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2006年10月28日 (土)

曲解音楽史7:エジプトの歌はひとつだけ?

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
          4)言葉と音楽   5)トランス   6)古代メソポタミア


図説 古代エジプト文字入門

エジプトは、ギリシャの諸ポリスやローマ帝国との接触が長く続いたこと、文明滅亡後もその絵文字(聖刻文字=ヒエログリフ)が常に人々の興味を引く付けていたこと、解読してみるとその言語が単一で、国家も基本的に単一民族であったことなどが益し、古代についてメソポタミアよりも早く輪郭が明らかになりました。時期的には文明の発祥より2千年以上も遅れるものの、ヘロドトスが『歴史』に具体的な見聞を記しているのも、エジプト社会を明らかにしていく上で有効な働きをしました。
音楽については、しかし、ヘロドトスの言っていることは摩訶不思議です。

「エジプトには歌が一つしかない」
(松平千秋訳、上巻209ページ、岩波文庫1971)

「『リノスの歌』がそれで、これはフェニキアを始めキュプロスその他でも歌われているものであるが、名前は民族によってそれぞれ異なる。」
これに対する松平博士の註は、
「キュプロスではアドニス、シリアではタムス、アルゴスではリノス、等々である。普通リノスとは春に生成繁茂し、夏の炎暑に傷められ秋に刈り取られる植物の象徴と解される。リノスの名も悲泣の掛声 (ailinon)から分離して作られたものとされる。」
とありますが、出典や根拠が不明で、かつ「ひとつしかない」歌の説明とはなっていません。ギリシア神話に出てくるアドニスはアフロディテの愛人となった若者で、他神の嫉妬により殺されて流した血から真紅のバラの花が咲いた、とされています。タムス、というのも、このギリシア神話の元となったフェニキア〜シリア方面の神話でアドニスの役を果たすタンムズという神の名前でしょう。
(参考:大林太良、伊藤清司、吉田敦彦、松村一男編「」角川選書版、選書375 2005)

世界神話事典

私が分かったのはここまでで、エジプトに同様の神話があったか、そこにリノス(ギリシア語なのかもしれません)という、アドニスやタンムズに相当する神が存在したかまでは分かりません。
ともかく、こうしたことから推測するに、ヘロドトスは歌の旋律が一つしかない、と言ったのではなくて、歌の種類が何か特定の復活儀礼に関わる宗教歌的なものに限られる、と伝えているのかな、とも思えてきます。
ところが、ヘロドトスの言うことにもう少し耳を傾けてみると、
「リノスの名はエジプト語でマネロスというが、エジプト人の話では、マネロスはエジプト初代の王の一人息子で、成人の日を待たず夭折したこの子供を、エジプト人は例の晩夏を歌って偲び、そこでこの歌がエジプトの最初にして唯一の歌謡となったのであるという。」
これはどう読んでも、やはり「歌そのものが1曲しかない」ととるのが自然です。
考えられるのは、1)エジプトには本当に歌が1曲しかなかったのではないか、2)そうではなくて、ヘロドトスのエジプトの歌を聴いた場面が何らかの理由で特定/限定されていたのではないか、
といったあたりでしょうか。

歴史 上 岩波文庫 青 405-1



幸い、リーサ・マニケというデンマーク出身の有名な女性エジプト学者さんが
「古代エジプトの音楽」
という本をまとめていらっしゃり、松本恵さんによる邦訳で読むことが出来ます。
古代エジプトの音楽
そこに掲載された図版からは、宗教儀礼の場だけではなく、農耕の仕事歌としても、宴会の踊りの伴奏としても音楽が必要とされていた様子がいきいきと伝わってきます。
かつ、図に出てくるもの、出土した遺物から伺うに、古代エジプトには多種多様な楽器も存在しました。
リュート、弓形に角形のハープ、単リードまたは複リードの双管管楽器、ツタンカーメン王の墓から出土したトランペット(試奏もされたそうですが、最初のときのそれがあまりに乱暴な方法だったため、いたんでしまったとのことです)、シストラム(小さなシンバルを付けた、手で持って振る小型の楽器)、シンバル、タンバリン、樽型の太鼓など。そのほとんどが、原題エジプトの民族音楽の中でも使い続けられているということですから、たいしたものです。

楽器の中で面白いのは、リュートです。亀の甲羅を繰り抜いて作ったのが、どうもリュートのそもそもの姿だったのではないかと思われます。出土したものは大英博物館に所蔵されている、と、「古代エジプトの音楽」の口絵写真には説明がついています。
このリュートの作り方は、これも興味深いことに、古代ギリシアの文献に出ています。ホメロスの名を冠した一連の諸神讃歌のうちの、ヘルメース讃歌に載っているのです。曰く、ヘルメースが
「葦の茎をそれぞれ程よい長さに切ると、
 亀の甲羅を指し貫いてしっかりと取りつけた。
 その上から巧みをこらして牛の皮を張りまわし、
 腕木を造りつけ、横木を渡して固くとめ、
 よく鳴り響く羊腸の弦を七本そろえて張った。」
(沓掛良彦訳「」218頁、ちくま学芸文庫ホ11、2004)

ホメーロスの諸神讃歌



古代エジプトには楽譜がなかった、とされています。
(前回言い忘れましたが、メソポタミアからは数字を用いて記譜した粘土版が出土しています。)
でありながら、描かれて残った数々の奏楽の様子は、記号風の約束事が多いエジプト壁画の中では異例と言ってもいいほど具象的です。とくに楽器の描き方には最も顕著に具体性が見られます。マニケ教授がスケッチし、説明しているハープ奏楽の絵は、奏者がどの弦をどのように弾いているかまでがきちんとわかる、とされていますけれど、全くその通りだとの印象を受けました。
同時にまた、奏楽場面の壁画の多くには、楽器奏者や歌手数人、場合によってはひとりひとりの前に、指揮者風の人物(カイロノミスト)が描かれています。この人物が、どうも演奏家たちに対し音程などを指示していたのではなかろうか、という話が、通説となっているようです。
しかも、カイロノミストの手と、先程の具体的なハープ奏者の手の位置に密接な関係があるらしいことも認められますので、
「カイロノミストの腕の位置は五度音程を、手のひらや指の開き方は何らかの奏法を示しているのではなかろうか」
といった推定も可能らしいのです。
すると、古代エジプト人は、通常の筆記用具であるパピルス(高級品であり、誰でも手に出来たものではなかったそうです)にではなく、なんと、あの壮大な壁画に楽譜を残したのだ、という推測まで出来てしまうのです。
恐るべし、古代エジプト人!

しかしはなはだ残念なことながら、楽譜と公認しうる史料が全く存在しない状態は今も続いておりますので、古代エジプト音楽を復元することは未だに不可能です。
そうした中、マニケ教授の著書に刺激され、何とかその響きを復元しようとした人物がおり、この人は様々な方面の援助を得て楽器も復元し、音楽自体は古代を想像しつつ自分のイメージを膨らませて作曲し、CDにしています。アマゾンで探したら入手できました。

Ankh: The Sound of Ancient Egypt

ご興味のある方は、どうぞご一聴下さい。少なくともリーフレットのメッセージ、僅かしかないものの併載された図版は、感動的です。

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