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2006年10月19日 (木)

曲解音楽史6:文明の淵源メソポタミア

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立 3)音程から音階へ
           4)言葉と音楽   5)音楽とトランス
    
古代四大文明で最も古く、最も多様な展開を見せたのは、現イラクを中心に栄えたメソポタミア文明でしょう。
今でも戦争の渦中にあるこの地域は、五千年前、或いはもっと遡って三万年前から、主役争いの激しい場所だったようです。
楔形文字が使われるようになってからはもちろん、文字記録のない石器時代でもそうでした。
イラクから中東の地中海沿岸にかけてはネアンデルタール人遺跡のメッカでもあります。彼らは二万五千年ほど前までには・・・争いによるのかどうかは不明であるものの・・・現生人類の勢力に駆逐され、滅亡したらしい、と考えられています。

ネアンデルタール人の正体―彼らの「悩み」に迫る

バビロニアの神話では、人間は戦いに勝った神が破れた神の死骸の血と骨から出来たことになっています(「神々の戦争」、『世界最古の物語』p93、絶版!)。

主導権争いの激しさは、一方で交易の盛んな様をも物語っています。
有名な「ギルガメシュ叙事詩」には幾つかの異界が現れます。敵神フンババが住む杉の森(レバノンらしい)、サソリ人間のいるマーシュの山、果実がみのる紅玉石の土地などです。
これら異界の登場は、古代人が積極的に世界を拡げようとした意欲を反映しているのでしょう。
また、ギルガメシュのライヴァルで親友となる毛むくじゃらのエンキドゥは、もしかしたらネアンデルタール人の記憶が形になったものかも知れません。
ネアンデルタール人遺跡からは彼らが現生人類と交流した可能性を示す痕跡も見つかっていますから、メソポタミアの人々の冒険心が以下に古い時期に由来するか、が、この「ギルガメシュ叙事詩」にしっかり刻印されていると思ってもよいでしょう。



古代メソポタミアでどんな音楽が歌われ奏でられていたか(英文)、は専門家以外には知るための手段が公開されていません。
これまでに、どうやら和声を伴ったポリフォニックな音楽ではなかったか、ということが分かっているそうです。30年ほど前には復元演奏を試みた録音もなされたようですけれど、私はその録音を発見できませんでした(ご存知の方、是非ご教示下さい)。その他、日本語サイトで史料を当たっても、ほとんどのリンク先が閉鎖状態で参考に出来ませんでした。
(ひとつだけ、難解ですが、理論をまとめたサイトがありました。リンク先[海外]も生きています。また、片山[旧姓:天野]千佳子という先生の1981年の論文があることも分かりましたが、読めていません。黛敏郎「スフェノグラム<楔形文字> (1950)」という作品はメソポタミア文明には何の関わりもありません。)
ですので、その痕跡を図像や文学(翻訳)作品、民族音楽に見いだそうとするしか手だてがありません。

最も見いだしやすいのは、戦争の記録です。そこでは合図や士気高揚のためにラッパや太鼓が軍楽に使われることが多いからです。
しかし、古代メソポタミアの人々は、どうも軍楽を音楽の一種として捉えてはいなかったようです。このことは、イェリコがラッパの響きで崩壊した、などのエピソードを記録したユダヤ人(第4回参照)とは様子が異なっています・・・もっとも、私の狭い視野で、関係資料を目にしていないだけかもしれませんので、断言までは出来ません。
見た限り、レリーフ類に現れる楽士の姿は、もっぱら竪琴弾きか歌い手です。
メソポタミア世界で、音楽---歌---は、かたくなな障害を慰撫し和らげる魔力を持つもの、とされていたらしく、神話や叙事詩の中でもその旨が語られています。一例。
「彼女(女神イシュタル)は衣服をぬぎすて、小鼓とシンバルとを手にして、海辺へ降り立ち、美しい音楽を奏し、歌を歌いました。」(「石の物語」〜ガスター『世界最古の物語』から。矢島文夫訳 社会思想社 現代教養文庫805、S48 絶版)

