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2006年10月31日 (火)

Mozart:ミラノ四重奏曲

Milanoq2theme_1最初に、右図をご覧下さい(汚い手書き譜で恐縮です、クリックすると拡大してみられます)。
大きくローマ数字を振った、2つずつの3つの固まりにしてあります。
どれも、1行目は、モーツァルトが16歳のときにミラノで作曲した弦楽四重奏曲(6曲)のうちの、第2番です。
2行目は、それと似たテーマを持つ、モーツァルト成熟期の作品からの譜例です。

第1番目〜有名な「レクイエム」のラクリモーサの旋律が長調になっているだけです。
第2番目〜これは「フィガロの結婚」第2幕最初の、これも名高い伯爵夫人のカヴァティーナに、大変良く似ています。
第3番目〜「コシ・ファン・トゥッテ」第2幕最初の、デスピーナのアリアが一段落するところと、これも殆ど同じです。

1772年10月24日、モーツァルト父子は、彼らに天が微笑みかけてくれるはずの大オペラ(これは「ルチオ・シルラ」となります)を作曲し、上演に携わるため、ザルツブルクを出発して三度目のイタリア旅行へと出かけます。その顛末は「ルチオ・シルラ」にふれる際に一瞥するか、伝記に委ねるかします。
このときミラノに滞在したヴォルフガングが片手間に(?)作曲した6曲の弦楽四重奏曲は、「ミラノ四重奏曲」と呼ばれ、日本ではとくに大学オーケストラの弦楽器初心者の修行用教材として使われることが多いようです。
ですが、この6曲、やはり1772年の特徴として高い完成度を誇っており、現実問題として初心者の演奏では聞くに耐えないことが多いかもしれません。
なかでも上に譜例を上げた第2番は、研究者の間では、譜例に併記したモーツァルト成熟後の作品と主題が似通っていること、しかも音楽の精神上においても成熟期を予見させる深みを持っていることで、昔も今もよく注目を浴びます。

とはいえ、第2番だけが優れて秀作だ、というわけではなく、6曲全てが、伸びやかでありながら変化に富む表情を持っており、それらを含めて譜例を掲載できない(きりがないので)のが惜しいくらいです。

ケッヘル番号では155〜160で、番号順に「ニ-ト-ハ-ヘ-変ロ-変ホ」と4度ずつ下降する(五度圏をへめぐる)配列になっている点にも、海老沢敏氏をはじめたくさんの方の言及があります。
ただし、この調整配列を素直に順番通りにとることには問題がありまして、このことは全集ペーパーバック版の緒言にも言及があります。下の自筆譜例を見て下さい(クリックで拡大表示)。
Mozartk155_1
NMA 18 Kammermusik II

見づらいですが、上段左端の4行目に"Bass"(SSはエスツェット)とあるのに、その上にわざわざ"Violoncello"と書き足してあります。
これはK.155(ミラノ四重奏曲の中では第1番)のファクシミリですが、この他にK.159(第5番)、K.160(第6番)の最低音部が、やはり"Bass"と表記されていて、こちら2作品に付いては"Violoncello"の補記はないそうです(私はファクシミリ未見。全集の緒言による)。
K.136〜138の通称ディヴェルティメントが、やはり同様だとのことです(ペーパーバック版ではK.136冒頭部でしか確認出来ません)。
これは、残りの3曲とは異なり、K.155、K.159、K.160が弦楽合奏で演奏されるのを意図していたのではないか、と考えられているようです。
すると、調の並びは、
・弦楽合奏向け〜二・変ロ・変ホ
・弦楽四重奏曲〜ト・ハ・ヘ
で、弦楽合奏向けグループは、関係調も含め3度基本の循環を意図して創作されたことになり、五度圏を経巡るよりいっそう成熟した発想の元に取り組まれたことになります。
モーツァルトがこの作品群で示した取り組みの真剣さの、もう一つの例は、第2番(K.156)の第2楽章です。これにはイタリアバロックの伝統を踏襲した完成版が別に存在します。しかし、ヴォルフガングは
一旦出来上がったそのイタリア風楽章を大きくバツで消し、その下から、現在残っている素晴らしいカンタービレの楽章を完成させたのです。

さて、この6曲のCDはわりに見つけにくく、往年のアマデウス四重奏曲は初期四重奏曲だけでLPを出していましたが、いまは全集盤にしか収録されていないようです。イタリア四重奏団の全集もあったように記憶していますが、自信はありません。
現在はスペインの若手、CUARTETO CASALSによって、翌年の6曲を含めた3枚組のCDが輸入盤で入手できます。第2番のテンポがかなり快活で、伝記から伺うヴォルフガングのテンポ感からすると作曲者自身は怒ってしまうんじゃないかと思いますが、全体にさわやかで、読みに対する努力も半端ではなく、好感の持てる演奏です。(harmonia mundi HMI 98760.62)
「いや、古き良き時代の演奏がやっぱりいいんだ!」
とおっしゃる向きには、バリリ弦楽四重奏団によるCDが見つかったらラッキーですよ、と言っておきましょう。(私が以前入手できたのはWESTMINSTER MVCW-19044、ただし1〜3番【通し番号では2〜4番】)。
もうずいぶん前なので、実家においてきたのか今どこかに隠れているのか分からなくなってしまいましたが、6曲とも弦合奏で演奏した録音もありました。もし発見された方は是非情報のご提供を!

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2006年10月30日 (月)

のだめのいいとこ:3)妬ましきビンボー


のだめカンタービレ (3)

今飲んでいる薬の関係で、最初の15分を見過ごしました。
『オーケストラ』の為に指揮者が何をやるか、何が望まれるか、という点は次回を見るまでお預け、になりました。(とりあえず昨日の、ベーム/ウィーンフィルDVDのレポートで代替させて下さい。)

悲しい。。。か、というと、そうでもない。のこりでたっぷり楽しませて頂きました。

クラブが「キャバクラ」と呼ばれていたのは、あの業界の人が見ていたら怒るだろうな〜
ハタチのとき、数人で【クラブ】でシャンソンを弾くバイトをしたのですが、
「ここ、キャバクラですよね! 初めてなんです、嬉しいです!」
と喜んでみせたら、
「君、ちゃんと覚えなさい。ここは【クラブ】です!」
と叱られました。

女性がみんな千秋のほうに行ってしまった・・・結果としてのミルヒーの心の傷の深さも、原作以上に伝わってきました。あのみじめさも、味わったものでないと分からない! やっぱりああいう場面は「ナマ」がよろしいようで。

あれあれ、なにが「のだめのいいとこ」だか、よくわかんないことばかり綴っています。。。

桜ちゃんのビンボー、でも、親父がヴァイオリン売ったら解消するんだから、まだ幸せですよ。。。
あれがみんなクレモナのオールドやフランスのヴィヨームといった類いのものだったら、確かに事業もいっぺんで立ち直りますね。

ただ、当然ながらお詳しい方から見れば、あのなかにはクレモナ系のオールドはなかった、というのが自明だったでしょう。桜ちゃんのお父さんが弾いていた楽器で、私が以前弾いていた安いものと、せいぜい同じクラスでした。(それでも飲み代のツケを差し引いたボーナスを溜め込んで買ったくらいの値段でしたけれど。)

ずっと以前に「ガダニーニ事件」というのがあって、名ヴァイオリニストUさんの面目が丸つぶれになったものでしたが、年代物のヴァイオリンは鑑定そのものがたいへんむずかしく、作者名が判明しない場合は流派・系統の近そうな作家のものに帰すことは、実際には珍しくないはずです。ガダニーニ事件は、「本物志向」過ぎる日本の偏狭な価値観が生んだ不幸だったと言えると思います。Uさんが悪い、とか、訴えたほうが非常識だとか、そういう話ではないはずです。
ヴァイオリンの値段は、数億したとしても、それを美術品と見なせば本来の値段より安めなのだそうです。何故か・・・それは、楽器のほうで「人に弾いてもらいたい」と思っているからに他なりません。
ただし、オールドだからいいかどうか、は弾き手にもよりますし、実際、有名な演奏家でせっかくストラディヴァリをもっているのに、楽器の音を台無しにしている人もいますから。

私自身は鑑定眼はないので、これくらいまでしか言えません。

親の隠し財産でビンボーが解消する・・・ちょっとねたましかった原作第3巻であり、ドラマ第3巻ではありました!
自分自身のビンボー話は、してもしょーもないので、しませんが。 ククククク。。。(笑っているんじゃありません。号泣をこらえているのです。)

毎度お粗末様でした。

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2006年10月29日 (日)

「価値観」で「見落とし」がないように祈ります

ベーム/ウィーンフィル来日の一連の映像が、やっと発売になりました。
リハビリ中の私は欠勤が多いので、今月は薄給です。時間の都合で、お医者の証明が必要な給付申請書にまだ記入出来ていないのも痛い。

ですが、おととい全て買いました。(合宿費、払えるかな〜)
早退せざるを得なかったオノレに活を入れるつもりでもあったのか、衝動的に、ではなかったつもりなのですが。
ともあれ何より、いちばんの理由は、少年時の思い入れが深いからです。


カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1975年日本公演

TMFのみなさまも、今日の練習が終わってご帰宅なさったか、飲み会で盛り上がっているか・・・でしょうね。(TMFの方への内向きメッセージですが、よろしければ)どなたもお付き合い頂ければ幸いです。その時分の思い入れのこと、思い入れでは見えなくなっていた記憶が映像という客観的な媒体でよみがえったこと・・・これらから感じた大事なことを、上手に、とはいきませんが、お伝えしておきたいと思います。たぶん、かなり冗長になります。

ベートーヴェンの生誕200年が1970年。私がオーケストラをやってみたくなったのは、この年からでした。
ベーム/ウィーンフィルの組み合わせでの初来日が、その5年後。今回出た映像のうちの、75年。最後が、ベームの亡くなる前年の80年。憧れの組み合わせでした。それまでの3度の来日、聴きにいきたくて親に何度も頼み込みましたが、自分は無収入の学生生徒、家は地方の貧乏長屋、ではチケット代はともかく、旅費も調達しようがなく、泣き寝入りでした。それでも時代は既に好景気、テレビでベームに会える、というだけでも恵まれていたと言うべきでしょう。

75年の初来日は、ブラームスの1番が終楽章で異様な盛り上がりを見せた、という記憶が強烈にありました。その演奏はCD化されるまでにかなり年数がかかりました。発売と同時にさっそく買いましたが、記憶にあった鮮やかな音とはどうしても同じものには聞こえず、ガッカリしました。

そんなこともあって、今回発売された映像にも、当初まったく期待をしていませんでした。
期待しなかったのが、幸いしました。
まず昨日、ブラームス1番の映像を見て、私は3度、本当に泣いてしまうハメに陥りました。・・・この映像のことのみ中心に綴ります。きりがなくなるので。
一度めは、第2楽章のソロを弾き終えたヘッツェルさんが、はにかんで笑うところ。
二度目は、終楽章の長いコーダの前の、弦楽器が溢れんばかりの愛に溢れたテーマを奏でる箇所で、今度は未だ頭のてっぺんに毛の残っている若いキュッヘルさんが、ヘッツェルさんのほうを見てにこっとする一瞬。キュッヘル氏は「ドナウ」でも同じ笑顔を見せますし、他のパートの人も笑顔でいるのが何カットか映し出されています。
もうひとつは、終楽章全体を通じて、ですが、団長ヒューブナーさんが明らかに顔色が変わり、それまでの、どちらかというと普通のときのウィーンフィルらしい客観性の強い取り組み方を突然のようにやめてしまい、熱血セカンドヴァイオリンマンに変身してしまったこと。「あれれ!」と思って見ていたら、変身したのはヒューブナー氏一人ではありませんでした。

中継時に見た、憧れのベームの印象は
「あらまあ、こんなにお歳で。だから指揮もヨボヨボなのね」
・・・ずっと後年、映像が豊富に出るようになってから、あれは決して年齢のせいではなかったことが分かりましたけれど。若くしてすでにあの振り方だった。ということは・・・80年にも未だ、ベームは老いてはいなかったわけです(本番では疲労の色が濃いのですが、終楽章後半で勢いが戻ります。リハーザル映像のほうは矍鑠としていますし)。
75年のブラームスでのベームは、あらためて目にすると、とてもカッコいい。
商業用の録画でも、「ああ、こうじゃないんだ、お前たち!」となると、彼は体をヒョコヒョコ上下に揺さぶりだす。なんだかやだなあ、と感じたものでした。
ところが、75年のブラームス(ベートーヴェンでも、シュトラウスでも、シューベルトでもそうでしたが)では、一切、このヒョコヒョコがない。
「あ、上下に動いた!」
と意地悪な期待をして眺めていると、残念ながら当てがはずれて、1、2度で上下運動が終わる。

目が、いい。
いま、私は体調がいいとき、周りの人に
「今日は目ヂカラがあるな!」
と言ってもらえて、たいへん嬉しい思いをします。
その、目ヂカラが、このときのベームにはかなり強くあります。
棒も、既に見た幾つかの商業映像のどれに比べても、ずっと客観的で、オケまかせです。
そんなベームが、アンコールの「青きドナウ」を振っていて、途中ヒキツリ笑いしてしまうのも、愉快です。嬉しかったんでしょうね、このコンサートで何が起きたんだか、もうなんだかわけが分からなくって。

新鮮でした。泣きました。
75年のものだけ2枚組ですが、どうせならこれを見て下さい。最低でも買える予算を1万円確保し、75年映像を選択して下さい。私たちには学ぶべきものが多くあります。モトが商業映像ではないこと、ホールがムジークフェラインザールではないために、他では得にくい情報が豊富にあること、も非常なメリットです。
当時をご記憶の方には、記憶を確かめなおすために。
知らない方にも、いろいろ有益な情報を得て頂くために。

印象面ばかりでしたので(泣いた、というのも割り引いて下さいネ)、有益な情報のほうに、2、3触れておきます。

まず、弦楽器陣にとってはボーイングがこれほど観察しやすい映像は珍しいと思います。常々菊地先生がおっしゃっている自由なボーイングとはどういうものか、一目瞭然です。

金管陣がクローズアップされる場面では、アンブシュアにご注目下さい。個々人でそれなりの癖はありますが、口元とマウスピースの間の自由度がどれだけ高いかを、はっきり見ることが出来ます。

木管陣については、最も難解です。アンサンブルのタイミングをどうとっているか、ポイントを発見すれば、あとは容易に感じ取れるのですが・・・それを言葉では表現できません。少なくとも、ソロを吹いているときの彼らの「計算方法」をよくご観察下さい。
(11月2日付記:ベートーヴェンの7番は75年と80年の2つに収録されています。80年のベームは体を気遣ってアンサンブルをオケ任せにしている箇所が多く、その箇所での木管各自の振る舞いを観察すると、分かりやすくなります。ただし、75年との見比べがベターです。)

管楽器陣に注意してみて頂ければ有り難いのは、弦とのバランスの巧妙さです。
ブラームスでのボーイングは、これは一流オケならでは、でもあるのですが、信じられないほどゆっくりで、かつ長いフレーズをたった一つのダウンボウアクションで弾いてしまったりしています。それが映像に移っている間、管は映りません。本当はそっちを合わせてみられると嬉しかったのですが、無い物ねだりです。ですが、他の場面で、「こんなとき管はどう対処しているか」は充分類推できます。類推できるまで繰り返し観察頂けるとありがたいなあ、と思います。

弦側も、似たことに注目が必要です。
主題をアピールしたいときには、逆に、我々素人では想像もつかないような箇所で弓を返したりします。・・・運休の極意が、そこではっきり目に出来ます。管楽器陣も、弦にきちんと舞台を譲っている。そうしたとき、弦の弾き手としておじけづくことがどれだけマズいか、をご理解下さい。

打楽器は・・・ティンパニだけなんですよね。。。ボスコフスキー指揮のニューイヤーコンサート映像のほうが、打楽器のかたにはずっとお勧め、ということになりますね。残念。

総じて、ウィーンフィル(ベルリンフィルやロンドン響、パリ管などにも同様のことを感じますが)のアンサンブル技術は非常に真似しづらいものです。一見、動きがないようだから、です。
「なのにどうしてぴったり合うのか?」
そこを、是非ご発見下さい。

