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2006年10月 7日 (土)

定家:「六百番歌合」の世界 (1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:



なかなか先の話題に進まず、すみません。

後世、これ以上愛読された歌合せも無いでしょうに、九条(藤原)良経が『六百番歌合』を催した正確な年や月ははっきりわかっていないのですね。それというのも、この歌合せ、<歌合せ>という言葉からイメージされる、その場で歌を発表してその場で議論され判を得る、というものではなかったのですから、当然なのです。初めて『六百番歌合』を活字で読むまで、そんなこと、私は知りませんでしたが。

新日本古典文学大系の解説によれば、この歌合は建久三年に計画が始まった由。
『明月記』からは離れますが、定家の拾遺愚草上巻には、彼がこの歌合に向けて詠んだ歌が『謌合百首』としてまとめられており、次のように注記されています(新古典文学大系の解説でも言及)。

  建久四年秋 三年給題今更雖憚身依別儀猶被召此歌

      ***      ***      ***

「『六百番歌合』は数ある歌合の中でも抜群に面白い歌合である。」
先の解説で校注者の久保田淳さんはそう述べていらっしゃいます。国文学の基礎的知識のない私は数ある歌合の中でかどうかはわかりませんけれど、和歌の本としては間違いなく、他には経験出来ない面白さに満ちた本でした。
ご存知のかたには「いまさら」ですが、有名な例で、こんなのがあります。

恋  七
七番  寄海恋
  左                      顕昭
鯨取るさかしき海の底までも君だに住まば波路しのがん
・・・
右申云、左歌、恐ろしくや。(略)
判云、(中略)おほよそは、歌は優艶ならん事をこそ庶幾す可きを、ことさらに人を恐れしむること、道の為人の為、其の要無く哉。(後略)

作り手である顕昭という人は、この歌合の中で突飛な歌ばかり詠んでいてユニークな存在です。しかも顕昭さん、上のような人の判断に対し、堂々と反論を記していて、それがこの歌合と一緒に現代まで伝わっているのだから、タダモノではありません。

「顕昭陳じ申して云く、鯨とるかしこの海と仕れる、更に人をおどさん料とも存じ侍らず。万葉集(中略)の長歌の中に、『鯨とるあはの海』と云ふ歌につけて詠みて侍るなり。(中略)彼集に『鯨とる』とよみて侍れば、三史文選に鯨とる証文の侍らざらんは、和歌の大事に侍らず。」

顕昭が引いている万葉集の歌は、巻第二、153番の

  鯨魚取り淡海の海を沖放(さ)けて漕ぎ来る船
  辺(へ)附きて漕ぎ来る船
  沖つ櫂いたくな撥ねそ
  若草の夫(つま)の思ふ鳥立つ

でしょうが、こんにちでは「鯨魚取り」は「いさなとり」と読んで、海に対する枕詞であることが分かっています。「あはの海」も、「あふみ」すなわち琵琶湖です。阿波の海ではありません。顕昭の言い分は笑うべき言い分ですけれど、研究が進んで後にいる我々だからこそ笑えるのではありますね。加えて、この議論、『万葉集』享受の歴史がどんなふうになされてきたか、という点から見ても面白い材料であるように感じます。

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