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2006年9月 7日 (木)

Shostakovich:ヤンソンス親子とムラヴィンスキー(第5をめぐって)

Shostakovich:ヤンソンス親子とムラヴィンスキー(第5をめぐって)

綴っているうちに、つい長くなってしまいました。毎度すみませんm(_ _)m

ムラヴィンスキーレニングラードフィルを率いるはずだった来日は、最初予定された1970年と、最後に予定された1986年、その5年前の1981年がキャンセルとなってしまっています。1981年については当時のソ連当局が許可をおろさなかったためであることが判明しています。他の2回は病気が理由となっていますが、私は真相は知りません(ムラヴィンスキー関係の本は3冊読みましたが、このあたりは忘れてしまい、本自体すぐには取り出せず、確認せぬままでつづり始めました。ゴメンナサイ)。

キャンセルされた最初と最後の公演では、いずれもショスタコーヴィチの第5が演奏される手はずでした。

14年を隔てたこの二つの公演で、ムラヴィンスキーに代わって第5を指揮したのが、奇しくもヤンソンス親子だった、と、先日知りました。ご好意で息子の方のマリス・ヤンソンスが86年に振っているレニングラードフィル日本公演の映像を見せて頂き、分かったことです。当時マリスはおそらく43歳でした。

最初のピンチヒッターである父アルヴィドの、70年来日時の演奏はCD化されています。
最後のピンチヒッターだった若いマリスの方は、商品になっていません。

以前、マリス・ヤンソンスがウィーンフィルと録音した第5の演奏が、演奏時間から見て父のものとは大きく違うらしい、ムラヴィンスキーっぽい、といったことを述べました(こちら)。
上の事実を知ったあと、父の方の演奏も確認し、ムラヴィンスキー73年来日時の録音も入手し得て、親子の違いのホントの理由をなんとなく感じることが出来ました。

父アルヴィドは、CDパンフに掲載されたディスコグラフィを見ると、古今の名曲よりはロシア現代音楽の録音に勢力を注いでいたことが分かります。ムラヴィンスキーとは仲の良い人物だったと言われていますが、指揮者としてはまったく違う個性の持ち主だったわけです。
70年、アルヴィドが指揮した演奏は、したがって、ムラヴィンスキーが行なったであろう方法とは異なる監督をしています。CD解説にも特筆されているのは<金管の強調>で、聴いた感触も解説と合致しています。この点、やはり「当時の現代物」指揮者、ロジェストヴェンスキーと似ています(とはいえ響きの色は別物です)。
ただ、常任ではない悲しさでしょうか、各楽章ともレニングラードフィルの立ち上がりにはキレが不足し、結果として緊迫感のない出だしになってしまっています。
それでもアルヴィドが素晴らしいのは、決してオーケストラを緩めっぱなしにはせず、中盤までには「高揚」を彼らから引き出している集中力でしょう・・・かなり大変だったと推察されます。結果として、全般的に、ショスタコーヴィチのこの作品の明るい面を浮き彫りにし、響きには厳しさよりも豊かさをもたらしています。
面白いことに、演奏時間だけは、第1楽章と第4楽章については3年後にムラヴィンスキーが日本で残したライヴ録音とまったく同じ、他の2つの楽章も極めて近いタイムになっています。ですが内容としては(第2楽章のグリッサンドやリタルダンドを度外視した点は共通ですけれども)全く異なる演奏です。

