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2006年9月 1日 (金)

定家:九条良経の知遇〜『松浦宮物語』(1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:



定家が殿上で悪口を言われ、かっとして相手を紙燭で殴って謹慎となったこと、ほぼ三ヶ月後に、父の俊成が歌で宮中に取りなしてくれたことで、やっと謹慎が解けたこと、は、定家の伝記を扱う本には必ず出てくる話ですね。
謹慎が解かれた翌文治二年、定家は二十五歳。この時から彼は九条家へ出仕するようになります。当主兼実はこの年二月、摂政に任じられたばかり。九条家の家運は上昇の一途をたどります。
「定家は良い時期に、良い家に仕えた」
と言えるのでしょうか。西行の勧めで「二見浦百首」を詠んだのもこの年ですから。
翌文治四年が俊成の「千載和歌集」総覧、さらに文治五年、定家は西行の「宮河歌合」の判を終えています。

昇り坂の九条家に最初の陰が差すのが、定家の「宮河歌合」判の前年、文治四(1186)年です。
兼実の長子、内大臣良通が、二十二歳の若さで急死したのでした。次男良経はまだ十八歳で左大将。兼実には安堵の隙がなかなか訪れない日々でした。
単に仕える、というだけでなく、定家が歌の面で九条家の人々との交流を深め始めたのは、こんな時期のことでした。
とくに、和歌へ強い興味を示す良経には触発されるところも多かったようです。

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