実際には、動きの烈しいオーケストラ(ただし、アンサンブルはきれいなところ)の映像を比較の対象にすることを、強くお薦めします。
動きの烈しいオケには、動きを烈しくしなければならない、なんらかの必要性があります。
初めて(本当に)いいオーケストラでのメンバーを経験すると、
「あんたは、トップの指を見てでも、音のタイミングを合わせなさい」
と叱られたりするものです。。。
自分自身が思い込んでいる「いい音楽」の中には、少なくとも大勢で一つの音楽に取り組まなければならないオーケストラには、何の有益な意味も存在しません。
どうか、そのことを肝に銘じて下さいますよう。

先日ご紹介しました井阪紘著「一枚のディスクに」中に、こんな一節があります。

「(若手ピアニスト)ヴラダーは言う。『我々はレコードというメディアに遅れてきた世代だ。もうカタログは埋めつくされていて、しかも大家の名演が多い。でも、我々の世代にとっても、自分の演奏を多くの人に聴いてもらうために、CDというメディアが必要なのだ』と。」

アマチュアオーケストラは、録音で演奏を聴いてもらうのが主旨ではありませんが、聴いてもらうために考えなければならないことは、この一節の意味するところと何ら変わりがないはずです。
今まで後生大事にしてきた価値観を捨てて、原点に帰った精神を、自己の内側に探っていく必要があるのではなかろうか、と考えます。如何でしょうか?
さらに。

CDと同じことが言えるDVDを素材に話を進めてきましたし、これまでの記事もそちらのほうが圧倒的に多いのですが、そこからたどれるのは演奏し、享受したことの『記憶の冷凍』です。冷凍には冷凍の高い価値があることは、しかし、否定できません。グールドやカラヤンは、むしろ冷凍の高い付加価値にいち早く目覚めた天才だったとも言えます。そこから学ぶことも、決して僅かではありません。録音でこそ得られる芸術性も、もたらされる感動も、否定はしません。

ただ、そうした媒体を通じて
「本当の音楽とはこういうものだ!」
と断定することには、・・・それが過去への賛美を意図したものであっても、私は絶対に賛同できません。

たとえば不器用なベームの笑顔は、音楽が冷凍であることは望まなかった類いのものだったと思っております。
そんなベームの『冷凍』をもって
「これが本当の音楽だ」
と断定したとたん、彼の音楽を愛してきた人は、すべてその現在的で実存的な存在意義を失います。・・・おっしゃっているご本人も、です。待っているのは、おのれも冷凍庫詰めになる運命だけ。北野武最大の駄作映画といわれた「みーんな、やってるか!」状態。(この映画、私は大好きですけどネ!)
どうぞ、冷凍になってしまう自分の、その重さだけは、強く感じておいて下さい。
ダイエットだけでは重さから解放されない、由々しい事態に陥りますからね、

本当の音楽は、それを生み出し、奏で、喜び、尊敬する全ての人の中の「いま」にこそ、その人その人それぞれの心にふさわしい姿で、愛に溢れた笑顔を見せてくれるのです。

笑みを生み出せない演奏、希望をもたらさない作品が、いかに「音楽もどき」で終わってしまうかは、
"Shostakovich against Stalin The War Symphonies" PHILIPS 074 3117(DVD)
(日本語盤有り)を、
プロオーケストラが演奏にあたる時に遭遇するさまざまな苦労と緊張と喜びについては
茂木大輔『はみだしオケマン挑戦記』中公文庫2006.10.25
を、是非ご覧下さい。

そうしたことを踏まえて、ベーム来日時の映像で、ご自身の現在のために『音楽』を学び、得るべきものを得、存分に楽しんでみましょうヨ。


・・・飲み会の終わる時間になってしまったなあ。。。 ・・・ひとりで酔っても、空しくて寂しいもんだなあ。。。 って、ボク、いまドクターストップ禁酒ですから。

追伸)TMFの合宿には、『エロイカ』映像3種持参します。前もって屁理屈はこねません。。。ワイワイガヤガヤ見ましょうね。



ボスコフスキー/ニューイヤー・コンサート 1963-1979


DVD

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販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2005/01/28

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ショスタコーヴィチagainstスターリン 戦争交響曲集


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販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2006/07/26

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はみだしオケマン挑戦記―オーボエ吹きの苛酷なる夢


Book

はみだしオケマン挑戦記―オーボエ吹きの苛酷なる夢


著者:茂木 大輔

販売元:中央公論新社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

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森麻季様:あなたに本当に託したい夢

拝啓、森麻季様

ご本人が読んで下さる機会があるかどうか分かりませんが、
それでもいい、と思いつつ綴ります。


愛しい友よ~イタリア・オペラ・アリア集

新しいCD、何度も拝聴しました。50にも近くなって、二人の子持ちでもありながら、特典のポストカードを目立つところに飾って、
「ミーハーめ!」
と、家内の顰蹙も買いました。
たくさんのファンも、そうしていることでしょう。(と、信じる!)

何よりも、タイトルの「愛しい友よ」に、あなたの10年が結晶していて、それに心打たれました。

来年早々、ドレスデンでゾフィーをお歌いになられるとのこと。
日本公演でもだ、ということではありますが、まずはドレスデンで、あなたなりの、あなたらしいゾフィーを発見し、演じ切って下さい。そしてそれが、その時期海外に行けない私たちにも何かのかたちで聞こえ、見えるようであったら、嬉しく存じます。

さらには、まず第一に、海外の、それと世界中の人が認めてくれる劇場で、あなたらしい当たり役を是非見つけ出し、それが放送もされればCDや映像にもなるようであって下さったら。

第二には、その結果、日本にもほんとうにオペラが・・・クラシックの延長で、なのか違うかたちでなのかは問わず・・・定着したら、と願ってきた、たくさんの先輩たちの夢を実現すべく進んで下さったら、とても幸せです。

長い長いスパンでのことになるか、早々に実現されるか、は天のみの知るところかもしれませんが、
「愛しい友」
を思いつつ歌えるあなたにだからこそ託せる夢です。大げさだったらごめんなさい。

とはいえ、いつも今のままの自然体で、健康を第一に、ますますの前進、ご精進、ご活躍をお祈り致します。

「本当に」とタイトル付けしてながら、本当に、の部分は上手く表現できませんでしたけれど。

とあるミーハーおやじより、でした。

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2006年10月28日 (土)

曲解音楽史7:エジプトの歌はひとつだけ?

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
          4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア


図説 古代エジプト文字入門

エジプトは、ギリシャの諸ポリスやローマ帝国との接触が長く続いたこと、文明滅亡後もその絵文字(聖刻文字=ヒエログリフ)が常に人々の興味を引く付けていたこと、解読してみるとその言語が単一で、国家も基本的に単一民族であったことなどが益し、古代についてメソポタミアよりも早く輪郭が明らかになりました。時期的には文明の発祥より2千年以上も遅れるものの、ヘロドトスが『歴史』に具体的な見聞を記しているのも、エジプト社会を明らかにしていく上で有効な働きをしました。
音楽については、しかし、ヘロドトスの言っていることは摩訶不思議です。

「エジプトには歌が一つしかない」
(松平千秋訳、上巻209ページ、岩波文庫1971)

「『リノスの歌』がそれで、これはフェニキアを始めキュプロスその他でも歌われているものであるが、名前は民族によってそれぞれ異なる。」
これに対する松平博士の註は、
「キュプロスではアドニス、シリアではタムス、アルゴスではリノス、等々である。普通リノスとは春に生成繁茂し、夏の炎暑に傷められ秋に刈り取られる植物の象徴と解される。リノスの名も悲泣の掛声 (ailinon)から分離して作られたものとされる。」
とありますが、出典や根拠が不明で、かつ「ひとつしかない」歌の説明とはなっていません。ギリシア神話に出てくるアドニスはアフロディテの愛人となった若者で、他神の嫉妬により殺されて流した血から真紅のバラの花が咲いた、とされています。タムス、というのも、このギリシア神話の元となったフェニキア〜シリア方面の神話でアドニスの役を果たすタンムズという神の名前でしょう。
(参考:大林太良、伊藤清司、吉田敦彦、松村一男編「」角川選書版、選書375 2005)

世界神話事典

私が分かったのはここまでで、エジプトに同様の神話があったか、そこにリノス(ギリシア語なのかもしれません)という、アドニスやタンムズに相当する神が存在したかまでは分かりません。
ともかく、こうしたことから推測するに、ヘロドトスは歌の旋律が一つしかない、と言ったのではなくて、歌の種類が何か特定の復活儀礼に関わる宗教歌的なものに限られる、と伝えているのかな、とも思えてきます。
ところが、ヘロドトスの言うことにもう少し耳を傾けてみると、
「リノスの名はエジプト語でマネロスというが、エジプト人の話では、マネロスはエジプト初代の王の一人息子で、成人の日を待たず夭折したこの子供を、エジプト人は例の晩夏を歌って偲び、そこでこの歌がエジプトの最初にして唯一の歌謡となったのであるという。」
これはどう読んでも、やはり「歌そのものが1曲しかない」ととるのが自然です。
考えられるのは、1)エジプトには本当に歌が1曲しかなかったのではないか、2)そうではなくて、ヘロドトスのエジプトの歌を聴いた場面が何らかの理由で特定/限定されていたのではないか、
といったあたりでしょうか。

歴史 上 岩波文庫 青 405-1



幸い、リーサ・マニケというデンマーク出身の有名な女性エジプト学者さんが
「古代エジプトの音楽」
という本をまとめていらっしゃり、松本恵さんによる邦訳で読むことが出来ます。
古代エジプトの音楽
そこに掲載された図版からは、宗教儀礼の場だけではなく、農耕の仕事歌としても、宴会の踊りの伴奏としても音楽が必要とされていた様子がいきいきと伝わってきます。
かつ、図に出てくるもの、出土した遺物から伺うに、古代エジプトには多種多様な楽器も存在しました。
リュート、弓形に角形のハープ、単リードまたは複リードの双管管楽器、ツタンカーメン王の墓から出土したトランペット(試奏もされたそうですが、最初のときのそれがあまりに乱暴な方法だったため、いたんでしまったとのことです)、シストラム(小さなシンバルを付けた、手で持って振る小型の楽器)、シンバル、タンバリン、樽型の太鼓など。そのほとんどが、原題エジプトの民族音楽の中でも使い続けられているということですから、たいしたものです。

楽器の中で面白いのは、リュートです。亀の甲羅を繰り抜いて作ったのが、どうもリュートのそもそもの姿だったのではないかと思われます。出土したものは大英博物館に所蔵されている、と、「古代エジプトの音楽」の口絵写真には説明がついています。
このリュートの作り方は、これも興味深いことに、古代ギリシアの文献に出ています。ホメロスの名を冠した一連の諸神讃歌のうちの、ヘルメース讃歌に載っているのです。曰く、ヘルメースが
「葦の茎をそれぞれ程よい長さに切ると、
 亀の甲羅を指し貫いてしっかりと取りつけた。
 その上から巧みをこらして牛の皮を張りまわし、
 腕木を造りつけ、横木を渡して固くとめ、
 よく鳴り響く羊腸の弦を七本そろえて張った。」
(沓掛良彦訳「」218頁、ちくま学芸文庫ホ11、2004)

ホメーロスの諸神讃歌



古代エジプトには楽譜がなかった、とされています。
(前回言い忘れましたが、メソポタミアからは数字を用いて記譜した粘土版が出土しています。)
でありながら、描かれて残った数々の奏楽の様子は、記号風の約束事が多いエジプト壁画の中では異例と言ってもいいほど具象的です。とくに楽器の描き方には最も顕著に具体性が見られます。マニケ教授がスケッチし、説明しているハープ奏楽の絵は、奏者がどの弦をどのように弾いているかまでがきちんとわかる、とされていますけれど、全くその通りだとの印象を受けました。
同時にまた、奏楽場面の壁画の多くには、楽器奏者や歌手数人、場合によってはひとりひとりの前に、指揮者風の人物(カイロノミスト)が描かれています。この人物が、どうも演奏家たちに対し音程などを指示していたのではなかろうか、という話が、通説となっているようです。
しかも、カイロノミストの手と、先程の具体的なハープ奏者の手の位置に密接な関係があるらしいことも認められますので、
「カイロノミストの腕の位置は五度音程を、手のひらや指の開き方は何らかの奏法を示しているのではなかろうか」
といった推定も可能らしいのです。
すると、古代エジプト人は、通常の筆記用具であるパピルス(高級品であり、誰でも手に出来たものではなかったそうです)にではなく、なんと、あの壮大な壁画に楽譜を残したのだ、という推測まで出来てしまうのです。
恐るべし、古代エジプト人!

しかしはなはだ残念なことながら、楽譜と公認しうる史料が全く存在しない状態は今も続いておりますので、古代エジプト音楽を復元することは未だに不可能です。
そうした中、マニケ教授の著書に刺激され、何とかその響きを復元しようとした人物がおり、この人は様々な方面の援助を得て楽器も復元し、音楽自体は古代を想像しつつ自分のイメージを膨らませて作曲し、CDにしています。アマゾンで探したら入手できました。

Ankh: The Sound of Ancient Egypt

ご興味のある方は、どうぞご一聴下さい。少なくともリーフレットのメッセージ、僅かしかないものの併載された図版は、感動的です。

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N響in Carnegie Hall(Takemitsu,Bartok,Ravel)

27日付記:夕べ結局ノビましたので、記事本文は今朝、さっき飯の後で訳しました。昨日暫定的に綴ったものは一部を末尾に移すほか、冗長な部分を削除します。・・・それでも冗長でしょうけれど。なお、昨日の記事そのものは削除します。
(本文訳:決まり文句ですが〜誤訳ご容赦)

<世界を跨いで絡み合う音楽的血脈をたどる>

アシュケナージ/NHK交響楽団アメリカ公演からカーネギーホールでのコンサートの評

(バーナード・ホランド記、New York Times web)

Ashkenazy月曜(2006.10.23)夜のカーネギーホールでのNHK交響楽団のプログラムは、武満徹「鳥は星型の庭に降りる」で始まった。演目の最後はラヴェルの2つの「ダフニスとクロエ」組曲だった。一つの意味では、この演奏会は日本のオーケストラが自国の大看板作曲家の披露で始まり、終演は奏者たちの才能を華麗な響きで誇示したものではあった。2作品の間に置かれたバルトークの第3ピアノ協奏曲はまた、副次的な血脈のある作品を組み込んだものだった。

バルトークの管弦楽は頑健で・・・およそ華麗な響きと隣り合わせにナマクラ楽器が配されているに等しい。その原点はリスト、ベートーヴェン間のいずこかに位置し、遡ればバッハからの血脈をたどる線上にある。系統樹上の武満の枝はより短く、「ダフニスとクロエ」については血脈の出発点からすれば幾分特殊な例である。

19世紀末にかけてのフランス芸術は、その光景と音響で、パリ万博に遭遇した極東日本にとり電撃的な驚異だった。武満は何世代も後に登場したのだが、結果的に日本を模造したフランスの模倣、としての日本音楽、という成果の魅惑にとりつかれたのだ。

こうしたことは上辺だけになりやすい危険を孕んではいる。武満は、自らの過去を「鳥は星型の庭に降りる」のような愛らしい小品に取り入れた。ここに見られる影響は、自国の優れた織物や書、絵画に比してあまり日本風ではないように思われる。仮にバルトークが薄暗い正直さで快楽主義を拒んでいるのだとすれば、「鳥は・・・」を聴くことは事物を光の元へひっくりかえしてやり、光を反射する物体へと変質させるようなものだ。欧風和声は滑らかな水平運動と響きの雲へと置換され、全的に独自な運行とでもいったものになっている。

バルトークでのピアニストはヘンレ・グリモーがつとめた。彼女の気取らない正直な演奏、自己中心的な解釈への拘泥を拒絶する姿勢には好感が持てた。ウラディミール・アシュケナージはNHK交響楽団の首席指揮者として二年前からこんにちまで指揮にあたっている。アシュケナージがこのオーケストラのこんにちある状態まで質を高めたのか、または単にメンテナンス人員だったのか、いずれであっても、アシュケナージは、反応も鋭敏で心地よくもある弦楽器や管楽器陣のアンサンブルには、きっと貢献しているのだろう。木管の個々の演奏はクリーヴランド管弦楽団やシカゴ響の演奏会でほど目立ったりしていないようではあるが、共同でのセクション演奏となると、ラヴェルでのグリッサンド効果は見事なものだった。

