のだめ」のことだけ読みたい人が記事を探しやすくなりますヨ

と教えて下さった方がいらっしゃいました。

さっそく、私は『のだめカンタービレ』というカテゴリを作って、関係記事はそのカテゴリに変更しました。

「のだめ」について記事を綴られる方、ご賛同頂けるようでしたら、各位、ぜひ『のだめカンタービレ』というカテゴリをご自身でもお綴り頂けませんでしょうか?
そういう方がふえると、ニフティのジャンル別に「のだめカンタービレ』が登録され、よりたくさんの人が手軽に楽しめるようになるそうです。

まとめるのが下手ですみませんが、主旨ご理解頂けたら幸いです。


2)おわび

どうも、「生まれながらの無鉄砲」というやつで、しかもネットで気持ちを伝え合うというのはお酒の席のように気軽には行かないんだ、ということが理解できておらず、あるお考えが(その方にとっては)特定できる内容で非難を綴ったり、その相手さんにリンクをはったりという「姑息」な手段で自己主張していた箇所がありました。
相手の方には少なくとも当方の思いは理解を頂けたことを確認しましたので、今朝までにそうした文、リンクは気付いた限りすべて除去しました。
お読みになりご不快を感じたであろう皆様にも深くお詫び申し上げますとともに、上記、まだ削除漏れ等ございますようでしたら遠慮なくお知らせ下さいますよう、心からお願い申し上げます。

以上2点、何卒宜しくお願い申し上げます。


クラシック音楽中心のブログ。
音日記曲解音楽史CDや読書の鑑賞記等 追っかけ個別:モーツァルトショスタコーヴィチ藤原定家 (Why?) アマオケ東京ムジークフロー演奏サンプル(うれし恥じかき、基い! 恥ずかし!)


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2006年11月13日 (月)

のだめのいいとこ:5)協奏曲狂騒記、というほどではないですが


のだめカンタービレ (5)

最初は笑って、最後は泣きました・・・
ミルヒーが手をあんなにしっかり縛られて拉致されるとは!
そのミルヒーが、後半の随所で、あんなに神様のような表情をするとは!
のだめに向けた優しい目〜何であんなに紳士なんだ!
指揮場面は顔が大写しになったところ、感激でした。巨匠の眼光でした。
(振りは、オケ全体とよりは、すべて単独でだけ捉えた方が絵的には良かったように思います。)
千秋の演奏姿も、涙無しには見られませんでした。
その分、演出の方の狙いよりは、SオケもAオケも影が薄かったかしら。

まんぐーす、ハブの説明がほしかったけど・・・時間が足りなかったのね。。。
ハブ、とれちゃったし。
原作4巻の「音楽祭」全部なし、は残念だったけど、仕方ない。
娘は「佐久間がいい男なのは許せない!」と怒っていましたが・・・あいつに男を見る目はあるのか? 分からん!

ドラマとしては過去5回の中で最も満足してしまったワタシでした。
そうでなかったかた、スミマセン。



で、今日はラフマニノフの協奏曲を話題にしましょう(ムリヤリ!)。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、

・曲は、人の手が書いたとしても「神様が生んだ」としか思えない。
・ソロは大変に難しい〜高技術とハイセンスの双方が要求される。
・伴奏オケは、楽譜は思いの外簡単〜音楽は、隙が許されないほどむずかしい。

プロや、達者なアマチュアのかたならどうにでも乗り切れるのかもしれませんが、ワタシのような不器用者には、オケメンバーとして演奏していて非常に苦しかった思い出があります。ピアニストはオーソドックスに弾いて下さいましたけれど、これだけ誰でも「聴き覚えている」はずの作品で、かえって「聴き覚え」が邪魔して、各パートがソロとの音楽的つながりを無視して入ってきてしまったり、遅れたりする。(それぞれが、それぞれの好みで「聴き覚え」ているから、このようなことが起こります。「オレはホロヴィッツじゃないとだめだ!」「何を言うか、ゾルタン・コチシュだ!」等々・・・出しているピアニスト名はとりあえずお許し頂けるでしょうか?怒られそうな人は避けました。でも、もちろん、この二人も、特に前者は伝説的な名演を残しています。)

ミルヒーが言っていた通りに「真剣勝負」を、しかも準備段階で練習のためにきちんと楽譜を見ておいて、ソロ、指揮者、オケメンバーの三つ巴でやらないと、協奏曲の演奏は大変みっともないことになります。
ワタシは、結局みっともなさを避ける調整をやりきれず、終演後くやしくてヤケ酒食らってむっつりしていましたっけ。いつまでたっても昨日のことのようです。

かつ、この協奏曲、ソリストにとってはかなり体力を要する曲で、本番前の練習では体力を温存するために抑制気味にお弾きになる方が、世の中には結構いらっしゃいます。

この点はこれくらいでお茶を濁しておいて・・・

ルビンシュタイン独奏、ライナー指揮での名盤として知られる録音があります。聴いてみると、実際、
「音楽がこの起伏の豊かさを求めているんだな!」
と本気で感動させられる演奏です。
が・・・弾いていたルビンシュタインは常々、
「わたしにはラフマニノフはとても弾けない」
と言っていたそうですから、仰天です。
こんなに素晴らしい演奏をする人が、しかも実際に最高とも言える録音まで残してくれたこの人が、こんなセリフを吐くとは、とても信じられませんでした。

