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2006年9月 4日 (月)

音楽史を聴く:簡単な叙説

音楽史を「聴く」というのは、我ながら変な表現だと思います。
とくに「クラシック」と呼ばれている音楽の「聴き方」は、だいたい17世紀以降に作られたヨーロッパの作品を、現代の演奏家がプレイしたり録音したものを耳にする、というのが一般的です。それにもかかわらず、作曲者の活躍した年代を想像しながら聴くことで、私たちは「歴史」に耳を傾けているのだ、という気になっている。
厳密に言えば、「音楽史」そのものが聴けるのは20世紀以降の作曲家たちが行なった「自作自演」録音だけであるはずです(私が聴くことの出来た最古の録音は、フランスの女流作曲家シャミナードが1901年に残した自作自演録音です)。ですが、ここで思いつくのは、たとえばリヒャルト・シュトラウス彼の指揮による自作演奏には多くの録音が残っているにも関わらず、むしろフルトヴェングラーが同時期または少し後に残したシュトラウス作品の録音の方が珍重されたりする。ビートルズなら有り得ない話です。

それでも私など、昨日パリ管ブラスクィンテット(当ブログ内記事)の組んだログラムの中にルネサンス期の舞曲からシャンソンまでが入っているのを耳にしつつ、どうしても、それらの音楽が連綿と積み重ねて来た「歴史」に感銘を受けざるを得ない。・・・とても妙な気持ちです。

「音楽史」の書籍に音声がついていることはありません。古代エジプトや中世フランスの楽器を描いた壁画を載せたり、解読された古代ギリシャの楽譜を載せたり、そうした補助手段をもって、音楽というものがいかにして人間に享受されて来たかを論じるのが「音楽史」の役目であって、「音楽」とはそもそも何ぞや、という問題は、そこでは据え置かれています。

そもそも、中世ヨーロッパ人は、「天上の音楽」という、人間の耳には聴き取れない崇高な音楽がある、との価値観を持っていました。こんにちでは、過去の人間が残した音楽も、私たちにとっては「天上の音楽」の仲間入りをしていると言っていいでしょう。
その、「天上の音楽」を、ヨーロッパに偏ること無く、民族音楽とひとかたまりに言われているものや、場合によっては私の苦手(流行や有名人を殆ど知らない、という意味で)な「ポピュラー」といわれる音楽まで視野に入れて、出来るだけ「聴覚的に」考えていく試みをすれば、何か得るところがあるのではないか・・・そんな獏とした考えから、「音楽史を聴く」という試みを、その場その場の思い付きで行なっていくことも有意義ではないか、と考えている次第です。

まだ、どんなふうにしていくか分かりませんが・・・

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