デッソフ・シンフォニック合唱団が2つの組曲で(上品に)歌っており、さらにアンコールでもステージ上にいて、フォーレのパヴァーヌに声楽を加えたもので参加した。フランスの出版者はつねづね販売拡大が関心事であるが、どんな長さや編成によっても販売促進できればいいのではある。今回のフォーレのパヴァーヌは、ある瞬間は感動的に響くものの、ほかの箇所では変に場違いだったりもしたのだが。



(以下、私見)
いつも思うのですが、日本の新聞と違って記者さんの見識で評を書いているのが素晴らしい。しかも、記者さん自身が音楽史的背景をきちんと知っているために客観的な筆致で綴られています。べた褒めしたり、貶し一方に勢力を注いだりという愚は犯しません。批評はかくあるべし、でしょう。
カッカ、キャンキャンしてないのが、いいです。そのほうが誉められた人は(健全な精神の持ち主なら)じわじわ嬉しいんじゃないでしょうか。貶されるほうでも、諦めがつきやすい。

私なんかも記者さんを模範に、反省しなくちゃならんかな。・・・いや、能力が追いつきませぬ。

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2006年10月27日 (金)

さがしもの

心にせまるグールドの映画:New York Times 記事の「誤訳」! 該当の映像入手しましたので、後日レヴューします。


Schwalzkopflastみつからないさがしもの。

振り返ってみれば、日々、見つからない探し物だらけです。

何を探すか、は人によっても違うでしょう。

人生の意味を探す人、死に場所ばっかり探す人、死にそうなヤツを助けてやろう、と探しまわる人。そういう、深刻な類いの人もいるでしょう。人生の意味なんて、辞典のどこに書いてあるかを見つければ済んでしまうかも知れないのに。。。辞典なら、人生という「言葉」の意味は、確実に載っている。
「それでは、足りない。」
だったら、ウツになるしかありませんね、ボクとおんなじに。

あれあれ、これはあんまりな言い方だ。

探すものは天気によっても違うかもしれません。雨の日、傘がなければ傘を売っているコンビニを探すし、傘を買うお金がなければ、借金のツテか、こっそり持ち逃げできる置き傘を探す。そういう、軽い類いは・・・ボクかもしれません。

目下の私の探し物は、ですけど、傘ではありません。今日(きのふになつてしまつた)も天気はよかったし。

じゃあ、何を探しているか。

幾つかあります。
CDだけピックアップしますと。

ひとつは、昨日ガメラさんがブログに載せていた、スティングの歌うダウランドのアルバム
こいつが、職場の近所のでかいCD屋には、ロック売り場にもクラシック売り場にも見当たりません。

もうひとつの、最大の探し物は、名ヴァイオリニスト、ゴールドベルクが、先日亡くなった奥様の山根美代子さんと共演しているCD。そういうものがちゃんと存在する、という情報をせっかくコメントで頂いたのに、やはり、CD屋でもネットでも見つからない。見つかったのはグールドの「ゴールドベルク変奏曲」DVD。ゴールドベルク違い。・・・とりあえず、買わない。予算外だから。

「おまえさんみたいな、出来悪の根性ワルには聴いて欲しくないナ」
ゴールドベルクさんがそうおっしゃっているかのようでもありますし、ホントのところはご夫婦の御霊(みたま)にハナから相手にされていないようでもあります。アトのほうが正解でしょう。
でも、明後日、またネットで中古市場でも当たってみます。
人様の晩年を野次馬したい、というのは、われながらまったくもってけしからん根性ですが、人が人としてたどり着いた・・・宮沢賢治流に言えば「ほんたうのしはわせ」の秘密が、そこに聴き取れるのではないか。そんな、一つの信仰から、どうしても野次馬がやめられない。

愛しい友よ~イタリア・オペラ・アリア集

などと適当な理由を付けて野次馬をしながら、ふと目についた、発売数日後の森麻季さんのCDのタイトルは
「愛しい友よ」
でした。

一方で、最近やっと売り出されたシュワルツコップの最後のリサイタルのCDは、
"To My Friends"
“わが友に”シュヴァルツコップ最後のリサイタル

この二つのタイトル、発売日現在のキャリアを、どうしても比べて見ざるを得ませんでした。
だって、CD屋の棚に、この二つが隣同士に並べられていたのですから。
一方はこれから坂を上らなければならない人。
一方はすべてをやり遂げて、あるいはもう少しやりたかったことを残して物故した人。

やっぱり、みんな、毎日何かを探しながら生きている。それが「友」という言葉に象徴されているようで。それは年齢に関係なくずっと続いていくもののようで。

CDの中身は、いずれもまだじっくり聴いておりませんので、必要を感じたら別途記します。

ですが、こんな情景に接した、というだけで、もう充分に教わるべきことを教わったようでもあり、別途記す、なんてこと自体、不遜なんじゃなかろうか、とも思っています。

・・・しょうもない!

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2006年10月25日 (水)

録音の内側をかいま見る:「一枚のディスクに」井阪紘著

Isakaゆうべシュワルツコップのことを綴っていて、ふと思い出しました。
「そういえば彼女のご主人は有名なプロデューサーだったな」
それで、オーディションのとき、彼女に同じ箇所を納得がいくまで執拗に繰り返し歌わせ、あまりのしつこさに、同席していたカラヤンも逃げ出した、という話があったはずでした。
名前を思い出せませんでした。

なにか、思い出すきっかけになる本でもないだろうか、と思って昼休みに本屋を覗いたら、ありました。

井阪紘「一枚のディスクに レコードプロデューサーの仕事」
(春秋社、2006年8月)

<レコード芸術>誌に連載されていたものが、1冊にまとまって出版されたのでした。この本の存在を知らなかった私。たいへんラッキーな出会いをした、と、今夜は幸せな気分です。

そうそう、ウォルター・レッグ氏でした。

掲載されているエピソードの一つ。

フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」録音の頃、指揮者とレッグは仲違いの最中でした。
しかし、指揮者が
「あいつをプロデューサーに使ってくれるな」
とEMIに申し入れていたにもかかわらず、レッグはこの録音をプロデュースしました。
イゾルデを歌ったフラグスタートは、高音が出ませんでした。そこでレッグは、妻のシュワルツコップを、高い音要員で待機させていたとか。
「え、そんなことあったの?」
と思って、いままでちゃんと目を通していなかったCDのリーフレットを見たら、しっかり書いてありました。
「あったんだよ。」
って。
録音は、私の鈍い耳では気がつかないほど、上手く仕上がっています。(あ、私がニブいだけなんだろうナ。。。)
出来に満足したフルトヴェングラーは
「レーベルにはプロデューサーの名前もぜひ載せてくれ」
とまで言ったそうですが、井阪氏によると、未だに不記載とのことでした。
これも確かめました。2001年にプレスされたリーフレットには、レッグの名前がしっかり書いてありました。レーベルに、ではありませんでしたが。

それはともかく。

「映画なら監督の名前を知っているのは当たり前でも、CD録音のプロデューサーなんて気に留めたこともないでしょう?」
この本がはじめのほうで投げかけてくるそんな意味の問いかけには、
「うーん、そうだよなあ」
とへこんでしまうしかありません。クラシック演奏の繊細な録音に全てをかけるプロデューサーの意気込みが、1行1行から熱気を発して読者に伝わってくるこの本、とくに「ライヴ」尊重主義のかたは、いったん自身の理想を空っぽにして、その言わんとするところに耳を傾けてみる価値が充分にあると思います。・・・その結果、井阪氏がグールドの言葉などを引いて強調する「セッション録音(部分部分を録音し、良いものを選りすぐり、最終的に一つの曲に仕上げる)」のメリットにも納得するか、やはりライヴに勝るものはない、とお考えになるか・・・読者次第ですネ。

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2006年10月24日 (火)

シューマンを聴く:「女の愛と生涯」

ゴールドベルク夫人山根美代子さん逝去(各リンク先にぜひお目通し下さい)
グレン・グールド映画上映 in New York(もうDVDで出ているものですが・・・記事を「誤訳」しました。)



Lucia

演歌張りの邦訳タイトルがついた、シューマン作品42のこの歌曲集、美空ひばりが歌ったらどんなだったんだろう、と、ふと思いました。
演歌ファンにもクラシックファンにも爪弾きされるかしら。

テレビによく出るあいだは
「こんなにヤキが回って!」
と嫌味ばかりを感じさせられる気がした美空ひばり。
「ヤキが回った」
はとんでもない誤解であることを、彼女の死のだいぶあとに放映された広島ライヴを見て、聞いて、強烈に印象付けられたものでした。

歌を仕事にする人が、大病の後で健康なときの艶やかな声を取り戻すのは、どれだけ困難なことか。これも病気を乗り越えて頑張った村田英雄を思い起こすと理解できるはずなのですが、彼の晩年の声を、 私にはしかとは思い出せません。

美空ひばりは、単に病気を乗り越えただけではありませんでした。広島で歌った彼女の声は、病前よりずっと色彩豊かで、繊細で、かつ大きな振幅にも耐えるゆとりがありました。

技術を維持し、さらに高めるには、おそらく機械的な練習だけではダメなのでしょう。では、どんな要因が決め手となるのか・・・ちょっと私ごときの手に負える問題ではありません。

極端な例として、『愛の喜び』で名高いクライスラーは、普段ちっともヴァイオリンを練習しないのでも有名でした。それでも録音で確認できる限り、晩年まで腕の衰えを見せていません。

「女の愛と生涯」の作曲者シューマンは、クライスラーとは正反対でした。激しい激しいピアノ練習を重ね、激しくやりすぎて薬指を損ない、ピアニストの道を断念したのですから。
その死も自殺未遂の果ての精神の荒廃だったという、悲しい人生を送った人ですが、シューマンの描く謎めいた薄暗がりの音楽は、いまも数多くの名手の心を捉えて離しません。

ドイツリートを勉強する女学生にとって、シューマンの歌曲も必須だとみえ、かつは歌うに大変難しくもあるからでしょう、ウチにも家内が学生時代レッスンに使った「女の愛と生涯」の楽譜が、顔じゅう入墨をされたまま書棚にずっと直立不動でいます。

Schwalzcopf_2今年亡くなったシュワルツコップが1974年にこの歌曲集を録音しています。解説によると、満を持して臨んだ録音だったそうです。引退まであと5年、おん年58歳。
自身の録音を耳にするたび
「こんな出来でホントにゴメンナサイ」
見えないファンに向かってそう謝っていた、と、インタヴューで語ったことがあるほど自分に厳しかった人です、「女の愛と生涯」を歌うにあたっても、たいへんな工夫をしています。
1曲1曲の最高音は、彼女の声域では当時の年齢でも悠々出せるはずでした。ですが、殆どの曲でシュワルツコップは低く移調して歌っているのです。それにより、シューマン独特の深い低音が、いっそう掘り下げられて響きます。

シューマン:女の愛と生涯

この歌曲集、他にもクリスタ・ルードヴィヒ、ブリギッテ・ファスベンダーやフォン・オッター、滅多に人を誉めなかったシュワルツコップに絶賛された白井光子など、錚々たる顔ぶれの録音が出揃っています。
けれど、熟成の頂点に達したところで惜しくも世を去った、愛らしい歌手ルチア・ポップが詩への共感をベースに示してくれた、デリケートな歌いぶりほど、私の耳に残っている声は他にありません。

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2006年10月23日 (月)

のだめのいいとこ:2)ソロと伴奏

10月24日補:
以下、日々の駄文中でも最低の駄文です。改善の余地があると確信できましたら、そのときに全部改めます。それ以前にお読みになって目や脳ミソが腐ったらゴメンナサイ。何の保障もして差し上げられないことを、心からお詫び申し上げますとともに、何卒ご了承のほど、よろしくお願い致す次第でございます。


のだめカンタービレ (2)

ドラマも第2回。
いきなり原作第2巻の4分の3まで進んでしまってビックリでしたね。
いきなり盛り上がる合コンには感激しましたけれど。家族で抱腹絶倒でした。

「オナニープレイ・・・意味はひとりよがり」(第1巻162頁)
これは、私自身、似たような叱られ方をしたことがあります。
真澄ちゃんが山形へ帰ろうとして
「あなたの音楽への思いって、そんなものだったのね」
と言われるシーンも、同じ問題に直結します。

学生時代、ハンガリー舞曲だとか津軽海峡冬景色(!?)だとか、とにかくコブシを効かせて感情を込めて弾くのが大好きでしたし、自他ともに認めるほど
「・・・ラシイ」
節回しを実現できたものでした。それで、他団体に手伝いにいったとき、指揮者に
「お手本で弾いてみな」
と指名されてはノボセたこともありました。

そんな私に、
「感情ヌキで技術で計算して、自分は泣かずに人を泣かせられなければダメなんだぞ」
と教えて下さった恩師に、今は心から感謝しています。
その恩師にはご無沙汰したままです。

感情を入れずに技術で弾く、などということが「ありえる」なんて、当時の私には全く信じられませんでした。・・・こうした私の誤認識は、たとえば
「技術だけで心がないネ!」
と評されるパガニーニ作品演奏の「正しい聴き方」を知らなかったことから生じたのでした。
技術目一杯で弾いているパガニーニ作品は、味も素っ気もありません。
ですが、生きているパガニーニは無数の聴衆に最大の感銘を与えたのです。

やっとこさ演奏されるパガニーニ作品。
人の心を揺さぶったパガニーニ本人。

この二つの間の矛盾点をよくよく考え、肝に銘じなければ、好きで無くなったとたん「心」はいとも簡単に私から去っていきますし、「好きだ」に熱中してしまうと、所詮私は不細工なナルキッソスでしかなくなるのです。

今では20代の頃とは反対に、私はソロはなるべく弾きたくありません。
ソロが弾けるには、不安に打ち勝てる「揺るぎのない自分」が必要です。
その面での自分の弱さが分かりますし、克服するのにどれだけの時間を音楽にだけ割かなければならないか、を思うと実に果てしないことになるからです。

自分の言い訳を綴るのではありませんでした! かつ、回りくどい表現で恐縮です。
ほんとうにスミマセン。

まあ、そんなわけで、原作でも、ドラマでも、今回に当たる場面は、爆笑しつつも自分にとっては非常に身につまされるものでした。

峰君が伴奏のピアノを聴いていない、というので非難されていましたけれど、この部分は少々事情が違うかと思います。・・・もっとも、話の創作過程ではアドヴァイザーの方はそんなことは百も承知だったはずです。

イヴン・ギトリスという名ヴァイオリニストがいますね。彼は伴奏者に対して決して分かりやすい合図は送らない、ということも、ご存知かと思います。
ギトリス氏は、協奏曲でも普段は伴奏を振り切ってオーケストラよりも先に演奏し終えてしまうのが常です。まるで鼻差で優勝を狙う馬のようです。
こんなエピソードをご存知ですか?
あるコンチェルトを弾いたとき、めずらしく、オーケストラと同時に終わりました。ギトリス氏曰く、
「ああ、今日は負けてしまった!」

ソリストは、そこまでのワガママも許されます・・・もっとキチンと言えば、ソリストがそれだけ自分自身の音楽との対話を完成させていれば、なのですが、この点は私らのように出来が悪いとよく勘違いして、同僚やお客様にヒンシュクを買うことになりますから、難しい。

とにかく、名人なら、ソリストは伴奏なんかいくら振り切っても構わない。
むしろソリストよりも伴奏者のほうが豊かなノウハウを身に付けている必要に迫られます。
素晴らしい例が、名歌手たちの伴奏をつとめたジェラール・ムーア氏や、先のギトリス氏が来日するとよく伴奏を務める岩崎淑さんです。
これを考えると、千秋が峰君で伴奏をする場面は、やはり千秋は伴奏の本質を良く理解している、という設定になっています。TMFの皆さんのように、ご自分が楽器をなさる方は、そういう視点から峰君のテストの場面を思い起こすと、役に立つこともあるでしょう。

なんだかうまくまとまりませんでした。ご容赦を。

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2006年10月22日 (日)

<このEroica誰の?>の答え

ゴールドベルク夫人山根美代子さん逝去(各リンク先にぜひお目通し下さい)
グレン・グールド映画上映 in New York(もうDVDで出ているものですが・・・記事を訳しました。)

Iwakibt結構たくさん見て頂いたのに・・・お答えが返ってきませんでした。寂しい。侘しい。悲しい。孤独だ!
(まあ、なんと大げさな!)
ちょっとひねり過ぎてしまったのかしら。

番号をクリックし音楽を聴いた上で、1〜5のうち4つを当てて下さいという問いでした。
「音楽には1個だけ、答えの選択肢が当てはまらないものがありますし、答えの選択肢にも音楽に当てはまらないものが1つあります・・・要するに、それぞれ1個だけダミーです。」
で、音の(4)は該当無し、ウ)クラウディオ・アバド指揮ベルリンフィルに当たる演奏はありません。
・・・これがガンだったか?

