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2006年9月 1日 (金)

定家:九条良経の知遇〜『松浦宮物語』(2)

明月記に定家が作歌を命じられたという記事があらわれるのは、千載集成立から五年後の建久二(1191)年八月三日条が初めてです(もっとも、先の千載集の記事からこの条までのあいだ、明月記の記事は文治四年九月二十九日条のみです)。
「大将殿来十三日可有御作文管絃和歌等、光範被献題(分ち書き部分省略)松上鶴、(小字)和歌、」

定家の歌集「拾遺愚草」を見ますと、<十題百首 建久二年冬左大将家>というのがあり、これは上の漢詩も詠んだ会とは別に詠歌がなされたものですけれど、上記の記事やこのような百首の存在から、二十三歳になった良経が九条家のサロンの新しいあるじとして既に活躍盛んとなっていたこと、それに伴い、歌詠みとしての定家の出番も着実に増えて来ていることが伺われます。

同じ頃、定家は単に作歌だけでなく、
「物語にある歌同士を番えてみよ」
と、おそらく良経から言われ、源氏物語と狭衣物語それぞれに記載された歌で、見事な歌合せを編集しています。
単に<百番歌合>と題された、通称『源氏狭衣歌合』は、左に源氏物語からの、右に狭衣物語からの歌を、恋(四三番)、別れ(四番)、旅(六番)、哀傷(一五番)、雑(三二番)に配したものです。物語の何処にどの歌があるのか、どんな場面で歌われているのか、を熟知していないと到底組み合わせられない上に、それをオーソドックスな歌集の部立てに併せて配列しているとは、私のような上辺だけのシロウト読者にとってはほとんど信じられないことですが、厳然たる事実です(変な表現だな)。

たとえば、哀傷部、六十八番の組み合わせ。

    左 心からこの世を限りに思ひ捨てける夜  浮舟
鐘のおとの絶ゆるひびきに音を添へて我が世尽きぬと君に伝へよ
    右 常磐の山里にて、限りにおぼえければ
ながらへてあらば逢ふ世を待つべきに命は尽きぬ人は訪ひこず

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