実は、この協奏曲には、ラフマニノフ自身が演奏している録音が残っていて(4曲ある協奏曲全て、自演の録音が残されています)、いまでも容易に入手できます。。。で、これがまた驚くべき演奏なのです。
ルビンシュタインが力一杯に弾いていると思われる、分厚い和音の強音の連続部分などでも、ラフマニノフの演奏では意外なほどに淡白に、沢の水がさらさらと山肌を流れ落ちていくように聞こえます。
・・・ルビンシュタインは、こうした作曲者ラフマニノフの演奏を熟知していました。如何せん、ラフマニノフは巨漢でかなり大きな手をしていましたが、ルビンシュタインはピアニストとしては手は小振りだったほうですから、ルビンシュタインがラフマニノフと同じような演奏をすることは到底不可能だったというわけです。
とは言っても、ルビンシュタインはルビンシュタインならではの、素晴らしいラフマニノフを弾いているのは、間違いの無いことです。
技術でも、音楽の心でも、むしろラフマニノフに無かっただろうものまで持ち合わせていたルビンシュタイン。ですが、音楽を読めば読むほど、読解力にも優れていた彼は、
「ラフマニノフの描いている音楽世界を弾くには、自分には総合的に見た時、大きな限界がある」
そのようにでも考えていたのでしょうか?・・・こんな推測が当たっている保証は、全くありませんけれど。

「わたしにはラフマニノフはとても弾けない」

・・・今思い出しても、ずしりと重い言葉です。

他の協奏曲経験も綴ってみるつもりでいたのですが、うえのエピソードを知って頂けるだけで充分なような気がしますので、これくらいにしますね。
つまらなかったら、ごめんなさい。



ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第2番&パガニーニ狂詩曲


Music

ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第2番&パガニーニ狂詩曲


アーティスト:ルービンシュタイン(アルトゥール)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2000/10/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する



ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番・第3番


Music

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番・第3番


アーティスト:ラフマニノフ(セルゲイ)

販売元:BMG JAPAN

発売日:1990/06/21

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2006年11月12日 (日)

シューマンを聴く:「僕はいまクララをきき終わったばかりなのに」

「のだめ」奮闘記録(もぎぎさんによる)を是非ご覧下さい!
  ドラマ「のだめ」が百倍楽しめます!
・NHK発売の来日オケDVD8タイトルをレヴューしました(1回目2回目)。
  ご参考になれば。



Claraシューマンの伝記・関連書籍が店頭で見当たらない・・・昼休みにやっと1冊見つけたそれは、買いに向かった夜、先に誰かの手に渡ってしまっていました。記念年をおおいに祝われたモーツァルト、誕生日が近づくにつれ盛り返してヒートアップしたショスタコーヴィチとは何という違いでしょう!
没後150年、という記念年ですから、「しんみり」の方が似合ったのかな? 4年後は生誕200年だから、そちらで盛り上がってくれるのかな?

そんな中、シューマン自身の名評論集「音楽と音楽家」(吉田秀和訳 岩波文庫 青502-1 第1刷は1958年)だけは第32刷として今年ふたたび現れ、大変嬉しくて飛び上がってしまいました。古いのもあるのに、気がついたら家で新品を手にしていました。
今回の標題は、この書の中でシューマン(ロベルト)が1833年、クララ(7年後に彼の妻となる)について記述した節の冒頭の句です(32頁)。以降、何を述べているかは、どうぞ、文庫本をお手に取ってご覧下さい、と申し上げておいた方が、「お楽しみ」でしょう?

クララは少女時代から有名な天才ピアニストで、リストやショパンからも尊敬を受けたそうです。とくにリストはクララのコンサートにゲスト出演しましたし、クララの方もリストのコンサートにゲスト出演する、というほど、双方の才能を認め合っていたようです。

夫シューマンの悲しい晩年から死の時期にかけ、献身的に自分を支えてくれたブラームスと、しかしこちらも辛い恋愛をしたことは、ブラームス関係の伝記に必ず出てくる話題です。それでも、というより、そうだったからこそ、二人の関係は、恋愛を乗り越え、お互いへの親愛と敬愛で、より深く結びつけられたのでしょう。・・・ただし、ブラームスは後年、クララの娘ユーリエ・シューマンのほうに恋心を抱き、それに気付かずユーリエをイタリア貴族と結婚させてしまったクララに怒り心頭だったことがあるようです(三宅幸夫:カラー版作曲家の生涯『ブラームス』新潮文庫 108頁参照)。この事件はブラームスが「アルト・ラプソディ」を作曲する動機の一つにもなったそうです。

ここまで出てきた男性陣は、ピアノ音楽の作曲家としてみたとき、全て、こんにちまで愛される名作の書き手ですね。華麗なリスト、繊細なショパン、重厚なブラームス、そして夢幻的なロベルト・シューマン・・・クララの夫であったその人も。

作品番号23まではピアノ作品しか顔を出さない、といった具合だったほど、ロベルトにとってピアノ曲は創作の本拠であり、回帰点でした。そして、その描く世界は、ピアノがからきし、の私も「せめて<トロイメライ>は弾けるようになりたい」と思って『子供の情景』の楽譜を手にしてしまったほどに誰にでも親しみやすい反面、近付きにくい暗がりをたたえてもいます。(ついでながら、おかげさまで、「トロイメライ」を含む3曲ほどは、当時は弾けるようになりました・・・でも今では手の方ですっかり忘れてしまっています。残念。)

けれども、男性陣のピアノ曲には、やはりどこか「頭脳だけ」で作られた感じがしてならないときがあります。先の「音楽と音楽家」の中に、ロベルト自身の次のような言葉があります。