-->イ)アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリンフィル
-->オ)岩城宏之指揮NHK交響楽団
-->エ)朝比奈隆指揮新日本フィル
-->ア)ルドルフ・ケンペ指揮ベルリンフィル

岩城〜N響、朝比奈〜新日フィルも、なかなかの演奏でしょう?

クリュイタンス〜ベルリンフィルがベートーヴェン交響曲全集を残しているのは、非常に珍しいことだと思います。しかも、ベルリンフィルにとってこれが初めてのベートーヴェン交響曲全集だったというのですから。エロイカは当時はまだ珍しい、速いテンポでの演奏です(最近は速いほうが圧倒的に多くなりました)。クリュイタンスの全集では第4、第7、第8の美しさが群を抜いており、とくに第4はいちど聴くとほかの演奏がイヤになってしまうほど素敵です。第2楽章は、ベートーヴェンがアームチェアでパイプをくわえたまま居眠りしている風情です。(「奇数番は?、田園は最高!」という下馬評ですが・・・私は必ずしも賛成ではありません。)

岩城〜N響は、岩城氏がまだ30代のときに録音されたベートーヴェン交響曲全集のものです。こちらは第2が非常な名演です。名指揮者の録音でも、第2は往々にして荒っぽいか散漫になるかなのですけれど、30代とは思えない岩城氏の名監修ぶり、当時のN響の高い集中力が、若々しくもどっしりした演奏を実現させています。日本人の録音したベートーヴェンの全集の中でも、4,200円、と廉価で手に入るのも有り難い!

朝比奈〜新日フィルは、大阪フィルでもN響でないところも面白いので聴いてみました。苦しみを何とか乗り越えようとしていた時期の新日フィル・・・好演です。

ケンペ〜ベルリンフィル(見当たったのはこれだけですが、EMIなどからも出ています)は、ケンペの良い面が活きた、堂々としつつも柔らかい感触の響きがします。ほぼ同時期にフリッチャイもベルリンフィルとエロイカの録音を残していますが、その厳しげな表情と比較してみると、同じ技術での演奏が「解釈」というお化けの作用でどれだけ違う音響効果を生み出すかが、ちょっとだけ理解できる気がしてきます。

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2006年10月21日 (土)

心にせまるグールドの映画

前の記事:ゴールドベルク夫人山根美代子さん逝去
(どうぞ、記事中の各リンク先にお目通し下さい。)

Glenn
Harold Whyte/CBC Still Photo Collection

(うちの)森さん必読!

20日に、グレン・グールドのドキュメンタリー映画がニューヨークで封切られたそうです。これはDVDとしても発売されているものです。
いつもよりさらに、誤訳ご容赦下さい(毎度ですが、思い付きでの俄か訳だし、外国語センスないし)。なにせまっとうに読んだのは本日(21日)夜が初めてだし、力もないのにそれからたったの数時間で殆どを訳した次第です。ですので私自身が読み解けておらず、こなれていない箇所があります。オリジナル記事は次のリンクをクリックしてお読み下さい。直すべき箇所は、是非ご教示下さいネ。

なお、「お茶の間で、テツガクするブログ」さんを拝読したら、こちらでグールドの映像が見られるのですね! 世の中、進んどるというか・・・おそろしい。。。

Original:
"Films About Glenn Gould Arrive, Providing a Path Into the Mind of a Musician"

NewYorkTimes Web
By JAMES R. OESTREICH
Published: October 20, 2006

(本文訳)

「グレンにとっては音楽とは心の作用(流れ)だったのです」と、ブリュノ・モンサンジョンはその新作映画『来世のグレン・グールド』(註:このタイトルの訳に自信なし!原題は“Glenn Gould: Hereafter”)の中で述べている。映画はグールド氏の音楽精神の深い内面へと観衆を引き込むだろう:それはすさまじく、決して常に心地良いとはいえない。

「いろんな場合があったよ。練習しようと月曜10時にスタジオ入りすると、まったくもって16もの・・・たった2つだけの心じゃない、どうしなければならないか、16もの違った懸念があるわけだ」グールド氏は自信の素晴らしい才能に没入する。「であるからにして、この意見の意味するところはとっても贅沢なんだよ」

ほかのときには、被害妄想に助長されたのだろう人間嫌いから、「僕は聴衆が大嫌いなんだ。個々人の集団として、のじゃなくってね、固まりでドンと、というのがさ。聴衆なんて大嫌いだよ。奴らは悪の力だと思うね。」少なくとも彼は確信を持ってそう思い込んでいた。1964年には華々しいコンサート活動を放棄し、故郷トロントに隠棲した。「ハワード・ヒューズの隠居、みたいなもんさ」

Gouldhereafter_2今回の映画は、素晴らしい仕上がりで、今夜(註:=20日)リンカーンセンターの催す偉大な演奏家シリーズの「ベールを脱ぐグレン・グールド」月間映画祭の一環として、ワルター・リード劇場で封切られる。これは最近イデアーレ・オーディエンスによりDVDリリースされている。

今夜はさらに続けて、モンサンジョン氏監督の別の映像、グールド氏が死の前年の1981年にバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を演奏しているものも続けて上映される。モンサンジョン氏はリンカーンセンターシリーズのほかの映画をも監修しているが、グールド氏を良く知っていたし、映画「英雄としてのグールドとともに」7作のパンフレットにコメントを寄せただけでなく、グールドについての23のテレビ番組シリーズ、4つの著書をものしている。

「来世のグレン・グールド」でのグールド氏を英雄と呼ぶのは控えめな言い方だ。映画には疑似宗教的な賛美の空気に包まれており、出てくるのはグールドの死後にとはいえ強烈に彼に触れた、奇妙なキャラクター・・・ほかに喩えていうならば、作為的なタトゥのようだ。(おっと、こんなことを言ってはいけない。ディレクターはこうしたキャラクターを若い女性の秘密って呼んでいるんだっけ、なので、タトゥってなに、だなんて考えなくて宜しい。)

Gouldbachこんな類いの敬意には、グールドに深い感銘を覚えている視聴者にしてみれば、坊さんや予言者や教祖様の説教で飽き飽きしているし、鼻にもつき始める。・・・とくに、CBSによるより熱狂的な「ゴールドベルク変奏曲」2度目の録音に関しては、そうだ(最初のレコーディングは1955年で、これがグールド氏を有名にした)。それでも、モンサンジョン氏がモスクワの伝道師とあだ名している、さるロシア女性がグールド氏について「なんというか、神話的で、神秘的なおかた」と言っているのが、なお想起されるだろう。

モンサンジョン氏は、彼のあるごもっともな言明の中で、こう言っている。「グールド氏に不自然な何かがあったことなど決してない。実際、後年グールド氏の公的全人格(ペルソナ)は、作為的ではなかったと言い切れないにしても、最小限、注意深く計算された作為しかなかったと思う。」

彼(註:グールド)は常に撮影されていたし、映画作成中でもまた、(演奏に)没入していた。ある写真家がスタジオで彼に近づき、「写真はいかが?」と尋ねた。グールドは大変な抗議ぶりで、怒ってプッツンし、「撮んなきゃなんないの?」

グールド氏の・・・演奏面での・・・全後半生には、彼の聴き手としての全世界人が、野次馬根性をそそられる。グールド氏はエアピアノのようなもの(註:グールドはしばしば想像上のピアノを空間に描いていたことが、諸々の本に言及されています)で、片手でショパンの運指を練習していた・・・(血行が悪かったせいだと言われているが)いつも手袋をしていて、それが手操りの人形のように見えたものだ。彼はマーラーを、動物園のゾウの前で指揮し歌った。

それでも必然的に、大多数の映像が断片的であるにも関わらず、映画はグールド氏の音楽的演技をベースにしている。そうした断片的性質は、多かれ少なかれグールドファンの美学から、細心の注意により選ばれ集められて、なめらかに、首尾よく監修されている。

グールド氏の音楽が、指の魔術などに関わらず、スコアも無しにどれほど実り多い精神を経巡っているかを見ると、とても不思議な気がする。(R.シュトラウスのぎゅう詰めにオーケストレーションされたオペラ「エレクトラ」からの、烈しい悲嘆のヴォーカルラインが徹底している音楽? 無問題。)最も驚くべき瞬間はこうだ。グールド氏はバッハの「フーガの技法」最後の、未完のフーガのクライマックスへとするする進んでいき、そこで主題の分析とアルバート・シュヴァイツァーを引いてしゃべりまくるのだ。

奇癖ぶりを割り引いてみてもなお、グールド氏に関してはなされなければならぬことが常に何かあるのであって、この点において「来世のグレン・グールド」はモンサンジョン氏の35年にわたる主要で豊富な精髄となっている。しかも、リンカーンセンターでの上演は、ほんの始まりに過ぎないのだ。

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2006年10月20日 (金)

ゴールドベルク夫人山根美代子さん逝去

Myamane
写真は
http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2006-10-20
からコピーさせて頂きました(撮影者の方のブログです)。

バイオリニスト故シモン・ゴールドベルク氏のご夫人で日本人ピアニストのゴールドベルク山根美代子さんが亡くなったとのことです。結婚生活は夫君の逝去(93年7月19日だそうです)までの5年間だった由。
ご冥福をお祈り致します。

10月20日の読売朝刊に、こんな記事が出たばかりだったそうなのですが・・・
富山で生涯を閉じた世界的バイオリニスト、シモン・ゴールドベルク氏所蔵の美術コレクションを氏のゆかりの地、富山に寄贈したいと、夫人のゴールドベルク山根美代子さん(67)が申し出ている。

山根さんの最近の活動を追いかけていたウェブサイトはこちらです。
ゴールドベルク追憶のために、夫人が力を注いだ「こしのくに音楽祭」についてのブログも拝読しました。こちらも是非ご覧下さい。今更遅いのですが、感動しました。イダ・ヘンデル出演・・・凄いことだ!

Msonata_1

シモン・ゴールドベルク(1909-93)はモーツァルトの卓越した演奏家でしたが、最近ではCDを見受けることも減りました。リリー・クラウスと共演した名盤もありますが、今年12月にはルプーと組んだ4枚組の「モーツァルト/ヴァイオリンソナタ集」が発売予定です。
・・・奥様と共演した録音は、ないでしょうか? 見つけたら拝聴したく思います。


朝日新聞WEB
2006年10月20日21時53分
ゴールドベルク山根美代子さん(ゴールドベルク・やまね・みよこ=ピアニスト)が20日、急性呼吸不全で死去、67歳。前夜式は22日午後6時、葬儀は23日午後1時から東京都杉並区下井草1の16の7の日本福音ルーテルむさしの教会で。喪主は妹の大木裕子(ひろこ)さん。自宅は品川区北品川5の8の15の415。
夫は、世界的バイオリニストだった故シモン・ゴールドベルク氏。

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2006年10月19日 (木)

曲解音楽史6:文明の淵源メソポタミア

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
           4)言葉と音楽   5)音楽とトランス
    
古代四大文明で最も古く、最も多様な展開を見せたのは、現イラクを中心に栄えたメソポタミア文明でしょう。
今でも戦争の渦中にあるこの地域は、五千年前、或いはもっと遡って三万年前から、主役争いの激しい場所だったようです。
楔形文字が使われるようになってからはもちろん、文字記録のない石器時代でもそうでした。
イラクから中東の地中海沿岸にかけてはネアンデルタール人遺跡のメッカでもあります。彼らは二万五千年ほど前までには・・・争いによるのかどうかは不明であるものの・・・現生人類の勢力に駆逐され、滅亡したらしい、と考えられています。

ネアンデルタール人の正体―彼らの「悩み」に迫る

バビロニアの神話では、人間は戦いに勝った神が破れた神の死骸の血と骨から出来たことになっています(「神々の戦争」、『世界最古の物語』p93、絶版!)。

主導権争いの激しさは、一方で交易の盛んな様をも物語っています。
有名な「ギルガメシュ叙事詩」には幾つかの異界が現れます。敵神フンババが住む杉の森(レバノンらしい)、サソリ人間のいるマーシュの山、果実がみのる紅玉石の土地などです。
これら異界の登場は、古代人が積極的に世界を拡げようとした意欲を反映しているのでしょう。
また、ギルガメシュのライヴァルで親友となる毛むくじゃらのエンキドゥは、もしかしたらネアンデルタール人の記憶が形になったものかも知れません。
ネアンデルタール人遺跡からは彼らが現生人類と交流した可能性を示す痕跡も見つかっていますから、メソポタミアの人々の冒険心が以下に古い時期に由来するか、が、この「ギルガメシュ叙事詩」にしっかり刻印されていると思ってもよいでしょう。



古代メソポタミアでどんな音楽が歌われ奏でられていたか(英文)、は専門家以外には知るための手段が公開されていません。
これまでに、どうやら和声を伴ったポリフォニックな音楽ではなかったか、ということが分かっているそうです。30年ほど前には復元演奏を試みた録音もなされたようですけれど、私はその録音を発見できませんでした(ご存知の方、是非ご教示下さい)。その他、日本語サイトで史料を当たっても、ほとんどのリンク先が閉鎖状態で参考に出来ませんでした。
(ひとつだけ、難解ですが、理論をまとめたサイトがありました。リンク先[海外]も生きています。また、片山[旧姓:天野]千佳子という先生の1981年の論文があることも分かりましたが、読めていません。黛敏郎「スフェノグラム<楔形文字> (1950)」という作品はメソポタミア文明には何の関わりもありません。)
ですので、その痕跡を図像や文学(翻訳)作品、民族音楽に見いだそうとするしか手だてがありません。

最も見いだしやすいのは、戦争の記録です。そこでは合図や士気高揚のためにラッパや太鼓が軍楽に使われることが多いからです。
しかし、古代メソポタミアの人々は、どうも軍楽を音楽の一種として捉えてはいなかったようです。このことは、イェリコがラッパの響きで崩壊した、などのエピソードを記録したユダヤ人(第4回参照)とは様子が異なっています・・・もっとも、私の狭い視野で、関係資料を目にしていないだけかもしれませんので、断言までは出来ません。
見た限り、レリーフ類に現れる楽士の姿は、もっぱら竪琴弾きか歌い手です。
メソポタミア世界で、音楽---歌---は、かたくなな障害を慰撫し和らげる魔力を持つもの、とされていたらしく、神話や叙事詩の中でもその旨が語られています。一例。
「彼女(女神イシュタル)は衣服をぬぎすて、小鼓とシンバルとを手にして、海辺へ降り立ち、美しい音楽を奏し、歌を歌いました。」(「石の物語」〜ガスター『世界最古の物語』から。矢島文夫訳 社会思想社 現代教養文庫805、S48 絶版)

では、歌は実際にどのように歌われていたのでしょうか?
推測しかありませんが、ここに引く に、古代の面影を見ても差し支えなかろうかと思います。地域はヒッタイトの故地、アナトリア半島の北辺ですので、メソポタミア中心部からはだいぶ離れてしまいます。歌も「戦いの歌」だそうです。それでもグルジアの合唱にはヨーロッパ伝来ではない固有の和声感覚がはっきりと聴き取れます。
上に女神が歌う場面を引用した『世界最古の物語』でガスター教授が解説しているところによりますと、
「セム語族の詩歌は韻律形式よりもリズムと抑揚により支配されている。」
これは、ホメーロスの叙事詩に代表される古いギリシャ語の歌世界とは趣きを異にしているのですが、このことは古代ギリシャ音楽を観察する際に明らかにしましょう。

(引用) 中の「ダニエル書」第3章には、バビロニアの王ナブコドノゾル(ネブカドネザル、在位紀元前604-562)の御前で奏でられた楽器が列挙してあります。この点に言及もしている気鋭の若手学者、上尾信也さんが、著書『音楽のヨーロッパ史』(講談社現代新書1499、2000)で古代メソポタミア音楽についてまとめたのを引用します。(上尾さんは最近「吟遊詩人」について分かりやすいムックを書いています・・・私は予算の関係で未購入。)


音楽のヨーロッパ史

参考までに・・・おもに12世紀を取り扱っていますが(ゲーマーも必見!)