では、歌は実際にどのように歌われていたのでしょうか?
推測しかありませんが、ここに引く に、古代の面影を見ても差し支えなかろうかと思います。地域はヒッタイトの故地、アナトリア半島の北辺ですので、メソポタミア中心部からはだいぶ離れてしまいます。歌も「戦いの歌」だそうです。それでもグルジアの合唱にはヨーロッパ伝来ではない固有の和声感覚がはっきりと聴き取れます。
上に女神が歌う場面を引用した『世界最古の物語』でガスター教授が解説しているところによりますと、
「セム語族の詩歌は韻律形式よりもリズムと抑揚により支配されている。」
これは、ホメーロスの叙事詩に代表される古いギリシャ語の歌世界とは趣きを異にしているのですが、このことは古代ギリシャ音楽を観察する際に明らかにしましょう。

(引用) 中の「ダニエル書」第3章には、バビロニアの王ナブコドノゾル(ネブカドネザル、在位紀元前604-562)の御前で奏でられた楽器が列挙してあります。この点に言及もしている気鋭の若手学者、上尾信也さんが、著書『音楽のヨーロッパ史』(講談社現代新書1499、2000)で古代メソポタミア音楽についてまとめたのを引用します。(上尾さんは最近「吟遊詩人」について分かりやすいムックを書いています・・・私は予算の関係で未購入。)


音楽のヨーロッパ史

参考までに・・・おもに12世紀を取り扱っていますが(ゲーマーも必見!)

吟遊詩人

「シュメール王朝では、神殿において祭儀のために歌が用いられ、北から興ったセム族のバビロニア王朝に受け継がれた。歌のほかにもリード笛や横笛、リラやハープ、竪琴キタラなどの弾奏弦楽器、太鼓やシストラムといった楽器が用いられたといわれ、神への儀礼の道具としての歌や奏楽は王権の維持に深く関わっていた。アッシリア王朝では、王宮における祭礼や宴会と行った公の場で音楽が頻繁に用いられたが、これは外国とくにエジプトの影響であった。」(15-16頁)

音楽が王などの特権階級のシンボルとなった由来は古代的な意味での政治上の理由からかと思われますが、それについては古代中国をみていくときにあらためて考えることになるかと思います。

シストラム、ハープは、古代エジプトの音楽を見ていく際に触れましょう。エジプトとの交流、という点を排除してメソポタミアの音楽を考えたいとき、楽器の中で重要なのは、リラとキタラです。

リラは、四角い枠に、弾くための弦だけでなく、共鳴弦も張られている、手持ちで演奏できる弦楽器です。リラがエジプトにおいて最も古い絵に描かれている(中王国時代第12王朝、前1990頃)のは、それをベドウィンと思われる人物が奏でている様子です。このことは、リラはエジプトのオリジナル楽器ではなく、中東世界に起源を持つものであることを推測させます。リラは古代ギリシャで盛んに使われるようになります。また、中世ヨーロッパの吟遊詩人の肖像がよく手にしている竪琴も、リラに由来するのでしょう。
キタラも、古代ギリシャの壷によく描かれる大きめの竪琴です。

どうやら、メソポタミアやその周辺に起源を持つ發弦楽器が、地中海世界やヨーロッパにひろまり、その後の民衆音楽世界に根付いていくことになったのでしょう。
エジプト起源と思われるリュート族も同じ道を辿っていると思われますので、一人メソポタミアの功に帰すことは出来ないのが惜しいところですけれど、今も盛んな「弾き語り」文化は、地中海を挟む二つの大河文明を揺り籠に幼児期を過ごしたのです。したがって、アジア・ヨーロッパに広がる「弾き語り」文化は、音楽の中では最も長い、五千年以上の伝統を持つわけです。


文中に上げなかった参考書物等
・小林登志子「シュメル---人類最古の文明」中公新書1818 2005

シュメル―人類最古の文明

・池田潤「楔形文字を書いてみよう読んでみよう」白水社 2006

楔形文字を書いてみよう読んでみよう―古代メソポタミアへの招待

・杉勇「楔形文字入門」中公新書(絶版、講談社学術文庫で復刊)

楔形文字入門

・矢島文夫訳「ギルガメシュ叙事詩」ちくま学芸文庫ヤ11 1998
ギルガメシュ叙事詩
・DVD「NHKスペシャル 四大文明 メソポタミア」パイオニア PIBW-7012 

古代エジプト関係、古代ギリシア関係はそれぞれを採り上げる際に掲載します。

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