「作曲をするようになったら、まず頭の中ですっかり作ってしまうこと。そうして、その曲がすっかりできるまで、楽器で弾かないように。」

クララ自身が素晴らしいピアノ作品を残していることは、長い間忘れられていました。
女性作曲家たちが注目を浴びだしたのは1980年代からでしたでしょうか?(お読み下さっている方でご存知のかたがいたしたら、是非ご教示下さい。)
その一環で、クララの作品も、盛んに、とまではいきませんが、ようやく日の目を見るようになりました。
それらを聴くと、
ロマン派、というのは本当は彼女から生まれたんじゃなかろうか
という思いが、大変強くなります。
有名男性陣の有名大規模作品群に比べれば、つつましやかなものばかりです。
ですが、男どもの作品には時々感じる「気負い、こだわり」とは、彼女の作品は一切無縁です。

最終作に付された作品番号が、たしか22あたりだったと思いますが(付記;23まで、とご教示頂きました)、それから察せられる通り、決して作品の数は多くありません(付記:これも私の誤解があります。あとにもご紹介する"A Plaza of Clara Schumann"でご確認頂ければ幸いです)。ですが、どの曲に耳を傾けても、こう感じずにはいられません。

「ああ、クララという人の心の中には、いつもきれいな空気に包まれた深い森があるんだなあ」


ピアノのみの全作品を集めたCDもありましたが、私はヴァイオリンとピアノの二重奏を収録した1枚もののCDを愛聴しています。

"Clara Schuman 10 romances pour piano" CALLIOPE CAL 4211
長調の曲のはずなのに「短調(mineur)」となっているものが2つもあったり、と、標題に関しては怪しいところのあるディスクですけれど、ピアノを弾いているエレーヌ・ボッシは、コルトーとイヴォンヌ・ルフェーブルの衣鉢を継いだ人。ヴァイオリンを弾いているアニー・ジョドゥリィも柔らかい音色の持ち主です。
(残念ですがHMVサイトでもタワーレコードサイトでも見つけられません->ご指摘頂き、廃盤に鳴っていると知りました。スミマセン 。)

お詳しいクララ・シューマンネット、"A Plaza of Clara Schumann"で、作品情報、CD情報、他、是非どなたもお触れになってみて下さい。上記ご指導、ご指摘とこのリンクをお許し下さったサイト管理者のK.I様に心から感謝申し上げます。)



Book

音楽と音楽家


著者:シューマン

販売元:岩波書店

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2006年11月11日 (土)

レヴュー?:NHKの来日オケDVD8タイトル(2)

前回レヴューはこちらです。



残り4タイトルは、すべてウィーンフィルのもの、うち最初の3つは指揮者がカール・ベーム、最後の一つはゲオルク・ショルティです。


最初は、1975年3月16〜18日 NHKホール収録のもの。
これのみ2枚組です。
曲目:ベートーヴェン第7、ブラームス第1、
   シューベルト「未完成」、ワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲
   J.シュトラウス「美しく青きドナウ」(16日、17日収録の2つ)
「ドナウ」とベートーヴェン4番のリハーサル映像、75年放映当時のベーム夫妻へのインタヴュー併録。
Bohm1975これ以降の映像と比べて撮影に作為が少なく、オーケストラの様子を勉強するには最も良い素材だと思います。まず、弦楽器。日本の奏者(ソリスト、プロを含め)のうちどれくらいの人が、バネとしての弓の役割を彼らほど自然に理解していることでしょうか?・・・などと、人のことだけにしてはイケナイ。とくに、「未完成」の第1楽章をじっくりご覧下さい(最も分かりやすいでしょう)。さらに、第2楽章は弓を「止める」ので、<なんだ、日本人だって大差ないじゃないか>とお感じになりやすいでしょう。実際にはその後に残る響きが違う。それは「止める」ときの弦と弓の毛の関係の違いで生じるのですが(じつは「止め」ているのではない)、そこまではよくよく画面に近づいて何度も見直さないと分からないかもしれません。次に、オーボエ。これほど柔軟なアンブシュアを目に出来るのはずいぶん稀なような気がします。それを思うと、ファゴットもですが、複リード楽器はやはり大変なんだなあ、と、つくづく感じさせられます。(クラリネットがトラブルをなんとか気付かれないようにカヴァーしている箇所もありましたから、1枚舌のほうが嘘はつけるのか・・・と妙な関心をしたりしています。もとい、1枚舌でも苦労は同じ、ということでした!)他の木管陣、金管陣も、もちろん注目です。ベト7は80年の映像にも収録されていますが、ベームとしてはこちらのほうが常套的な演奏。「マイスタージンガー」は、最後に挙げるショルティと比較すると、ベームらしい無骨さの発揮されたものになっています。
なお、『未完成』の最後の1音がまだ消えないうちに拍手が始まってしまったのは当時残念に思いました。
晩年のヨッフムは、日本でブルックナーを指揮した時、最後の音が消えないうちになりだした拍手に、オケに向かってペロッと、いたずらっぽく舌を出して見せていましたし、音楽家としてはそちらのほうが正直な反応だと思います。
けれど、ベームは聴衆に誠実に答礼しています。「お客様」に対する、ヨッフムとベームの考え方の違いが現れているのでしょうか。
75年映像には個人的な思い入れがあるため、ブラ1を中心に、先日長々綴りました。。。だのにまた長くなってしまいました。ごめんなさい。


2番目は1977年3月2日 NHKホール。
曲目はベートーヴェンの第6と第5、というキツいプログラム。
アンコールがまた、レオノーレ3番。
Bohm1977第6(『田園』)と第5(『運命』)での、ベームの表情の違いがお楽しみポイントです。「目で指揮する」人だったベームは、細かい意思を入れたいときは別として、『田園』では柔らかめの視線、『運命』では強い眼光に徹しています。誰でも常々不思議に思う、「『運命』の最初のダダダダーンは、どうして揃って入れるんだ?」という点に関しては、最初はベームのチョーおっかない顔がドアップで出るだけなので分かりません。が、呈示部反復の際に明らかになります・・・すなわち、メンバーは首席奏者を、首席奏者はコンマスを目印にし、かつブレスのタイミングをお互いに耳を使って揃える、という、室内楽的手法そのままなのですヨ。・・・だから、室内楽は大事です。
75年来日時よりも、ベームは最初から聴衆に対して神経を使わずに振っています。それだけ信頼されたこのときの聴衆は幸せだったと言えるでしょう。