吟遊詩人

「シュメール王朝では、神殿において祭儀のために歌が用いられ、北から興ったセム族のバビロニア王朝に受け継がれた。歌のほかにもリード笛や横笛、リラやハープ、竪琴キタラなどの弾奏弦楽器、太鼓やシストラムといった楽器が用いられたといわれ、神への儀礼の道具としての歌や奏楽は王権の維持に深く関わっていた。アッシリア王朝では、王宮における祭礼や宴会と行った公の場で音楽が頻繁に用いられたが、これは外国とくにエジプトの影響であった。」(15-16頁)

音楽が王などの特権階級のシンボルとなった由来は古代的な意味での政治上の理由からかと思われますが、それについては古代中国をみていくときにあらためて考えることになるかと思います。

シストラム、ハープは、古代エジプトの音楽を見ていく際に触れましょう。エジプトとの交流、という点を排除してメソポタミアの音楽を考えたいとき、楽器の中で重要なのは、リラとキタラです。

リラは、四角い枠に、弾くための弦だけでなく、共鳴弦も張られている、手持ちで演奏できる弦楽器です。リラがエジプトにおいて最も古い絵に描かれている(中王国時代第12王朝、前1990頃)のは、それをベドウィンと思われる人物が奏でている様子です。このことは、リラはエジプトのオリジナル楽器ではなく、中東世界に起源を持つものであることを推測させます。リラは古代ギリシャで盛んに使われるようになります。また、中世ヨーロッパの吟遊詩人の肖像がよく手にしている竪琴も、リラに由来するのでしょう。
キタラも、古代ギリシャの壷によく描かれる大きめの竪琴です。

どうやら、メソポタミアやその周辺に起源を持つ發弦楽器が、地中海世界やヨーロッパにひろまり、その後の民衆音楽世界に根付いていくことになったのでしょう。
エジプト起源と思われるリュート族も同じ道を辿っていると思われますので、一人メソポタミアの功に帰すことは出来ないのが惜しいところですけれど、今も盛んな「弾き語り」文化は、地中海を挟む二つの大河文明を揺り籠に幼児期を過ごしたのです。したがって、アジア・ヨーロッパに広がる「弾き語り」文化は、音楽の中では最も長い、五千年以上の伝統を持つわけです。


文中に上げなかった参考書物等
・小林登志子「シュメル---人類最古の文明」中公新書1818 2005

シュメル―人類最古の文明

・池田潤「楔形文字を書いてみよう読んでみよう」白水社 2006

楔形文字を書いてみよう読んでみよう―古代メソポタミアへの招待

・杉勇「楔形文字入門」中公新書(絶版、講談社学術文庫で復刊)

楔形文字入門

・矢島文夫訳「ギルガメシュ叙事詩」ちくま学芸文庫ヤ11 1998
ギルガメシュ叙事詩
・DVD「NHKスペシャル 四大文明 メソポタミア」パイオニア PIBW-7012 

古代エジプト関係、古代ギリシア関係はそれぞれを採り上げる際に掲載します。

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2006年10月16日 (月)

「のだめ」のいいとこ:1)合わせる

ドラマ「のだめ」第1回、見ました
娘に言わせると、
「峰君も真澄もミルヒーも早く出てき過ぎイ!」
でも、千秋とのだめは合格だそうです。
わたしは・・・笑いました。家中笑いましたヨ。「夜の女王のアリア」のシーンでは、子供らは思わず
「コワイ!」

欲を言えばピアノソナタ<清掃>が聴きたかった。。。ハナちゃんかコーチ君、作って!

「チェコ組曲」に始まってクラシック満載なのが嬉しいですね。

コミックのほうの第1巻70頁からの、モーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」が第1回のエピソードの中心の一つでしたね。
「モーツァルトは生涯に1曲しか2台のピアノのための作品を書いていない」
というセリフでした。
正確には、完成した「ソナタ」が、1曲しかない、なのですが。未完のソナタ楽章があと2つあり、断片が3つあります。2台のピアノ用で完成した作品には、他にソナタの2年後の「フーガハ短調K.426」があります。
・・・まあ、こんなことつっこんでもしょうもないのであります。本筋に影響なし。
(物知りだと思われたいんだロ? やーい、見えっ張り!・・・なんですね、きっと・。)

2台のピアノのためのソナタ(ニ長調、K.448、1781年11月作曲)第1楽章、ドラマ用にアレンジされて流れていました。この一連の場面、原作で最初の名場面ではないか、と思っております。
ピアノとピアノ、だけでなく、アンサンブルで合わせる、という点で、原作は・・・二ノ宮さんにアドヴァイスなさったかたもさすがだと思いますが・・・2つのポイントをさりげなく揚げています。

ひとつめは、「耳を使う」ことの大切さ(78頁)。
「自慢の耳で覚えきれ!」
という千秋のセリフは、暗譜をしろ、という他に重要な意味が籠っている、と見るのはうがち過ぎかもしれませんが、これが初見(知らない曲の楽譜を初めて見てアンサンブルをする)であっても、耳を使うのは重要なのですよね。
たとえば曲のメロディーラインを読み取っておいて、それが自分のほうにあるか相手のほうにあるかを瞬時に判断し、自分が歌うか伴奏に回るかを適切に判断しなければならない。自分の楽譜にかじりついてしまうと、決して出来ない。耳の穴も良くほじくっておかなければならない。
千秋が実際に耳を使っている場面が、90〜91頁に描かれていますね。素晴らしい!

ふたつめは、この千秋のアンサンブルに臨む決意(?)の言葉に現われています。
「今日は自由に弾いていいから」
なんて言いつつ、
「こいつに合せられるのはオレくらいだ!」
とくるところ。
ここの機微は、来週出てくるだろう、千秋が峰君の伴奏をするところでもっと良く分かるはずです。
アンサンブルをやると、
(う〜ん、個性的だ。ま、合せてやれ)
なんて考えで相手の顔、音の様子を伺いながらピッタリ付けることも出来たりします(クラシックに限らないでしょう)。すると、最後に相手が
「あ、こんなに一体感を持って合せてもらったの、はじめてだ」
なんて感激してくれたりします。これは、ちと鼻が高くなる嬉しい瞬間です。
ところが、逆に、こっちが相手の思うように「付けさせられている」なんてこともあります。これは相手がウワテ、なわけです。相手はノビノビ、我は萎縮。。。しかし、このときは負けを自覚しなければ勉強になりません! ムキに対抗意識を燃やして弾く場合が多い。そんなことをしたら大間違いです。
これらふた通りの経験を重ねていければ、アンサンブル能力は確実に上がります。
ただし、この能力、独奏曲がすらすら弾ける能力とはまた別個のものですから、千秋の場合は大天才、となるわけで。
・・・ああ、うらやましい。

ドラマがどんどん熟していくのを楽しみに、まずは次週を待ちましょう!

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2006年10月15日 (日)

このEroica誰の?

「聞き酒」というのはあるのに、「聞き楽」がないのは・・・つまらない。
ちょっと、Eroicaで試してみませう。

<問題>番号をクリックし音楽を聴いた上で、1〜5のうち4つを当てて下さい。
音楽には1個だけ、答えの選択肢が当てはまらないものがありますし、答えの選択肢にも音楽に当てはまらないものが1つあります・・・要するに、それぞれ1個だけダミーです。
(モノラルです。ステレオで聴いたときより、案外難しいかもしれない。)

    
    
    
    
    

答え
ア)ルドルフ・ケンペ指揮ベルリンフィル
イ)アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリンフィル
ウ)クラウディオ・アバド指揮ベルリンフィル
エ)朝比奈隆指揮新日本フィル
オ)岩城宏之指揮NHK交響楽団

・・・いかがでしょうか? ヒントは無しね!(と思ったけれど一つだけ。まずベルリンフィルと日本のオケを判別して下さい。ポイントは録音環境ですか。)
メールを頂ければ1演奏ごとに当たっているかどうかだけお知らせします。
TMFの方(お休み中、元メンバー、お手伝い下さったことのある方も含め)限定ですみませんが、当たった方1名様には、手持ちのCDから何か選りすぐりのものを1つ進呈します(変なのにはしません!)。それ以外の方への御礼は・・・ちょっと考えておきます。

TMFメンバーには、練習に行っていない、行けないお詫びです。
その他、ご覧下さった方にもお楽しみ頂ければ幸いです。
解答は次の土曜日深夜もしくは日曜日に掲載しますね。

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本2冊


定家百首・雪月花(抄)


今日、首の腫れを切開するのにお医者へ行った帰り、2冊の本が目に留まりました。

ひとつめは
塚本邦雄「定家百首・雪月花(抄)」講談社文芸文庫2006.10,10 ¥1,300

昨年84歳で亡くなった文学者で「現代の定家」と呼ばれた塚本氏の、昭和48年と昭和51年の著書からの抄録ですが、藤原定家ならびに九条良経の歌を深く読込んだ上、ユニークな現代詩型に翻訳までしているもので、少々難解ですが、新古今集を代表するこの二人の天才歌人を理解する上で非常に良い本だと思います。

ふたつめは、突然ハマった「のだめ」関係。
「のだめカンタービレ キャラクターBOOK」2005
ドラマを見る前には目を通しておいたほうがいいかも。(これだけは娘に渡さない!)


のだめカンタービレ#0キャラクターBOOK

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2006年10月13日 (金)

見るぞ! 「のだめ」



のだめカンタービレ 16巻 限定版


Book

のだめカンタービレ 16巻 限定版


著者:二ノ宮 知子

販売元:講談社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

1300万部突破、一巻平均100万部だから、原作もコミックとしては相当なヒットですね(最新は第16巻ですか)。
・・・でも、オッサンには関係ない。
・・・本屋の店員さんから意味ありげにニヤッと笑いかけられても困るし。
そう思い、半ば諦め、半ば敬遠して読まずにきました。

テレビドラマもキャストは若者ばかり、かと思っていたら、なに! 竹中直人が出る
別に彼のファンという訳ではないのですが、凄く魅力を感じている人だし、
「じゃあ、見てみっかな。」
つい出来心で原作も手にしてしまいました。表向きの理由は
「娘に勧める」
なんですが。

あ。。。

        はまりました。

マンガがクラシックをこんなに笑えるように描くことが許されるのか!
しかも、けっこう、すいぶん、かなりいい、いや、立派な・・・違う! 魅力的な出来ではないか!
「口コミで広がった」っていうのが凄いです。

オッサンでもオバハンでも構うもんか。

ドラマも見るぞ!
フジテレビ系で16日(月)夜9時スタートなんですって? 9時なら見られるぜ。
来年1月からは毎週木曜深夜アニメ化も決定! だそうですね。深夜のほうはダメかな。

タワーレコードでは本日から「のだめカンタービレ」キャンペーン実施!

ああ、期せずしてフジテレビとタワレコの回し者になってしまっている私でした。
                                      (T_T)y...

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2006年10月12日 (木)

シューマンを聴こう:まずは交響曲

Sinopolischmann

没後150年のシューマンですが、日本ではあまり騒がれませんね。ドイツのサイトでは稀に名前が出ていますが、あとはパリ管のサイトで見かけたくらいで、知る限りではアメリカでも出てきません。モーツァルトとショスタコーヴィチに完全に食われている感じです。他の各国ではどうなのでしょうか?
ただ、シューマンは4年後には生誕200年を迎えます。46歳の若さで亡くなっているからです。ですので、2010年には大々的に注目を浴びる・・・かも知れません。そうあって欲しいな、と思う今日この頃です。

彼はクララとの大恋愛や、ブラームスを見いだしたことで有名です。優れた評論家で、カントなどの哲学に造詣の深い人でもありました。そのくせ、作品は決して理屈っぽくなく、特にピアノ曲では夢幻的な世界を築き上げています。
思弁的な理性の持ち主でありながら、無邪気な憧れに生涯身を焦がしたせいでしょうか、早くに精神を病み、ライン川に投身自殺を図り、2年後に精神病院で逝去するという悲劇的な結末を招くこととなりました。その創作世界にも精神錯乱の影が取りざたされています。
ですが、錯乱の一例として挙げられる「森の情景」の、独特な暗い豊かさ(「予言の鳥」など)にも、他の作曲家にはない強烈な魅力がありますし、これも含めピアノ曲の楽譜は単なる音符の線に留まらない、どこか文学書的、あるいは絵画的な香りが漂う不思議な顔をしてさえいます。

交響曲のスコアも例外ではありません。読んでいると、たくさんの色が浮かんでくるのです。
ところが、実際の演奏を聴いたり、あるいは自分が一員となって鳴らしてみたりしても、イメージ通りの色が、なかなか浮かんでこない。かなり優秀な音楽家たちでもそうなんでしょうね、シューマンの交響曲は、くすんだ色しか持たない、とまで悪口を言われています。
「オーケストレーションがつたないせいだ」
・・・そんなわけで、マーラーがオーケストレーションをやり直したりしていて、マーラー版によるCD も最近出ています。

本当に、シューマンのオーケストレーションは拙いでしょうか?

