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2006年10月 7日 (土)

定家:「六百番歌合」の世界 (3)

脱線して長々と顕昭の例ばかり上げてしまいました。それでもなお、あげなかった中にみられる、顕昭の詠みぶりと相手方や判辞の言う非難との確執には、当時の歌に対する考え方を浮き彫りにして興味深いものが多々あります。
顕昭の歌には大なり小なり「鯨とる」に見られる挑発的な作歌態度があり、非難はもっぱら「歌の姿としてそれらの言葉は美しくない」という点に集中しているように見受けます。・・・どんなものかは実際に『六百番歌合』を手に取られ、ご確認頂ければ幸いです。この人を巡るやり取りが、とにかく最高に面白い。

だからといって本題の定家観察を怠ってはいけませんね。併せて、良経の例も見てみましょう。こちらはいずれも、負けとなっている例を取り上げます。これがまた顕昭の場合と裏腹になっているのですけれども、どんなものか、まずはご覧下さい(新日本古典文学体系)。なお、番う歌のみをあげ、判辞等は省略します。

先に良経の例。

恋  六
十七番  (寄風恋)
  左                      女房
いつも聞く物とや人の思らむ来ぬ夕暮の秋風の声
  右 勝                    信定
心あらば吹かずもあらなん宵々に人待つ宿の庭の松風

良経の歌は全般に負けが少なく、勝の場合は目が覚めるように色彩豊かな詠みぶりをみせています。負の場合は、「これはサラリといき過ぎだな」とはっきり分かるものばかりで、例示にふさわしいものがなかなかありません。これもスレスレの線で深みに及ばなかった作例ではありますが、「来ぬ夕暮」の表現は、次にあげる定家の例と同じく、新古今の歌人らしいものです。俊成が難を述べているのがその点であるのも、次の定家の例と同様、興味を引きます。
俊成の判は、こうです。
「『来ぬ夕暮』、何の来ぬ共聞えずや。『秋風の声』も、事新しくや。」
事新し、という言葉が、旧世代の歌に対する見方を象徴的に要約しているのは皮肉です。

続いて、定家の場合。

春中
二十八番 (春曙)
  左                    定家朝臣
霞かは花鶯にとぢられて春にこもれる宿の明ぼの
  右 勝                    家隆
霞立つ末の松山ほのぼのと浪にはなるる横雲の空

こちらは、家隆の詠み振りの方が後年の定家を思わせて愉快です。ただ、定家の歌には定家らしい特徴が大変明確にあらわれています。
初句の「霞かは」がそれです。
これにつき、父は「霞のみかは」とすべきだった、と判に述べています。「霞かは」のようなダイレクトさは望ましくない、というわけで、こちらのほうが、この頃は根強く常識となっていたもののようです。
ここに、定家が当時まだ「達磨歌」と悪口された理由も、またすぐ後に後鳥羽院に見出されて新古今集第一と言っても過言ではない歌人となった理由も同時に伺えるようです。
ポイントは「霞かは」と短く断じることによる高度な抽象性の獲得、しかしまだ平易な(平凡、ではありません)次以降の句に接続するにはあまりにそれが抽象的でありすぎること、ではないでしょうか。

以上、各節とも長くなり、すみませんでした。

12・3




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