3番目は、ベーム最後の来日となった1980年10月6日のもの。
この年の公演でただ1回のオーケストラのみによる演奏会でした。
会場は昭和女子大学人見記念講堂。完成直後のせいか、響きがこなれていません。
しかし、曲目はベートーヴェンの2番の滅多に聴けない素晴らしい仕上がりの演奏と、色々あって面白い7番。
リハーサル映像付き。
Bohm1980足は衰えているものの、翌年亡くなってしまうとは思えないほど、ベームは「目ヂカラ」があります。ベートーヴェンの交響曲で最大・・・から2〜3番目くらい、の難曲(だと個人的には思っている・・・ごまかしがきかない、きれいになりにくい)である2番を好演した後、しかし、疲れ切ってしまったのでしょう、第7では第4楽章の中盤まで意識が朦朧としているようにも見受けられ、ヘッツェルさんをはじめオケのメンバーが気を使い合いながら、それこそ何とか室内楽のようにアンサンブルを保つ努力をしている様子がありありと伺えます。終楽章の半ば以降、ベームが再び元気を取り戻すと、それはそれでオケが戸惑ってしまう、という、面白い映像でもあります。もちろん、演奏は崩れません。


最後は、14年後の1994年、ショルティの指揮。
10月3日、サントリーホールでの収録。
曲目:ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(歌無し)
   R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
   ベートーヴェン第7、ワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲
ショルティへのインタヴュー映像付き
Solty1994首席コンサートマスター、ヘッツェルさんが92年に事故死してからまだ2年。新首席となったキュッヘルさんの厳しい表情が印象的です。ウィーンフィルとは仲違いしたことのあるショルティですが(いや、ベームだってカラヤンだって、カルロス・クライバーだってそうでしたね)、彼の本領が発揮できるプログラムだから、という域を超えた、非常にいい相性での演奏が繰り広げられます。ベト7はベームとひと味違う飛翔感がありますが、重厚です。彼が育て上げたシカゴ響に演奏させたときよりも、ずっとショルティらしいのではないでしょうか?
ワーグナー、R.シュトラウスは、これもベームと違った、カラヤンとも全く違う、アルプスの山並みのような厚みを持つ演奏を実現させています。(ショルティは若い頃、シュトラウス本人より「バラの騎士」解釈について教えを受けたことがあったそうです。)
オケがいい音をちょっとでも出すたびに、その音の主に向かってニッコリと微笑みかける姿は、ショルティがこの3年後に急死してしまったことを思い合わせると、胸をちくりとさせます。

以下、アフィリエイト。
カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1975年日本公演
カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1977年日本公演
カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1980年日本公演
ゲオルグ・ショルティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1994年日本公演

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2006年11月 9日 (木)

レヴュー?:NHKの来日オケDVD8タイトル(1)

先月末でNHKエンターテイメントから、来日オーケストラ/名指揮者の映像8種がDVDとして出揃いました。選択にお悩みのかたのために、8種全て、カンタンにレヴューしますので、ご参考にして頂けたら幸いです。


今回は4タイトルをレヴューします。
ウィーンフィルの、ベームとの3回の来日、ショルティとの94年来日に付いてはこちらに綴りました。(ベーム75年関係だけ、前にあまりに細々と綴り過ぎました。よろしければご参照下さい。)

まずは、シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団
1960年5月4日 旧NHKホール
曲目:ベートーヴェン「英雄」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲
Munch1960_1日本、アメリカの両国国家演奏、客席起立。思想的な是非はともかく、舞台と聴衆が一体になって相互に敬意を表する儀礼は、いま、どれくらい残っているでしょう。それにしても、「君が代」のアレンジは現在でも充分斬新で、「ニホンジン、ビックリね!」であります。十八番の「幻想交響曲」ではない、とはいえ、エロイカでもダフニスでも、ミュンシュのキビキビしつつも厳しいアクションは冴え渡っています。ボストン響の音が現在より柔らかいかな、と感じるのは、フランスの耳を持つミュンシュから受けた薫陶ならでは、かも知れません。ドイツ系オケとはひと味違う、メリハリの利いた「エロイカ」。クリュイタンスやマルティノンと、やはり同じ血が通っているなあ、と感じさせられるラヴェル。そのあたりが、これを視聴してみようかどうかを決めるポイントになるでしょうか。

続いて、カラヤンが2種あります。
ベルリンフィル 1957年11月3日 旧NHKホール
曲目:ワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲
R.シュトラウス「ドン・ファン」、ベートーヴェン第5
(特典映像有り)
Karajan1957カラヤンは1954年に単身来日し、N響を振って14回もの公演を行っており、うち4月21日に演奏したチャイコフスキー<悲愴>がCDになっています。彼がベルリンフィルを掌握したのは、極東でのこの激務の直後でした。このころから徐々に自己をカリスマとして演出し始めた彼も、60年あたりまでは周囲に気さくな笑顔を見せることがずいぶんあったと聞いています。ベルリンフィルとの初来日公演は、先々オハコとなる(、いや、当時既にオハコだった)ワーグナー、R.シュトラウスの演出に卓越した演出をほどこしています。テンポの緩急をオケまかせにするよう装いながら全体像はしっかり締める、クレッシェンド・ディミヌエンドのタイミングはスコアの指示より幅を広めにとる。・・・「第5」も、カラヤン風ベートーヴェンカラーが出来上がってしまっています。「きれいすぎる」と思われるでしょうか? それが、彼の音楽観、価値観だったのかもしれません。映像には含まれていませんが、同じベルリンフィルで残したモーツァルトの交響曲録音をベームの全集録音と聴き比べるなどすると、カラヤンの審美感覚とはこういうものか、というのが、何とはなしに伝わってきます。ご興味があったらお試し下さい。