シュターツカペレ・ドレスデンの演奏でシューマンの交響曲全集2種類を聴きました。録音場所はいずれも同じ、ドレスデンの聖ルカ教会です。

ひとつはヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮で1972年に録音されたもの(リンクでみつけられませんでしたが、同じEMIなので。日本盤はTOCE-13565-56)。サヴァリッシュ氏らしい硬質で鋭角なディレクターぶりです。
もうひとつはジュセッペ・シノーポリ指揮で1992年から93年にかけて録音されたもの。早い晩年にR.シュトラウスのオペラで鮮やかな監督ぶりを発揮したシノーポリらしく、テンポは決して遅くないにも関わらず、恰幅のいい響きを導きだしています。(リンク先で試聴できます。)
20年を隔てた、表面はスタイルも違う演奏ですが、2種ともこれまで私が聴いたことのあるどんなシューマンよりも管楽器がよく鳴っており、結果としてスコアから感じられる色彩が比較的イメージ通りに見て取れるものとなっています。

シューマンの交響曲は、決してセピア色ではない。

光の3原色なら重なれば明るくなりますけれど、絵の具で3色混ぜたらくすみますね。
シューマンの音世界は、それが演奏者の手の中で光になるか絵の具になるか、それ次第で浮かび上がってくる色彩が両極端に変わるというのが真実なのではなかろうか、と、最近ではそんな気がするのです。

先日たまたま耳にした、準.メルクル指揮NHK交響楽団の「第1番<春>」・・・第2楽章の途中から偶然耳に入ったのですが、これがあまりにベルリオーズと似た音色なのに仰天しました。ドイツのオーケストラに比べて優しく柔らかく聴き手をつつむ演奏でしたし、あとで別途スタジオ録音したとのことなので、CDが出るのを期待しています。その他にクリュイタンスがベルリンフィルとパリ音楽院管弦楽団を指揮したシューマン2曲もCDが出ていますので、そちらも聴きたいな、と思っています。
外国人ならではの、ドイツとは違って硬派ではない響きの方が、あるいはシューマン本来の色が浮かび上がるのではなかろうか、という期待があるものですから。

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2006年10月11日 (水)

ハイティンクのベートーヴェン

Hai190650
こんなにトシとったんだね、ハイティンクさん。。。

クラシック界は今週は目新しいニュースもなく(茂木さんが「のだめ」のドラマの裏方奮闘中、というのは面白いけれど)、やや旧聞に属しますが、ベルナルド・ハイティンク氏(77歳)がシカゴ交響楽団の音楽監督に就任要請された話題です。「こんな年寄が音楽監督だなんて、スキャンダラスだよ」と断わろうとしたハイティンクさんも偉いですが、折衝にあたったCard女史も執念の交渉だったようです。
そんなハイティンクさんが最初のコンサートでBeethovenを採り上げた由。基本に帰らなければならないから、との提案のようです。
リンク先の記事から、彼がLSOと録音したBeethovenの交響曲の演奏が聴けます。NewYorkTimes Webはこういうところが粋ですヨ。日本の新聞サイトではありえない。うらやましい。

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2006年10月10日 (火)

Mozart:名曲の多い機会音楽(1772年)

モーツァルトの、モーツァルトによる、モーツァルトらしい作品は、この年に初めて生まれたと言っていいでしょう。これまで見て来た中でも交響曲第21番をあげることが出来ますが、誰でも知っているのはK.136〜138の3つの"Divertimento"です。各々弦合奏(または弦楽四重奏)だけから成る、3楽章のイタリア風シンフォニアで、K.137だけがゆったりした楽章から始まりますが、基本は急(ソナタ形式)-緩(複合三部形式)-急(ロンド)という枠組みです。構造のバランスの良さ、長音階主和音を骨組みとした幕開け主題の爽やかさが好まれ、初心者から熟練者まで数多くのアマチュアが愛奏する作品です。それだけ逆に、「お気に入りの演奏」が見つけにくいかも知れません。

K.136(ニ長調)
Allegro(4/4)102小節-Andante(3/4)69小節-Presto(2/4)144小節

K.137(変ロ長調)
Andante(3/4)69小節-Allegro di molto(4/4)64小節-Allegro assai(3/8)110小節

K.138(ヘ長調)
Allegro(4/4)90小節-Andante(3/4)45小節-Presto(2/4)97小節

この3曲はディヴェルティメントと呼んでいいかどうか不明確な作品群ですが、同じ年に出来たあと2作のディヴェルティメント(K.205=K.290の行進曲とともに演奏される、K.131)についても、創作の動機は明らかになっていません。ただ、ディヴェルティメントは交響曲(シンフォニー)に比べると各パート、特に管楽器がより技巧的に書かれているのが特徴です。

K.205は(K.290と共に)2本のホルンとヴァイオリン1つ、ヴィオラ、バスという編成で、
Marchia(K.290、72小節)、Largo-Allegro(4/4)99小節、Menuetto(24小節) & Trio(24小節)、Adagio(4/4)21小節、Menuetto(26小節) & Trio(24小節)、Finale=Presto(2/4)214小節、という、やや小振りな作品です。

K.131(6月作曲)は演奏されることが少ないせいか有名ではありませんが、たいへんな名曲です。
編成がフルート、オーボエ、ファゴット各1、ホルン4、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ&バス、と大きく、とくにホルン4本が採用されたのはモーツァルト作品では初めてで、その小協奏曲的取り扱いはベートーヴェンの「エロイカ」交響曲(こちらは3本で最大の効果を上げていますけれど)の先駆けを感じさせさえします。大先輩であるハイドンの交響曲に「ホルン信号」というニックネームのものもありますが、ハイドンの作品が牧歌的であるなら、モーツァルトのこのディヴェルティメントは超自然的です。また、これもフルートの活躍が目立つ点で同年のシンフォニーと共通しており、シンフォニーの時と同様、当時のザルツブルクのオーケストラのメンバーがどんなだったかに興味がひかれる思いがします。
それよりも驚くのは第2楽章のアダージョです。ときにビゼーを彷彿とさせる、足を引きずるかのような後打ちリズムが挿入され(演奏にあたって引きずるようにひいては台無しですから難しいのですけれど)、全篇が長調であるにも関わらず、思春期の胸の内を覗かせるような切なさが漂います。・・・モーツァルトでなければ書けなかったであろうと同時に、10代でなければまた込めようのなかったういういしさが溢れていて、初老のゲーテがこれを聴きながら若き日を回顧しつつ涙する姿を、つい想像してしまいます。
Allegro(4/4)129小節-Adagio(4/4)29小節-Menuetto(20小節),Trio I(20小節),Trio II(16小節),Trio III(16小節),Coda(24小節)-Allegretto(2/4)87小節-Menuetto(24小節),Trio I(16小節),Trio II(16小節),Coda(8小節)-Adagio(2/4),Allegro molto(4/4),Allegro assai(3/8)255小節
と、大規模な作品でもあります。

この年の機会音楽としてはもう一つ、「6つのメヌエット」K.164があります。K.131と同じ、6月の作です。
編成はオーボエ・ホルン各2、トリオでの管楽器はフルート1本、ヴァイオリン2とチェロ及びバス、と規模が縮みます。やはりフルートが活躍します。第3番のトリオがレントラー風であるところに新味を感じますが、今回採り上げた中では最も気楽に書かれたらしい、軽い作品で、K.205やK.131のディヴェルティメント中にあるメヌエットよりも地味です。舞踏会用の、様々な作曲家の作品に混じって演奏されたものだったのではないかと思います。

新全集(NMA)では、スコアはK.205(とK.290)は第17分冊、その他は第13分冊に含まれています。
K.136-K.138のCDはたくさん出ていますので、挙げません。オーソドックスなのはイ・ムジチなのかも知れませんが、まだ硬い気がします。コープマン盤は軽すぎるかなあと思えて、自分がろくろく弾けもしないくせに、お気に入りもさっぱり見つかりません。
K.131の単独盤は1種類だけタワー・レコードのウェブに出ていました。演奏の中身は分かりません。もし全集盤とおなじマリナー/アカデミーの演奏が単独盤で見つかるようでしたら、おすすめです。全集盤は"Complete Mozart Edition 2" PHILIPS 464 780-2で、13枚組です。
K.205は同じく全集盤で"Complete Mozart Edition 3" PHILIPS 464 790-2、11枚組の中に収録されています。
いずれも、K.131やK.205だけを聴くのでしたらちょっともったいないかも知れません。収録された演奏がすべておすすめ、というわけではないので。

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2006年10月 9日 (月)

曲解音楽史5:音楽とトランス

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ 4)言葉と音楽

音楽の、かたちとしての特徴は、これまでざっと見てきた通りかと思います。
では、そうして成り立ってきた音楽は、人の心にどのような働きかけをするのでしょう?

はじめは、音楽が「楽器の発見」や「宗教の創始」に直接起源を求める必要はなさそうだ、というところからスタートしました。
近年驚くほど研究が進んでいるネアンデルタール人(今年、発見から150年です!)の、脳の働きの推定からは・・・それはホモ・サピエンスほどの抽象能力を持たなかったと考えられています・・・もし彼らが音楽を発見したのであれば、これまで確認したスタートラインは、そうマト外れではないようです。
けれども、いまを生きている私たちにとっての音楽は、神秘的とでも表現したい心理的な事象の数々と密接に関わっていることを認めなければなりません。すると、単純な合理主義だけで音楽の成長や生長を把握しようとするのでは、ちょっと無謀です。

とはいえ、ヒトの原初的な精神構造を史料から解明したくても、この構造は文字の発明より最低でも2万5千年から3万年遡った頃には出来上がってしまったらしいですから、正確な確認はたいへん難しい。このへんはササッと話を進めたい私のような素人には、大変困った事態です。

そこで、ひとつの事例を挙げるくらいで、お茶を濁しておこうかと思います。

(参考)赤坂威編著「ネアンデルタール人の正体」朝日選書769、2005年



避けて通れないのは「エクスタシー」の問題です。クラシック音楽ではお目にかからない光景ですし、最近はロックでもどうなのか知りませんが、ビートルズ来日した頃は彼らの歌を聴いている最中に失神する若い女性がたくさんいました。その後のハードやパンクに比べればおとなしいものだったのですけれど。
グループサウンズでもおなじことが起きていました。あんな頃からもう40年も経ってしまいました。エクスタシーとは、しかし失神してしまうよりは、何かに憑かれた状態になる(トランス)ことをさしています。

人々がトランスに入る様子はいろいろ紹介されていますが、たいていはその境地に入るため乱痴気騒ぎをしたり薬物を利用したり、という場面がピックアップされます。ビートルズメンバーをも虜にしたインドは、やはり薬物を使用してトランスを求める側面が彼らの心をつかんだのでした。ヒンドゥー教でバラモンが恍惚に至るために飲むソーマも本来キノコの毒を使うものだった、との研究があります(中沢新一「人類最古の哲学---カイエ・ソバージュI」講談社選書メチエ231、2002年で言及)。

音楽には、薬物に頼らずトランスになれる力があります。

久保田麻琴「世界の音を訪ねる」(岩波新書1011、2006年)では、一章を割いた「天然トランスは世界を魅惑する」に、モロッコのグナワ・フェスティバルの様子を詳しくレポートしています。アフリカは人類発祥の地ですが、モロッコはイベリア半島の向かい側に位置しますから、もともとブラックアフリカではありません。グナワ(ギナア)という民族はそこへ連れてこられた黒人さんたちに由来します。同じ言葉で表される彼らの音楽も、イスラム教化されているものの、もっと古い時代の音楽の性質を持っているかも知れません。その音楽会には1万人もの聴衆が集まり、人々はロックコンサートよりも激しくトランス状態に陥って、頭を上下させ、体を揺する催眠状態に陥るようです。
コートジボワールには仮面を被ることにより神々になり切る風習がありますが、これも仮面という別手段は用いるものの、そのとき歌い踊られる音楽が、憑依に至る上で大きな役割を果たしています。

トランスについて明確に時期を遡れる記録は、ギリシャ悲劇『バッコスの信女』(エウリピデース作)に現れるディオニューソス教徒のふるまいの描写です。これは好意的な描写ではありません。髪を振り乱し太鼓を鳴らして熱狂的に踊る信徒たちは、狂った存在として、どちらかというと軽侮の対象になっています。トランスは現代人(といっても二千五百年前以降、という長いサイクルで捉えた現代人です)には「野蛮な」ふるまいとして軽んじられ気味になってきたことが、『バッコスの信女』からは伺えるわけです。



本来、トランスは狂気ではなく、神に近づく手段であったことが、中沢新一「神の発明---カイエ・ソバージュV」で詳細に述べられています。中沢さんのこの一連のシリーズは、考古学や神話学の成果を豊富に取り入れており、その説は私たちを惹き付けて話さない強烈な魅力を持っています。ですが、ネアンデルタール人やクロマニヨン人についてなおも続いている新発見や新論争とは必ずしも整合性がとれておらず、読解には注意を要するかと思われます。
それでもご自身がチベットでのトランス体験者だけに、トランスを求める際の注意点について中沢さんが述べていることには重い意味があります。
「神の発明」で引かれているトランスの例は薬物を使うものですが、シリーズ全般を通して、数々の神話を併記しながら中沢さんは危惧の念を述べています。

薬物の使用などに頼ってトランスを求めると、行き過ぎに陥りやすい。行き過ぎはいけない、というメッセージは神話の多くに込められている。
求めるべきものは、自己の内部から呼び起こされ、世界から呼び起こされる、自然なトランスなのだ。
その自然さが、どこからか、何かの・・・おそらくは神話の忘却という・・・理由によって、崩れてしまったのではないだろうか。

もっともこれは中沢さんの記述通りではないし、中沢氏自身はトランスという語彙は全く用いていませんから、私が勝手にそう解釈してしまっているのかも知れません。かつ、ここでトランスという用語が許されるとしたら、その訳語は「憑依」ではなく、神々や自然の精霊たちとの「交感・交歓」でなければなりません。
同じシリーズの「熊から王へ---カイエ・ソバージュII」に、ルソーからの引用として、

*いちばん最初の人間たちは、詩と音楽によってたがいに語り合っていた

と述べられています。
ルソーが考えていたのも、中沢氏が信念としているのも、次のようなことかと思います。

*ヒトと神々とのトランスが自然に行なわれるのは実に詩的で音楽的な世界だ。

トランス、という言葉にこだわるのはよくありませんが、文脈上そのようにしておきます。
音楽は本源的に人をトランスに導く要素がある。しかし、安易なトランスを、人間は戒めて来た。
それが何かの拍子でタガが外れたり、規制が行き過ぎたり、と、バランスが上手くとれなくなってしまった。
そのあたりに注目しながら音楽の歴史を見ていくベきなのかもしれない。

トランスを「自然な」バランスでもたらしてくれる作品は、宗教的なものに多くあります。
キリスト教音楽で最近で最も美しい作例はエストニアの人、ペルトの手になるものですが、自然なバランス、ということを念頭に置いて聴いた時、彼の作品( 、Naxos 8.557299から。モノラルにしてあります)はあまりに透きとおった氷のガラスのようです。ルネサンス後期、パレストリーナの「 」(Wiener MotettenChor、モノラルにしてあります)の響きと比べてみて下さい。挙げて来た時代からはかなり遅い時期にずれ込むものの、この二つの違いが、見ていくべき歴史の性質を端的に物語っていると感じております。

自然さが崩壊へ至る歩みは、
*それが薬物(薬物的手段)の使用でしか得られなくなったのが、最初の一歩。
*詩を文字に書き留めなければ、もはや次世代に伝えられなくなったのが、第二歩。
*詩がとともにあったはずの音楽の調べが消えてしまったのが、とどめの三歩目。
・・・こんな具合なのではなかろうか、と思います。これをモデルにしておきます。

このつぎから一気に時計を5千年前あたりまですすめて、古代文明での音楽のありさまを探っていきながら、音楽という側面においての人間の失墜や、ポテンシャル回復の試みを、どうにか追いかけていくことにしましょう。

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2006年10月 7日 (土)

定家:「六百番歌合」の世界 (1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:



なかなか先の話題に進まず、すみません。

後世、これ以上愛読された歌合せも無いでしょうに、九条(藤原)良経が『六百番歌合』を催した正確な年や月ははっきりわかっていないのですね。それというのも、この歌合せ、<歌合せ>という言葉からイメージされる、その場で歌を発表してその場で議論され判を得る、というものではなかったのですから、当然なのです。初めて『六百番歌合』を活字で読むまで、そんなこと、私は知りませんでしたが。

新日本古典文学大系の解説によれば、この歌合は建久三年に計画が始まった由。
『明月記』からは離れますが、定家の拾遺愚草上巻には、彼がこの歌合に向けて詠んだ歌が『謌合百首』としてまとめられており、次のように注記されています(新古典文学大系の解説でも言及)。

  建久四年秋 三年給題今更雖憚身依別儀猶被召此歌

      ***      ***      ***

「『六百番歌合』は数ある歌合の中でも抜群に面白い歌合である。」
先の解説で校注者の久保田淳さんはそう述べていらっしゃいます。国文学の基礎的知識のない私は数ある歌合の中でかどうかはわかりませんけれど、和歌の本としては間違いなく、他には経験出来ない面白さに満ちた本でした。
ご存知のかたには「いまさら」ですが、有名な例で、こんなのがあります。

恋  七
七番  寄海恋
  左                      顕昭
鯨取るさかしき海の底までも君だに住まば波路しのがん
・・・
右申云、左歌、恐ろしくや。(略)
判云、(中略)おほよそは、歌は優艶ならん事をこそ庶幾す可きを、ことさらに人を恐れしむること、道の為人の為、其の要無く哉。(後略)

作り手である顕昭という人は、この歌合の中で突飛な歌ばかり詠んでいてユニークな存在です。しかも顕昭さん、上のような人の判断に対し、堂々と反論を記していて、それがこの歌合と一緒に現代まで伝わっているのだから、タダモノではありません。

「顕昭陳じ申して云く、鯨とるかしこの海と仕れる、更に人をおどさん料とも存じ侍らず。万葉集(中略)の長歌の中に、『鯨とるあはの海』と云ふ歌につけて詠みて侍るなり。(中略)彼集に『鯨とる』とよみて侍れば、三史文選に鯨とる証文の侍らざらんは、和歌の大事に侍らず。」

