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2006年10月23日 (月)

のだめのいいとこ:2)ソロと伴奏

10月24日補:
以下、日々の駄文中でも最低の駄文です。改善の余地があると確信できましたら、そのときに全部改めます。それ以前にお読みになって目や脳ミソが腐ったらゴメンナサイ。何の保障もして差し上げられないことを、心からお詫び申し上げますとともに、何卒ご了承のほど、よろしくお願い致す次第でございます。


のだめカンタービレ (2)

ドラマも第2回。
いきなり原作第2巻の4分の3まで進んでしまってビックリでしたね。
いきなり盛り上がる合コンには感激しましたけれど。家族で抱腹絶倒でした。

「オナニープレイ・・・意味はひとりよがり」(第1巻162頁)
これは、私自身、似たような叱られ方をしたことがあります。
真澄ちゃんが山形へ帰ろうとして
「あなたの音楽への思いって、そんなものだったのね」
と言われるシーンも、同じ問題に直結します。

学生時代、ハンガリー舞曲だとか津軽海峡冬景色(!?)だとか、とにかくコブシを効かせて感情を込めて弾くのが大好きでしたし、自他ともに認めるほど
「・・・ラシイ」
節回しを実現できたものでした。それで、他団体に手伝いにいったとき、指揮者に
「お手本で弾いてみな」
と指名されてはノボセたこともありました。

そんな私に、
「感情ヌキで技術で計算して、自分は泣かずに人を泣かせられなければダメなんだぞ」
と教えて下さった恩師に、今は心から感謝しています。
その恩師にはご無沙汰したままです。

感情を入れずに技術で弾く、などということが「ありえる」なんて、当時の私には全く信じられませんでした。・・・こうした私の誤認識は、たとえば
「技術だけで心がないネ!」
と評されるパガニーニ作品演奏の「正しい聴き方」を知らなかったことから生じたのでした。
技術目一杯で弾いているパガニーニ作品は、味も素っ気もありません。
ですが、生きているパガニーニは無数の聴衆に最大の感銘を与えたのです。

やっとこさ演奏されるパガニーニ作品。
人の心を揺さぶったパガニーニ本人。

この二つの間の矛盾点をよくよく考え、肝に銘じなければ、好きで無くなったとたん「心」はいとも簡単に私から去っていきますし、「好きだ」に熱中してしまうと、所詮私は不細工なナルキッソスでしかなくなるのです。

今では20代の頃とは反対に、私はソロはなるべく弾きたくありません。
ソロが弾けるには、不安に打ち勝てる「揺るぎのない自分」が必要です。
その面での自分の弱さが分かりますし、克服するのにどれだけの時間を音楽にだけ割かなければならないか、を思うと実に果てしないことになるからです。

自分の言い訳を綴るのではありませんでした! かつ、回りくどい表現で恐縮です。
ほんとうにスミマセン。

まあ、そんなわけで、原作でも、ドラマでも、今回に当たる場面は、爆笑しつつも自分にとっては非常に身につまされるものでした。

峰君が伴奏のピアノを聴いていない、というので非難されていましたけれど、この部分は少々事情が違うかと思います。・・・もっとも、話の創作過程ではアドヴァイザーの方はそんなことは百も承知だったはずです。

イヴン・ギトリスという名ヴァイオリニストがいますね。彼は伴奏者に対して決して分かりやすい合図は送らない、ということも、ご存知かと思います。
ギトリス氏は、協奏曲でも普段は伴奏を振り切ってオーケストラよりも先に演奏し終えてしまうのが常です。まるで鼻差で優勝を狙う馬のようです。
こんなエピソードをご存知ですか?
あるコンチェルトを弾いたとき、めずらしく、オーケストラと同時に終わりました。ギトリス氏曰く、
「ああ、今日は負けてしまった!」

ソリストは、そこまでのワガママも許されます・・・もっとキチンと言えば、ソリストがそれだけ自分自身の音楽との対話を完成させていれば、なのですが、この点は私らのように出来が悪いとよく勘違いして、同僚やお客様にヒンシュクを買うことになりますから、難しい。

とにかく、名人なら、ソリストは伴奏なんかいくら振り切っても構わない。
むしろソリストよりも伴奏者のほうが豊かなノウハウを身に付けている必要に迫られます。
素晴らしい例が、名歌手たちの伴奏をつとめたジェラール・ムーア氏や、先のギトリス氏が来日するとよく伴奏を務める岩崎淑さんです。
これを考えると、千秋が峰君で伴奏をする場面は、やはり千秋は伴奏の本質を良く理解している、という設定になっています。TMFの皆さんのように、ご自分が楽器をなさる方は、そういう視点から峰君のテストの場面を思い起こすと、役に立つこともあるでしょう。

なんだかうまくまとまりませんでした。ご容赦を。

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コメント

峰クンのヴァイオリン、試驗の時の出だしからだんだん良くなつてきたのは、千秋の音を聽いたからなんでせうね~
ホンマもんのソリストは伴奏にあはせるといふ感覺はあまりないのかな?
むしろ伴奏者のはうがあはせていくのでせうか?

それにしても峰クンの「春」、のだめとの練習始めの時は凄かつた・・・(笑)

投稿: 仙丈 | 2006年10月23日 (月) 22時59分

「春」、ああいうふうに弾けたら面白いだろうな、と言ってしまうと危険人物になってしまいますが・・・実は嫌いじゃなかったです!
実は、ソナタ「春」の名録音はなかなかありません。大好きなオイストラフでも、硬すぎる気がします。技術の高い人も、内容(歌としての音楽)でベートーヴェンに負けてしまうようです。ずっと昔、和波孝嬉さんが岩崎淑さんの伴奏で弾いたのを聴きましたが、あれが今までで最も感激した、この曲の演奏です。いまは録音が入手できないのが残念です。

投稿: ken | 2006年10月23日 (月) 23時20分

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