ウィーンフィル 1959年11月27日 旧NHKホール ブラームス1番
ウィーンフィル 1959年11月6日  日比谷公会堂  ブラームス4番
(演奏の一部が静止画像。特典映像有り)
Karajan1959このブラームス、べつにカラヤンファンでもなんでもない私ですが、とくに1番のほうは正直言ってたいへんビックリしました。先のベルリンフィルでワーグナーやシュトラウスに施した、同じ方針での演出をしていますが、非常に効果的です(指揮の内容にウソやごまかしが全く見つけられませんでしたし)。騙されたと思ってご視聴下さい・・・ホントに「騙し」かも知れませんヨ。でも「騙しじゃないですぅ!」と言えるのは、この映像でのカラヤン、確かにエレガントだし、指揮の最中にニッコリする笑顔がとてもいい、ということ。こんな映像、これしかないんじゃないでしょうか?

今回最後は、ゲオルク・ショルティ/ロンドン交響楽団
1963年4月29日 東京文化会館
曲目:ベートーヴェン第4、ワーグナー「ローエングリン」3幕前奏曲
   ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」
Solti1963タスキ(ラベル)に「ネビル・マリナーの若き姿を収録!」ってあるんですけどね・・・嘘じゃないんですけど・・・マリナーは時々画面の端っこに、ちっちゃく映るだけなんです。。。カワイソウ。彼は当時ロンドン交響楽団のセカンドヴァイオリン首席でした。他に私が名前を見て分かる有名メンバーは、ホルンのバリバリ・タックル(え?タックウェル、なんですか!)、アラン・シヴィルくらいなものですが・・・ヴァイオリン弾きがなんでホルン吹きの名前を覚えているのかも謎ですが・・・他の楽器も名手ぞろいとお見受け致しました。ショルティというと、シカゴ響に行ってからの烈しい四角振りのイメージが強く、その時聴いたモーツァルトも「シカク、シカク」っぽくて、資格取得に縁のない私には近づきにくい存在でした。しかし、63年のショルティは、まだ「四角」が完成され切っておらず(褒め言葉なんです!)、彼特有の起伏の激しい演出好みこそ随所にあるものの、全体としてはシカゴ時代からは想像もつかないほど輪郭の丸い演奏です。・・・これが、94年のウィーンフィルとの共演ではいっそう素晴らしい響きとなって聴かせてもらえますから、ショルティを再評価なさりたい方は、63年のこの映像と94年映像を、是非両方ご覧になって下さい。

以下、アフィリエイトです。
シャルル・ミュンシュ ボストン交響楽団 1960年日本特別演奏会
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年日本特別演奏会
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年日本特別演奏会
ゲオルグ・ショルティ/ロンドン交響楽団 1963年日本公演

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2006年11月 8日 (水)

のだけのいいとこ:番外編続き)みんながむばつているのだつた!

・・・というわけで。

もぎぎさんが早速、昨日の記事にコメント下さった上(これ、お手数ですが素敵ですのでご一読下さい)、下記URL(もぎぎさんのブログ)に現場の奮闘ぶりを詳細に記して下さいました。検索等でワタシのページにたまたまいらしてしまって、ご覧下さったかたは、ワタシの日々の屁理屈はもう読まんていいですから、もぎぎさんのブログで、ぜひ裏方さんを含むドラマメンバーの奮闘ぶり、そのなかで「オチコンデしまった」誠実なもぎぎさんのお人柄に、今すぐ接して下さいませ。(なお、深酒を止めさせるコメントを、どしどし入れてやって下さい!)

http://blogs.yahoo.co.jp/mogidaisuke/archive/2006/11/7

応援して、どんどん盛り上げたいですね、「もぎぎ」。あ、間違えた!「のだめ」!

・・・もぎぎさんは「のだめ」コンサートを積極的になさっています。面白い楽曲解説付きです!いまのところフォッサマグナより西側で、ですが、素敵な震幸(しんさい)を起こしてくださっています。阪神大震災では私の会社の先輩もお嬢さんを亡くされました。おおくの友人も被害に会いました。「のだめ」コンサートの起こす震幸(しんさい)が、今度は多くの人の心の傷を癒し、みんなが愛し合える(音楽を通じて!健康に!ですヨ)貴重なきっかけになるものと、心から信じております。

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2006年11月 7日 (火)

のだめのいいとこ:番外)・・・でもドラマ(音楽)でちょっと不満なとこ

事後拝読した、もぎぎさん(現場)の、ご苦労話


「のだめ」なら、もう無条件に大好き! ドラマも大好き!

でも、ドラマの(とくに第4回の)音楽関係に、ちょっと不満があります。
製作予算も限られているだろうし、撮影もどんどん進んでいるし、1ファンのグチ以上にはならないのだけれど、ちょっと聞いて下さい、フジテレビさん! 竹中さん! もぎぎさん!