したがって、父アルヴィドの個性を活かした演奏と、息子マリスの「ムラヴィンスキー的な」演奏の差は、実は時間要因によるものではなかったわけです。

86年、マリスの指揮したレニングラードフィルの演奏は、父の場合とはだいぶ趣を異にしています。
このときは直前までムラヴィンスキーが第5の練習をしていた、と推測されます。終楽章の例の、印刷譜では「(移動ドで)ソ、ラシドシドミ」となっている個所を、マリスはムラヴィンスキーのメルクマールである「ソ、ラシドシラミ」と演奏しているからです。マリスがそうした、というよりは、オーケストラが
「ムラヴィンスキー用の楽譜を用意していた」
のが真相なのではないでしょうか。
後年のウィーンフィルとの録音の際(こちらではさっきの個所は「ソ、ラシドシドミ」です)、マリスは終楽章の最初をかなり遅めに始め、7小節目からはアチェランドではなく俄かに次のテンポへと速度を上げていますが、86年にはレニングラードフィルを前に同じことをしていたのを、今回見た映像で確認できました。
しかし、その部分を含め、マリスはレニングラードフィルの面々からは、決していい反応を返してもらっていません。若いマリス・ヤンソンスが、しばしばオーケストラの演奏に合致しない「空振り」をし、苦渋の表情を浮かべているのが、映像中の彼の必死の形相から伝わってくるのです。
しかも、84年のムラヴィンスキー指揮の録音でも感じた緩みを、レニングラード・フィルはこのときまったく同様に再現しており、当時ゴルバチョフ政権下にあったロシアが文化面でも何らかの大きな変動期を迎えていたことを伺わせます。
そんな緩みがあるとはいえ、さすがにレニングラードフィルにはショスタコーヴィチの第5を初演した誇りがあり、かつ、若手が振るときほど音楽を自律的にムラヴィンスキー流に修正して
「指揮者のいうことなんか聞くもんか」
と言わんばかりの勢いでアンサンブルをやってしまっているようでもあり、その音楽がまた、演奏が終わったとたんやんやの喝采を受けたのですから、マリスが良くも悪くもこのときの経験に大ショックを受けたことは想像に難くありません。なにせ、喝采のあいだ中、オーケストラの誰一人として、マリスに投げかけられた笑顔に応えないんですから。・・・多分、他の土地、他の国でも散々同じ目に合わされたのでしょうね。
父の厳しい訓練を受けた彼の性格からして(って、知り合いじゃありませんからホントは知りもしないんですヨ)、マリスはこの時、ムラヴィンスキーの音楽作りが如何に確固たるものかを思い知らされ、ムラヴィンスキー流の「ショスタコ5番」に謙虚な気持ちで敬意を抱いたのではないでしょうか? それが、マリスの5番を現在でもムラヴィンスキーに近い仕上がりにしているのではなかろうか、と、私は感じた次第です。

ロシア系の演奏で「ショスタコーヴィチ 交響曲第5番」のベスト盤は、噂にたがわず73年ムラヴィンスキー来日時のものだ、と、今では確信しています(このことは、またいずれ触れるつもりです)。それが手に入らない場合は、試しにヤンソンス:ウィーンフィル盤をお聴きになってみて下さい。先ほど触れた第4楽章冒頭部以外は殆ど自然に流れており、ムードもよく締まっていて、曲にふさわしい響きが感じられるはずです。

もちろん、別の指揮者、別のオーケストラでも素晴らしい録音は沢山なされています。たとえばコンドラシン(当ブログ内記事)の録音は、その音質にもかかわらず、やはり捨てがたく思います。ただし、5番の単独盤は現在は見当たりません。「西側(死語!)」指揮者とオーケストラについては、これから調査研究です! とりあえずはふるたこさんのページを頼って・・・そこにないものをひそかに狙って!物色中。こんなんじゃ、ハズレばっかり引くかもしれません。

余談ですが、映像を見せてくださった方は、昔ジュネスでアルヴィド・ヤンソンスの棒を経験なさったそうです。アルヴィドという人は東京交響楽団に縁が深く、日本で非常に印象的なエピソードを残しています。こちらにリンクを貼ったサイトを、ぜひご覧下さい。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page223.html

ロシアは政治的にはまだ日本と暗い過去を争点にしつづけ、国境ではトラブルも絶えませんけれど、そのことについての意見は差し控えます。(今後も、政治的なことは一切述べません。)
そうした上でアルヴィドさんの逸話、故ムラヴィンスキーやロジェストヴェンスキー氏、弦弾きとしてはまた、ボロディンクァルテットの価値観などを知ると、ロシアの人々は本来とても情に厚いのではないかと感じられてなりません・・・でもロシア語は難しい!

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