顕昭が引いている万葉集の歌は、巻第二、153番の

  鯨魚取り淡海の海を沖放(さ)けて漕ぎ来る船
  辺(へ)附きて漕ぎ来る船
  沖つ櫂いたくな撥ねそ
  若草の夫(つま)の思ふ鳥立つ

でしょうが、こんにちでは「鯨魚取り」は「いさなとり」と読んで、海に対する枕詞であることが分かっています。「あはの海」も、「あふみ」すなわち琵琶湖です。阿波の海ではありません。顕昭の言い分は笑うべき言い分ですけれど、研究が進んで後にいる我々だからこそ笑えるのではありますね。加えて、この議論、『万葉集』享受の歴史がどんなふうになされてきたか、という点から見ても面白い材料であるように感じます。

1・23

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定家:「六百番歌合」の世界 (2)

判者は定家の父、俊成。詠み手は主催者の良経とその叔父で後鳥羽上皇を諌める歴史書『愚管抄』を書いたことによりこんにちまで名を残している慈円を中心とし、左に藤原季経(六条家)、藤原兼宗(定家と親しかった)、藤原有家(六条家)、顕昭(六条家)、定家が、右に藤原家房(良経従兄弟)、藤原経家(六条家)、藤原隆信(定家異母兄)、藤原家隆(俊成門弟)、寂蓮(俊成甥)が配されています。それまで歌壇の主流だった六条家関係者が4名、新進の御子左家(俊成、定家に始まる歌の家)関係者が4名で、そのパトロン筋(良経、慈円、家房、兼宗)も4名。こうして見てみると、歌を巡って九条家と深い関係を結んでいた人達が、じつにバランスよく存在していた事が伺われます。

また、この中には『新古今和歌集』の撰者となる人物が、有家、家隆、寂蓮、定家、と、6名中4名まで含まれていることも注目されます(寂蓮は任命後早くに死去)。主催者の良経も、慈円も、新古今集の主要作家でしたね。

九条家に歌の指南をしてきたのは、良経の父、兼実の頃までは六条家だったようです。そこへ俊成が参入してきた様子は、兼実の日記『玉葉』から伺い知ることが出来ます。先に見た通り、俊成はその後『千載和歌集』のたった一人の撰者となることに成功しています。そしてこの『六百番歌合』では判者となり、六条家の人々の歌までを堂々と裁くことになったのです。六条家の年長者であった季経、顕昭は、不愉快な思いをしたのではないかと推察されます。

六条家側の顕昭がこの歌合せのあとで御子左家側に対し強烈なライバル意識を見せ、陳状をしたためたのは、御子左家側の大ボスである俊成が判者だったせいもあるのでしょう。俊成の判定は、専門家によれば、数を調べると案外公平だ、ということになっているのですけれども、判辞を読んだ印象ではとくに顕昭に対しては冷たいなあ、と感じられる場合が多い気がします。
顕昭を「勝」と判じた場合でも、俊成の言葉には「マア、オマケヲシテアゲタヨ」みたいな毒がある。・・・中にはそうでは無い例もありますから、俊成の真意は、なかなかはかれません。

顕昭が勝ちとなっている例を3つあげておきましょう。最初は六条家同士、次は慈円と番ったもの、最後は御子左家陣営の隆信とのもので、素直な判辞を得ているものです(本文は岩波文庫による)。

春十五首
十三番  春水
  左 勝                    顕昭
つららゐし灯を渡る春風に池の心もとけやしぬらん
  右                     経家卿
雪積る嶺に春日やさしつらむ谷の小川の水まさりゆく
(略)
判云、左右の風体雖為同科、右の春日猶不可庶幾。左、少しはまさりはべらん。

夏  下
一番  夏夜
  左 勝                    顕昭
うらも無き名は立ちながら夏衣袂に風は猶隔てけり
  右                      信定
夏衣ひとへなれどもなかなかに暑さぞまさるうらとなりける
  右方申云、名は立ちながら、心得ず。
(略)
判云、(中略)左の名の立つ事は何事ぞと聞ゆれど、末句よろしく聞え侍り。以左為勝。

恋  六
一番  寄月恋
  左 勝                    顕昭
慰めし月にもはてはねをぞ泣く恋やむなしき空にみつらん
  右                    隆信朝臣
月よなほ隈こそなけれかきくらす恋の涙は雨とふれども
(略)
判云、左歌、月にもはてはといへる、優なるべし。右歌、月よと置きて末させる事なくや。以左為勝。

1・2・3

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定家:「六百番歌合」の世界 (3)

脱線して長々と顕昭の例ばかり上げてしまいました。それでもなお、あげなかった中にみられる、顕昭の詠みぶりと相手方や判辞の言う非難との確執には、当時の歌に対する考え方を浮き彫りにして興味深いものが多々あります。
顕昭の歌には大なり小なり「鯨とる」に見られる挑発的な作歌態度があり、非難はもっぱら「歌の姿としてそれらの言葉は美しくない」という点に集中しているように見受けます。・・・どんなものかは実際に『六百番歌合』を手に取られ、ご確認頂ければ幸いです。この人を巡るやり取りが、とにかく最高に面白い。

だからといって本題の定家観察を怠ってはいけませんね。併せて、良経の例も見てみましょう。こちらはいずれも、負けとなっている例を取り上げます。これがまた顕昭の場合と裏腹になっているのですけれども、どんなものか、まずはご覧下さい(新日本古典文学体系)。なお、番う歌のみをあげ、判辞等は省略します。

先に良経の例。

恋  六
十七番  (寄風恋)
  左                      女房
いつも聞く物とや人の思らむ来ぬ夕暮の秋風の声
  右 勝                    信定
心あらば吹かずもあらなん宵々に人待つ宿の庭の松風

良経の歌は全般に負けが少なく、勝の場合は目が覚めるように色彩豊かな詠みぶりをみせています。負の場合は、「これはサラリといき過ぎだな」とはっきり分かるものばかりで、例示にふさわしいものがなかなかありません。これもスレスレの線で深みに及ばなかった作例ではありますが、「来ぬ夕暮」の表現は、次にあげる定家の例と同じく、新古今の歌人らしいものです。俊成が難を述べているのがその点であるのも、次の定家の例と同様、興味を引きます。
俊成の判は、こうです。
「『来ぬ夕暮』、何の来ぬ共聞えずや。『秋風の声』も、事新しくや。」
事新し、という言葉が、旧世代の歌に対する見方を象徴的に要約しているのは皮肉です。

続いて、定家の場合。

春中
二十八番 (春曙)
  左                    定家朝臣
霞かは花鶯にとぢられて春にこもれる宿の明ぼの
  右 勝                    家隆
霞立つ末の松山ほのぼのと浪にはなるる横雲の空

こちらは、家隆の詠み振りの方が後年の定家を思わせて愉快です。ただ、定家の歌には定家らしい特徴が大変明確にあらわれています。
初句の「霞かは」がそれです。
これにつき、父は「霞のみかは」とすべきだった、と判に述べています。「霞かは」のようなダイレクトさは望ましくない、というわけで、こちらのほうが、この頃は根強く常識となっていたもののようです。
ここに、定家が当時まだ「達磨歌」と悪口された理由も、またすぐ後に後鳥羽院に見出されて新古今集第一と言っても過言ではない歌人となった理由も同時に伺えるようです。
ポイントは「霞かは」と短く断じることによる高度な抽象性の獲得、しかしまだ平易な(平凡、ではありません)次以降の句に接続するにはあまりにそれが抽象的でありすぎること、ではないでしょうか。

以上、各節とも長くなり、すみませんでした。

12・3




六百番歌合 新日本古典文学大系 (38)


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著者:佐竹 昭広

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おでかけください! <仙台クラシック>

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遠方の方もお出かけになってみて下さい
3連休だからって日常から解放され切ることはなかなかないかも知れません。
ですけど、思い切りも必要です!
3日間、ナマの音楽で幸せにひたれるチャンスです!

ホームページはこちら

いよいよ今日から本番。
事務局の皆さんの努力が良い実を結びますように、心から祈っております。

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2006年10月 6日 (金)

Schostakovich:「下男バルド」騒動

Balda

ショスタコーヴィチ、祖国ではいまだに受難。

「司祭と下男バルドの物語」を上演していたスィクティフカル(ロシア連邦のひとつ、アルハンゲリスク州とキーロフ州の東方に位置するコミ共和国の首都)のオペラ・バレエ劇場に、ロシア正教会から抗議がなされ、それに伴い「司祭と下男バルドの物語」の上演回数が減らされることになったそうです。
10月4日付けNewYork Times Webの記事で報じられていました(掲載は5日)。
元の作品はアニメ用の音楽でしたが、バレエ付のオペラ仕立てで上演していたものでしょうか?

こういう事件がまだ起こるところが、ショスタコーヴィチらしくて嬉しくなってしまいます・・・いや、当事者の方々は大変ですから、嬉しがってはいけないナ。

「司祭と下男バルドの物語」(国内盤もあり)は1933年に書かれた作品ですが、司祭が徹底的にコケにされているところがギリシャ正教会の逆鱗に触れるところとなったのでしょうか。ですが、司祭をコケにしたのはショスタコーヴィチではなくて、原作者のプーシキンです。
とはいえ、付けられている音楽は確かに強烈な印象をもたらすものです。この年「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を完成することになる、アバンギャルドでぎらぎらしていた頃のショスタコーヴィチ作品ですから。

従来は組曲でしか聴けなかったのですけれど、今年初めて全曲盤が出ました・・・「記念年」はダテではありません! ショスタコーヴィチ未亡人とお弟子さんの尽力によりスコアが再整備されたそうです。
同時期の「ボルト」に非常に近い作風ですが、スパイスの効き具合はウワテかな、と感じました。また、「死の舞踏」的な交響曲第2番、狂乱の交響曲第4番に繋がる要素も多々あるのではないかと思います。ロシア五人組直系、とくにムソルグスキーっぽい響きが既にしているあたり、なかなか興味深くもあります。一聴の価値ありかと存じます。

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2006年10月 5日 (木)

携帯電話協奏曲

Cellphoneconcert

なにかの喩え話ではありません!
アメリカで本当に演奏された「携帯電話協奏曲」があったのです!

証拠は、NYタイムズWebに載った、上のような写真です。

去る10月1日、インディアナ大学の教授で作曲家のDavid N. Bakerが作ったこの協奏曲が、シカゴシンフォニエッタ(黒人さんの多い団体だそうですが)によって演奏されました。
指揮者パウル・フリーマン氏が演奏に先立ち聴衆に向かって曰く、

「歴史的瞬間です、<みなさん、携帯電話を開いて下さい>なんて言えるとは!」

こういう作品を作るベイカーさんは多作家だそうで、亡くなった山本直純さんを思い出させます。
生きていらしたら、このテの曲作りではアメリカに先を越されなかったろうに・・・残念。

演奏は会場のお客たちも手持ちの携帯電話で演奏に参加、たいへんけたたましく行われたようで・・・NYタイムズの記者さんが記事に付けた小見出しは、
「まるで鳥小屋の発狂」。

ウェブ上でスライドショーを見ながら一部を聴くことが出来ます(無料)。
日本初演は・・・ないだろうな。

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2006年10月 4日 (水)

日本人による "Eroica"

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首の後ろが腫れ、会社を「休みなさい」と言って頂いたので・・・復帰後はまだ週4日ベースの出社です・・・お医者から帰ったあと、課題だった「エロイカ」をあらためて聴き比べしました。
病中の長話になりますが、おつきあいの程を。

およそアマチュアが範とする演奏を探すには「標準型」か「美響系」(こんな言い方があれば)を狙うのが無難かと思います。ただ、いずれにしても人間は主観が入りますから、これ、と決め打ちするのはまず無理でしょう。
「エロイカ」は私にとって聴いたのも演奏したのも初めての交響曲でした(メンバ−50人で観客[!]5人という演奏旅行も経験させてもらいました)から、ついつい自分のレベルも省みず、録音を探すのでも高望みしてしまいます。

1972年、ミュンヘンオリンピックでテロ事件が起こり、犠牲者の追悼でルドルフ・ケンペがこの曲の第2楽章を演奏したことが記憶に残っている方も少なくないと思います。私にとって「エロイカ」のベスト盤は、彼ケンペがベルリンフィルと録音したものです。
1940年代から70年代にかけてのベルリンフィルというのは面白いオーケストラで、フルトヴェングラーが振ってもカラヤンが振っても、また他の指揮者であっても、「これが俺たちの音色だ」という芯があり、表面は指揮によって違っても、底の方では同じ豊かな響きのする団体でした(同時期のウィーンフィルに当たり外れがあったのは有名で、私もベーム指揮のハイドンで大ハズレを食らったことがあります)。
ところがLPで聴いたケンペ盤はベルリンフィルからプラスαを引き出していて、かなり驚かされた記憶があります。とくに第1楽章の展開部、ベートーヴェン独自の「展開部での新主題」が現れる箇所は、それまでどんな実演や録音でも聴いたことのない、深い青の響きがしたのでした。CDで久しぶりに発見し、喜び勇んで買い帰りましたが、記憶にあるその音がしません。変だなあ、と思って、実家に帰ったおりLPで再確認しました。記憶違いではありませんでした。CDという媒体に変わったとたん、青色はくすんでしまったのです。
また、ケンペはミュンヘンフィルとの録音に臨んでも、若き日にベルリンフィルで行なった演出を同じように試みていることがはっきり分かるのですが、残念ながらミュンヘンフィルにはそれを再現する技量はなかったもののようです。もちろんレベルは決して低くはないのです。

指揮者が同じでも実演か録音か、録音したものがどの程度再現され得るか、またオーケストラが違うとどう変わるのか・・・ケンペのような例があるのだということを、まず念頭に置いて、今回はなるべく最近の日本人のオーケストラ、日本人指揮者の演奏を聴いてみることにした次第です。

前置きばかり長くなりましたが、「中置き」もございます。。。 m(_ _)m   <--カニではありません。

プロの指揮者や音楽家になるのは、最低でもそこそこ金銭的ゆとりのある環境に恵まれないとダメで(ジネット・ヌヴーのような素晴らしい例外はあります)、そんな中から「才能も!」となると、真の意味ではなかなか難しい面もあろうかと思います。3例聴いたのですが、ひとつは残念ながらそんな貧乏人のヤッカミにみごと応える演奏でした。タスキ(とはCDでは言わないのかな)に「まるで昔のウィーンフィルのようだ」とあるのを信用し、「日本から本物の音楽を発信する」という気合いに<むむ、いいぞ!>と胸躍らせつつ聴いたのですが、「国内外での豊富な経験を持つ」メンバーの存在が、おそらく裏目に出たのではないでしょうか? 指揮者云々以前に、まずオーケストラがあるべき組織として完成していない欠点が、とくに弦楽器に聴き取れます。みんな、と言ったら言い過ぎかも知れませんが、オーケストラの一員としてではなく、ひとりひとりの負っている「過去」を演奏しているようです。これは生の音では紛れますが、録音は嘘をつきません。録音のディレクターさんの技量や予算の問題もあったかも知れませんから、悪口ばかり言ってはいけませんが、とくに音程・アインザッツの乱れは覆うべくもありません。すこし貧乏なさった方がいいと思います。まずは、気負いより基本ではないでしょうか?(二年前の演奏にグチグチ言っても仕方ないのであります!)