・千秋が「ピッチが悪い」とか「蛇使いかおまえらは」とやる場面での音楽は、せめてピッチが悪かったり木管がヨレヨレだったりする音を使って欲しかったです! 上手く言ったはずの本番の音と同じ音を使っていたんじゃつまらないです! フジテレビの社長さんがそれも出来ないくらい予算を削ってくるんだったら、その分私が出します・・・というわけにはいきませんが・・・(トーンダウン)。

・尊敬する竹中さん、尊敬するもぎぎさんだから綴ります。巨匠は第9の第1楽章を、あんな風に腕をまっすぐに振ることは決してないはずです。「クラシックだからなあ」ってコダワリが、演出をおとなしくしてしまったんでしょうか? それこそ、峰君を超えるプログレ精神を取り込んだほうが、「巨匠」らしくなったんじゃないかなあ・・・ワタシ、感じ方が甘いのかなあ・・・

とりあえず、これだけですけど。

若手俳優陣がこれだけ健闘しているのを拝見していると、サポート側のかたには、せめてこれくらいはお願いしたい気持ちです。
テレビで間に合わず、もし、映画化でも実現するんでしたら・・・その暁には、予算をがっぽりとって、多少「クラシック」発想を捨てて、音楽にも精神を注ぎ込んで下さい。
心から、謙虚に謙虚に(どこが謙虚だか分かりませんけれど)、切にお願い申し上げる次第です。

・・・もし、こんなマイナーブログの文でも、お目に留まることがあるのでしたら、ではありますが。

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2006年11月 6日 (月)

のだめのいいとこ:4)オーケストラは自律可能か

「プリごろ太」のアニメ、最高だった!
Sオケでヴァイオリンの例のポーズも、いい場所で出ましたね。
千秋のタクトがきちんとした振りなのには頭が下がりました。おとなしめ、で、打点もおきにいってしまって、ではありましたが、よく勉強なさったと思います。
音にきちんとアテるのは俳優さんには至難の業のはずで、名画『アマデウス』のモーツァルトやサリエリの指揮場面でも不満でしたから、日本人がここまでやった、ということには感激さえ覚えました。
(マングースは来週か・・・)


のだめカンタービレ (3)

さて、しかし、指揮者の話題ではなく、オーケストラのことをちょっと綴ります。
オーケストラは自律可能か、すなわち、
「オーケストラは指揮者無しで演奏できるか」
というお話です。

最近NHKが、豊富なクラシックの映像ライブラリーから8つ(第1弾4商品第2弾4商品)を商品化しました。
うち5つは、ウィーンフィルの来日公演です。
1975年来日時の映像には、指揮者カール・ベームがインタヴューを受けたものが付いていて、大変懐かしく思いました。そのインタヴューの中で、ベームは面白いことを言っています。ベームの言葉通りではありませんが、
「ベルリンフィルは、どんなヘボ指揮者にでも同じ音で(高い技術で、誠意をもって)演奏をしますが、ウィーンフィルは、ヘボだとそっぽを向く。ですが、最高の指揮者の元では、最高以上の演奏をするのです」
そういった内容です。
興味深いことに、同様のことを、フルトヴェングラーが著書(講演筆記録)『音と言葉』で述べています。



音と言葉


Book

音と言葉


著者:フルトヴェングラー

販売元:新潮社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

ウィーンフィルもべルリンフィルも、現在なお世界第1の実力を保っている奇跡的なオーケストラですが、団風の違いは片やボヘミアンまじりの気まぐれ、片やプロシア人の行き過ぎるほどの実直さからくるのでしょうか・・・

それはともかく、この二つのオーケストラとも、たんにオーケストラとして優れている、というだけではなく、メンバーそれぞれが室内楽の大家でもある、ということは知っておいて頂きたいと存じます。(室内楽、と呼ばれるのは、主に、たとえばヴァイオリンが2本、ヴィオラが1本、チェロが1本にクラリネットなどの管楽器が1本、などといった小編成の、指揮者を要しない曲種です。)

すなわち、この人たちは本来、指揮者などいなくても、合奏をする上では全く支障がないのです。
小編成だけではなく、フルオーケストラであっても、指揮者不在で差し支えがない。
指揮者に対する二つのオーケストラの態度の違いは、実は「指揮者不在で差し支えがない」ことの、それぞれの気風に応じての裏返しの態度でもあるわけ。。。(日本でいちばん実力があるとされていて、私も大好きなときは大好きな演奏をするオーケストラでは、悔しいけれど、メンバーの中には室内楽をやらせると「何でこんなにセンスがないの?」と・・・こんなハナタレ小僧ではありますが、ガッカリさせられる演奏家もいます。おそらく日本のオーケストラの団員だから、というのではなくて、室内楽に対する受容の風土が違うのでしょう。似たケースは、勿論アメリカなどにもありますから。)

実際に、指揮者なしで様々な難曲を演奏し、録音もしている団体もあります(オルフェウス室内管弦楽団)。

「え? じゃあ、指揮者って、何をするの?」

そのヒントは、ウィーンフィルもベルリンフィルも、前述したほどのレベルをもちながらなお、過去に共演した「名指揮者」たちの思い出を団員一人一人が自信の墓にまで携えていく、という点にあるのではないかと思います。
が・・・そうでなくても話が長いので、
「本質的には、テンポをとるのが指揮者の役目、ではない」
とだけ。

SオケとAオケ、それぞれの結果は、指揮者の役割、団員である自分たちの役割に対する認識の正誤によってもたらされたものです。
ドラマでは省かれましたが、どうしてそうなったか、の過程は、原作第3巻にしっかりと描かれています。
そんな、読みの楽しさも、今夜は是非反芻なさってみて下さいね。

(なお、ベートーヴェンの交響曲はフランツ・リストが9曲全部、ピアノ独奏用に編曲しています。のだめが弾いていたのはその楽譜に依ったのでしょうか。カツァリスという優れたピアニストの演奏でCDがでていますから、ご興味があったらお聴きになってみて下さい。)

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2006年11月 5日 (日)

演奏会までに・・・(TMF合宿お疲れさまでした)

TMF合宿ご参加の方、お疲れさまでした。
また、私は寝てばっかりで本当にスミマセンでした。
(抗鬱剤のキキがこれほどよかったのは久しぶりですので、明日からまた無事に働けると思います!)

合宿時期も勿論、年末ご多用で12月3日演奏会にお出になれない方も結構いらっしゃいます。
それにもかかわらず、良い成果の上がった合宿で、ひとまず安心しております。
成果を耳にした限り、前回定期までメーリングリストで流していた「指摘箇所ごとの練習記録」は、もう役割を終えたな、と思っております。今後は別の方法を模索したいと存じます。

演奏会までの課題として、菊地先生からのお話を勘案してまとめます。ご一考下さい。

1)大原則として、「逃げ腰」で演奏、はやめましょう。
    受け持ちのパートの音符から一音たりとも逃げないで下さい。

2)間違った音を出しても「ゴメンナサイ」は言わない。
   まずは平然と吹き(弾き)続け、指揮者や周囲の冷たい視線を甘んじて受け、
   次に同じ音を出すときに「仇を取ってやる」気概で演奏しましょう。
   それが何度繰り返されたって・・・あなたには名誉なことではないですか!
   分かってくれる人は分かってくれる。
   誰も分かってくれなくても、自分自身は分かる。

3)楽譜を小説のように読みましょう。
   休符の長い楽譜では、休符の意味を読み取ることも必要です。
   ・・・と言っている本人が、そういう箇所では寝ちゃうことも多いのですけど。
        寝るな! ガンバレ!

なお、各曲のトップ吹きは各曲での自己のパートにしっかり責任を持って頂きたいと存じます。
自分だけではなく、最低限、パート構成員にきちんと目が届くように、くれぐれもお願い致します。

これで、合宿のまとめに替えさせて下さい。
ご都合で休団中の方にも参考にして頂きたくてこちらへ掲載致しました。

よろしくお願い申し上げます。

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2006年11月 2日 (木)

「のだめ」指揮者<千秋>を楽しむ準備のために!


はみだしオケマン挑戦記?オーボエ吹きの苛酷なる夢

明日から3日間、合宿に行くのでおとなしくします。
「今からおとなしくすればいいものを! 誰も何とも思わないんだかからサ。」
そうおっしゃいますけど・・・いや・・・ごもっともで。。。

次回の「のだめ」は、いよいよ指揮者、千秋の勇姿が見られます!
(ヴァイオリンの華麗なプレーも、で、そっちのほうに期待大のようですが・・・どう感心してやるか、はボンドのDVDででも予習して下さいまし!)

「指揮ってかっこええなあ」
「勉強するの、たいへんやろなあ」
・・・大変です。カッコいいか、というと、そうとは限りませんし、「カッコよく」ばっかり考える輩は大河内君と呼んであげるほうがふさわしい。(地味だけれどいい指揮者は、日本にもたくさんいますヨ。でも、有名でない人と巡り会えるのはむずかしくて・・・そのへんは流しの歌手と変わりありません。)

でも、野次馬としては、知っておくと面白いことが沢山あるのも、指揮者の世界ならではです。
そのへんが読める本を2冊ご紹介しておきますので、
「そこまでマニアックじゃなくても・・・」
とお思いでなければ、どちらかだけでも読んでみて下さいネ。
最初のほうが、新刊でもあり、一般的な文庫でもあり、値段も安く、どこでも手に入りやすいと思います。

茂木大輔「はみだしオケマン挑戦記」中公文庫 680円
・・・もぎぎさんの本だから笑えるんだろう、と思いつつページをめくっていて。。。案に相違し、アマヘボプレイヤーの私は、緊張して読みふける結果と相成りました。とくに、<今回のデュトワはしつこく、怖い>は、千秋とSオケの確執を「深読み」するには必読の一節と言えるでしょう!

シュトレ「舞台裏の神々/指揮者と楽員の楽屋話」音楽之友社 1890円
・・・有名指揮者にまつわる、印象の悪い逸話の数々。発刊当時、大変悪評だったとか好評だったとか。ただし、ミルヒー並に女性好きでありながらミルヒーと違って女性に嫌われっぱなしだったドイツの大家O.K氏の話は、こちらではなく、同じ著者の「指揮台の神々」(3045円)でないと載っていません。ご注意頂きたいのは、本書のゴシップで、その指揮者が残した演奏までおとしめたイメージを持ってはいけない、ということです。それは、湖の女神様に「金の斧がいい」とお願いして、落としてしまった木の斧も取り戻せなくなるのと一緒ですから。(よく分からんタトエダなぁ。)

どうぞ、お楽しみ下さい!

舞台裏の神々?指揮者と楽員の楽屋話

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2006年11月 1日 (水)

エロイカ「聞き覚え」のヒント

TMFの皆様、もう曲を「聞き覚え」て下さいましたか?
ご多忙中とは存じますが、まだなら是非是非、お願い致します。

宮沢賢治はよく近所の農業従事者を自分の小屋に呼び集め、レコードコンサートを開きました。
例えばある日、そこでドビュッシーの<海>をかけながら・・・

「せんちゃう、たいへんです、たか波がおそつてきました!」
「・・・おや、前のはうになにかとてつもなくおほきな岩が。」
「気をつけろ、暗礁に乗り上げるぞ! とりかぢいつぱい!」
「あんまりまるくておほきな岩だ。」
「まるでまつ赤に燃へているやうだ。」
「いいや、岩ぢゃあない!」
「オホダコだ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