本題。
あと二つは、実はそう期待して見聞きした訳ではなかったのですが、なかなか立派でした。

驚いたのが、金聖響指揮、オーケストラ・アンサンブル金沢の2003年のライヴCD。
ピリオド奏法・・・とのことで、たしかに、弦楽器はノンヴィブラート、ホルンは倍音にない音程はゲシュトップで出しているけれど、みんなモダン楽器でしょう? それだけなら「あれまあ、意欲的!」で終わるんですけれど、美しいし、確固とした演奏です。金さんという人はこれまで名前しか知りませんでしたけれど、かなりの勉強家でスコアをじっくり読み込んでいるのを感じます。まだ相当お若いでしょう? 尊敬しちゃいます。そんな彼に誠心誠意応えているオーケストラ・アンサンブル金沢は、いま日本でいちばん機動性のあるオケではないでしょうか?
二つだけ疑問があります。ひとつは、他がピリオド奏法に従う中で、ファゴットだけが(好い音ではあるんですけれど)なぜヴィブラート過多なのか? もうひとつは、第1楽章がクレッシェンドで山を築くとき、それまでスピッカートで弾いていた弦が何故長めのデタシェで弾かなければならなかったのか?
深い理由があるなら別ですが、この二点がなければ、ケンペ/ベルリンフィル盤と肩を並べる「標準型」・「美響系」を兼ね備えた演奏だと思います。日本人の手による日本人のためのお手本として、私たちアマチュアに学ぶべき材料を豊富に提供してくれるCDです。是非お聴き下さい。

大植英次氏が2003年にハノーファー北ドイツ放送フィルと行なった日本でのライブは、DVDで出ています。これは3回見るまで、果たして指揮者とオーケストラが本当に一体なのかどうか、よく分からない映像でした。撮映されているアングルの問題もあります。今日見た3回目で
「あ、ちゃんと一体化してるんだ」
と、やっと納得がいきました。納得がいくまでは、
「この人、オールフォルテで指揮する人だなあ・・・」

映像でしか拝見したことがないのですが、大植さんの指揮は映りようによっては大振りで、オーケストラによってはうるさがられるタイプだと見受けます。ですが、この人は
「本当に音楽が好きなんだなあ」
と納得出来ると、目に楽しい指揮者です。大坂クラシック最終日の涙のエピソードも忘れられません。
ただ、単に「目に楽しい」では、オーケストラが付いてこない筈です。この点、普段の練習で彼がオーケストラとの間に築き上げた信頼関係が、演奏を「標準型」に留まらない活き活きとしたものとする上で大きな意味を持っていることでしょう。東洋人初のバイロイト登場で、どうも随分叩かれたようですが、叩かれた理由は「情熱が勝ちすぎている」点にあったのではないかと推察しております。

(10月6日付記:この件、叩かれたのはどうも演出家の方のようですね。間違っていました。同時に、批判された演出家に関する大植氏のコメント、「いや、私はいい演出だと思いました」がさわやかで、気に入ってしまいました。いい人なんですね、このかた。次のバイロイトもこの人には必ず巡ってくる気がします。)

大植/ハノーファーのコンビの音楽は、十代の音楽です。・・・これは、まだ十代や二十代そこそこでも老け込みがちなアマチュア楽隊には見習わなければならない美点です。そこから先、大植さんやハノーファーのメンバーたちが自らの課題をどう乗り越えていくかは、彼ら自身の問題ではありますが、じつに楽しみでもあります。
大植氏は昨10月3日に50歳になったそうで、NDRのサイトに記事が出ていました
その元気な指揮ぶりは、あちらでは好意的に受け止められているようです。



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2006年10月 3日 (火)

曲解音楽史4:言葉と音楽

Bairishev
(ボロット・バイシェフ氏)

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ


音という記号に、人間は高低・長短のほか、もうひとつ便利なものを見いだしました。集約すると、音の『質』とでも言ったらいいのでしょうか? 音の騒がしさ(大きさ)や硬さ軟らかさ(色合い)です。それを混然一体としたままにして置くのではなくて、騒がしさの度合い、硬さの度合いで様々に分類することを、人々はいつの間にか身につけたようです。

分類は受け身の姿勢からは、音が音そのものとして作用すべき場を特定する方向へと向かいました。
たとえばラッパは、専ら戦いの合図として用いられます。カエサル(シーザー)の『ガリア戦記』(前52年)や『内乱期』(前47年頃)からは、戦闘態勢を段階的に整える手段としてラッパの合図を活用している様子が、よく分かります。
遡って、旧約聖書ヨシュア記には、ラッパの大きな響きでイェリコの城壁が崩れたという有名なエピソードが記されています(第6章)。

かたや、人間は自分たちの口からたくさんの違った音を作り出せることも悟りました。能動的に発することの出来る音を、長い時間をかけて整理し、共同体の意思疎通に利用するようになったのが、『言語』であったと思われます。
現在使われている言語がどのような原初形態に集約でき、その原初形態はどんな性質を持っていたか・・・たとえば擬音語と指示語だけで成り立っていたのか、音の高低や長短とどれほど密接していたのか・・・を究明するのは、よほどの博覧強記でないと無理でしょうし、こんなことを究明するのが、いまさら言語学の課題でも何でもないのでしょう。ですが少なくとも、音の利用という側面に関する限り、人間がそれを行ない始めた頃には、音楽と言語はさほど分離していなかったのではなかろうか、想像してみたいところです。

・カエサル「ガリア戦記」 國原吉之助訳 講談社学術文庫1127
・同「内乱期」 國原吉之助訳 講談社学術文庫1234



ガリア戦記


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音楽と言語の混在は、人間の営む音楽が複雑な行為へと変わっていくのを助長したかと思われます。すなわち、楽音を使うやり方が、自然の具象的な模倣(これはカラスなどもできるようです)から、言語が現わす抽象的な概念(天 ->神など)を描いたり、単に言語の音節に沿って意味を離れた発音がなされたり、というふうに高度化していく結果となったわけです。

音楽と言葉の混在が最初どのようなかたちをとっていたか、は、もはや伺うべくもありません。ですが、世界各地に今も残る口承文化は、言葉の伝承に単純な旋律やリズムを重要な補助手段として用いていますから、それに近いものだったと推測してもいいのではないでしょうか。

裏付けとしては、カエサルがガリア人の習俗について述べた中の、次の一節を挙げておきます。ただし、ここで彼はリズム付けや節(ふし)付けに付いて言及はしていませんから、やや弱い裏付け、ではあります。

「彼らは教義を文字に書きとめることは、宗規で禁じられていると考えている。(中略)このような習慣が成立した背後には、2つの理由があると思われる。つまり、一つはドゥルイデス(註:司祭階級)の教義が世間に広く知れ渡ることを欲しなかったためであり、もう一つは修行者が文字に頼って、それだけ記憶に熱中しなくなることを恐れたためである。事実、文字に依存して暗唱や記憶を怠るという例は、よく見られるのである。」(『ガリア戦記』第6巻14節、國原吉之助訳)

・・・ちょっとピントのずれた引用ですが、古代人が口承を大事にした様子を伺い知ることのできる、貴重な言及です。背後には「文字に依存しない」というだけではない、言葉の音の重みにも深い意味を感じる精神があるのではないか、と勘ぐりたい気持ちをそそられる証言です。この証言は、のちのち、宗教詩・叙事詩の文章化や記譜法の成立問題とも関わってくることになります。



さて、これまで弦楽器についてはいちども触れずにきました。
弦楽器と「口・言葉」とは、案外結びつきが強いのではないか、という考えから、ここまで保留をしてきました。

弦楽器のいちばん原初的なものは、楽弓(ヴァイオリン族の弓を指す用語になっていますが、それとは違います)、すなわちほとんど弓そのもののツルをはじいて楽器にしたものである、と言われているようです。本当にそうなのでしょうか?

はじくと糸が音を出す、という発見は、弓を持たなかった民族にも、あるいは弓を楽器としなかった民族にもあったものと思われます。一例として、パプア・ニューギニアの人々は、海外と交流する以前には竹筒に糸を張った弦楽器しか持っていなかったそうです。

興味深いのは、どの民族の弦楽器も、共鳴胴を持っている点です。糸はそれだけでは大きな音が出せませんから、共鳴を利用するようになったのですが、さて、この共鳴というものの利用を、人間はどうやって思いついたのでしょう?

日本列島にもアイヌの「ムックリ」が存在しますが、これはモンゴルの人などの遊牧民族が広く用いている「口琴」の仲間です。口琴は、口腔内を共鳴胴として用います。こちらの方が共鳴を活用しているだけ、広く分布する弦楽器の祖先としては楽弓よりもふさわしいもののように感じます。そう感じるもう一つの理由は、弦楽器が基本的にユーラシア大陸のみに分布しており、南米にはもともと全く存在しなかったらしい、ということにもよりますが、そのあたりは機を改めて詳しく見ていきたいと思います。

口そのものとの繋がりはともかく、撥弦楽器は現在でも言葉と密接な関係を持っています。弾き語りはクラシック音楽の世界ではもう消え去りましたけれども、トロヴァトゥール・トルヴェールに遡るまでもなく、また洋の東西をも問わず、ギターや琵琶などが連綿として「弾き語り」の伴奏楽器として用いられていることは、今さら言うまでもないでしょう。

言葉、といえば声ですが、声と口琴の不思議な組み合わせの例を、最後に聴いてみて下さい。

モンゴル北隣のアルタイ共和国の名歌手、ボロット・バイシェフ氏に惚れ込んだ日本人が、バイシェフ氏の妙技を録音したものです(「アルタイのカイ:秘密の夢〜英雄叙事詩の世界」KING RECORDS KICC 5301 [2000年録音] です。曲名の、色の変っている部分をクリックして下さい。音はモノラルにしてあります)。


Music

アルタイのカイ


アーティスト:ボロット・バイルシェフ

販売元:キングレコード

発売日:2001/10/30

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2006年10月 2日 (月)

Mozart:16歳の傑作交響曲群

1772年、イタリアへ最後の旅をする前のモーツァルトには、有名なK.136〜K.138を含む素晴らしい<機会音楽>もあります。ですが、それらより前に、同じ期間に書かれた交響曲を、ざっと見ておくことにしましょう。

これらは、第16番・17番を除き、4楽章構成のウィーン風交響曲です。
ただし、J.ハイドンの影響を受けた、と考えるのは、この時点ではまだ妥当ではありません。

8曲作られた交響曲の中でもっとも有名なのは第21番イ長調K.134です。ドーミソド・ド・|ドーシで始まる第1楽章の晴れやかさは、これ以前のモーツァルトにはなかったものですが、以後は初期弦楽四重奏曲(やはり1772-3年の作品)にも引き継がれ、16歳の新境地を特徴づけています。
また、この一群の交響曲を特徴づけるのは、緩徐楽章の素晴らしさです。テーマに半音階進行的なひねりを加えた15番、カノンを取り入れた16番、後半部に物悲しさを見せる17番・・・いずれも捨てがたい魅力に満ちています。とくに第17番のアンダンテは昔ラジオ番組のテーマに使われたこともあるはずの、有名な曲です(ミーーーソファミレ|ドという主題)。

謎めいた側面も持っています。モーツァルトは生涯あれほど
「フルートは嫌い」
と公言してはばからなかったのに、この年の交響曲はフルートの美しいものが多いのです。第18番、第9番、第20番、第21番の4曲ありますが、どれもフルートパートは非常に生き生きしています。ザルツブルクにはこの頃フルートの名手がいたのでしょうか? 詳しく伝記を調べてみないと分かりませんね。

第15番ト長調K.124:2Ob,2Hr,弦五部(2月21日)
1.Allegro (3/4) 111小節、ソナタ形式への途上にある3部形式
2. Andante(2/4) 56小節(ハ長調)、2部形式
3.Menuetto(28小節)& Trio(24小節)
4.Presto(2/4)131小節 ロンド形式

第16番ハ長調K.128:2Ob,2Hr,弦五部(5月)
1. Allegro maestoso(3/4)137小節、ソナタ形式への途上にある3部形式
2. Andante grazioso(2/4)67小節(ト長調)、2部形式。弦のみ
3. Allegro(6/8)105小節、ロンド形式

第17番ト長調K.129:2Ob,2Hr,弦五部(5月)
1.Allegro(4/4)114小節、ソナタ形式(展開部は第1主題の素材による)
2. Andante (2/4)73小節、2部形式
3. Allegro(3/8)192小節。いわゆる「天国的なロンド」の走りです。
・・・この作品は1772年より前に取りかかられ、この年完成させたもののようです。

第18番へ長調K.130:2Fl,4Hr,弦五部(5月)
・・・モーツァルトにはめずらしい、ハイC(ハイシー、じゃなくて、ハイツェー、と読んで下さいね!)のホルンを1、2番に使っています。(ハイドンに比べ、モーツァルトはハイトーンのホルンをあまり使っていないそうです。)4本のホルンを用いたのはこれが初めてで、ヘ長調という調性も交響曲ではこれで3曲目、かつ最後となる珍しいものです。
1. Allegro(4/4)132小節、ソナタ形式(展開部は第1主題の素材による)
2. Andantino grazioso(3/8)120小節、コーダ付の2部形式
3. Menuetto(16小節) & Trio(21小節)
4. Molto Allegro(4/4)196小節、ソナタ形式でしょう。84〜106小節が展開部です。

第9番ハ長調K.73: 2Ob(2Fl),2Hr,2Trmp,弦五部(おそらく初夏)
(1769-1770作とも言われている)
1.Allegro(4/4)105小節、ソナタ形式への途上にある3部形式
2. Andante(2/4)51小節、単一主題の三部形式(ヘ長調)
3.Menuetto(24小節) &  Trio(21小節)
4. Molto allegro(2/4)176小節、ロンド形式

第19番変ホ長調K.132:2Ob,2Hr,弦五部(7月)
オペラの序曲風にきこえますが、ウィーン風の4楽章構成です。
これもハイ Esのホルンを1番に用いています。
1. Allegro(4/4)148小節、ソナタ形式(反復記号なし。展開部は60〜89小節)
2.Andante(3/8)151小節(変ロ長調)、複合三部形式
・・・異稿あり(56小節、2部形式)。
3.Menuetto(40小節) &  Trio(28小節)
4. Allegro(2/2)139小節、ロンド形式

第20番ニ長調K.133:2Ob(第2楽章でFlに持ち替え),2Hr,弦五部(7月)
1. Allegro(4/4)182小節、ソナタ形式
・・・ちょっと変わったソナタ形式で、展開部と再現部の切れ目が明確ではありません。第1主題の型通りの再現はなく、126小節から第2主題が再現されます。
2.Andante(2/4)103小節(イ長調)、コーダ付の三部形式
3. Menuetto(28小節)& Trio(30小節)
4. Allegro(12/8)100小節、ソナタ形式

第21番イ長調K.134:2Fl,2Hr,弦五部(8月)
これも高い音のホルンですね。29番と同じです。
1. Allegro(3/4)173小節、コーダ付のソナタ形式(初、です。)
2. Andante(2/4)、73小節(ニ長調)、コーダ付の三部形式
3.Menuetto(30小節)& Trio(28小節)
4. Allegro(2/2)141小節、ロンドソナタ形式でしょう。コーダ有り。

スコアはベーレンライター版交響曲全曲スコアの1(第9番),2(第15番),3に分散しています(ベーレンライター社のサイトでは第3巻しか出てきませんでした)。NMA(ありゃ、まだ在庫があるんだ!)でも3セクションに別れての収録ですが、第11分冊1冊の中で全て見ることが出来ます。
9番と15〜19番はシモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティのCDが格安です。21番はベーム/ベルリンフィルの単独盤に入っていたと思いますが、20番は記憶していません。いま、Web上では見つけられませんでした。最近、アーノンクールによる初期交響曲集がまとまりましたが、こちらには9,15〜21番すべてが収録されています。9番の一部はリンク先のサイトで試聴できます。

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2006年10月 1日 (日)

ホルスト自身による「惑星」

Holst

時節柄よく売れたのでしょう、注文して1ヶ月、ようやくホルスト『惑星』の自作自演盤が手元に届きました。世間はとっくに、<冥王星騒ぎ>なんかお忘れでしょう・・・
考えるに、クラシック以外で「自作でないものを演奏する」音楽家がうじゃうじゃいる世界は滅多にない。クラシックだけが、演奏者の解釈の方が作曲家自身のイメージより優先されるワンダーランドです。
ホルスト自らがLSOを指揮した『惑星』は、ストコフスキー以後定型化している彫りの深い解釈とは一線を画し、ドライでテンポが速いのが最大の特徴です。また、この録音の不協和音は、現代人には「音程が悪くて濁り過ぎている」ように聞こえるでしょうが、1920年代の感覚では「正確」だったはずです。協和音程・オクターヴ演奏の正しさから、そう類推できます。
得るところの多い自作自演が手軽に聴けるのは有り難い!・・マニアックだけど。
(ヴォーン=ウィリアムス「交響曲第4番」自作自演併録)

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