って、ここまでウルトラQっぽくはないですけれど(ウルトラQは、なんぼ何でも知ってますよね? え、知らない!? ・・・)、そんな調子で弁士をつとめましたので、集まった人たちは曲のイメージをずいぶんくっきり記憶して帰ったそうです。

それに倣って、今回の音楽をストーリー化してみませんか?
「白鳥の湖」は各舞曲の標題から、ご自身で想像を膨らませると良いでしょう。
「モルダウ」についてはこちらをお読み頂ければ有り難く存じます(長いので、最初のほうだけでいいです)。
残るは「エロイカ」。 へたくそにしかストーリー化できませんが、こんなので如何でしょう?
(すぐ長くしてしまう癖があるので、なるべくカンタンにとどめます。細かくはやはり、各位の想像力にお委ねします。)



舞台は中世ヨーロッパの、地図にも載っていない、ある小さな王国。
大きな敵に襲われて苦戦していたが、勇ましく知恵深い国王が踏ん張った甲斐があり、敵を国境の砦まで追い詰めたところから、お話は始まります。

<第1楽章>
夜が明けました。さわやかな青空です。
鬨の声を2つ上げ、王国軍は敵の砦にむけて馬を走らせます。勝利は目の前。これで自分たちの国にふたたび平和が訪れる・・・それを思うと、走る馬上で頬に受ける風は、涼しくさわやかです。自ずと、気分もたかぶります。
もうみんな、戦いに勝ったあとに飲む、おいしいお酒のことを考え始めてしまっています。さあ、攻撃をかけるゾ! 兵士たちは敵の砦に矢を射かけます。敵は、シンとしています。
「もう勝ったも同然だ。」
若い兵士は、都で待つ恋人の可愛い笑顔を思い浮かべてニンマリしてしまってさえいます。
さあ、一斉に、突撃です!
砦の前まできました。敵は、不気味に静まり返っています。
「もう逃げたんじゃないか?」
「いや、油断するな」
ベテランがそう言ったとたん、砦の上から敵が石つぶてを烈しく浴びせてきました。
味方には負傷者も出たようです。
「希望を失うな! 我らはすでに勝っているのだから!」
自ら指揮に当たっている国王が、それでも声を荒げることも無く、落ち着き払って号令をかけます。
しかしどうやら、その国王に、敵の矢が当たったようです。
「心配するな、大丈夫だ」
決意を新たに、味方は悲壮な面持ちで、全力で攻城戦に集中します。
砦は、まず入り口を破られ、あちこちの壁も穴をあけられ、風前のともしび。
とうとう敵は大慌てで逃げていきました。
傷ついた王を気遣いながらも、兵士たちは声高らかに勝利を宣言し、都へと凱旋します。
(・・・ちょっとながくなりすぎちゃった。。。)



<第2楽章>
国王の葬列。花輪を抱えて先頭を進むのは、小姓をつとめていた少年。その後ろに、威厳に満ちた黒塗りの棺。
沿道の老婆が嘆きの歌を短く謡うと、静粛があたりを包みます。葬列は、しかし整斉と進んでいくばかり。
棺に付き添う王妃は、黒いヴェ−ルを冠ってはいても、その目に英雄の妻としての誇りを湛え、胸を張っています。それに励まされ、人々は「わが国、万歳!」と、いっせいに歓呼の叫びをあげます。
だからといって、国民の父を失った深い悲しみが消えるわけではありません。
棺が聖堂の戸をくぐって、民々からは見えなくなると、みな、葬列の後尾を追いかけて聖堂前へと殺到し、あたりには嘆きの涙と声が嵐となって渦巻きます。
「静まりなさい。」
聖堂の前に現れた司祭が、嵐を沈めるべく杖を振ります。
息をひそめる人々の耳に、冥福の祈りを呼びかけるラッパが高らかに響き渡ります。
人々は、国王への哀悼を胸に、ひとり、ふたり、と聖堂の前から去っていきます。


<第3楽章>
のど元過ぎれば悲しみ忘れる! 戦いから解き放たれて、男たちはどんちゃん騒ぎ。酒は飲み放題、恋人にキスはし放題!
そこへ、屈強の狩人が3人掛かりで大イノシシをぶら下げてきました。
丸焼きをいちばん最初に口に出来るのは誰でしょう? みんなよだれダラダラです!

<第4楽章>
今日は、新国王を選ぶ大事な日。議場は、壮麗な広間。
だのに、最初に現れたのはたった一人のピエロ。何かいたずらを企んでいるのでしょうか?
ピエロはまず、広間に赤い毛氈を敷き、その上で、道化に似合わぬ優雅な仕草で踊ってみせます。
「きさまが王になるつもりじゃないんだろうな!」
集まっている貴族たちは、踊るピエロを取り囲みます。追っかけっこの大騒動。
「まあ、お待ちなさい。」
現れたのは先王の王妃。
「次の国王は、人々の推薦でもう決まっているのです。そうでしたね、ピエロや」
「仰せの通りで」
壮麗な響きとともに、盛装した男性のシルエットが正面に現れます。
ですが、正面は暗くて、その顔がよく見えません。
いぶかる貴族たち。
その中の一人が、やっと気付きます。
「あ、先王のご子息。先王にも勝るとも劣らない勇気と知恵の持ち主であらせられる!」
もう、貴族だからといって格式張ってはいられません。
嬉しくて仕方がないからです。
キンキラの上着をぬぎすて、貴族連中も、町場の民衆と同じように、
さんざんどんちゃん騒ぎを始めてしまうありさまです。

・・・というあたりで、このへたくそきわまりないお話を終わりにします。

やっぱし、ワシには文学的才能がないヤ。

お役に立ちませんでした。

こんな具合で、ご自分なりに想像してみて下さいネ、ぜひぜひ。

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